上 下
3 / 24

二話 提案

しおりを挟む
 物置部屋には、壁に沿って三方に戸棚が置かれ、その中央、古ぼけたテーブルセットをリアム、ジャズ、ヴィクターの三人が取り囲んでいる。
 リアムは椅子の上で、小さな身体をさらに縮ませ、戸棚に詰め込まれた木箱や瓶詰めに視線を逃した。

「で、リアムが事件の重要参考人てどういうことさ?」

 ジャズは椅子の背を抱え込んで座り、扉の前に陣取るヴィクターに突っかかる。
 扉にもたれ腕を組んだヴィクターは、何を思ったか、扉に拳を叩きつけた。ドンと鈍く響いた振動に、リアムは肩を震わせる。

『に、逃げろ』

 小さな呟きが外から聞こえ、バタバタと足音が遠ざかっていく。常連客たちが野次馬根性で、扉に張り付いていたようだ。
「……昨日の時点では、こいつが事件に巻き込まれただけだと、納得しました。……ですが、事情が変わったんですよ」
 ヴィクターは、音もなくリアムに近づくと、スカーフを剥ぎ取った。

「あ!」

 波打つ黒い巻き毛がスカーフから飛び出し、リアムの頬をかすめる。髪のなかから獣の耳がピンと立ち上がる。即座に両手で耳を覆うが、遅かった。
 血の気がひいて、目の前がぐらぐらする。必死に隠してきた秘密を、よりによって知られたくない二人に知られてしまった。

「昨日の密売事件はただの闇取引ではありません。人狼絡みです。そして、こいつは子どもだろうと人狼。……無関係と言うほうがおかしいでしょう」
 人狼が関係しているとは、どういうことなのか。そしてリアムが無関係ではないと、ヴィクターはなぜ言い切るのか。
 疑問が疑問を呼ぶも、口を開くのは躊躇ためらわれた。

「昨日締め上げた野郎から、この子の名前でも出たのかい?」

 それなら濡れ衣だ。

 リアムは無実を訴えようとしたが、ヴィクターはこちらを見向きもしない。
 沈黙するヴィクターに、
「質問に答えないなら、こっちも捜査に協力するのはお断りだね」
 ジャズは悪びれることなく、肩をすくめた。

「アンタに断る権限などない。……俺はこいつリアムに用があるんですよ」
 雑に名指しされ、リアムはさらに落ち込んだ。
 ――人狼ってだけでこんなに態度が変わるなんて。
 
 怯むリアムの傍らでは、ジャズがしつこくヴィクターを牽制している。
 結局、ジャズの頑固さに根負けしたヴィクターは、刺々しく、昨夜の顛末を語った。
 リアムが届けた麻袋の中身は、大量の薬草『バニシャ』だった。

 酒場『フリッカー』では、肉や魚の臭み消しに薬草を使用したメニューもある。リアムも少しはそれらに詳しいつもりでいたが、はじめて聞く名だった。

「『バニシャ』か。……なかなかいい趣味してるじゃないか」
「お、女将さん、知ってるんですか?」
「愛好家がいるくらいだからね。まあ、ウチでは使ってないからアンタが知らないのも当然さ」

 シティ内ではその依存性、副作用が問題視され、一定数量以上の売買が禁止されている。だが、香辛料としても人気が高いため、裏ルートでの売買が後を絶たない。
 そんななか、良質で大量のバニシャがひっそりと出回っている可能性が浮上したのだ。警察が飛びつかないはずがない。

 リアムの首を絞めた大男は誰から仕入れようとしていたのか。

 捜査官が代わるわる尋問し、売主を特定しようとした。だが、大男は頑なに口を閉ざしている。最終的には、監獄への収監をちらつかせると態度が一変した。 

『取引相手の顔は見てねぇ。お互い顔を合わせないのが、条件だったからな。ただ、獣の耳をした人影は目にしたなぁ。……これでいいだろ。早く開放してくれよぉ』

「それだけで、人狼が関与しているって言うのかい?そうだとしても、リアムはろくでなしから無理矢理、押しつけられたものを届けに行っただけじゃないか。タダの偶然だろ」
「それが真実だと何故信じられるんですか?こいつが嘘をついている可能性も疑うべきだ」
「アンタねえ……」

 ジャズと話しながらも、ヴィクターはリアムへ鋭い視線を投げかけてくる。コツコツとつま先で床を蹴りつける姿は、リアムが不審な動きをすれば、いつでも掴みかかれるように準備しているようであった。

 膝に置いた手が震える。

 ジャズも酒場を訪れる人たちもリアムを人間として扱ってくれていたので、忘れていた事実。

【人狼】はシティ・ロドルナでは存在してはならない。

 理由はわからないが、母に何度も言い聞かされて、物心ついたときから耳と尻尾を隠して生きてきた。ヴィクターから敵意をひしひしと感じ、改めて思い知った。シティ・ロドルナに、リアムの居場所はないのだ、と。

 ――酒場ここを追い出されたらどうやって生きていけばいいんだろう。ああ、そんな心配もいらないのか。だって、ヴィクターさんは僕を捕まえにきたんだし……よくてシティ追放かな。

 考えがまとまらない。

 知恵のない頭で考えても良案が思い浮かぶはずもなく、堂々巡りを繰り返すばかりだった。

「酒場で子ども雇うわけないでしょ。それにこの子が【人狼】で何が悪いのさ」

 ジャズのあっけらかんとした答えに、リアムは顔をあげた。髪と同じ赤みをおびたブラウンの瞳は、いつもと変わらず生気に満ちている。

「なに?」
「え、僕、人狼なんですけど……」
「だから何なのさ?」

 ――人狼は人間に嫌われて、それで……。

「アンタ、密売犯と繋がってるのかい?」
「い、いえ……」
「他に人に言えないことしてるのかい?」
「そ、そんなこと……」
「ならよし」
 一人納得するジャズに、目を白黒させていると、
「まあ、人間を襲ってるってんなら、話は違ってくるかも知れないが……。肉が喰えないのは演技で、人肉は好物なのかい?」

 身を乗り出したジャズに、リアムは首を横にぶんぶん振った。
 いつもは押さえつけている耳も一緒に揺れる感覚に慣れず、リアムはさらに動揺する。

「人様に迷惑かけてないなら、人狼だとかどうでもいいさ」
「フリッカー、正気か……」

 リアムの心の声を、ヴィクターが口許を歪めながら代弁してくれた。

「人間にいい奴がいれば悪い奴がいるのと同じさ。……それに、この臆病者が金儲けのために危ない橋を渡るとは思えないしねぇ」
 上目づかいに、ヴィクターを見据えるジャズ。
「人狼専門の捜査官としてじゃなく、アンタは、この子をどう見るんだい?」
「俺自身の意見は関係ないだろうが」
 ジャズの怒涛の攻撃に、ヴィクターは完全に押されている。
 エプロンのポケットからドロップ缶を取り出し、「リアム、手」とジャズは飴玉をリアムの掌に落とした。

「そんなこの世の終わりみたいな顔してんじゃないよ。アタシのお気に入りのドロップあげるから元気出しな」

 砂糖の塊はゆっくりと口の中で甘さを広げていく。蜂蜜味にリアムは肩から力が抜けた。

「この子を引っ張りたいなら、ちゃんと証拠を持ってきな。それか親父さんに泣きつくか――」
「【人狼】の肩を持つなんざ、信じられねえ……」

 腹の底から絞り出すような声音にリアムは、ぞっとした。何があっても動じないヴィクターは、今や拳を震わせ、リアムを親の仇のように睨み付けてくる。
 ヴィクターは【人狼】にどんな恨みをもっているのか。その憎悪を浴び、リアムの耳はぺたりと垂れてしまった。

「落ち着け、馬鹿者」

 ジャズはドロップ缶の角でヴィクターの額を殴った。カンッと気の抜けた音が重苦しい沈黙を破る。

「お、女将さん!」
「シティの外でどんな【人狼】を見てきたか知らないけど、捜査官なら公正な目で真実を見極めな」

 飴玉で頬をふくらましたジャズに困り果てたのか、ヴィクターは額を押さえ、深呼吸をした。

「……あくまで事件を追うために協力をしてもらいたいだけです。共犯者がこいつだと言っているわけじゃありません」
「犯人が捕まらなかったら、リアムは解放されるのかい?アタシがいた頃と体制が変わってないなら、生贄スケープゴートにされるのは確実ね。……図星だろ」

 ヴィクターは取り繕うことをやめたのか、「チッ」と舌打ちした。
【人狼】はシティ・ロドルナの住人にとって、恐怖の対象だ。個々は顧みられない。

【人狼】は一括ひとくくりに害悪なのだ。

 表向き警察も捜査はするが、人間に実害がなければ、見せしめに別の事件で捕らえた【人狼】を処罰の対象にしてしまう。
 警察に捕まれば、生きて戻ってくることはできないと、ジャズは暗に言っていた。だからといって、このままヴィクターが引き下がるとは思えない。

「……こいつには『バニシャ』を流した犯人探しに協力してもらいます。酒場は夜からでしょう?日中に手を貸してもらう。それで俺はこいつを監視できるし、アンタは従業員を失わずに済みます」
 腕組みをしたヴィクターは、どうだとばかりに胸を張った。
「いいね。それなら問題ないよ。……リアム、警察署に連れ込まれそうになったら、大声で叫びな。こいつに襲われそうだ―!てね」
「変なことを教えるな、暴力ババア」
「アタシは、まだ三十八だよ、誰がしわくちゃババアだって!」
「そこまで言ってねぇよ!」

 何だかどんどん話が進んでいる。自分が警察の捜査を手伝う。それはつまりヴィクターと行動をともにするということで……。
 さきほどまでの恐怖は一転、リアムの脳内にはお花畑が広がった。
 ヴィクターのそばで時間を共有できるのが、それが事件の捜査であっても嬉しいことに変わりはない。
 相変わらずヴィクターはリアムを疑っているようだが、先ほどより足踏みは落ち着いていた。ジャズにお説教されて我に返ったのか、口論に疲れたのか、ため息を落としている。

「あの、よろしくお願いします」
 リアムはぺこりと頭を下げた。
「……ああ、よろしくな」
 ヴィクターは気のない様子でリアムに応える。

 ――ヴィクターさんをがっかりさせないように、頑張ろう。

 リアムは膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

異世界でゆるゆる生活を満喫す 

葉月ゆな
ファンタジー
辺境伯家の三男坊。数か月前の高熱で前世は日本人だったこと、社会人でブラック企業に勤めていたことを思い出す。どうして亡くなったのかは記憶にない。ただもう前世のように働いて働いて夢も希望もなかった日々は送らない。 もふもふと魔法の世界で楽しく生きる、この生活を絶対死守するのだと誓っている。 家族に助けられ、面倒ごとは優秀な他人に任せる主人公。でも頼られるといやとはいえない。 ざまぁや成り上がりはなく、思いつくままに好きに行動する日常生活ゆるゆるファンタジーライフのご都合主義です。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

前回は断頭台で首を落とされましたが、今回はお父様と協力して貴方達を断頭台に招待します。

夢見 歩
ファンタジー
長年、義母と義弟に虐げられた末に無実の罪で断頭台に立たされたステラ。 陛下は父親に「同じ子を持つ親としての最後の温情だ」と断頭台の刃を落とす合図を出すように命令を下した。 「お父様!助けてください! 私は決してネヴィルの名に恥じるような事はしておりません! お父様ッ!!!!!」 ステラが断頭台の上でいくら泣き叫び、手を必死で伸ばしながら助けを求めても父親がステラを見ることは無かった。 ステラは断頭台の窪みに首を押さえつけられ、ステラの父親の上げた手が勢いよく振り下ろされると同時に頭上から鋭い刃によって首がはねられた。 しかし死んだはずのステラが目を開けると十歳まで時間が巻き戻っていて…? 娘と父親による人生のやり直しという名の復讐劇が今ここに始まる。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 全力で執筆中です!お気に入り登録して頂けるとやる気に繋がりますのでぜひよろしくお願いします( * ॑꒳ ॑*)

親衛隊は、推しから『選ばれる』までは推しに自分の気持ちを伝えてはいけないルール

雨宮里玖
BL
エリート高校の親衛隊プラスα×平凡無自覚総受け 《あらすじ》 4月。平凡な吉良は、楯山に告白している川上の姿を偶然目撃してしまった。遠目だが二人はイイ感じに見えて告白は成功したようだった。 そのことで、吉良は二年間ずっと学生寮の同室者だった楯山に自分が特別な感情を抱いていたのではないかと思い——。 平凡無自覚な受けの総愛され全寮制学園ライフの物語。

「最初から期待してないからいいんです」家族から見放された少女、後に家族から助けを求められるも戦勝国の王弟殿下へ嫁入りしているので拒否る。

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢に仕立て上げられた少女が幸せなるお話。 主人公は聖女に嵌められた。結果、家族からも見捨てられた。独りぼっちになった彼女は、敵国の王弟に拾われて妻となった。 小説家になろう様でも投稿しています。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?

暁天一縷 To keep calling your name

真道 乃ベイ
ファンタジー
「明るい空では星は輝けるはずかない。私がどれだけ手を伸ばしたとしても、到底あの夜空には成り代われないだろう。」  かつては妖魔・怨霊の大災害「災禍」を引き起こしていた日本国。  政府は霊力を生業とする者を集め「陰陽寮」を設立するが、事態は混沌を極め「大戦」の時代を迎える。        災禍に傷付き、息絶える者は止まない。  誰もが絶望の淵に追いやられる最中、一人の陰陽師が戦いに終止符を打つ。  名を、斉天大聖。  12年の時を経た今もなお。  咲いた夜空の如く、嫋やかに佇む。 ※毎月16日更新中

私の婚約者には、それはそれは大切な幼馴染がいる

下菊みこと
恋愛
絶対に浮気と言えるかは微妙だけど、他者から見てもこれはないわと断言できる婚約者の態度にいい加減決断をしたお話。もちろんざまぁ有り。 ロザリアの婚約者には大切な大切な幼馴染がいる。その幼馴染ばかりを優先する婚約者に、ロザリアはある決心をして証拠を固めていた。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...