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秋
第29話 稲刈りなのに集合しちゃった
しおりを挟む稲刈りを終えた田んぼから移動し、大人から子供まで参加する地域の運動会が開かれているグラウンドの近くの別の田んぼへとやってきた。
運動会のアナウンスがよく聞こえるほど近い場所だが、コンバインの音がそれをかき消す。運動会に参加している人の妨害になってはいないかという心配はあったが、音を消すことは出来ないので出来るだけ早くこの場所の稲を刈り終えようとしていた。
美奈子は運動することも、スポーツ観戦することも好きではないので、運動会自体に興味もなく、ただヘビが出ないことを祈りながら稲刈りを行う。
コンバインの音と振動で、体の感覚が狂いそうになるほど稲刈りを続けていると、田んぼ道から二人の人が美奈子の方を見つめている。
誰かと思い、コンバインをその人たちの方へと進ませながら確認する。
「よっ」
真っ黒のスポーツジャージを着て、田んぼの端から軽く手を上げたのは匠だった。その匠の隣には、グレーのジャージ姿で長いブロンドヘアーを一つにまとめた女性が目を輝かせながらこちらを見ている。その特徴的な見た目の女性は紛れもない、以前にスーパーで見かけた女性だった。
「あ、ちょっと待って。籾がいっぱいだから連絡して、っと……」
ちょうどコンバイン内の籾がいっぱいになった。晴美に連絡し、コンバインを停止させて降りると、二人の傍へ向かう。
「精が出るな」
「そりゃあねぇ。まだまだ終わりが見えないよ」
「だな。でも、大分農家が様になってきてると思うよ」
匠はまだ稲刈りが終わっていない周囲の田んぼを見て、苦笑いしつつ、美奈子の頭の上についていた小さな藁のクズをとった。
匠の隣にいる女性は、それを気にすることもなく興味深そうにコンバインを見つめている。
「えっと……こちらはどなた?」
もしかしたら匠の彼女かもしれない女性。
おそるおそる美奈子は誰なのかを聞いてみた。
人によって接し方を変える訳ではないが、先ほどから美奈子の方を見ようとしないこの女性に対して、どのように接すればよいのかわからなかった。
「ああ、そうか。前に会ったときは、自己紹介してなかったな」
匠は女性の肩を叩き、美奈子へ視線を向けさせる。
大きな女性のブルーの瞳に美奈子が映り込んだ。
「この人は、俺の兄貴の奥さんのドロシーだ。今、兄貴が海外出張してるから、俺が色々教えることになってて……」
「へ? お兄さん……? お兄さんがいたんだっけ? 覚えてないなぁ……」
「ああ。何でもかんでも押し付けてくるクソ兄貴がいる。海外出張多いからあんまり家にいないけど」
匠は兄のことが好きではないようで、眉間にしわをよせ、今までに見たことがないくらい嫌そうな顔をしていた。一人っ子の美奈子には兄弟姉妹の仲は分からない。この兄弟はどれだけ仲が悪いものなのかと気になったが、気分を悪くさせないように黙っておいた。
兄弟についてよりも、今目の前にいるドロシーという女性は、匠の彼女ではなかったという事実が美奈子をホッとさせた。一度安心しきってしまうと、気が緩み、だらしない顔になる。これじゃいけないと、小さく顔を横に振り、緩む顔をシャキッとさせた。
その間にも、匠は女性に美奈子を紹介する。
「ドロシー、この人が美奈子だ。俺がたまに手伝いに行ってる農家……あー、Farmerだ」
匠もドロシーに話す際、英語ではなく日本語を使っており、「農家」を英語で何というかと考えた。すぐに思いついたようであったが、匠は英語が得意という訳ではないようである。ドロシーと呼ばれる女性は、少しなら日本語が理解できるようで、匠の言葉を理解したようにみえた。
「Hi,I'm Dorothy.Minako is a farmer! It ’s really cool!」
英語で挨拶をされて、褒められたのだろうということまではかろうじてわかった。
ドロシーは口角を上げて、美奈子に握手を求める。
美奈子はたじろきながらも、汚れた手袋を外す。いくら手袋をしていても、手の甲には紫外線を浴びるし、細かい砂で手は汚れている。着ている作業着に手をこすりつけて、少しでも綺麗にしようと努力したが、まだ砂っぽい感じがしている。何か他に拭くものがないかとポケットを探ろうとしたとき、手を勢いよくドロシーに握られた。
「ヨロシク、オネガイデス」
「あ、ああ……よ、よろしくね……?」
ドロシーは英語しか話せないと決めつけていたが、少しは日本語を話すことができるようだ。
美奈子は、グイグイくるドロシーの積極性に後ずさりをしつつ、引きつった顔で挨拶を返す。
ドロシーはニコッと笑うと、美奈子の手を離し、その場から離れた。
「そう言えば、運動会に参加してるの?」
「そう。ドロシーが運動会に出たいって言うから、出てたんだけど……今はこの機械に夢中らしい」
二人の元から離れたドロシーは、自信のスマートフォンで、止めてあるコンバインの写真を撮っていた。
「ドロシーはビルばっかり経ってる都会出身らしくてさ、農業に関わったこともないらしくて。だから、自然とか農業にも興味があるんだと」
「へぇー。初めてみるなら、ワクワクするよね。私も小さいとき、トラクターとかコンバインを見るたびにワクワクしてたよ」
「意外だな」
「まあね。小さいときの話だけど。今じゃかっこいいとかって思うよりも、使いこなさなきゃって気持ちしかないよ」
まだまだひよっこの美奈子。分からないことも出来ないことだって山ほどある。まずは農機具を使いこなすことが必要である。基本的な操作は出来るが、細い道を走ることは苦手なので、練習しなければならないので大変なことは確かである。
何度も繰り返し、様々な角度から写真を撮るドロシーを、保護者のように暖かい目で見守っていると晴美が軽トラックでやってきた。
晴美を確認した美奈子は、慣れた手つきでコンバインを操作し、籾を排出させる。
「あら、匠くん。こんにちは」
「どうも、こんにちは」
籾を排出している間、晴美は車から降りて美奈子たちの方へ来た。
匠と、コンバインの撮影をするドロシーを交互に見て、「なるほど」と手を叩いた。
「今日はドロシーちゃんも来ているのね。その格好は……さては、運動会ね?」
「そうっす。出番がまだ……って、あっ! おい、ドロシー! 早く戻るぞ! 次の競技の準備、手伝ってほしいって言われてるだろ!」
匠がスマートフォンで時間を確認した途端、ドロシーを呼ぶ。
「ドロシーちゃん! 遅れるわよ!」
晴美もドロシーへ早く戻るように促す。
「Is it time already? Wait a second!」
まだまだ写真を撮りたいのか、ドロシーはこちらへやってこない。呆れた様子の匠は、「はぁぁ」とため息をつきながら、頭を抱えていた。
「まだ何かやりたいのかしら? ちょっと話、してくるわね」
そう言うと、晴美は軽い足取りでドロシーの方へと行ってしまった。
英語が話せる訳でもないが、晴美は身振り手振りで時間がないことを伝えているように見えた。
「ん? なんだ、今日はずいぶんと人が多いな」
しばらく美奈子と匠がドロシーを見ていたところに、今度は突然賢治が自転車でやってきた。
まだ美奈子が賢治と別れてから、三時間も経っていない。晴美が言うには、賢治は手術をしてくるという話だったが手術にしては早すぎやしないか。
賢治のこめかみには、白いテープが張られている。そこが手術をした箇所であるのだろう。他には変わった様子がない。
「あれ、なんかしてきたんですか?」
「ああ。ここをとってきた」
匠の問いに、賢治は自分のこめかみをゆびさしながら答える。
「ああ、前から言ってたやつですね。痛くないんですか?」
「ちっとも。まだ少し痺れた感じがするぐらいだな」
「それはよかったっすね。でも、こちらはどうやらお怒りのようですけど……」
急に手術していると聞かされ、賢治から何も聞かされてなかった美奈子は激怒している。うっすらと美奈子の後ろに鬼が見えそうで、匠は逃げるように美奈子から離れた。
「お・と・う・さ・ん!」
「ん? なんだ?」
美奈子の怒りが伝わらないのか、それとも賢治の肝が据わっているのか、賢治は平然とした顔で返事をする。
「何で大事なことを言わないのかな!? 前にも言ったじゃん! もっと頼ってくれてもさ! お母さんから聞いて、ビックリしたんだけど! 何で秘密にするわけ? そもそも……」
「あーわかった、わかった。次から言う。それじゃ、稲刈り続けろー終わんねえぞ」
「うっ……! やるよ! もうっ!」
軽トラックへ籾の排出はすでに終わっていた。
まだ稲刈りが終わっていない田んぼもある。美奈子は賢治への怒りを抱きながらも、賢治に背を向け、空になったコンバインへと足を向けた。
「美奈子」
「はあ!? なに!?」
稲刈りを再開しようとしたが、賢治に呼び止められ、イライラしたまま振り返った。
「稲刈り、かなり上出来だ。今年は収穫量も多い。この調子で稲刈りを頼むぞ」
農業を始めてから今までに、褒められたことはあったかと、美奈子は思い出し始めた。記憶を辿っていくが、覚えている限りではなかった。
だからこそ、賢治の言葉が嬉しくて、自然と口角が上がる。
「お父さんたら、褒めるの下手よねぇ」
先ほどまで、ドロシーと話していた晴美が戻ってきていた。代わりにドロシーの隣には、必死に説得をする匠がいる。
「そうか? そう言えば、美奈子が母さんに似てきた気がするんだが……。あんなにベラベラなんか言うところとか」
「親子だもの! 似ていてもおかしくないでしょう! お父さんにだって、似てるところもあるわよ! ほら、あんなに頑張ってるところとか」
「そうか?」
「そっくりよー。お父さんに似てるんだもの、これから先も大丈夫。でも、出来ればお米以外のことをもっと話してほしいわね」
「話してるつもりだったんだが……」
「つもりって、虫とか鳥の話でしょう? そういうことじゃなくて、ほら日常のこととか……」
「俺の日常は、ほとんど田んぼだぞ?」
「そうだったわ。お父さん、毎日農作業だったわ。日常のことは、田んぼのことになっちゃうわね。仕方ないわね」
賢治は定年退職してからというもの、専業農家として働いている。朝から田んぼへ赴いては、仕事をする。
農作業は日常であり、賢治にとっては当たり前のことである。夫婦間の会話も多くが農業についてばかり。
晴美は、賢治に美奈子にも自分の体調について話してほしいことを伝えたかったのだが、早々に諦めた。
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