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五章 魔女亡き国マレウス
98.孤独の魔女と因縁の過去
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……………………見たことのある光景を、エリスは見ていた
深い霧に包まれた城郭、純白の楼閣 白痴なる光景
実体があるようで無く 実在するようでしない、虚像の国 虚無の世界
一度目 ここを訪れた時はいつだったか、そう…ヘットに殺されかかった時だ
あの時は一命を取り留めた物の、変な夢を見たんだ…首だけの師匠が こちらを見て笑っている、怖い夢
……今回もそれと一緒か?、と言うかエリスはどうなったんだか?
そうだ、コフだ…アルカナだ、あの時同様エリスは殺されかかって…いや死んだな、死ぬ感覚というのは分からないが 間違いなく死んだ、息を絶え 痛みの中エリスの意識は消えた
そうか、ならここは夢などでは無く本当に死者の国だったのかもしれない
そうだ、あの時と同じ場所だ あの変な夢で見た真っ白い城、ここはそこと同じ場所…ということは、いるのか?奴が
「ああ、居るさ 居るとも 居るともさ、また会えたねぇ エリス」
朦朧とする意識が覚醒する、目の前の世界が明瞭になる
声がする、奴の声が そう認識した途端 それが目に入る、首だ 生首だ 未だに血を流し白い世界を赤く染める首、…孤独の魔女レグルスの頭が
「貴方は…」
「エリス…、悪かったな お前は私の弟子だというのに、以前は冷たくあしらってしまって」
首だけのレグルス師匠は申し訳なさそうに顔を歪める、首だけだというのにやけに生々しい反応に些かの気味の悪さを感じる
何せ、レグルス師匠の頭なのだ 大好きなレグルス師匠の…、敬愛する人物の生首など見ても気分のいいものではない
…あの時の夢もこんなのを見たな、レグルス師匠の生首を見て 怯えて、気がついたら意識が覚醒していた…
「本当に…嫌な夢ですね」
「何故そうも嫌そうな顔をする?、私はお前の師 お前は私の弟子だろう?」
「何故って、そりゃ…決まってるじゃないですか」
レグルス師匠の生首が首をかしげる、なんで嫌そうな顔って そりゃ目の前で愛する人の首が転がってれば誰だって嫌な顔をするよ
それに、もう一つ付け加えるとするなら
「貴方が…レグルス師匠じゃないからです」
「…ほう?」
あの時は分からなかったが、今ならわかる こいつはレグルス師匠と同じ見た目をしているが、レグルス師匠じゃない
ヒントはあった、エリスだって気がつかないほど間抜けじゃない、この生首は 体を八つに裂かれている
八つだ、八つに引き裂かれて平然と生きている存在、些か信じられないが エリスはその存在を師匠から聞かされていた、これが死者の世界だと言うのなら…もしかしたらと口を割る
「…貴方、シリウスですよね 原初の魔女シリウス、それが貴方の本当の名 本当の姿でしょう?」
「……くく、あはははは うははははははははは!!」
首は笑う、げたげたと狂ったように 笑い首だけで浮かんでエリスから離れると
「ははは…あーー、いやさそうよ 気がついておったならば仕方あるまい、しかしよう見破った 完璧に化けたつもりであったのがなぁ?」
首は周囲に散らばる自分の体の残骸を一つに集め それらを無理やり接合し、辛うじて人の体を取ると共に、レグルス師匠の姿を捨て本当の姿を見せる…、髪の色が変わり 姿が変わり…正体を現す
「そう、我こそがシリウス 皆の呼び名に合わせるならば原初の魔女!シリウス様よ!、ぬはははははは!」
シリウスだ…師匠達の師匠にして 大いなる厄災の元凶、世界を滅ぼしかけた世界最悪の存在、それが今 エリスの目の前に現れたのだ
黒い髪 紅い 漆黒のコートを羽織うレグルス師匠の姿からくるりと一回転するうちにその姿は一転する、純白の髪は師匠とは違いガサガサで尖り立っており、眼は師匠と同じ紅…だがその内に優しさのようなものはなく ただ狂気だけが宿っている
牙は鋭く 爪は長く…まるで悪魔のような姿だ
白い髪と赤い眼 鋭い牙、確かに 師匠がバシレウスと似ているといったのがよく分かる、というか確かにそっくりだ、バシレウスを女にすればシリウスになるし、シリウスを男にすれば 多分バシレウスになる、そのくらいそっくりだ
でもレグルス師匠、師匠はシリウスとバシレウスが似ていると言いましたけれど、こうして目にしてエリスは思うのです
シリウスはバシレウスよりも…レグルス師匠自身にそっくりだ、瓜二つだと言えるほどに
その赤い眼 その髪質、何より顔がそっくりだ…なんでここまでそっくりなのか理解できないほどに似ていると、これじゃあまるでレグルス師匠が……
「んんぅ~~?、エリスよ何を見ておる?儂の顔に何かついておるか?目と鼻と口か?ってそれお主にもついとるやろがーい」
「…本当にシリウスなのですか?、あの八千年前に師匠達に倒された」
こうして目の前にしても信じられない、なんでシリウスがこうして目の前にいるんだ、本物なのか?なんでエリスの目の前にこうして現れて口を聞いてるんだ?これはエリスの夢じゃないのか
「然り、儂こそ そのシリウスよ、会えて嬉しいか?ん?嬉しいかろう?、嬉しいといっても良いのだぞ?、おおそうか嬉しさのあまり声も出ぬか!奥手な奴め愛いやつよ、しかし言葉とは表に出せねば意味が無き物 魔術も同じじゃ、というかなんか言え」
めっちゃ喋るな…、なんかイメージと違う…もっと邪悪な人かと思ってたんだけど…、わちゃわちゃカサカサ動いて動き回る、これ本当にシリウスなの?この人が世界滅ぼしかけたの?、なんか逆に情けないな
「…死んだんじゃないんですか?」
「まぁな!、故にこうして言葉を紡ぐのも久しぶりよ…生物学上はちゃんと死んでおるし生き返ったわけでもないしな!、お前も若干気づいておるかも知れぬが ここは現世ではない故 こうして儂も生前のように動き話せるのだ、ほれ!こんなに元気!ほれ!ぴょーんぴょーん!あ 腕取れた」
現世じゃない?、ああ…だから死にかけていた時にここにエリスの意識は飛ばされていたのか?、いや現世じゃないというのがどいうものなのか分からないけれどさ、とするとやはりここはエリスの思った通り…いやいや思った通りなら相当まずいのでは!?
「え エリスは今どうなってるんですか!どういう状況なんですか!?気がついたらここにいて、今何が何だかさっぱりわからない状況で…エリス死んだですか!?」
「あれこれ聞くでない、少しは自分で考えぬか…まぁ簡単に言うなれば 死ぬ一歩手前じゃ、心臓は止まっておるし息もしてない、そんな感じじゃ」
「死んでるじゃないですか!」
「死んどらん!、人の生死は その内に魂があるか否かによって決まる たとえ鼓動があれど呼吸があれど!魂がなければそれは死んでいる、なればその逆も然り お主の内には未だ魂がある、故にまだ踏みとどまっておる状態にある」
まぁ?心臓止まって息してなけりゃ時間の問題じゃが?ぬはは とシリウスはあっけらかんに笑う、…そうか、エリスはコフの攻撃を食らってそんな状態になっているのか
しかしどうすればいいんだ、エリスの力だけで息を吹き返すことは出来るのか?、エリスはまだ死ぬわけにはいかない
「なんとか出来ないんですか?」
「なんとか?なんとかって?」
「息を吹き返す方法です!このままじゃエリス死んじゃうんですよね、エリスはまだ死ぬわけにはいかないんです!」
「安心せい、このままむざむざ死なせなどせん、お主はここで死ぬにはもったいないからのう」
ぬはは とシリウスは笑うと任せろと親指を立てる、なんだ 優しい人じゃないか、頼りになるいい人だ、なんでこんないい人が世界を破壊しようとしたんだ…いやそう言えば暴走したからだったか、つまりこれは暴走していない 本来のシリウス、つまり八人の魔女を育て上げた状態のシリウス、エリスの大師匠なんだ
「助けてくれるんですね!」
「助ける?誰を?」
「え……?」
そう、安堵しかけた瞬間 シリウスの様子が一変する、いやシリウスだけじゃない、白い霧に包まれた世界の色が変わり始める
霧が晴れ 城郭が崩れ、背後の世界が露わになる
「な 何をいってるんですか、エリスを助けてくれるんじゃ…」
「たわけが…、死なせるには惜しいといっただけ、貴様を助ける気など毛頭ないわ」
そこはまるで地獄だ、黒い大地 空から流れ落ちる大量の血 、下からは火が吹き…この世の終わりを現すこのような地獄が露わになり、シリウスの表情もまた残酷に変わる
「魔蝕によって才能を得た子、ここまで純度の高い魔蝕の子は珍しいからのう…有用に扱わねば」
「な 何をするつもりですか!」
「何をするつもりって、何かするつもりじゃからここに呼んだに決まっておろう、死にかけの魂なら 自在にここに呼び寄せられるからのう」
「呼び寄せた…っ!?な 何ですかこれ!?」
ふと気がつくと己の体が鎖によって雁字搦めにされているのに気がつく、虚空より生えた数多の鎖はエリスの腕や足胴体に巻きつきその場に留めている、ダメだ 壊せない…これは壊せない、なんとなくわかる …この鎖は壊れるように出来ていない
「なんじゃ気がつかんかったのか?、ずぅーっとお前に呼びかけておったろう」
「呼びかけ…まさか、まさかあの頭痛って!」
「然りも然り、儂の魂とお主の魂が同調したが故に起こった事象よ、儂の魂の規格がお主の魂とでは全く合わぬのでな、軋轢故苦痛を伴ったが…別に良いよなぁ?だって儂は痛くないんだもん」
ニィーと歯を見せ笑うシリウスに 心底恐怖を覚える、優しい人などではない マトモな人間などではない
…エリスは今まで悪人と呼ばれる存在と多く邂逅してきた、そいつらは皆 体から悪意のようなものが滲み出て 他者を傷つけてやろうという気が全身から感じられた、だがシリウスからそれを感じることはない この状況にあってもそれを感じない、故に騙された
思っていないのだ、傷つけるとか悪事を成そうとか そんなことを思っていない、悪意を持って呼吸する人間はいない 悪意を持って生きる人間はいない、それと同じだ 彼女にとって…他者を傷つけるとは 本当に至極 普通で真っ当でどうでも良いことなのだ
狂気…そんな言葉では表しきれない真なる悪意、これが大いなる厄災 これが…世界を破壊しようとした女の姿
「な なんで魂の同調なんか…」
「一から全部教えねばならんか?、まぁ良いか…それはお主が魔蝕の子だからよ」
「え……?」
「分からんか?、魔蝕の子とは大地から溢れた魔力が胎児に宿ることによって特殊な才能を得た子供の事、お主もそうなんだろう?その不思議な才覚で幾多の場面を切り抜けてきただろう?」
「そ…そうですけれど、なんでそれが関係あるんですか…」
「察しの悪い鈍チンじゃのう、その大地から溢れた魔力とはどこから来ると思う?、魔力とは本来魂から現れるもの、必然 魂なきものには魔力は宿らない、なら石や大地が魔力を持つのはおかしかろう」
確かに、魔力は魂が外へ漏れ出たもの、なら石や大地が魔力を持つのはおかしい …あるいは石や大地にも魂があるのかと思ったこともあるが、……違う
違う違う違う!違うんだ!、大地の魔力と思っていたものは 世界に溢れ空気中に散布されている魔力は、ただ下から溢れているだけで 大地の魔力じゃないんだ
遥か地下に埋められた『ソレ』から溢れているものなのだ
「まさか…世界中に溢れている魔力は 空気中に漂う遍く魔力は……」
「左様、全て儂の魔力だ、弟子たちに切り刻まれ 地下に埋められた我が一部から出ずる力のさらに一部よ、言ったろう?呼吸もしていない鼓動もない だが魂があれば死んでいないと…儂はまだ真なる意味で死んでおらん、この世界を魔力で包み 今尚生きながらえておる」
…信じられない、世界一個を丸々包んでしまうくらいの魔力なんて、しかもそれがたったの一部?一体どれだけの魔力を秘めているんだ シリウスは…
フォーマルハウト様は言った…シリウスは『この世で最も神に近づいた人間』だと、…違うよフォーマルハウト様、この人は神様だ 世界そのものだ…
「魔蝕も元を正せば我が魔術…そしてそれによって集まった我が魔力を通じて産まれた子は、その魂の形が儂に似通るのだ、儂に近づくが故に才能も持ち合わせる…だがその代償に 些かの欠落と共に儂との間に小さな道が出来る、切っ掛けがなければ開くことはないが、逆に言えばきっかけさえあればこれこの通り、大地の底に封印されながらも干渉ができる」
つまりエリスの才能も元を正せばシリウスに似通ったが故に生まれたもの、元はシリウスの力の一部…エリスが?いや、エリスだけじゃない…エリスと同じ魔蝕の子は全員 シリウスの魂を模して物を持ち生きているということ…
…でもきっかけってなんだ、いつだ そんなのどこにも…、いや このようにシリウスの干渉が酷くなったのは最近…もしかしてそのきっかけって……
「さて、もう良いか?…そろそろ始めるぞ」
「な、何を…」
「何を何をって色々聞くんじゃあない、少しは己で考えよ と言いたいが儂は優しいので教えてやる、…先も言ったが儂は今魂だけの存在じゃ オバケとも言っていい、このようにお前の魂をここに呼び寄せねば口さえ聞けぬ状態にある、…故に欲しいんじゃ 現世に肉の体が」
「肉の体…?もしかして エリスの体ですか!」
「然りィ!故に壊さないようにゆっくりゆっくり儂の魂を浸透させたんじゃあ…そして、こうして今 儂とお主は対話できるまでに魂が同調した、今や お主の肉体は我が体も同様」
え エリスの肉体を、乗っ取るのか…そんなのだめだ!シリウスを復活させるわけにはいかない!、シリウスを復活させるくらいなら死んだほうがいい!、しかしエリスの体は鎖に封じられ動くことはできない…ダメだ…ダメだダメだダメだ!
「やめてください!エリスの体はエリスだけのものです!」
「違う、この世の遍くは儂の物…お前も然り、何 安心せい…きっちりきっかり 今度こそ世界、滅ぼしてやるからのう」
「ダメです!嫌です!」
「はぁーー…聞き分けないのう、これだから最近の子は」
そういうとシリウスは指を鳴らし、その背後に玉座を生み出すと そこにどかりと座り、頬杖をつく
「まぁ何を言ってももう始まっておる、お前の体は我が意思のまま動き始め、儂の魂を入れるに足る器になる為動いている、儂の完全復活は近い」
そんな……なんで、こんなことに…、もはやエリスには何も出来ない エリスの肉体はシリウスに完全に乗っ取られている、もう ここで大人しくしているしかないのか…
「それにな、儂が儂を復活させるのではない、お前が お前の意思で…お前自身の闇で儂を復活させるのだ」
「な 何言ってるんですかそんなことするわけが…ぁあがっ!?ぐっ…ぁが…」
頭が割れるように痛い、そう 先程までエリスを苛んでいた頭痛…だが今なら分かる、この感覚
まるで 何かが頭の中に流れ込んで来て、それによって内側から脳が圧迫されるような感覚、シリウスが…何かしているんだ
「ほれ、頼むぞ… お前の力があれば、儂の望みは全て叶うのだから…、全く都合の良い者が都合の良い時に現れたものよ」
「あ…が…や……め……っ」
エリスの意思 抵抗など無にも等しく、その意識は…否 魂はドロリとした粘性の暗闇に呑まれ、代わりに浮かぶ情景
暗い闇に 映し出される光景
それは全て見たことのある景色
エリスに向けて拳を振り上げる 父、エリスを置いて 消えた母…、旅の最中得た 痛み 寂しさ 悲しみ 屈辱 怒り、流した涙 流した血 吐露した弱音 吐いた絶望
その全てが エリスが頭の内側に押し込めておいた負の記憶がエリスの意思に反して溢れてくる
エリスはこの旅で多くのものを得た、そのどれも代え難い程に尊く 大切な経験ばかりだったが、楽しいものばかりではなかった、良い人ばかりではなかった、この世界は良いものと同じくらい悪いものがある
エリスの中にも同じくらい…いい思い出と同じくらい 悪い思い出もある、エリスはその全てを記憶してしまい 忘れることがない
故に意図的に悪い思い出には蓋をして見ないようにしていた…と言うのに、悪い思い出がヘドロのように溢れてエリスの体を蝕み 良い思い出までも覆っていく
(痛い…痛い…痛い)
今まで得た痛みがエリスを蝕む、ヘットとの戦いで得た痛み ベオセルクとの戦いで得た痛み レオナヒルドとの戦いで得た痛み、父から受けた痛み あの崖から落ちた痛み…それが全て明確に蘇り 息もできない程の痛みを覚える
(苦しい…苦しい…苦しい)
今まで得た苦しみがエリスを苛む、無力さに喘いだ苦しみ 失態を演じた苦しみ 友を傷つけられた苦しみ、それらが情景となって瞼の裏に焼きつき 心が針で串刺しにされる
(嫌いだ…嫌いだ、全部全部)
事故を否定された屈辱 魔女を罵倒された怒り 師匠が目の前から消えた悲しみ、奇異の視線で見られる寂しさ 自分を捨てた母親への激怒 自分を憐れみの目で見る弟への憤怒、全てが憎悪に変換される
世界はなんと苦しみに満ちているのか、世界はなんと悪意に満ちているのか
強制的に再認識される、この世界は気に入らないものばかりだ この世界は嫌いなものばかりだ
嫌いだ、全部 …師匠を傷つける全てが 魔女に助けられておきながらのうのうと生きるゴミ達が嫌いだ
自己など持つな、思想など掲げるな、これ以上を求めるな、お前達は魔女の所有物なのだから、ただ魔女の言うがままあるがままに生きていれば良いのだ
そんな単純なこともわからない自分勝手な存在など、人間など
『嫌いだろ?嫌だろ?、ただ生きるがままに生き 他者を傷つけるだけの人間など』
声が響く、天を喰らう天狼がエリスの耳元で囁く、その声はまるで液化した悪意のように、エリスの耳から入り込み この憎悪を増幅させる、そんなことない こんなことエリスは望んでない そんな声もか細くなる
『お前には力がある、お前が自覚している以上の力が…地上のクズどもを分からせるだけの力が』
エリスには力がある、魔女に逆らうクズどもを殺すだけの力が
『力の意味を考えろ、力とはただ存在するだけではなく どんなものにも意味はある、お前はなんのために強くなった?なんのために強くなる?、そろそろ決めなさい なんで強くなるのか』
エリスはなんのために強くなった?……師匠を守るためだ 守るだけの力を得るためだ
『なら、やることは一つだろう……』
ならやることは一つだ……
殺す、魔女ではない者は全て殺す
………………………………………………
「………………」
「………………?」
月夜の照らす街の中、二人 歩く影がある…一人は小さな金髪の少女 エリスとその隣を歩く灰色の髪の女性 ウルキ、二人横並びに歩いているところなのだが
ウルキは訝しげにエリスの顔を見る
ゴミ処理場から移動して 月明かりに照らされたことでエリスの姿が露わになった、その変化は如実に現れている、エリスちゃんの金の髪はやや色が抜け始め 銀髪にかわっている
…様子がおかしい、計画は上手くいってエリスの意識はシリウス様に乗っ取られた筈だ、彼女の体はもうシリウス様のもの…なのに
「…おーい?、シリウス様ー?」
「……………」
「ほら、あれやってくださいよ、天下無敵の~?」
「……………………」
「シリウス様じゃー!ってやつ…はぁ、やんないか」
目の前でパタパタ手を振っても無反応、一応私が歩けばついてはくるが 常に目は虚ろでまるで人形のようだ
おかしいな、もっとシリウス様はノリが良かったはずだ、というか復活した瞬間
『うっほほーい!現世の体サイコーウ!ぬはははは』
とか言ってピョンピョン飛び跳ねる気がする、復活が不完全なのか?しかしこの感じ エリスちゃんとも違うし、何より先ほどまで負っていた傷が全て塞がれている、これはシリウス様の御業に他ならない、完全に計画が破綻したってわけじゃないんだろうが
「…なんか言ってくださーい」
「…ぅあーー…」
命ずれば呻き声みたいな声を上げながら口をばっくり開く、うーん シリウス様っぽくないというよりそもそも人間感が薄いなぁ
さてどうしたものか、このまま進めてもいいのか?、エリスちゃんは貴重な適合者のうちの一人、それに その才能は有用だ まだまだたくさん使い道はある、ここで壊すのは惜しい
かと言ってもう進めちゃったしなぁ…魔蝕は明日だし、どうしたもんかなぁ
実行に移すのは時期尚早だったか?もっと育って魂の規格が拡張されてからの方が良かったか?、私としたこと焦るとは
「ふむ…、どうしましょ」
「………………エリスは……」
「おや?」
「エリスは…エリスは……」
む、意識が戻った?面倒だ、どうする?殺すか?失敗か…いや待て、様子がおかしい
「エリスは……許せません」
「ほう?、何がですか?」
私がそう 声をかければエリスちゃんはこちらをギロリと睨む、その目は怨嗟に塗れ狂気に彩られ なんとも純粋だ、純粋に全てを憎んでいる
「全部です、全部が憎いです…憎い、殺さなきゃ…全部…全部」
「ふむ、これは…」
恐らく、シリウス様の復活は完璧には終わっていない 精々その指先程度がこの子の中に芽生えた程度だろう、故にエリスちゃんは未だエリスちゃんとして存在していられる
ならこの状態は何か、恐らく シリウス様の影響を強く受け、堕ちたのだ…修羅道に、己自身の闇に呑まれて 全てを憎む暴鬼と化したのだ
エリス…という少女の持つ才能とはなんとも奇異なものだ、一度見た物を決して忘れない、それは魔術の修行においても普段の生活においても、エリスを秀才と呼ばせるに相応しいだけの才覚としてエリスの役に立っていた
だが、そんな輝かしい一面とは裏腹に、一度受けた傷も永遠に抱え続けることを意味している、幼少期に受けた虐待もレオナヒルドから受けた傷も その後の旅で見た人の悪意も、全て克明に記憶し続けたエリスは 心のどこかでこう感じていたはずだ
『人とは下劣な生き物である』
と…、そんな恐ろしい発想をエリスは師の教えと友との思い出でかき消し なんとか堕ちずにギリギリで踏みとどまっていたんだ、それが今 シリウス様の影響により完全に堕ちた
今エリスの頭の中には師の事も 友の事も何もない、あるのは悪意 …自分を傷つけ魔女を否定しようとする者達への憤慨と殺意だけ、それでいい それでいいんだ
狂い狂い 狂い続ければその内にシリウス様を招来させる土壌が出来る、そして それと共に莫大な魔力を与えれば、エリスちゃんは完全に暴走し尽くし、新たなるシリウスとして孵化出来る
「憎いですか?エリスちゃん?」
「………………」
「なら、いいところに行きましょう 魔女を殺す悪巧みをしてる、わるーい奴らを退治しに…ね」
…………………………………………………………
「ただいま帰ったでござるよぉ~」
宿屋の玄関を上機嫌に開け放ち鼻歌交じりでヨタヨタ歩いて帰ってくるヤゴロウ、その顔はなんとも誇らしく 土産話を一つ抱えたような、そんな気前の良い顔つきだ
「随分機嫌がいいな?ヤゴロウ」
「そりゃまぁ、拙者 今日この日より浪人の名を捨て……どうしたでござるか?」
ふと、宿屋のエントランスのソファに座る難しい顔をしているレグルスが目に入り、ヤゴロウまた顔を引き締める、ヤゴロウにとってレグルスは命の恩人 こうして生き倒れていたところを救ってくれたあまりか こうして寝泊まりする場さえ提供してくれた
彼が今この大陸で人らしい生活が送れているのは全てレグルスとエリスのおかげといってもよい、故にヤゴロウにしては珍しく 彼女達には敬意を払っている
だからこそ、彼女が難しい顔をしているというのに、浮かれた顔などできまいと顔を即座に一文字に引き締める
「いや…エリスの帰りが遅いのでな」
弟子のエリスの帰りが遅いと心配しているようだ、恐らく部屋ではなくエントランスで待っているのは 帰ってくるのが余りにも遅いからだろう、まるで師弟というより親子のようだ、ヤゴロウに親はいなかったのでその感覚はわからないが心配なのは分かる
何せ夜だ、夜とは悪の蔓延る時間だ、外道だ跋扈する刻だ 、闇の中では何があっても文字通り陽の目を浴びない、あのような小さな子供が出歩いていい時間ではない、拙者のような悪鬼羅刹にいつ襲われるか分かったものではない
「というか、まさか拙者と一緒に外に出たきり帰ってきてないのでござるか?」
「ああ、直ぐに帰ると言って出て行ったのに、もう夜だ…」
「むぅ、エリス殿とてもう子供ではござらん、外で遊んでいるうちに時間を忘れているのかもしれないでござるよ?」
「エリスに限ってそれはない、直ぐ帰るというなら まず一旦私の元へ帰ってくるはずだ」
信頼だ 弟子に対する絶対の信頼、師の信頼は裏返せば弟子の誠実さを表す、何よりヤゴロウもエリスの人柄は理解している、優しい子だ 優しい子を演じている不器用ような子だ、努めて優しくあろうとするが故に 必要以上に人に誠実だ
確かにあの子なら時間を忘れて外で遊び呆ける事などあるまい
しかし
「些か、甘やかしすぎではござらんか?」
「なんだと?」
ヤゴロウは思う、些か甘すぎると 師と弟子は信頼し合う必要がある、だが同時に 信頼があるが故に突き放す必要もある、それをしなければどうなるか?弟子は己を持つことができない
「レグルス殿も分かっているのでござろう?、エリス殿の問題を」
「…………」
エリス殿の問題、拙者にはエリス殿がどの程度の使い手なのか皆目分からぬ、しかしその肉体 その技量はかなりのものであることは分かる
されど、その肉体と技量に不釣り合いなほどに心が弱い
いや、弱いというか……希薄だ、自己が余りに希薄、芯がない
普通、あそこまで強くなるには相応の決意や意思が必要だ、強くなってどうしたいとか 強くなって何がしたいとか、少なからず願望を抱くもの
されどエリス殿からは欲を感じない、強くなってどうこうというより 強くなることしか頭にない、ただ闇雲に力を求めているに等しい、強さとは手段でしか無いのにエリス殿にとって強さとは手段であり目的 強さこそが全てとなりつつある
「…よく、見ているのだな」
「これでも拙者、剣と共に禅も嗜むでござる、故に人の心動の機微には敏いものと自負しているでござる」
「…そうか、まぁお前の言う通りだ 私はエリスにただひたすら強くなる手段ばかり教えたばかりに、あの子は終ぞ力を得る理由を見つけられないまま強くなってしまった」
レグルス殿は語る、エリス殿の思考には常に師の存在があると、何を考えるにも師を中心に動いていると、最初はそれでよかった 余計なことを考えず修行に打ち込めるならそれでいいと思っていた
しかし、ここ最近のエリス殿は些かおかしいと言う、師をバカにする者は例え家族と言えど容赦しない、それは師を敬愛するのと同時に…師は己の全てであるがゆえに 己の全てを否定されたと憤るのだ
…戦う理由もない 強くなる理由もない、ただただ希薄な自己 希薄な人生
危険だ、ヤゴロウは悟る…危険だと、このままでは
「力に呑まれるでござるな」
「分かっているさ、そんなこと」
いかに強い力を持とうとも いかに鋭い技を持とうとも、それを律する心を持たねばそれらは全て血に濡れる、一度修羅道に堕ちれば待っているのは地獄だ
今のまま 自己が希薄なまま更に強い力を得てしまえば、エリス殿は後戻りが出来なくなる
「分かっている、だからこそ修行を己を見つめ直す物に切り替えたんだ、…だが 思いの外難航しているみたいだな」
ああ、あの箱を開ける修行でござるか…あれの理屈はよくわからんでござるが、我が祖国にも似たような訓練がある、ただただひたすら己を見つめる修行…どんな修行よりも辛い修行でござる
だって、前を見たって後ろを見たって自分の姿は見えない、どれだけ歩いても自分の背中は見えてこない どれだけ呼びかけても己だけは答えない、こんなややこしい修行は他にないでござるよ
レグルス殿の算段ではあの箱を開けられる頃にはエリスも己を持てるだろう と言うものだった、拙者には分からんが 最近エリス殿は己を見つめ直す時間が増えたとも言う
だが
「それでも、急がねばならんでござるよ、エリス殿はもう際まで至っているでござる…ここで選択を過てば 修羅道に落ちるでござる」
「分かっている…分かってはいるが、耳が痛いな…己の師としての不出来さが不甲斐ないよ」
するとレグルス殿は立ち上がり軽くコートを羽織ると拙者と入れ違いになるように宿を出る
「まぁ、お前の言った通り もしかしたら時間を忘れて遊んでいるのかもしれんが、それでも心配なものは心配だ お前が宿にいるなら入れ違えになることもあるまい、少し出て探しに行ってくるよ」
「む、そう言うことなら拙者ちゃんとお留守番してるでござるよ?」
「ああ、直ぐに帰ってくる…ん?」
すると宿の外に出た瞬間 レグルス殿が顔色を変える、難しい顔だ…否 違うな、この目を尖らせる口元を引き締める顔
これは、拙者もよく見たことのある顔、差し迫った危機を感じる達人の顔だ
「如何されたでござるか?」
「エリスの気配がしない」
「気配?…確かに近くからは感じないでござる」
「近くじゃない!この国全体を見回してもエリスの気配がしないんだ!」
なんと、国全域を探れるでござるか さしもの拙者も一国全土は無理でござるよ、レグルス殿が嘘まやかしを口にするとは思えぬし 恐らく本当にこの国全体を見てもエリス殿の気配がしないのでござろうな
しかし、だとするとエリス殿はこの国を出たことになるでござるが、ちょっつとそこまでのそこまでに国外が含まれるとは考えにくいでござるな
「スンスン…」
鼻を鳴らし、匂いを嗅ぐ 気配がダメなら匂いを手繰る、拙者これでも鼻は聞くほうでござる、エリス殿の匂いは記憶しているでござるし 匂いを手繰れば何処に向かったかも……む
「何をしているんだ?ヤゴロウ?」
「むー、エリス殿の匂いを探ろうと風を感じてみたでござるが、まずいでござるな」
「まずい?まずいとは何がだ…」
「エリス殿の匂いと共に 血の匂いがするでござる」
「ッッ……!?」
血の匂いだ、嗅ぎ慣れた鉄の匂い その匂いと共にエリス殿の匂いが風に乗ってくる、拙者も気をつけねば見落としそうなほど されど確かな血の匂い、しかし参ったでござるなぁ この血の匂い
多分エリス殿はもう
「どこだ!どこから血の匂いがする!」
「血の匂い的にはそんなに遠くないでござる、しかし 少々時間が経っているでござるなぁ…詳しい場所までは分からぬでござるが 、血の匂いが漂ってきたことからおそらく風上…およ?」
そう言い終わるや否やレグルス殿の姿が消える、後に残るのは少しだけ舞い上がった砂埃と 大地に刻まれた踏み込みの後、飛んだか…相当な使い手と見たが、どうやら拙者の創造も及ばぬほどの猛者であったか
「ここで拙者もと駆け出したいところではあるが、ここは宿で待っていた方が良いやもしれぬな」
もしかしたら何もなく 拙者の思い違いで、すぐにエリス殿が何事もなく帰ってくる可能性もある、その時のために拙者はここに残る方が良かろう
それに…
「今宵は、凶星が出ておる…この大陸の星は やけに色が鮮やかでござるな」
妙な胸騒ぎを感じつつも、宿に戻る あくまで拙者は外様の人間、何か問題があるならばあの師弟が解決すべき事柄だろう
目を伏せ 拙者は刀に手を当てる、…さて 如何になるか、そう考え込み 宿の入り口で待ち続ける
結局その日は、夜が明けても…エリス殿もレグルス殿も帰ってくることはなく
魔蝕当日を、迎えることとなった
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日は落ち 日が昇り、繰り返し刻まれる永き時
いつものように訪れる朝、いつもと同じ日常の光景 、ただ今日は少しだけ違う
今日は記念すべき日だ
十二年に一度訪れる、月と太陽が重なり、幻想的な光が天を目指す聖なる現象 、名を魔蝕
魔女の時代より永遠と続く現象はいつしか祭りとして崇められ、生まれる子に祝福もを齎す最たる祝日となっていった
この日ばかりは特別だ、店もタダ同然で物を売り 凡ゆる事が無礼講と許され、罪人でさえこの日だけは檻の外に出ることを許される、街全体がお祭り騒ぎで浮かれている
そこな道行く主婦達も 粗野で乱暴な冒険者達も、お堅い亭主に阿婆擦れ毒婦 みんな揃って酒を飲み、まだかまだかと空を見上げて肩を組む
特別な日 この日だけは特別
そんな特別で目出度きこの日の最中 暗い顔で街一番の時計塔 その屋根の上に佇む者がいる
…魔女レグルスだ、彼女は皆が空を見上げる中 下を見ていた
エリスを探しているんだ、弟子のエリスを…昨日 少し出ると言って消えたきり、帰ってこない…何度か宿に戻っても エリスはまだ帰ってきてないと言う
「……エリス」
消えてしまった、エリスが消えてしまった…気配をいくら探っても 魔眼でいくら探しても、その痕跡すら辿る事が出来ない
一晩街中を駆け回り探した、夜通しで魔眼を使ってエリスの痕跡を探し回った、 …だが この魔女の力を持ってしても見つけることはできなかった
一応血の匂いのような物は確かに感じたが、私はそれほど鼻が聞くほうじゃない、…どこに行ったんだエリス
あの子が私の前から消えることはままあった、だが ここまで探し回って見つけられなかったことは初めてだ、というかこの私が全霊で探し回って見つける事が出来なかったこと自体初めてだ
…考えられる理由は二つ、だか両方ありえない
一つはエリスが国を出た場合だ それなら私の捜索範囲から外れる可能性もあるが、そもそも一晩でこの国を出るなど不可能だし、出る理由がない
もう一つは私と同格の実力を持つ何者かがエリスを隠して攫った事 場合だが、そもそもそんなやついない 私の魔眼を遮れる奴なんて、それこそ私より強いカノープスくらいしかいない…がしかしカノープスがそんな事する理由がない
つまり、エリスは国を出ていないし エリスを攫った人間なんていな…い……
「いや、待てよ…居たな、私の魔眼を遮った女」
アジメクで オルクスが連れていた鎧の女、オルクスの反乱の際には姿を見せず 終ぞ行方をくらませていた謎の女、あいつは私の魔眼を確かに弾いていた
あいつがこの国にいて エリスを攫ったのだとするなら…いや、だとするとあの女 一体何者だ
魔女な訳がない、魔女がオルクスと共にいる理由がないし、何より魔女ならいくら姿を隠していても分かる、つまりあの女は魔女ではなく魔女と同格の力を持つ女ということになる
…いるのか、そんな奴……………
「……まさか」
ピリピリと脳裏を過る古の記憶、魔女ではなく かつ私と同格の実力を持つ女、…心当たりはある
だが、生きているわけがない 生きてるわけがないんだ、奴が今この世にいるはずがない
だというのに、いくら否定しても アイツのせいだと思うとしっくりくる
「まさか…ウルキなのか…」
……ウルキ 久しく口にするその言葉、もし ウルキが生きていて 未だにこの世界の裏で蠢動を続けているのだとしたら
ウルキならやる、我々魔女全員の目を盗んで揚々と闇の中を歩くことなど容易い筈だ、奴にはその力があり…動機がある
…エリスは今 ウルキのところにいるのか?、だとするとマズいな、相当マズい 未だ嘗てないほどに 激烈に…マズい、この私が柄にもなく冷や汗をかき背筋が冷たくなるほどに
「くそっ!、何故アジメクであの鎧の女を捕まえて 中を暴かなかったんだ私は!、魔女以外で魔眼を弾ける奴なんてアイツくらいしかいないだろうに!」
顔を抑えて後悔する、…いや いやあの場で鎧の女の兜を無理矢理剥いでいたら、恐ろしいことになっていたかもしれない、アイツは全力で私とスピカを殺しに来ただろう
八千年の隠匿生活で平和ボケしていた私では、アイツに負けていた可能性もある…
いやいや、今は昔のことなどいい、もしウルキが生きていたと仮定して エリスがウルキを攫ったとして、何故 攫った…奴は抜かることなどしない女だ、エリスが私の弟子と知っているはずだ
いや、私の弟子だからか?これは私への当てつけか?ウルキ…
「侮るなよ…ウルキ」
怒りに拳を握る、溢れる魔力に大地が揺れる 雲が割れる 山が泣き 谷が蹲り、自然が怯える 保科震える、激烈な怒りを込めて魔眼を解放する
確かに、ウルキは私の魔眼を破る事ができる、もし奴が…ウルキがエリスを攫って その姿を魔眼殺しで隠していたとしたら、確かに私がいくら探しても見つけることは出来ないだろう
だがな、それは飽くまでウルキの関与が把握できていない状態での話、奴が関わってきていて 奴が魔眼殺しで私の妨害をしていると分かったなら やりようはある
「…見通す千里 見渡す万里、我が目は遍くを見抜き 金輪の際まで知り尽くす、凡ゆる無知は既知となり、今 八元体の彼方まで…『界明・天照神眸』」
左目に手を当て詠唱を唱える、すると私の頭上 遥かなる天空がパックリと二つに割れ そこから現れる、私と同じ緋色の巨眼
街一つ覆う程の巨大な瞳がギョロリと街の真上で音を立てて動く…、そんな奇怪極まりない光景が今まさに頭上で起こっているというのに気にするものは疎か、まるで誰もそれが見えていないかのように 祭りを楽しんでいる
当然だ、あれは我が魔術によって現れた 『視線』の権化、視線を感じ見ることのできる人間などいない
「どこだ…」
その巨大な眼を使いぎょろぎょろと見渡す、通常の魔眼であれば魔眼殺しで防がれてしまう…だが 魔術を用いて増強した視線ならば、小賢しい魔眼殺しなど一撃で
「そこか…っ!」
見つけた、街の遥か南方 古ぼけた古城を見下ろすように切り立った崖の上に立つ灰色の髪の女、間違いない 考えたくはなかったが…生きていたのか!ウルキ!
飛ぶ、その姿を目にした瞬間 全霊で飛ぶ、徒なら三日はかかろう位置 馬でも一週間はかかるような位置にある古城に、我が体は数秒でたどり着く
ウルキの立つ崖へと飛び込み、地面が抉れる勢いで強引に着地し 睨みつける
すでに私の到来を予感していたのか笑っている、ウルキの姿
それを突き刺すように睨みつけ、歯を食いしばり 怒りに任せ…
「ウルキ…!!」
「久しぶりですね、レグルス?」
吹き荒ぶ砂ほこり、街の外れも外れ 崖下に隠れるように存在する謎の古城以外 人工物の存在しない山の奥
そこで睨み合う、ウルキは私を前にしてもニタリと笑いながら後ろで手を組みながら城を見下ろしている
「まさか…生きていたとはな」
「お陰様で、今日まで元気に生きてこれたのもレグルス…いぃ~え~?、魔女の皆さんのお陰ですよ 感謝しないといけませんねぇ」
クククと牙を見せ笑うウルキ、そうか…生きていたか、てっきりあの場で死んだものとばかり思っていたが、こうして姿を見ても今だに実感が湧かない 私は何か幻覚でも見てるんじゃないのか
「往生際が悪いぞ、いつまでものうのうと生き長らえるな」
「そりゃお互い様でしょ、あんた達の役目はもうとっくに終わってるんですよ、なのに人類の保護?国の運営?魔女世界?魔女時代?、チャンッチャラおかしいんだよなぁ?、崇められて 讃えられて…さぞ気持ち良かったろうなぁ?」
「貴様のような人間の影があるから 今日まで死ねないんだろうが!」
「あぁ~あ、テイのいい 言い訳に使われて私可哀想、死にたいならさっさと死ねばいいぃ~でしょうが」
視線だけこちらを向けるウルキの視線には間違いなく敵意が込められている、やはり…今だにその恨みは晴れないか
「だからエリスに手を出したのか?」
「んっん~?、なんのことですかー?主観で話さないで主語を入れてくださーい、飛躍論理で話されても理解デッきませーん」
「お前だろう!私の弟子のエリスを連れ去ったのは!」
「証拠はあるんですか?」
「お前の存在全てだ」
「あはは私全否定?、まぁそうなんですけどね、ダメじゃないですか師匠ならちゃんと世の中には良い人と悪い人と私みたいに激烈に悪い外道がいることを教えないと、騙されて誘拐されちゃうぞってね」
やはりこいつか!、私を煽り立てるようにゲタゲタ笑いながら両手を広げるウルキ、こいつは何年経っても変わらないな、やはりお前は壊れているよウルキ とっくの昔に壊れていたんだ、もっと早く気がつくべきだった!
「返してもらうぞ!エリスを!」
「私をぶちのめして?、いつまでも自分の方が強いと思ってるなら忠告しておきますよ、私が今まで貴方に手を出さなかったのは貴方達から隠れてたんじゃありません、貴方達を見逃してあげてただけなんですから!」
刹那、睨み合う二人の姿が消える
いや、消えたのではない ただ…ほんのちょっぴり、全力でぶつかり合っただけなのだ、それを証拠にほら
先程までウルキとレグルスの立っていた崖が、空気の振動と衝撃で跡形もなく吹き飛んだではないか
「ぐぅっ…!」
レグルスの姿は 元いた崖から遥か彼方の森にあった、まるで隕石のように吹き飛び、地面に叩きつけられ 周囲の木々を吹き飛ばしながらも体勢を整え立ち上がる
あの一瞬、レグルスとウルキの拳がぶつかり合い 互いに互いの衝撃に押し負けぶっ飛ばされたのだ、完全に力が拮抗している…この私が容易く殴り飛ばされるなど、アルクトゥルス以来だよ!
「チッ、ーーッッ 『絶界八方魔封壁」
空気の乱れ 魔力の淀みを肌で感じ、即座に高速詠唱と共に 魔術で障壁を作り出した瞬間、地平線の向こうから飛んできた閃光がレグルスめがけ放たれる、圧倒的熱量を秘めた炎熱はレグルスの障壁に弾かれ四方八方へ乱れ飛び周囲の森を一瞬にして蒸発させる
「おや?、衰えましたか?随分手緩いじゃないですか!」
「なっ!?」
魔術を防いだ次の瞬間には 遥か彼方へ吹き飛ばしたはずのウルキの声が後方から聞こえる、先程の熱線 それを超える速度で此方めがけて飛んできていたのだ
咄嗟に振り返り防御姿勢を取るが
「甘いですよ、大いなる四大の一端よ、我が手の先に風の険しさを与えよ、荒れ狂う怒号 叫び上げる風切 、その暴威を 代弁する事を ここに誓わん『颶神風刻大槍』!」
ウルキがあっと言う間に詠唱を言祝ぎ、風が唸る …颶神風刻大槍 それが私の腹部に伸ばされた腕から、零距離で 密着した状態で放たれ…爆裂するような衝撃が私の体を吹き飛ばす
「がはぁっ!?」
一瞬だった、ほんの一瞬瞬きする間に私の体は何百という森の木々を薙ぎ倒しながら吹き飛ばされたていた
「チッ、前より威力が上がっている」
「当然でしょう、何年振りだと思ってるんですか?、ザッと数えて…」
まただ、吹き飛ばされた私の前に 再びウルキが現れる、速度という一点だけ見ても やはり以前出会ったときよりも強くなっている、いや そりゃそうか…なんたってあれから
「八千年!経ってんですから!」
「そう…だったな!」
振るわれるウルキの拳、空気を弾き 爆音を打ち鳴らし、かつ それよりも速く襲い来る拳を打ち払う、否 一発ではない 連打だ、その手が十 二十に増えたかのように残像を残す連撃を防ぐが
「あっははははははは!」
ただ闇雲に拳を振り回しているわけではない、まるで車輪が回るかのように腕の動きのギアが上がっていく、動けば動くほど 速くなる…くそっ!厄介な!
「攻めの一手で相手の攻め手を潰す 攻めの二手で相手の足を潰す、三手四手で逃げ場を潰し 五手六手で勝ち筋を潰し、七手で勝つ…ことを想定して一手目を打つ、ジョ~シキですよぉ!、はい!そこ!穿通拳!」
「ごぶふっ…」
まるでチェスだ、一手一手 逃げ道防ぎ道を封じ、なんともできなくしてから決め手を放つ、まさしく…この戦い方はアルクトゥルスのものだ
ウルキの拳を胸に受け止め、背後へと押し込まれる…吹き飛ばされはしないものの、接近戦のキレも上がっているとは…
「まだまだ行きますよぉ!、蜷局を巻く巨巌 畝りをあげる朽野、その牙は創世の大地 その鱗は断空の岩肌、地にして意 岩にして心『錬成・蛇壊之坩堝』!」
「っ…ッッー!『旋風圏跳』!」
大地が崩れ その岩を押し固めた岩の蛇が錬成される、おろし金のような岩鱗 大槍のような牙を煌めかせ 地面を耕しながら幾重にも重なり襲い来る、フォーマルハウトが得意とする錬金術による物量攻撃…
旋風圏跳で飛び回り 牙から逃げ回り、拳で岩蛇を叩き崩し、その中心にいるウルキに向け飛ぶが、すでに彼女の手には黒色の剣が握られており、
「…『黒呪ノ血剣』…、レグルスぅ!貴方治癒苦手でしたよね!」
するとウルキは手に持った黒剣を高らかに掲げると…
「ハハハッ!『双葬漆桶呪殺』!」
突き刺したのだ己の太ともに 、深々と自分の足に剣を突き刺し貫通した剣先はぼたぼたとウルキの血を溢れさせ滴らせる、自傷行為…いや違う あれは…
「呪術 いや呪殺術か…っっぐっ!?」
ふと、あまりの激痛に顔をしかめバランスを崩しあらぬ方向へ吹き飛び頭から着地する、ふと 私自身の足を見てみれば、ズボンが血で濡れていた
ウルキが己の足を指した部分の同じところに同じような傷が生まれ血が溢れてきていた、…呪殺術 己が受けた傷を相手にも押し付けるカウンター魔術だ、普通は相手の攻撃に合わせて使うものだが…まさか自傷行為で強制的に押し付けるとは
「その者に癒しを、彼らに安らぎを、我が愛する全てに穏やかななる光の加護を『遍照快癒之憐光』…、んんぅ~完治ぃ~」
するとウルキの方はウルキの方で剣を刺した太ももに古式治癒術を掛けて傷を塞いでいた、チッ…回復か…、確かに私は治癒が苦手だ 魔力を巡らせて治癒力を高め回復することはできるが、その分魔力を回復に回すのに集中しなくてはならないため 戦闘中は不可だ
「本当に面倒なやつだな、お前は」
「貴方は衰えましたね、いや?甘くなったというべきでしょうか、八千年前の貴方はもう少し容赦がなかったですよ、太ももに風穴開けられたくらいじゃ怯みもしなかったじゃないですかぁ」
「うるさい、何年実戦を離れていると思ってるんだ」
「そう…、勝手にあの時の戦いが終わったと思い込んで 戦いから離れて平和を謳歌してた貴方達と私とじゃあ、差があるんですよ…実力にじゃあない、気持ちに ですヨ」
トントンと己の胸を叩いてウインクをするウルキ、そうか こいつの中じゃあまだあの戦いは終わってないのか、いらそうか こいつが生きていて私たちが生きている、なら…まだ戦いは終わってないな
「しかしちょっとショックですよ、真っ向勝負でこんなボロボロにされるなんて…、しっかりしてくださいよ レグルス師匠~?」
「お前はもう我々の弟子ではあるまい、貴様の方から我々の元を去ったくせに…」
ウルキ…、こいつがさっきまで使っていた古式魔術は元を正せば全て我々の技だったものだ、いや 我々 八人の魔女が自らこの子に教えた物だ
超火力の古式魔術で吹き飛ばすスタイルは私が
綿密な作戦で相手を追い詰める堅実な拳法はアルクトゥルスが
錬金術を用いた物力戦法はフォーマルハウトが
相手を一方的に嬲り殺す呪術はアンタレスが
傷を瞬く間に直す治癒術はスピカが
まだ使ってはいないが、こいつはまだプロキオンやカノープス リゲルの魔術や戦法も使いことができる
そうだ、…ウルキという女はエリス ラグナ メルクリウス デティ達魔女の弟子の姉弟子に当たる人物、我々八人の魔女の一番最初の…八千年前に育てた弟子なのだ
故に、こいつは魔女全員の魔術と戦法を会得しているのだ…
「師匠達には感謝してますよ、お陰でこんなに強くなれましたし…」
「何をいけしゃあしゃあと…!、その力を使ってシリウスに与するなど!」
それは八千年前、我々八人の魔女は シリウスとの激化する戦いの中、戦力不足を感じ 孤児を拾ったのだ、村を魔獣に襲われ 飢えて死ぬところだった少女…ウルキを拾い、魔女の弟子として育てた
我々八人の持つ力 技 知恵 全てをウルキに注ぎ込んだ、ウルキは天才だった 我々の教えた物全てを吸収し、瞬く間に魔女達と比べても見劣りしないまでの力を手に入れたんだ
美しく 強く 利発で叡智に溢れるこの子がいるなら 我々に何かあっても平気だ、我々のいなくなった後も世界を任せられると皆あの時は安心していたというのに
…あろうことかウルキは我々の与えた力だけでは満足せず、更なる力を求めて敵であるシリウスの配下になったのだ、我々を裏切り みんなを裏切り シリウスの配下になったウルキは我々の力を使って大勢殺した、悪逆と殺戮の限りを尽くしたんだ!
…参ったよ、あの時ばかりは精神的に 何せみんなを守る為と授けた私達の力を使ってウルキは暴れるんだ、みんなもう弟子は取らないと心に誓ったよ 我々の力は安易に他人に授けたりしないってね
それが、我々が八千年もの間 一人として弟子を取らなかった最たる理由、第二のウルキを作りたくなかったからだ
「そうですよ、私はシリウス様に忠誠誓ったんです、いいですねぇシリウス様は 私に更なる力を授け、魔女の皆さんと同じ不老の法さえ授けてくれた…おかげでほら 私ってば若々しいまんま」
「…貴様は私達の最大の汚点だ…、力に溺れるような人間と分かっていれば 力など授けなかったものを」
「何言っても遅いですよぉ~、というか 私の時懲りたんじゃないんですか?、なのにまた性懲りもなく皆さん弟子を取って、あのエリスちゃんにも修行つけたんですか?また裏切られても知りませんよ?」
「あの子はお前とは違う!力などに溺れないし 私がそうさせない!、決して 同じ過ちは繰り返させない!」
エリスはウルキとは違う、ウルキのように強欲ではない その力を悪事にも使わない…!
「ふーん、じゃあここでこんなことしてて…いぃ~んですかぁ~?」
「何?」
そう言えば、エリスが近くにいない…、こいつはエリスを攫ったんじゃ…まさか!
そう気がついた時には遅く、背後の古城で爆発音が鳴り響き 大地が揺れる
「エリスちゃんは今、己の力の強さを自覚する為 敵を殺しに行ってるんですよ、思いのまま暴れ 思いのまま殺し、殺戮こそが力の最たる使い道であることを自覚し…修羅道に堕ちるんです」
「修羅道…だと」
「ええ、エリスちゃんはこれから力のままに敵を殺し 後戻り出来ないまでに堕ち…、シリウス様復活の鍵となり、我々の仲間になるんですよ!あははははは!、またおんなじ間違いしましたねレグルス!…いいえ、レグルス…ししょー?」
同じ過ちを…エリスが シリウスを…復活させるだと
エリス、どうなってしまったんだ…!
深い霧に包まれた城郭、純白の楼閣 白痴なる光景
実体があるようで無く 実在するようでしない、虚像の国 虚無の世界
一度目 ここを訪れた時はいつだったか、そう…ヘットに殺されかかった時だ
あの時は一命を取り留めた物の、変な夢を見たんだ…首だけの師匠が こちらを見て笑っている、怖い夢
……今回もそれと一緒か?、と言うかエリスはどうなったんだか?
そうだ、コフだ…アルカナだ、あの時同様エリスは殺されかかって…いや死んだな、死ぬ感覚というのは分からないが 間違いなく死んだ、息を絶え 痛みの中エリスの意識は消えた
そうか、ならここは夢などでは無く本当に死者の国だったのかもしれない
そうだ、あの時と同じ場所だ あの変な夢で見た真っ白い城、ここはそこと同じ場所…ということは、いるのか?奴が
「ああ、居るさ 居るとも 居るともさ、また会えたねぇ エリス」
朦朧とする意識が覚醒する、目の前の世界が明瞭になる
声がする、奴の声が そう認識した途端 それが目に入る、首だ 生首だ 未だに血を流し白い世界を赤く染める首、…孤独の魔女レグルスの頭が
「貴方は…」
「エリス…、悪かったな お前は私の弟子だというのに、以前は冷たくあしらってしまって」
首だけのレグルス師匠は申し訳なさそうに顔を歪める、首だけだというのにやけに生々しい反応に些かの気味の悪さを感じる
何せ、レグルス師匠の頭なのだ 大好きなレグルス師匠の…、敬愛する人物の生首など見ても気分のいいものではない
…あの時の夢もこんなのを見たな、レグルス師匠の生首を見て 怯えて、気がついたら意識が覚醒していた…
「本当に…嫌な夢ですね」
「何故そうも嫌そうな顔をする?、私はお前の師 お前は私の弟子だろう?」
「何故って、そりゃ…決まってるじゃないですか」
レグルス師匠の生首が首をかしげる、なんで嫌そうな顔って そりゃ目の前で愛する人の首が転がってれば誰だって嫌な顔をするよ
それに、もう一つ付け加えるとするなら
「貴方が…レグルス師匠じゃないからです」
「…ほう?」
あの時は分からなかったが、今ならわかる こいつはレグルス師匠と同じ見た目をしているが、レグルス師匠じゃない
ヒントはあった、エリスだって気がつかないほど間抜けじゃない、この生首は 体を八つに裂かれている
八つだ、八つに引き裂かれて平然と生きている存在、些か信じられないが エリスはその存在を師匠から聞かされていた、これが死者の世界だと言うのなら…もしかしたらと口を割る
「…貴方、シリウスですよね 原初の魔女シリウス、それが貴方の本当の名 本当の姿でしょう?」
「……くく、あはははは うははははははははは!!」
首は笑う、げたげたと狂ったように 笑い首だけで浮かんでエリスから離れると
「ははは…あーー、いやさそうよ 気がついておったならば仕方あるまい、しかしよう見破った 完璧に化けたつもりであったのがなぁ?」
首は周囲に散らばる自分の体の残骸を一つに集め それらを無理やり接合し、辛うじて人の体を取ると共に、レグルス師匠の姿を捨て本当の姿を見せる…、髪の色が変わり 姿が変わり…正体を現す
「そう、我こそがシリウス 皆の呼び名に合わせるならば原初の魔女!シリウス様よ!、ぬはははははは!」
シリウスだ…師匠達の師匠にして 大いなる厄災の元凶、世界を滅ぼしかけた世界最悪の存在、それが今 エリスの目の前に現れたのだ
黒い髪 紅い 漆黒のコートを羽織うレグルス師匠の姿からくるりと一回転するうちにその姿は一転する、純白の髪は師匠とは違いガサガサで尖り立っており、眼は師匠と同じ紅…だがその内に優しさのようなものはなく ただ狂気だけが宿っている
牙は鋭く 爪は長く…まるで悪魔のような姿だ
白い髪と赤い眼 鋭い牙、確かに 師匠がバシレウスと似ているといったのがよく分かる、というか確かにそっくりだ、バシレウスを女にすればシリウスになるし、シリウスを男にすれば 多分バシレウスになる、そのくらいそっくりだ
でもレグルス師匠、師匠はシリウスとバシレウスが似ていると言いましたけれど、こうして目にしてエリスは思うのです
シリウスはバシレウスよりも…レグルス師匠自身にそっくりだ、瓜二つだと言えるほどに
その赤い眼 その髪質、何より顔がそっくりだ…なんでここまでそっくりなのか理解できないほどに似ていると、これじゃあまるでレグルス師匠が……
「んんぅ~~?、エリスよ何を見ておる?儂の顔に何かついておるか?目と鼻と口か?ってそれお主にもついとるやろがーい」
「…本当にシリウスなのですか?、あの八千年前に師匠達に倒された」
こうして目の前にしても信じられない、なんでシリウスがこうして目の前にいるんだ、本物なのか?なんでエリスの目の前にこうして現れて口を聞いてるんだ?これはエリスの夢じゃないのか
「然り、儂こそ そのシリウスよ、会えて嬉しいか?ん?嬉しいかろう?、嬉しいといっても良いのだぞ?、おおそうか嬉しさのあまり声も出ぬか!奥手な奴め愛いやつよ、しかし言葉とは表に出せねば意味が無き物 魔術も同じじゃ、というかなんか言え」
めっちゃ喋るな…、なんかイメージと違う…もっと邪悪な人かと思ってたんだけど…、わちゃわちゃカサカサ動いて動き回る、これ本当にシリウスなの?この人が世界滅ぼしかけたの?、なんか逆に情けないな
「…死んだんじゃないんですか?」
「まぁな!、故にこうして言葉を紡ぐのも久しぶりよ…生物学上はちゃんと死んでおるし生き返ったわけでもないしな!、お前も若干気づいておるかも知れぬが ここは現世ではない故 こうして儂も生前のように動き話せるのだ、ほれ!こんなに元気!ほれ!ぴょーんぴょーん!あ 腕取れた」
現世じゃない?、ああ…だから死にかけていた時にここにエリスの意識は飛ばされていたのか?、いや現世じゃないというのがどいうものなのか分からないけれどさ、とするとやはりここはエリスの思った通り…いやいや思った通りなら相当まずいのでは!?
「え エリスは今どうなってるんですか!どういう状況なんですか!?気がついたらここにいて、今何が何だかさっぱりわからない状況で…エリス死んだですか!?」
「あれこれ聞くでない、少しは自分で考えぬか…まぁ簡単に言うなれば 死ぬ一歩手前じゃ、心臓は止まっておるし息もしてない、そんな感じじゃ」
「死んでるじゃないですか!」
「死んどらん!、人の生死は その内に魂があるか否かによって決まる たとえ鼓動があれど呼吸があれど!魂がなければそれは死んでいる、なればその逆も然り お主の内には未だ魂がある、故にまだ踏みとどまっておる状態にある」
まぁ?心臓止まって息してなけりゃ時間の問題じゃが?ぬはは とシリウスはあっけらかんに笑う、…そうか、エリスはコフの攻撃を食らってそんな状態になっているのか
しかしどうすればいいんだ、エリスの力だけで息を吹き返すことは出来るのか?、エリスはまだ死ぬわけにはいかない
「なんとか出来ないんですか?」
「なんとか?なんとかって?」
「息を吹き返す方法です!このままじゃエリス死んじゃうんですよね、エリスはまだ死ぬわけにはいかないんです!」
「安心せい、このままむざむざ死なせなどせん、お主はここで死ぬにはもったいないからのう」
ぬはは とシリウスは笑うと任せろと親指を立てる、なんだ 優しい人じゃないか、頼りになるいい人だ、なんでこんないい人が世界を破壊しようとしたんだ…いやそう言えば暴走したからだったか、つまりこれは暴走していない 本来のシリウス、つまり八人の魔女を育て上げた状態のシリウス、エリスの大師匠なんだ
「助けてくれるんですね!」
「助ける?誰を?」
「え……?」
そう、安堵しかけた瞬間 シリウスの様子が一変する、いやシリウスだけじゃない、白い霧に包まれた世界の色が変わり始める
霧が晴れ 城郭が崩れ、背後の世界が露わになる
「な 何をいってるんですか、エリスを助けてくれるんじゃ…」
「たわけが…、死なせるには惜しいといっただけ、貴様を助ける気など毛頭ないわ」
そこはまるで地獄だ、黒い大地 空から流れ落ちる大量の血 、下からは火が吹き…この世の終わりを現すこのような地獄が露わになり、シリウスの表情もまた残酷に変わる
「魔蝕によって才能を得た子、ここまで純度の高い魔蝕の子は珍しいからのう…有用に扱わねば」
「な 何をするつもりですか!」
「何をするつもりって、何かするつもりじゃからここに呼んだに決まっておろう、死にかけの魂なら 自在にここに呼び寄せられるからのう」
「呼び寄せた…っ!?な 何ですかこれ!?」
ふと気がつくと己の体が鎖によって雁字搦めにされているのに気がつく、虚空より生えた数多の鎖はエリスの腕や足胴体に巻きつきその場に留めている、ダメだ 壊せない…これは壊せない、なんとなくわかる …この鎖は壊れるように出来ていない
「なんじゃ気がつかんかったのか?、ずぅーっとお前に呼びかけておったろう」
「呼びかけ…まさか、まさかあの頭痛って!」
「然りも然り、儂の魂とお主の魂が同調したが故に起こった事象よ、儂の魂の規格がお主の魂とでは全く合わぬのでな、軋轢故苦痛を伴ったが…別に良いよなぁ?だって儂は痛くないんだもん」
ニィーと歯を見せ笑うシリウスに 心底恐怖を覚える、優しい人などではない マトモな人間などではない
…エリスは今まで悪人と呼ばれる存在と多く邂逅してきた、そいつらは皆 体から悪意のようなものが滲み出て 他者を傷つけてやろうという気が全身から感じられた、だがシリウスからそれを感じることはない この状況にあってもそれを感じない、故に騙された
思っていないのだ、傷つけるとか悪事を成そうとか そんなことを思っていない、悪意を持って呼吸する人間はいない 悪意を持って生きる人間はいない、それと同じだ 彼女にとって…他者を傷つけるとは 本当に至極 普通で真っ当でどうでも良いことなのだ
狂気…そんな言葉では表しきれない真なる悪意、これが大いなる厄災 これが…世界を破壊しようとした女の姿
「な なんで魂の同調なんか…」
「一から全部教えねばならんか?、まぁ良いか…それはお主が魔蝕の子だからよ」
「え……?」
「分からんか?、魔蝕の子とは大地から溢れた魔力が胎児に宿ることによって特殊な才能を得た子供の事、お主もそうなんだろう?その不思議な才覚で幾多の場面を切り抜けてきただろう?」
「そ…そうですけれど、なんでそれが関係あるんですか…」
「察しの悪い鈍チンじゃのう、その大地から溢れた魔力とはどこから来ると思う?、魔力とは本来魂から現れるもの、必然 魂なきものには魔力は宿らない、なら石や大地が魔力を持つのはおかしかろう」
確かに、魔力は魂が外へ漏れ出たもの、なら石や大地が魔力を持つのはおかしい …あるいは石や大地にも魂があるのかと思ったこともあるが、……違う
違う違う違う!違うんだ!、大地の魔力と思っていたものは 世界に溢れ空気中に散布されている魔力は、ただ下から溢れているだけで 大地の魔力じゃないんだ
遥か地下に埋められた『ソレ』から溢れているものなのだ
「まさか…世界中に溢れている魔力は 空気中に漂う遍く魔力は……」
「左様、全て儂の魔力だ、弟子たちに切り刻まれ 地下に埋められた我が一部から出ずる力のさらに一部よ、言ったろう?呼吸もしていない鼓動もない だが魂があれば死んでいないと…儂はまだ真なる意味で死んでおらん、この世界を魔力で包み 今尚生きながらえておる」
…信じられない、世界一個を丸々包んでしまうくらいの魔力なんて、しかもそれがたったの一部?一体どれだけの魔力を秘めているんだ シリウスは…
フォーマルハウト様は言った…シリウスは『この世で最も神に近づいた人間』だと、…違うよフォーマルハウト様、この人は神様だ 世界そのものだ…
「魔蝕も元を正せば我が魔術…そしてそれによって集まった我が魔力を通じて産まれた子は、その魂の形が儂に似通るのだ、儂に近づくが故に才能も持ち合わせる…だがその代償に 些かの欠落と共に儂との間に小さな道が出来る、切っ掛けがなければ開くことはないが、逆に言えばきっかけさえあればこれこの通り、大地の底に封印されながらも干渉ができる」
つまりエリスの才能も元を正せばシリウスに似通ったが故に生まれたもの、元はシリウスの力の一部…エリスが?いや、エリスだけじゃない…エリスと同じ魔蝕の子は全員 シリウスの魂を模して物を持ち生きているということ…
…でもきっかけってなんだ、いつだ そんなのどこにも…、いや このようにシリウスの干渉が酷くなったのは最近…もしかしてそのきっかけって……
「さて、もう良いか?…そろそろ始めるぞ」
「な、何を…」
「何を何をって色々聞くんじゃあない、少しは己で考えよ と言いたいが儂は優しいので教えてやる、…先も言ったが儂は今魂だけの存在じゃ オバケとも言っていい、このようにお前の魂をここに呼び寄せねば口さえ聞けぬ状態にある、…故に欲しいんじゃ 現世に肉の体が」
「肉の体…?もしかして エリスの体ですか!」
「然りィ!故に壊さないようにゆっくりゆっくり儂の魂を浸透させたんじゃあ…そして、こうして今 儂とお主は対話できるまでに魂が同調した、今や お主の肉体は我が体も同様」
え エリスの肉体を、乗っ取るのか…そんなのだめだ!シリウスを復活させるわけにはいかない!、シリウスを復活させるくらいなら死んだほうがいい!、しかしエリスの体は鎖に封じられ動くことはできない…ダメだ…ダメだダメだダメだ!
「やめてください!エリスの体はエリスだけのものです!」
「違う、この世の遍くは儂の物…お前も然り、何 安心せい…きっちりきっかり 今度こそ世界、滅ぼしてやるからのう」
「ダメです!嫌です!」
「はぁーー…聞き分けないのう、これだから最近の子は」
そういうとシリウスは指を鳴らし、その背後に玉座を生み出すと そこにどかりと座り、頬杖をつく
「まぁ何を言ってももう始まっておる、お前の体は我が意思のまま動き始め、儂の魂を入れるに足る器になる為動いている、儂の完全復活は近い」
そんな……なんで、こんなことに…、もはやエリスには何も出来ない エリスの肉体はシリウスに完全に乗っ取られている、もう ここで大人しくしているしかないのか…
「それにな、儂が儂を復活させるのではない、お前が お前の意思で…お前自身の闇で儂を復活させるのだ」
「な 何言ってるんですかそんなことするわけが…ぁあがっ!?ぐっ…ぁが…」
頭が割れるように痛い、そう 先程までエリスを苛んでいた頭痛…だが今なら分かる、この感覚
まるで 何かが頭の中に流れ込んで来て、それによって内側から脳が圧迫されるような感覚、シリウスが…何かしているんだ
「ほれ、頼むぞ… お前の力があれば、儂の望みは全て叶うのだから…、全く都合の良い者が都合の良い時に現れたものよ」
「あ…が…や……め……っ」
エリスの意思 抵抗など無にも等しく、その意識は…否 魂はドロリとした粘性の暗闇に呑まれ、代わりに浮かぶ情景
暗い闇に 映し出される光景
それは全て見たことのある景色
エリスに向けて拳を振り上げる 父、エリスを置いて 消えた母…、旅の最中得た 痛み 寂しさ 悲しみ 屈辱 怒り、流した涙 流した血 吐露した弱音 吐いた絶望
その全てが エリスが頭の内側に押し込めておいた負の記憶がエリスの意思に反して溢れてくる
エリスはこの旅で多くのものを得た、そのどれも代え難い程に尊く 大切な経験ばかりだったが、楽しいものばかりではなかった、良い人ばかりではなかった、この世界は良いものと同じくらい悪いものがある
エリスの中にも同じくらい…いい思い出と同じくらい 悪い思い出もある、エリスはその全てを記憶してしまい 忘れることがない
故に意図的に悪い思い出には蓋をして見ないようにしていた…と言うのに、悪い思い出がヘドロのように溢れてエリスの体を蝕み 良い思い出までも覆っていく
(痛い…痛い…痛い)
今まで得た痛みがエリスを蝕む、ヘットとの戦いで得た痛み ベオセルクとの戦いで得た痛み レオナヒルドとの戦いで得た痛み、父から受けた痛み あの崖から落ちた痛み…それが全て明確に蘇り 息もできない程の痛みを覚える
(苦しい…苦しい…苦しい)
今まで得た苦しみがエリスを苛む、無力さに喘いだ苦しみ 失態を演じた苦しみ 友を傷つけられた苦しみ、それらが情景となって瞼の裏に焼きつき 心が針で串刺しにされる
(嫌いだ…嫌いだ、全部全部)
事故を否定された屈辱 魔女を罵倒された怒り 師匠が目の前から消えた悲しみ、奇異の視線で見られる寂しさ 自分を捨てた母親への激怒 自分を憐れみの目で見る弟への憤怒、全てが憎悪に変換される
世界はなんと苦しみに満ちているのか、世界はなんと悪意に満ちているのか
強制的に再認識される、この世界は気に入らないものばかりだ この世界は嫌いなものばかりだ
嫌いだ、全部 …師匠を傷つける全てが 魔女に助けられておきながらのうのうと生きるゴミ達が嫌いだ
自己など持つな、思想など掲げるな、これ以上を求めるな、お前達は魔女の所有物なのだから、ただ魔女の言うがままあるがままに生きていれば良いのだ
そんな単純なこともわからない自分勝手な存在など、人間など
『嫌いだろ?嫌だろ?、ただ生きるがままに生き 他者を傷つけるだけの人間など』
声が響く、天を喰らう天狼がエリスの耳元で囁く、その声はまるで液化した悪意のように、エリスの耳から入り込み この憎悪を増幅させる、そんなことない こんなことエリスは望んでない そんな声もか細くなる
『お前には力がある、お前が自覚している以上の力が…地上のクズどもを分からせるだけの力が』
エリスには力がある、魔女に逆らうクズどもを殺すだけの力が
『力の意味を考えろ、力とはただ存在するだけではなく どんなものにも意味はある、お前はなんのために強くなった?なんのために強くなる?、そろそろ決めなさい なんで強くなるのか』
エリスはなんのために強くなった?……師匠を守るためだ 守るだけの力を得るためだ
『なら、やることは一つだろう……』
ならやることは一つだ……
殺す、魔女ではない者は全て殺す
………………………………………………
「………………」
「………………?」
月夜の照らす街の中、二人 歩く影がある…一人は小さな金髪の少女 エリスとその隣を歩く灰色の髪の女性 ウルキ、二人横並びに歩いているところなのだが
ウルキは訝しげにエリスの顔を見る
ゴミ処理場から移動して 月明かりに照らされたことでエリスの姿が露わになった、その変化は如実に現れている、エリスちゃんの金の髪はやや色が抜け始め 銀髪にかわっている
…様子がおかしい、計画は上手くいってエリスの意識はシリウス様に乗っ取られた筈だ、彼女の体はもうシリウス様のもの…なのに
「…おーい?、シリウス様ー?」
「……………」
「ほら、あれやってくださいよ、天下無敵の~?」
「……………………」
「シリウス様じゃー!ってやつ…はぁ、やんないか」
目の前でパタパタ手を振っても無反応、一応私が歩けばついてはくるが 常に目は虚ろでまるで人形のようだ
おかしいな、もっとシリウス様はノリが良かったはずだ、というか復活した瞬間
『うっほほーい!現世の体サイコーウ!ぬはははは』
とか言ってピョンピョン飛び跳ねる気がする、復活が不完全なのか?しかしこの感じ エリスちゃんとも違うし、何より先ほどまで負っていた傷が全て塞がれている、これはシリウス様の御業に他ならない、完全に計画が破綻したってわけじゃないんだろうが
「…なんか言ってくださーい」
「…ぅあーー…」
命ずれば呻き声みたいな声を上げながら口をばっくり開く、うーん シリウス様っぽくないというよりそもそも人間感が薄いなぁ
さてどうしたものか、このまま進めてもいいのか?、エリスちゃんは貴重な適合者のうちの一人、それに その才能は有用だ まだまだたくさん使い道はある、ここで壊すのは惜しい
かと言ってもう進めちゃったしなぁ…魔蝕は明日だし、どうしたもんかなぁ
実行に移すのは時期尚早だったか?もっと育って魂の規格が拡張されてからの方が良かったか?、私としたこと焦るとは
「ふむ…、どうしましょ」
「………………エリスは……」
「おや?」
「エリスは…エリスは……」
む、意識が戻った?面倒だ、どうする?殺すか?失敗か…いや待て、様子がおかしい
「エリスは……許せません」
「ほう?、何がですか?」
私がそう 声をかければエリスちゃんはこちらをギロリと睨む、その目は怨嗟に塗れ狂気に彩られ なんとも純粋だ、純粋に全てを憎んでいる
「全部です、全部が憎いです…憎い、殺さなきゃ…全部…全部」
「ふむ、これは…」
恐らく、シリウス様の復活は完璧には終わっていない 精々その指先程度がこの子の中に芽生えた程度だろう、故にエリスちゃんは未だエリスちゃんとして存在していられる
ならこの状態は何か、恐らく シリウス様の影響を強く受け、堕ちたのだ…修羅道に、己自身の闇に呑まれて 全てを憎む暴鬼と化したのだ
エリス…という少女の持つ才能とはなんとも奇異なものだ、一度見た物を決して忘れない、それは魔術の修行においても普段の生活においても、エリスを秀才と呼ばせるに相応しいだけの才覚としてエリスの役に立っていた
だが、そんな輝かしい一面とは裏腹に、一度受けた傷も永遠に抱え続けることを意味している、幼少期に受けた虐待もレオナヒルドから受けた傷も その後の旅で見た人の悪意も、全て克明に記憶し続けたエリスは 心のどこかでこう感じていたはずだ
『人とは下劣な生き物である』
と…、そんな恐ろしい発想をエリスは師の教えと友との思い出でかき消し なんとか堕ちずにギリギリで踏みとどまっていたんだ、それが今 シリウス様の影響により完全に堕ちた
今エリスの頭の中には師の事も 友の事も何もない、あるのは悪意 …自分を傷つけ魔女を否定しようとする者達への憤慨と殺意だけ、それでいい それでいいんだ
狂い狂い 狂い続ければその内にシリウス様を招来させる土壌が出来る、そして それと共に莫大な魔力を与えれば、エリスちゃんは完全に暴走し尽くし、新たなるシリウスとして孵化出来る
「憎いですか?エリスちゃん?」
「………………」
「なら、いいところに行きましょう 魔女を殺す悪巧みをしてる、わるーい奴らを退治しに…ね」
…………………………………………………………
「ただいま帰ったでござるよぉ~」
宿屋の玄関を上機嫌に開け放ち鼻歌交じりでヨタヨタ歩いて帰ってくるヤゴロウ、その顔はなんとも誇らしく 土産話を一つ抱えたような、そんな気前の良い顔つきだ
「随分機嫌がいいな?ヤゴロウ」
「そりゃまぁ、拙者 今日この日より浪人の名を捨て……どうしたでござるか?」
ふと、宿屋のエントランスのソファに座る難しい顔をしているレグルスが目に入り、ヤゴロウまた顔を引き締める、ヤゴロウにとってレグルスは命の恩人 こうして生き倒れていたところを救ってくれたあまりか こうして寝泊まりする場さえ提供してくれた
彼が今この大陸で人らしい生活が送れているのは全てレグルスとエリスのおかげといってもよい、故にヤゴロウにしては珍しく 彼女達には敬意を払っている
だからこそ、彼女が難しい顔をしているというのに、浮かれた顔などできまいと顔を即座に一文字に引き締める
「いや…エリスの帰りが遅いのでな」
弟子のエリスの帰りが遅いと心配しているようだ、恐らく部屋ではなくエントランスで待っているのは 帰ってくるのが余りにも遅いからだろう、まるで師弟というより親子のようだ、ヤゴロウに親はいなかったのでその感覚はわからないが心配なのは分かる
何せ夜だ、夜とは悪の蔓延る時間だ、外道だ跋扈する刻だ 、闇の中では何があっても文字通り陽の目を浴びない、あのような小さな子供が出歩いていい時間ではない、拙者のような悪鬼羅刹にいつ襲われるか分かったものではない
「というか、まさか拙者と一緒に外に出たきり帰ってきてないのでござるか?」
「ああ、直ぐに帰ると言って出て行ったのに、もう夜だ…」
「むぅ、エリス殿とてもう子供ではござらん、外で遊んでいるうちに時間を忘れているのかもしれないでござるよ?」
「エリスに限ってそれはない、直ぐ帰るというなら まず一旦私の元へ帰ってくるはずだ」
信頼だ 弟子に対する絶対の信頼、師の信頼は裏返せば弟子の誠実さを表す、何よりヤゴロウもエリスの人柄は理解している、優しい子だ 優しい子を演じている不器用ような子だ、努めて優しくあろうとするが故に 必要以上に人に誠実だ
確かにあの子なら時間を忘れて外で遊び呆ける事などあるまい
しかし
「些か、甘やかしすぎではござらんか?」
「なんだと?」
ヤゴロウは思う、些か甘すぎると 師と弟子は信頼し合う必要がある、だが同時に 信頼があるが故に突き放す必要もある、それをしなければどうなるか?弟子は己を持つことができない
「レグルス殿も分かっているのでござろう?、エリス殿の問題を」
「…………」
エリス殿の問題、拙者にはエリス殿がどの程度の使い手なのか皆目分からぬ、しかしその肉体 その技量はかなりのものであることは分かる
されど、その肉体と技量に不釣り合いなほどに心が弱い
いや、弱いというか……希薄だ、自己が余りに希薄、芯がない
普通、あそこまで強くなるには相応の決意や意思が必要だ、強くなってどうしたいとか 強くなって何がしたいとか、少なからず願望を抱くもの
されどエリス殿からは欲を感じない、強くなってどうこうというより 強くなることしか頭にない、ただ闇雲に力を求めているに等しい、強さとは手段でしか無いのにエリス殿にとって強さとは手段であり目的 強さこそが全てとなりつつある
「…よく、見ているのだな」
「これでも拙者、剣と共に禅も嗜むでござる、故に人の心動の機微には敏いものと自負しているでござる」
「…そうか、まぁお前の言う通りだ 私はエリスにただひたすら強くなる手段ばかり教えたばかりに、あの子は終ぞ力を得る理由を見つけられないまま強くなってしまった」
レグルス殿は語る、エリス殿の思考には常に師の存在があると、何を考えるにも師を中心に動いていると、最初はそれでよかった 余計なことを考えず修行に打ち込めるならそれでいいと思っていた
しかし、ここ最近のエリス殿は些かおかしいと言う、師をバカにする者は例え家族と言えど容赦しない、それは師を敬愛するのと同時に…師は己の全てであるがゆえに 己の全てを否定されたと憤るのだ
…戦う理由もない 強くなる理由もない、ただただ希薄な自己 希薄な人生
危険だ、ヤゴロウは悟る…危険だと、このままでは
「力に呑まれるでござるな」
「分かっているさ、そんなこと」
いかに強い力を持とうとも いかに鋭い技を持とうとも、それを律する心を持たねばそれらは全て血に濡れる、一度修羅道に堕ちれば待っているのは地獄だ
今のまま 自己が希薄なまま更に強い力を得てしまえば、エリス殿は後戻りが出来なくなる
「分かっている、だからこそ修行を己を見つめ直す物に切り替えたんだ、…だが 思いの外難航しているみたいだな」
ああ、あの箱を開ける修行でござるか…あれの理屈はよくわからんでござるが、我が祖国にも似たような訓練がある、ただただひたすら己を見つめる修行…どんな修行よりも辛い修行でござる
だって、前を見たって後ろを見たって自分の姿は見えない、どれだけ歩いても自分の背中は見えてこない どれだけ呼びかけても己だけは答えない、こんなややこしい修行は他にないでござるよ
レグルス殿の算段ではあの箱を開けられる頃にはエリスも己を持てるだろう と言うものだった、拙者には分からんが 最近エリス殿は己を見つめ直す時間が増えたとも言う
だが
「それでも、急がねばならんでござるよ、エリス殿はもう際まで至っているでござる…ここで選択を過てば 修羅道に落ちるでござる」
「分かっている…分かってはいるが、耳が痛いな…己の師としての不出来さが不甲斐ないよ」
するとレグルス殿は立ち上がり軽くコートを羽織ると拙者と入れ違いになるように宿を出る
「まぁ、お前の言った通り もしかしたら時間を忘れて遊んでいるのかもしれんが、それでも心配なものは心配だ お前が宿にいるなら入れ違えになることもあるまい、少し出て探しに行ってくるよ」
「む、そう言うことなら拙者ちゃんとお留守番してるでござるよ?」
「ああ、直ぐに帰ってくる…ん?」
すると宿の外に出た瞬間 レグルス殿が顔色を変える、難しい顔だ…否 違うな、この目を尖らせる口元を引き締める顔
これは、拙者もよく見たことのある顔、差し迫った危機を感じる達人の顔だ
「如何されたでござるか?」
「エリスの気配がしない」
「気配?…確かに近くからは感じないでござる」
「近くじゃない!この国全体を見回してもエリスの気配がしないんだ!」
なんと、国全域を探れるでござるか さしもの拙者も一国全土は無理でござるよ、レグルス殿が嘘まやかしを口にするとは思えぬし 恐らく本当にこの国全体を見てもエリス殿の気配がしないのでござろうな
しかし、だとするとエリス殿はこの国を出たことになるでござるが、ちょっつとそこまでのそこまでに国外が含まれるとは考えにくいでござるな
「スンスン…」
鼻を鳴らし、匂いを嗅ぐ 気配がダメなら匂いを手繰る、拙者これでも鼻は聞くほうでござる、エリス殿の匂いは記憶しているでござるし 匂いを手繰れば何処に向かったかも……む
「何をしているんだ?ヤゴロウ?」
「むー、エリス殿の匂いを探ろうと風を感じてみたでござるが、まずいでござるな」
「まずい?まずいとは何がだ…」
「エリス殿の匂いと共に 血の匂いがするでござる」
「ッッ……!?」
血の匂いだ、嗅ぎ慣れた鉄の匂い その匂いと共にエリス殿の匂いが風に乗ってくる、拙者も気をつけねば見落としそうなほど されど確かな血の匂い、しかし参ったでござるなぁ この血の匂い
多分エリス殿はもう
「どこだ!どこから血の匂いがする!」
「血の匂い的にはそんなに遠くないでござる、しかし 少々時間が経っているでござるなぁ…詳しい場所までは分からぬでござるが 、血の匂いが漂ってきたことからおそらく風上…およ?」
そう言い終わるや否やレグルス殿の姿が消える、後に残るのは少しだけ舞い上がった砂埃と 大地に刻まれた踏み込みの後、飛んだか…相当な使い手と見たが、どうやら拙者の創造も及ばぬほどの猛者であったか
「ここで拙者もと駆け出したいところではあるが、ここは宿で待っていた方が良いやもしれぬな」
もしかしたら何もなく 拙者の思い違いで、すぐにエリス殿が何事もなく帰ってくる可能性もある、その時のために拙者はここに残る方が良かろう
それに…
「今宵は、凶星が出ておる…この大陸の星は やけに色が鮮やかでござるな」
妙な胸騒ぎを感じつつも、宿に戻る あくまで拙者は外様の人間、何か問題があるならばあの師弟が解決すべき事柄だろう
目を伏せ 拙者は刀に手を当てる、…さて 如何になるか、そう考え込み 宿の入り口で待ち続ける
結局その日は、夜が明けても…エリス殿もレグルス殿も帰ってくることはなく
魔蝕当日を、迎えることとなった
…………………………………………………………
日は落ち 日が昇り、繰り返し刻まれる永き時
いつものように訪れる朝、いつもと同じ日常の光景 、ただ今日は少しだけ違う
今日は記念すべき日だ
十二年に一度訪れる、月と太陽が重なり、幻想的な光が天を目指す聖なる現象 、名を魔蝕
魔女の時代より永遠と続く現象はいつしか祭りとして崇められ、生まれる子に祝福もを齎す最たる祝日となっていった
この日ばかりは特別だ、店もタダ同然で物を売り 凡ゆる事が無礼講と許され、罪人でさえこの日だけは檻の外に出ることを許される、街全体がお祭り騒ぎで浮かれている
そこな道行く主婦達も 粗野で乱暴な冒険者達も、お堅い亭主に阿婆擦れ毒婦 みんな揃って酒を飲み、まだかまだかと空を見上げて肩を組む
特別な日 この日だけは特別
そんな特別で目出度きこの日の最中 暗い顔で街一番の時計塔 その屋根の上に佇む者がいる
…魔女レグルスだ、彼女は皆が空を見上げる中 下を見ていた
エリスを探しているんだ、弟子のエリスを…昨日 少し出ると言って消えたきり、帰ってこない…何度か宿に戻っても エリスはまだ帰ってきてないと言う
「……エリス」
消えてしまった、エリスが消えてしまった…気配をいくら探っても 魔眼でいくら探しても、その痕跡すら辿る事が出来ない
一晩街中を駆け回り探した、夜通しで魔眼を使ってエリスの痕跡を探し回った、 …だが この魔女の力を持ってしても見つけることはできなかった
一応血の匂いのような物は確かに感じたが、私はそれほど鼻が聞くほうじゃない、…どこに行ったんだエリス
あの子が私の前から消えることはままあった、だが ここまで探し回って見つけられなかったことは初めてだ、というかこの私が全霊で探し回って見つける事が出来なかったこと自体初めてだ
…考えられる理由は二つ、だか両方ありえない
一つはエリスが国を出た場合だ それなら私の捜索範囲から外れる可能性もあるが、そもそも一晩でこの国を出るなど不可能だし、出る理由がない
もう一つは私と同格の実力を持つ何者かがエリスを隠して攫った事 場合だが、そもそもそんなやついない 私の魔眼を遮れる奴なんて、それこそ私より強いカノープスくらいしかいない…がしかしカノープスがそんな事する理由がない
つまり、エリスは国を出ていないし エリスを攫った人間なんていな…い……
「いや、待てよ…居たな、私の魔眼を遮った女」
アジメクで オルクスが連れていた鎧の女、オルクスの反乱の際には姿を見せず 終ぞ行方をくらませていた謎の女、あいつは私の魔眼を確かに弾いていた
あいつがこの国にいて エリスを攫ったのだとするなら…いや、だとするとあの女 一体何者だ
魔女な訳がない、魔女がオルクスと共にいる理由がないし、何より魔女ならいくら姿を隠していても分かる、つまりあの女は魔女ではなく魔女と同格の力を持つ女ということになる
…いるのか、そんな奴……………
「……まさか」
ピリピリと脳裏を過る古の記憶、魔女ではなく かつ私と同格の実力を持つ女、…心当たりはある
だが、生きているわけがない 生きてるわけがないんだ、奴が今この世にいるはずがない
だというのに、いくら否定しても アイツのせいだと思うとしっくりくる
「まさか…ウルキなのか…」
……ウルキ 久しく口にするその言葉、もし ウルキが生きていて 未だにこの世界の裏で蠢動を続けているのだとしたら
ウルキならやる、我々魔女全員の目を盗んで揚々と闇の中を歩くことなど容易い筈だ、奴にはその力があり…動機がある
…エリスは今 ウルキのところにいるのか?、だとするとマズいな、相当マズい 未だ嘗てないほどに 激烈に…マズい、この私が柄にもなく冷や汗をかき背筋が冷たくなるほどに
「くそっ!、何故アジメクであの鎧の女を捕まえて 中を暴かなかったんだ私は!、魔女以外で魔眼を弾ける奴なんてアイツくらいしかいないだろうに!」
顔を抑えて後悔する、…いや いやあの場で鎧の女の兜を無理矢理剥いでいたら、恐ろしいことになっていたかもしれない、アイツは全力で私とスピカを殺しに来ただろう
八千年の隠匿生活で平和ボケしていた私では、アイツに負けていた可能性もある…
いやいや、今は昔のことなどいい、もしウルキが生きていたと仮定して エリスがウルキを攫ったとして、何故 攫った…奴は抜かることなどしない女だ、エリスが私の弟子と知っているはずだ
いや、私の弟子だからか?これは私への当てつけか?ウルキ…
「侮るなよ…ウルキ」
怒りに拳を握る、溢れる魔力に大地が揺れる 雲が割れる 山が泣き 谷が蹲り、自然が怯える 保科震える、激烈な怒りを込めて魔眼を解放する
確かに、ウルキは私の魔眼を破る事ができる、もし奴が…ウルキがエリスを攫って その姿を魔眼殺しで隠していたとしたら、確かに私がいくら探しても見つけることは出来ないだろう
だがな、それは飽くまでウルキの関与が把握できていない状態での話、奴が関わってきていて 奴が魔眼殺しで私の妨害をしていると分かったなら やりようはある
「…見通す千里 見渡す万里、我が目は遍くを見抜き 金輪の際まで知り尽くす、凡ゆる無知は既知となり、今 八元体の彼方まで…『界明・天照神眸』」
左目に手を当て詠唱を唱える、すると私の頭上 遥かなる天空がパックリと二つに割れ そこから現れる、私と同じ緋色の巨眼
街一つ覆う程の巨大な瞳がギョロリと街の真上で音を立てて動く…、そんな奇怪極まりない光景が今まさに頭上で起こっているというのに気にするものは疎か、まるで誰もそれが見えていないかのように 祭りを楽しんでいる
当然だ、あれは我が魔術によって現れた 『視線』の権化、視線を感じ見ることのできる人間などいない
「どこだ…」
その巨大な眼を使いぎょろぎょろと見渡す、通常の魔眼であれば魔眼殺しで防がれてしまう…だが 魔術を用いて増強した視線ならば、小賢しい魔眼殺しなど一撃で
「そこか…っ!」
見つけた、街の遥か南方 古ぼけた古城を見下ろすように切り立った崖の上に立つ灰色の髪の女、間違いない 考えたくはなかったが…生きていたのか!ウルキ!
飛ぶ、その姿を目にした瞬間 全霊で飛ぶ、徒なら三日はかかろう位置 馬でも一週間はかかるような位置にある古城に、我が体は数秒でたどり着く
ウルキの立つ崖へと飛び込み、地面が抉れる勢いで強引に着地し 睨みつける
すでに私の到来を予感していたのか笑っている、ウルキの姿
それを突き刺すように睨みつけ、歯を食いしばり 怒りに任せ…
「ウルキ…!!」
「久しぶりですね、レグルス?」
吹き荒ぶ砂ほこり、街の外れも外れ 崖下に隠れるように存在する謎の古城以外 人工物の存在しない山の奥
そこで睨み合う、ウルキは私を前にしてもニタリと笑いながら後ろで手を組みながら城を見下ろしている
「まさか…生きていたとはな」
「お陰様で、今日まで元気に生きてこれたのもレグルス…いぃ~え~?、魔女の皆さんのお陰ですよ 感謝しないといけませんねぇ」
クククと牙を見せ笑うウルキ、そうか…生きていたか、てっきりあの場で死んだものとばかり思っていたが、こうして姿を見ても今だに実感が湧かない 私は何か幻覚でも見てるんじゃないのか
「往生際が悪いぞ、いつまでものうのうと生き長らえるな」
「そりゃお互い様でしょ、あんた達の役目はもうとっくに終わってるんですよ、なのに人類の保護?国の運営?魔女世界?魔女時代?、チャンッチャラおかしいんだよなぁ?、崇められて 讃えられて…さぞ気持ち良かったろうなぁ?」
「貴様のような人間の影があるから 今日まで死ねないんだろうが!」
「あぁ~あ、テイのいい 言い訳に使われて私可哀想、死にたいならさっさと死ねばいいぃ~でしょうが」
視線だけこちらを向けるウルキの視線には間違いなく敵意が込められている、やはり…今だにその恨みは晴れないか
「だからエリスに手を出したのか?」
「んっん~?、なんのことですかー?主観で話さないで主語を入れてくださーい、飛躍論理で話されても理解デッきませーん」
「お前だろう!私の弟子のエリスを連れ去ったのは!」
「証拠はあるんですか?」
「お前の存在全てだ」
「あはは私全否定?、まぁそうなんですけどね、ダメじゃないですか師匠ならちゃんと世の中には良い人と悪い人と私みたいに激烈に悪い外道がいることを教えないと、騙されて誘拐されちゃうぞってね」
やはりこいつか!、私を煽り立てるようにゲタゲタ笑いながら両手を広げるウルキ、こいつは何年経っても変わらないな、やはりお前は壊れているよウルキ とっくの昔に壊れていたんだ、もっと早く気がつくべきだった!
「返してもらうぞ!エリスを!」
「私をぶちのめして?、いつまでも自分の方が強いと思ってるなら忠告しておきますよ、私が今まで貴方に手を出さなかったのは貴方達から隠れてたんじゃありません、貴方達を見逃してあげてただけなんですから!」
刹那、睨み合う二人の姿が消える
いや、消えたのではない ただ…ほんのちょっぴり、全力でぶつかり合っただけなのだ、それを証拠にほら
先程までウルキとレグルスの立っていた崖が、空気の振動と衝撃で跡形もなく吹き飛んだではないか
「ぐぅっ…!」
レグルスの姿は 元いた崖から遥か彼方の森にあった、まるで隕石のように吹き飛び、地面に叩きつけられ 周囲の木々を吹き飛ばしながらも体勢を整え立ち上がる
あの一瞬、レグルスとウルキの拳がぶつかり合い 互いに互いの衝撃に押し負けぶっ飛ばされたのだ、完全に力が拮抗している…この私が容易く殴り飛ばされるなど、アルクトゥルス以来だよ!
「チッ、ーーッッ 『絶界八方魔封壁」
空気の乱れ 魔力の淀みを肌で感じ、即座に高速詠唱と共に 魔術で障壁を作り出した瞬間、地平線の向こうから飛んできた閃光がレグルスめがけ放たれる、圧倒的熱量を秘めた炎熱はレグルスの障壁に弾かれ四方八方へ乱れ飛び周囲の森を一瞬にして蒸発させる
「おや?、衰えましたか?随分手緩いじゃないですか!」
「なっ!?」
魔術を防いだ次の瞬間には 遥か彼方へ吹き飛ばしたはずのウルキの声が後方から聞こえる、先程の熱線 それを超える速度で此方めがけて飛んできていたのだ
咄嗟に振り返り防御姿勢を取るが
「甘いですよ、大いなる四大の一端よ、我が手の先に風の険しさを与えよ、荒れ狂う怒号 叫び上げる風切 、その暴威を 代弁する事を ここに誓わん『颶神風刻大槍』!」
ウルキがあっと言う間に詠唱を言祝ぎ、風が唸る …颶神風刻大槍 それが私の腹部に伸ばされた腕から、零距離で 密着した状態で放たれ…爆裂するような衝撃が私の体を吹き飛ばす
「がはぁっ!?」
一瞬だった、ほんの一瞬瞬きする間に私の体は何百という森の木々を薙ぎ倒しながら吹き飛ばされたていた
「チッ、前より威力が上がっている」
「当然でしょう、何年振りだと思ってるんですか?、ザッと数えて…」
まただ、吹き飛ばされた私の前に 再びウルキが現れる、速度という一点だけ見ても やはり以前出会ったときよりも強くなっている、いや そりゃそうか…なんたってあれから
「八千年!経ってんですから!」
「そう…だったな!」
振るわれるウルキの拳、空気を弾き 爆音を打ち鳴らし、かつ それよりも速く襲い来る拳を打ち払う、否 一発ではない 連打だ、その手が十 二十に増えたかのように残像を残す連撃を防ぐが
「あっははははははは!」
ただ闇雲に拳を振り回しているわけではない、まるで車輪が回るかのように腕の動きのギアが上がっていく、動けば動くほど 速くなる…くそっ!厄介な!
「攻めの一手で相手の攻め手を潰す 攻めの二手で相手の足を潰す、三手四手で逃げ場を潰し 五手六手で勝ち筋を潰し、七手で勝つ…ことを想定して一手目を打つ、ジョ~シキですよぉ!、はい!そこ!穿通拳!」
「ごぶふっ…」
まるでチェスだ、一手一手 逃げ道防ぎ道を封じ、なんともできなくしてから決め手を放つ、まさしく…この戦い方はアルクトゥルスのものだ
ウルキの拳を胸に受け止め、背後へと押し込まれる…吹き飛ばされはしないものの、接近戦のキレも上がっているとは…
「まだまだ行きますよぉ!、蜷局を巻く巨巌 畝りをあげる朽野、その牙は創世の大地 その鱗は断空の岩肌、地にして意 岩にして心『錬成・蛇壊之坩堝』!」
「っ…ッッー!『旋風圏跳』!」
大地が崩れ その岩を押し固めた岩の蛇が錬成される、おろし金のような岩鱗 大槍のような牙を煌めかせ 地面を耕しながら幾重にも重なり襲い来る、フォーマルハウトが得意とする錬金術による物量攻撃…
旋風圏跳で飛び回り 牙から逃げ回り、拳で岩蛇を叩き崩し、その中心にいるウルキに向け飛ぶが、すでに彼女の手には黒色の剣が握られており、
「…『黒呪ノ血剣』…、レグルスぅ!貴方治癒苦手でしたよね!」
するとウルキは手に持った黒剣を高らかに掲げると…
「ハハハッ!『双葬漆桶呪殺』!」
突き刺したのだ己の太ともに 、深々と自分の足に剣を突き刺し貫通した剣先はぼたぼたとウルキの血を溢れさせ滴らせる、自傷行為…いや違う あれは…
「呪術 いや呪殺術か…っっぐっ!?」
ふと、あまりの激痛に顔をしかめバランスを崩しあらぬ方向へ吹き飛び頭から着地する、ふと 私自身の足を見てみれば、ズボンが血で濡れていた
ウルキが己の足を指した部分の同じところに同じような傷が生まれ血が溢れてきていた、…呪殺術 己が受けた傷を相手にも押し付けるカウンター魔術だ、普通は相手の攻撃に合わせて使うものだが…まさか自傷行為で強制的に押し付けるとは
「その者に癒しを、彼らに安らぎを、我が愛する全てに穏やかななる光の加護を『遍照快癒之憐光』…、んんぅ~完治ぃ~」
するとウルキの方はウルキの方で剣を刺した太ももに古式治癒術を掛けて傷を塞いでいた、チッ…回復か…、確かに私は治癒が苦手だ 魔力を巡らせて治癒力を高め回復することはできるが、その分魔力を回復に回すのに集中しなくてはならないため 戦闘中は不可だ
「本当に面倒なやつだな、お前は」
「貴方は衰えましたね、いや?甘くなったというべきでしょうか、八千年前の貴方はもう少し容赦がなかったですよ、太ももに風穴開けられたくらいじゃ怯みもしなかったじゃないですかぁ」
「うるさい、何年実戦を離れていると思ってるんだ」
「そう…、勝手にあの時の戦いが終わったと思い込んで 戦いから離れて平和を謳歌してた貴方達と私とじゃあ、差があるんですよ…実力にじゃあない、気持ちに ですヨ」
トントンと己の胸を叩いてウインクをするウルキ、そうか こいつの中じゃあまだあの戦いは終わってないのか、いらそうか こいつが生きていて私たちが生きている、なら…まだ戦いは終わってないな
「しかしちょっとショックですよ、真っ向勝負でこんなボロボロにされるなんて…、しっかりしてくださいよ レグルス師匠~?」
「お前はもう我々の弟子ではあるまい、貴様の方から我々の元を去ったくせに…」
ウルキ…、こいつがさっきまで使っていた古式魔術は元を正せば全て我々の技だったものだ、いや 我々 八人の魔女が自らこの子に教えた物だ
超火力の古式魔術で吹き飛ばすスタイルは私が
綿密な作戦で相手を追い詰める堅実な拳法はアルクトゥルスが
錬金術を用いた物力戦法はフォーマルハウトが
相手を一方的に嬲り殺す呪術はアンタレスが
傷を瞬く間に直す治癒術はスピカが
まだ使ってはいないが、こいつはまだプロキオンやカノープス リゲルの魔術や戦法も使いことができる
そうだ、…ウルキという女はエリス ラグナ メルクリウス デティ達魔女の弟子の姉弟子に当たる人物、我々八人の魔女の一番最初の…八千年前に育てた弟子なのだ
故に、こいつは魔女全員の魔術と戦法を会得しているのだ…
「師匠達には感謝してますよ、お陰でこんなに強くなれましたし…」
「何をいけしゃあしゃあと…!、その力を使ってシリウスに与するなど!」
それは八千年前、我々八人の魔女は シリウスとの激化する戦いの中、戦力不足を感じ 孤児を拾ったのだ、村を魔獣に襲われ 飢えて死ぬところだった少女…ウルキを拾い、魔女の弟子として育てた
我々八人の持つ力 技 知恵 全てをウルキに注ぎ込んだ、ウルキは天才だった 我々の教えた物全てを吸収し、瞬く間に魔女達と比べても見劣りしないまでの力を手に入れたんだ
美しく 強く 利発で叡智に溢れるこの子がいるなら 我々に何かあっても平気だ、我々のいなくなった後も世界を任せられると皆あの時は安心していたというのに
…あろうことかウルキは我々の与えた力だけでは満足せず、更なる力を求めて敵であるシリウスの配下になったのだ、我々を裏切り みんなを裏切り シリウスの配下になったウルキは我々の力を使って大勢殺した、悪逆と殺戮の限りを尽くしたんだ!
…参ったよ、あの時ばかりは精神的に 何せみんなを守る為と授けた私達の力を使ってウルキは暴れるんだ、みんなもう弟子は取らないと心に誓ったよ 我々の力は安易に他人に授けたりしないってね
それが、我々が八千年もの間 一人として弟子を取らなかった最たる理由、第二のウルキを作りたくなかったからだ
「そうですよ、私はシリウス様に忠誠誓ったんです、いいですねぇシリウス様は 私に更なる力を授け、魔女の皆さんと同じ不老の法さえ授けてくれた…おかげでほら 私ってば若々しいまんま」
「…貴様は私達の最大の汚点だ…、力に溺れるような人間と分かっていれば 力など授けなかったものを」
「何言っても遅いですよぉ~、というか 私の時懲りたんじゃないんですか?、なのにまた性懲りもなく皆さん弟子を取って、あのエリスちゃんにも修行つけたんですか?また裏切られても知りませんよ?」
「あの子はお前とは違う!力などに溺れないし 私がそうさせない!、決して 同じ過ちは繰り返させない!」
エリスはウルキとは違う、ウルキのように強欲ではない その力を悪事にも使わない…!
「ふーん、じゃあここでこんなことしてて…いぃ~んですかぁ~?」
「何?」
そう言えば、エリスが近くにいない…、こいつはエリスを攫ったんじゃ…まさか!
そう気がついた時には遅く、背後の古城で爆発音が鳴り響き 大地が揺れる
「エリスちゃんは今、己の力の強さを自覚する為 敵を殺しに行ってるんですよ、思いのまま暴れ 思いのまま殺し、殺戮こそが力の最たる使い道であることを自覚し…修羅道に堕ちるんです」
「修羅道…だと」
「ええ、エリスちゃんはこれから力のままに敵を殺し 後戻り出来ないまでに堕ち…、シリウス様復活の鍵となり、我々の仲間になるんですよ!あははははは!、またおんなじ間違いしましたねレグルス!…いいえ、レグルス…ししょー?」
同じ過ちを…エリスが シリウスを…復活させるだと
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