赱馬燈

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 どのくらい時間が経ったのかはわからない。立ち尽くしていた俺と鈴木は衝撃的な光景をようやく現実として認めたが、変わり果てた姿となった佐藤にしてやれることは何も無かった。
 死体を置き去りにして通路を進む。不用意な行動が命取りとなることを思い知らされ、安易に部屋を覗くことはできなくなった。慎重に通路を選び、幾つかの岐路を曲がった先に両開きの重厚な扉が見えてきた。恐らくここが目的地なのだろう。

「やっと着いたな。ノックでもするか?」
「そんなことしたら迎撃してくれって言ってるようなもんだろが。ぶち破って奇襲するしかねえよ」
「おい大丈夫か?」
「ほれ下がってろ。んじゃいくぜ? おらっ!」

 閂は掛けられていなかったのか、あっさりと扉が開いた。爆音が響き、血の雨が降る。鈴木が後ろへ倒れていくが気遣う余裕など無く、追撃を避けるために謁見の間へと駆け込んだ。鈴木の顔は見えなかった。嘔気が込み上げる。見えたのは血塗れの体だけ。頭はどこにも無かった。
 玉座に座って俺たちを待ち受けていたのは左手に長い杖を持った怪人。赤い鱗に覆われ、耳の位置に緑の大きな鰭がある醜悪な顔の魚人だった。魚人は大仰に立ち上がり、ゆっくりと階段を降りてくる。



「あんたが魔王か? 魚の性別はわからんからもしかしたら魔女王なのかもしれんが、とんでもない化物だな」
「ググ。グーグォーググオグーググゥグ。グーグオグーグウグォーググゥ……ググーグオグーグーグゥグオ」

 魔王が不気味な声を出し始めた。魚の鳴き声なんて珍し……いや、詠唱か!?
 咄嗟に飛び込み前転で右へ逃げ、上体を低くする。鈴木が玉座から狙撃されたのなら魔王の射程はかなり長い。俺の武器は佐藤に貰ったシースナイフだけだ。この距離では攻撃が届かず、投擲は論外。これでは一方的に狙い撃ちされてしまう。
 恐怖と焦燥で浅くなる呼吸を整えるために大きく息を吸い、肺に強引に酸素を送り込む。腰を落としてナイフを握り直し、全力で床を蹴って杖を持たない右手側へ回り込み、鋭角に方向転換して一気に距離を詰めた。

 遠距離攻撃の可能性は無視する。飛び道具なら肉薄すれば使えない。魔法は防ぐ手段が無いのだから警戒しても無駄だ。この状況で警戒するのは白兵だけでいい。
 単純に考えれば最初に届くのは左手の杖。だが魚類の単眼視覚が適用されるのなら急接近する対象は遠近感が認識しづらく、細身の長物を当てるのは難しいだろう。迎撃されるとすれば暗器か蹴りの直線攻撃。右手に不審な動きは見られない。それなら……。
 蹴りだ! 直感的に屈み込むと魔王の上段蹴りが髪を掠めた。そのままタックルのように飛び込み、軸足となった左足を切りつける。
 決して目を離さず、瞬きすらせずに標的を捕捉し続けたはずだった。だが目の前にあったはずの魔王の足は、ナイフが届く刹那に視界の外に消えていた。決死の覚悟で振るったナイフが空を切る。背後から……空中から、不気味な鳴き声が聞こえた。

「グォグォ」

 直後に凄まじい爆風が吹き荒れた。衝撃で床に叩きつけられ、反動で何度も宙を舞う。視界の端に見える腕が不自然な部位で曲がっているが痛みは殆ど感じない。力が入らず、全身の感覚が麻痺している。受け身もとれずに床を転げ回った俺は、僅か数秒で満身創痍となっていた。
 やはり無謀だった。破れかぶれで魔王に吶喊したが、掠り傷すらつけられなかった。一騎討ちとなった時点で俺に勝ち目は無かったのだ。あの魔王は強すぎる。勇者が全滅した今、この世界に魔王を倒せる者などいないだろう。魔王が世界を支配する暗黒時代の幕開けだ。
 不気味な鳴き声が聞こえる。終焉を告げる魔王の声は、どこか遠い場所から響いたように聞こえた。

「グーグゥグォーグ」

 目が霞み、様々な記憶が脳裡をよぎる。この世界の記憶が。そして地球での記憶が。
 どうして神はあんな要求を叶えたのだろうか?
 どうして神は、俺たちに……。



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