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九章 夢見の魔女リゲル
285.対決 アマルトVS罰神将ベンテシキュメ
しおりを挟むオライオンには貴族は居ない、高貴なる血など神の威光の前には霞むからだ、そもそも王族だって廃れてる国で貴族だ伯爵だは流行らねぇ、ゲオルグみたいな権威主義の聖王一派は居るには居るが奴らがデカい顔してないのが一番の証拠だろう
だがそれでも、人の業とは如何ともし難く、どうやっても『血の上下』ってのを作りたがる、それをこの国では『神の血を継ぐ』という
『ベンテシキュメ、貴方は誇り高きネメアー家の娘…それはつまり原始の聖母と炎の神の血を継ぐ特別な存在であるということ、その事をゆめゆめ忘れぬよう…精進しなさい』
テシュタル教における最高存在は星神王テシュタルであることは言うまでもない、だがテシュタルは自らの眷属として八柱の神々を生み出したと言われる
河の神 雪の神 石の神 木の神 炎の神、オライオンを形作る様々な物を司る神々が八柱存在する、彼らは原始の聖女ザウラクと交わり子を成したと伝えられる…それが、『八神族』と呼ばれる者達、まぁ…有り体に言うなら貴族だぁな
そいつらはオライオンでも優遇される、何せ最もテシュタルに近き存在の血を引いているんだ、それだけで敬愛の対象になる…、時として司祭の座に就き 時として教会を明け渡され、時として枢機卿になり、オライオンの権力中枢に常に八神族の姿はある
あたいの実家ネメアー家もその一つだ、炎の神フォロマノと原始の聖女ザウラクの間に生まれた子の末裔…それがあたいの家だった、ただそれだけだった…それだけであたいは全てを規制された
八神族は神の名を背負っている、厳粛で気高き存在…信徒達から無償の信仰を向けられる存在、それが八神族 故に敬愛されるに足る存在になる事は義務であった
これを学べ これを会得しろ これを直せ これを忘れろ、それを全て幼少期より叩き込まれたあたいは所謂令嬢と言うべき存在だっただろう…苦痛だったがな
ああ苦痛さ、何せ何をやっても『肌に合わない』からだ、由緒正しい法衣を着せられてもご先祖様のように使命感なんか湧いてこない、湧くのは『動き辛い』とか『背中が痒い』とかそんな他愛もないものばかり、それを口にしたらみんなは顔を真っ赤にして怒り、時として叩かれることもあった
特に嫌だったのはあれだ…、『お前は聖歌隊に入りなさい』と言われた時のことだ、あたいは神族だから聖女に求められる由緒正しい生まれを満たしているし、何より女だから…だってよ
ふざけんなって言いたかったよ、歌なんてくだらないと思ってたし、何より生まれと性別だけで今後一生かけて取り組む役割を決められてたまるかってよ
だけど…、反発はしなかった、これでもあたいも信徒だもんでね、炎の神の血を引いてるってのは誇りに思ってたから…だから従った
従って聖女になった、けど…けど
けど、あたいはもっとあたいらしい道筋ってのを見つけちまったんだ
………………………………………………………………
「どぉりやぁっ!!!」
「危ないよ!?」
飛び上がり強襲を仕掛けるベンテシキュメの攻撃を無様に横っ跳びに跳ね、地面を転がることで回避する、とてもじゃねぇが受けられない
だって見てみろよ、あいつの処刑剣が叩きつけられた地面を!、分厚い岩盤が形成するこの魔女の懺悔室の床がバラバラに弾け飛んでるんだ、受けてたらミンチだったぜ俺は
「おっかねぇ~、もっとささやかに打てないもんかね…」
「うっッッるせェんだよ、クソダボが!」
「ダボにクソまでついたよ…」
やれやれと冷や汗を拭うアマルトは対峙するベンテシキュメを見てやや呆れる、魔女の懺悔室にて行われた魔女の弟子と神将の総力戦、流れでアマルトが相手をすることになったのはこのイカれた雄牛みたいな女 ベンテシキュメ
邪教執行長官を務める罰神将ベンテシキュメ・ネメアー、炎を纏った二つの処刑剣を振り回して幾多の邪教異教を滅ぼして来たオライオンの闇のような存在
こいつは四人いる神将の中でも随一の武闘派だ、ローデやトリトンと違い戦う事を生業にしている、スポーツで記録を作るわけでもなく由緒ある聖歌を歌うわけでもなく、ただただ敵を屠続けてこの座まで辿り着いた根っからの叩き上げ…、こいつの相手はネレイドの次に難しいと容易に想像出来る
なのになんで俺はこいつを引き受けちまったかなぁ、今からでもメルクあたりと変わってもらった方がいいかなぁ…、いやローデも強そうだしなぁ
はぁ、何にしてほ負けられねぇんだ、今更逃げられねぇよな…もう逃げる先もねぇんだから
「ごちゃごちゃ言いやがって…あたいはな!アンタみたいな軽薄な男が大ッッッッッ嫌いなんだよ!」
「ああそうかい、そりゃ結構…アンタみたいな猛牛みたいな女避けられんなら、この軽薄な態度ってのも捨てたもんじゃねぇな!」
「そう言う所ォォォオオオ!!!!」
グギャァァ!!と牙を剥きながら迫るその姿はまさに獣だ、炎で形作られた黄金と毛並みを揺らし、処刑剣と言う名の二本の牙を構えた大魔獣だ、人間やろうと思ったらこんな怖い顔出来るんだな、勉強になるよほんと!
「ってそのまま突っ込んでくるんじゃねぇよ!!」
「グルルルァァァァア!!!グギャギャギリギリギリ!」
「せめて人の言葉喋ってくれます!?」
剣を立てたまま突っ込んでくるベンテシキュメを受け止めるように黒剣を横にし受け止めるが、ダメだこれ止められねぇ、体ごと押し出されてやがる…!、どんな突進力だよ!これでも鍛えてるってのに完全にパワーで押し負けてるっておい…この!
「じゃかあぁしゃぁっ!!!」
「ぅぐっ!?」
ベンテシキュメが腕を押し出す、ただそれだけで俺の足がフワリと宙に浮かび上がり、剣で投げ飛ばされる、というより押し飛ばされる
体はそのまま後ろに引っ張られるようにすっ飛び、大通りの横にある氷の住家に突っ込み、氷の壁が崩れ中へと叩き込まれる…ああくそ、痛えし冷えし、何より歴史的な建造物をボカボカ壊しやがって…、コルスルコピなら禁錮数十年モンだぞこのやろう…
「なんつーパワー…」
「判決ゥッ!!」
「うっ!?やべっ!?」
ガラガラと氷の瓦礫を押し退け頭を振れば、炎を纏ってこちらに突っ込んでくるベンテシキュメの姿が見える、あのまま抱きつかれでもしたらそれでジ・エンドだよ俺は、近づけてなるものかよ!
「チッ、・の身元を離れ 天より地に降り、名を捨て 体を捨て 新たな力を今与え給う『肉呪転華ノ法』!」
「あ?」
引きちぎるは指の爪、それを二、三枚引き千切ると同時にベンテシキュメに投げつけるそれは既に呪術としての力を纏っている
いきなり爪を剥がす俺と飛んでくる花弁のような爪に目を丸くし一歩立ち止まるベンテシキュメ、の目と鼻の先にて突如として空を飛ぶ爪が炸裂する、まるで内側に爆薬でも詰めていたかのように魔力爆発を起こし迫るベンテシキュメを巻き込み爆風を辺りに吹き抜かせる
「ゔぐぅっ!?」
突如として炸裂した爪弾を受け咄嗟に身を引く事で直撃は免れる物の当然、爆発を目の前で受ければ人は反射で目を瞑る物、そして目を瞑っても前を見続ける事が出来る人間がこの世にどれだけいるだろうか、少なくとも俺は無理だ、俺は無理だからお前も無理だと思うことにするよ!ベンテシキュメ!
「…………!!」
舞い上がる土煙に乗じて音を殺して飛びかかる、腕をぐるりと向こう側に回すように剣を振りかぶり、目指すは苦しそうに目を瞑るベンテシキュメ…
このまま行きゃあ真っ二つだろうって所までは行く、こういう場面は何度も作り出す事が出来る、しかし未だに俺の剣はベンテシキュメに届いたことはない、それは何故か?…決まってる
「ッッ…テメェ」
薄く開かれるベンテシキュメの目、俺の剣が目の前に来てようやく接近に気がつく、されど既に動き始めている俺とようやく接近に気がついたベンテシキュメとじゃあ速度に差がある、徒競走だってそうだろ?、クラウチングで待機してるやつと助走つけてるやつ…どっちが早く走れるよって話さ
だがベンテシキュメはそれを覆す事が出来る、何せこいつには
「甘い…」
動いた、左腕の関節が若干曲がった瞬間 まるで目の前にいたベンテシキュメが全く別の人間に変じたような感覚に襲われる、さっきまでいた苛烈に攻めるベンテシキュメは消えて代わりに流水の如く静かなベンテシキュメが俺の前に現れ
「オラァッッッ!!」
体を振るった、その場で軸足一本で回転し俺の斬撃を体捌きだけで受け流すと共に体を振るった反動で剣を振り落とし反撃まで仕掛けてきたのだ
これだ、これが厄介なんだ、ベンテシキュメっていう女を俺が未だに攻略しきれていない理由!
本来剣士は一定の鍛錬を積み重ねればそのタイプは二つに分けられるという
力と攻めで戦う『剛剣』か技と守りで戦う『柔剣』のどちらかに分かれる、この中間というのは存在しない、時たまにこの二つから外れる奴は居てもこの二つを同時には扱えないし、扱ってると思ってる奴は大体どっちも中途半端な未熟者だ
が…!、どうだベンテシキュメは、攻める時は剛剣守る時は柔剣と使い分けて戦ってやがる、こんなこと有り得るのか?例えるなら右と左に分かれる別れ道にて右を歩きながら左に行くようなもんだ…無理なんだよこの二つを同時に極めるのは
だというのに…こいつは!
「グッ!?」
「なんだァお前、ずいぶん面白い魔術を使うんだなァ?」
燃え盛る剣を刃で受け止めれば再び鍔迫り合いの形に持ち込まれる、爪まで剥がして作った隙があっという間に台無しだ、おまけにこの野郎常に燃えてるから近づくと熱いんだよなぁ!、これ以上続けると俺の癖毛がパーマになっちまう!
「寄るんじゃねぇよ全身フランベ人間!」
「アハハハハ!、振り解いてみろや!」
剣を払い遠ざけようとするも引かないベンテシキュメはこのまま怒涛の斬り合いに持ち込もうと両手の剣を振り回す、滲み出る害意と殺意をそのままに叩きつけるような軌道で何度も何度も迫る剣を的確に弾く、こういうやり合いは得意じゃないんだ
剛剣だ、攻めてる時は間違いなく剛剣…しかし
「じゃあ遠慮なく!」
剣と剣の間を縫って打ち込む…攻めてる時は一切防御を行わないが故に打ち込むことはできる、しかしやはり左腕がかくりと痙攣すると
「フッ!」
動きが変わる、剣を風車のように回し迫る剣撃を防ぐのだ
柔剣…、守ってる時は柔剣だ間違いなく、なんだよぉこれ…どういうタネになってんだ!?
「ほらよ、隙あり…!却劫炎拳ッ!!」
「げふっ!?」
次いで飛んでくる炎を纏った拳、かち上げるような軌道で飛んできた火花のような拳に殴りつけられ無様にも頭から後ろに倒れゴロゴロと地べたを芋虫のように這いずり痛みに悶える、パンチ一発でも十分痛いのに炎のおまけもついてくるんだから…はぁー痛い
「ぐっ…くそ」
「へっ、まだ立つか…相変わらずしぶてぇなぁ」
「まぁ、負けるわけにゃいかんもんでな」
殴られた箇所を撫でながら即座に立ち上がる、下手に這い蹲ってたらあいつは遠慮なく首を狩にくる、そういう女だから邪教執行官なんて職で食ってんだ
「そーかいそーかい、だけど未だにあたいに傷ひとつくれてねぇテメェにそれが出来んのかよ?おお?」
「うっせぇよボケ、今から目にもん見せてやるから覚悟しろや」
とは言いつつ未だに決定打は見つけられてない、一応奥の手はある…奥の手はあるがそうホイホイ出せんなら奥の手と言わず俺はじゃんじゃん使ってるよ、安易に使えねぇから今まで温存してきているんだ…、それこそヒジコとの戦いの時だってな
それをここで使っていいのか?、よしんば使って通用するか?、不発が一番怖え…けど、今んところは負けるほうが怖いかもな
「ふへへへ、あたきは炎神フォロマノ様の血を引いてんだ、テメェなんかに負けるかよぉ!ダボがぁ!」
「炎神フォロマノ?…お前テシュタル様とやらを崇めてんじゃなかったっけ?、もしかして別の神様崇拝してるとか?執行官なのに?」
「馬鹿野郎!とんでもねぇこと言ってんじゃねぇよ!、あのな!フォロマノ様ってのはテシュタル様と原始の聖女ザウラク様の間に生まれた八の神様の一柱の事なの!、そんでそのフォロマノ様が人間の聖女と子を成して生まれたのがあたいのご先祖様で!あたいはその末裔なんだよ!」
「へぇ~、つまりお前ってこの国の貴族なんだぁ、って事はあれか?神将も縁故採用?、スゲェなこの国」
「違わい!、実力で上り詰めてんだよ!…、本当は聖女の座を約束されてたけど…、家の意向になんか従えるかよ、あたいはあたいだ…!」
「あ~それすげぇ~わかる~、俺も家の意向にめっちゃ逆らったもん、嫌だよなぁ大人の押し付けってさ」
「お前に何がわかんだよ…、あん?ってかお前」
「ん?何?」
「なんかめっちゃ離れてねぇ?」
「そんなわけねぇよ…最初からこのくらいの距離だったじゃんかよ」
「…テメェまさか」
やべ、バレたか…、なんか適当に話題振ってたら熱心に話し始めたから誤魔化し誤魔化しで距離取ってたんだが、流石にバレるか…だって
「やっぱすげぇ離れてんじゃねぇか!」
「え?なんて?聞こえねぇー!」
大声出さないと聞こえないくらい離れてるからな、むしろここまで気がつかないくらい話すのに夢中になる方がどうかしてるぜ
「ッ !逃げる気か!またか!」
「逃げるんじゃねぇよ!、ただこっちに行きたいだけ!」
「それを逃げるってんだよ!、くそ!逃すか…!」
取り敢えず今は引く、時間が欲しい…あいつの攻略法を考える時間が、だから今は一旦距離を置こう!とスタコラサッサと大通りを走る、あいつはきっと俺を追ってくる、またも俺に逃げられたとあっちゃあ面子丸潰れだしな…流石に俺を無視してエリスの方には行かないと思う、まぁエリスの方に向かったらそれはそれで引き返すつもりだが
「待ちやがれー!」
ほぉら、案の定追いかけてきた…、兎も角今はこうやって引きつけつつ、俺の冴え渡る頭脳で完璧な作戦を考えようじゃないか
まずなんとかしなきゃいけないのはアイツの魔術だよなあ、確か名前は…
「『オレウムグラーティア』!!!」
そうそうオレウムグラーティア!、あんまりにもマイナーな魔術だから名前をつい忘れまぁ…あ?
「え?」
「待て待て待て待て待て待て待て待てぇぇぇぇぇえ!!」
「ヒィッ!?」
迫ってくる、魔術を発動させたベンテシキュメはより一層炎を強く纏わせながらこちらに向かって凄まじい速度で突っ込んでくるのだ、だがおかしい…足が動いていない、両足の裏はぺったり地面についている…足の代わりとばかりに回転するのは腕、いや違う剣だ
剣を地面に突き刺して…それこそ、スキーのように滑っているんだ、岩盤の上を剣で突いて凄まじい速度で加速して、こっちに…!
「死ねぇ!煉獄断絶の刑!!」
一切減速しない滑走、その速度のまま振るう剣は以前よりも強く炎を放ち俺の首目掛けて飛んでくる、あれだけ距離を置いたのに一瞬で詰めやがった!
「ぐぁっ!?」
咄嗟に剣を間に挟むことにより防ぎはするが、まるで馬にでも蹴られたかのような衝撃に思わず尻餅をついてしまう、そうしている間にもベンテシキュメは再び加速し俺の周りをグルグルと回るように滑っていて…
なるほど、これがこいつの本当の戦闘スタイルってわけか、まぁ『その魔術』が使えるならそうするよな
「炎毛金爪の雪兎…か、よく言うよほんと」
大地の受けを駆け抜けるベンテシキュメを見て、彼女の二つ名である炎毛金爪の雪兎の名の意味を知る、風にたなびく炎はベンテシキュメの毛のように輝き、それを全身に纏いながら金色に輝く処刑剣と言う名の足で地面を蹴るその姿はまさしく兎…雪兎そのものだ
見れば奴が滑った後には炎が残り、地面には火の線がずーっと残ってんだ、きっとオレウムグラーティアを床に敷いて滑ってるんだろう
「ひゃははは!逃げるお前が悪いんだぜ?、あたいの本気を引き出させたお前がな!、こうなったあたいはもう誰にも止められねぇ!、誰にも捕まらねぇし逃がさねぇ!、立ち向かうなり尻尾巻くなり好きにしな!全部無駄だからよ!」
ビュンビュンと加速していくベンテシキュメとそれを支える剣二本、地面を滑り岩盤の上でスキーをしてみせるアイツを前にため息をつく、これこそがベンテシキュメの真骨頂…オレウムグラーティアの真価
そうだ、これがベンテシキュメの炎の所以…、奴の使う魔術は…
「炎油魔術…オレウムグラーティアか、そうやって使うのはお前くらいだろうよ」
「なんだぁお前、あたいの魔術のこと知ってたのか!まぁ知ってても意味なんかねぇけどな」
炎油魔術オレウムグラーティア、それこそベンテシキュメの使う魔術にして奴の力の根源だ
つっても俺もあの時エリスに教えてもらったから知ってるんだけどな
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「オレウムグラーティア?、聞いたことねぇ魔術だな…、それがベンテシキュメの使う魔術だって?」
ラグナ達と合流し、みんなで飯を食いながら情報交換会を開いている時だ、エリスがベンテシキュメの魔術に覚えがあると出した名前がそれだった
「ええ、彼女の風下に立った時に香る匂いは油のそれでした、恐らく彼女はオレウムグラーティアを使って自らの体に引火しているんだと思います」
「なんだそりゃ、おいエリス…その魔術は一体なんだ?、それじゃあまるで油ぶっ被って自分燃やしてるみたいに聞こえるが」
「その通りですよ、オレウムグラーティアは自らの体から特殊な可燃性の油を出す魔術なんです」
聞いてびっくらこいたよ、あの炎の出所がまさか油たぁな…炎熱系魔術を使ってるようには見えなかったが、なるほど炎の方ではなく出所の方が魔術だったとは、よくもまあ匂い嗅いだだけで分かるな…エリスも
「オレウムグラーティアが発するのは植物性と鉱物性の両方の特性を併せ持つ特殊な魔力油と言われる油です、よく滑り よく燃える…万能の油と言ってもいいでしょう、恐らくそれを使ってベンテシキュメは自らの炎を生み出しているんです、とはいえ変わった使い方である事に変わりはありませんがね…熱いもんは熱いでしょうし」
「ほう、万能油か」
そうエリスの言葉を聞いてやや嬉しそうに顔を上げるのはメルクリウスだ、その魔術については初耳のようだが…同時にいいものを聞いたとばかりに顎を撫でる
「そんな有用な油があり、なおかつそれを生み出す魔術があるだと?なんと有用なのだ、我がデルセクトでは今可燃性の油を動力源とした機器の開発も行なっている、もし魔術でそれを無限に生み出せるならこんなに美味い話はないぞ…、帰ったら取り敢えず工場勤務の数万人に取得させようかな」
「いえ、この魔術はそんなに便利なものじゃありませんよ、便利なものじゃないから物凄いマイナーなんですから」
「そうなのか?、聞いたところ随分いいものに思えるが」
「はい、あらゆる油の特性を持ち合わせる魔力油は確かに便利です、ですが温度に関わらず直ぐに気化してしまうと言う特性も持っているんです、なので液体のまま留めるのは難しいかと思われます、ベンテシキュメが燃えて平気なのも彼女自身に火がついているのではなく気化してガス化した油に火がついているからなのでしょう」
なるほどねぇ、便利そうに見えるが気化してしまえば油として器の中に残しておくのは難しい、おまけに炎を維持するには常に油を出し続ける必要がある…故に魔力消費も激しいときたもんだ、こんな使い勝手の悪い魔術誰も使わんわな、炎が欲しいだけなら普通に炎熱魔術使うだろうし
「なんでそんな使い勝手の悪い魔術使ってんだ?」
「そこは分かりませんよ、ただそう言う魔術を敢えて選んでる人って大体が魔術をメインに据えていない場合が多いです、飽くまでサブ…メインは別に用意している場合が多いです、ベンテシキュメの場合はまぁ言うまでもないでしょうがね」
「剣技か…、あっちもあっちで厄介だな…、まぁそっちは気合でなんとかするしかないか」
「そうですね、ともあれ奴の生み出す油は凄まじい可燃性ですからその辺もお気をつけを…」
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エリスもデティから昔聞き齧った程度だと言っていたが、それでも魔術のことを克明に記憶してくれていて助かった、お陰でアイツの魔術を一発で見破ることが出来たんだからな
とはいえだ、だからと言ってこの戦いの趨勢に影響を及ぼすわけじゃないのは確かだ
「アハハハハハハーーーッッ!!」
オレウムグラーティアにて靴の裏に生み出した油で滑り、スキーのように滑走するベンテシキュメはどんどん加速していく、油による引火と油による滑走…思いついてもよく実行に移そうと思えるな
けど…
「行くぜ、こっからはテメェに手番は…」
ベンテシキュメが動く、地面に剣を突き刺し炎の線を残しながら滑りクルリと方向転換をする、俺の方に揃えた踵を向けて…すっ飛ぶ
「ッッ!?」
「オラァッ!!」
直感か本能か、とっさの防御が功を奏したのだ…、立てた剣の腹を叩く衝撃に足を縺れさせよろめく頃には既にベンテシキュメは遥か彼方、手の届かないところまで行っている
「まだまだ行くぜぇっ!」
クルリと滑りながら体を入れ替え、氷の家屋の壁に足をつけるとともに再びこちらに向かって急発進を繰り出す、雪のないこの空間において本来は使用出来ないはずのスキーという行動を油によって可能にしたベンテシキュメ、彼女が得意とするそれは平地でありながら凄まじい速さを実現するのをアマルトは知っている
まずい…、こりゃあかなりまずいぞ、速度で完全に負けている
「ヒャァァアァッハァッ!!」
「チッ!」
「まだまだ!」
「いっ!?」
右から左から、何度も何度も突撃と回避を繰り返す、ヒットアンドアウェイの理想形とも言える戦術を前に為すすべがない、強いて出来ることがあるとするなら突っ込んでくるアイツの剣を受け止めるくらいだが、まぁ当然だがそれも重い
凄まじいスピードで滑ってくる奴の剣が軽い訳がない、踏み込みもなく常にトップスピードを維持するベンテシキュメの剣に俺は右に左にヨタつき
「そこォッ!滑走式・破業脱脚!」
「ぅげぇっ!?」
地面の上を飛ぶような格好で繰り出された炎の蹴りにケツを叩かれクルクルと地面を転がる、ああくそ!どうすりゃいいんだよこれ!、反撃しようにもこっちが剣を振るう頃にはめっちゃ離れてんぞこれ!
「手が出せねぇ…、どうにかこうにか奴の動きを止めねぇと…」
「ヒャハハハハハハハハ!!!次は首を落とすぜぇ~?」
「…………」
ケツを叩かれ無様に転がる俺を見て笑うベンテシキュメを目で追うだけでも一苦労だ、あっちにこっちに滑り回りやがって…、どうにかこうにか止められないか?…?
「ん…」
懐を漁る、戦いの為に持ち込んだ俺の奥の手たる道具の諸君だ、エリスやメグと話し合って持ち込んだそれに隠れて目を向ける
持っているのはお弁当箱と水筒、小さな小袋が白いのが三つと赤いのが一つ、ついでに赤い液体を込めた極小のビーカーが二本…か、もっと真っ当なの持ってくりゃよかったよ
けど、エリスはこういうもんでなんとかしてきたんだもんな、なら俺にも出来るだろう…、だって俺エリスより頭いいし
「しゃあね、オラ来いや!ベンテシキュメ!、首落とされんのがどっちか教えてやらぁっ!」
「あぁ~あ?、言うじゃねぇか…こンのクソダボがぁっ!」
俺の挑発にまんまと乗ってクルリと反転し真っ直ぐこちらに向かってくる、速え…呆れるくらい速えそいつが片足で立って全身を独楽のように回転させ向かってくるのだから怖くて漏らしそうだよ、大きい方を…
けど
「へへ、バァカ!」
「あ?」
剣が俺に触れるよりも前に小さい赤い麻袋、そのうちの一つを手に持ち封を開け虚空に中身をぶちまける、それは…
「っ!!??、煙幕か!?」
煙だ、真っ赤な煙が宙を舞いベンテシキュメの目の前を舞う…確かに形容するなら赤い煙幕だろう、だけど違うんだなァこれが、っとここにいたら俺も危ねぇ!なんであれは!
「んっ!?これただの煙じゃねぇ?、まさか香辛料…じゃ…ね…ね…ねぇ…?」
赤い煙に突っ込んだベンテシキュメの様子が変わる、炎に包まれた顔は一気に赤くなり瞳からは涙がドバドバ溢れ始める、その殆どが炎によって焼かれるが…関係ないよなぁ?、そいつは例え燃やされて煙になっても…
辛いんだから
「ぐぎゃぁぁぁぁあ!?!?なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁあ!?」
そいつはメグ特製の香辛料、アホみたいな辛党が狂気で作り出したバカみたいな香辛料、ダンカンに食らわせ卒倒させたそれを空中にぶちまけたのさ、エリスが…
『これはもう殆ど武器なので持っておいた方がお得です、でも取り扱いには気をつけてくださいね?最悪失明するかも』
『私の好物ってそんな扱い受ける感じなんですか?』
なんて言うもんだから懐に入れておいたが、正解だったな!
事実ベンテシキュメは顔を抑えたまま悲鳴をあげて苦しみもがいているんだから、あのベンテシキュメを苦しませるんだから大したもんだよ
そしてここで重要になるのが、ベンテシキュメが先程行なっていた移動方が…、走っていたのではなく滑っていたことになる
滑るってのは走るのよりも或いは速く移動できるかもな、でもよ…そんなに目を瞑って滑って、大丈夫か?
「ぐぎぎぎぎぎ!?こ…これがスカルモルドたちの言ってた毒…、クソがぁぁあぁぁぁぁぁギャン!?」
滑りに滑ってコントロールを失ったベンテシキュメは暴走した挙句に氷の壁を大の字に突き破って消える、俺を押し倒すだけの速度で走ってたんだ…ぶつかった時の威力だってバカにならねぇんだなぁ
「ぐっ!クソが…クソクソ!クソいてぇ!」
バァンと氷の扉を開けて現れるベンテシキュメの体からは炎が消えている、恐らく氷の家の中に突っ込んで、溶けた水を頭から被ったせいだろう、プスプスと白い煙を上げて燃えかすみたいになってら
「よく分からないものをよくもあたいに食らわせたな!、もう許さんからな!『オレウムグラーティア』!燃えろ燃えろ!」
ガツンガツンと頭の上で処刑剣をぶつかり合わせ火花を散らし自らに引火しようと暴れるベンテシキュメ、だが…また火をつけられるわけにゃあ行かないんでね!
「テメェの火は見飽きたよ!角斬・クベッティ!」
「あ?」
自らに火をつけようと暴れるベンテシキュメを脇に俺が切り裂くのは隣にあった氷の家屋、その壁だ、それをサイコロ状に切り出し蹴飛ばし、滑る氷の台の上に乗り出す
歴史的な建造物ってのは分かってるが、今はこいつが必要なのだ…あいつにまた火をつけられたら面倒なんでな、頼むぜ…
「氷をぶつける気か?…叩き斬ってやるよ!!」
「んなことしねぇよ…ふぅー、上手くやれよ俺」
みるみるうちにベンテシキュメに接近する氷の台、その上で膝をつき氷の角に剣を当てる、このまま行けばヤロウに真っ二つにされて終わるだろう…だからその前に
「砕斬・スミヌッザーレ!」
高速で剣を振動させる、震えるような速度で剣を動かしているのだ、それにより氷は細かく砕かれるように切り刻まれ雪の粒子となってキラキラと宙を舞う…なんて可愛いレベルじゃあねぇ、豪雪の放射といっても過言じゃねぇ勢いで切って砕いて切って砕いて纏めてベンテシキュメにぶつけるのだ
「おりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃ!!!!」
「ぶわわわわっっっ!?!?、ってなにすんじゃゴラァッ!!」
「おおっと!」
全身に雪を被り青い顔をするベンテシキュメは直ぐ様怒りに表情を染め上げ処刑剣を二本、高速で振り回す、その剣閃を受けるわけには行かぬと氷の台を捨て飛び降りた瞬間、俺が先程まで足場として使っていたそれは瞬く間にかき氷になっちまう、おっかねぇけど…目的は達成したぜ
「ぐぐぐぐ、くそ!寒いじゃねぇか…」
今奴は全身雪まみれだ、体温で溶けた雪は水となって奴の体を滴る、こうなればいくら油を出したとしても燃えることは出来ねぇな、封じたぜ?お前のホットな上着をよぉ
「これでさっみたいに燃えることは出来ねぇな」
「っ…ナメんな!『オレウムグラーティア』!」
「っ!」
奴が剣を地面に突き刺した、またあのスキー殺法に出るつもりか、油で滑っての高速移動、またあれをやられたら面倒だ!、動き出す前に止めないといけないな
故にもう一度取り出すのは白色の麻袋、こいつの封を開いて今度は中身をベンテシキュメの足元にぶちまける、…するとぉ?
「っ!!、なんだこれ…!?」
刹那、加速したベンテシキュメは足元にぶちまけられたそれを踏んだ瞬間滑らかに移動していた体が徐々に失速するのを感じる、ってか普通に失速してんだけどな
「ベタベタする…これ、油が固まってんのか!?」
「おうよ、それが油なら片栗粉でベタベタに出来ると思ったが…案の定だな」
オレウムグラーティアは植物性と鉱物性のどちらの特性も持つ、ってことは俺がいつも使ってる植物性のオイルでもあるってことだよな?、生憎とその手の油はコルスコルピの料理じゃよく使うのさ、油の扱いなら負けてねぇ
ベンテシキュメの靴の裏についたそれは、エリスが監獄にいる時もしもの為にと作った片栗粉爆弾、まぁ本来の用途はそれこそ煙幕だがベンテシキュメ相手にはこういう使い方も出来るのさ
ヤロウの油はその皮膚から分泌されているようだしな、いくら追加の油を魔術で出したとしてもその上に片栗粉がある以上さっきみたいな加速は出来ねえ…つまり
「それも封じさせてもらった、逃げ回りねぇで真っ向から斬り合おうや…ベンテシキュメ」
「テメェ~、つくづく嫌な野郎だなぁ~…」
まぁな、学園にいる時ぁよく言われてたよ、けど相手の嫌がることをやるのが俺の得意戦法でね、オレウムグラーティア…破れたりってな
「炎もスキーも封じりゃこっちのもんだよなぁ」
「吐かせやダボ、あんなもんオマケだオマケ、あたいの武器はこっちなんだぜ」
剣をゆらりと垂らしながらベンテシキュメに歩み寄ればベンテシキュメも観念したのか、或いは上等だと乗ってきたのか…剣をフラリと定置に持っていくように構えを取る、さぁてこっからが勝負だ…
こいつの油の攻略法は最初から練ってた、だが…あの剛剣と柔剣の切り替えの謎はまだ手がかりも掴めてない、となれば突破口も見えてない…、このまま切り札でゴリ押す手もあるがそれもこいつの剣の謎を解いてからじゃねぇとな
「んじゃ、やるか」
「後悔すんなよ、ダボが」
互いに持つのは剣と剣、向かい合う理由は胸にある、そんで敵は目の前にいる…とくればやるのは一つだけ
遠慮はするな、躊躇はするな、立ち止まるな、俺は…この為にここにいるんだから!
「ッッ!!」
「ガァッッ!!」
坂を転げ落ちるように、一転して動き出す世界は火花の閃光に照らされる、激突し擦れる刃同士の向こうで剥く牙と双眸は相手を切り倒す未来しか見ていない
ギリギリと音を立てて押し付けられる刃は一瞬、柄を握り込む音と共に離れ静寂を斬りはらう、それは青い世界に残響し開戦の嚆矢となる
「列斬・インタリアーレ!!」
「獄門撫斬の刑ッ!」
関節が火を吹き回転するように速度を速め動き出す、放つのはひたすらの連斬、繋げるような斬撃と斬撃の交響曲
打って打って打って、ひたすらに打ち続ける怒涛の連撃を目と鼻の先で互いに繰り出す、アマルトは一本の黒剣を巧みに操りベンテシキュメは器用に二本の処刑剣を用いて一瞬でも相手を上回ろうと己の全てを出し切る
「っと!」
連続はいつしか惰性になり、単調と化した瞬間アマルトが加えるのは変調、斬りかかると見せかけるや否や態勢を低く取り足を斧のように振るい切り倒すのはベンテシキュメの足と言う名の巨木、それを掬い上げるように蹴飛ばしその態勢を崩す
「ぬぉっ!?」
「取った!」
ふわりとベンテシキュメの腰が浮く、一瞬で眼光は左右へ揺れる、見るのは地面との距離と剣を突き立て向かってくるアマルトの姿、全てを確認し終えた後彼女の左手がかくりと曲がり…
「…剣雨水車」
アマルトは確かにベンテシキュメを狙って突きを放った、されどまるで風を受け止める旗のように柔らかくベンテシキュメの処刑剣が揺らめき、ふわりと受け止め導くように空へと剣をズラす
空を切るアマルトの撃突、ガラ空きになるその脇腹、そこへ加えられるのは水車の如く回転したベンテシキュメの蹴りだ、受けと攻撃が両立した後の先を取る蹴撃…
ベンテシキュメの足が地面に着くとき、痛い思いをしているのは仕掛けたアマルトの方であった
「甘いんだよ、副官や死番衆の隊長を倒して勘違いしたか?、あいつら全員あたいより弱いんだぜ?」
脇腹を抑えやや引き下がるアマルトの首を掻き切ろうと迫る二本の刃をメトロノームのように剣を振るいはじき返し、生まれた一瞬の隙に態勢を整え呼吸を整えるアマルトは再び打ち合いに臨む
「確かに手前らは上手く立ち回った、あたい達はお前らを捕まえられないばかりか主力級の戦士達の殆どを沈められた、大損害だ…これが戦争ならあたいらの負けだよ」
ベンテシキュメは攻める、攻めて攻めて攻め尽くす、防御など考えずとにかくアマルトの剣を弾こうと迫る、時に左右からの挟撃を時に剣を揃えた重撃を時に体全身を使って振り抜く回し斬りを、自分と言う名の引き出しにある物全部出すが如く次々と技を繰り出す
「だがな、手前らが倒したのは飽くまで主力、これは戦争じゃない、あたい達という切り札が健在な以上、手前らに先はないことはわかってるはずだ」
その怒涛の攻勢にアマルトの足が一歩二歩と後ろに向かう、まるで吹雪を受け止めているかのような苛烈な攻めに冷や汗すら凍る、それほどまでにベンテシキュメの剣は苛烈だ
確かに技術ではヒジコが上だ、剣士としてならヒジコが上だ、だが剣を使う戦士としてはベンテシキュメはポルデュークでならゴッドローブ マリアニールに続く三本の指に入るだろう、魔女大国という括りでもタリアテッレ クレアに続き十本の指に入るだろう
それを相手取るには些かアマルトの経験は不足している
「あたい達こそが!この国最強の戦士だって!分かってんのかよ!テメェは!」
「ごはぁっ!?」
ベンテシキュメの剣を二本同時に受け止め、体が固まった瞬間打ち込まれる鋭い蹴りに再びアマルトが曲がる
魔術は攻略された、炎も油も封じられた、だがベンテシキュメはそんなものに頼ってここまで来たわけではないのだ
この時代の名を『魔女時代』、八千年と続く魔女一強の大時代、それを支える七つの魔女大国で最強を名乗るということは伊達ではないのだ、ベンテシキュメという女は既に世界から見ても最強格の剣士なのだ
そんなことは…、アマルトだって分かっている
「ぐぅぅぅっ!!!」
「なのにまだ向かってくるかよ…!」
それでも食い下がる、『参った!降参!』そう言いそうになる唇を噛んで食い止め、斬りかかる
彼だって伊達や酔狂で挑んでいるわけではない、勝てると踏んで戦ってるわけじゃない、もしかしたら負けるかも…その意識の方が大きいのはきっと魔女の弟子達の中で一番大きいだろう、今だってベンテシキュメを恐れてすらいる
それでも挑むのは劣りたくないからだ
「しゃぁぁぁぁっっっ!!」
「気迫と根性で超えられんならな!最強名乗ってねぇんだよ!あたいは!、神将だぞ!あたいは!」
岩盤に打ちこむツルハシのように弾かれるアマルトの剣、それでも必死に体を繋いで斬撃を紡ぐ、全ては劣らないため…他の魔女の弟子達に
あの日、腐って捻くれた俺に声をかけた魔女アンタレス、気に入ったとかなんとか言いながら押し付けられた魔女の弟子の座、座ってみれば自分と同じ椅子に座った人間が他に七人…全員が全員アマルトが持っていないものを持っている傑物達だった
そいつら全員俺の仲間だし友達だ、けど同時にライバルなんだ、今更椅子から降りることもできない かといって向かい合うこともやめられない、意固地になってこの座に居るからには全うしなければならない
我が師の決断は間違いではないと証明する為に全うしなくてはならない、だからこそ彼は名乗り続けるのだ
「神将がなんだ…!」
「お…?」
ベンテシキュメの剣を己の剣ではなく、腕で受け止める…
当然の如く溢れる血、走る激痛、その痛みの中で彼は叫ぶ、己が戦う理由を…!
「俺は探求の魔女アンタレスの弟子だ!、神と魔女じゃあ格が違うだろうがぁっ!」
溢れる血が 断裂した筋肉が叫ぶ、ここで止まるなど、止めどなく燃える血潮を止めることなく彼はその全てに魔力を通す、後先は考えない…見るのはただ、己の勝利のみ
「人を呪わば穴二つ、この身敵を穿つ為ならば我が身穿つ事さえ厭わず、憐れみの傷を抱き 幾千の戦場を超え、それでも戦う事を止めぬものよそれでも進め、この血はその道行きの手向けとならん『呪壊・黒王血千嵐』!!」
「ッッ!?」
ボタボタと落ちた血が再び形を取る、地面に生まれた血溜まりが起き上がり剣の山となって天に向かって降り注ぐ、目の前にいるベンテシキュメもまた巻き込んで
咄嗟の出来事にも動じないからこそ彼女は神将なのだ、攻撃を感知すると共に自動で動く左腕、かくりと曲がるそれが合図とばかりに燃える彼女は一転し月をも写す水面の如く静まり
「朧陽炎…!」
下から降る刃の雨を前にしても、揺るがぬは神将、まるでその身を陽炎に変えたが如く実態を掴ませず巧みに体捌きを行い体を揺らし、雨粒の一つさえ寄せ付けず絶対の回避を実現してみせる
アマルトの自爆覚悟の奇襲もベンテシキュメには通じない、だがその事実を前にしてもアマルトの顔は絶望には染まらない、むしろ
「………………」
見つめる、ベンテシキュメの回避を…、その動きを、そして考える…やはり妙な違和感がある
「効かねーなー!」
ベンテシキュメが振るう剣に先程とは違う違和感を感じるのは何故だ、ただ攻撃から防御に映っただけなのに…、ここまで打ち合ってきたアマルトだけが感じる、今さっきまで攻撃を行ってきたベンテシキュメと今のベンテシキュメは何か根本から違う気がする
そうだ、奴はいつも斬りかかる時右腕から斬りかかっていた、いや俺も右腕から斬りかかるよ?だって利き腕だから…、でも何故だ?ベンテシキュメは防御を行う前に左腕を動かし…こうして回避を行うときも、決まって左腕から動かす…
まさか……!!
「そういうことか…!」
「あ?、何見てんだよ!テメェ!」
再び右腕がかくりと曲がり攻撃を仕掛けてくる、血が溢れる左腕を庇う事もせず両手で剣を握りベンテシキュメの斬撃を受け止める、やはりこの攻撃も右腕だ
攻めるときは右腕を使い、守る時は左腕を使っている、そして攻める時守る時で最初に動かす手が違う…それはきっと
「なるほど、分かったぜテメェの剣の違和感の正体が」
「何…?」
「テメェ、クロスドミナンスだろ…」
クロスドミナンス…別名交差利きと呼ばれるモンだ、図書館で適当に本を読んでた時見たことがある
人には主に使う利き腕というものがある、右腕なら右手でスプーンを握る 左腕なら左手でスプーンを握る、両利きなら両方でそれが出来るが…、交差利きは文字通り利き手が交差するのだ、両利きとは違いどちらも同じように運用することは出来ない
スプーンを持つ時は右なのにペンを握る時は左、腕ごとに役割が決められておりその状況によって左右の利き手を交差させて使う、恐らくベンテシキュメはその交差利きって奴なのだろう
「攻める時の利き手は右、守る時の利き手は左、それぞれで利き手が違うから根っこから戦闘スタイルが変わる…、利き手が右手の時と左手の時で己自身を使い分けられるんだ…そうだろ?」
攻めの利き手と守りの利き手が違うから、ベンテシキュメは擬似的に二つの戦闘法を会得出来ているんだ、言ってみれば剣を持つ手が二つあるんだからな、だからこいつ二本も剣を持ってるんだ、一本じゃあその都度持ち替えないといけないからな
ラグナとエリスの違和感、分かったぜ…
「へぇ、物知りなんだなお前…」
「え?ってことは?」
「正解だよ…!、まぁそれが分かったところでなんだっつー話だけどよーっ!」
ベンテシキュメは右手をかくりと動かし利き手を切り替える、利き手が入れ替わっているからその瞬間腕の神経が刺激され勝手に動くのか、そういうタネだったのかあれ…
まぁ確かに、ベンテシキュメが交差利きのクロスドミナンスだって暴いたから俺の勝ちってわけにはいかない、見破ったところでベンテシキュメの左右を分けた攻守を抜けるわけじゃない
だけど、そういう事なら…やりようはあるぜ!
「つまりテメェが守りの利き手が左腕ってことは!、左腕を切り落としゃ守りがなくなるって事だろうが!
え!?ちょっと待って?俺頭いい?俺頭いいー!、こりゃあ中間試験も頂きのIQ!!
「ほーん」
左腕を切り落とそうと俺の剣が迫った瞬間、当の左腕がかくりと曲がり…
「あれ?」
カンと甲高い音を立てて弾かれる俺の剣は今腕ごと大きく弾かれて頭の上だ、あれ?
「お前忘れてねえ?、そう言って未だに一撃も与えられてない事」
そうだった…、いくら左腕を狙えばいいと分かったところで俺…まだこいつに一本も剣を入れられてねぇんだった…、ダメじゃん俺!
「だから言ってんだろう、甘いって…よぉぉぉぉぉおおおおお!!!」
剣を弾かれヨタヨタと態勢を崩す俺を前に攻めの右腕に切り替えたベンテシキュメが行うのは攻撃ではない、物凄い速度で剣と剣を擦り合わせ火花を散らしているのだ
両手の処刑剣が赤熱し真っ赤になるほどに熱を蓄え吠えている、何をするか分からないけど多分俺にとって都合悪い事なんだろうなぁとどこか他人事にさえ思えるそれを眺めていたのは一秒にも満たない時間、たったそれだけで彼女の両手の剣は血のように赤く染まる
「『オレウムグラーティア』!!」
硬く握り締めたその手の中から滴るのは黄金の油、確かに雪をかぶってびしょ濡れになったベンテシキュメ自身は燃えることができない、だが剣は無事だ、赤熱させ水分を飛ばした剣は既にカラカラに乾いている、その剣の上で蒸発した油はあっという間に周囲を包み
「死ねや…!、これがテメェへの刑罰だ!」
油を撒き散らし大きく広げる剣と剣、向かう先はようやく態勢を整えた…俺
「煉獄炎神の極刑」
それは火打石の如く、あるいは拍手の如く、ぶつかり火花を生む処刑剣、あたりに充満しガスとなった油と撒き散らされた魔力油、その全てに引火し発生するのは…極大の爆炎
一瞬、世界が赤く染まる
大地は砕け周囲の氷は溶け…目の前の神敵は呆気なく吹き飛ばされ宙を舞う、くるりくるりと回転し、その身が放つ炎と黒煙は弧を描き…炎の熱から逃れるほど遠方にあった氷の家屋に突っ込み、再び世界は静まり返る
勝負はついたとばかりに……
「げはぁっ…、ああくそ…」
なんてな、生きてるよ、爆発食らってぶっ飛ばされて氷に叩きつけられて瓦礫に押しつぶされて床に寝転がっちゃあいるが、生きてるよ
あーやべ、こりゃあ重傷ってやつだぁ…ここ大一番で特大の大技ぶつけてきやがった
「くそ、…退けよ…この、氷風情が」
氷の瓦礫を退かそうにももう力が出ねぇ、…どうするよ、もう諦めるか?いやそれはない、けど正直あの防御を抜く方法が思いつかねぇ、…もうさっきみたいな斬り合いに付き合えそうにないのは体の具合を見れば明白だ
もうちょっと俺が強ければ話は違ったのかな、なんてセンチなこと言うつもりはないよ、けどなぁ…なんかこう上手い具合にあっという間に強くなれる物ないかな、それもいますぐ…いまこの瞬間に力が要る、でなきゃ勝てねぇ…勝てないと負けちまう、それはダメだ
それは…ん?、あ…あったわ
「んっしょっ、お 割れてねぇ、ラッキー…」
そういえばと懐から取り出すのは赤い液体の入ったビーカーだ、こいつは…俺がここまで温存に温存を重ねて来た最後の切り札だ、こいつを使えばあいつの左腕一つだけでも封じることくらいは出来るかもしれねぇ
「…でも」
通じなかったらどうしよう、これでダメだったらどうしよう、この選択が間違いだったらどうしよう、この先これが本当に必要になる場面が来たらどうしよう、そんな考えばかり脳裏を巡る
こいつは二つしかない、つまり二回しか使えない、この旅が終わるまで補給出来る保証はない…、安易な使用はできない、もしここで使ってこの先必要な場面が来た時、俺はきっとメチャクチャ後悔するだろう、それが怖い…怖いけど
「いまここで負けるよかいっか、んじゃ…使わせてもらうぜ、お師匠さんよ」
結局ここで負けちまえばこの心配も無用になる、そして今俺はこれを使う以外に勝機を見出せない故にビーカーの封を開け、グビグビと飲み干す
真っ赤な液体を倒れ込んだまま器用に口に運び吸い込むように飲み干す間…思い浮かぶのは、これを俺に渡した時のお師匠の言葉だ
帝国に向かうため、ラグナ達と旅に出る前のことだ…、一足先に呼び出されていた俺はこいつを師匠から預かっていた
『バカ弟子これを持っておきなさい』
あ?何これ?と口にしながらもあほ薄暗い奈落の底で受け取ったのは二本のビーカー、中には奇妙な赤い液体がトプトプと詰められていて…、あまりの気味悪さに舌を出しながら頬をヒクつかせたのを覚えている
『それは私の血をポーションで希釈した物よ』
は?アンタの血?なんでそんなクソ気持ち悪いモンいきなり渡してくるんだよ、くれるんだったら金くれよ金と、駄々をこねると
『バカねあなた…魔女の血と言えばこの世の如何なる宝石を上回る宝よ?それにそれは貴方がこの先迎えるであろう戦いの切り札にもなり得るの…』
この先の戦いでの切り札…、そう言って渡されたビーカーを見下ろし考える、これは魔女アンタレスの血だという、つまりこれは魔女アンタレスの一部ということになる
それって
『ええそうよそれを飲み干せば貴方は私の一部を身につけることになる…つまり呪術での変化対象に私を入れることができるの…分かる?一時的にだけど魔女の肉体を手に入れることが出来るのよ』
呪術の一つである獣躰転身変化、それは獣の一部を摂取すればその獣に変じることが出来るって言う意外と便利な呪術だ、そして当然ではあるが人間も獣の一部ということになるので人間の一部を取り込めばその人間の肉体を一時的にだが手に入れることが出来るってわけだ
魔女も元を正せば人間、生物学的な部類はヒト科、つまりこれを使えば魔女にだってなれるんだ
すげーじゃん!!そう言いながらビーカーを掲げた俺を見てお師匠は呆れたように肩を竦め
『バカねバカ弟子それは希釈してあると言ったでしょう?大体十分の一くらいの濃度にしてあるから出せる力も私の十分の一程度よ?まぁ貴方にはそれでも過ぎたる力だけど…いえ?過ぎたる力過ぎるわ』
魔女は今現在この星最強の存在だ、如何なる人間も獣も彼女達の下に居る、それはきっと十分の一程度でも変わらない、十分の一でも今の俺にとっては百倍以上の力が一気に手に入ることになるだろう、だがそれは言い換えれば
『貴方という器には入りきらない量の力が一気に発生することになる…密封した瓶の中で爆発が起こるようなものよ?使えば死ぬわ』
なら渡すなよ、使ったら死ぬんかい…
『だから貴方に耐えられる限界量として二つしか渡さなかったのよ…そして使っていられる時間は指折り数えて大体三十秒程度それでも体に掛かる負荷は凄まじいわ…だから貴方はそれを使う時ここぞという時しか使ってはダメよ?安易に使えばきっと後悔するだから…使い方はよく考えて』
魔女の十分の一程度の力を大体三十秒くらい使えるようになる、それがこのビーカーの…いや俺の切り札の正体だ、とてもじゃないが道中では使えない代物だ、帝国との戦いでも逃走中も使えなかったこれを支えるのはたった二回
一回はシリウスとの戦いに使うことを想定して残さなければならないから、実質使えるのはたったの一回、それも三十秒だけ…安易な状況じゃ使えないが、今俺はベンテシキュメという強敵を前にしてその弱点を探り当てた、後はそれを突くだけ
ならば、使っても構うまい!
「ゴクゴク…ぐへぇ~まじぃ~…ってかこれアイツの血かよ、なんかすげー気分悪くなってきたぁ」
なんか変な味する…なんだろう、凄い変な味で形容し難い
でも、俺は今魔女の一部を手に入れたことになる、そしてそれを起爆剤に…今なら!
「その四肢 今こそ刃の如き爪を宿し、その口よ牙を宿し 荒々しき獣の心を胸に宿せ、その身は変じ 今人の殻を破れ『獣躰転身変化』!!」
瓦礫に挟まれたまま叫ぶ、そして発動させる、身に受け入れた物の力を一時的に借りる魔術を…、師匠の力を一時的に引き出す魔術を!
………………………………………………………………
「はぁ…はぁ、出てこねぇ…ってことは死んだか?」
ベンテシキュメは一人黒煙が上がる大地の中立ち尽くす、あの神敵を特大の大技で吹き飛ばしてやったんだ、こっちも爆風で煽られはしたが…まぁいいだろう、アイツは氷の家に突っ込んで出てくる気配がない
これで勝ちだ、あれを受けて立ち上がれるわけがない…けど
「一応確認しておくか、もし生きてたら事だ」
こういう時死んだだろうと確認を怠るのは三流だ、確実に死亡を確認することが邪教執行官には求められると普段から部下に口を酸っぱくして言ってんだ、あたいがそれを実行しないでどうするよ
「全くやってくれたぜ、けど…これで」
アイツには苦しめられた、正直結構消耗させられたよ、けどそれもこれで終わりだと奴が飛んで行った方向に足を運んだ瞬間の事だ
崩れた氷の瓦礫が吹き飛び、中から極大の魔力柱が上がったのは
「ッッーーーー!?!?!?」
思わず足が後ろに引く、どんな敵を前にしてもどんなことがあっても引くことがなかった足が勝手に後ろに引いた、言っているんだ…本能が
『引け、逃げろ、勝てない』と
何言ってんだよ、何が起こってんだよ、あそこにゃ神敵アマルトが居るはずだろ…それがなんでこんな
「なるほどな、こりゃあ確かに三十秒だな…力が強過ぎる」
むくりと魔力の柱の中から現れるのは、あたいの知るアマルトじゃなかった…
特徴的な癖毛はダラリと足元まで伸びきり、瞳も憂鬱そうにギラリと尖り…剰え身長も一回り大きくなったばかりか、胸までやや膨らんでいるようにさえ見える、なんだあれ…アイツどうなったんだ?
アイツ男だよな、あれじゃあ女…いや
「ったく、気持ち悪い感覚だぜ…魔女に近づくなんてよ」
魔女だ…、見たことのない魔女 聞いたこともない魔女の姿を取り、魔女と同程度にも思える威圧を放つアマルトに全身が震える、魔女大国に支える私は知っているからだ…魔女の絶対的な力を、体の芯から…
「あ アマルトなのか?」
「ん?、ああ悪い いきなり姿形が変わったから分からなかったか?、ああそうだよ俺は俺さ、まぁアイツの影響が強く出て体が若干変わっているがな」
「体が?…」
「ああ、血の中に存在する魂の情報の断片を読み取ることで残りの部分を魔力で補完し一時的に対象の魂と同調させることにより肉の器を変容させる魔術を用い状態の更新を行なって…ああくそ、口調までアイツみたいになりやがる!もっと分かりやすく言えねぇのかこの口は!」
なんかよく分からんが、姿が変わる魔術を使ったってことか?…、な…なんでもいい!
「生きてたってんならまたぶっ殺すまでだ!、覚悟は出来てんだろうな!神敵ィッ!!」
「ん…?」
斬りかかる、全力で踏み込み棒立ちのアマルトに向けて振るう処刑剣、狙うはその首!今度こそあたいの手で晒し首にしてや……
「ああ、こうか」
「へ…?」
弾かれた、剣は目の前まで行った、あたいは目前に肉薄した、だというのにまるで見えない壁に阻まれたかのように剣が弾かれた…、何が…
「魔力を固めて発生させる魔力壁だ、魔女はみんな出来るらしいぜ?…まぁ俺のは若干硬度は落ちるが、お前にゃ十分だろ」
「はぁ!?」
ただ魔力を固めただけ?、詠唱もなくモーションもなく、ただただ浮かせている魔力を固めただけでこの硬度だと!?、幾ら何でもデタラメ過ぎる!あたきが知っていたと思っている魔女の力なんてほんの一部でしかないのか…?
だとしたら、魔女はどこまで底なしなんだ…今のアマルトはどこまで…
「安心しな、殺しゃあしねぇよ…殺さねぇだけだがな」
するとアマルトは左腕を差し出す、それはあたいがつけた傷がある…そこから落ちる血が輝き地面を覆う、未だ剣を弾かれた姿勢で動けないあたいを差し置いて、その血は大地を全て覆い尽くす…
「労苦 際限なく、不法 限りなく、流血 止めどなく、天を覆う暗天は我が手 地を濡らす絨毯は我が血潮、世に生きるべき命無し 世に死すべき命無し、在るが儘に成し 成すがままにあるこの世は我が躯体、今夜帳を降ろそう 」
それを言葉にするなら、まさしく破格…
今までアマルトが使ったどの魔術よりも強く 広く 果てしない、世界さえ呪う至上の極意、これを得るには 成すにはどれだけの鍛錬がいるのか、果てしない鍛錬の末に手に入れるはずの力を今アマルトは使い…
パンと一つ、手を叩く…
「『呪界 八十禍津日神血膿』」
「ッ!?」
世界に夜帳が下りたが如く暗くなる、辺り一面が暗く闇に満たされて、大地を満たす血液だけが不気味に赤く光る、ある種の地獄の如き光景が目の前に広がる
世界が変わっちまった、ただの一言であたいの知る世界が根本から塗り替えられた、規模が違う…違い過ぎる!
「くっ!くそっ!」
ダメだ、勝てない、これは勝てない、逃げないといけない、本能と理性が合致する
何が起こったか分からないがとにかく今は逃げて…っ!?
「え?…」
足が動かない、逃げようと思った足が地面から離れない…、見てみれば大地から 血の海からヌルリと真っ赤な手が幾重にも伸びてあたいの足をがっしり掴んでいるのだ、な なんじゃ…そりゃあ!
「逃がさねぇよ、俺はお前と違うんだ…」
「ヒッ!?!?」
「呪うぜ、お前をよ…」
悟る、これは前準備に過ぎないと、世界を塗り替えてまでこいつは舞台を整えたに過ぎない、今から行う最高の一撃を放つ為の…
「是大明咒 遍照よ衆生を救え、是無上咒 この上なき至上の呪言にて、是無等等咒 等しき物無き天上界、世に悪徳の亡者蔓延ろうとも我が真なる呪言あらば是非も無し、遍くを覆いし我が口は今汝だけを呪おう」
「う…あ…あ…」
暗転する、世界が…
燃える血の海が沸き立ちベンテシキュメ一人に敵意を示す、世界が敵意を燻らせる、それらは全て魔女の言葉に従いブクブクと泡立ってベンテシキュメに向かってくるのだ、何が起こってるか分からんけど気色悪い!!
抜け出さないといけないのは明白なのに動けない、逃げないといけないのに足が動かない、そんなヤキモキする時間を数瞬繰り返した…その直ぐ後の事である
「ぐむっ!?」
ベンテシキュメを包み込むように血の海が湧き上がり持ち上げたのは、真っ赤な血の球体…その中にベンテシキュメは閉じ込められてしまったのだ
もがく、ただもがく、無駄と知りつつもがき、こうなっては守りの姿勢をとろうが意味がない、如何あっても何をやっても抜け出せない真紅の世界の中、ベンテシキュメは聞く…その声を
「『天網恢々・鬼哭啾々』…!」
弾ける音がする、形作られた真っ赤な血のシャボンが爆ぜる、アマルトの手によって放たれた指先の一つ突きを受けてベンテシキュメを囲む血の球体が弾け飛び解放されたのだ
「……?」
解放され血に塗れたベンテシキュメは目を白黒させながら周りを見る、アマルトは背後にいる…いつの間にか背後にいる、あたいは無事…傷一つない
一体何だったのだ?…そう疑問に思った瞬間のことだった
「……!?」
体に浮かび上がるのは巨大な指紋だ、ベンテシキュメの胴体全域を覆うように紫色に妖しく輝く指紋が煌めき、それとともにベンテシキュメの体を襲うのは絶大な倦怠感だ、タチの悪い風邪を引いた時よりも数十倍は重たい倦怠感に襲われ思わず膝をつく
何をされた…
「それが、呪いさ」
「呪い…?」
体が溶けそうだ、骨が砕け散りそうだ、脳みそが耳から流れ出そうだ、気を抜いたらそのまま死んでしまうんじゃないかってほどの倦怠感に襲われても、それでも立ち上がろうと腕をつく…しかし
「チッ…そういうことか」
左腕が動かない、まるで肩から先がなくなってしまったかのように感覚が麻痺している、おそらく奴の狙いは私の防御を奪うこと…、さっきの魔術で行ったのは飽くまでそれだけだというのか
「恐ろしいぜ、あのクソ師匠…手前の指先を全て呪印に変えてたとはな」
『天網恢々・鬼哭啾々』とは探求の魔女アンタレスが武器とする呪印の名…
呪印とは魔術陣と同じ書き込んだ部分に影響を及ぼす魔術である、魔術陣と違うのはそれほど効果が長続きしないのと肉体に書き込まねば意味がないことと、呪印そのものには意味がないということくらいか
そうだ、呪印自体に効果はない、呪印とは飽くまでマーカーでありパスなのだ、呪術の特性である『条件を満たせば詠唱をせずとも発動できる』という点、呪術ごとに個別に設定されたそれらの条件全てを無条件に変更する事が出来る破格の印…それが呪印だ
この呪印を書き込まれた者は全ての呪術を無条件で受けることになる、呪術の詠唱は必要なくなり その呪術は全て術者の肉体から直に通じる呪印目掛けて飛んでいき逃げることを許さない
そんな呪印をアンタレスは指紋としているのだ、十の指先全てを刃で切り刻み呪印と同じ形に変えているのだ、つまり…アンタレスに触れられた存在はその瞬間事実上の敗北を迎えることになる
「クソが…!」
今ベンテシキュメを襲っているのは天網恢々・鬼哭啾々と数十の身体束縛呪術である、天網恢々・鬼哭啾々は本来自らが掌握した空間全域に毒血を降り注がせ相手に疫病を与える最悪の呪術の一つ…それを身に受けたベンテシキュメは本来のパフォーマンスを失った状態にある
おまけに左腕も麻痺させられ彼女は防御手段も失った、これがチェスであったなら…その時点で投了モノだ
だが
「バカにすんじゃねぇよぉ…あたいはまだ生きてるぜぇ…?」
「まだやるかよ、すげぇ根性…でもありがてぇな、こっちもこれで終いは不完全燃焼だったしよ」
アマルトに残された時間は最早十秒を切っている、だが…それでもベンテシキュメが向かってくるならばとマルンの短剣を構えて…
「人を呪わば穴二つ、この身敵を穿つ為ならば我が身穿つ事さえ厭わず『呪装・黒呪ノ血剣』」
血を纏わせる、己の血を…それは片刃の剣へと固まり、黒剣として成立する…と同時に更に
「『赤界刃』!」
更に握り込む、世界を満たす己の毒血を全て集約し押し固め、より強靭な刃を作り出す、通常時のアマルトでは到底生み出せない究極の赤剣を片手に振り返り
「よっし、じゃあやろうか!」
「…それでいいのか?」
思わず舌打ちをするベンテシキュメ、そりゃあそうだ、今から決着をつけようかと語るアマルトの姿は…いつものそれに戻っているからだ、魔女の如き威容を失いあの絶対的な力も失い、その状態で…さっきまで負けてた状態で決着をつけようと宣うその姿勢にベンテシキュメは腹が立っているのだ
「まぁな、これでお師匠の力使ってお前に勝ったんじゃ意味がないだろ?、手助けはここまでだ…後は俺の力だけでお前を倒す!」
魔女の力に負けるならいい、理解不能なレベルの攻撃で蹂躙されるならまだいい、なのに…それらを捨てて正々堂々と向かってこられちゃあお前…、受けるしかねぇじゃねぇか!
「クソッ!上等だ!ダボが!、今度はテメェの油断を呪えよ!」
「それは、また今度の機会に取っておく」
動かない左腕を捨てて処刑剣を一本…正眼に構えるベンテシキュメ
魔女の力を捨て、満身創痍の五体を引きずり赤剣を鋭く構えるアマルト
互いに悟る、これが最後の一太刀となることを…だからこと、間怠っこしいのはもうやめだ
「行くぞオラァッ!」
「来い!ベンテシキュメ!!」
同時に駆け出す、凄まじい倦怠感に襲われるベンテシキュメと先ほどの重傷を引きずるアマルトの両者はそれを感じさせぬ程機敏で鋭敏な踏み込みで…剣を振り被る
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」
「ぉぉぉぉおおおおおおお!!!」
後はもう叫ぶだけだ、それしかもう残りの体力を叩き出す方法を知らない、ひっくり返してお尻叩いてようやく出てくるようなみそっかすの体力を全部かき集めて、雄叫びと共に刃を構えて…二人は目を開く
「ッッ───────!!!」
重なる影、すれ違う剣光、先程まで目先に捉えていた相手は今背後にいる、互いに背を向けたまま…、ただ悟る
───────────────────────
「貴方、名前はなんていうの…?」
「ああ?…」
その日は確か、細やかに雪の降る曇った日のことだ
いつもみたいにやりたくもない聖女としての仕事の帰りにそいつはいきなり現れたんだ、神聖軍の軍服を着込んだ訳わかんねぇくらいでかい女、それが私の前に立って名前を聞いてきた
「うるせェ…寄るな」
「そうはいかない、…貴方の話は聞いてる、『暴れ聖女』のベンテシキュメ…だよね」
そう言いながら迂回しようとする私の前に立ち塞がる女は私の二つ名と共に名前を呼ぶ、…暴れ聖女ね、確かにこの時私はそう呼ばれていた
私はな、心底聖女に向いてなかったんだと思う、歌も得意じゃないし…そもそもだ
そもそも手前らの問題を解決しないで歌に縋る風潮が気に入らねーんだ、別に歌なんかにかまけず頑張れと言いたい訳じゃない…問題をそのままにしていることが気に入らないんだ
他国から荒くれ者が入ってきて村の作物を盗まれました
森の獣に襲われて被害が出ました
聖典を小馬鹿にする奴のせいで教会が荒らされました
そういう問題が出ても聖女に助けを求める連中は聖歌を聞いただけで満足してしまう、そうじゃねぇだろ…問題はそのままだろ、荒くれ者は引き続き暴虐の限りを尽くすし獣は変わらず人を襲うし、聖典を愚弄するバカは死ぬまでバカなまま
なんの解決にもなってないのにそれを受け入れる民衆も、変わらず悪を成す存在も、それを良しとして強いる自分も、何もかもが気に入らない…だから暴れたんだ私は
村を襲う荒くれ者が私が聖歌を歌う教会に乗り込んできたのだ、聖女なら金目の物を持ってるだろってな
だから拳一つでボコボコに伸ばして神聖軍につきだしたら…これだ
誇り高きネーメアの家の人間がこんな野蛮なことをするなんて…ってさあ、戦って村を救ったのに…、今じゃ聖歌隊でも腫れ物扱いだ、まぁスカッとしたからいいんだけどさ
「ンだよ、名前聞かなくても知ってんじゃねぇか」
「そうだよ、知ってる…けど聞いた、人違いだったら怖いから」
「チッ、で?テメェは私になんかようですかぁ?、まさか暴れ聖女はこれから監獄に送られるって?」
「ううん、そうじゃないよ…ただ、もう今後こういうことがないようにって注意をして欲しいって言われた、軍の偉い人から」
「は?、なんでだよ」
「八神族の末裔に何かあったら大変だからって」
「チッ」
またそれか、どこに行ってもついて来やがる…八神族だから ネーメアだから、そればかりだ、そもそもこの聖女の座だってコネで手に入れてんだ…自分で得たものなんか一つもないくせして私がやろうとすることは奪いやがる!
私だって信徒だ、八神族には敬意もある…が、それも薄れちまいそうだよ!ここまで私を縛ろうとするその名前が!
「貴方に何かあったら大変、だから…」
「だから?なんだよ、あたいは別に誰にも守ってもらう必要はねぇんだよ!、この身一つくらい自分で守れるし気に入らない物は私の手でぶっ飛ばす!、そこに神の名もネーメアの名も関係ねぇんだよ!」
「でも…、貴方は 無責任だよ」
「無責任!?無責任と来たか!、ただ親の腹から生まれただけで押し付けられた役目なんざ知らねぇんだよ、それに聖女としての仕事だってちゃんとやってるだろ!なんか文句でもあんのかよ!」
「違う……」
むっとデカ女の顔が歪む、あたいの口にイラつきでも覚えたか?上等だよ…
「おう木偶の坊、ンだよその面ぁよ、気に食わないんだったら…ほれ、テメェの手で矯正してみろよ、生意気な暴れ聖女の一匹くらいよ」
「…………ダメ、それはダメ…」
「ケッ、八神族を殴るなんて恐れ多いってか?…、くだらねぇ!腰抜けが!二度とあたいに近寄るんじゃねぇぞ!」
デカ女の丸太みたいな足に一発蹴りを入れると共にあたいはその場を立ち去ったのだ、今思い出しても死にたくなる…、何せこれがあたいの恩人にして唯一無二の御大将ネレイドさんとの出会いだったりだからよ
当時御大将は暴れ聖女と呼ばれていたあたいを見兼ねて都度都度顔を見せてきたんだ、まだ神聖軍の新兵で色々忙しいにも関わらずあたいの居場所を聞きつけるなり様子を見に来た
当初は何が気になるのか分からなかった、大方ウチの両親から金でももらってボディーガード代わりでもしてんのかと思ったが、…それが違う理解したのは御大将と出会ってから二週間ほどしてからだ
具体的に何があったかって?、もう随分昔だがそれでも克明に覚えている、何せあたいは…不覚にも誘拐されたんだからな
…………………………………………………………………
いつものように聖女としての仕事を終えて帰路についている中、いきなり街中にゴロツキが現れたんだ、それも数十人規模で…、全員が信徒服を身に纏いカムフラージュを行いながら街中に入り込みあたいを取り囲んだ
あたいだって抵抗したが、当時のあたいは精々喧嘩が強い程度の小娘でしかなかったからな、あっという間に押し倒されて縄で縛られ街の外に連れ出されてしまったのだ
「くっ…!おい!テメェら!何すんだよ!クソが!」
「口の悪い小娘だなおい」
連れてこられたのは雪山の奥にある山賊どものアジトだった、全員が全員剣や鎧で武装した気合い入った連中だ、何処ぞの傭兵と紹介された方がしっくりくるレベルだ
そんな小汚い奴等が犇めく山小屋の中、あたいは汚ねぇ床に転がされ簀巻きにされていた、なんとも情けねぇ話だ
「テメェ…、何が目的だよ…!」
「ああ?、お前あれだろ?ネーメアの暴れ聖女、テメェにウチの可愛い子分がボコボコにされたんでよ、一応そのお礼かなぁ」
山賊の中で一際大きな男が人の胴体ほどもあろう巨大な剣を片手に舌なめずりをする、…その脇にいるのはいつぞやあたいがぶちのめしたゴロツキ共だ、あいつら…!親分にチクりやがったな!甲斐性のねぇ奴らだ!
「小娘にボコされたのはテメェの子分が弱いからだろうがよ、図体の割にケツの穴の小せえ奴だな!」
「このクソ女…、口の利き方を知らねぇのか?、俺ぁ山熊様だぞ?このオラィオンの雪山の王だぞ?俺はよぉ」
「ぐぅっ!?」
山熊と名乗る大男はあたいの髪を掴みそのまま持ち上げ狂気染みた顔を向ける…、くそ!手が動けば…こんな奴!
「テメェはもう俺たちの金づるなんだよ、テメェの実家からしこたま金ぶんどってやる…そしてその金片手に山魔の山賊団に加入するんだ…ヒヒヒ、いい拾い物したぜ」
「あ あたいの家は関係ねぇだろ!?、あたいに復讐しに来たんだろうが!」
「ガキの躾一つ出来ない家にも罰を与えるって話だよ、それにな…テメェもそれを覚悟で俺達に手ェ出したんだろうが」
「え……」
いや、そこまでは考えてない…、ただ目の前に敵が居たから 気に入らない相手が居たから殴っただけで、そんな…ここまでの事は
「なんだ?テメェそこまで考えてなかったのか?、バカだなぁお前、じゃあ俺からお前が救った村にも報復に行ったのも知らねぇのか?」
「え!?な なんで!?」
「そりゃあ行くだろ…でなきゃ俺達の面子丸つぶれだからよ、テメェが手を出さず大人しく金品だけを差し出してるうちはあいつらも無事に済んだだろうによ、無責任な正義を振りかざされて、奴らも迷惑してたろうなぁ!」
…知らなかった、いや知るはずもなかった、聖女として赴いた先で起こった出来事のその先を確認することなど今までしてきたことがなかったから
何が問題がそのままだ、何が問題を放置して聖歌に逃げてるだ、あの村人達は聖歌に逃げるしか逃げ場がなかったんじゃないのか…、あたいがすべきは悪党を倒す事ではなく事の顛末を神聖軍に任せることではなかったのか
なのに、あたいが…余計なことをしたから…、でも…だとしても放置なんて出来なかった…じゃああたいは…どうすれば良かったんだよ、見て見ぬ振りをすれば良かったのかよ…!
「へっ、まぁそう言うわけだ、恨むんならお前の軽率さを恨みな!」
「ぐっ!…」
投げ飛ばされ地面を転がるあたいに、もう噛み付くだけの元気も余裕もなかった、無責任…助けることの責任を知らずに、あたいは手を出してしまった、救うこともできないのに
あたいは…あたいは…、八神族の末裔なのに…親に噛み付いて聖女の役目に唾を吐いておきながらやったことと言えば余計なお世話だけ、正真正銘の馬鹿じゃんか…あたい
もう何もわからない、頭が白く霞むように思考が濁る
どうすれば良かった、あたいはどうすべきだったのか、あたいは聖女には向いていない…聖歌で人を助けるなんて事を心の底から信じられない、だから手を出した…でもそれをするにはあたいは力が不足している、責任なんか取れない
なら、どうすれば…いいんだ
「んじゃ、俺ぁこいつの家に脅迫状送るからよ、お前らこいつ好きにしていいぞ」
「え…?」
「へへへ、ありがとうございます!ボス!」
「な 何言ってんだよ!ダボ共!」
いきなり向けられる下衆な目線に粘つく舌舐めずりと一点に群がるような子分達に背筋が凍るような寒気を感じる、こ…こいつら何しようとして…!
「殺すなよ、殺さなきゃどうしても構わねぇけどな、へへへ」
「こ…この、下衆共」
「なんとでも言えや、なんなら祈ってみるか?神様によ…まぁ、そんなお前を救ってくれる奴なんてこの世にはいねぇだろうしな、だっはハハハハハ!神も聖人もあったもんじゃねぇな!この世はよぉっ!」
げたげたと笑う山熊を前に唇を噛み締める、あたいの人生…こんなクズに潰されるのかよ、あたい自身の間抜けな行動で潰えるのかよ、どうしたらいいかもわからないまま終わるのかよ!
いやだ…神様、お願いします…お願いします、どうか…どうか
「神よ…!」
「あはははは、兄貴!こいつ本当に神様に祈ってますよ!」
「馬鹿な奴だ、それで人が救われるんならなぁ、この世に俺たちはいないんだよぉっ!」
「…………」
最早祈ることしかできない、簀巻きにされて拝むように頭を下げることしかあたいには出来なかった、目の前で群がる男達を蹴散らすこともその奥で笑う山熊達も…神を嘲る山賊達を不信心者を罰することも…あたいには
「んじゃあな、精々狂わないように気をしっかり持てよ、無責任な聖女サマ…ははは」
人生の勝者とばかりに笑う山熊は勝ち誇りながら山小屋の扉を開ける、あたいの実家に脅迫状を叩きつける為、外に出ようとしたその時であった
「あ?」
山熊は顔をしかめる、扉を開けたはずなのに…その向こうに更に壁があったからだ、見えるのは雪景色ではなく、真っ黒な影…否 目の前に屹立する
人間だ、それも超巨大な…
「な なんだテメェ!?」
「ここか、ベンテシキュメは…!」
「はぁ!?、何言って…ッ!?テメェその服神聖軍か!?、もう嗅ぎつけて…寄るんじゃねぇ!こっちには人質が…」
玄関口で吼えたてる山熊は慌てて戻ってあたいを盾にしようとしたその瞬間のことだった
扉の前に立つ巨大な影はヌッと一歩引くと共に、修羅の如き形相をチラリと覗かせ…
「フンッ!!!!」
「ヒィッ!?」
まるでカーテンを開けるみたいに山小屋の壁をベリベリと片手で引き剥がし暗然としていた小屋の中に白日の光を差し込ませ、その巨影は一歩踏み込んでくる
ただの一歩が途方もなく大きい、慌てて振り返り戻った山熊にたったの一歩で迫る影はギラリと鬼の面相で睨みつける
「なんなんだよお前!、クソが…寄るんじゃねぇ!化け物が!」
これはもう間に合わない、そう歴戦の勘で悟った山熊は身の丈ほどの巨大な剣をグルリと振り回し遠心力を乗せて斬りかかる、しかし
「化け物?…、まだマシだろう」
「え!?」
受け止めた、体も大きいが手も大きい、まな板のように巨大な手で剣を掴み、その手でまるで落ち葉でも砕くかのように握り潰してしまう、人間業じゃあねぇ…
事実それを目にした山熊は目を見開きなにかの間違いである事を必死に祈っている、だが残念…これは現実である
「お前らのようなゴミよりも、化け物の方がマシだ」
「な…なんなんだ、お前は…」
「その子の…なんだろう、分からない友達でもないしボディガードでもないし…、んー…分かんないけど」
鋭く手が伸びる、振り上げられた巨木の如き腕は目にも留まらぬ速度で振り上げられ…
「どのみちお前には関係ない!」
「げぶぅっ!?」
張り手だ、ただの張り手の振り下ろし…たったそれだけで山熊は鎧から何から全部叩き砕かれ、爆ぜるように割れた木の床にめり込み動かなくなる
なんだありゃ…いや、あいつ…
「あの女…」
いつも私を付け回していたあのデカ女だ、あいつここまで付いてきて…ってかあいつこんなに強かったのかよ!?
「ヒィッ!?ボスが一発でやられた!?」
「どどどどうする!?逃げるか!?戦うか!?」
「馬鹿!あんな怪物相手に戦えるか!逃げるぞ!、この女盾にすりゃあいつも手出し出来な…」
「邪魔」
あたいを盾にしようと周りの男達が手を伸ばした瞬間、飛んできたデカ女の腕の薙ぎ払いが何もかもを吹き飛ばす、大の男…それも鎧で武装した連中を纏めて腕力だけで弾き飛ばしてやがった…
「ぎゃぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
壁を突き破り遥か彼方まで飛んでいく男達の悲鳴を遠くに聴きながら、デカ女はズシリと縛られたあたいの目の前に立つ
怖い、未だ嘗て感じたことのない恐怖を感じて竦みあがる、こいつの強さは異次元だ…もしここでこの女があたいを踏みつければ、それだけであたいは…
「大丈夫?ベンテシキュメ…」
しかし、そんな心配など杞憂とばかりに女はしゃがんであたいの縄を解いてくれる、その表情は山賊に見せていたそれとはまるで違う…女神のような瞳だ
「あんた、あたいを助けてくれるのか?」
「この場にいる全員ぶちのめすほど私はイカれてないよ」
「…助けに来てくれたのか?」
「うん」
「それはあたいが八神族の末裔だから?」
「違う、目の前で悪事がなされていたから…追ってきて、悪い奴倒しただけ、ん…これ結び方難しい…」
あれ?と首を傾げながらどうやって縄を解いたらいいか分からず目を点にして四苦八苦するデカ女の言葉に、呆気取られる…
目の前に悪があったから、ただ倒しただけ、それはあたいがしたのと同じだ…、でもそれをした結果あたいはこうなった、ただ悪を倒すだけでは意味がないんだ…無責任なんだ
「お前分かってんのか…」
「ごめん分からない、私頭良くないから紐の解き方とかよく…」
「そうじゃねぇ!、こいつらまた報復に来るぞ!、今度はお前に!それを分かってんのか!?」
「ああ、それなら大丈夫…私強いから」
そうじゃない!そうじゃないんだ!、いくら強くても悪党は手段なんか…
「それより貴方は分かった?」
「はぁ?、何が!」
「貴方の無責任さ…」
「ッ…!」
それはこいつがいつか言った言葉、そして山熊が口にした言葉、あたいの無責任さ…ただ何も考えず正義感を振りかざすことの無責任さ、助けた責任を負わなかったからあたいが助けた村は報復を受けたしあたいもまたこういう目に遭っているんだ
こいつが言いたかった無責任って…この事なのか、私を守ろうとしていたのも…この報復が分かっていたから?
「私は強いから報復されても平気、私以外の人間を狙うと言うのならこの手で守る覚悟がある…だけど貴方は違った、ただ闇雲な正義感でこいつらに手を出した…、その先のことを…助けた後の事を考えないのは無責任だよ」
「…………」
「守るのはいい事、だけど守り切れないのは守らないことよりもタチが悪いよ、守りたいなら…守れるだけ強くないとダメ」
「…じゃあ、手を出さない方が良かったのか?、あたいはただ大人しく歌だけ歌ってろって?、あんたもそう言うのかい?」
あたいは弱い、喧嘩は強いが刃出されちゃ手も足も出ない、あたいに許されているのは歌うことだけ…、なら大人しくそれだけしてろってのか?、そりゃああんまりじゃねぇか…
だって、聖女の仕事は人を救うことだろ?歌うことじゃない、テシュタルの教えは善を成すことだろ?悪を見過ごすことじゃない、悪に背を向け歌うだけなら八神族なんて必要ねぇだろ…
「目の前に悪があり、脅かされる人がいて、寄るべきなきこの世に於いて…出来ることが歌うことだけなんて、あんまりじゃないか」
「それは違うよ…ベンテシキュメ」
「へ?…」
刹那、もう解くのを諦めたのか…デカ女はブチブチとあたいの縄を引きちぎり、肩を抱いて立ち上がらせると
「それでも貴方の心意気そのものは間違いではなかった、助けようと言う心自体に過ちはない、ただその責任を貴方は果たせなかっただけ…なら、果たせるようになればいい」
「果たせるように?…どうすりゃいいんだよ」
「…私と神聖軍に入ろうベンテシキュメ、そして私と一緒に戦って」
「は?」
いきなり持ちかけられた言葉に目を白黒させる、何言ってんだこいつ、私を守るためにここに来たんだろ?、軍の偉い人から八神族に何かあったら大変と言い含められてたんじゃねぇのか?、それをお前…え?
「あたいに聖女をやめて軍に入れと?」
「うん、強さなんて鍛えればどれだけでも手に入る…けど、世を憂い民を心から思う心は筋トレじゃ手に入らない、私はね?ベンテシキュメ…、貴方がゴロツキから村を守ったって話を聞いて貴方を誘う為にここに来たの…」
「軍の偉い人に言われたんじゃねえのか、あたいに何かあったら大変って」
「うん言われた、なるべく傷つけず守ってくれって、でも…言われただけ、従うとは言ってない」
こいつ…意外とふてぶてしいな…
「それに…、貴方は守られる方よりも守る方が性に合ってるんじゃないかな…って思うんだけど」
「ッ…!」
「脅かされる人がいるなら守ればいい、寄る辺なき世だと言うのなら貴方が寄る辺になればいい、その末に責任が発生するならそれを踏み越えるだけ強くなればいい、その為の立場を手に入れればいい、誰に従うこともなく…自分の道を選べばいい、聖女という立場にも八神族という立場にも囚われない、貴方だけの道を」
どうかな?と首を傾げる女の言葉はまるで答え合わせのようだった、中途半端に守るな…守るなら守り切れ、他の何もかも捨ててでも…、それは凄まじい覚悟が要るし途方も無い責任が付き纏う
だがこいつは言うんだ、覚悟を決めろと責任を背負えと、それを全て抱えた上で進めるだけの人間になれと…、八神族の末裔として用意された聖女というポストを抜け出て、ベンテシキュメとして戦う道を選べと
「…………」
こいつ、それを言うためだけに今まで付きまとってたのか、山賊達の報復を恐れず態々あたいを助けに来たってのか…
どんだけ馬鹿なんだ、どんだけあたいの事見込んでんだ、どんだけ自分の目を信じてんだ
「あんた、すげー馬鹿だな」
「みんなそう言う」
「けど、…あたいはきっとあんたより馬鹿だ、だってその誘いが…すげー身に染みるから」
身に染みる、染み渡る、塗り替えられると言ってもいいなぁ…
何を悩んでたんだあたいは、聖女のに出来ることがないならやめちまえばいい、守りきれるだけの力がないなら強くなっちまえばいい、周りがごちゃごちゃ言うからなんだ?八神族がなんだ?、あたいはあたい…誇り高き炎神フォロマノが子孫、それがビクビクしてる方が名折れだろうが
「なぁ、…あたいもあんたみたいに強くなれるかな」
「私くらいになら、直ぐになれると思うよ」
「そうかい…、んじゃあー…やめるかな聖女、んであんたの誘いに乗って神聖軍目指してみるわ」
「うん、お願い…私そろそろ隊長になる予定だから、頼りなる部下を探せって言われてたんだ…、ベンテシキュメが神聖軍になってくれたら私も頼りになる部下が出来て助かる」
「お…おいおい、頼りになる部下探せって言われて軍の外まで探しに行くか?、てか何ナショナルにあたいがお前の部下に…いや、その方がいいな」
正直言えばこの人が来てくれなきゃあたいはここで終わっていた、他方に迷惑かけて四方八方に無様晒して、利用されるだけされて地獄見て死んでいた、そこを掬い上げてくれたのがこの人
なら、この先の命はこの人の為に使うのが道理だろう
「いいぜ、部下になってやる…だがその前に名前聞かせろよ、デカ女」
「ん、ネレイド…よろしくね」
「ああよろしくなネレイド…いや、よろしくお願いします!御大将!、必ずあんたにてっぺんの景色見せてやるから!」
「うん…よろしくね、ベンちゃん」
「いやその呼び方は…いやいいや、好きに呼んでくれよ!」
この人の為に戦おう、この人の下であたいはあたいのやり方を通す、あたいなりの八神族としての役目を果たし守る物は守り、この人への恩を返す!
そんでいつか、今度はあたいが御大将を守ろう…!その為にも強くならねぇと!誰にも負けない為に!
───────────────────
「か…はぁっ…!」
走る袈裟の切り傷、全身を襲う激痛と衝撃にベンテシキュメは処刑剣を取り落とし崩れるように倒れ込む
負けた、最後の最後で…アマルトとの斬り合いに負けた、いや違う…最後の最後でこいつが、この男があたいを超えて行きやがった、上回られたのだ…あたいが
「くそ…が…、負けられ…ねぇ…、あたいは…御大将を…」
負けられない、負けたくない、御大将を守ると息巻きながらも神敵の進行を抑えられずエノシガリオスまで突破され、御大将を戦場に引きずり出してしまったのだ
これ以上無様を晒したら、あたいは…神将ネレイドの第一の部下を名乗れねぇ!
「まだやるかよ…!」
「大将がまだ戦ってんのに!…、先に寝る部下が何処にいるよォッ!」
倒れた体を引きずって、地面を這いながら処刑剣を目指す、まだだ…まだ負けられねぇ、まだあたいはあの人に追いつけてない、あの大きな背中を支えるだけの力を手に入れてねぇ
守ると決めた責任を!果たしてねぇのに!…止まれねぇ…止まれねぇよぉ、くそぉ…
「………………」
「御大将…御大将…、あたいは…あたいは…」
血と共に涙が溢れる、意識が霞む…
体が動かなくても、腕だけを伸ばす、痛みも倦怠感も乗り越え…ただひたすらに手を伸ばす、剣に…そして、遥か高みにいるあの人に
あたいを救い出してくれたあの人に…あたいは……あ…たい…………は……ぁ
「ぅ…ぁぁ……」
「…よくやるよ、すげぇ根性だ」
アマルトは剣を振り払い、纏った血を消し去りながら鞘に収める
勝負はついた、ベンテシキュメに最早意識はない…というか普通に動けるだけの体じゃなかった
だというのに、それでも彼女は諦めなかった、最後の最後まで何かを目指してひたすらに動き続けた
白目を剥き、完全に意識を失ったベンテシキュメの手には、処刑剣が縋り付くような形で強く握られていた、死ぬ気で届かせたのだ あそこまで手を
そこにアマルトは言い知れぬ敬意を感じる、ベンテシキュメという女をそこまでさせる何かがあったのだ、何かの為にあそこまで戦ったのだ、今は敵対しているが…それでもアマルトは其処には敬服する、一人の剣士として
「ベンテシキュメ、あんた強かったぜ?俺よりもな…でも、今回は単純に 俺の方が負けられなかった、ってだけさ」
そう、それだけだ…結局一番負けられない奴が勝つ、そういうもんなのさ
何せこちとら、五人の仲間の為に戦ってんだからよ
「さてと、んじゃあ俺も…行く…か…なぁ?、あれぇ~?」
ラグナ達と合流しようと足を動かしたところで、足の裏は地面を捉えずスルリと抜けて倒れ込む、体に力が入らないのだ…
「やべ…そう言えば俺、死にかけだった…」
ハイになって忘れてたが、そう言えば俺…死ぬ寸前に行くぐらいボコボコにされてたわ、その上で魔女の力を借りるなんて無茶したんだ、その負荷が一気に体にのしかかってきた
やべぇ、これガチでヤベェよ…マジで死ぬかもしれねぇ、勝つだけ勝ってそのあと死ぬとか…マジで……
「ぅ……こりゃ…どうにも……」
霞んでいく意識と閉じられていく瞼に必死に抗うが、最早瞼を開けていられるだけの力も残ってないアマルトは静かに…、瞼をくっつけて……
魔女の懺悔室の大通りで行われた魔女の弟子アマルトと神将ベンテシキュメの激闘、その終幕は両者ともに大地に伏すという、勝者なき終わりを迎え…ここは一旦幕を閉じることとなった
…………………………………………………………………………
各地で魔女の弟子と神将達の戦いも終幕に近づき、この魔女の懺悔室での激闘も終わりに向かい始めたその頃
次々と倒れていく神将が、最後の希望を託した女と
死に物狂いで勝利を収めた魔女の弟子達が、最後の希望として信じる男は未だぶつかり合う
「おりゃぁぁぁぁあああ!!!」
「んんゥゥ~~~ッッ!!」
魔女の懺悔室の中央に存在する神殿にも見紛う氷の宮殿の城門が前にて、激突する二つの拳と掌
魔女の弟子最強の男ラグナと神将最強の女ネレイドの決戦は今もなお続く、両者は互いの拳が触れる程の距離にて拳を握り、超高速の乱打戦に臨む
烈火の如く相手を攻め立てるラグナの拳は残像を残す程の勢いで次々と放たれ
霊峰の如き威容で相手を覆うネレイドの掌は影すら残さぬ程の速度で代わる代わる放たれる
速さと力強さをぶつけ合う拳と拳の応酬は、ドラムロールよりなお早き殴打音を響かせ続ける
「どぉぉっしゃぁぁああああ!!!」
「んんんんんーーーーーーっっ!!」
終わりが見えない綿密な乱打戦、しかし…それも長くは続かない事を二人は知っていた
「ぐぅっ!?」
片方が乱打をやめ、あまりの激痛に膝をつく…、負けたのだ 近距離戦にて無敵を誇った筈の存在が、初めてどつき合いに負けて膝をついたのだ
自らのアイデンティティと言ってもいい肉弾戦に負け、一か八かで持ち込んだ乱打戦にも負け、冷や汗をたらりと流し…震える
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「もう終わりか?、まだまだだろ?なぁ?…ネレイド」
「ぐっ…!?」
そうラグナは拳を構えて膝をつくネレイドを見下ろす
乱打戦に負けたのはネレイドだ…、オライオン最強のネレイドが、四神将最強のネレイドが、対アルクトゥルス戦に於いて圧倒的有利を誇る夢見の魔女リゲルの弟子ネレイドが、今 ラグナを前にして敗北したのだ
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「こんなに…強いのか…、争乱の魔女の弟子」
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クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
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大聖女資格があったのは、その時まだ8歳だったクリスローズだけで…。
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全5章、最終話まで執筆済み。
第1章 6歳の聖女
第2章 8歳の大聖女
第3章 12歳の公爵令嬢
第4章 15歳の辺境聖女
第5章 17歳の愛し子
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