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三章 争乱の魔女アルクトゥルス

46.孤独の魔女と準備完了

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アルクカース南東の果てに、人も寄り付かぬ険しき山が一つあると言う

屈強なアルクカース人でさえ避けて通り、あまりの恐ろしさから名前さえつけられぬ岩山…強いて名を指して呼ぶならばそれは『獣の山』、文字通り無数の魔獣が身を寄せ合うまさしく人外魔境の地、かつてかの魔獣王が住んだとされる伝説の山だ

地理的な問題かあるいは魔獣の本能か、詳しいことは解明されていないがこの山にはアルクカース中の魔獣が寄り集まるという性質があるのだ、それ故常に魔獣は数百近い数が山の中を跋扈している

オマケに常に激しく縄張り争いや共食いを繰り返している為強い個体だけが自然と残って行く為、この山に住まい生き残った魔獣はそのどれもが強力な個体だけという 悪夢のような山である


未だ嘗て、この山に挑んで行った冒険者は数知れず…その殆どが帰らず、帰ったとしても這う這うの体…譫言のように山の惨劇を伝える肉人形と化してしまい、本当の意味で五体満足で帰った者はいない

…今日までは、いや 10ヶ月前までは


「コロロロロロ……」

獣の山の最深部の 、頂点に存在する大きく窪んだ穴…元は火山であったことを思わせるその空間の中央に、一際巨大な魔獣がヌルリと天を見上げる

「ぐごぉぉぉっっ!うほっ!うほっ!」

轟く咆哮と共に、太鼓のように丸太のような腕で自らの胸を叩き己が威容を知らしめる巨大な魔獣が存在する、奴の名はフォートレスブレイカー…その名の通り砦さえ拳の一撃で叩き壊してしまう 巨大なゴリラ型の魔獣にして、この弱肉強食の獣の山の頂点に君臨する王だ

魔獣を弾く体皮と見た目通り いやそれ以上の圧倒的パワーの攻防併せ持つ怪物であり、冒険者協会からは危険度Aランク指定を受ける大魔獣、人里に現れるだけ百人規模の冒険者が動員される歩く災害 それが今…

「ゔぅぅう!、グォッ!!!」

「……!」

威嚇を終えると共に大理石の柱のように巨大で頑強な腕を振り回し、突如として周囲の岩を叩き割り始める…いや違う 此奴は無闇矢鱈に暴れているのではない、戦っているのだ …災害とまで呼ばれる強大な存在を脅かす何かと…

「グガァァァアアア!!!!」

「……ふぅ」

その何かとは…影だ、小さな影 巨大なフォートレスブレイカーから見れば豆粒のようなソレは魔獣の体に張り付くように、高速で飛び回り魔獣の攻撃を容易く避けて回る…
一撃で砦を粉砕し 百人規模の冒険者を蹴散らす獣の王の攻撃が全て避けられ、まるで駄々っ子のように腕が空を切る

弱肉強食を極めたこの山のヌシが赤子扱いを受けているのだ

「この山の主と聞いていたのですが、これではウォーミングアップにもなりませんね」

影は呟く、呆れと諦めを孕んだ冷酷な少女の声…まるで期待外れだと言わんばかりにため息を吐くと、その児戯を終わらせる為に ストンとフォートレスブレイカーの前に金の髪をたなびかせ無防備に着地する

「グッ…グガァァァッッッ!!!」

ソレを好機と見たか あるいは影の態度を挑発と受け取ったか、怒号をあげながら渾身の拳を放つ、破城槌の一撃にも似たるそれを真正面から受け止めて形を保てる物などこの世に存在しない、…そう 魔獣は思っていたに違いない

「…ーーッ『旋風圏跳』」

しかし、魔獣のその圧倒的なプライドは その放たれた一撃と共に物の見事に潰される事となる

軽く…そして歌うように文言を少女の影が囁くとその小さな体を中心にフワリと小さな旋風が巻き起こる、突如として現れた小さくも力強い旋風に拳が触れた途端…グンと魔獣の体の芯ごと引っ張られ前面へとつんのめる

魔獣の拳は風によって制御を失い打点をほんの少しずらされ、少女に当たることなくその後ろの地面へと突き刺さり 体ごと前へと叩きつけられる、捌かれたのだ 少女の呟いたたった一言の言葉に

「ぐぅ…うぐぅっ!?」

バランスを崩し倒れる体を必死に持ち上げるフォートレスブレイカー、自慢の一撃が難なく防がれた、獣は怒る 獣は恐る 頭を振りその影を睨みつける、何がなんでも殺してやると何が何でも殺さねばならないと、殺意を秘めた瞳が捉えたのは

手をこちらに翳し、口を開く…金色の髪の少女の姿であった

「…大いなる四大の一端よ、我が手の先に風の険しさを与えよ、荒れ狂う怒号 叫び上げる風切 、その暴威を 代弁する事を ここに誓わん『颶神風刻大槍』」

フォートレスブレイカーも魔術は使う、魔獣を使うから魔獣なのだ、だがその少女は扱ったそれは魔術ではない 魔獣はそう本能で理解した、その手の中で渦巻く風は大空を征き雲を押し流し、時として地上に生きる生命体を嘲笑うように振るわれる天の鉄槌…大自然の猛威そのものだったのだ、あんな物を片手で扱えるものなど少なくとも単一の生命体では不可能

ならなんだ、今この身に迫る颶風の槍を放つアレはなんだ…いやもし、魔獣が言葉を喋れたなら、こう叫んでいただろう

まさしくアレは 神であったと




風が吹き荒ぶ、絶大なまでの一撃により頂点が抉られた山の頂上に、ただ一人立つ少女は憂げに息を吐く、感触を確かめるように数度手を開閉し、思い耽る…魔術をある程度物に出来た、完全に使いこなす迄に至らなかったのは悔しいが、それでも数段高みへ登れたのは間違いない

「この10ヶ月の成果を確かめるには適当な相手だろうと思い山に赴いたが、猿山の大将程度では今のお前の相手にはならんか」

「ッは!?師匠!」

少女の背後に霧のように瞬く間に姿を現わす黒髪紅眼の女は、周囲に刻まれた少女の戦いの跡を一瞥すると、ほうと息を吐く…先程倒した巨大な猿の魔獣然り、この山を登る道中倒して回った死屍累々と転がるの魔獣達を見て 弟子の成長を感じているのだ

この10ヶ月の集中修行でかなり実力はつけられた、まぁ やや戦い方が粗っぽいな、もう少しスマートに倒せるのが理想ではあるが、言うまい

「…もう少し詰めておきたかったが、エリス もう時が満ちた…そろそろ戻るぞ」

「はい師匠!」

少女は…いや この10ヶ月の修行を乗り越え一端の魔術師の顔をするようになったエリスは、師匠 レグルスの言葉に力強く頷く、全てはこの日の為に…志を同じくする友と望む決戦へ挑む為、エリスは再度拳を強く握る

遂に…遂にこの日が来たんだと…



………………………………

「継承戦も…もう目と鼻の先か、みんな もうやり残した事はないな」

軍事大国アルクカースの中央都市ビスマルシアの一角、宿屋の庭先に並べられた机を囲うように肩を並べる戦士たちに向けて…ラグナは再度覚悟を問う

長い ひたすら長い、人生で最も長い一年が過ぎ、ラグナにとっていやこの国にとってその命運を決める戦いの時が近づいているのだ、ここに揃う皆々今日まで全霊でその準備を黙々と続けてきたのだ

「長きに渡る埋伏の時は終わり、遂に決戦の刻ですな…我輩も今日この日のためにたくさん策を考えてきましたぞ?見ます?」

「いやいい、それは実戦にとっておいてくれ」

ラグナの右腕を名乗る軍師 片眼鏡をした青瓢箪、いやこのラグナ軍の軍師 サイラス・アキリーズは自慢げに紙の束を見せつける、いざ戦いが始まってしまっては剣を持てない己はあまり役には立てぬと この前準備の段階で物資調達や各方面への交渉など八面六臂の大活躍を見せてくれていた

「ウチもめっちゃトレーニングしたよ!修行もしたし鍛錬もしたし、あと体も鍛えた!めちゃ!頑張ったよ!褒めてよ若!」

「ああ、一段と筋肉がついてるな」

ラグナ第一の部下を名乗る戦士、浅黒い肌と迸る筋肉が特徴的な女戦士テオドーラ・ドレッドノートはにこやかに手をあげる、彼女は戦士だ 頭もあまり良くないし口も上手くない、だからこそ今はただひたすら黙って鍛錬に励んだのだ、勝つための準備はみんなが整えてくれる その準備を無駄にしないのは自分の仕事だと理解しているからだ


「おう、装備も申し分ねぇし 最初来た時が嘘みたいに軍も安定してる、オマケに俺たちだって強くなれたし…これはいけるかもしれねぇぜ」

「いや、ここまで来たらやるしかないんじゃよ、あるのは勝利か死かじゃ、ワシぁまだ死にたくないのでのう、勝つしかないわい」

「ああ、みんなよくここまで頑張ってくれたよ」

それに続き自慢げにガハハと笑うバードランド、10ヶ月前まで落ちこぼれと言われた彼はこの10ヶ月の厳しい鍛錬を乗り越え、元々筋骨隆々の大男であった彼の体は一回り大きく膨れ上がっている、いや彼だけではなく彼と共にやってきた下位戦士隊の面々も同じく頼もしくなっている

対する老兵ハロルドは特変わった点はない、もう年老いた彼はいくら鍛えたとて筋肉などカケラもつかないからだ、しかしその顔つきは経年によって失われた戦士の眼光を取り戻している、まるで現役時代に戻ったかのようだ

以前は反目していた彼らも、この時の流れが両者の溝を埋め立場と年齢を超えた奇妙な信頼関係が生まれているようだった、いや…一番信頼が生まれた原因と言えば

「ヌハハハハハ!、やっと戦いの時カ!アタシは待ちくたびれタゾ!ヌハハ!」

鉱石を先端につけた原始的な槍を片手にげたげた笑うのはカロケリの精鋭女戦士果敢なりしリバダビアである、一応ラグナ軍の訓練長を任されている彼女の訓練はまさしく苛烈を極める
カロケリ山の大自然の猛威をそのまま体現したかのように激烈なまでのトレーニングを前に、バードランド達とハロルド達は共に手を結び一致団結し生き残ってきたのだ、共通の脅威を前に人はプライドを捨て手を取り合える良い例だと言える

「…若き王子ヨ、君が号令をかけるならば我らカロケリ族はいつ如何なる時でも刃を立てヨウ、戦いの準備は出来てイル」

「ありがとうございますアルミランテさん」

ラグナ軍最強の戦士 偉大なりしアルミランテの言葉に、ラグナもまた首肯する、あれからカロケリの戦士達 およそ五十人も戦列に加わりラグナ軍はどんどん精強になっていた

彼らカロケリ族は山の鉱石を馬車で引きながらラグナの元まで馳せ参じ、族長に勇と力を示した者として讃えられ、その力を余さずラグナの為に使うと高らかに宣誓してくれた、お陰でラグナはあのカロケリ族を屈服させた者として瞬く間に名を轟かせる事となる

あのカロケリ族を…歴代様々な戦士が挑み その全てを叩き返してきたカロケリ族を屈服させた男、となれば周りの見る目も変わる…ラグナの評価はうなぎ登りに上がっていき、なんと中にはラクレスからこちらへ鞍替えしたいと申し立てる者達もあり

カロケリ族が加わってから周辺の貴族や傭兵達を味方につけていき、今ラグナ軍は総勢五百人の軍勢を抱えるまでになっていた、もはや立派な軍だ


アルブレート大工房もミーニャの説得に応じ全員ではないものの何人かの鍛治職人達がラグナに味方してくれ、カロケリの良質な鉱石をふんだんに使いその装備の質もグングン上がっていった

「…武器も揃った 人も集った、訓練も滞りなく終わり物資も潤沢、まさかここまで上手くいくとは思わなかったな」

「ですなぁ若、最悪我輩とテオドーラと若の三人で挑むかと覚悟を決めていた頃が懐かしいですな」

「ホントホント、ウチもまさかこんなに上手く事が運ぶなんて全然思ってなかったっスわ」

三人はしみじみと思い出す、三人で国中を巡り そしてその全てが挫かれ、万事休すの一歩前まで追い詰められていた頃を、其れからたった一年でこんな軍勢と豊富な武器を抱えるまでになるとは…

こうなるきっかけはなんだったか、こうなる転換点はどこだったか…思い出すまでもない、あの日 あの宿で半ば拾うような形で出会った 熱を出して苦しむ少女…

「エリスに出会えていなかったら、こうはならなかったろうな」

エリス…あの日出会い 共に戦力集めに奔走してくれた金色の髪の少女、ラグナにとって初めて出来た同年代の友だ

ラグナは目を閉じてエリスの顔を思い返す、彼女は10ヶ月前から俺と別行動をしている、話を聞くにアルクカースの人気のない場所で師匠とみっちり修行をしているらしい、と言ってもエリスは俺がいつどこで話しかけても基本的に修行をしている

あの歳なのに、遊びもせず 弱音も吐かず 脇目も振らず、1日のその殆どを修行に明け暮れ、その上でさらに強くなるために修行に集中するなんて…本当に凄い子だ、エリスは

エリスは俺よりも年下なのに理知的で勇敢で、常に俺の側にいて俺が挫けそうになると俺の代わりに声を上げてくれる、彼女がいなければ俺は継承戦への迷いを払えなかったしここまで多くの仲間を得ることもできなかっただろう

「エリスちゃんかぁ、いやぁ あそこで出会えてラッキーだったぁ、何より強いのがいい…戦って強い子はいいっすよねぇ」

「しかし、もう継承戦は数日後に控えているというのに…一向に帰ってきませんな」

「…ああ」

エリスが修行に出る時継承戦までには帰ると言っていたが、…未だに帰って来る気配がない、大丈夫だろうか エリスに何かあったんじゃないか?…しかし魔女レグルス様もついているし、万が一ということはないと思うが

「ん?、…なんだ?」

ふとラグナは何かを感じ宿屋の玄関先に目を向ける、感じたのは…そう 喧騒だ、なにやら外が騒がしいんだ、喧嘩をするような言い合うような…なんだ?

「なんだか表通りの方が騒がしいな、何かあったのか?」

「さぁー?、でも何かあった時のために宿屋の外には見張りを置いてある筈なんスけどねぇ」

とテオドーラは耳をほじりながら呑気に宣う、見張り…そうだ我が軍の見張りにこの宿を守らせているんだ、実はカロケリ族の一件で有名になり始めた頃 この宿に武器を持ったチンピラが襲撃を仕掛けて来るというのは事件があったのだ

なんでもそいつらは熱狂的な第一王子支持者、ラグナがこの街で幅を利かせ始めているのが我慢ならず襲いかかってきたらしい、その時は俺達で追い返しはしたものの補給物資をいくらかダメにされるなど損害もあった

損害が出た以上対策をせねばならぬと、この宿の入り口に見張りを置いたのだ…一応協力してくれるようこの宿の主人には話を通してはあるが、やはり迷惑はかけられないからな…

しかし、表の方が騒がしいということは…もしかしたら見張りが不審者でも見つけて口論、最悪交戦している可能性がある

「テオドーラ、武器を持ってついてきてくれ 俺が追い返す、サイラスは補給物資の方へ着いてくれ 他のみんなはここで待機だ」

「およ?、ウチと若だけで?みんなで行ってみんなで袋叩きにして裸で路上に吊るしましょうよ、物も知らねェクソボケに懇切丁寧に教えてやるんスよ、手前がどこの誰に逆らったのかとそのバカの末路って奴を」

「落ち着けテオドーラ、彼らは飽くまで兄様のことが好きなだけなんだ、その感情を抑えられなかっただけで そこまですることはない」

「どうだか…ウチには第一王子サマが裏で若のことを潰そうとしてるとしか…」

「…いいから行くぞ」

ブツクサと呟くテオドーラの言葉に反応せず、宝剣を担いで外へ向かう…兄様がそんな汚い真似をするわけがない、兄様は誰よりも闘争を好む…やるならきっと兄様が直々に来る、つまりアレは本当にただの熱狂的な支持者でしかないんだ…半ば思考をそこで止める

「おい!、ここがどこか分かって尋ねてきてるんだよな!?」

「見覚えのねぇ奴は通すなって言われてんだよ」

思考を紛らわすように足早に外へ向かえば、案の定というかやはりというか 見張りに使っていた若い兵士達が声を張り上げて威嚇している、今日の見張りの兵はモンタナ傭兵団の若戦士達か

モンタナ傭兵団は俺がカロケリ族を屈服させるような大戦士と見込んで参戦を申し込んできた傭兵団で、皆年若く血気盛んなのが特徴的だ 、しかし若いが故に傭兵団としての実績に乏しく今回の継承戦で一発ドカンと名を挙げるのが目的らしい、協調性のなさが些か問題ではあるが 仲間思いで気のいい奴らだよ

事実彼らは俺が言った通り、見覚えのない人間は通すな という言葉を忠実に守っているようだ

「あ?ここがラグナ様の拠点だと知ってるって?なおの事怪しいなテメェ!」

「ちょっとこっち来いや、たっぷりお話ししようぜオイ!」

し…しかし、すごい剣幕だな…そう言えば彼ら初めて王子に仕事を任されたぜ!って今日ひどく気合いを入れてたな、もしかしたら気合いが空回りしてなんの関係もない通行人を捕まえて怒鳴りあげているのかもしれない、だとしたら大変だ!すぐに止めないと!

彼らは年若いとは言えアルクカースの戦士だ、一度殴り合いを始めれば敵を張り倒すまで止まらない、喧嘩になれば大ごとだ!

「お おいみんな、少し落ち着いて…」

傭兵達を制止しなければ、慌てて声をあげ 彼等に駆けよろうとした瞬間

「ぐおぉっ!?」

「ぎゃああぁああっっ!?」

「っ…」

すっ飛んできた、何がってさっきまで何かを囲んで怒鳴り声を上げていた傭兵達がさ、まるで砲弾のようにその場から吹き飛ばされ宙を舞い、庭の奥へと飛ばされていく
鍛え上げられた筋肉を持つ傭兵達の体重はひたすら重く、また体幹を鍛えられているためちょっとやそっとじゃ大地から足は離れない、だというのにこうも簡単に…

こりゃ想像してたよりもヤバイのが来たかもしれん、そう静かに感じれば 自然と背中に背負った剣に手が伸びていた

「…………」

「あれが…?」

傭兵達が先程まで立っていた場所には、ズタボロのローブに体を包んだ小柄な刺客が立っていた、羽織るフードで顔は見えぬ されど立ち上る濃厚な気配は奴が相応の使い手であることを示している
手に武器はない…素手か?しかし投げ飛ばしたにしては動きがなかったが

「…上等だ、上等だよオイゴルァァアアアッッッ!!!」

「ちょっ!?テオドーラ!?」

耳元で爆音が轟く、いや獣の咆哮か…違うテオドーラだ、目を真っ赤にし牙を剥き武器を握っている、争心解放だ…闘争心を限界まで高め肉体の限界を一時的に越える法を使い目の前のローブの相手を睨んでいるのだ

先程の行動で彼女はあれを完全に敵とみなしたらしく、愛用のメイスを軋む程の握力で握りしめている、こうなったテオドーラは止められない

「何者か知らねェがウチのモンに手ェ出してタダで済むと思ッてんじャねェぞ!!、この落とし前 テメェのドタマで払いやがれやッッ!!」

飛びかかる、屈んで全身をバネのように縮めてからの跳躍、荒れ狂い暴走しているように見えてその攻撃は合理そのものであり、合理から叩き出される速度と威力はまさしく圧倒的な物、その素早さは戦士どころか魔獣でさえ対応できない

「…えっ!?」

一瞬、ローブの刺客が声をあげたのが聞こえる、驚いたような 意外なような、素っ頓狂な声…なんだその反応は?襲撃に来たわけじゃないのか?

そんな俺の疑問も他所にテオドーラのメイスは振るわれる、空中で横に何度も回転しながら打ち振るわれるメイスの攻撃は変則そのもの、しかし

「チィッ!?すばしっこい!」

「……!!」

避けられる、テオドーラの乱打は虚しくも空を切り宙を舞うローブの端にさえかすらない、実力だけならば第一戦士隊にさえ引けを取らぬテオドーラの攻撃が…ああも容易く
というかさっきからローブの刺客が何かを訴えているように見えるが…テオドーラの怒声と巻き起こされる騒音のせいで上手く聞こえない

「…………ーーーッ!」

「ぅおらぁぁぁっっっ!!!!、…んぉ?んなっ!?」

テオドーラはメイスが空を切る 爆風が砂利を吹き飛ばし衝撃は空気を弾き爆音が鳴り響く、だが当たらぬ…全てを容易く回避した刺客は、どこかため息も混じった声と共に何かを唱えると 、一陣の風が吹いた…

明らかに自然のそれではない、明確な意思を持った風がテオドーラの足に絡みつきその足を掬う、テオドーラの体は盆のように瞬く間にひっくり返され大地にその背中を叩きつける、…と共に刺客の足がテオドーラの上に乗せられ制圧されてしまう

テオドーラがやられた!。なんて感じた瞬間ローブの刺客はその顔を覆うぬのをひっ剥がし

「落ち着いてください!エリスです!エリスですよ!」

「……へ?」


ローブの中から、見慣れた…いや記憶の中のそれより些か大きくなった顔がが現れた、そこでようやく気づく あれは…あれは


「エリス!?帰ってきてくれたのか!?」

「ラグナ!なんですかいきなり襲いかかってきて!、エリスのこと忘れちゃったんですか!?」

エリスだ、10ヶ月ほど前修行に出たきり帰ってきてなかったエリスだ、記憶のそれより髪は長く身長も少し伸び、何より顔つきが逞しくなっている…、しかも先程テオドーラ相手に見せた身のこなし…あれは魔術を使ったものではなく地力によるもの、一体どれほど腕を上げて…

「す すまん、ローブで顔が見えなかったのと、襲撃者かと勘違いしたのもあって、悪い…」

「ローブ?ああこれですか、すみません アルクカースの平原って砂塵が舞い上がるところがあって、こういうのをつけてないと厳しくて、しかしそういう事でしたか、エリスもすぐにこれを取ればよかったですね」

「ぐぇえー…エリスちゃんだったか、しかし…まさか負けるとは」

「あ!すみませんテオドーラさん!、お怪我はありませんか!」

「大丈夫…フィジカルは、…メンタルは…もうだめ…がくり」

「テオドーラさーーーん!!!」

テオドーラの肩を掴みユサユサと揺するエリス、ローブから垣間見える腕は少女ながらしっかりとした筋肉がついており この10ヶ月でいかなる修行をしていたのか、それすらもまた垣間見える

「すまんなラグナ、継承戦には間に合ったか?」

「レグルスさん、はいギリギリ間に合いました」

次いで現れるのはエリスと同じくボロボロの外套を身に纏ったエリスの師匠…魔女レグルス様だ、この人の見た目は変わってない  八千年を生きる魔女様が高々数ヶ月で見た目など変わらんか

「しかし驚きましたよ、ラグナの宿に戻ってみれば知らない人達がいきなり現れてここには入るなって止めてきて…もしかしてあれラグナの仲間でしたか?、すみません 軽く突き飛ばしちゃいました」

「い…いや、まぁ仲間ではあるんだが …すまん色々混乱しすぎて何から言っていいやら分からん」

ごちゃごちゃと混乱する額を指で押さえ混乱を抑える、何から言っていいやら 物事が立て込みすぎて分からん、するとレグルス様が俺を横切り宿へと入り…

「ともあれ近況報告が先だ、こんなところで立ち話をするのもあれだ、宿で話すぞ」

「はい師匠!、ラグナもいいですよね?」

「あ…ああ!そうだな、こっちも色々あったし話したいこともたくさんある!」

「そうでしたか、それはいい事ですね」

にしし と汚い装束を纏ったエリスが笑う、相変わらず綺麗な笑顔だ、まぁ 格好はズタボロでお世辞にも清潔とはいえないが やはり彼女の笑顔は裏表なく綺麗だと、俺は思うわけで…

「ラグナっ!、行きましょう?」

「お おう!」

何をボーッとしてるんだ俺は、竹馬の友が俺の為に修行して帰ってきてくれたんだ、先ずは出迎えて話を聞いてやらねば

「おかえり、エリス」

「ただいまラグナ、エリス頑張ってきましたよ?」

拳と拳をぶつけ合う、…欠けていたピースがやっとハマる、そんな清々しい気持ちが胸を占める、やはり俺には友が…エリスが必要だ

…………………………………………………………………


「と!言うわけで孤独の魔女が弟子エリス!ただいま修行を終えて帰還いたしました!」

先程まで開いていた軍議の場にエリスを招き、木箱で出来た壇上の上で皆に報告してもらう、彼女を見たことがある者 ない者と混在しているが、皆一様で目を丸くして彼女を見ている事に変わりはない

「あんな小さな子も戦うのか?」

「いや聞いた話じゃラグナ様と同レベルで強いみたいだぜ?」

「今孤独の魔女って…」

なんて囁き声が聞こえてくる、あれはエリスと初対面になるこの10ヶ月の間に入った者たちだな、ちなみに先程吹き飛ばされたモンタナ傭兵団の彼らはみんなバツが悪そうな顔してる…『あれラグナ様の戦力だったとは』と言う顔だ、あとでフォローしておかないと…

いきなり怒鳴りつけたのは良くないが、曖昧な指示を出したのは俺だしな

「改めておかえりエリス、修行の成果はどうだった?」

「はい、師匠と戦闘訓練を山ほど積んできました、これでどこまで通用するかは分かりませんが…以前よりも遥かに強くなれたのは確かです」

どこまで通用するか…か、先程テオドーラを呆気なく制圧したところを見るに、今のエリスは第一戦士隊を遥かに凌ぐ実力を持っていることは確かだ、討滅戦士団や国王候補者にさえ その手は届くかもしれない…俺もこの10ヶ月鍛えてはいたがエリスはその比ではないだろうな

「それに、秘密兵器も用意しましたよ?」

「秘密兵器?…」

「ええ、ひっくり返るような凄いやつですよ」

と言いながらエリスは懐から一枚の紙を取り出し自慢げにヒラヒラする、なんだろう…高そうな羊毛に文字が書かれているが、…分からん なんだあれ?あの紙が秘密兵器だと?、しかしエリスのドヤ顔は凄まじくさぁ褒めろと言わんばかりの胸の張り具合だ
周りを見ても同じ反応だ、我らラグナ軍の屈強な戦士たちが揃って首を傾げている

「いやぁ、申請からかなり時間を要するとの話だったので間に合うか微妙なところでしたけど、デティがエリスの為なら融通を利かせてくれたみたいで、あんまりコネを使うのは気が引けましたがこれにはエリスも少し興味があったので、こうして手に入れることができて嬉しいですよ」

「あ…あのエリス?、盛り上がってるところ悪いんだが、それ…なんだ?」

「へ?、これですか?…これですよ!」

と言って少し怒り気味に紙を突き出してくる、え エリスが怒るなんて初めて見たが、なんだ分からん 、唐突に向けられたエリスの怒りを前に思わずサイラスに助けの目を向ければ、彼も何かを察したのか 仕方なしとその紙の内容に目を向ける…すると

「…こ…これはっ!?若!これとんでもない代物ですよ!、わ 我輩初めて見ましたぞ!」

「凄いものって…なんなんだこれ?」

「ほら若!ここ読んで!」

サイラスにも怒られてしまった、なんなんだ一体…ここって 紙の上の方に何かでかでかと書かれているが、えっーと…なになに?

「…『魔術導皇特権許可証』…ってなんだこれ、字面から凄いのは分かるが 何がどう凄いのかはさっぱり」

「魔術導皇特権許可証と言えば魔術界に名を轟かせる超一流魔術師にのみ発布される、まさしく魔術導皇より言い渡される魔術師としての最高の特権ですよ!」

「いや特権ですよと言われても、これがあれば何ができるんだ一体」

やや興奮気味に説明されるも 俺の頭の中には『なんか凄い』以上の感想は出てこない、…いや待てよ?魔術導皇と言えばこの世に存在する全ての魔術の権利を持つ者 、即ち今現在世界で最も栄えており遍く広がっている技術のうちの一つを自由に扱える存在だ…それから言い渡される特権…と言うことは

「これがあれば、凡ゆる魔術的な権力を無視する事が出来るのです…言ってしえば魔術導皇に許可を取らねば使う事ができない禁術の使用や、未認可の魔術の作成と即時使用が可能になるのですよ?ラグナ」

聞いた事がある、魔術とはオリジナルのものを作っても魔術導皇に許可を得なければ使用することは許されないと聞く、だがこの特権許可証があればその場で作った魔術をその場で即時に使う事が許されるということ…まさしく魔術的な法の外側に存在する特権中の特権

「って凄いじゃないかエリス!、よくそんなもの手に入られたな!」

「魔術導皇のデティとは親友ですので、このくらい余裕です…なんてデティにはかなり無理をさせてしまったんですがね、それにオリジナルの魔術を作るって言ってもそう簡単には作られないんですけどね、…でもこれがあれば 戦場で自由に魔術を作れますよ?」

秘密兵器です!えへんぷい!と自慢げに胸を張り直す…とは言え やっぱり俺にはあんまりすごさが分からない、使い慣れない魔術を付け焼き刃で使ってもあんまり効果はない気がするし、でも確かにああ言う特権があれば何かと役には立つのか、何より自慢げだし 野暮なことを言うのはよしておこう

「エリスからは以上です、それではラグナ…そちらの近況の方を教えてもらっても良いですか?」

「ん?、ああ…と言ってもこっちも色々あったからな、何から説明したものか、まずな…」

そこからエリスを交え、今までのことを振り返るように説明し続けた…

カロケリ族が加わり 我が軍は一層固まり、一枚岩となれたこと

ミーニャが工房を説得してラクレス兄様に一泡吹かせてやろうと鍛治職人を味方につけてくれて、おかげで我が軍の装備レベルが格段に上がったこと

カロケリ加入の噂を聞きつけあの後何人もの仲間が集い今や我が軍は五百人規模の軍勢になったこと

色々だ、色々…一つ一つの出来事をエリスは力強く頷き、頑張りましたねと微笑みながら聴いてくれた、別に彼女に報告する為に頑張ってきたわけではないのだが、こうしてエリスに話して褒めてもらうだけで謎の達成感を得られてしまう

「なるほど、エリスがいない間にいろんな事があったんですね…ラグナに全て任せて、放り出してしまった事が申し訳ないです」

「何を言っているんだエリス、俺は軍を預かるものとして準備を整えただけだ、君はその軍のために力をつけてくれた…その身につけた力は数日後、継承戦で存分に役立ててくれ」

今の俺たちなら勝利を十分狙えるところにある、オマケにエリスがさらに力をつけて俺のところに戻ってきてくれた、どれだけ強くなったのか 今の段階では分からないが…少なくとも今の俺とエリスならアルミランテ相手にも引けを取らない自信がある

「継承戦…ですか、やっとこの時が来たのですね」

「そうだな…」

エリスの面持ちが真剣なものに変わる、いやエリスだけじゃない テオドーラもサイラスもバードランドもハロルドもアルミランテも…皆険しい面持ちだ

無理もない、十分勝利を狙えるとは言え…確実に俺たちは劣勢だ、人数でも戦力でも凡ゆる面で格上 、しかも国王候補者達は皆個人でも圧倒的に強い、相対して勝てる保証はこの段階に至っても無い…それをみんな感じているんだ

用意できるものは全て用意しても不安は拭えまい、だからこそ 継承戦前だからこそそ、しておかねばならない話がある

「みんな聞いてくれ、継承戦前に確認しておきたいことがある」

先程までエリスが乗っていた木箱の上に乗り、皆に声をかければ皆の視線が一気にこちらに集まる、確認しておきたい事とは覚悟や装備の点検なんて話ではない

意思の確認だ

「みんなには都度都度話していたと思うが、今一度問うておきたい…俺の目的についてだ」

一応彼らを仲間にしてから都度都度、俺の戦う理由や目的についの会話はしたことがある、もちろん全員にではないし 腰を据えて会話をしたわけでもない、ただ知ってもらっていただけで 彼らが俺の目的をどう思っているかは聞いていない

なんでか?…怖いからさ、いつぞや貴族達の前で話した時のように場が白け仲間から信念を否定されるのが、だが 皆を率いる立場にある俺がここで信念を曖昧にしたまま戦ってもきっといい結果は得られないだろう、怖くとも否定されようとも、やはり話しておくべきだ

「俺は、この継承戦を勝ち その次に控えるデルセクト侵略戦…それを止めるのが目的だ、彼の国と戦えば勝ち負けや事の大小関係なく、俺たちの国は窮地に立たされる、ともすれば何千年と続いたこの国の存亡にも関わると俺は感じている」

ラクレス兄様は言った、勝てば問題ないと 戦いを避けてはこの国は成り立たないと、あの時はなにも言い返せなかったが今なら言える

「確かにアルクカース人の本懐とは戦うことにある、戦闘を避け日和ればアルクカースと言う国は成り立たないかもしれない、だがそれでも戦うべきではない、意味なき闘争 意思なき戦争はただ無為に傷つき、ただただ空虚なだけなんだ、闘争心に任せて暴れればきっと誰もが後悔するはずだ」

戦う理由もなく戦って 勝つ意味もなく勝って、果たして満たされるか?敵と味方の死骸の山の上に我が国の旗を打ち立てて得られる空虚な戦いに 果たしてどれだけの意味がある、戦いとは本来そんなものではないはずだ

「アルクカース人の本懐は戦いにある、だが戦いの本懐とは何かを守ることにあるんだ!、勝った末に何かを守るからこそ意味があるんだ、守った末に意味があるからこそまた戦えるんだ!、一時の闘争心に身を任せてはいけない…俺たちは国防の戦士だ、その為ならば…俺は誰に否定されても戦うつもりだし 戦いさえも捨てるつもりだ」

いつのまにか、目の前の皆ではなく 戦いを求める兄へ吠えるように叫ぶ、兄ならきっと戦いに意味など求めるなというかもしれない、だがこの国を守り死んだ者が幾千といるんだ、その者たちの魂に意味を与えてやるのが 俺たち王族の仕事なんじゃないのか

「だから!…だから、俺は王族としてこの国を守りたい、その他に何としてでも継承戦は勝たなければならないんだ、みんな…そんな俺にだけれど ついてきてくれるか?」

…ヒートアップする頭が急速に冷える、熱くなりすぎてしまった…意気込みを語るつもりが一人で語りすぎた、最後の最後に同意を求めるような目で見ると…皆は黙って俺の方を見ている

ど どういう反応なこれは?白けているのか?やはり言わないほうがよかったか?、いやこれは俺の意思だ、俺の意思を語らず軍を率いるなど…

「ラグナ様よ、あんた変わっただなぁ」

そう、誰かが言った 誰だ?バードランドだ…変わってる?そりゃあ変わってるだろう、なんせ俺は戦争を否定して

「あんた自分で俺たちを信じると言ってくれてたのに、今更意思の確認なんざするなんてな…ついてきてくれるか?んなこと言われなくてもそのつもりだよ、あんたが国を守りたい その為に勝ちたいというなら、共に戦うのが俺たちの使命だよ!」

「そうじゃのう、それが正しいか否か 間違ってるかどうかは今論じるべきじゃないのう、じゃが ワシは少なくともラグナ様の意見に賛成じゃわい、無為な戦いなどただ面倒なだけじゃからのう」

「そうだそうだ、あんたが国を真摯に思ってることはこの一年で分かってる!あんたの信念が国の為になるって俺たちは信じてるんだ」

「そうそう、デルセクトとの戦いを回避したいって夢にケチつける奴がいるなら俺たちが吹っ飛ばすさ!」

バードランドに引き続きハロルドも…いや二人だけではない、皆口々に吠える 俺たちを信じろと あんたの信念は俺たちが叶えると、否定ではない 肯定ではない…最初から信じているのだと

「俺たちはこの国を守る為に戦う、だからラグナ様はどうやってこの国を守るかを考えてくれ、未来の王様」

「みんな…ああ、そうだな 言うまでもなかったか」

俺が憂慮するまでもなかったか、そうだ 皆はとっくに覚悟を決めて俺を信じてくれていたんだ、なら 今更その確認をするのは野暮だったか、…じゃあここで言うべきなのは

「みんな…継承戦に勝つぞ、絶対!この国を守るぞ!俺たちの戦いは守るための戦いだ!負けは許されない!、もう一度言う 勝つぞ!」

拳を掲げ吠えれば、皆も追従し同じく吠える 獣のように戦士の如く、高らかに己を鼓舞するように

戦わないための戦い 継承戦…その前哨戦が今終わろうとしている、あとはもう勝つだけだ

…………………………………………

岩肌に突き刺さるように聳え立つアルクカース最強の要塞にして、魔女大要塞フリードリス…その頂点に位置する とある一室、窓からは街を一望できる 眺めの良いこの部屋に、三つの影が揺らぐ、皆 その体から沸き立つほどに闘志を秘めており、たとえ素人が見たとしても彼らが一介の戦士を画す存在であると理解できるだろう

「ラグナは頑張っているようだね」

口を開くのは第一王子ラクレス…、先の継承戦の最有力候補であり 国内最大派閥を抱える者であり その影響力は既に現国王を超えていると宣うものもいる程の大人物だ

その顔つきは優美、女児が頭の中で思い浮かべる理想の王子様を取り出したかのような優雅な顔立ちは、時として優男と取られるかも知れないが、とんでもない

剣を振えば鋒は見えず 一振りで屈強な戦士が五人は地に伏す達人の中の達人
軍配を振るえば敗北はなく、堅実な守りと苛烈な攻めで確実に勝ちに行く謙虚かつ大胆な姿勢はアルクカース内でも人気が高い


そんな一流の戦士でもある彼が窓から街を眺めながら、憂げに呟けば…そんな彼の低い声色とは正反対の甲高い笑い声が響く

「なはははは!、兄ィ殿の包囲を突破してあそこまで人を集めるなんてやるじゃんねラグナ」

牙を見せを笑うのは第二王女ホリンが弟の躍進を受け ゲラゲラと笑っている、バカにしているのではない さすが私の弟と褒め称えているのだ

麗美な長い髪と人好きする屈託のない笑み、そして石も一握りで砂に変える怪力はアルクカース中の男達を魅了する、その上世界に点在する多くの武術を体得し極めている才女でもある、戦争の指揮をとった経験はないが 才能溢るる彼女の事だ 今回もまた上手くやるのだろう


「………………」

そしてそんなラクレスとホリンを部屋の奥から眺めるのは、第三王子…国王候補最強と謳われる猛獣ベオセルクだ、その瞳はこの世の全てが児戯であり瑣末であると嘲笑っているかのように、虚ろな瞳だ

最強…そうだ最強だ、このアルクカースにおいて最強という言葉はより一層特別な意味と重みを持つ、アルクカース人は負けず嫌いだ 自分より上がいることを何より嫌う、国王候補の皆もそうだが…それでも彼は今日まで最強の座に座り続けている…つまりはそういう事だ
真っ向から タイマンで戦えば、ラクレスもホリンもラグナも 彼には絶対に敵わないのだ

魔女アルクトゥルスをして理想のアルクカース人との賞賛を受ける程の怪物、それが彼だ

「…しかし、ラグナの奴 今日ここで集まることを忘れているな、継承戦がどのような結末を迎えたとしても我々はもう元の兄妹の関係に戻れぬ、その最後の会話を楽しもうと思ったのだが…全くアイツは」

はぁ と軽い頭痛に悩まされながらラクレスはため息をつく、まぁあの子は一度熱中すると他のことが見えなくなる所がある、長所であり短所である弟のそういうところが、兄としては可愛らしく思うのだが王族としては約束事くらい守ってほしい物だと 憂いるのだ

そんな兄を見てニコリと…いやニヤリと笑いながら見るホリン

「それより兄ィ殿さ、チンピラに偽装した第二戦士隊でラグナの事襲撃したみたいじゃん、失敗したみたいだけど…いいのぉ?継承戦前に手ぇ出すの反則じゃなかった?」

「さて、なんのことかな」

「小賢しいねえ…」

相変わらず人の隠したいことばかり見つけるのが上手い妹だとラクレスは辟易する、確かに戦士隊を使いラグナの妨害をした あれで諦めてくれればと、思いもしたが やはりあの程度ではダメだったか…

ラグナの事が脅威だからしたのではない、単純に邪魔だったから あの程度の軍率いて戦場に出てこられても邪魔でしかない

「私が本気で潰そうと思ったら、もっと派手にやるよ」

「確かにねぇ、ラグナの所の兵士は 落ちこぼれと老人と山奥の田舎戦士、あとラグナの名声につられてきた寄せ集めでしょ?、雑魚ばーっか」

「ああ、あのような牙の抜けた獅子ばかり集めているようではまだまださ」

牙の抜けた獅子 アルクカースではよく使われる慣用句であり、見てくればかり立派で中身の伴わぬ事を言う、事実ラグナの軍は脅威となる点が殆どない カロケリ族は驚きはしたもののたかが五十そこそこ…戦力にもならん

「牙の抜けた獅子ねぇ?、私ぁ爪のない鷹と表現しようかなぁ?どれだけ高く逃げようとも弓の一発で撃ち落として見せらぁよ」

「ふん、そうかい…まぁ妥当な評価だね、ベオセルク…君はラグナの軍をどう見る?」

牙の抜けた獅子 爪のない鷹、悪意はないが 表現するならばこれ以外ないラグナ軍の惨状を見てラクレスは今まで黙りこくっているベオセルクに声をかける

彼はあまり会話に参加するのは得意ではないが、こうやって聞けば答えてくれる…事実ラクレスが声をかければベオセルクはちらりとこちらに目を向けて、数度首を傾げ考える

「…獅子?…鷹?、俺には兄上と姉上の言ってる事が分かりません…、あれは人間ですよ」

「い…いや違う、そう言う事を言ってるんじゃなくてな」

しかし返ってくるのはベオセルクの険しい瞳、思わずラクレスが言葉を切ってしまうほど…険しく鋭い双眸

「だから、人間ですよ 」

「違う、だからこれはものの喩えで…」

「違いません、あそこにいるのは獅子でも鷹でもない …剣を持ち 我らを睨み、今挑まんとする一個の人間、一人の戦士だ…アレを甘く見るとは兄上達も存外大したことないらしい」

目を見開いてしまう、怒りでだ…ラクレスは寛大で優しげな男で通っているものの、決して大らかな性格とは言えない、どちらかというと短気に部類される性格故、今の一言で危うくプッツンしかけたのだ…、まぁそういう性質を弟に見抜かれているからこそこうして煽られているのだが、ラクレスはそこにまだ気づけていない

「お前はあの烏合の衆を…弱者達を侮らないと?随分慎重だな お前ともあろうものが」

「俺は兄上達のことも侮ってないでしょうが、同じです」

腰の剣に伸びる右手を左手で抑える、こいつ叩斬ったろうか…だが怒るな、今は継承戦前の大事な時期…ここで怒りに身を任せてコイツとやりあってもメリットはない上、悔しいがベオセルクは強い 手を出せばお互いタダでは済まない

「…そうだな、分かったよお前の言い分は、確かにこれから戦う相手のことを卑下にするなど王族のすることではなかったな、ましてや弟の努力を笑うなど 兄にあるまじき行いだった、すまない」

「何日和ってんだよ、俺のこと斬りたいんだろ?かかってこいよ、臆病者」


ラクレス鞘が煌めく、刃が空を切り裂き音と同じ速度で虚空を走り目の前の無礼者の素っ首を迷いなく刎ね上げる…


「ちょちょい、待ちなされやラクレス様」

ラクレスがベオセルクの言葉に激昂し剣を抜き斬りかかるも、その斬撃は部屋の外から飛び込んできた者の剣によって受け止められる

「退け!ブラッドフォード!、こんドグサレの首叩き落とさにゃ気が済まん!」

「だから落ち着いてくれってのラクレス様」

やれやれとラクレスの神速の斬撃を容易く止めながら無精髭を男…いやおじさんか、彼の名はブラッドフォード・エイジャックス、討滅戦士団の一員であり デニーロ ギデオンに次ぐ討滅戦士団のNo.3と名高い実力者

そして、ラクレスの剣の師である

「今じゃないでしょう今じゃ、最近は分別つけたかと思ったけど 頭に血がのぼると何するか分からないんだからホント、子守も楽じゃあないですなぁ」

「っ…今じゃないな、確かにそうだ」

幼い頃から父親以上に面倒を見続けてくれたブラッドフォードの事を、ラクレスは恐らくこの国で最も信頼している、彼の言う事ならば飲み込むし彼が止めるのなら止まる

「すまなかったな 、ベオセルク…」

「…………」

ベオセルクの方もその言葉を受けて静止している、ラクレスが剣を抜いた一瞬で反応し 拳を抜き、カウンターを返そうとしていたのだ…が、ブラッドフォードと共に飛び込んできた何者かにその肩を掴まれ彼もまた止められている

「ベオセルク、兄上に言葉を返せ…今のはお前の方が言葉が過ぎたぞ」

「…リオンか」

ベオセルクの背後にいるのは、リオン…リオン・フォルミダビーレ 銀色の鎧と煌くメガネが特徴的な戦士だ、彼もまたベオセルクの幼い頃からの世話係である、といってもラクレスとブラッドフォードのような関係ではなく、幼馴染の友人…と言った方が彼らの場合はしっくりくるやもしれん

事実、あの傍若分なベオセルクがリオンの言葉を受けてもキレずに受け止めているではないか

「ふんっ…」

「あ!おい!、黙って出て行くやつがあるか!、すみませんラクレス様…」

と言っても言う事を聞くかどうかはまた別問題、リオンに怒られ臍を曲げたか、軽く鼻を鳴らすと ポッケに手を突っ込んで退出してしまう

「いや構わん、彼もこの時期だ 気が立っているのだろう、俺も少しナーバスになり過ぎた、継承戦を控えたこの時に兄妹で集まろうなど…軽率すぎたな」

「いえ、アイツはいつも飢えた獣みたいに気が立っています、では私もこれで失礼」

と一礼するとリオンもまたベオセルクを追って部屋を出る、討滅戦士団は基本的には継承戦には参加しないが…別に止められているわけではない、戦士団としてではなく個人としての参戦なら許されている

多分リオンはベオセルクに着くだろう、俺もブラッドフォードを戦列に加えるつもりだし、ホリンのやつも確か討滅戦士団のルイザと仲が良かったと聞く…アイツもまた討滅戦士団を仲間にするだろう

ここだ、ラグナが勝てないと言う理由がこれ…ラグナは討滅戦士団を味方に引き入れていない、カロケリ族の族長とやらが近い実力を持っているらしいが、あくまで近いだけ 討滅戦士団…国内最強の戦士達の名は伊達ではない、いくら凡百を集めようとも無意味なのだ

「…ベオセルク、やはりアイツを打倒せねば 我が理想は叶えられそうもないな」

「だねぇ、やっぱベオセルクが肝だよね…何考えてるかも分からんし」

ラクレスもホリンもまた、立ち去るベオセルクの背中を眺める…アイツはどこまで何を見ているか分かり辛い男だ、だが打倒せねば理想は叶わぬ

そうだ、私は私の理想を叶える為にここに立っているんだ…、永遠なる闘争の為に

滾る闘争心を燻らせながら、燎原の様に赤い瞳で ラクレスは窓の外へ目をやる、胸を燃やす闘志という名の炎に身を任せながら…彼はただ 戦いの時を待つ

みしり みしりと音を立てる、内から出でる衝動が その身を打ち破らんと溢れ出る

めらめらと音を立てて我が身を燃やす、憎悪でもなく 悪意でもない、純粋な闘争心と言う名の炎が 理性を燃やす

戦いたい 戦いたい 戦いたい 戦いたい 戦いたい 

勝ってもいい 負けてもいい 死んでもいい 殺してもいい、剣撃輝き弓が空を裂き 悲鳴と怒号と勝鬨の鳴り響く戦場に在りたい

何故世はこうも平和なのだと何度嘆いたことか…何故ゴミのような平和主義者が語る耳障りな偽善がこうも罷り通っているのかと何度憤怒したことか、しかしそれももうすぐ終わる

永遠なる戦い 終わらぬ戦乱…夢の世界の実現は もうすぐだ

…………………………………………

「ラクレス様を挑発したか…相変わらず上手くやるよ、お前は」

「うるせぇ…」

誰もいない廊下を並んで歩くのは先ほど部屋から退室したベオセルクとリオンの二人だ

肩を並べ歩く姿は、王とそれに使える戦士というよりは、長年連れ添った腐れ縁の友人の様だ

「これでラクレス様はお前を真っ先に狙うだろうな、そう仕向けたんだろ?」

「ああ、兄上は俺に勝つ為に砦を用意するだろう、兄上の真髄は防衛戦だ…その防衛戦を用いて俺に勝つつもりでかかってくる、それを…その上から叩き潰す。クケケ」

こいつは狼の様な印象でありながら その実禿鷲の様に狡猾だ、白兵戦もさることながら口八丁手八丁で戦場を動かすことさえ得意とする、まさに理想の戦士だ…王族に生まれていなければ今頃討滅戦士団でもかなりの地位に立っていたに違いないとリオンは心の中でため息をつく

「それでホリン様はどう対処する?」

「あの人は戦争の経験がねぇ、多分指揮はお供のルイザが取るがルイザはルイザで先行しがちな面がある、そこをついて分断し 先にホリンを仕留めるのがベストだな、タイマンなら姉上には負けねぇ…分断したルイザはお前がやれ リオン」

簡単に言ってくれるなら だがこいつにやれと言われると何故か拒否するという選択肢が湧いてこないのだから不思議だ

「で?ラグナ様は?」

「チビラグナか…」

するとベオセルクが足を止めて考えるように天井を見る、考える 熟考する…ベオセルクは獣的直感を持つが 決してそれだけでは判断しない、大事な事はこうやってしっかり考える、そしてその判断は基本的に早く簡潔だ

「なんともしねぇ、全力で潰す…それだけだ」

「ノープランか?珍しいな、それとも弟には情が湧いたか?」

「そんなわけあるか、あの甘ったれが俺と戦うまで生き残ってるとは思えねぇ、俺が相手をするまでもねぇが…もし俺に向かってくるなら、そん時は俺が全力で潰す…」

俺が とは 単騎でという事だろうか、無茶とは止めまい 事実彼にはそれが出来る、下手をしたらラクレス様の軍に対しても同じことができるだろう、ベオセルクの実力は既に 討滅戦士団であるリオンすら超えているのだから

「フッ、情に絆されたかと思ったが安心したよ、獅子はウサギを狩るのにも全力を出すべきだ」

「獅子?…俺は人間だしラグナも兎じゃねぇ、みんななんで人のことを動物に例えるんだ?」

「相変わらず例え話が通じないやつだなお前は」

リオンが軽く笑いながらベオセルクの肩を小突くと煩わしそうに手を払う、もう既に継承戦の支度は整っている、後は時を待つだけだ


………………………………………………

うるさい、うるさいうるさい…日に日に大きくなる声に苛立ちと共に心の中で怒鳴り返せば 、それは頭痛となって反響する…うるさいうるさい、痛い痛い

「…はぁ…はぁ、チッ…また始まりやがった」

魔女大要塞フリードリスの最奥、普段使われぬ争乱の魔女の居室にて争乱の魔女アルクトゥルスは一人、額に脂汗を滲ませながら蹲る…苦しんでいるのだ

いかなる攻撃を受けても平然と弾き返す絶対の防御と肉体を持つアルクトゥルスが、ズキズキと痛む頭を抱え 体を丸めている、彼女のかつての剛毅を知るレグルスやスピカが見れば絶句する光景だ

「ッッ…黙れ 黙れ黙れ!、オレ様の言う事が聞けねぇのか…!」

譫言のように虚ろな目で繰り返す、痛む頭が煩わしい 何度握りつぶしてやろうと怒り狂った事か、苦しい苦しい…

なんでこんなに苦しいのか、響くのだ声が…オレ様の声が頭の中で反響する

『戦え戦え』と『殺せ殺せ』と『壊せ壊せ』と、この声が聞こえている間は何も考えられなくなる、声の言うがままに壊してしまう 殺してしまう 戦ってしまう、おかしい…オレ様はオレ様自身の手綱さえ握れなくなってしまったのか?

浮かぶワードは『魔女の暴走』…ああレグルス、きっとお前の言う通りだ オレ様は暴走し始めている

魔女の暴走を見るのは初めてじゃねぇ…くそ、まさかオレ様が…ぐっ

「いてぇ…頭が、長く生きすぎたか…」

殺せ殺せ…黙れ…壊せ壊せ…うるさい…戦え戦え…うるさい…うるさい

壊せ殺せ戦え 衝動のあるがままに、壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え

「うるせぇぇぇっっ!!!!」


髪を振り回し頭を抱え暴れる、殺し尽くせばこの声は消えるのか!?戦い尽くせばこの痛みから解放されるのか!、壊し尽くせばオレ様は元に戻れるのか!?

なら…なら戦わせろ!殺させろ!壊させろ!、魔女の国だろうがオレ様の国だろうが関係ねぇ!、壊す 壊し尽くす…殺す殺し尽くす 戦って戦ってこの身が尽きるまで戦い尽くしてやる…

「くく…くけけ、…楽しみだ…継承戦が終わりゃ戦争が出来る 戦える壊せる殺せる…、そうすればばオレ様は…オレ様は…」

幽鬼の如く立ち上がりゆらりゆらりと歩き出す、向かうは窓辺…見上げるは暗くなり始めた宵の空、星を睨みつけ アルクトゥルスは独り笑う
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