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九章 夢見の魔女リゲル

262.魔女の弟子と湯煙決戦

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ズュギアの森に聖女あり、名を聖女ナリアール

彼女は危険であるが故に今まで歴代の聖女達が立ち入ることすらなかった大森林地帯であるにも関わらず そこに苦悶に喘ぎし民あるならばと、その身の危険を顧みず歩みを止めない不屈の女傑である

数年前に引き起こされた例の事件が引き金となり 今まで辛うじて保たれていた森の民達の生活は一変した、周囲に魔獣犇めき 先祖達が整えてきた生きる土壌が破壊され、明日の命さえも分からぬ程に…

聖都に助けを求めようとも神聖軍は今邪教アストロラーベの処理で手一杯、とても国内随一の危険地帯に兵を割く余裕はない、故にこの惨状はそのままにされてきたのだ

そんな絶望の中に現れた聖女は、聞いた事もないような美しい聖歌で人々を奮い立たせるどころか お供の守人と共に村の問題を次々と解決していくのだ

『村と街の間の道で起こった倒木を押しのけてくれた』

『村の近くにできた魔獣の巣を打ち払ってくれた』

『畑を荒らす魔獣の群れを打ち砕いてくれた』

『脆くなった地盤を押し固めてくれた』

などなど、その感謝の言葉は尽きる事なく語り継がれ 皆が彼女の名を讃え今日も祈りを捧げる、彼女の残した聖歌を皆で歌いながら……

「おお!、本当に来た!隣村の奴らが言っていた『夜天の聖女』だ!」

「嘘じゃなかったんだ!本当だったんだ!」

「聖女様!聖女様!、我等をお救いください!!!」

ズュギアの森の奥深くに存在するオネイロ村の入り口にて集まる村人達は 木々の奥より現れる馬橇を見て歓喜する、この村に馬橇が現れることはない 精々隣村から親戚が遊びに来る程度…故に理解する

あれは 最近村々を巡っている聖女、キラキラと煌めく綺羅星を纏いながら聖歌を寿ぐ『夜天の聖女ナリアール』の到来であることを

「聖女様ー!」

「あ!、馬橇から顔を出したぞ!あれが…!」

民衆の声に反応して馬橇の奥から現れる聖女を見て、皆息を飲む

『夜天の聖女様は凄く凄く美人なんだって』そう話に聞いてはいた…、故にみんな思い思いの美しい聖女を想像した、がしかし 残念ながらその想像があれに及ぶことは無かった、そんな想像全てなぎ倒す程に 現れた聖女は見目麗しかったのだ

まるで 満月の夜の如き紫の髪 白雪よりも美しき白い肌、大きな目は憂いを帯びながらもわずかに微笑む口元は希望を感じさせる、何より着込んだ白いドレスはやや幼い体つきを更に神々しい段階に高めており…

「綺麗…」

誰かが口にしたその言葉が、結局の所それが心理である、ただ綺麗ただ美しい…ただそれだけであるにも関わらず人とは惹きつけられてまう生き物なのだ

「我等は夜天の聖女ナリアールとその一行である、ここはオネイロ村であっているか?」

ふと、聖女の隣に立つように現れた青髪のシスターの言葉に 馬橇は停止し村の前に停まる

「は はい、その通りでございます 聖女様!」

「うむ、聞くところによるとこの村 近年不作に悩まされていると聞くが真実か?」

「はい、魔獣達に畑が荒らされ土が死んでしまい…収穫量が激減してしまい、若い男の衆も頑張ってはいるのですが とても狩りだけではままならず」

二年前起こった火傷の男と四神将の戦いの余波は凄まじく、山に住まう魔獣が纏めて山を降りて森へと住処を移してしまったのだ、お陰で今までなんとか生きて来た森の民達はその生活を破壊された

この村は先祖代々守り抜いて来た畑を魔獣に踏み荒らされた、荒らされた畑は神の加護を失い 作物は激減、食うに困り狩りに行こうにも魔獣が闊歩する森では限度がある

堪らず聖都に助けを求めたものの今まで返事はない、森の外のことはわからないが聞いた話では神聖軍が邪教討滅の為出ずっぱりな所為でこちらに回す人員がないそうなのだ

見放された、もう救いはない 誰もが下を向く、絶望が肩に乗る その重さに負けて皆が首を垂れていた

……そんな中現れてくれた聖女は、星光のような笑みで そして、雨のように寂しげな目で、こう語る

「そうですか、…よくぞ 今まで耐えてくれました、ですがもう安心です、私がこの村に 神の祝福を届けに参りました」

「聖女様……」

「故に前を見なさい、上を向きなさい、神にその面を見せるのです…我が聖歌と共に」

歌おう、暗いから歌おう 辛いから歌おう、下を向いていては歌えない、歌うなら 踏み縛って上を向いて歌おう、聖女ナリアールの手を広げた姿はまるで聖母神アケルナルの神像のようだと村人達は自然と祈りの姿勢を取っていた

「さぁ、みんなで歌いましょう この逆境、我等が信心で跳ね除けましょう!」

そうしてナリアールは大きく息を吸い、口を開け …聖歌を歌い上げる

………………………………………………………………

「ありがとうございまーす!、聖女様ー!!」

背後に響く歓声を受けながら ラグナは馬橇を動かしオネイロ村を後にする、今日も聖女劇は大成功だったようだ

「お疲れさん、ナリア 疲れてないか?」
 
「大丈夫ですよラグナさん、でも僕最近自分が聖女な気がして来ました」

「うん、休め」

ムシュモネ村にて、ひょんなことから始まったナリアの『聖女ナリアールの救済の旅路』、それに乗ってより早くも数週間、あれからいくつもの村を巡った 多くの者達を救い 心ばかりの物資を分けてもらいながら俺達はこの巨大な森林地帯の向こう側にある聖都エノシガリオスを目指している

「しかし、二年前にあったという火傷の男と四神将の戦いの傷はかくも深いか」

「だな、あっちもこっちも魔獣の被害だらけ…、危ねぇ村もいくつかあった」

メルクさんが難しい顔でため息を一つ吐く、二年前起こったネブタ山での決戦の所為で山の魔獣が森へと降りて来たのだ、お陰様であちこちで被害が出ている

前行った村は毒を分泌する魔獣が木々を腐らせてえらいことになっていた

その前は作物を食い荒らす小型の魔獣が大挙して村を襲っていた

さっきの村もまぁ畑が酷い有様だった…、村人達はこの森という極限の環境で生きている、故に変数が加わるだけであっけなく暮らしは破綻するのだ

だからみんなナリアの聖歌に救われる、その上で俺が魔獣を倒したり木を片付けたり 畑を耕し直したり肉体労働しまくって元に戻している、本当なら神聖軍がやるべき仕事だが まぁいいじゃないか、こっちも見返りは貰ってるしな

「しかし、傷の男ねぇ」

曰くネブタ山に拠点を構えていたという男は 胸元に酷い火傷の跡があったらしい、そいつはテシュタル教を根底から覆す活動をしていたようで この国からしてみれば第一級の犯罪者…、おまけに神将を相手取ってやりあって見せるだけの実力まで持ってんだから異常だ

「………………」

そして、その傷の男の話をするとメルクさんが決まって難しい顔をする、テシュタル教と敵対しているなら上手く利用できないかな?って提案しようかと思った受け入れられなさそうだ、まぁもう捕まってるみたいだから無理だろうしな

「…あ、ラグナさんラグナさん」

「ん?、どうした?」

馬橇の中で休んでいるナリアが御者の席まで出てくると、ふわりと純白のドレスが舞い 花の香りが鼻をつく、このドレスは前立ち寄った村で貰った物だ 雰囲気作りに香水もつけているお陰で今のナリアは本当に聖女そのもの…

ただやや露出が激しい上に布も薄い、寒くないのかと聞いたら裏側にびっしり暖房陣を書きまくってるらしい、後は我慢だそうだ 凄い役者魂だ

「ネブタ大山があんなに近くに見えますよ」

「ん?、ああ だいぶ近づいたな」

森を進めば必然ネブタ山にも近づいてくる、数週間進んだお陰で 遥か彼方に見えていた山はもうすぐそこだ、このまま方向転換して山を抜けるルートに切り替えれば大幅な時間短縮になるが…

(近くで見れば見るほどヤベェ山だな、こりゃ超えるのは無理だな)

元々魔女の戦いの余波で飛んできた岩だから とても人が登れるように出来ていない、もう山というより垂直な壁だ、ここに拠点を構えようとした火傷の男は余程肝が据わってるかイカれてるかのどっちかだ

「…ねぇ、ラグナさん」

「んー?、なーんだ」

「ネブタ大山の別名って知ってますか?」

「え?、いや…?」

「エトワールにあるラスコー大霊峰と対になるように配置されたあの山を擬えて、『大間抜けの片出っ歯』って言うらしいですよ?」

「は?」

…あー、うん 確かにエトワールにある巨大山脈のラスコー大霊峰と同じくらいの大きさのネブタ大山、並べりゃ間抜けの出っ歯に見えなくもないが…

「まぁ嘘ですけど」

「嘘なのかよ…」

「エリスさん元気かなぁ」

なんで急にエリスの話になったの…?、間抜けでエリスを連想したの?だいぶ失礼じゃない?、…疲れてんのかな ナリア、なんか遠い目をしてるし

「…あ、ラグナさん そろそろご飯にしますか?」
 
「ん?準備をお願いできるか?、ってか まだ残ってるかな?」

オネイロ村では食糧の補充が出来なかった、あの村は食糧難で苦しんでいた村だからな、幾ら何でもそこから食べ物を取っていくことはできない、代わりに行くつかの防寒具を貰いはしたが…

「ふむ、心許ないな…次の村まではギリギリ持つだろうが…、次のフォルトナ村では補充しないと持たないだろうな」

「そっか、まぁ最悪 獣でも狩って食らうとしようや」    

食糧は心許ないか、まぁ仕方ないさ どこも飢えてるんだ、俺達ばかり腹一杯ってわけには…は…は…

「ブェォッショオィ!!!

「デッカいくしゃみだなラグナ、大丈夫か?」

「大丈夫大丈夫…うう、寒々」

木々を縫うように飛んできた寒風に身を震わせれば、あまりの寒さにくしゃみが零れ出る、うう 寒いぃ

「そうは言うがお前、最近ずっと御者をしている上 夜も殆ど寝ないで番をしてるじゃないか…、飯も殆ど食べていないし…、ただでさえ寒さに弱いのに身体を壊すぞ」 

あー、まぁ 力が有り余ってる俺が御者をするのは当然だし、夜の森で野宿をする時だって 俺が起きてた方が獣も寄ってこない、それに飯も…あんまり食うとなぁ?

「大丈夫だよ、俺は食った分をエネルギーに変えてるだけだから 大量に食べないといけないってわけでもないしさ、我慢しようと思えばいくらでも我慢出来るぜ?俺」

師範によって改造されたこの体は食べた物を即座にエネルギーに変換するようになっているのだ、俺が沢山食べるのは 食べても食べても体に入るからであって 大食漢なわけじゃない、まぁ沢山食べるのは好きだけどさ?今はそんなこと言ってる場合じゃないし

「だが…」

「大丈夫大丈夫、それにほら 最近震えも少なくなってきてるし、この環境にも順応してきたのかもしれない、へっちゃらだよ」

「…震えが少なくって……、むぅ……」

しかし、あんまり震えていると心配させるだろうから なるべく震えは抑えるようにしようか…

…………………………………………………………


オライオンを中央から二分する巨大森林 ズュギアの森、世界有数の大国である魔女大国オライオンの凡そ領土の数分の一を占めるこの広大な森林地帯に点在するように打ち立てられた村々はテシュタル教の間では『山岳信仰派』と呼ばれているらしい

テシュタル教はテシュタル様を拝む これは共通事項であるが、『何を通じてテシュタル様を見るか』と言う点においては これが結構バラけるらしい

星空に神を仰ぎ見る『星光信仰派』、これは魔女リゲル様が所属していることからテシュタル教最大の派閥とされており これこそがテシュタル教として扱われることもあるが 飽くまで一つの派閥でしかない

少数ながらも存在する他の派閥と言えば…

海を通じて水平線に神を見るのが『海洋信仰派』

燃える炎の中に神の世界を見るのが『神火信仰派』

血の中に神を見る『血命供儀信仰派』なんて危ないのもある、いやこれはもうないんだったか

ともあれ、そんな少数派の中の一つが 『山岳信仰派』、つまり雄大なネブタ大山に神の姿を見るのが この村の者達と言うことになる、だからこんな厳しい環境の中でも生きてるって寸法だ

そして当然、信仰するなら教会がある物、山岳信仰派唯一の教会があるのが 山岳信仰派の村々の開祖と言われる フォルトナ村である

このフォルトナ村から住民が移り、生まれたのがこのズュギアの森の村々と言うことになるのだ

全ての村々の中で、最もネブタ大山に近く そして最も大きいと言われる秘境の村、それが…


「ここが、フォルトナ村…」

オネイロ村から馬橇を走らせること四日、俺達が馬橇を引いて旅を初めて既に一ヶ月…ようやくズュギアの森で最も深くにあると言われる大村に辿り着く事が出来たのだが

その様相は他の村とは些か違った

「やはり、最も歴史があり栄えていると言うだけあって、ここは例の魔獣騒ぎの影響を受けていないか」

いつもは俺たちが村を訪れると村人達が総出で祝って出迎えてくれたが、今回はそれがない 

寧ろ村人は何もないかのようにのほほんと外を出歩き、剰えスポーツに興じている始末、平和極まりない

山に近いってことは、いの一番に山から降りてきた魔獣の被害を受けただろうに、それさえ跳ね除ける力がこの村にはあると言うことか…

「おや、旅人様ですかな?珍しいですな」

「え?あ…」

ふと 近くを通りかかった壮年の神父に声をかけられ呆気を取られる、普通の反応だが ここ最近の聖女騒ぎで感覚が麻痺していた、そうだ これが普通の反応だ

取り敢えずややこしいことになるのを防ぐ為ナリアは馬橇の奥で待機するように手で指示する

「あ ああ、一応な」

「そうですか、よくぞ参られました ここまで大変だったでしょう、私は村長のダリルと申す者、この秘境村フォルトナに於ける唯一の教会の神父もしております、どうよしなに」

「教会…、あ 俺はラグーニャです、よろしく 村長さん」

優しげな笑みで握手に答えてくれたダリル村長にこちらも馬橇から降りて手を交わす、しかし教会か…正当なテシュタル教の施設があるこの村では 聖女云々はやめたほうが…

「ん?ラグーニャ…と言うとあれですかな?、最近各地の村を巡って聖歌を届けていると言う聖女様一行の」

「え!?あ…」

知ってたのか…、どうする?ここで『そうです聖女一行です!』って元気に答えたら『よくぞ来た偽物め!ひっ捕らえてやる!』とそこら辺の家々からネレイドとかが飛び出してくるんじゃないだろうな

…いや無いな、なら俺達が来た時点で聖女かどうか確かめるような真似はしないはず、何せ神聖軍は俺たちの顔を知ってるし 村に入った時点で攻撃されてるはずだ

ただ単に、他の村からの評判を聞いただけだろう、ここ最近は村の間で聖女ナリアールの話が飛び交ってるようだし それで聞いた…と思いたい、うん そう思おう

「あはは、知っていましたか」

「と言うことはやはり、いやぁお人が悪い ところで聖女様は?この村にも聖歌を届けに来てくれたのでしょう?」

「あ…ああ、それなら」

出てきても大丈夫そうだと後ろ手でナリアに合図をすると、彼はおずおずと されど優雅に、聖女スイッチを入れた状態で馬橇の中から姿を現わす

「ご挨拶が遅れましたわ、神への祈りに夢中になり過ぎるとは 私もまだまだ精進が足りません」

「おお!、貴方が夜天の聖女ナリアール!いや 噂に違わぬ高貴な面持ち、神に選ばれた血筋の現れですな」 

「私が神に選ばれたのではなく、神が私を通じてオライオンの敬虔な信徒達を救う事を選んだのです、だから私だけが特別…と言うことはありませんよ」

クスリと妖艶な笑みを浮かべるナリアはとても男には見えない、ここ数週間の聖女生活でその演技にも磨きがかかっている…、これなら この村でも正体がバレることはなさそうだ

「しかし、神父様?この村はとても栄えているように見えます…、私がここで微かに見ただけでは 聖歌を必要とするほど困窮しているようには見えませんが」

「我々が聖歌を頼みたいのは 我が山岳信仰派の信徒達の間で聖歌隊を作りたいので、その指導の為と…お話していませんでしたか?」

「あ、その 最近忙しくて…ごちゃごちゃに…」

「そうでしたか、いえ このフォルトナ村は確かに栄えてはいますが 他の村々はそうもいきません、皆困窮し絶望し日々を送っている始末、故に その絶望を少しでも和らげる為、山岳信仰派も星光信仰派の様に聖歌隊を持とと言う話になったのですよ、なのでそのコーチ役を…と」

なるほどね、聖都にいくら頼んでも人手を寄越してくれないから せめて村人を勇気づける為 聖女だけでも貸してくれないかと依頼していたのか…、自分達でこの森全体を勇気づける為に

ただ、そんな願いすらも蹴られて 今の今まで聖女がやってこなかったから、他の村はあっという間に廃れていったと…

うーん、聖都も無責任だが このフォルトナ村もフォルトナ村だな、聖歌隊を作ろうなんて言う前に普通に人手を他の村に回していれば…なんて思ってしまうな

「コーチですか、私に務まるならば 善処致します」

「それはありがたい、聖女様の歌の腕前はこちらの耳にも入っております 皆聖女様から指導頂けるのを楽しみにしておりました」  

「うむ、なら早速やろうか?、ここで立ち話をしていては聖女様も体を壊される」 

「ああ、でしたら今日の所は宿でごゆるりとお休みください、聖女様が来た時のために 一級の宿を用意してありますので」

「一級の宿…?」

そう語るダリルはやや自慢げに背を向け 歩き出す、その背中には言い知れぬ自信に溢れており…

「聖女様達も聞いたことはありませんか…、このフォルトナ村の伝説を」

「伝説ですか?、申し訳ありません 思いつきませんが…」

するとダリルは目の前に聳えるネブタ大山を見上げ、フッと笑うのだ…このフォルトナ村の伝説 そう口にしながら

…伝説か、ここに来るまでそんなもの聞いたこともないが

「フフフ、元々このネブタ大山は天より飛来した神界の岩であったと言う伝承があるのです、その時大地を打ち据えた岩は山となると同時に…この村に恵みを齎したのです」

「恵み…ですか?」

「ええ、そもそも我等山岳信仰派が誕生した系は……」

ポス ポスと雪に窪みをつける様に歩くダリルの後を追う、彼の話はややもったいぶる様な言い方なので俺はやや注意を村の方に移しながら周りを見る

この村の様相は他の村とは違う、それはこの村に来た時面食らった要因の一つでもあるんだが…

(家の建て方から何から全部違う)

オライオンの主要な建材は黒々とした分厚い石材だ、だがこの村はどうだ?木組みの家でなんとも寒そうだ…、だと言うのに村の人間達は寒さに凍えている様には見えない

何故か、それは何故かこの村の中だけが暖かいからだ、妙に空気が熱を持ってるというか この村にいる限り俺も寒さに身を震わせる事がないほどには暖かい…いや温かい?

異様だな…、そんな感想を口に含みながらふと 気がつく

川…というにはあまりに小さな水流が家と家の隙間を這う様に流れていることに

おかしい、あんな小さな水流なら瞬く間に凍って流れることもないだろうに、なのに水は水のまま森の方へとチョロチョロと流れて…ん?、あの水 湯気を帯びてないか?

(まさかあれ、お湯か?…どっから流れてんだ?)

お湯だ、お湯が流れている、お湯だから凍らず寧ろ雪を溶かしながら進んでいるんだ…、なるほど あのお湯の水流がそこかしこに流れて熱気を放っているからこの村は温かいのか

しかし、誰かが沸かせて流している様には見えない…何処から来てるんだ?、そんな疑問と共に水流の出先を目で追っていると

「ダリル殿、この村や山岳信仰派の歴史は気にはなるが 今はまずそのフォルトナ村の伝説と我等の宿について教えてもらえないだろうか」

「おお、これは失敬 よく村の子供達からも言われるのですよ、ダリル爺様の話は長すぎると この間なんて私が話をしている時…」

「ダリル殿?」

「ああ!これまた失敬!、話しすぎるのが私の悪い癖で…宿の話でしたな?、実は聖女様がこちらに向かっていると聞いた時からここを使っていただこうと村の者達で整備し掃除しておいたのですよ、それがこの大宿…、そして」

湯気立つ水流の出所を探れば 辿り着くのは一つ、それはこの村で最もネブタ大山に近い それこそ背に構える様な大きな木組みの堂、そして ダリルもまたそこで立ち止まる

「この村での名物 『温泉』のある宿にございます」

「温泉…?」

メルクさんが眉を顰めると同時にはたと顔を上げ飛び上がるのは

「温泉!?ああ!、ここか!オライオンに於ける伝説の秘湯があるっていう村!、ああ!秘境村!そういう事か!」

「おや 聖女様は知っていましたか」

「あ…おほん、ええ この村の話はよく聞き及んでいますよ、如何なる傷さえ治す奇跡の湯が沸く村と」

「へぇ、すげぇな…」

で温泉ってなんだ、ポルデュークじゃ有名なのかな と首を傾げているとメルクさんが耳打ちして教えてくれる

曰く、お湯を張った浴槽に肩まで浸かる文化の事を『入浴』と言うらしく、温泉とは自然に湧き出た熱湯を使って行う入浴らしい…

らしいらしいってのもこの入浴の文化はカストリアにはあまりない、一応マレウスにもあるらしいが よく知らん、つまり入浴は俺たちカストリア組にとって未知の文化だ

「この宿にはこの村一番の温泉がある事で有名なのです、今回の時のような場合くらいしか開きませんがね?」

「と言うことは我等はここに宿泊していいと?」

「ええ勿論ですよ、開くのは数年振りなので少し汚かったですが 先日村人総出で掃除した甲斐がありましたよ」

「へぇ……ん?」

ふと、先ほどのダリルの言葉を聞いて 何か引っかかる、ダリルの言葉になんらおかしい点はない、しかし…何かを見落としているような

「さぁどうぞ、旅で疲れたでしょう?先に入浴されて今日はゆるりとお休みくださいませ」

「ああ、ありがとう…」

なんで俺の考えはダリルの言葉に遮られ、そのまま中に引き込まれるように案内される

宿もまた暖かな木造設計、温泉の熱気が伝わるのか室内はやけに暖かく ここに住んでもいいかな…って思えるくらい気分がいい、何よりこの独特の匂い たまらんなぁ

「さ、ここが温泉の入り口です こちらが男性用、こちらが女性用で分かれておりますので…」

「悪いな何から何まで」

「温泉…楽しみですね、メルセデス ラグーニャ」

「そうだな、名湯として有名なら 俄然楽しみってもんよ」

宿の室内に取り付けられた 赤と青の垂れ幕、この向こうに温泉があると言うのだろう、まぁ何はともあれ旅の疲れが癒せるならそれを享受するべきだろう、メルクさんも俺も…特にナリアも疲れている、ここで一息つくのは間違いではない

「それじゃあ、また後でな」

「そちらも楽しんでくださいね メルセデス」

「ああ、私は一人でゆっくりさせてもらうよ ラグーニャ ナリアール様」

そう軽くメルクさんに別れを告げながら俺とナリアは二人で男湯の垂れ幕を潜り温泉へと向かい………… 




「…………おや?、何故 ナリアール様が男湯に……」

……………………………………………………………………


「僕温泉入るのなんて初めてですよ、ラグーニャさん」

「ここじゃあ誰も聞いてないんだから演技しなくても別にいいだろう?」

「確かにそれもそうですね」

温泉の脱衣所にてナリアと共に服を脱ぎながら用意された籠に脱いだ服を入れる、…その隣には立派な神父服の入った加護が二つ、ああ これか用意してある着替えってのは

律儀に着替えも用意してくれているなんて気が効くな

「ふぅ、服を脱ぐと なんかこう…気が抜けるな」

「…はわぁ、ら ラグナさん筋肉凄いですね…」

「え?」

ふと見ればすっぽんぽんになったナリアが顔を赤くしながら俺の腹筋を見ていて…、ってナリア細いなぁ!?全然筋肉ついてないじゃないか!、俺そっちの方が不安だよ…

「そう言うお前は細いな、ナリア ちゃんと肉食ってるか?」

「僕の場合寧ろ余計な肉がついちゃうとお仕事に支障が出るので」

それもそうか、ナリアはエトワールじゃあ男でありながら女優をやってるんだったな、女性的なラインを作ろうと思うと俺みたいながっしりした筋肉は寧ろ邪魔か、そう言う意味ではナリアのこの体も一種の鍛錬によって作られた珠玉の肉体と言えるのか

「…でも、筋肉に憧れがないがじゃないんです、あの 触ってもいいですか?」

「別にいいけど…、ありがたいもんでもないぞ?」

「いえいえ十分ありがた…ひゃわ、すっごい硬い…人間の体ってこんなに硬くなるんだ」

そりゃ師範から『鋼よりも硬い体になれラグナ!』とかなんとか言いながら金属製の棒でボカボカどつき回されたからな、こうならなきゃ生きていけなかった…、まぁ アルクカース人はそもそも鍛えたらこうなる素養はみんな持ってるから 別に珍しいものでもない

寧ろ俺が珍しいと思うのはナリアの体の方だ、顔は見るからに女なのに体は男、付いてるもんも付いている、こうしてこの目で見るまでナリアが男だと信じられなかったくらいだ

「お前ちゃんと男なんだな」

「どこ見て言ってるんですか!?」

「いやぁ、ごめんな?実は今まで疑ってたんだ…こいつ実は女なんじゃないかって」

「男ですよ!僕も!」
 
「悪い悪い、さ? 風邪引く前に温泉とやらに入ろうぜ?ナリア」

こいつは男、それを再確認しつつ俺はナリアの肩を押しながら共に脱衣所の向こうにある温泉のある場所へ向かい 奥の扉を開けて…

「って外じゃん!」

扉を開けた向こうにあるのは雪景色、しんしんと積もる雪だけが広がり…って、よく見たら雪の向こうに湯気が見える、ああ あれが温泉か?

石で円形に区切られた地点にお湯がプカプカと湧いているのが見える、あれが…温泉か

「わぁ!、露天風呂だ!それも雪景色を見ながらの…なんて幻想的なんだろう、このままずっと眺めてたいくらいですよ」

「いやここで眺めてなら死ぬよ!凍え死ぬ!、早く入ろう入ろう!」

目をキラキラさせながら目の前の幻想的な光景に感動するナリアを腰に抱えてそのまま雪を踏みしめとっとと温泉に飛び込む、肌を刺すような雪の痛みから一転 お湯に飛び込めばそれはまさしく極楽…

「あったけぇ…」

お湯加減はまさしく絶妙、熱すぎず されど温くない、肩まで浸かれば全身の血管が喜んで広がり 心臓がバクバクと鼓動する感覚が内より溢れてくる、これが入浴か…すげぇな いいなぁ

「あはは、あったかーい…」

「なぁ、一生入ってたいよ」

プカプカと大の字になって浮かぶナリアを横目に石に背中を預け一息つく、今の今まで旅の疲れが溜まっていた体からあっという間に疲労が抜けていく、なるほど傷を癒すってのも納得だな

「…エトワールにも一応温泉はあるんですけど、ここまで良質な温泉に入るのは初めてです」

「温泉にも良し悪しがあんのか?、お湯だろ?これ」

「それが違うんですよ、天然で沸いた温泉って 大地の力を存分に吸っているから体にいいんです、それが肌で感じられるほどにこの温泉はその力が濃い…多分、このネブタ大山の恵みなんだと思います」

そう言いながら目の前に広がるネブタ大山を見上げるナリアはポツポツと説明してくれる、なんでも温泉というのは大地の底に溜まった水が何かの拍子に吹き出したものがそれらしい

恐らく この山…ネブタ大山が巨岩としてこの大地に降り注いだ時 大地に巨大な亀裂が走ったのだろう、その亀裂に莫大な量の雨水やら何やらが堆積し 長い年月をかけて温められて、その過程で大地の養分を吸って蓄えられ続けていた、それが この温泉の正体だと

別にこの温泉がどうやって生まれたかはどうでもいいが、そっか…つまり温泉ってのは山があれば何処にでも出来る可能性はあるってことだよな、ならアルクカースの山も掘ったらこういうのが出る可能性があるのか、帰ったら試してみよう

きっとメルクさんも今頃この温泉に商業的な価値を見出していることだろう…

なんて、考えていると ふと、気になることが出来た…

「エリスは温泉に入ったことはあるのかな」

エリスは各地を旅している、当然俺が体験したことのないような出来事にも出会っている、なら どっかで温泉に入っていてもおかしくないよなってさ

「…どうでしょうかね、カストリアではあんまり温泉は主流じゃないって聞きますし…、あ でもマレウスにも一応あるのかな、前マレウスには物凄い大規模な温泉街があるって聞いたことが…」

「もし、入ったことがないなら 連れてきてやりたいな」

「………………」

黙ってしまった、ナリアが…

その顔は エリスを心配している顔か、エリスが捕まって その安否が分からない状況でこんなに楽しんでいていいものかという顔か…

「エリスさん…大丈夫ですかね、アマルトさんも メグさんも、みんな…」

俺だって三人が心配だ、みんなと別れてそろそろ一ヶ月 エリスは俺達と別れても単独ででもエノシガリオスを目指すと言っていた、なら もう監獄を抜けていてもいい頃だけど…

エリス達が居るであろう大監獄の名はプルトンディースだ、プルトンディースの名前は俺だって知ってるくらい堅牢で知られる恐るべく辺獄だ、今まで脱獄出来たのは三魔人の一角 山魔モース・ベヒーリアしかいない位には厳重な警備が敷かれている監獄

いくらエリス達三人でも 脱獄は無理なんじゃないか?、やっぱり俺達も助けに行った方がいいんじゃないか?、いくら俺たちだけでエノシガリオスに辿り着いても レグルス様を解放するにはエリスの力が必要だし…

「エリス達を信じよう」

そんな不安を吹き飛ばすように、自然と俺の口から湧いて出たのは エリス達三人への信頼だった

そうだ、あそこはプルトンディースだが そこに挑むのはエリス達なんだ、あいつらの実力の高さは俺もよく知っている

エリスは数々の困難を打破してきた実績があり 今まで物凄い数の牢獄に入れられて出てきた経験もある

アマルト程抜け目なく、かつ不屈の心を持った男を俺は他に知らない、あいつなら例え地獄の底でも這い上がってくると確信している

メグの技量は世界随一だ、なんでも出来るしなんでもやる、俺が側にいるよりメグが居た方が脱獄の助けになるとさえ思える

あの三人なら どんな場所でだって切り抜けられる、そうだ 信じよう…三人を

「そうですね…、もしかしたらエノシガリオスに着いたら僕達を出迎えてくれるかもしれませんね?」

「ははは、ありえるなぁ?でもそれは悔しいから 先に俺たちがエノシガリオスについて、エリス達を温かく出迎えてやろうぜ?」

そんでもって互いに何かあった苦労自慢でもして、めっちゃ飯食って めっちゃ笑いあって、肩叩き合って背中あわせて…史上最悪の魔術師に挑もうぜ、なあ?みんな…

「さて、そろそろ出ますか?」

「そうだな、あんまりゆっくりするのもあれだしな」

そろそろ体も温まったし 出るかと二人で湯気を纏いながら立ち上がり、ポカポカした心地で雪を踏みしめ脱衣所に戻る

二人で共にお湯と汗を拭い、二人で服を着込む 神父服は用意されてるけど、取り敢えずいつもの服の方が落ち着くし…

「ん?」

ふと、着替えているナリアが目に入る…、村人から貰った白色のドレスを手にそれを着込もうとしているナリア…の、格好を見て…

「ナリア、お前 女物のパンツ履いてるのか?」

「え?」

ふと、目に入るとは黒色のパンツと黒色のネグリジェを着てドレス片手に素っ頓狂な顔をしているナリアの姿だ、お前 下着まで女物なの?

「はい、そうですけど 何かおかしいですか?」

「………………いえ」

なんか、おかしくない気がしてきた…むしろ気にしてる俺の方がおかしい気がしてきた、そうだよな ナリアは服も女物なんだから下着も女物だよな、うん…

やめよう、意識するの…疲れる

ドレスを着込むのに手間取るナリアを置いてそそくさといつもの服に着替えれば、先程まで張り詰めていた緊張が戻ってくる、思考もまた 冴え渡り ふと、脱衣所の垂れ幕から顔を出して外を伺うと

(…ん?、ダリルがいない?)

この村の村長であるダリルがいない、まぁアイツも四六時中俺達についてるわけではないだろうから 別に不思議ではないが…、気になることが一つある

(ダリルが言っていた言葉がどうにも気になる…)

俺はエリスみたいに記憶力が抜群ってわけじゃないから さっきの会話の詳しい部分はもう薄れつつあるので思い出すだけでも時間がかかる、ここにエリスがいたら聞くだけで全部確認出来るんだが ワガママは言えない

けど、漠然とした違和感だけが残る…俺の直感が『この違和感を無視するな』と警鐘を鳴らすんだ

(………………ん)

ふと、垂れ幕から顔を出しながら周囲を見回すと やけに部屋が多いことに気がつく、そう言えばダリル 『こういう時しかこの宿は開かない』と言っていたな…、つまり普段は開けておらず宿泊客には開放してないことになる

なら、こういう時っていうのはどういう時だ?…、聖女が来た時?違うだろ だって聖女は未だかつて一度としてこの村を訪れたことはないというし、なら…

「ハッ!…まさか…!」

気がつく その可能性に、そして憂う 己の迂闊さに、マズイぞ 俺の予想が正しければ、『この宿には泊まらない方がいい』!、なんなら直ぐにでもこの村を離れて…!


『────い…す、我々──に…、そういう事でしたら──ええ、ええ─でしたら…』

外から声が聞こえる、ダリルの声だ、俺達に対して出していたへりくだるような声音で外で誰かと話をしている、まさかと衝動に駆られ 慌てて宿の外に飛び出し…そうになりつつそろりと顔を出して外の様子を伺えば

「ありがとうございます、この村には良質な宿があったことを思い出しましてね、ここを拠点に疲れを癒そうかと…」

「でしたらどうぞ我らが温泉にてその身の疲れを癒してくださいませ、歌神将ローデ様ならばどのように使っていただいても構いませんので」

「そう言ってくれるとありがたいですぅ」

ダリルがへりくだるように頭を下げだ相手は…神将だ、神聖軍を引き連れた歌神将ローデだ!、やっべぇ!やっぱりそうだ!この宿 二年前の傷の男との戦いで神将が拠点に使ってたんだ!

『この宿は要人にしか使われない』『前使ったのは数年前』『二年前神将がこの森を訪れてから外から人間は入っていない』これだけの材料が揃っていれば思いついてしかるべき可能性

『ここは二年前の戦いで神将が使用した村、そして神将はこの村の有用性を理解している』その可能性だ、なら奴らは他の村に脇目もふらずここを目指して進んでくるのも必然…、ほぼ俺達と同じタイミングでここに辿り着くのは些かタイミングが悪過ぎる気もするが…

(やべぇ…、追いつかれちまった…)

ともあれ、遂に神聖軍に追いつかれてしまったのは確かだ、しかも…相手は思いつく中で最悪の相手 歌神将ローデ…、奴は聖歌隊の総隊長 つまり俺たちが演じている聖女の直属の上司…

邂逅すれば間違いなくバレる、嘘がバレる そうなったら終わりだ、ど どうする…!

「ああ、そう言えば丁度今しがた聖女様もこの村を訪れましてね、今宿に泊まっているところなんですよ」

「……聖女が?、名は?誰がここに来ているのですか?」

「夜天の聖女ナリアール様です」

「……はて、聞かない名前ですね そんな者、私の配下の聖女達の中にいましたかねぇ」


やっべぇ!早速バレかけてる!、もうダメだ 誤魔化せない、とっととズラかろう、こんな森の只中で神聖軍に包囲されたら終わりだ、温泉なんか入ってる場合じゃねぇ!

「ふぅ~、いい湯だったなあ 、ナリアール」

「はい、とっても気持ちよくてポカポカです」

「ッッーー!二人とも!」

丁度男湯女湯の垂れ幕から出てくる二人に対して大慌てで駆け寄れば、俺の青い顔を見て二人も何かあったと悟ったのか、眉を顰め

「どうした、何があった」

「やべぇぞ!神将だ!歌神将ローデがこの村にやってきた!」

「何!?」

「ローデって聖歌隊のお偉い様ですよね!、そんな人相手に聖女の演技なんかしても直ぐにバレちゃいますよ!」

「バレかけてんだよもう!、兎に角急いでこの宿を離れて…」


『こちらの宿ですか?聖女が宿泊しているのは…』

「ッッ!!??」

近付いてくるローデ達神聖軍の足音、このままでは見つかるのも時間の問題だ、隠れるか?いや下手に隠れてローデの中の疑念を確信に変える方が怖い でも…くそっ

考えろ、考えるんだ 今この場を切り抜ける最善手を、最善手を記憶と経験から高速で探る、何がある この場には何がある、あるのは………

「チッ、こんな所で立ち止まって溜まるか…、やるなら 全力でやるぞ 二人とも」

「や やるって、何を…」

「そんなもん、決まってんだろ…」

そう 拳に力を込めて…俺は…

「命、賭けるぞ」


……………………………………………………………………………

我らが神将の頭領たるネレイド様より森に逃げた神敵の撃滅を命じられ、歌神将ローデ・オリュンピアは手勢五百名だけを連れてズュギアの森へと突入した

同時にローデと共に追撃を命じられていたはずのベンテシキュメはと言うと

『ハァ、歌い手さんがこの森を逃げる不信心者を捕まえられるとは思えねぇなあ?、そっちは勝手に森の中でパレードでもしてろよ、神の敵はあたいらで捕まえて皮を剥いでおくからよぉ』

アッハッハッハッ!と高らかに笑いながら邪教執行官達を連れて独自に行動を始めてしまった為、神敵追撃部隊は奇しくも二手に別れることになってしまったのです

ローデ的にはベンテシキュメのああいう反骨魂は大好きなので 好きにさせておく、やはり彼女はああでなくては…

と、それはそれとしてローデは部隊を引き連れまず最初に行ったのが『森の中で活動する為の拠点確保』だ、ズュギアの森の恐ろしさは二年前の戦いで理解している

深く深く続く為視界は悪く 現在地の把握も難しい、その中を獣が闊歩し常にこちらの喉笛を狙っている

食べ物も休息出来る場所も心の拠り所も無いこの森は 出来れば近寄りたく無い危険地帯、故に 拠点を最初に確保する必要があった、そこで思い出したのがフォルトナ村の存在だ

山岳信仰派の発祥の地にしてこの森と共存し繁栄するあの村は軍を置いても問題が無いほどには栄えている、オマケに良い温泉もあります、なら 最初に彼処に辿り着き探索キャンプを作り その後神敵を燻り出せば良い…、そう考え脇目も振らず フォルトナ村へと向かったのです

…が

ローデはフォルトナ村へと向かう道中、このズュギアの森の様子が二年前とは異なっていることに気がついた

二年前 森の中には獣しか居なかった、犬狼や熊などしか生息していなかったはずの森には今 魔獣がウヨウヨと住まっていたんだ

おかしい、たった二年で森の環境がここまで劇的に変化することはないはず…、というか ここまで変化していたら森の民達も聖都に救援を出すはずだ、事実道中立ち寄った村の様子は酷い有様だった

『もう我々はおしまいだ』『聖女様さえ来てくれれば』皆口々に絶望を吐露するその様を見たローデは首を傾げた、何故 こんなことになっているのに私達の耳には情報が届いていないのか

(まさか…、ゲオルグ卿の仕業でしょうか、我々が邪教成敗に集中出来るようにと要らぬ気を回して…、いえ まさか聖王の復権を…?)

心当たりはあった、枢機卿たるゲオルグが 情報統制を行い、ズュギアの森の救援を握り潰して神聖軍に情報がいかないようにしていたのだろう

なんと愚かな行いだ、我々神聖軍は邪教アストロラーベを滅ぼす為に戦ったのでは無い、邪教アストロラーベからオライオンという国を守る為に戦ったのに 、結果的に国が荒れては何の意味もないじゃないか

忸怩たる思いでローデは道中立ち寄る村を救う内 とある噂を耳にした…それは

『聖女様がこの森を訪れて各地の村々を救っている』という噂、聖女はローデの部下である聖歌隊のエリート達の名だ、そのうちの一人が危険も顧みずズュギアの森へと向かい 村人達を救済しているというんだ

何と素晴らしい話か、耳にした時ローデは感動のあまり落涙した方だ、聖女達は皆高飛車で自らの利となる行動以外しかないことがローデの悩みの種でもあったが…、なんだ 中には捨てた物じゃない子も居たんだ

是非あって 聖歌隊総隊長として手を取り褒め称えたい…、そう思っていたのだが

何やら様子がおかしいんだ、名前を聞いてみたら『夜天の聖女ナリアール』なんて名前で呼ばれてるんだ…、そんな子 居ないはずだ、少なくともローデは知らない ローデが知らないということはそんな人物居ないはずだ

…まさか、そう思いローデはナリアールが居ると言うフォルトナ村ほど宿へと向かう

「ここに、ナリアールが居るのですね?」

「はい、先程温泉で体を休めていましたが…、何かあったので?」

「いえ…」

宿の扉の前に立ち 扉の取っ手を掴み、気配を探る…、変な気配はしない

寧ろその静謐さは神聖な空気さえ感じさせる、この中に ナリアールが…

「ッ!…」

故に開く 扉を引きちぎるように開き十字架が繋がれた鎖を掴みながら宿に乗り込む…、すると

「…居ない?」

一歩 宿の中に足を踏み入れれば組み合わされた木目がギジリと擦れる、右 左と首を動かし廊下の先まで見るがいるようには見えない、まだ温泉の中かと思い脱衣所を覗くが…いない

どこへ消えた?まさか我々の到来を察知して逃げたか?、と言うことは偽物…

「あら?、何か聞こえる…?」

ふと、ナリアールを探して宿の中を練り歩いていると 何処からか、何かが聞こえてくる、耳を擽るような軽やかな音程…これは

「聖歌…」

聖歌だ、誰かが聖歌を歌っている、その事実を漠然と脳で受け止めながらも体は自然と歌に引き寄せられる

近づけば近づく程に それは明瞭になる、なんと美しい歌声か…なんと鮮明な技量か、これ程の歌い手 我が聖歌隊にも居ない、一体…

「ここから、聞こえてくる」

自然と辿り着いたのは 宿の中に取り付けられた祈りの間だ、以前来たことがあるから分かる、山岳信仰を支える雄大な山が目の前に見えるこの部屋の景色はまさに絶景で…って今はそれはいい

ここに、ナリアールが居るなら拝みましょう、その面を…!

「失礼します、…誰ですか 聖歌を口遊むのは」

扉を開けて、その奥にいる三つの影をその目で拝む、しかと拝む…

「………………」

そこに立っていたのは…………


「…貴方が、ナリアールですか?」

「…ええ、その通り 私が…ナリアールでございます、ローデ様」

そこに立っていたのは『見たことのない三人組』…、顔を布で隠し黒い布で顔を覆った赤髪のシスターと 青髪の騎士の如き出で立ちの仮面の神父、そして 見る者全てを魅了する純白のドレスを着る 一人の聖女が…そこにいた

……………………………………………………………………

『命を賭けるって、何にですか!』

『演技にだ!、今この場から逃げ出すのも戦うのも難点が多すぎる…、なら 一か八か演技でローデの目を誤魔化すしかない』

そう語るラグナさんは僕とメルクさんを連れて脱衣所に駆け込み…、シスター服と神父服を持ってくるのだ、これから命を賭けて物を演じると

『ローデは以前会った時俺達の顔を見ている…、このまま会えばどんなに上手く演技してもバレるだろう…ナリア以外な』

『え?、なんで僕?』

『ナリアの顔はローデには見られていないはずなんだ』

色々と準備をしながら奥の部屋へ逃げるように走るラグナさんを追う僕たちは悟る、そうだ 僕は先に馬橇に乗り込んでたから詳しく顔を見る事は出来ていなかった筈なんだ

『でも、ラグナさん達は顔を見られてますよね!』

『ああ…名前も顔も全て見られている、だから……』

そこで語るラグナさんの作戦を要約するならば、単純明快 『出来得る限り最大の演技をして、この場を切り抜ける』ただそれだけだった


「…貴方が、ナリアールですか?」

「…ええ、その通り 私が…ナリアールでございます、ローデ様」

宿の奥に存在する祈りの前、最奥に設置された巨大な窓からは雄大なネブタ大山の岩肌が見えている、それを背に僕達は部屋に入ってきたローデと対峙する

僕達の変装も相俟ってか、ローデは僕達に気がついていないようにも見える

そりゃそうだ、ラグナさんもメルクさんも脱衣所に置いてあった服を着て変装してるからね、それも 僕と同じように性別を偽って

メルクさんは神父服とラグナさんの男物の服を組み合わせ 神の騎士の如き様相に錬金術で生み出した無骨な仮面を被り男装を…

ラグナさんはシスター服を着込み風呂上がりのデザートとして用意されていた果実を二つ胸に仕込み偽乳を作り出し、その上で黒い布で顔を覆っている…黒い…布

うん、はっきり言おう あれ僕のパンツだ、丁度顔を隠せるものが他になかった為 咄嗟に渡したのが僕のパンツだった、つまりラグナさんは今女装して他人のパンツを顔に被ってるど変態ということになる、エリスさんには見せられない姿だ

まぁ変態具合で言えば僕も相当だろう、何せノーパンで女装して女のフリしてるんだから、バレたら神敵云々関係なく普通にいろんな罪で檻に入れられそうだ


でも、性別から偽ったお陰でバレてない、バレてない…よね?、相変わらずローデの表情は訝しげだ

いや、そっか…ローデは聖歌隊の総隊長 聖女の事は知り得ている、故に聞き覚えのない『夜天の聖女ナリアール』の名に警戒心と不信感を持ってるんだ

ここから先はノープラン、ラグナさんも『下手に俺がプランを立てるよりお前に任せたほうがよさそうだ、今までの演技を見るにな?』と…任せてくれた

メルクさんもラグナさんも、僕に任せてくれた

今まで戦いではまるで役に立てなかった僕が、初めて二人の…仲間の命を託された

そうだ、僕は守る為にみんなと一緒にいるんだ、守られる為にいるんじゃないんだ、そう ヴィルヘルムさんに誓ったじゃないか…!

(やり遂げる、絶対みんなを 守ってみせる!)

僕の演技で ローデを現実ではない何処か遠くへ追いやり、この場を凌ぐ…これは僕に任された戦いなんだ!、絶対…生き残ってやる!



四神将が一人 ローデ・オリュンピアとの、初めての戦いのゴングが ナリアの心の内で静かに鳴り響いた
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