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七章 閃光の魔女プロキオン

175.其れは胸に秘めた言葉、或いは送り届ける言葉

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姫騎士 ヘレナ・ブオナローティ、この国の王家ブオナローティ家の一人娘であり次代の女王になることが定めづけられたこのエトワールの王族つまり お姫様だ…と、エリス達はフェロニエールに向かう馬車に乗り込みながら共に乗っている商人さんからお話を聞く

その姫騎士ヘレナの事を、…この商人さんの口振りから察するに姫騎士ヘレナはかなり慕われており 曰く『あんなに美しい方は見たことがない』とか『絵に描いたようなプリンセス』だなんて仰られる程だ、しかし

なんで姫騎士なんだ?、姫と騎士は両立できないだろう…、だって姫は主従で言うところの主であり騎士は従、仕えさせる者と仕える者 それが姫と騎士だ、決して一緒くたには出来ない

なのにこの国の方々はヘレナの事を呼ぶときは必ず『姫騎士ヘレナ』と呼ぶ、曖昧なのか?その辺…まぁいいか

エリスがその姫騎士ヘレナに興味が惹かれている理由は一つ、それは…

「あの、その姫騎士ヘレナさんって 本当に魔女の弟子なんですか?」

姫騎士ヘレナはこの国に住まう魔女である 閃光の魔女プロキオンの弟子だ…と、彼らは言うのだ、別に疑うわけではない 寧ろしっくり来る話だ

だってデティもラグナもアマルトさんも由緒ある家系の人間だ、ならこのエトワールのお姫様がプロキオン様の弟子だと言うのなら、今までの例にも合致する

「ああ、間違いないよ 何せ王家直々に発表されたからね」

「それってどのくらいの頃ですか?」

「どのくらいって…確か…、一年くらい前だったか?」

今から一年くらい前というと エリスがラグナ達と共にアマルトさんとバチバチやってる頃か…、まぁ発表された頃がその時期ってだけだからもしかしたらもっと前から弟子入りしていた可能性はあるのだが

ヘレネさんが魔女の弟子だというのなら接触しておきたい、エリス達魔女の弟子達はいずれ来る大いなる厄災の再来を機に結託する定めにあるらしいし、出来るならその前に交友関係を築いておきたい

学園でもそれを目的としていたように、それはこのポルデューク大陸でも変わらない、エリスは旅を通じて他の弟子達とカストリア大陸を繋ぎ合わせるつもりなのだから、というかラグナ達にそういう風に宣言して出てきたんだから、ちゃんとやらないとね

「いやぁ、プロキオン様が弟子を取ったって聞いて、我らエトワール人はそりゃあ安堵したもんさ」

「え?、安心したんですか?」

ふと、商人が胸をなで下ろすように笑う、魔女様が弟子を取って安心したと…

「プロキオン様はここ数十年ほど音沙汰がなくなっていたんだ、どこにいるのか民草は全く分からない そんな状態が長く続いていたからね、何はともあれこういう形でちゃんと存在していることが分かってエトワール人も安心したんだよ」

プロキオン様って数十年も表舞台に出てないのか、まぁアンタレス様もずっと地下にこもってたみたいだし、プロキオン様も気難しい人なのかな

「何?…プロキオンが表舞台に出ていないだと?」

すると師匠はその話を聞いて訝しげに眉を顰める…、どうやらその話には何やら違和感があるらしい

「どうしたんですか?師匠」

「いや…、プロキオンが数十年も姿を見せていない…というのがどうにも信じられなくてな、奴は目立ちたがりで派手好きだ、昔はしょっちゅう自分主演の演劇を開いて世界中にその存在を示していたのに…、そんなアイツが姿を見せないのは どうにも違和感がな…」

目立ちたがりなんだ…、確かにこの国の芸術の全てはプロキオン様から来ているという、美とは賛美されるから美であり、芸とは見られるから芸になる、つまりそれを愛するプロキオン様は天性の目立ちたがり もといエンターテイナーと言える

そんな彼女が国民になんの説明もせずパタリと消える、確かに考えづらいな

「プロキオンに何かあった…んだろうな」

何かあったか と言えば原因には残念ながら心当たりがある、シリウスだ…奴は魔女を操りその体を乗っ取現世の器にしようと今も蠢動を続けている、その毒牙にプロキオン様もかかり 普通では考えられない動きをしているのだとすれば合点が行く

実際、アルクトゥルス様やフォーマルハウト様がおかしくなったのも数十年前からだ、時期も同じ症例も同じ、ならプロキオン様もまた

「…ん?、でもそれならなんで弟子を…」

シリウスの毒牙にかかり正気を失い 本来とは違う動きをしているなら、どうしていきなり弟子を取ったんだろう、いや アンタレス様もエリス達と出会う前から弟子を…いやいや あの人はシリウスの洗脳魔術は殆ど防いでいたみたいだし…ううん、分からない

やはり その姫騎士とやらに会って話を聞いてみるしかないだろう、この国の王族だから会えるかは分からないけど

「おいあんたら、何コソコソ話ししてんだ?」

「ああいえ、なんでもありません」

「そうかい?、ならいいけどよ…」

ふと 商人が二人でコソコソと小声で話し合うエリス達を見て訝しむ、別に酒盗もうなんて考えてませんよ…

「それより、フェロニエールの街が近いぞ ほら、あそこよ」

そう言いながら商人さんが馬車の外を指差す、ズリズリとカストリアの馬よりも数倍はガタイの良い馬が引きずる先には、大きな街が広がっているのが見える

ふむ、やはりというかなんというか、このエトワールという国は街一つ一つを芸術品として仕上げているようだ、何故そう感じるかって?

「不思議な形の街ですね、あれがフェロニエールですか?」

「ああ、高名な画家が大昔にデザインしたって話だぜ?」

遠くの丘の下に見える街、それは中央の広場を中心に五角に突き出た 所謂星型をしているのだ、偶然そんな風になっちゃった!って感じじゃない、明らかに 明確に意図をもってして街を作っている、建造物一つ一つの間を縫う小道も紋様のように見えて非常に美しい

けどさ、そんなの住んでたら関係なくない?、そんなところにまで気を使うの?この国、すごいな本当に…

「フェロニエールに着いたらあんたら好きにしていいぞ?、屋敷の人間が酒を取りに来てくれるからな、駄賃も無しにそこまで手伝ってもらうわけにはいかねぇ」

「いいのか?」

「いいも何も!、あんたらのお陰で酒の積み込みが想定の半分で終わったんだ!、仕事が早く終わるのはいいことだらけだ、先方からの覚えもよくなるし 何より仕事終わりに一杯飲める、この街の酒は美味いからな」

「ほほう!、それは興味深い!是非飲んでみたいものだな!」

「また会えたらいい店教えるよ」

「よしっ!」

グッ!と拳を握る師匠…、そんなにこの国のお酒を楽しみにしていたのか、今のところ師匠の行動理念は酒だけだ、でも確かにエトワールのお酒は絶品だ、ワインもシャンパンも紹興酒も火酒も何もかも、エリスも飲めるものがあったら頂こうかな

なんて思っている間に馬橇は雪の上を滑り星型の街 フェロニエールへの入口へと到着する事となる、この街が…エリス達のエトワールでの長い戦いの 幕開けとなるなんてこと、知りもせず

……………………………………………………………………

フェロニエール 別名星の街、由来はその形から…、数百年ほど前に高名な画家が王都アルシャラのデザインを模して作った 通称『街絵画』の走りとなった街だ、ここもまた例にも漏れず学術より美術が優先され 街人全員が何かしらの芸術を会得している街

それ故か、立ち入っただけで聞こえてくる、どこからともなく優雅なバイオリンの音色が…、どうやらこれ 何処かの楽団が演奏しているわけではなく、家の中で民間人が趣味として弾いているものらしい

その音色に合わせて隣の家のトランペットが吹き そのトランペットに合わせ更に隣のチェロが響く、…誰も何も打ち合わせをせず 街人全員が自然とセッションをすることにより、街全体に常に音楽が鳴り響いているのだ

指揮者無き 楽譜無き 姿無き楽団により街を覆いこむ音色、その美しい音楽に耳を傾けながらエリスは白い息を吐きながらフェロニエールの街を歩く

「ええと、食材は…と」

あれから商人さん達と街の入口で別れたエリスと師匠はそのままフェロニエールの街に乗り込むこととなった、この街でエリス達は馬車…いや 馬橇を手に入れこの国を進む為の足を手に入れる予定…なのだが

「うぅ、雪が降ってきましたね」

パラパラと白い紙吹雪のようにチラチラ振るのは細雪、それを降らす空はだんだんと赤く そして黒くなり始めている、港で船から降りて 馬車で別の街に移動している間に結構な時間を食ってしまった

夜になれば気温は更に下がる、雪の降る夜の中旅をする?、冗談じゃない 寒くて死んでしまう、故にエリスと師匠はまずこの街で宿を取ることにした、とはいえもう時間がないので エリス達は一旦手分けして行動することとなったのだ

エリスは今日の晩御飯の買い出しと防寒具の購入、師匠は宿を探す…こういう役割分担だ、師匠の方が宿を見抜く目はあるし 何より宿を取ったあと師匠なら簡単にエリスを見つけて回収できるしね

だからエリスは師匠が宿を見つけるまでの間に温かいご飯を作る為の材料を買う予定なのだ…が

「ううーん…、この街 分かりづらいですね」

慣れない街を前に迷ってしまった…、いや 普通ならこんなことはないんだ、エリスだってもう素人じゃない、初めて立ち寄る街でもなんとなくどこに商店街があってどこに宿があるか 感覚的に理解できる

が、この街は別だ 何せ星型のデザインを取るために建造物をセオリーを無視して配置してあるため、どこに何があるのか 全く分からないんだ、というか どこが大通りなのかも分からない

見てくれは綺麗だが、住むとなると不便極まりないな

「せめて食材だけでも買いたいんですけど、どこにお店があるのか分かりませんね」

キョロキョロ見回し近くに店がないことを察知し軽く項垂れる、まぁ店そのものはあるんだが どれも画材だったり楽器だったりお酒だったりを売ってるだけで、食べ物を置いてあるところはどこにもない

この国はリンゴよりもラッパの方が パンよりも筆の方が簡単に手に入るようだ…

「…変わった国ですね…」

降り続く雪の中、足を止める…

芸術の国エトワールか、…そう言えばこの国には一人知り合いがいたな 、知り合いと言っていいか怪しいが 出会ったことのある人がいる

「マリアニールさん 、彼女もここにいるんですよね」

エリスがまだ学生だった頃出会った騎士、名をマリアニール・トラゴーディア・モリディアーニ、このエトワールに於ける最強の戦力であり 唯一タリアテッレさんを相手に剣技で張り合うことの出来る怪物

それとエリスは出会い話したことがある…、いや 一方的に話しかけられたことがあるというべきか、 マリアニールはエリスを見てそっくりだと言ったんだ 自分の親友と…、ハーメアと

「ハーメア…、彼女の故郷が この国でしたね」

旅役者としてカストリア大陸に渡る前は この国で役者をやっていたらしい、つまり ハーメアの故郷なんだここは、言われてみれば何となくわかる 

この国には芸術家が多いのは言うまでもないが、その中でも一番多いのは…音楽家 時点が役者だ、何故ってことはない 単純に流行っているからだ、ハーメアのもこの国のその流れの中で生きて 育ったから役者になったのだ

そう言えばエリスには役者の才能があるらしいが、多分それはエリスのこの体の中に流れる血の半分はエトワール人の血だからだろうな、この国の人間は細胞レベルで芸術家なんだろう

「ですけど…、役者ですか」

…ううーん、エリスは子供の頃 貴族と役者が嫌いだった、両親と重ねて嫌いだったんだ、けど 最近はどうかと言われると怪しい

だって、エリス今貴族そんなに嫌いじゃないですもん、貴族の知り合いとか居ますし 何よりアマルトさんも一応貴族だけど、エリスは特に嫌いじゃない、多分時の流れが嫌悪感を払拭したんだろう

じゃあ役者はどうか…んんーまだ分からない、いや そもそも嫌いかどうかって目で見るのもあれか

じゃあ考え方を変えよう…、エリスは役者を……

「キャーーーッ!!」

「っ!」

ふと、寒空を切り裂く悲鳴が聞こえる、若くか弱い乙女の悲鳴!

すぐさま思考を捨て去り周囲に目を走らせれば、見える!野次馬が!、そしてその人混みの向こうで怯えた目をしている女の子の顔が!

「や やめてください!、こ これはお母様の薬を買う為のお金で」

「テメェの母親が死のうがどうなろうが、知ったことねぇんだよ、酒代にするからそれ寄越しな!」

痩せぎすの悪漢が懐からナイフを取り出しこれ見よがしにチラチラと光らせれば 厚着をした女の子が再びヒッと悲鳴をあげる

窮地だ、それも命の…だというのに周りの人間はそれを眺めるばかりで助けることもしない、何故助けない?…いや、そうか ここにいる人間も同じなんだ

あの港町にいた道端の芸術家達と、騒ぎを見それを絵の題材にしたり 詩のモチーフにしたり 彫刻のモデルにしたり、謂わばアイデアのタネにするんだ奴らは…非日常を

まさかここの住人は あの恐ろしい場面さえも芸術のタネにするつもりか?人の不幸 人の窮地さえも画材に変えるつもりかこいつらは!

「この…!」

他人を慮ることもせず 己の芸術的欲求を満たす為だけに助けを求めるうら若き乙女の悲鳴さえも楽器の音色と同程度に見るのだとするならば、他人の血と涙を絵の具に書かれた絵や詩などに 価値はない、美でもない!

拳を握りしめ、一も二もなく走り出す …気がつけば、この口は旋風圏跳の詠唱を口にしていて……


「いいからその金をこっちに渡せ!、さもなきゃテメェ!八つ裂きにするぞ!」

「あ…ああ!、神さま…お助けください…!」

雪の中 小さく恐怖に震える乙女は 目の前の狂気の悪漢に怯え竦み、逃げることも出来ず ただ祈る、どうか 誰か 助けてくださいと、だが この場に神はいない 少なくとも彼女を助けることはない

爪の伸びきった男の手が、乙女の手を掴み 今 狂刃が振るわれ、血塗られた悲劇が幕を開けようとした

その瞬間…

「やめないかぁぁぁ!!!このドグサレ悪漢がぁぁっっ!!!」

「ぶべらぁっ!?」

野次馬の向こうから、雪を切り裂き 風を纏った矢の如き蹴りが一直線に割り込むように飛んできて、悪漢の顔を思い切り蹴り飛ばしたのだ

「ぎゃぶぇっ!?」

突如飛んできた風の蹴りを受けた悪漢は無様にゴロゴロと転がり 道に集められた雪の山に突っ込み下半身だけを惨めに突き出し痙攣させる…、助けが入ったのだ 神への祈りではなく 乙女の窮地を見過ごせぬ正義が、乙女を狂刃から救い出したのだ

「えっ!!???」

「大丈夫ですか!?お嬢さん!」

バッ!とコートを翻し 雪を払いながらエリスは振り向く、悪漢を旋風圏跳の蹴りで吹き飛ばし、怯える乙女を宥めるように なるべく安心させるような笑みを向けながら、振り返る

全く、ふてぇ野郎だい こんな小さくか弱い乙女を狙うなんて…、まぁ 悪漢は所詮悪漢、エリスの手にかかれば一撃だ…

それより今はこの乙女だ、見た所エリスよりも年下に見えるが…、大丈夫だろうか あんな悪漢にナイフを向けられて かわいそうに、返事もできないほどに怯えて

「もう大丈夫ですよ、お嬢さん」

「え?…え?あ…だ 大丈夫…っていうか、あの」

…?、何だこれ 乙女がエリスを見て信じられないものを見たように目を白黒させている、というか乙女だけじゃない、周りの野次馬も目を丸くしている…そんなに変なことしたか?、ただ人を助けただけだ 変なことなど何もしていない

「て…めぇ!、何しやがる!」

「おい!、どうした!何があった!」

「なんだなんだ!」

すると雪を跳ね除け先ほどの悪漢が顔を真っ赤にしながら起き上がる、手加減したとはいえ 今のを喰らって起きてくるか、というか 路地裏にも仲間がいたのか騒ぎを聞きつけ次から次へと男達がゾロゾロ現れる

なるほど、ヨナタンさんが言っていたのはこれか…、路地裏に入ると何があるか分からなってのは、こういうのが潜んでいるからだろう

「仲間がいましたか」

しかし、思ったよりも数が多い…数十人ほどか?あんまり強くなさそうだが、ここで大立ち回りするのは些か危険だ、野次馬と言う名の民間人と守るべき乙女がエリスの背中にはいる

…ここは、正面切って戦うよりも…

「失礼します、お嬢さん エリスに捕まっていてください!」

「え?あ!ちょっ!!??」

即座に踵を返し乙女を抱き上げ 旋風圏跳で風を纏い飛び上がる、取り敢えずこの子を安全な場所まで連れて行かないと…って、なんだ

「……?」

乙女を抱えて空に飛び上がった瞬間、違和感を感じる…この乙女を抱きかかえる感覚に、なんとも言えないチグハグな違和感を感じるのだ、なんだ?これ?何か変な感触だ…

変な感触 そうとしか言えない、けど何が変か全く分からない、けれどその乙女を抱きかかえるその感覚が…こう、熱いと思ったら冷たかったみたいな…、空っぽだと思って持ち上げた箱の中身に物が入ってたみたいな…、ああ!上手く例えられないけれど凄く変な感じだ!

「凄い…飛んでる…?」

「ああ、いきなりすみません 怪我はありませんか?」

「へ?、あ…ああ はい、ありませんよ」

エリスに抱き抱えられ空をを跳ぶ乙女は 街を下に見るその感覚が不思議でならないのか、目をまん丸に開いてボーッと下を見ている…しかし、この子 可愛いな

いや、変な意味じゃない 単なる感想としてだ、やや紫がかった髪には艶があり、丸い瞳は人好きするような愛らしさを秘め 内の赤き眼光はこの子のそこはかとない優しさを感じさせる

エリスがここまで真剣に顔の実況をしてしまうくらいには可愛い顔つきだ、ここまで美少女という言葉が似合う子と出会ったのも初めてか

「ここらでいいですかね、降りますよ 舌を噛まないようにしてください?」

「おお、まるで鳥だぁ!凄いなぁ!」

舌を噛むから喋るなって意味だっただけど、それでも乙女は目を輝かせながら急降下する風を受けて楽しそうに笑い紫がかった黒髪を揺らす、何をやっても様になるな

っとと、何はともあれ悪漢から逃げられたようだ、人気のない路地に降りて周囲を確認する…うん、危険はないなと黒髪の乙女をゆっくりと地面におろしながら一息

「これでよし、もう悪い奴らはいませんよ」

「あ…ありがとう、ございます…」

「お母さんの薬を買いに行くって言ってましたよね、今日は寒くなります 早く薬を買って帰った方がいいですよ」

「はあ…」

はあ ってなんだその気の抜けた答えは…、というかなんかさっきから様子が変だ

何が変って、この子の態度だ さっきまで悪漢に襲われていたとは思えないくらい落ち着き払っている上に、エリスに感謝するでもなく気まずそうに苦笑いして頬をかいている

別に感謝して欲しくてやったわけじゃないからいいけど、その様子のおかしさに思わず首を傾げてしまう

「あの…さっきからエリスの顔を見て、どうしたんですか?」

「いやぁ…その、なんと申しますやら…助けて頂いたのはありがたいのですけども」

「…?」

「もしかして、貴方…この国に来たばかり…だったりします?」

なぜバレた、いやいや 何かおかしい この子の様子だけじゃない、全てだ

全てがおかしい、あの悪漢も 周りの野次馬の態度も この子の様子も…、ま まさか

「その顔を見るに、何にも知らずに善意で助けてくれた感じですね」

「は…はい、一応 善意のつもりで…もしかして、マズかったですか?」

「はい、マズかったです…だってあれ 路上でやってる即興劇でしたから」

劇…即興劇…それはつまり、何か?つまり?あそこにいた野次馬は野次馬ではなく…あそこにいた悪漢は悪漢ではなく…ここにいる乙女は助けを求めているのではなく

全部、嘘だった?…ってこと?

や…

やや…

やっちゃった…

「あ…あわわ、まさか あのナイフ取り出してた悪漢って…」

「はい、僕と同じ劇団に所属する仲間で悪漢を演じていただけであのナイフも偽物です、一応僕も 薬を買いに行く少女の役をしているだけで…その、助けを求めたわけじゃ」

その刹那 エリスは倒れこむ、五体投地だ

「申し訳ありませんでしたぁぁぁあ!!!!」

やってしまった やってしまった、やらかしてしまった、勘違いして盛大に何もしていない役者さんを悪漢と見て蹴り飛ばしてしまった、早合点だ エリスの早合点だ、また早合点だ

ピエールさんの時と同じ勘違いだ、お前は何も成長しないな、だからアマルトさんから暴走特急猪娘なんて言われるんだ、あああああ!!やり直したい!全てやり直したい!

「あ 頭あげてください!」

「いえ!、せっかくの劇を邪魔したばかりか!、貴方の仲間を蹴り飛ばしてしまって…!なんとお詫びして良いやらぁぁ!!!」

「いえいえ!、善意で助けてくれたのは伝わりましたし、何より勘違いして思わず助けに入ってしまうほど僕たちの演技に熱があった ってことでしょう?、役者冥利に尽きますよ!」

うう…、まさかこの子もあの男も役者だったとは、だとしたら凄まじい演技力だ、エリスはもう完全に助けを求めてるとばかりに…、うう 申し訳なさでいっぱいだ、このまま雪に埋もれたい

「大丈夫ですから、ね?顔上げて?」

しかもこの子の優しさが身に染みる、なんて優しいんだ…、よくも邪魔してくれたな!って叩かれても文句言えないのに

優しい…まるで天使様だ

「うう、すみません…本当に」

「いえいえ、貴方が助けに入らなければ薬を買いに行く女の子はあのまま悪漢にお金を奪われていたんです、それを助けたんです もっと胸を張ってください」

あ、そうなの?じゃあ…と言えるほどエリスは生きやすい性格してないですよ、まぁいつまでもグズグズするのはむしろ迷惑だろうし、あとはエリスの胸の内で反省するとして

そうか、劇だったか…うん 今思えばあれは明らかに劇だ、他の芸術家同様往来で自分達の作品を展示していたんだ、そこで何か勘違いした女が乱入して今に至る、気の毒な話だと当事者でなければ笑えたのだがな

「…劇とは知らず邪魔をしてしまってすみませんでした、どうか このお詫びをさせてください」

「お詫びされることの程じゃないですよ、…ああ じゃあさっきまでいた場所まで送って行ってもらえますか?、僕もこの街に来たばかりでわからないので…って、貴方もこの街に来たばかりでしたね」

「いえ、大丈夫ですよ さっき飛んだ時に街の構造は全て覚えたので、最短ルートでご案内します」

「お 覚えた?そんな事…え?出来るの?」

出来ますとも、でも送るだけでいいのだろうか…まぁいい もう一度抱きかかえて飛んで行こうか、と両手を広げると

「あ!こ 今度は、歩いて行きません?」

「…?、別にいいですけど…何故です?」

「流石にちょっと恥ずかしいですよ」

恥ずかしい?この国では空を飛ぶことが恥ずべき行為なのだろうか、いやまぁ本人が嫌なら無理強いする事はないからいいんですけどね…

「では、ご案内しますね…そうだ、出来たら名前を聞いてもいいですか?」

なんて、雪に足跡をつけながら歩き出すと共に問う、僅かながら行動を共にするのだ、話の物種 そしていつまでも乙女ではあれだし、名前くらい聞いてもいいだろ

「な 名前?…なんで?」

なんで…と来たか、予想外だな 逆に聞き返される想定はしてなかった、もしかしてまたエリス失礼なことしちゃいました?

「もしかして名前聞かないほうがいいですか?」

「い いえいいんですよ?、うん…」

なんなんだこの子、さっきからずっと何かモジモジ モジモジと、まぁその仕草はとても可愛らしいんですがね?、美少女が内股でモジモジする様はなんとも背徳的だ、なんかやらしい気分になる

「あ あの、僕の…名前は…さ さとぅ…な ナリアです、みんなからはナリアって呼ばれてます」

乙女はもごもご口を動かしながらそう名乗る ナリアと、まぁ ナリアって名前なら ナリアって周りから呼ばれるんじゃないんですかね、普通

というか名乗る前のその さとぅってなんですか?エリス聞き逃しませんでしたよ?砂糖なナリア?甘そうな名前だ、なんて言わない きっと言いたくない何かがあるんだろう

「ナリアさんですか、かわいい名前ですね」

「えへへ、でしょ?…それであの 貴方の名前って」

「ああ、エリスはエリスです、しがない旅人です」

「エリスさん!凄い名前ですね!」

へ?、凄い名前?なんて呆気を取られる間も無くナリアさんはすぐさまエリスに詰め寄りその手を握る目を輝かせている、エリスが凄い名前かなのかどうか分からないんですけど…

「凄い名前ですか?」

「はい!、だって 嘆き姫エリスとおんなじ名前じゃないですか!」

「嘆き姫…ああ」

そう言われてようやく合点が行く、そういえばあの話はこのエトワール由来の昔話だったな

嘆き姫とは即ち『悲恋の嘆き姫エリス』に登場する人物 エリス姫のことだ、デルセクトでメルクリウスさんが読んでいたあれだ、曰くエリス姫とスバル・サクラとかいう人物の悲恋を描いた世界三大悲劇のうちの一つだとか

確か、このお話はエトワール由来のお話であり 世界的にも有名な悲劇だったはずだ

「エリスに名前をつけてくれた人が、嘆き姫エリスの舞台から取ったので 名前が同じなのだと思いますよ」

「やっぱり!、エリスって今はかなり古風な名前だもんね…あ、ごめんなさい」

いやいいですよ、しかし師匠 嘆き姫エリスの舞台から名前を取るなんて、師匠も嘆き姫エリスを知っている…というか好きなのかな、出来れば好きであって欲しいな、エリスの名前の由来な訳だし

「はぁあ、いいなあ…エリスって名前」

「へ?、な なんでですか?」

「だってあのエリス姫と同じ名前じゃないですか!、それにすごく可愛い名前だし…僕もエリスって名前に生まれたかった」

そんなにか?、この子の輝く目とフンスフンスと鼻から吹き出る白い煙はその本気具合を知らしめる、おべっかやお為ごかしで口にしてるんじゃない、この子は本気でそう言っているんだ

何故、そうもエリスという名前に固執するか、理由はなんとなくわかる、さっきまでの会話で

「好きなんですか?嘆き姫エリスが」

「え?…あはは 流石にバレちゃいました?、…はい 僕!嘆き姫エリスが その舞台が大好きなんです!、役者として いつか大きな舞台に立って 『悲恋の嘆き姫エリス』でエリス姫を演じるのが 僕の終生の夢なんです」

終生の夢か…、これは本気だな 何故わかるってこの子の目を見ればわかる

理事長を目指すアマルトさん、それよりも尚強い夢へ焦がれる熱き炎がこの子の目の中で燃えている

そっか、夢か と歩きナリアさんを案内しながら想う、役者としての終生の夢 いいと思う

「きっと出来ますよ、ナリアさん可愛いし 綺麗だし、きっと出来ます」

「ありがとうございます…、…出来れば いいんですけどね、ちょっと難しいんですよね」

「難しい?…なんでですか?」

「色々あるんですよ、この国には…」

そう語るナリアさんの目はなんだか哀しげで 苦く笑うようで、何やらこれ以上踏み込めなかった…

「あ!そうだ」

すると、そんな空気を察したのか ナリアさんは無理矢理話題を変えるように手を打つと

「エリスさん、また今度僕の劇団に劇を見に来てくださいよ、今度は 観客として」

「い…いいんですかね…」

「いいですよ、僕達まだ街にいる予定で、明日 酒場で劇を開く予定なんですよ、だからその時…」

「待ってください?まだ?、ナリアさんこの街の人間じゃないんですか?」

そう言えばさっきもこの街に来たばかりと言っていたが…

「ああ、僕達の劇団 旅劇団なんですよ、決まった劇場を持たずあっちこっちに旅をして、其処彼処で劇を開く…と言えば聞こえはいいんですけど、お金がなくて定住出来ないってだけなんですけどね?」

旅劇団…それって…ハーメアと同じ

「っ…」

「あれ?、どうしました?エリスさん」

「い…いえ、なんでもありません」

ダメだな、もう頭の何処かじゃ区切りをつけてるはずなんだけど、ハーメアの影がチラつくと言葉に表せないような感情が湧いてくる、…ハーメアはエリスにとって 闇の記憶の権化だ、…だからと言っていつまでも逃げてていいわけじゃないんだけどさ

「ほら、ここら辺ですよ…この通りは見覚えがあるんじゃありませんか?」

「え?、あ!本当だ!、ここさっき僕達が劇をしていた通りだ…、凄い 本当に今の一瞬で街の構造を把握したんですね」

「まぁ、記憶力がいいので」

「良すぎません?」

良すぎるのも考えものなんですよ、…いつまでたっても過去に縛られるんですから、…はぁアマルトさんに過去を乗り越えろなんて偉そうなこと言ってこれだ、…アマルトさんに言ったんだからエリスもそろそろ乗り越えないとな 過去

「それじゃ、エリスはここで…」

「え?、もう行っちゃうんですか?」

「はい、その…やっぱり顔合わせ辛いので、勿論 蹴り飛ばしちゃった人には後日謝罪に行きますね、酒場ですよね 劇やるの」

「来てくれるんですね!、はい!中央広場にある酒場でやるので是非来てくださいね!」

絶対ですよ!とナリアさんが手を振りながら去っていく、ここまでくればもう道はわかるようだ…、中央広場にある酒場だな また明日師匠と共に向かうとしよう、蹴り飛ばしてしまったことへのお詫びとも含めてちゃんと謝罪の品も用意して な

さて、ナリアさんをちゃんと送り届け要件は終わりだな、なんて言うがエリスが自分で掘った穴自分で埋めただけだが、それでも終わりだ さっき街を俯瞰で見た時食材を売ってる店を中央広場で見かけましたし そこで買い物を済ませてしまおう

「うぅ、寒…雪が激しくなってきましたね」

気がつけばすでに空は薄暗くなっており、降ってきた細雪はしんしんと地面を白に染める雪へと進化している、早めに師匠と合流してしまおうと中央広場を目指してやや歩く速度を上げ始める

「…しかし」

早足で雪の中を進みながらポッケに手を入れ首をかしげる、ナリアさん …不思議な人でした、名を名乗る時のあの不自然な感じや不自然な態度、そしてあの子を抱き上げた時の不思議な感覚

今もこの手は覚えているが、未だにあの不思議な感覚の正体が掴めていない、なんだったのか …、こう 目で見ている情報と触った時の感触の差に驚くような感じだ

釈然としない、判然としない、分からない感覚とはかくも気持ち悪いものか…、かと言っても ナリアさん本人に聞くわけにも行きませんしね

「ん…?」

ふと、雪の向こうに見える景色に目を細める、…何かいる いや 何かが群れをなしている、中央広場で、あれは鎧を着た兵士か?それが五~六人で誰かを囲んでいる

まさか誰かが襲われているのか!…いやいや、早合点はやめよう、さっきそれで失敗したばかりじゃないか、もっと状況をよく確かめるんだ

そうだな、まず彼らに近づき 何かがあったんですか?と聞くんだ、それで何もなければそれでよし、もしやましいことがあると判断したなら…ブチのめす

そう胸に秘め 目を鋭くしながら足早に鎧の兵士達の元まで 中央広場まで向かう…、するとだんだん状況が見えてくる、と言うか囲まれてるの…

「師匠?」

「ん?エリスか?」

「エリス…、とするとこの子が孤独の魔女の…」

師匠だった、それが鎧で武装した兵士達に囲まれながらも憮然と腕を組みながら立っていた、いや…師匠?なんで囲まれてるのんですか

「何か悪いことしたんですか?」

「そんなわけあるか、宿を取ったら急に呼び止められたんだ」

だよね、師匠はエリスとは違う いきなり役者を蹴り飛ばして逃亡するような極悪人ではない、しかしだとするとなんで呼び止められて…

「失礼、挨拶が遅れました…」

すると鎧の兵士達の中のリーダー格と見える男が兜を脱ぎ エリスの前に歩み寄ると

「私はエトワール王国騎士団所属のグンタルと申す者です」

鋭い目と太い眉 そしてガッチリした顔つきの角刈りの男 グンタルはピシリと背筋を正しながら挨拶を行う、王国騎士団…由緒ある所属の人だ、いやまぁ甲冑に刻まれたエトワール王家の紋章を見れば彼の所属はなんとなくわかるが

それが名前と所属を宣言しながら婦女子を囲んで、これでただ道を尋ねるだけってのはないだろう、もしそうだとしたらこの国はどうかしてる、もしくはそいつの頭の方がか

「それでその人達が師匠に何の用ですか?」

「ふむ、流石に騎士を前にしても動じませんか」

そりゃあな、今まで幾つの国の何人の騎士や戦士を見てきたと思うんだ、そう言う目で見ればこのグンタルという男は強い、隙のない物腰と今まで積み重ねた勝利の数々が生み出す絶対的自信から来る威圧、多分 アジメクのデイビットさんくらいの実力はある

周りの奴らも一兵卒とは思えない強さだ、けど…ベオセルクさんやグロリアーナさんみたいな絶望的な強さを持ち合わせるわけでもない、悪いが動じる要素がない

「我が弟子だからな」

「そうですね、…ああ 最初に言っておきますが我々はお二人を敵に回すつもりは毛頭ありません」

「そうか?、ならその鎧はなんだ」

「それは今から別の人間と戦う予定がありまして…」

「ほう…、穏やかな様子ではないな」

戦う予定とは、血生臭い話だ、この芸術の国にもそう言うのはあるのか…、ちょっとショックだな、アマルトさんからは平和な国だと聞かされていたから

…いやアマルトさんが適当言った可能性もあるな、あの人あれでいて自分の発言に責任持たないタイプだし

つまり、この国はこの国なりに物騒と言うことだ

「で?、なぜ我らを呼び止める、用があるならそちらに行け、それとも決戦の前にナンパか?」

「或いはそうとも言えましょう、レグルス様 エリス様、どうか我等とお茶を飲んでいただけませんか?、お二人とお話がしたいと ヘレナ様も仰られているので」

「ヘレナ様って…姫騎士ヘレナ!?」

思わず声を上げてしまう、いや予想はしてた こういう風に騎士様達が現れてエリス達に接触してくる時 その要件は決まって呼び出しだ 王族の、エリス達は王族と縁があるから…ではなく 単純に何をするか目的が不明な魔女が国内をブラついているのは脅威でしかないからだろう

或いは他に何か目的があるのか…、何にせよ僥倖というより他ない、姫騎士ヘレナとはエリスも接触しておきたかった

何せ彼女も、エリス達と同じ魔女の弟子なのだから…

「むさい野郎連中からのナンパかと思えば…、麗しき姫君からの茶の誘いだったか、いいだろう その招待受けてやる」

「感謝します、ではこちらへ 姫様がお休みになられているお屋敷へご案内致します」

何やら思っていた方向とは違うが、色々と話が急展開し始めたな、まさかこんなにも早く魔女の弟子と接触できるとは、まだこの国に来て1日も経ってないのに

こんなにも早く魔女の弟子と出会えるなんて、やはり魔女様達の言う通り 弟子達には運命というものがあるようだ、なんて思いながらエリス達はグンタルさん達に警護されるように囲まれ フェロニエールの街を進んでいく

月が登るとともに雪も激しくなり、星空は雪雲のマスクを被る、それは今宵起こる事件から目をそらす為か 或いは、その本性を隠す為か…

………………………………………………………………

フェロニエールの街の端にあるとある豪邸、まるで豪邸そのものが岩より削り出された一つの彫刻のように美し…いかはちょっと分からない、いやだって もう主張が激しすぎて芸術というより悪趣味の領域だ、行きすぎた美とでも言おうか

壁からはムキムキの男性が体を半分突き出しながらポーズを取る そんな彫刻が彼方此方に彫り込まれており、絨毯は風景画になっていて シャンデリアは幾何学的なよくわからない形をしている

この豪邸の名前は『レンブラント美殿堂』、美殿堂なんて名前だが一応屋敷であり このフェロニエール地方の大貴族 レンブラント・チマブーエ保有の屋敷

エリス達はそのレンブラント美殿堂にグンタルさんの案内で通されることとなった、この国の王族であり 魔女の弟子 姫騎士ヘレナがエリス達に用があるとの事だ

なので玄関先で雪を払い、今エリス達はその屋敷の廊下をグンタルさんの案内で歩いているんだが…、少し 気になることがある

「…なんか、ここ暖かいですね」

ふと、歩きながら壁の彫刻を見て 呟く、なんか暖かいのだ、さっきまで耳が千切れるんじゃないかってくらい寒かったのに、この屋敷の中に入った瞬間ポカポカする、暖炉で暖めるにしても限度があるのに…

すると その言葉を受けエリス達を案内する為屋敷の中を静かに歩くグンタルさんが口を開き

「この屋敷全体に魔術陣が引いてあるのですよ、『現代魔術陣式・暖房陣』…あまり他の国では見かけない魔術だと思いますので、驚かれるのも無理はないでしょう」

「魔術陣?」

魔術陣 あまり聞きなれない魔術形態だ、いや 見たことはあるしどういうものは分かる、一応見たことあるしね

エリスはその魔術陣の使い手と戦ったことがある、大いなるアルカナ No.6 恋人のザイン、マレウスで戦った幹部の一人だ、確か彼女は何やらごちゃごちゃ書かれた紙を広げて魔術を発動させていたのを見たことがある…

「魔術陣とはこのエトワールで隆盛する魔術形態のことだ、アジメクの治癒魔術 アルクカースの付与魔術 デルセクトの錬金術のようにな」

するとふと、師匠が口を開く 魔術陣の授業だ

「魔術陣とは予め書き込まれた紋様に魔力を通し 即座に或いは持続的に魔術を発動させる術式のことでな、普通の魔術違うのは 術式を書いてしまえば詠唱が要らないことと術式を描いた物質を中心に魔術を発動させられる点にある」

「なるほど、つまり この屋敷全体にその魔術陣が書かれているからこんなに暖かいんですかね」

「そうだな、その暖房陣とやらはきっと その陣の中の温度を一定に保つというものだろう、このように 一度術式を書いてしまえば 誰が何をするでもなく陣が勝手に魔術を発動させ続け屋敷を暖め続けるのだ、一度発動した魔術陣を別の魔術でかき消すのは非常に難しい」

へぇ、便利な魔術形態だ、エリス達の使う普通の魔術は一度使えばどうやっても一定時間で消えてしまう、空中に魔力として散ってしまうので 屋敷をこうやって暖めようとするとその都度連続して発動させ続ける必要があるんだ

だが、この魔術陣は違う 一度術式を書けば誰も何もしなくてもずーっと魔術が発動し続ける、多分永続的に 凄まじい魔術だ

「便利ですね」

「便利には便利だが、弱点も多い…確かに一度発動してしまった魔術陣を相殺するのは難しいが 魔術陣そのものは非常にデリケートでな、発動前に叩かれたり魔術陣そのものを傷つけられると途端にその陣形は役に立たなくなる…それに、おい騎士 この屋敷を覆うだけの陣形 用意するのにどれだけの時間がかかった」

「ふむ、そうですね…陣形を組む時間だけで二年でしょうか」

「に 二年も!?」

思わずピョーンと飛び跳ねて驚いてしまう、だって 一つの魔術を発動させるのに二年もかかるんですよ?、二年あったらエリス魔女大国一つ冒険出来ちゃいますよ

しかし、グンタルさんはそれをさも当たり前のことのように語る、魔術陣とはそう言うものだと言わんばかりに

「それにこれだけの大きさの陣をかける優秀な魔陣師を探す時間も含めれば更にかかっていると言えるでしょう」

「…だそうだ、エリス 魔術陣とは発動させる瞬間は一瞬だが 発動させるまでに時間がかかる、拳大の大きさの陣形でも 書き込むのには早くても半日かかる者が大多数だろうな」

「あの…こう言っては悪いのですが、それ 戦闘で使えるんですか?」

設置型故に準備には時間がかかる、こうやって生活に使う分にはいいが 戦闘中はそうもいかないだろう、だって戦ってる最中に半日かけてペンを握って陣を書き込むわけにはいかない

「我々エトワール王国騎士団も戦闘には魔術陣を使用していますよ?、予め紙に書いたり剣に書き込んだりして 常に発動させられるよう準備しておくのです、と言っても 用意している分の魔術陣が切れれば 些か厄介ですがね」

と言いながらグンタルさんは腰にぶら下げたポーチの中から小さなカードを取り出す、そこには複雑に線が絡み合う小難しい紋様が書かれている、これが魔術陣か…確かにこれを書くのは難しそうだ

カードは見たところ全部で50枚くらいか、確かにこれなら戦闘中切れることはあまりないが、それでも連戦はキツそうだ…まぁ、普通の魔術師も連戦になれば魔力切れを起こすし その辺はあんまり変わらないか

「それに、聞いた話によるとプロキオン様も古式魔術陣の使い手であったと聞き及んでおります」

「そうだな、プロキオンも魔術陣を使う…、まぁ奴の恐ろしさは魔術陣よりも本人のスピードだろうな、何せ奴は最速の魔女とも言われる存在で 閃光の二つ名はそこから…っと、ここか?」

すると話の途中ながらエリス達は足を止める、グンタルさんの案内でこの屋敷の奥へとたどり着いたのだ、これでもエリスはお城とかお屋敷とか そう言う豪華な建造物に入る機会に恵まれている

だからこそ分かる、今 エリス達の前に聳える木の扉、この奥には偉い人が待ってる…、というのも権力者の方とは相手を出迎える時 半端な場所で出迎えない、歓待と歓迎の意思を示すため 広く 豪華で 派手な部屋へ通す場合が多いのだ

そしてエリスが今まで経験した事柄から総計して 今目の前にある扉は その先の部屋は、その条件に合致する

つまり

「この先にて、ヘレナ様がお待ちです」

と言いながらグンタルさんは扉に手をかけゆっくりと開けていく…そんな中、ふと気がつく

プロキオン様はいないのか?、レグルス師匠が来ていると察しているのに ここには居ないのか?

なんて言葉を疑問として放つよりも前に…、扉は開かれ 部屋の中身が 露わになる…って

「…あの、ここまでヘレナさんが待ってるんですか?」

「はい、今も待っています」

今も待ってる…ようには見えない、だってその部屋には誰か人間がいるようには見えないからだ

真っ暗な部屋、暗くて全容が見えないそんな闇の部屋の真ん中に 天井から差し込む光が中央の二つの椅子を照らしている、…椅子がエリス達に背を向けていることを見るに

「あの えっと、あそこに座ればいいんですか?」

「はい、ヘレナ様がお待ちしてるので」

嘘こけ!、待ってないじゃん!いないじゃん人!、…まさか 罠?エリス達騙された…!

「座れというのなら座るぞ、エリス」

「で でも…」

「警戒することなど何もない」

う、師匠が言うなら…、仕方なし とそれでも若干の警戒をしつつ部屋に入り、椅子に座る…、普通の椅子だ…、座った瞬間爆薬が起動!とか魔術陣が書いてありました!とか、そんなことはない、普通にいい椅子だ これは高いぞ

「では、失礼します」

「え!?いっちゃうんですか!?」

そう言うなりグンタルさんは部屋の扉をそそくさと閉めて立ち去ってしまう、おかげでエリス達は天井から差し込む光以外何も見えない暗闇が満たされる部屋の中に閉じ込められてしまう、やっぱり罠では…?

「師匠、大丈夫でしょうか」

「大丈夫だ、敵意は感じん…前だ」

「前?」

前を見ろ と言われるならば前を見る、椅子に座りなおし 前方に注視する…、すると

ばっ!と音を立ててエリス達の前方にいきなり 天井から光が差し、いつからそこにいたのか 闇の中から一人の人間が現れる、女だ 貧相な格好をしたザ・市民とも言うべき象徴的な女性が 真横に体を向けて、エリス達からそっぽを向いて何処かを見ている

……何?これ

「嗚呼、魔女プロキオン様が御隠れになってより早50年…、栄華繁栄と暗澹衰退の最中にて揺れるエトワールを生きる我々の未来はどうなってしまうのでしょうか」

するとそれに続けとばかりにまた別の場所に灯りと共に今度な若い男性が現れ、天を仰いでいる

「余所見をするわけじゃないけれど、他の魔女大国は次々と魔女の後継者が現れ 更なる栄光の道を進んでいると言うのに、…我が国には希望の星である魔女様さえ見えないなんて…!」

そしてその男女の間に再び光が灯る、やはり光の中には人がいる、こう…白い髭と豪華な服を着込んだ男性だ、貴族かな?いや頭に王冠載せてるし王様?、この国の?

「このままでは我が国の道行きの先にあるのは艱難と辛苦…そして深き闇の如き絶望ばかり、一体…一体我等はどうすれば良いのだ!、魔女無き魔女大国に希望はないのか!」

王様のような男は嘆くように頭を抱える、それと共にポツリポツリと周囲に光が灯り 周囲に恐れ哀しむ人々の影が現れる

「どうすればいい…」

「希望の光は何処へ…」

「我等を導く救国の英雄がいれば」

「いれば…この国は、さもなくばこの国は…」

「この国は…」

彼らを照らす灯りが赤く染まり始め、まるでの行く末の過酷さを表しているようで、それを感じ取った人々は絶望するように膝を折り 祈り始める、嘆きの祈りが暗闇をいっぱいに照らし始める…

その時、人々を照らす光が一斉に消え 代わりに正面に光が差す、けど…そこには誰も…

「案ずるな!皆の者!!」

響く、勇壮なる声が 鼓舞するが如く猛々しく木霊する、未来を恐れる民衆を 絶望を恐怖する国民を、奮い立たせるその足音はゆっくりとこちらに近づき 闇より現れ光の中に姿を見せる

金の髪 蒼の目 そして鎧を着込んだ女騎士、否 姫騎士が

「皆が未来を恐れると言うのなら!、絶望に膝を挫き 立てないと言うのなら、このヘレナ!姫の身でありながら剣を持ち騎士となり、皆の為に 暗闇を払う事をここに誓おう!」

豪奢な剣を立て 国民に向けて捧剣を行う騎士は名乗る、ヘレナであると 姫であると、国民を導く希望の星であると…そして

「我が師 閃光の魔女プロキオンの名にかけて、皆を遍く照らす星々の如き光となろう!」

閃光の魔女の弟子であると、そうか 彼女こそがエリス達と同じ魔女の弟子の一人…

「我が名はヘレナ・ブオナローティ!、このエトワールという王国を統べるギルバード・ブオナローティが一人娘にして次代の女王となるものだ!、そして今は 閃光の魔女の弟子の一人…エリス君!君と同じさ!」

「へ?…ひゃっ!?まぶしっ!?」

ヘレナさんがエリスを指差した瞬間今の今まで闇に包まれていた部屋が一気に明るくなりその全容が露わになる、眩む目で懸命に周りを見ると …どうやらここは応接間とか来賓室とか そういうもてなしのための部屋ではないようだ

だって、エリス達の目の前にデンと存在するのは 紛れもなく舞台、つまり エリス達は今 劇場の観客の位置にいることになり…

「ってどういう状況ですか!」

「さぁ!エリス君!君もこちらに来なよ!」

「来なよって…舞台の上ですか?エリスが?」

舞台の上で腕を組むヘレナさんは手でエリスを舞台の上に招く、いやなんでエリスが舞台に上がらないといけないんだよ、来るならそっちが降りろよ!

「そうだよ、君とは話がしたい」

「それ…舞台に上がらなくても出来ません?」

「……………………」

舞台に上がる必要はない きっぱりとそう告げればヘレナさんは不思議そうに首かしげて、んん?と頬をポリポリかくと

「断る展開は台本にない、アドリブはいいから上がってきてくれ 、話が進まない」

「えぇ…」

なんじゃそりゃ、台本にないって エリスは劇の登場人物じゃないんですけど…どうしましょうか師匠、と師匠に目を向ければ レグルス師匠は愉快そうにくつくつと肩を揺らしていて

「くくく、いいじゃないか エリス、舞台に上がってやりなさい」

「でも…」

「それに仮にもこの国の姫の願いだ、無碍には出来ないだろう」

「た…確かに」

あんまりにも素っ頓狂な展開に呆気を取られていたが、今目の前の舞台で立っているのは一応お姫それもラグナやデティに匹敵する由緒ある人だ、その人が来いと言うなら行くべきだ

それに、舞台に上がったからとエリスに何か損があるわけじゃないもんね、ウンウン

「すみませんヘレナ姫 、今向かいます」

「姫騎士ヘレナと呼んでくれ、エリス君」

舞台の上へぴょんと飛び乗り姫騎士ヘレナさんと向かい合う、こうしてみると 姫と言うには些か勇ましすぎる、目鼻立ちは確かに優雅な姫のそれだが 表情は固く勇ましく、背筋はピンと立てられ胸を張り、腰に差した剣に手を置く姿勢はまさしく騎士だ、本職よりもそれっぽい

「では姫騎士ヘレナさん…エリスは…」

「待った、はいこれ」

「へ?」

エリスが何か言うも早く無理矢理押し付けられるのは冊子だ、それには『姫騎士ヘレナと魔術師エリスの出会い《台本》』と書かれて…台本?

「なんですこれ」

「見ての通り台本だよ、君のセリフもちゃんとあるから そこを読んでくれ」

「エリスのセリフって…ああこれか」

パラパラと冊子をめくると 確かに『エリス 台詞』と書かれた部分がある、…と言うか今までの一連の流れもこの台本に沿ったものだ、もしかしてこれ劇のようじゃなくて劇そのものなんじゃ…

うう、ヘレナさんの目がもうエリスのセリフを待ってる目だ、これで別のことを言ったらまた話が進まなくなるだろう、仕方ない ここは付き合うか

「ええと…ひ 姫騎士ヘレナよぉ私は…」

「もっと感情を込めて!お腹から声を出して 動きも加えるんだ!、そんなハムサンドみたいな演技じゃブーイングものだよ!、ほら見たまえ!観客も退屈してる!」

なんでエリス怒られてるの!?、しかも観客って師匠だけじゃないですか!!、ああー!もう!面倒臭い!、やってやる!やればいいんでしょ!

台本をパタンと閉じて脇にしまうとともうに手を突き出し 本気!本気のヤケクソで叫ぶ

「姫騎士ヘレナよ!、私は異国の地より参りし魔術師エリス!、この地 この国にて貴方のような美しき騎士に出会えたことを光栄に思います!」

「ほう…、…ああ!私もだ!遠い異国の行脚の旅を経てこの国に来てくれてとても嬉しいよ!、きっとこの出会いは運命なのだろう!」

くぅぅ、恥ずかしい…でもある意味観客が師匠だけで助かった、これで観客が大勢いて その中にラグナ達がいたらヤバかった、ゔうぇあぁ!って断末魔をあげて血を吐いて帰らぬ人になってたと思う、恥ずかしさで

「聞けば癒しの大国アジメクより参ったと聞く、ディオスクロア文明圏で最も離れた異国からの旅路はさぞ熾烈極まるものだったろう!聞かせてはくれまいか!」

「ええ、…私の魔女様との旅は過酷艱難で指し示せるほど優しいものではありませんでした、行く手は遮る甲冑の武者達をなぎ倒し!目の前に聳える天を衝く巨大な山脈を飛び越え!、遥か見上げる程の巨躯を持つ大魔獣を打ち倒し、このエトワールへと参ったのです」

いやいや、勝手にエリスの旅路を台本で語らないでほしい、第一エリスの旅路はそんな壮絶なもんじゃない、そもそも甲冑の武者達となんか戦っ…たな アルクカースで…

聳えるような山脈も超えたな、でも山のような大魔獣とは戦っ…てたわ、しかも魔獣王を名乗る奴と、とするとエリスの旅路って結構なもんなんじゃ?

「君が多くの魔女の弟子達と交友関係の結んでいることは聞き及んでいる、君こそが魔女の弟子を繋ぐ架け橋であることは承知の上さ、だからこそ 君がこの国を訪れるであろうこの日に…カストリア大陸からジェミニ号がポルデュークに到着するこの日を狙って探していたのさ」

「美しさと共に慧眼も持ち合わせるとは恐れ入りました」

台本に書いてあるから仕方なく言うけれど、実際 慧眼を持ち合わせているとは思う、エリスが学園にいることを聞き及び そこから逆算してこの国訪れるタイミングを推し量る、広い視野と情報網を持たねば出来ないことだ

恐らく、このヘレナという人物は相当なキレ者なのだろう

「まぁ考えたの私ではないが」

貴方じゃないんかい

「それはそれとして、我々エトワールは君達を歓迎しようじゃないか!、同じ魔女の弟子として 同じ未来を担う者として、我らは友だ!」

「ええ、そうです!共に輝かしき未来の為 無限の民達の安寧の為、手を取り合い戦い 絆を育んでいきましょう!姫騎士ヘレナ!」

「ああ!エリス!」

バッ!と手が差し出される…握れってことか?、まぁいいや 手を取りましょう!

「うん!友情の握手!」

「……で、あの、次のセリフがないんですが…」

チラリと片手で台本を確認するが、エリスの次のセリフはない…もうエリス喋れないの?

「ああいや、すまない その台本は即興で仕上げたものでね、本当ならプロの劇作家を読んで仕上げるつもりだったんだが、まさか本当に今日出会えるなんて思ってなかったんだ」

ああ、もう劇は終わりですか…なら、今度こそ きちんと話をしよう

「私が今日この街に来るのは突如決まった事だしね、本当なら君が中央都市アルシャラを訪れる頃を想定していたから…、ごめんよ 次はきちんと台本を仕上げておくから、その時また改めて共演しよう」

「い…いいえ、遠慮しておきます」

「そうかい?、観客の受けは上々なようだが」

観客?と唯一の観客の方を見れば何やらニヤニヤ笑いながらペンペンと軽く手を叩いて 剰え指笛まで吹いてる、他人事だと思ってません?師匠

「まぁいい、文字通りの三文芝居に付き合わせて悪かったね」

「いえ…三文芝居の自覚はあったんですね」

「まぁね、私は普段世界一の王国歌劇団を率いる大座長だからね、本当はもっともっと派手なのが良かったんだ、連れてこれた役者もたったこれだけだしさ」

そう言いながら指し示す舞台袖にはさっき民衆役国王役を演じていた役者達だ…、これだけって言っても三十人くらいいるけど、それでもこれだけなんだ…

「さて、そろそろいいか?お姫様よ、余興には付き合ったのだ、そろそろ我々を呼ん理由を聞かせてもらえるか?、もし今のを見せるためだけに呼んだのだとしたら…、些か汚い言葉を使うことになるが」

するともう話し始めても良いかと見た師匠が、その椅子で手を組みながらヘレナさんに問う、何故 我々をここに呼びつけたのかと

先程ヘレナさんは言った…『本当なら君が中央都市アルシャラを訪れる頃を想定していたから』と、つまり 彼女はエリス達に最初から会うつもりだったんだ この街に突如訪れることになり予定が狂って尚 エリス達に会いたかった…

一目会って挨拶をしたかったと言えばそれまでだが、それにしては少し話が急過ぎる

「勿論、さっきの劇を見せるのが目的ではありません…それが目的ならもっと良いものを見せていますからね、実は …その、お二人に折り入って頼みがありまして」

そう語る姫騎士の顔つきは、真剣そのものである、余興は終わり これからが本題だと、言葉もなく語る

けど、エリスはなんとなく察する、その頼みというのが 何なのか

「ほう、なんだ 友の弟子の頼みだ、言ってみろ」

「え…ええ、実は 今…このエトワール全土を恐怖に包むある人物がいることを知っていますか?」

レグルス師匠の視線から目を背けるように天井を見る彼女は語る、エトワールという大国を恐怖に包む人物がいると

「それは芸術を愛するエトワールにとって最悪の存在、人々の愛する美を奪い闇へと消し去る悪の化身…名を 月下の大怪盗ルナアール、その名を聞いたことはありますか?」

「月下の大怪盗…」

聞いたことはある、名前だけは…そして名前から察する、怪盗 悪い言い方をすればコソ泥だ、けど それがどれほどのものか、エリスも師匠も知り得ない

「名前だけなら聞いたことがあります、けど どういう人なのかは…」

「奴は悪魔ですよ!…少なくとも このエトワールでは」

そうしてヘレナさんは語り始めた、ルナアールの行い その所業を…

大怪盗ルナアール、数年前突如としてエトワールに現れた謎の存在、性別も年齢もどこから来たのか その正体に繋がる全てが謎に包まれており、分かっているのは 奴がこのエトワールにある美術品を次々と盗み出し何処かへ持ち去ってしまうということだけ

エトワールにとって芸術は全てだ、アルクカースにとっての闘争 デルセクトにとっての富 コルスコルピにとっての歴史、それと同じなんだ それを盗むという行いがこの国にとってどれ程のものか 語るべくもない

だからこのエトワールでは芸術品の警備や防犯面においては他の国より発展しており、元来盗難は難しいとされている、何せ設置型である魔術陣は戦闘には向かないが防衛に関しては全魔術体系でトップクラスの適性を誇る、それを用いて警備している…

だと言うのにルナアールはまるで道端に落ちてる木の実でも拾うように軽々と美術品の数々を盗み去ってしまう、どれだけ厳重に警備しても無駄 どれだけ警戒しても無意味…そうしているうちにこの数年で多くの美術品が持ち去られてしまったのだ

「奴は芸術の真なる価値を理解していない、誰かが独占して隠していい物じゃないのに、それを奴は ルナアールは…!」

「ルナアールは美術品を盗んでどうしてるんですか?、売られてるなら買い直せばいいのでは?」

「いえ、ルナアールは美術品を売っていないようなのです、表にも裏にもどの市場にも流れていませんし、今まで一つとして盗まれたものが見つかったことはありません、恐らく何処かにコレクションしているんでしょう」

自分の欲求を満たす為に美術品を盗んでコレクションしているのか、だとしたら許せない話だ、ルナアールが盗むことによってそれを所有している人間も それを見たい人間もみんなが損する、たった一人の身勝手な行いによってだ、到底許容出来るものではない

「芸術を愛するならば 同じく芸術を愛する者達にも敬意を払うべきだ、なのに奴はそれをせず 美を独占し芸を軽んじる、エトワールは美術芸術の国として奴の存在を許しはしない!決して!、…ですが」

「今の今まで捕まえられていない…ですよね」

「はい、奴の姿を捉えることは出来ても、その裾にさえ我らの手は届かない…」

悔しい 、なんとしてでも阻止したいのに ルナアールはこの手をするりと抜けてエトワールにとっての宝を盗み去る、屈辱を超えた怒りに身を震わせる姫騎士ヘレナは、拳を強く握ったままこちらをみる

「私が今日この街に駆けつけたのは この街の貴族レンブラント伯爵の持つ宝…、『エリスの銀飾り』を盗むと予告が入ったからです」

「え…エリスのですか?」

「勿論君じゃない、悲恋の嘆き姫エリスという作劇に登場するエリス姫をモチーフにデザインされた銀の飾りのことです」

ああ、エリスじゃなくてエリス姫の方か、ややこしいな…というか

「盗むのにわざわざ予告を出すんですか?」

「ええ、奴は決まって盗みに入る一週間前に日時を指定したカードを送りつけてくるんです、ほらこれ」

と言いながらヘレナさんは懐から一枚のカードを取り出しエリスに渡してくる、カード…ちゃんとした紙だ 仕掛けも何もない、そんな紙に綺麗な字で書かれているのだ 日時は今日 エリスの銀飾りを盗みます と、態々ご丁寧に…

予告された上で盗まれるんだかその屈辱たるや筆舌に尽くしがたいだろうな

「つまり今日、エリスの銀飾りをルナアールが盗みに来るってことですよね」

「ええ、そうです…今日こそ私達はルナアールを捕まえる為、騎士団を連れてこの街に馳せ参じたのです、しかし…それでも 不足なんです」

騎士団といえば戦闘のプロ達だ、恐らくさっきエリス達をここに案内したグンタルさんもかなりの使い手だ、コソ泥程度赤子の手を捻るように叩きのめせるだろう、オマケに閃光の魔女の弟子であるヘレナさんもここにいる

だというのに、それでも奴の前では足りないというのだ、この程度ではまだ不安だと、なるほど 話が読めてきたぞ

「つまり、エリス達にもその警備に加わって欲しいってことですね」

「そう!その通り!話が早くて助かります!、貴方達は身元もはっきりしているし 何よりあの魔女とその弟子だ!、これ以上ないくらいの戦力になる!」

エリス達の腕を見込んで 怪盗捕縛の手伝いをして欲しいというのだ、本当なら自分達で解決したかっただろう、だがそれが不可能なのはこの数年でよく理解できてしまっている

そんな中 現れた魔女とその弟子、藁にもすがる思いだろう

それに、目の前で盗みが成されるというのに態々見過ごしてやる理由はない

「…エリスは構いませんよ、怪盗とやらを放置すればきっとこの先も盗み続けるでしょう、そこに如何なる理由があれど、盗みは咎められるべき行いです、それをエリス達の力で解決出来るなら、喜んで力を貸します」

「ありがたい!、そう言ってくれると思っていました!いやぁ本当に心強い、何せ魔女が付いていてくれるんですから、では早速警備に…」

「待て」

響くのは師匠の冷たい声だ、その話待ったと言わんばかりに エリスとヘレナさんの話に割り込み 立ち上がる、その目は何やら不思議そうに歪められており、眉も顰められている、ど どうしたんですか?師匠…

「な 何ですかレグルス様」

「魔女が警備にいれば心強いというのなら、プロキオンを頼ればいいだろう、奴も芸術家の端くれ 目の前で芸術品が盗まれるというのならそれを見過ごす女でもない、ましてや…エリス姫由来のものとあれば 尚の事な」

え?、エリス姫のものならなんで尚更?…、というか 確かに言われてみれば師匠の言う通りだ、エリス達を頼る前にプロキオン様を頼るべきだ、プロキオンさんは何年も姿を見せていないと言うがヘレナさんは…

「お前はプロキオンの指導を受ける弟子なのだろう?、そのくらいのことは頼めんのか?」

「それは……」

するとヘレナさんはやや言いづらそうに目を左右に揺らし、言葉を詰まらせながら 言葉を紡ぐ

「…実は師匠は、今 表立って動けない状態にあるのです、だから弟子である私が代わりに…」

「どう言う状態だ?、友が困っているのであれば 私としても助けたい」

「それは、言えません」

「私にもか?」

「っ…い 言えません!」

言えないというのだ、師であるプロキオンの友であり 魔女であり 世界最強の一角である魔女レグルスの怒りを買ったとしても、ヘレナさんの態度は頑なだ、例え何をされても言う気は無いとばかりに顔を背ける

…プロキオン様は動けない状態にある、だから民衆の前に出ていない、オマケにその理由は話せないと来たか

しかし、もし プロキオン様がシリウスの魔の手により危うい状態にあるのなら、師匠としても助けたいんだろうけど、言えないのか

「…そうか言えんか、秘密は話さない そちらの要望だけ一方的に通す、それは些か虫が良すぎるのでないか?」

「はい、すみません…ですが、そうですね…もしルナアールを捕まえていただければ、師匠と私の秘密を話すことを約束しましょう」

「取引か、まぁいいだろう プロキオンの件は抜きにしてもコソ泥の跋扈は見過ごし難い、手を貸そう」

まぁ良しと首を縦に振る師匠を前に喜ぶヘレナさん、けど ヘレナさんとプロキオンさんの秘密とはなんなのだろうか、色々わかったような気がしないでもないが 未だ多くのことが判然としていない

それもこれも、ルナアールを捕まえたら 全て話してくれるんだろうか…、まぁいいや 師匠の言う通り泥棒が好き勝手するのは見過ごせない、先ずは怪盗ルナアール…これを捕まえることだけを考えよう
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