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第四章 智慧

74 人間万事塞翁が馬02

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 無事にこの現実世界に帰ってこれた喜びと生きている証として、曜子の夢を叶えるべく俺達は香川県の瀬戸内海に浮かぶ直島に旅行に行った。

 高松空港に降り立ち、讃岐うどんを食べて感動し、栗林公園に立ち寄っても感動をした。感動の連続の後、フェリーに乗って念願の直島にたどり着いた。

 無知と食べず嫌いを恥じるような感覚に見舞われる程、俺は心に衝撃を得た。良い意味で期待を大きく裏切ってくれたのだ。それほど現代アートというのは人々を魅了し続けていく。

 世界中からこの小さな島に集まるのも納得してしまう。

 同じ日本に住んでいて、行こうと思えば行ける距離に住んでいるのが当たり前と思う感覚が、外国人旅行者には喉がら手が出る程の感覚なのではないだろうか。

 夢を叶えられた曜子の喜びように、俺まで嬉しくなるほどだった。

 二人で眺めた夜空を俺は忘れない。満天に浮かぶ星は俺達が下を向いてる時でも見守ってくれているのだ。

 じっくりと言うほどの時間はなかったが、それでも一泊二日で直島に点在するアートを堪能した喜びは、かけがえの無い旅行になった。

 二日目の朝早く、俺達二人は運良く独占出来たカボチャの前で伝説を信じて願いを託す。

「またいつか来ようね」という曜子の言葉に俺はそっと頷いた。

 ちょっとしたボタンの掛け違いから生まれた家族との歪み。

 十代で白血病という突然目の前に現れた死の宣告。

 生きることを拒絶るすという選択をした彼女。じわりと時間を掛けて確実に近づいてくる死界への扉。

 なんとか治療をして、生きる希望を失ってほしくなかった俺は勇気付けるつもりだったが、結局勇気付けられていたのは俺の方だった。

 明るく元気に振る舞う姿が病を忘れさせ、時折疲れた表情を見せる姿に切なさを感じたが、閉ざしていた心を払拭し、全力で今を生き、これからも生き続けることを誓ってくれた。

 けれど、勇気をあざ笑うかのように迫ってくる病。

「一人じゃないんだね」

 目を覚ました君はしばらく天井を眺め、今の状況を頭の中で考えていたのだろうか。

 ベッドに横たわる君は、当たり前の事を初めて知ったかのようにつぶやいた。

 人は一人では生きてはいけない。

 誰かに助けられ、誰かを助ける。

 君や所長に助けられて、今ここに俺が生きていられる事実。

 俺が誰かを助けたら、知らない誰かがどこかで助かっている。

 これが君の望んだ世界なんだろ?

 昔、思い出せなかった言葉が『人間万事塞翁が馬』

 辛く悲しい事があっても決して諦めてはいけない。

 いつか必ず幸いが訪れる。

 今が幸せでも決して己惚れてはいけない。

 悲しみと幸せは繰り返される。

 刻《とき》が過去に戻れず、止まらず、未来にしか進まないように、人もまた立ち止まってはいけない。

 ニートの時代を悔やむひまがあったら、明るい未来を想像して前に進もうよ。

 悲しい別れがあっても、新たな出会いが待っているよ。

 桜は散るけど、また来年咲くために散るんだよ。

 瞳を閉じればいつでも君の声が聞こえてくる。

「ちょっと!どこ触ってんのよ!ホント、ウタルは変態なんだから!ほら、さっさと行くわよ」
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