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六章 探求の魔女アンタレス

110.孤独の魔女と人を呪わば穴二つ

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……あの休日から、更に一週間以上の時が経ったある日、エリスにとって運命のその日が何の前触れもなくやってきた



「うぃ~、眠て~…」

「バーバラさん…バーバラさん、起きてくださいバーバラ」

「おきてゆよ~」

廊下を歩きながらバーバラさんの脇を突く、以前 エリスの手を借りずに朝の支度をすると宣言してからバーバラさんはしっかりと起きるようになった、とは言えそれでもギリギリで 朝ベッドから飛び起きるなり大慌てで髪を研ぎながら制服を着替え教科書を用意するという三つの物事を同時に処理するなんて器用な真似をして 朝の支度をするようになった

エリスが手伝ってもいいが バーバラさんが自分でやるというのだからその自主性を潰してはいけない、慌てで転がり回るように用意をするバーバラさんを毎日微笑ましく見させてもらっている

まぁ、そんなこんなで一週間経った、時間が経てば経つほどエリス達はこの学園に馴染んでいき エリス達を取り巻く情勢はより一層悪くなる一方だった


例えば午前の授業に出るためにこうやって廊下を歩くだけで…


「ねぇねぇ、今度転入生が来るっていうじゃない?どんな人だろ…あ」
 
「ん?どうした…あ」

エリス達が近くを通るだけで周りの生徒は怪物でも見たかのように体を一つ震わせると 慌てて視線や体の向きを変える

「あの子達まだいたの?…」

「私あの子達と同じクラスなの…嫌だなぁ」

コソコソと周囲から囁かれるのは何れも耳障りの良くないものばかりだ、罵倒と言い換えてもいい、エリス達は嫌われまくってる ピエールのネガティヴキャンペーンは凄まじく、かなりの人数を動員しエリス達の悪い噂を着々と広め すっかり孤立してしまった

エリス達のことをよく知らない生徒達はすっかりそれを信じ込んでいる…、これが日に日に悪化し始め 最近ではピエールとは全く関係ない生徒からも嫌がらせを受ける始末だ

「不良生徒は表歩くんじゃねぇよ」

「あーあー、早く退学にならねぇかなぁ~?」

「っ…」

こうやって歩けば態と肩をぶつけられる、その都度バーバラさんが何か言いたげな顔をするが、…ここで手を出せば 彼らの言う不良生徒というデマがデマで無くなる、耐えるのだ…必死に


すると

「おや、奇遇だねぇ二人とも」

「チッ、朝っぱらから…」

目の前から取り巻きを連れ立って現れるピエール、奇遇なんて嘘だろう 彼はエリス達がどこの教室に行くか知っている、だからこうやって居合わせるように現れたのだろう

「ピエールさん、今日はどんな用ですか?」

「別に、君たちの辛気臭い顔を見にきただけだよ、今日は僕は忙しいんだ ノーブルズの専用個室でサロンを開くつもりでね、今日だけは一般生徒も僕の用意した個室で好きに遊んでいいことにしてるんだ、…ああ 勿論 君たち以外だけれどね」

なるほど、そうやって他の関係ない生徒を一気に引き込みエリス達を益々孤立させるつもりか、特別扱いを受けられる生徒と 受けられない生徒に差を作り、僕達は上 エリス達は下という構図を魔術科内全域に作りたいのだろう

「だから悪いね、急いでるんだ 僕はホストだからね、ゲストを迎える準備をしないといけないんだ、だから退いてくれ」

そういうと彼は無理やりエリスの横を押しており、肩をエリスの肩に強くぶつけてエリスのバランスを崩させる

「ひゃっ!?」

「ちょっと!何するのよ!」

「退けと言ったのに退かないからだろ?、それとも何か?いつぞやみたいに僕に言いたいことでもあるのか?」

バランスを崩すエリスを支えてくれるバーバラさんはピエールの態度に唇を噛みながら耐える、大丈夫…大丈夫だから バーバラさん

「………………ッ!」

「ふははははは!分かればいいんだ分かればね、僕には逆らうなよな」

そういうと彼は取り巻きを連れ 肩で風を切りながら何処かへ去っていく、…しかし 最近ではピエールの標的はバーバラさんよりエリスに向いているような気がする、一週間前 彼を手厳しく振った事が原因か…小さい男だ

「…大丈夫?エリス」

「ええ、大丈夫ですよ」

バーバラさんの手で起こされながら周りを見る、…周りの生徒の目はエリス達に対して因果応報と言わんばかりの冷たい目を向けている、既に空気はエリス達が悪者という雰囲気だ、この空気が出来上がれば出来上がるほど ピエールはエリス達に好き勝手できる、とはいえ…エリス達には耐えるだけしかできない

「…教室に行きましょう、アレクセイさんが先に待ってるはずなので…」

「うん……、うん行こうか!」

そして バーバラさんは気丈に笑う、エリスを不安にしないように、…大丈夫大丈夫と言っても エリス達は一体、いつまでこれに耐えればいいんだろうか


その後 教室に赴けば、やはりそこは針の筵 教室の扉を開けた瞬間、周りの生徒達の手厳しい目線がエリス達を襲う

バーバラさんの肩書きは差し詰めノーブルズに楯突く無法者、エリスの肩書きは名前を偽る卑怯者か…

「ふん、性懲りもなく現れたかい 魔術を志さぬ者に居場所などないというのに」

「全くですわ、品がないったらありゃしない」

クライスがふんと髪を整え ミリアが扇子片手に目を伏せる、周囲の評判が悪い というだけで、エリス達は蔑むに値する人間だと言わんばかりに彼らもまたエリス達を下に見る、大男のゴレインは興味なさげに教室の片隅で筋トレしているが…彼もエリス達にはもう興味がないようだ

「え エリス君~、バーバラ君~」

既に教室で待っていたアレクセイさんもかなり肩身が狭そうだ、彼にも迷惑をかけているが…彼はいつまでもエリス達を見捨てないでいてくれる、もしくは彼も エリス達一味に数えられもう行き場所がないのかもしれない

「すみませんアレクセイさん、遅くなりました」

「おまたせ、アレクセイ」

「ううん、いいんだよ…いやぁ 今日は一段とみんな冷たいね…」

「そうですね、昨日まではまだ少しマシだったんですが」

「おや、知らないのかい…多分理由はピエールのサロンだよ、君たち与する人間以外全てを招き入れるサロン、即ち…」

「それならさっき聞きましたよ、エリス達を孤立させようって魂胆もなんとなく想像がつきます、でもこんなにあからさまになります?」

「なるさ、…そういうもんだよ 己が大衆の側である事を理解した人間は、少数派を迫害してもなんとも思わなくなる、…そして今はピエールの側が大衆で僕達が少数派だ」

今後 後ろから縛り上げられて火達磨にされても助けてくれる人間はいないよ とアレクセイさんはいう、恐ろしい話だがイマイチ実感が湧かない みんなが冷たいのは今に始まった事ではないし、エリス達の立場が低いのも変わらないだろうに

「今更誰かと仲良くするつもりないし いいじゃない」

「分かってないなバーバラ君、向こうは手出しし放題でこちらは手出し出来ないんだよ?、もう学園を出ていくしか解決法が僕には見当たらないよ」

「学園を出て行ったらそれこそピエールの思う壺じゃない」

「もう思う壺であった方が幸運かもしれないよ」

これが最後の一線なのかもしれない アレクセイさんは脅かすように言う、がしかしエリスもバーバラさんも夢と目的を持ってここにいる、それをピエールのせいで潰されるのは…

でも…もし バーバラさんに危害が加えらそうになったら、…エリス一人退学になる覚悟で奴らに一矢報いいる他あるまい、そこの覚悟は変わらない

「まぁ、何にせよ授業受けることに変わりはない…でしょ、ほら教科書出して…」

そう言ってバーバラさんはバッグから分厚い教科書を取り出し開くと…

「な なにこれ!?」

開いたページは黒く、そう黒のインクでもぶちまけられたかのように塗り潰されていた、いやこのページだけじゃない 他のページにもインクがべっとりで読める気配がない

「これじゃ勉強出来ないじゃない…!」

「一体いつの間に…って、エリスのも真っ黒にされてますよ」

エリス バーバラさん、二人の教科書が揃って使用不能になっている、以前開いた時にはこんなことになっていなかったのに、一体いつの間に…なんでこんなことに

「恐らく二人が教科書を寮の部屋に置いて出ている間に細工されたんだろうね…」

「細工って、ピエールは男の取り巻きしか連れてないわよ!」   

「やったのは、取り巻きじゃないんだろうね、ほら」

そう言いながらアレクセイさんは顎で指す、その先にはエリス達の方をチラチラ見ながらクスクス笑う女の子達、…あの顔は見覚えがある エリス達の隣の部屋の女子達だ、彼女達はピエールとは関係ない筈だが…いやそうじゃないな、もうピエール関係なしに エリス達は嫌がらせの対象になっているんだ

エリス達が部屋を出たのを見計らって 教科書をダメにしたんだ、理由なんてない 単純にみんな虐めてるから、自分達も憂さ晴らししてやろうとしているんだ… 

「この…!」

「バーバラ君、やめて…手を出すせば本当に…」

「でも…でもエリスのも…!」

「いいんですよバーバラさん、先生に言って新しいものに変えてもらいましょう、とりあえず今日はアレクセイさんのを借りてもいいですか?」

「構わないよ、でも参ったね もう安息の地はなさそうだ」

全くだ、寮にいてもエリス達は手を出され放題だ 、…いやまずいぞ 部屋にはエリスの私物もある、特に師匠に贈られた愛用のコートも置いてあるから、アレに手を出されたら本当にヤバい…!、今日の授業が終わったら急いで別の場所に移さないと…!

「はーい、君達ぃ 授業を始めるよ~ん」

エリスと心配も他所に、授業は始まってしまう…大丈夫だ 大丈夫、授業中は生徒はみんな教室にいる、今日の授業が終わって急いで帰れば 問題ない筈だ


今日の授業は魔術の歴史だった…、授業に殆ど身は入らなかったが……

そうしている間に午前の授業の終わりを告げる鐘が鳴り、教師が教室を出るなり 生徒達も皆食堂へ移動するため立ち上がる、…当然 移動するのはエリス達もだが

「…バーバラさん、行きましょうか」

「え?、ああ…うん どうしたの?急いで」 

「いえ、手早く食事を済ませて向かいたい場所があるんです」 

手早く食事を済ませて 寮に戻って私物を別の場所に移してしまおう、そう慌てて使い物にならなくなった教科書を鞄に入れて バーバラさんを待たずに教室の出入り口に向かってやや足早に歩き去ると…

突如、教室の入り口 いやその向こうから、足がヌッと現れエリスの足に引っかかり、エリスは足をもつれさせ地面にすっ倒れ顔を打つ

「エリス!」

「いっ…たた…」

「おいおい、勝手にぶつかってすっ転ぶなんて間抜けだな、まぁ出来の悪いお前らじゃ仕方ないか」

倒れるエリスを見下ろす男、この男は知らない ただこの顔、この見下す顔 間違いなく今の足は故意で出した足だ、エリスの足を取るためだけに出された足、悪意の行動だ…、見も知らない人間に悪意を向けられる謂れはないのだが…!

「エリス!…」

「いえ…大丈夫ですよ、痛くも痒くも無いので、貴方も今後は気をつけてください」

「お…おう、悪かった」

エリスが立ち上がりながら一睨みすれば逃げ去るような小物に用はない、…ただ ここまでエリス達に対する嫌がらせが悪化しているとは、もう穏健なこと言って納めていられる状態じゃないのかもしれない

「エリス…大丈夫?」

「大丈夫ですよ、…でもここじゃアレですね、中庭に行きましょうか」

「ああうん、昼食食べるんだね」

そうだ、エリス達は中庭でご飯を食べる、ここには学園食堂があるが …あそこは既にピエールに占領されている、エリス達ではもう近寄ることもできない、だから最近は中庭でエリスの作ったお弁当を食べることで昼食を済ませている

バーバラさんとアレクセイさんを連れて中庭に向かう、その道中も何回か足を引っ掛けられそうになるが、そう何度も同じ手を食うエリスではない ヒョイと避けて何事もなくスルーして中庭に出る

…生徒達みんな食堂に向かっているおかげか、中庭に人はいない ここでなら静かに食事が出来るだろう

「…ここは静かでいいわね」

「そうだね、お空はこんなに綺麗なのに 学園の中はどうしてあんなにジメジメしてるかなぁ」

アレクセイさんとバーバラさんは中庭に着くなり、ホッと一息ついて ベンチに座り込む ここでなら誰かに嫌がらせを受けることはないからな、エリスも一安心だ

「お二人とも、今日のお弁当 用意しておきましたよ」

「やった!これが一日の楽しみなのよ!」

「エリス君の料理はプロ級だからね、こんなお弁当が毎日食べられるなら 学園生活も悪くないと思えるくらいだよ」

バッグの中から二つ程弁当箱を取り出す、朝早く起きて厨房を借りて作ったお弁当だ、コルスコルピの料理人の方々に比べればレベルは落ちるが、それでも毎日二人とも文句も言わずに毎日美味しい美味しいと食べてくれる…

ありがたい話だ

「こっちがアレクセイさん こっちがバーバラさん、二人のリクエストを聞いてちゃんと二人の好物を入れておきましたよ」

「やりぃ エリスありがとー」

そう言って、バーバラさんに手渡した瞬間…エリスの耳が 異音を察知する

窓だ、窓が開く音がした それと共に、嘲笑うような 隠すようなクスクスという声…、最近嫌という程聞いた不吉の声…!

「バーバラさん!」

エリスの体は 何を考える間もなく目の前のバーバラさんの体を引っ張り後ろへ投げ飛ばすように彼女の手を引く、…その直後…

エリスの頭へ、大量の水がぶっかけられた…

「……………………」

ずぶ濡れになる体、髪を滴る水滴を見て理解する、首を動かさずちらりと上を見れば、上層の階からバケツを使ってこちらに水を落とした生徒達の姿が見えた、…奴ら エリス達がいつもここで食事をとっていると知って あんな嫌がらせを…

お陰でエリスはパンツまでずぶ濡れだ……

「え エリス、大丈夫?…」

「大丈夫ですよ、バーバラさんこそ大丈夫ですか?」

体が動かない、ただ微動だにせず無機質な声でバーバラさんに問う、…どうやら大丈夫そうだな 濡れたのはエリスだけみたいだ…

「大丈夫って、エリスずぶ濡れじゃない!大丈夫なことないわよ!」

「大丈夫 大丈夫ですから、エリス用があるので先にご飯食べててください」

もう大丈夫って言葉しか出てこない、頭の中は真っ白だ…なぜエリスがこんな目に合わなければならないんだ…、バーバラさんだって アレクセイさんだって…

激化する嫌がらせに、心を無にしながら 濡れた体のまま エリスはバーバラさん達を置いて中庭を去る、…今はいい 濡れようが燃やされようがいい、ただ今は…今は!

「ッ……!!」

「エリス!」

走る、ただ走る バーバラさんの声を無視してエリスは寮へと走る、最近の嫌がらせは度が過ぎている、このままじゃエリスの私物に手を出されるのは時間の問題だ 、寮にはエリスの私物が置いてある 宝物も置いてある

師匠から貰ったコートだ、アジメクを発つ時見繕ってもらった揃いのコートだ、エリスはアレを着て旅をしてきた 辛いことも楽しいことも共有してきた大切なコート 孤独の魔女の弟子であることを体現する エリスそのものと言えるコート

それを寮に置いているんだ、あそこに置いておいては他の生徒に手を出されるかもしれない!早く別の場所に移さなくては!

「はぁっ…はぁっ…」

教科書なんかいくらダメにされてもいいが、アレに手を出されたらエリスは…エリスは!、息を切らせて走る 濡れた服は想像以上に重く…それでも走る

寮へと転がり込み、エリスの部屋を一直線に目指し…


扉を 開ける

「はぁ…はぁ…はぁ……」

そこにあったのは、いつもの部屋だ 

いつもの机

いつものベッド

いつもの壁

いつもの床

…ただ、その床に…落ちていた……

「はぁ…はぁ……はぁ……」

息を整え、床に落ちているそれを拾う それは、エリスがいつも着ているコートだ、エリスの大切なコート

…ただ

「……………っ」

ズタズタに、引き裂かれていた ナイフでかハサミでかは分からないが、あちこち切り裂かれ…、もう服として着れない程にまで、刻まれて…

「っ…っっ!」

今にも千切れて布切れになってしまうそうなそれを抱きしめて、歯を食いしばる 怒りが無力感か、分からない ごちゃごちゃになった頭のまそのコートを抱きしめて、床に座り込む

……エリス達が寮を出ている間、誰かが…これを…こんな……

「師匠から貰ったコート…だったんだけどなぁ……」

広げて今一度確認する、…度重なる戦いでコートは確かにボロボロだったけれど、これはもう そんなレベルじゃない、着られない…もうこれは着られない

アルクカースで共に戦ったコートが、デルセクトでも大切に保管していたコートが、アジメクで貰ったコートが…もう……


もう……何も考えられない

ただ、怒りだけは抑える…怒るな 怒るな…

怒って、怒りのまま暴れれば またマレウスの時のようにとんでもない事をするかもしれない、今度は人を殺すかもしれない、そうなればエリスは師匠に顔向けできない、師匠から貰った力で 怒りのまま人を殺せば…エリスは、ウルキさんのようになってしまう

それは嫌だ…嫌だ…、だから怒るな いつものように言え、大丈夫だと…

「エリス!、どうしたの!?」

「バーバラさん…」

どうやらエリスを心配してバーバラさんも追ってきてくれたようだ、心配そうな声をする彼女に エリスはただ声でしか返せない、そちらを見る なんて単純な動作でさえ…今は億劫だ

「エリス…それ…そのコート…」

「…………ダメにされちゃいました、エリス達が居ないの見計らって 誰かが忍び込んで、こんなことしたみたいですね」

「みたいですねって!、アンタそれ!私物でしょ!師匠とお揃いのコートじゃないの!?」

「そうですよ…」

「そうですよって…」

コートを抱きしめたまま 呟く、床に滴る水滴は 水か…涙か…、エリスにもわからない

「そんなことされて、また許すの…」

「…このコート、小さい頃貰った奴なんですよ だからもう小さくなってたし、ずっと着てたから汚くなってたし…師匠から新しいの貰おうと思ってたので、大丈…」

「大丈夫なわけないでしょ!、アンタ!こんなに泣いてるのに!」

バーバラさんがエリスの肩を掴んで叫ぶ、泣いてるのか…いや 泣いているんだ、自分を誤魔化しすぎて もはやそんなことすら分からなくなっていた、溢れ出た涙が止まらない このコートと共に歩んだ道が溢れ出て止まらない

…止まらない…!

「大切な思い出なんでしょ、それ」

「……はい」

「足を引っ掛ける水をぶっかける、そんないたずらとはわけが違うのよ!」

「…………はい」

「許していいことじゃない!、何より…私の友達 泣かしてのうのうとしてる奴らを、アタシは許せない!」

「…………バーバラさん」

するとバーバラさんは立ち上がり、自分のベッドの毛布をエリスにも投げつけて

「それで体拭いてなさい、今のままじゃ風邪引くから」

そう言うとバーバラさんはエリスに背を向けて 踵を返す

「アタシは…行くところがあるから」

とだけ残し、バーバラさんは部屋を後にする、…止める力はエリスにはない ただ呆然と投げ捨てられた毛布に包まり、切り裂かれたコートを…眺めることしかできなかった

…………………………………………………………

アタシには、夢がある

世界最強の魔術拳闘士になることだ

アタシの国を統べる存在にして世界最強の戦士として伝説を残す魔女アルクトゥルス様、強き者に憧れるアルクカース人なら 誰しもが憧れる存在、アタシも例に漏れず 彼の方に憧れた

あの人のようになりたいと、ただの村娘だったアタシは 一生懸命修行して修行しまくって、あの人に並べる存在になれるように 己を鍛え続けた

いつしか、魔女アルクトゥルス様が若い頃学んだと言われる学園の存在を知った、…居ても立っても居られなかった、ただ修行するだけじゃダメだ あの人と同じ場所で同じことを学ばないと 

そう決意し、お金貯めて アタシは一人旅に出た、慣れない旅で苦労したが なんとか辿り着いた、後先考えずアタシはディオスクロア大学園に入学し そこで己を鍛えることを誓った

この学園で、アタシは友に出会った 最初は競い合うライバルだと思っていた存在

エリスだ、彼女はアタシの憧れる魔女アルクトゥルス様と同格と言われる魔女レグルス様の弟子だと言う、そんな彼女と競い合って でもなんか放って置けなくて、いつの間にかルームメイトになって 付き合い出すようになって

彼女の人柄を知ってからはライバルだとは言えなくなった、エリスは優しかったんだ ガサツで粗雑で乱暴なアタシの面倒を見て 時に助けてくれる、理性的にアタシを押さえて 面倒まで見てくれる優しい子だ

…そんな子が、泣いていた 泣かされていた、何をされても大丈夫だから バーバラさんも落ち着いてと窘める彼女が泣いていた

理由は…アタシのせいだ、アタシが考えなしにピエールに突っ込んでいって、そのせいであの子も巻き込まれたんだ、アタシ一人が傷つけられるならいい だがエリスまで巻き込まれるのは我慢ならなかった

あの子を巻き込んでしまったことに対して、丸一日寝込んで悩んだこともあった…その責任をどうにか取れないかと、あの優しい子を なんとか守れないかと、悩んで悩んで悩み抜いて

アタシは力の限り あの子のそばにいて助けてあげようと決意した、なのに結果はこれだ なんて無力なんだ、アタシは!

怒りで己を殴りたくなる、…だが その前にやることがある、己の前に殴らなきゃならない相手が山といる

アタシがケジメをつけるんだ、もう退学になろうが何しようが関係ない この一件を作ったあの男に一発当ててやらなきゃ気が済まない 

いや、殺す!アタシの友の宝物を奪う原因を作ったのはあいつだ あいつをぶちのめして全員に分からせる、アタシの友達を泣かせた罪の重さを!

アイツは今日サロンを開くと言ってきた、居場所は分かっている

…ピエールを叩きのめして、エリスの無念を晴らす それが、無力で馬鹿なアタシに出来る 唯一にして最後の報いなのだ



そうた、ただ決意してアタシは…バーバラは向かう、廊下を歩き ピエールの元へ………


…………………………………………

空が赤らんだ、烏が鳴いている …あれからずっとエリスは部屋でぼうっとしてきた、何もする気が起きなかった、午後の授業もサボってしまった…

ただ声もなく泣いて 涙だけを流して、涙が枯れても泣いた

それだけこのコートは大切なものだ、………それを……

窓を見る、外を見る……

「……学園…楽しくないな……」

ふと、声が出た 大丈夫だと言うエリスの仮面を、気にしてないと言う風を装うエリスの偽りを割いて、本音が出る

楽しくない、何も得るものなんてない ただ辛いだけ、こんなことなら師匠に反抗してでも学園なんかに来るんじゃなかった

ただ力無く呟く、…もう 学園を出て行こう、師匠を探そう エリスに集団行動なんて無理だ、出来ないんだ 諦めよう、エリスは一生師匠と二人きりで生きていくんだ、もうこんな人のたくさんいる所に来るのはやめる

孤独の魔女の弟子も孤独であっていいじゃないか……

「……もうやめましょうか…」

「エリス君!エリス君っっ!」

「ん…?」

ふと 部屋外から、いや窓の向こう 寮の外からだ、鬼気迫る勢いのアレクセイさんの声が聞こえてくる、まるで鉛でも背負ったかのように重たい体を引きずって窓を開け外を見れば

顔を青くしたアレクセイさんが見える、いけない 心配をかけてしまったたか 直ぐに安心させないと、…いやもういいか エリスはもう学園をやめるわけだし

「なんですか、アレクセイさん」

「た 大変なんだ!バーバラ君が…バーバラ君が!!」

「バーバラさん……はっ!?」

そこでまるで殴りつけられたのような衝撃が脳を揺さぶる、バーバラさんだ!バーバラさんはどこへ行った!、行くところがあると言っていた そう言って消えていった、あの時はエリスも止めるだけの余力がなかったが 

バーバラさんはもしかして、ピエールのところへ向かったんじゃないのか!泣き崩れる友の姿を見て黙ってられるほど彼女は穏やかじゃない!、マズい…やってしまった!

「アレクセイさん!バーバラさんがどうしたんですか!バーバラさんはどこへ!」

「だからその…ああ!言葉で説明する時間も惜しい!早く来てくれ!」

そう言って踵を返し走り出すアレクセイさん、ダメだそれじゃ遅い!

「『旋風圏跳』!」

極限集中を開眼し 窓から飛び降りながら風に乗り、そのままアレクセイさんを抱え空へと飛び立つ

「うぉぉぁぁあああ!?僕空飛んでる!?」

「アレクセイさん!どこですか!バーバラさんは!」

「な 中庭だ!急いでくれ!」

中庭だな!急がないと もしバーバラさんがエリスの為にピエールに手を出したりしたら…っ!、もっと速く!もっと鋭く飛べ!

矢のように風を切り裂き、校舎の間を飛び抜け、中庭へと向かう 既に夕日が赤く染まり始めた中庭、もう皆寮に帰り始めている時間だと言うのに中庭にはとんでもない数の生徒達で溢れかえっている

しまった、もう事が始まっているか!

「退いてください!退いて!」

「ん?、なんだ…?」

その直ぐそばに飛び降り人混みを掻き分けようと声を上げるが、分厚い人混みは微動だにせず、くるりと後ろを振り向きエリスの姿を見るなり顔をしかめ、行く手を塞ぐように立ちふさがり…

「なんだお前も…」

今…お前達の相手をしてる暇はないんだよ!

「退け!」

「ひっ…!」

一喝、怒気と殺気を込めて怒鳴りつければ 切れ込みを入れた布のように真っ二つに割れその先へと道が出来る、頼む バーバラさん!まだ間に合ってくれよ!

「バーバラさん!バーバラさん!!」

頼むからまだ手を出していないでくれよ、まだ間に合ってくれよ!、バーバラさんがピエールのところへ向かったのだとしたら、もう殴りに行ったとしか考えられない!

祈るようにバーバラさんの名を叫びながら人混みの向こうへたどり着けば






そこには、惨劇 と呼ぶしか言葉のない、地獄が広がっていた……

「ば…バーバラさん」

そこに、ピエールはいなかった エリスの想像していた物とは、違う いやもっと事態は酷く深刻であった


人混みの向こうにいたのは…、バーバラさんただ一人、ただしその姿は…

「バーバラさん!」

手足をズタズタに引き裂かれ 血の海に虚ろな目で沈むバーバラさんの姿だった

「こんな…こんな、バーバラさん!バーバラさん!!」

息はある、だが目は虚ろで大の字になりながら空を見上げている、意識はあるように見えない…

ともかく傷が酷い、身体中の至る所に打撲と切り傷が走り 口からは夥しい量の血が吹き出ている、特に手足だ 何で傷つけられたか判別できないほど傷だらけで、折れた骨が肉を突き破り表に出ている、見るだけで吐き気がするほどの重傷、生きているのが不思議なくらいだ

「どうして、なんでこんな…」

「ば…バーバラ君は、激怒してたんだ…僕の言葉に耳を貸さないほどに、激怒してピエールのところへ行こうとしていて…それで……」

「ピエール達にやられたんですか!」

「…彼等には既に騎士として働くような猛者が何十人もいる、…バーバラ君がいくらアルクカース人として強かったとしても、…戦いになれば……」


「退いて退いて!、怪我人はここ!?」

呆然とするエリスの思考を遮り 担架を抱えたローラ先生達学園医療陣が現れ、バーバラさんを担架に乗せて医務室へ連れて行く

…バーバラさんが、ピエール達に……エリスの為に彼等に文句を言いにいって、…喧嘩になって……リンチを受けたんだ、ピエールには護衛として数多くの猛者と取り巻きを囲っている、いくら個として強くとも群の前では無力だ

そんなバーバラさんを、ピエール達はこれ幸いと…こんな……

「これは酷いわね、魔獣に襲われたみたい…」

ローラ先生はバーバラさんの傷を見て、顔をしかめる あんな重体になるまで、ピエール達は容赦しなかったんだ…

「ローラ先生、バーバラさんは…」

「エリスちゃん?、…ああ 貴方はバーバラちゃんと仲が良かったわね」

「バーバラさんは、治りますか」

「…ここまでの傷となると治癒魔術を用いても治しきれない可能性があるわ」

「っっ!治してください彼女を!、このままじゃバーバラさんは!!!夢が叶えられなくなってしまいます!」

バーバラさんには夢があるんだ!強くなると言う夢が!、でも こんな手足じゃ…彼女の夢は…!

「もうこの学園の医療設備じゃどうにもならないレベルよ、だから街で一番大きな病院に行って 集中治療を受ける必要がある、でも…この手足じゃ…元のようには動けないでしょうね」

「そんな…………」

目眩がして、座り込む…バーバラさんの手足は 元のように動かせない?、…つまり何か?バーバラさんの夢はもう叶わないと言うことか?…

「リハビリも含めて数ヶ月 いやもしかしたらそれ以上の時間彼女は入院することになって……」

ローラ先生はエリスに懇切丁寧にバーバラさんの行く先を説明してくれるが、エリスにもう返事をする余力はない、エリスの友達が…エリスの友達が……夢を 潰された……

「…悪いけれど暫くは面会謝絶になると思うわ、…これ以上傷を悪化させない為にも 直ぐにでも病院に連れて行く必要がある…、エリスちゃん こんなことになって辛いでしょうけれど 今日は帰りなさい」

「……ローラ先生」

「じゃあもう行くわね…、ほら!みんなも見てないで!退いて!人命に関わるのよ!、あとそこ!レクシオン先生を呼んで!ポーションを山ほど持って来させて!早くッッ!!」

担架に乗せられ連れて行かれるバーバラさんを呆然と見遣る、…彼女はエリスの為にあんな傷を…

「エリス君、その…大丈夫かい?」

「アレクセイさん」

大丈夫か…大丈夫かだって?、きっとその言葉はエリスがこの学園に来てから言い続けた言葉だ、バーバラさんを安心させる為 エリス自身を騙す為、言い続けた言葉…

「…大丈夫ですよ、大丈夫 エリスはどこも怪我してませんから、心配なのはバーバラさんの方ですよ」

「え エリス君」

「明日も授業がありますしね、ここでエリスが落ち込んで単位を落としたらそれこそバーバラさんに顔向けできませんよ、アレクセイさんも危ないので早く帰ってたほうがいいですよ エリスも帰りますから」

そう言って、アレクセイさんに顔を見せず立ち上がる、エリスの意思を無視して 足は、勝手に歩き始める

「君も帰るのかい?」

「ええ」

「寮とは反対の方向に向かってる気がするけど」

「先に用事があるので、そっちを済ませてから帰ります、それじゃあ…また明日」

アレクセイさんに軽く手を振り エリスは歩き始める、ちょっとした用事を片付ける為…いや、いや違う …!

腹の底で燃え上がる炎はエリスの中で 理性を繋ぎ止めていた手綱を焼き切る、もはやエリスを止めるものは無い、エリス自身さえ 今己の手綱を握れない、握ることはない

奴らがその気なら、こちらも相応の手で答えるだけだ …もはや何も関係ない、奴等を地獄に落とす、この手で 

立ち尽くすアレクセイさんを置いて、ただエリスは向かう…校舎へ 、ピエール達のいるノーブルズの領域へ


その手は、血が滲む程に 握られていた、もう…もう知ったことか!

……………………………………………………

「おいアンタレス、なんだ急に呼び出したりして」

相変わらずカビ臭い地下室、コルスコルピの地下奥底に存在する奈落の空間 …この国の魔女アンタレスが住まいとするドブの底のような空間に突如として呼び出され やや辟易するレグルス

…本当に唐突だった、いつもはこちらから赴いても返事の一つも返さないのに 呼ぶときは本当に一方的だ、だがアンタレスは『寂しくて顔が見たくなった』なんて感傷的なことを言う女ではない

態々呼び立てるということは用があると言うことだ

「ああレグルスさぁん遅いですよ呼んだら来てください五秒で」

「無茶を言うな、私も忙しいんだ」

「日がな日な酒を飲むダメ人間生活をしておいてよく言いますよこの上なく暇なくせに」

ダメ人間具合でお前にどうこう言われたくないなぁ!、地下室に入れば相変わらず本の山に埋もれるようにして座っているアンタレスの姿が見える、相変わらずあそこから微動だにしていないと見える

「それで、今日は何の用なんだ と言うか私もお前に聞きたいことが山ほどあるんだが」

「ええ知ってますよ貴方が私に聞きたいことがあることくらいね…だけどそれより前に見て欲しいものがあるからここに呼んだんですよ話はそれを見てからじゃないですかね」

「見せたいもの?、…なんだ?」

「貴方の弟子エリスちゃんです」

エリス!?、…なぜエリスを急に見せたがるんだ、いや…最近私はエリスの監視をしていない と言うか全くしていない、見れば会いたくなるから それにエリスなら学園でも上手くやるだろうし、私のお節介などいらないだろうし…いや、半ば言い訳に近い放置をしていた

しかし、アンタレスは見せようと言うのだ エリスを…

「エリスが一体どうした」

「冷たい師匠ですね弟子が学園で虐められてるとも知らずに呑気なことです」

「なんだと!?エリスがいじめられているだと!?そんなバカな…」

「貴方も学園にいる頃はいじめられてたじゃないですか まぁ虐めてきた奴ら全員殴り飛ばして解決してましたがあれは傑作でしたね」

「そんな昔話はどうでもいい!、エリスは!エリスがどうした!」

「いえただまぁ色々ありましてエリスちゃんもようやく決心がついたようなんですよ…虐められても常に消極的でこれと言って抵抗もしないからどんどんイジメがエスカレートしましてね」

「そんな……いや、そうだな エリスなら力で解決しようとはしない」

何せ私が教えたからだ 力で解決するなと、だからエリスは抵抗を…ぐっ!、くそっ!馬鹿か私は!…

「何を悔いているのか知りませんが例え貴方がエリスちゃんのいじめに気がついても私が手出しさせませんでしたよあの学園に無関係の人間は立ち入ることはできませんからね私が追い出してましたよ」

「…邪魔するなら貴様でも容赦せんぞ」

「怖い怖い…でも安心してくださいエリスちゃんも子供じゃありませんからそのくらい自分でなんとかしますし…何より言ったでしょう決心がついたって」

「なんの…決心だ?」

「始めるつもりなんですよ…」

そう言いながらアンタレスは虚空に映像を浮かび上がらせる、学園の風景 いや違う学園にいるエリスの光景だ、未だ嘗てないほど 激烈に怒ったエリスの怒気に満ちた背中、エリス…一体何があったんだ、何を始めるつもりなんだ

「何が、始まるんだ…?」

「戦争…ですよ?レグルスさぁん…貴方と私のね」

…………………………………………………………

学園最上層部 、教師や理事長でさえ立ち入る事の出来ないノーブルズの聖地 その最奥の部屋にて、事は動く

「始まるみたいだな」

そんな言葉 虚空に響く、アマルトだ…ノーブルズのリーダーとも言える男が一人 窓辺に立ちながら学園を見下ろし、ただそう言うのだ 始まると

「始まる?急にどうしたんだアマルト」

そんなアマルトの言葉に首を傾げながら読んでいた本を閉じるイオ、古くからの友人アマルトの意味深な呟きに訝しみ、立ち上がりながら問いかける 何が始まると

「エリスが動き始めた、アイツ 遂に始めるみたいだぜ…戦争を」

「戦争だと?この学園にあってか?」

「ああ、この学園での戦争 奴と俺達の…戦争だよ」

それだけ言うとアマルトは歯を見せ笑う、イオは些か驚愕する アマルトが歯を見せ笑うなんて何年振りだ いやそもそも笑うなんて久しく見ていない、…ただ かつて見たアマルトの笑顔とはかけ離れてはいる 今の笑顔はまるで肉食の獣だ

…いつから彼は、こんな風に笑うようになってしまったのか

「イオ 出るぞ、ガニメデ エウロパ カリスト、全員ついてこい」

「おや!!、どうしたんだいアマルト君!!君が進んで部屋を出ようなんて珍しいじゃないか!」

「ガニメデうるさい、でも…アマルトが言うならついていく、きっと面白いことがありそうだしね、ふしし」

「えぇ~、私これから子猫ちゃんたちとハーレムパーティがあるんだけどぉ、もう 断り入れるの面倒だわぁ」

この国の未来を担う大臣の子供達を一言で従えアマルトは外へ出る、遂に動き始めた戦いの歯車 その感覚に、久しく忘れていた情熱を感じ今一度笑う

やっとその気になったかエリス、俺はずっと待ってたぜ お前の希望をこの手で撃ち砕き 絶望に叩き落とす瞬間を、手前の顔を歪めてやる瞬間を

……………………………………………

ピエールは今日 サロンを開くと言っていた、放課後 本来はノーブルズしか立ち入れない領域を解放して、一般生徒を集めてパーティをするのだ、場所は分かっている

まるで火にかけた水のように沸騰する己の頭を努めて冷静な思考で誤魔化して進む、奴とエリスたちの間に引かれた一線は崩壊した、何が王子だ 何がノーブルズだ 逆らう者を傷つけその夢を奪う奴に偉ぶる権利はない

足早に動く足で、進み続ければ 廊下の先に何人かの生徒が立っているのが見える、顔に覚えがあるピエールの取り巻きだ、多分あそこから先がノーブルズの領域になっているんだろう

その先へ進むにはノーブルズの許可がいる、エリスにその許可は出ていない 立ち入れば問題になり退学になるかもしれない、…だが

「おい!、お前! お前はここから先に立ち入る事は許されていない、大人しく引き返せ」

「………………」

護衛は腰に挿した模造剣に手を当てて威嚇する、これ以上近づけば攻撃するぞと…だがエリスは止まらない、むしろ加速する 怒りが

その剣でバーバラさんを打ち据えたのか、その剣でバーバラさんを傷つけたのかこいつらは…

「おい止ま…止まれ!聞こえないのか!お前はこの先に通すなって言われてんだよ!」 

それでも尚も進もうとするエリスの肩を掴み止める護衛に、エリスの体は止められる…止めるな、止めてくれるな 、止めるなら…

「今 エリスに関わるのはお勧めしませんよ…命の保証 出来ないので」

「ひっ…」

ギロリと振るわれる刃のように鋭い視線が周囲の護衛達を舐めれば、肩を震わせ 小さな悲鳴と共に一歩引く、恐怖で役目も果たせないような奴らに用はない、あるのはこの際一人だ 例え寄ってたかって全員で傷つけたとしても、用がいるのは一人だけ

怯える護衛達を振り払い先に進む、ノーブルズの領域に足を踏み入れる 本来入る事の許されない聖域に、押し入る これでエリスはもう問答無用で罪に問われるだろう、だが そんなものもはや関係ないんだ

バーバラさんは エリスの為に、涙を流すエリスの為にピエールさんの元へ向かったんだ 罪に問われるのも覚悟で、問答無用で殴りかかったのか あるいは彼の行いを糾弾したかは分からない、だが結果としてバーバラさんは無残にも夢を打ち砕かれるほどの怪我を負わされ生死の境を彷徨う結果になった

償いをしなくてはならない、ピエールもエリスもバーバラさんの夢破れたと言う結末に対して償いを、エリスは彼女の無念を晴らす ピエールにはその身をもって償いをしてもらう

何が正しいとか もっと穏健な道がとか、そんなこと言えるほど今のエリスは冷静じゃないんだ

「ふぅー…ふぅー…」

気がつけば息が荒くなる、迫る怨敵を前に気が逸る…ほら そうしている間に見えてくる、豪奢な扉 普段はノーブルズしか立ち入れない豪勢な部屋の一つ、あそこで今奴は呑気にサロンを開いていると言う、…そしてその扉の前には

「おや、来ましたか」 

糸目の大男、アルバート・フラカストロ 齢は20 あの歳で既に騎士団への入団を果たしており 時期騎士団長候補とも言われる逸材、ピエールの護衛としてわざわざ入学した最強のボディガードだ

「エリスさん、利口な貴方なら ここに来る事はないと思っていましたよ」

「………………」

アルバートの前で止まる、彼がピエールのいる部屋の扉の前で仁王立ちしエリスの行く先を阻んだからだ

「退いてください」

「そう言うわけにはいきません、貴方は通すなとピエール様から仰せ付かっていますので」

エリスが睨んでもこの男はどかない、腰に挿した剣は飾りではないと言う事、伊達に騎士をやってない、…だが エリスの怒りの対象は何もピエールだけではないのだ

「ピエールに言いたいことがあるんです」

「それはまた後日お願いします、今は大事なサロンの最中ですので」

「退いてください」

「しつこいですね、…実力で追い返すにしても ピエール様は貴方の顔を気に入っています、ズタズタにするのは気が引けるのですが…」

「ズタズタに…?」

脳裏によぎるのは無残なバーバラさんの姿、彼女は弱くない むしろ強い部類に入る、十人二十人に囲まれてもああはならない、彼女を上回る強者がいなければ…

つまり…

「やはり…!、貴方が…貴方がやったんですね!!」

「ッッッ!?この威圧…!」

抑えきれない怒りが魔力と殺意となって溢れ出る、窓が揺れ大地が揺れ 壁が軋むほどの魔力を前にアルバートの顔色が変わり 腰の剣に手を当てる

「そんなバカな!、こんなの学生レベルではあり得ない…!宮廷魔術師でさえ既に凌駕するほどの魔力を…何故貴方が!?」

「何度も言わせないでください!、退いてください!ピエールに用があるんです!」

「…殺される ピエール様が 殺される…貴方に…、貴方のような人間を通すわけにはいきません!」

刹那、剣が抜き放たれる 刃を潰してあるとはいえ鉄剣は鉄剣、鋭く重い斬撃は一閃の輝きの元 抜き放たれ、直ぐさま斬撃として放たれる…素早い 重い 鋭い一撃、それをエリスは

「ッッ……!」

頭で受け止める、…エリスの頭に食い込んだ鉄剣は エリスの皮膚を破り額を伝って目元まで血が垂れる、痛い…悶えるほどの激痛、これを…バーバラさんは全身に…!!!

「こうやって、バーバラさんを痛めつけたんですか…」

「何…!?効いていない!?私の一撃を受けておきながら!?」

「こうやって…こうやって!!!」

血管の浮き出るほどの力のこもった手で アルバートの鉄剣を掴み捻じ曲げながら退けるもはや…容赦する理由は ない!

「許しませんよ、エリスの…エリスの友達を傷つけた貴方達を!」

「なっ……」

瞬きの間に それこそアルバートでさえ反応ができない速度で身を屈めバネのように力を込めて、蹴り穿つ アルバートの胸を……


………………………………………………………………

ディオスクロア大学園の至る所に存在するノーブルズ限定の部屋、聖域とも言われ 普段は一般生徒は立ち入れない部屋となっているそこは、不必要なまでに豪勢で 壁も床もソファも 全てが選りすぐりのものとなっており、貴族の選民思想を満足させる作りなっている

普段はノーブルズしか立ち入れないが…今日は別、ノーブルズと一人にしてこの国の第二王子であるピエールが許可した人間だけ、とある三人の生徒を除いた全ての魔術科の生徒達が立ち入り 騒ぎ歌うサロンの場として公開されているのだ

「流石ノーブルズの聖域、やはり他とは違いますわね」

「全くだよ、この部屋を見るとノーブルズが如何に特別か理解できると言うものだよ」

「うぃっす!全くだ!オラこんな凄い部屋初めて見ただよ」

テーブルの上に優雅な紅茶や高級な茶菓子が並べられ、皆一様にそれを摘み ピエールに感謝するような言葉を並べている、彼と同学年になれて 幸運だと、ピエールを崇める

「本当本当!、全くピエール様には頭が上がらないわ」

「なははははは!、だろう?だろう?僕は凄いだろう?、何 皆遠慮せず寛いでくれよ、高貴な者は与えるのが使命と良く兄さんも言ってることだしね」

皆に讃えられて嬉しそうに笑うピエール、内心したり顔だ

こうやって大勢の丸め込めば、自分に逆らう奴はいなくなるし 逆らうあのバーバラとか言うクソ女や名前も覚えてないメガネを虐げられるし、皆が僕を讃えれば エリスも僕に振り向くだろうと

「凄いわピエール様、私憧れちゃう」

ピエールの周りには彼に少しでも気に入られようと集る女子生徒が何人も、全くエリスもこうやって素直になれば可愛がってやるものを

「そう言えばピエール様、また今度 うちに転入してくる生徒がいるって話聞いてますか?」

「ああ?、聞いてるよ そこそこ高貴な出だとも聞いてるけど、其奴らも僕の足元に跪かせてやるよ、なはははは!」

なんて笑っていると、何やら 外が妙に騒々しいのを感じる、外はアルバートが警備しているはずなのに、全く騎士だと言うから金を払って無理矢理入学させてやったのに 仕事も出来ないんじゃ雇った甲斐がない

どれ一つ文句でも言ってやろうと ソファに深く沈み込んだ尻を上げ……た、瞬間

扉が、吹き飛び 外から何かが飛んでくる

「な 何事だ!?」

静まり返る部屋、先程までの優雅な時間とはかけ離れた騒然としたり空気…、何せ 外から飛んできたのは

「ご…はぁ……」

泡を吹き白目を剥きながら倒れるアルバートだったからだ、既に生徒のレベルからは一線を画したプロの騎士である彼が、扉を突き破り 外から飛んで…いや飛ばされてきた、ありえない光景に皆…ピエールも頭が真っ白になる

「あ アルバート!?、な なんだ一体何が…!」

そこまで口にしてようやく理解する、彼の胸に一つついた靴跡 蹴り飛ばされてきた、それもものの一撃で、…扉と前に立つ 奴の手で

「ピエール……!」

鬼だ、扉の前に鬼が立っていた 息荒く 肩を上下させ、怒りに震える鬼…エリスの姿だ、その余りに恐ろしい姿にピエールはすくみ上り 体が自然と震えだす

「な なな なんだ!なんだよエリス!君は呼んでないはずだが!?」

「……貴方に、用があって来ました」

「用?…な なんだよ、サロンに混ぜて欲しいならそう言えばいいものを、今からでも僕の女になるなら…」

その瞬間、こちらに向かって歩いて来たエリスが 目の前のテーブルを一撃で蹴り上げる、重厚な…それこそ運ぶには男手がいくつも必要なテーブルが、まるで紙のように上へと吹き飛び 天井にぶつかり粉々に砕ける…

「……その口を閉じなさい、さもなきゃ次は貴方がこうなる番ですよ」

「ひ…ひぃっ!?」

落ちて来た木片を握り砕きながらエリスは言う、その目は明確な怒りを孕んでいる 

殺される 殺されてしまう、ピエールは咄嗟に理解する

「お おい!、誰か!誰かこいつを摘み出せ!僕を守れ!」

上がる悲鳴 立ち上る砂煙 生徒達が我れ先に逃げていく、ピエールが助けを求めても誰も寄ってない あれほど讃えてたのに あれほど群がっていたのに、いざとなれば我が身を呈して守る者など一人もいない

だから…これだから!民は嫌いなんだ だから下賤の人間は嫌いなんだ!とピエールは怒る、国の指針を決めると言う大役を王族にばかり担わせておいて 国の責任全てを負わせておいて、言うことは不平不満の文句ばかりかいざとなれば国をも捨てる

唾棄すべきハエのような愚劣な存在、だから金でいいように操るし 地位で踏みつける、…なのに 結局こうなるか、去っていく生徒達の背中を見て置いていかれる王子は歯を噛みしめる

「やめろ…やめろ!来るな!分かってるのか!僕に手を出したら兄さんや父さんが黙ってないぞ!」

「その前に貴方を黙らせます、永遠に」

「僕は王子だぞ!この国の!」

「そしてエリスの敵です」

「僕は…ノーブルズで、王子で…それで…」

エリスが一歩前へ出ればピエールも一歩下がる、後退りし逃げる ただそれを繰り返し、気がつけば壁際 逃げ場がない

「…この期に及んで言うことはないんですか」

「は?なんのことだよ」

「バーバラさんのことです!」

「バーバラ?、はッ!あんなクズどうなろうが知ったこっちゃないだろう、僕たち王族に逆らう蛮族娘一人、高貴な僕の道を塞ぐ小石も同然!蹴飛ばして踏みつけて何が悪いよ!」

それは心からの言葉だった、心からの…心底そう思っていた、助かりたいから建前を使うとか そんな思考さえ湧かないほど、至極当たり前の道理は反射的にピエールの口を割った

だからこそ、いや そもそもエリスはピエールのそんな根性に対して…激怒していたのだ

「そうですか、では 貴方の父君と兄君そう伝えておきます、それが貴方の遺言だったと」

「ま…ま 待て!待って!、やめろ!来るな!、ひぃぃぃ!!誰か!誰かー!」

拳を握り青筋を浮かべたエリスは、まるで炎のような怒りを瞳に浮かべ、ピエールめがけ その手を出した瞬間

「ぬぅぅんっ!」

立ち上がった、エリスの背後で 先程まで泡を吹いていたアルバートが立ち上がり、強襲する エリスを背後から、曲がった鉄剣を大上段に構え 槌でも振り下ろすかのように放たれる斬撃、刃を潰していても樹木さえ両断できる一撃を、無防備なエリスの背中めがけ放つ

「無駄です」

しかし、そう エリスの言う通り 無駄であると、今度はその鉄剣はエリスの頭をとらえることなく、一瞥すらしないエリスによって片手で止められる

「ピエール様はお逃げを!!この鬼は私が!」

「あ アルバート!、でかした!この恩賞や褒賞は必ず父に…」

「いいからお逃げを!このままでは殺されてしまいます!」

「は はひっ!」

アルバートの鬼気迫る雄叫びに飛び上がりピエールは尻尾を巻いて部屋の外へせせこましく逃げていく、その姿をエリスは瞳で追いかけ…

「邪魔しないでください、命の保証はできませんと言った筈です!」

「抜かせ!ノーブルズに逆らう 王家に逆らう愚か者が!、騎士の誇りにかけて必ず貴様を打ちのめす!」

「無力な民草めがけ振るわれる剣のどこに騎士の誇りがあるものか!、少女の夢一つ踏み潰すのが貴様ら王家なら 騎士なら!、そんなもの無い方がマシだ!」

更に力を込めるアルバートに対し、エリスは即座に身を反転させる、さっきのような怒りに身を任せたただの蹴りでない、明確な敵意を以ってその剣を掴み そのまま体重移動遠心力…腕力以外の力を総動員させ、大柄なアルバートの体を容易に投げ飛ばす

「ぐぉぁっ!?」

壁に叩きつけられ苦悶を浮かべるアルバート、いやそれ以上に驚愕が勝っている エリスは魔術科の人間、座学や研究を主にする生徒、だと言うのに騎士の自分を近接戦で圧倒する膂力を秘めている

…このエリスは、孤独の魔女の弟子を僭称する偽物だとピエールは笑ったが、ここに来てアルバートは理解する、これは本物だ 本物の魔女の弟子だ

ピエールはその悪辣な根性で、開けてはならぬ蓋を…地獄の釜の蓋を開けてしまったのだ

そう、アルバートが理解して間も無く その意識は刈り取られる、飛ばされ激痛に喘ぐアルバートの顎先めがけ、エリスの二撃目 鋭い蹴りが飛んできて その意識は闇に飲まれる

……ああ、こんなことならば、あのような虐め 止めておけば良かったと、アルバートは今更になって後悔するのであった




「ピエール!どこに逃げても無駄ですよ!、地の果てまで追いかけて貴方に報いを受けさせます!我が友を傷つけた報いを!」

エリスは追いかけ怒りに吠える、逃げたピエールを追いかけ部屋の外に出る、…すると

部屋の外には既に人混みが出来ていた、さっき逃げた生徒達じゃ無い…エリスに怯えて逃げ出したピエールの護衛でも無い、いや護衛であることに変わりはないのだが ピエールの連れているそれとは圧倒的に練度も覚悟も違う物…

「兄さん!兄さん助けてくれ!エリスが エリスが!」

ピエールは部屋の外にいる男に泣きすがっていた、…そうだ 彼の言う通り兄に、イオに泣きすがっていた

部屋の外は既に包囲されている、イオの連れる学園最強の護衛部隊とノーブルズ達によって

「ノーブルズが、お早い到着ですね」

エリスは内心舌打ちする、邪魔が入った 手間取ったせいでピエールに対して救援が来てしまった、今イオが連れてきた護衛はピエールの連れている者よりも強力な護衛だ、些か面倒だが……だが!もはやそんなこと関係ない!、邪魔するなノーブルズ諸共消し飛ばす

「ピエール…何があった、なんの騒ぎだ」

「聞いてくれよ兄さん!そいつがいきなりノーブルズの領域に押し入っていて僕を殺そうとしたんだ!」

「なんだと…」

「エリスは彼のやったことに対して 報いを受けさせたいだけです!、そいつはバーバラさんに瀕死の重傷を負わせてのうのうとパーティを開いていたんです!」

「し…知らない!知らないそんなの 僕は関係ない!、あんなの嘘だ!兄さんアイツ嘘ついてるよ!僕を殺しにきて嘘ついてるよ!」

「…事の真偽はともかく、エリス…君は重大な違反を犯している、ましてやノーブルズ 王族のピエールに対してこのような仕打ち、許されるものじゃない…よって君に今から罰を与える、護衛部隊!!前へ!!」

イオの叫びに呼応して、一糸乱れぬ動きで前へ出る護衛達、その様は最早生徒ではなく 一国の軍とも言える、がしかし そんな護衛達を手で制し一人前へ歩む者がいる

「やめとけやめとけ、こんな雑魚じゃ相手になんねぇよ」

アマルトだ、ノーブルズの中心核 学園次期理事長たる彼が護衛達を後ろに下がらせ自らが前に立つ、まるで自分がやると言わんばかりだ

「アマルト…危険だ、いくら君でも…」

「イオ 黙ってろ、俺はこの時を待ってたんだ、調子に乗った魔女の弟子をぶっ潰すこの機会を」

「退いてくださいアマルトさん、エリスはピエールに用があるんです 目の前に立ちはだかるなら壁でも貴方でもぶち抜いて進みますよ」

怒るエリス 余裕の笑みを浮かべるアマルト、二人の眼光が交錯し 睨み合う

「あんなでも一応ノーブルなもんでね、ボコられたら俺らの面子に関わるんだわ」

「クズを守るのにメンツもへったくれもないでしょうが」

「あるんだよ、この学園には」

「クソみたいな学園ですね」

「気があうな…その通りだよ」

最早一触即発の距離に迫るエリスとアマルト、最早止められない 二人はぶつかり合う、イオはその空気を察し弟の手を引き護衛を下がらせる、アマルトが出るなら護衛など邪魔なだけだろう

何せ、アマルトという男は…今 このディオスクロア大学園において、最強の男なのだから

「もう一度言います、退いてください」

「言って無駄なのは、もう分かってんだろ…来いよ、潰してやるぜ 魔女の弟子!テメェのそのツラ!ずっと気に入らなかったんだ!」

瞬間、交錯する エリスの拳とアマルトの拳、まるで矢でも引いたかのような一瞬の拳撃はすれ違い 互いの頬を掠める、避けたのだ 共に互いの拳を、その一撃を見て両者理解する…目の前にいる相手は、この学園にいるどの生徒よりも強く…そして高い壁であると

「疾ッッッ!!」

「ははははっ!最高!」

……この時、それを側から見ていたイオは その戦いが生徒の物とはとても思えなかった

刹那のうち 残像を残す勢いで放たれるエリスの連撃を風に揺れる木の葉の如く避けるアマルト、避けるばかりか合間を縫って蹴りを放ち応戦する始末

エリスもまたその意識外から飛んでくる反撃 それこそイオにとっては不可避にさえ思える蹴りを軽くいなし攻めに出る、レベルが違い過ぎる エリスの前では連れている護衛の戦士など、庭先で伸びきった雑草の如く刈り取られるだろう

…イオ自身でも、近接戦ではエリスに勝ち目はないだろう、だがアマルトは違うあの男は違う

剣を持たせれば誰よりも速く振るい 魔術をさせれば誰よりも高く秀でる、教師でさえ彼に力で勝つのは無理だ、王宮の騎士さえ彼には敵わない、この国で彼に勝てるのは彼の従姉のタリアテッレくらいだ

だがそんなアマルトとエリスは互角の戦いを繰り広げる、魔術師のエリスは魔術を使う事なくアマルトと互角に殴り合っている

手を叩く音よりも速い蹴り 瞬きをするうちに数度振るわれる拳、アマルトと繰り広げられる一進一退の戦いは 狭い廊下を舞台に、縦横無尽に繰り広げられる

…完全に互角、千日手に見えたその戦いはアマルトの手によって打ち破られる

「そらよっ!」

「なっ!?」

投げた、エリスの拳を見切り掴み、腕を取るなりそのまま勢いに任せて投げ飛ばす 投げた先は窓、いや あの勢いでは何もないも同然 ガラスは容易く砕かれてエリスは勢いのまま外へと投げ出される

「っと!、小賢しい!」

「そう言うなって!、狭い場所じゃお互いやり辛いだろ?」

投げ出され中庭に飛ばされたエリスは猫のようにくるりと回転し着地しすぐさまアマルトの方へ視線を飛ばす、すると既にアマルトも中庭へと降りていており、戦いの場は中庭へと移る

「…中々やりますね」

エリスは既にアマルトの評価を改めていた、この男は強い エリスが今まで戦った相手となんら違いない程の強敵、ノーブルズなんてただの傲慢なボンボンばかりだと思っていたがこの男は違う

近接戦ではアルクカースの第一戦士隊と変わらない強さだ、この世では一級品の強さと言ってもいい

故に油断なく構える、いや最早体術だけでは決着は無理か

「いつまで遠慮してんだ?、使えよ古式魔術 魔女から教わってんだろ?」

「貴方ごときに使うまでもありませんよ」

とは言うが、強がりだ 使わなくては勝てない、しかし使えば…そうエリスは躊躇う、すると そんなエリスの躊躇いを知ってか、アマルトは 腰に下げた短剣を取り出す

「そっちが本気出さねぇなら、まずこっちか出さないとな、本気を」

すると アマルトの体から魔力が隆起する、分かる 来る!魔術が!アマルトが魔術を使おうとしている、そう理解し エリスは強く構える…それと同時にアマルトはその短剣をエリスに向ける、のではなく 己の指先に向けて …小さな、傷を作る

「その血は一刃 その身は千刃…」

「……え?」

アマルトのその言葉と共に指先から流れる血は重力を無視して短剣へと移り、纏い 硬化し刃となっていく

なによりもエリスは驚愕する、今 アマルトが口にしているそれは…

「人を呪わば穴二つ、この身敵を穿つ為ならば我が身穿つ事さえ厭わず」

「あ 貴方、それ…なんで貴方が……」

黒々とした血は短剣へと纏わりつき形を成して、一本の長剣へと姿を変える、そこから溢れる魔力は 口にする詠唱は、正しく……

「古式魔術!?」

「呪装『黒呪ノ血剣』…」

古式魔術だ、今は失われこの世では現在魔女しか使うもののいない絶技、否魔女だけではない 正確には魔女と…その弟子しか、ま…まさか

まさか、アマルトが…

「魔女の弟子ってだけで自分だけ特別だと思ったか?、残念 俺もそうなんだわ、探求の魔女アンタレスの弟子…それが俺さ」

「アンタレス様の!?、そんな…アマルトが、エリスと同じ 魔女の弟子…!?」

アマルトは言う、魔女の弟子であると エリスが未だ見たことのない魔女…師匠曰く呪術の達人と言われる探求の魔女の弟子だと、自分だけが魔女の弟子だからこの学園で特別 なんて思ったことはない、だが…信じられない

アルクトゥルス様もフォーマルハウト様もエリス達との戦いを経て弟子を取った、しかし アマルトは既に、エリスの知らないところでアンタレス様に弟子入りしその力を得ていたと言うのだ

…だが、恐らく 偽りではない、あれは確かに古式魔術だ、詠唱もそうだが その力…滾る魔力は間違いなく、師匠達と同じ古式魔術の力で

「遅いぜ……」

「え?」

その驚愕は、エリスとアマルトの 一進一退の攻防に 隙と言う穴を開けた、その穴をアマルトは見逃すこともなく、一瞬で踏み込み すれ違いざまにエリスに一撃、その黒剣で打ち込んだ

「かはっ……!?」

斬られた 両断された、エリスは冷や汗をかくが すぐに理解する、斬られたには斬られたが 薄皮一枚だ、ほんの擦り傷と言ってもいいくらいの小さな傷しか出来てない、アマルトがそのように斬ったのだ、殆ど無傷と言ってもいい…

「ど どう言うつもりですか?」

「どう言うつもりって、勝ったつもりだけど?」

「何を……ッッ!?!?」

振り向きざまに声を投げかけるエリスを襲う激痛 手足の痺れ、まるで体の内側に溶け鉛を流し込まれたかのような堪え難い激痛に思わず足をもつれさせ倒れこむ

動けない 動かない 体が一切、たった薄皮一枚斬られただけだと言うのに、こんな血が軽く流れる程度の傷をつけられただけだと言うのに、もう体が 動かないんだ…一体どう言う

「不思議そうだなぁ、探求の魔女アンタレスの使う魔術は呪術と呼ばれる特殊な魔術であることは知ってるな、呪術ってのは事象を無視して身体に現象を与える魔術 言っちまえば斬らなくても痛み与えられる魔術ってこった」

するとアマルトは動けず横たわるエリスの元まで悠々とやってくると、そのまましゃがんでエリスを見下ろす

「この剣に斬られた者は生命である限り須らく呪われる、お前にかけた呪いは二つ 激痛を伴う金縛りの呪術、そしてもう一つは…後で教えてやる」

「ぐっ、…く…そ!」

「ははは!残念残念!お前の負けだよ!、力を得て特別扱いされたかったか?自分には才能があると驕ったか?、お前みたいに生まれつき特別扱い受けてる奴を 地の底に叩きつけて分からせる瞬間…やっぱたまらねぇな」

「この…エリスは…ピエールを……!」

「結果としてあのクズ弟守っちまったが、まぁいいや…お前が嫌がるならあの弟でも守ってやる、おい!お前ら!コイツ無力化したから指導室に運べ!」

アマルトの言葉により駆けつける護衛達、エリスはものの一撃によって無力化され…決死の覚悟の復讐は 苦い敗北と手痛い失態によって幕を閉じるのであった……

いや、地獄は ここから始まるのだ、…探求の魔女アンタレスの弟子 アマルトによる、地獄が
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