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2.女魔王はプロポーズの真意を知る

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ローレンスはシャルティを抱え、魔王城からほど近い森の中をゆったりと進んでいた。
 森には魔族の眷属、魔物が棲んでいる。
 純白のマントとプラチナの鎧を脱ぎ捨てたローレンスは、着古したベストとシャツを身に着けている。
 腰に下げた大剣を除けば、どこにでもいる平民の青年にしか見えない。

 魔物にとっては格好の餌食のはず。
 しかしローレンスが獣道を横切ると、魔物は怯えたように森の奥へと走り去っていった。

(やっぱり本物の勇者なのね)

 疑いたくなるほど、ローレンスから殺気は感じられないのだ。
 歩幅にあわせて、やわらかい金色の髪がなびくのをながめていると、
「そんなに見つめられると、さすがに恥ずかしいな」
「み、見てなんかいないわ」

 ローレンスは引き締まった頬をゆるめ、苦笑した。

「腕は痛まないかい? それに髪も切ってしまってごめんよ。俺的には短いのも似合ってると思うんだけどね」
「魔族は脆弱な人族と違って頑丈なの。それに髪を切られたくらいで傷つかないわ……気にしないで頂戴」

 シャルティの右腕には包帯が巻かれ、うっすらとその中心は赤黒く染まっていた。

 数十分前。

 『まずはシャルティ、君を殺す。あ、フリだよ、フリ。……ちょっと痛いけど我慢してね』

 ローレンスは地下牢でシャルティの髪を肩先まで切り、右腕に浅く傷をつけた。

『魔王を討伐した証を陛下に献上しないといけないんだ』

 それならばシャルティの首を持っていけばいい。
 魔族の生命力は人族の比ではない。少なくなったとはいえ、シャルティの魔力量なら長くて一年、首と胴が分かれていても、復活は可能だ。
 小細工が露見し、ふたたび同族を危険に晒すよりも己が犠牲になるほうがマシだ。
 ローレンスは石畳に胡坐あぐらをかき、真剣な表情でシャルティの腕の傷口から小瓶に血を詰めている。
 シャルティは恐る恐るローレンスに問いかけた。

『……血と髪で私が死んだことを証明できるのかは疑問だわ。私の首を差し出せば、簡単に済むのではなくて?』
『そんなことしたら、角が劣化するじゃないか! 魔族の角は君たちが思っている以上に繊細なんだよっ』

 穏やかな雰囲気を一変させ、ローレンスは切れ長の瞳を限界まで見開き叫んだ。
 狭い地下牢の石壁に声が反射し、シャルティの鼓膜を震わせる。
 怒りのポイントが明後日の方向にズレている。
 シャルティは生温かい目でローレンスを見つめた。
 ローレンスはシャルティが怯えたと勘違いしたのか、「大きな声を出してすまない」と、バツが悪そうに眉尻をさげる。

『君たち魔族の生命力の高さは百も承知だ。けれど、そのまま首を取り上げられたら勇者と言えど、俺は簡単に君を取り返せない』

 自信家のローレンスにしては気弱なことを言う。シャルティは案外常識的な男のだなと感心した。

『君の首を持って行っても、魔王と信じてもらえるか、定かではないしね。人族は魔王をいかついオッサンだと思い込んでいるから。魔力を帯びた身体の一部を持っていけば、十分さ』

 なんとまあ、適当な魔王討伐計画なのだろう。
 シャルティは人族のいい加減さに鼻白んだ。


 角への異常な執着心を逆手に取れば、勇者を意のままに操れるかもしれない。そのためには従順な態度を心掛けるべきだ。ローレンスの柔和な笑みを刻む口元を見上げ、シャルティはあれこれと考えを巡らせた。

 腕の中で揺られること半日。

「さあ、ここが俺と君が暮らす家だ」

 鬱蒼と茂る木々が途切れた先に二階建ての建物が姿を現した。ポーチの柱には見事な彫り物がされ、二階にはバルコニー付きの大きな窓がある、豪華な建物だ。

(森の中には不似合いだこと)

 周囲に魔物の気配はない。やはり彼らはローレンスを恐れているのだ。

 ローレンスはシャルティを降ろし、玄関へエスコートした。
 促されるまま室内に足を踏み入れたシャルティは、驚愕し、思わず立ち止まってしまった。
 ランプの明かりに照らされた一階部分、左右と正面の壁には、動物の頭蓋骨が所狭しと飾られている。
 牛や羊に馬、果ては狼にと種類は様々だ。
 巨大で複雑な曲線を描く角を持つ頭蓋骨たちは野生動物ではない。壁を覆う頭蓋骨たちは同族のなれの果てだった。

(手前の一本角は一昨年行方不明になった北方の領主、ウーゴのもの。奥の四本角は先日、お隠れになった叔父上のものだわ)

「魔族ってパッと見、草食動物に似ているけど骨になると、まるで別物だよね」

 ローレンスは壁に掛けられた頭蓋骨のひとつをなであげる。青い瞳は愛おしいものを見るかのように潤み、とろけていた。その横顔にシャルティは背筋が寒くなる。
 考えが甘かった。ローレンスがシャルティを殺さない保証など、どこにもないことに今更ながら気づいたのである。

 シャルティは壁の頭蓋骨たちを見上げた。

(このままだと彼らと同じ運命を辿ってしまう)

 死ぬことは怖くない。ただシャルティは自身に誓った責務――勇者を同胞に近づけない――を果たせていないのだ。せめてローレンスと友好を深め、魔族に敵対しないよう仕向けなければ、死んでも死にきれない。

「ああ、そうか。君の知り合いがいたのかな。安心してくれ。君を彼らのように飾ったりはしないからさ」

 君は誰の目にも触れさせないから。

 ローレンスは、シャルティの巻き角の先端を指先でなぞった。
 唇が触れそうな距離でシャルティに微笑みかけ、巻き角を手のひらに包みこむ。曲線にそってゆっくりと根元へと指を滑らせた。
 長い手指は慎重にシャルティの角の隅々を辿っていく。
 いつまでも撫でられたいと不覚にも思ってしまう、絶妙な力加減だ。あまりの心地よさに瞼を閉じ、大きく息を吐き出した。
 そこで、ハッと我に返りローレンスの手を払い除ける。

「あまりベタベタ触らないで!」

 パシッ。

 乾いた音が鳴り、ローレンスは目を見張った。
 シャルティは頬を上気させ、一歩後ろに下がる。

(思わず逆らってしまったわ)

 どんな仕打ちが待っているのか。角を両手で隠し、唇を引き結んだシャルティに対して、ローレンスはにっこりと微笑む。

「触ると気持ちいいんだ?」
「逆に吐き気がしそうだわ」
「その割には大人しかったけど」
「……今後一切、角には触らないで頂戴」
「シャルティ、こんなことを言うのは心苦しいが……。君は俺に条件を出せる立場でないってこと、忘れてないかい?」

 腰をかがめシャルティと視線を合わせるローレンスの青い瞳には、シャルティが映り込んでいる。
 シャルティには抗う術がない。ローレンスが剣を一振りすれば、確実に死ぬ。
 ローレンスの瞳の中の彼女は、迷子のように途方に暮れていた。

(不甲斐ない……。けれど、ローレンスの気が変わって、殺されてしまっては元も子もないわ)

【無能王】のプライドなど、同胞たちの命に比べれば、価値のないものだ。
 シャルティは両手を身体の横で握りしめ、声を絞り出した。

「……口が過ぎたわ。忘れていただけないかしら」
 
 シャルティは浅く頭を垂れる。しかし、ローレンスは「うーん、どうしようかな」と迷う素振りをみせた。
 背中に冷や汗をかきながら、勇者の慈悲を心のうちで願う。

(もし受け入れてもらえないなら、色仕掛けをするしかないわ)

 最悪の事態を想像し構えるシャルティだったが、ローレンスの答えは予想外のものだった。

「魔族流の謝罪って、随分上から目線なんだね」
「え」
「下々の者には横柄な態度で問題ないんだろうけど、俺は君の家来じゃない。もっと正しい謝り方があるんじゃないかな?」

 喜々とするローレンスに、シャルティは血の気が引く。こちらの非を認めただけではローレンスは許してくれない。

 ならば。

 シャルティはすりきれた黒衣の裾を摘み、お辞儀をした。

「勇者殿。無知なる私の身体と引き換えに、この度の非礼を許してはもらえないだろうか」
「……ん?」
「その、経験はないが……。お前の要求には応えるようにつとめ――」
「待って、シャルティ。何か勘違いしているよね」

 ローレンスは笑みをひっこめ、慌てた様子でシャルティを遮る。

「あのねえ、シャルティ」
 
 ローレンスは盛大にため息をつく。思い通りにしてもいいと許可したのに、なぜ彼が不機嫌なのか、シャルティは理解に苦しんだ。

「お前の望む答えを私は持ち合わせていない。ならば支配でもって私に立場を分からせるべきなのではないか?」
「……俺はただ『ごめんなさい』って言ってほしかっただけなんだよ」
「……」
「シャルティは物を知らないんだね。魔王というよりお姫様だ」

 どうやらローレンスの機嫌を損ねずに済んだようだ。ただ謝るだけでいいのならばと、シャルティはすかさず「ごめんなさい」と小さく頭を下げた。

「うん。俺も君を試すようなことを言ってしまった。ごめんなさい」

 ローレンスはしゃがんで深く頭を下げる。彼のつむじを、シャルティは呆然と見つめた。

(やっぱり変な男)

「じゃあこれで喧嘩は終わりだ。では我が妻シャルティ。結婚の証として、指輪のかわりに角に嵌める装飾品を見繕ろう。白くて滑らかな角には、プラチナが似合いそうだ」

 ローレンスはシャルティの手を引き、二階へと導いた。
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