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menu.2 後悔味の焼き鮭(3)
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「な、ななな何で!?」
「……それは……」
「言えないの?」
「……ああ。お前のことを思えば、だが……」
「……」
顔に翳りを作りながら言う修一に、奏汰はむっつりと腕を組む。
(……お前の為って何? そんな今にも倒れそうな顔してて、何でこっちのことばかり心配するの?)
高校時代、過剰なダイエットをしていて学校で倒れた女子に、怒り散らしながらダイエット期間中の栄養指導の真似事までした奏汰は、こういう相手を見ていられなかった。
(それに、昨日も今朝も、俺のごはんめっちゃ美味しそうに食べてたじゃん!!!)
きっ、と奏汰は修一をきつく見据える。その瞳には決意があった。
「申し訳ないけど、俺はこれからも修くんと会うよ」
「なっ」
「今の修くんはとってもじゃないけどほっとけないね! だから俺がこれから美味しいものを食べさせ続けるよ!」
びっ! と修一に右の人差し指を突きつけて、奏汰は言う。
「健康は美味しく楽しい食卓から!! これが俺のモットー! 動画配信者の奏汰としても、一個人の奏太としてもね!!」
「っ、……」
奏汰の言葉を聞いて、修一は思わず言葉に詰まる。
先ほどの口上は、奏汰が一番最初の動画からずっと、初めの挨拶として使っている言葉だからだ。
「だから俺は修くんと友達になることを諦めないよ!!」
「だ、が、しかし……」
なんと言って諦めさせればいいのか。普段無気力に過ごしている修一だが、このときばかりは思考回路の回転数の鈍りを恨んだ。
「俺! 本名は佐々木奏太っていうんだ! 佐々木小次郎の佐々木に、奏でるに太いって書く!」
えっ、と修一は瞠目した。
まさか出会ってまだ丸一日も立っていない自分に、個人情報である本名すべてを名乗るとは思ってもいなかった。
「修くんの名前は!?」
テーブルに肘をついて身を乗り出してくる奏太。また身を反らしながら、修一はどこか小動物のような見た目だ、と状況に見合わない感想を抱く。
だが瞳に宿るギラギラした激情は、小動物とはほど遠かった。
自分に非情までの執着を抱く“奴”と同じようで、どこか違う。でも種別は似たもの同士。お前の心がほしい、と雄弁に語る目の強さ。
ぼやり、と頭に霞がかかったような心地になる。
霞の向こうで、自分を飼い殺した男の肉欲と執着心にまみれた目がちらついた。
同じくらい意志の強い目をしている目の前の青年に、修一の本能は抗う術を無くしていく。
奏太の為を思えばそうするべきではないのに、思わず口を割ってしまった。
「……春川、修一」
「漢字は?!」
「……き、季節の春に川、修行の修に漢数字の一……」
戸惑いながらも答えると、奏太は脳内で漢字を描いていたようだった。
ふんふん、と数度頷くような仕草をしたあと、姿勢を戻して笑う。
「春の川かぁ、何か春の隅田川みたいだね!」
桜の塩漬けが出回り始める頃になったら桜スイーツもいいなぁ、と一人腕を組みながら思考する奏太。
それを見て、修一はどっと冷や汗をかく。一瞬にして自我が急激に押し寄せてきた感覚がする。気持ち悪い。
(……俺、は、何故……!)
今まで相手をした人間たちの中には、本当に自分を気に入って名前を聞いてきた者もいた。初めの頃は馬鹿正直に――この状況を何とかしてほしくて答えていた。だが、必ず露見して重りとともに水底に沈められた。
そんなことが何度も続けば、知能のある動物なら学習する。修一は期待することも名乗ることも、一般人の空気感を求めることもやめた。
そもそも、奏汰の料理を堪能だけ出来れば良かったのだ。それ以上の関わり合いになどなるまいと思っていたはずなのに。
気づけばなにやら「まずはお友達から」という、恋愛の常套句の一つのような状況に持っていかれてしまっている。
(これ以上ここにいたら、奏汰も殺される……!)
そう考えて、修一は立ち上がった。
不信感を持たれないように、ごく穏やかに、であるが。
「……すまん、今日の所はそろそろ……」
「えっ、もっといたらいいのに」
「……仕事があるだろう、互いに」
互いに学生ではない。修一に至ってはあと数年で30歳になる、いい大人だ。そんな男が、いつまでも他人の家に居座ってはいられないだろう。
そっか、と奏太は頷いた。仕事と言われては、引き留めていくわけにもいくまい。土日祝日といえど働く人間が大勢いることぐらい分かっている。
「あーあ、ざんねーん。もうちょっといたかったなぁ」
奏太も立ち上がり、二人分の湯呑みと急須をシンクに片づけた。因みに湯呑みは百円ショップの品なので、割れても特にダメージはない。
「まあでも動画の作業があるしな、遊んでらんないよね、俺も」
「そうだぞ、動画のアップを楽しみにしているファンがここにもいるということを忘れるな」
「はいはーい」
修一は忘れ物がないか、寝かせてもらっていたベッドに確かめに行っていた。寝室の中から小言のような言動が飛んでくる。
それを聞いて、奏太は思わず苦笑してしまった。
リアル友人にはなりたくないのに、動画は楽しみにするんだなぁ、と。
忘れ物チェックが終わったのか、修一が寝室から出てきた。そのまま玄関に向かうようだった。
やや早足で後を追いながら、奏太はにっこりと笑いながら言ってみた。
「最寄り駅まで送ろうか?」
それを見て、修一は眉間に皺を寄せる。
「玄関先までで十分だ」
にべもなくあしらわれ、奏太は頬を膨らませる。もう少し未練たらしくあってくれてもよくはないだろうか。
なら、と奏太は考える。
修一はこちらに背を向け三和土の上で靴を履いている。身長差は同じ高さの場所にいる時よりも縮まった。
「……ねえ、修くん」
急に名前を呼ばれ、訝しげに修一は振り返る。
(……は?)
ふに、と唇に柔らかいものが押し当てられたような感触。すぐ目の前、至近距離にある柔らかい茶色の睫毛。
すっ、と奏太が身を離す。悪戯っぽく笑っていた。
「今は友達。でもゆくゆくは、今のよりもっと気持ちいいこと出来る仲になりたいな」
少女めいた容貌から発せられる、雄のにおいのする物言いに、修一は思わず固まってしまった。
「それじゃ、またお店でね。修一くん」
今度は連絡先、交換しよーね。
そう言い、にっこりと笑う奏太から逃げるように、修一はフロア廊下に足早に身を滑らせた。
「……それは……」
「言えないの?」
「……ああ。お前のことを思えば、だが……」
「……」
顔に翳りを作りながら言う修一に、奏汰はむっつりと腕を組む。
(……お前の為って何? そんな今にも倒れそうな顔してて、何でこっちのことばかり心配するの?)
高校時代、過剰なダイエットをしていて学校で倒れた女子に、怒り散らしながらダイエット期間中の栄養指導の真似事までした奏汰は、こういう相手を見ていられなかった。
(それに、昨日も今朝も、俺のごはんめっちゃ美味しそうに食べてたじゃん!!!)
きっ、と奏汰は修一をきつく見据える。その瞳には決意があった。
「申し訳ないけど、俺はこれからも修くんと会うよ」
「なっ」
「今の修くんはとってもじゃないけどほっとけないね! だから俺がこれから美味しいものを食べさせ続けるよ!」
びっ! と修一に右の人差し指を突きつけて、奏汰は言う。
「健康は美味しく楽しい食卓から!! これが俺のモットー! 動画配信者の奏汰としても、一個人の奏太としてもね!!」
「っ、……」
奏汰の言葉を聞いて、修一は思わず言葉に詰まる。
先ほどの口上は、奏汰が一番最初の動画からずっと、初めの挨拶として使っている言葉だからだ。
「だから俺は修くんと友達になることを諦めないよ!!」
「だ、が、しかし……」
なんと言って諦めさせればいいのか。普段無気力に過ごしている修一だが、このときばかりは思考回路の回転数の鈍りを恨んだ。
「俺! 本名は佐々木奏太っていうんだ! 佐々木小次郎の佐々木に、奏でるに太いって書く!」
えっ、と修一は瞠目した。
まさか出会ってまだ丸一日も立っていない自分に、個人情報である本名すべてを名乗るとは思ってもいなかった。
「修くんの名前は!?」
テーブルに肘をついて身を乗り出してくる奏太。また身を反らしながら、修一はどこか小動物のような見た目だ、と状況に見合わない感想を抱く。
だが瞳に宿るギラギラした激情は、小動物とはほど遠かった。
自分に非情までの執着を抱く“奴”と同じようで、どこか違う。でも種別は似たもの同士。お前の心がほしい、と雄弁に語る目の強さ。
ぼやり、と頭に霞がかかったような心地になる。
霞の向こうで、自分を飼い殺した男の肉欲と執着心にまみれた目がちらついた。
同じくらい意志の強い目をしている目の前の青年に、修一の本能は抗う術を無くしていく。
奏太の為を思えばそうするべきではないのに、思わず口を割ってしまった。
「……春川、修一」
「漢字は?!」
「……き、季節の春に川、修行の修に漢数字の一……」
戸惑いながらも答えると、奏太は脳内で漢字を描いていたようだった。
ふんふん、と数度頷くような仕草をしたあと、姿勢を戻して笑う。
「春の川かぁ、何か春の隅田川みたいだね!」
桜の塩漬けが出回り始める頃になったら桜スイーツもいいなぁ、と一人腕を組みながら思考する奏太。
それを見て、修一はどっと冷や汗をかく。一瞬にして自我が急激に押し寄せてきた感覚がする。気持ち悪い。
(……俺、は、何故……!)
今まで相手をした人間たちの中には、本当に自分を気に入って名前を聞いてきた者もいた。初めの頃は馬鹿正直に――この状況を何とかしてほしくて答えていた。だが、必ず露見して重りとともに水底に沈められた。
そんなことが何度も続けば、知能のある動物なら学習する。修一は期待することも名乗ることも、一般人の空気感を求めることもやめた。
そもそも、奏汰の料理を堪能だけ出来れば良かったのだ。それ以上の関わり合いになどなるまいと思っていたはずなのに。
気づけばなにやら「まずはお友達から」という、恋愛の常套句の一つのような状況に持っていかれてしまっている。
(これ以上ここにいたら、奏汰も殺される……!)
そう考えて、修一は立ち上がった。
不信感を持たれないように、ごく穏やかに、であるが。
「……すまん、今日の所はそろそろ……」
「えっ、もっといたらいいのに」
「……仕事があるだろう、互いに」
互いに学生ではない。修一に至ってはあと数年で30歳になる、いい大人だ。そんな男が、いつまでも他人の家に居座ってはいられないだろう。
そっか、と奏太は頷いた。仕事と言われては、引き留めていくわけにもいくまい。土日祝日といえど働く人間が大勢いることぐらい分かっている。
「あーあ、ざんねーん。もうちょっといたかったなぁ」
奏太も立ち上がり、二人分の湯呑みと急須をシンクに片づけた。因みに湯呑みは百円ショップの品なので、割れても特にダメージはない。
「まあでも動画の作業があるしな、遊んでらんないよね、俺も」
「そうだぞ、動画のアップを楽しみにしているファンがここにもいるということを忘れるな」
「はいはーい」
修一は忘れ物がないか、寝かせてもらっていたベッドに確かめに行っていた。寝室の中から小言のような言動が飛んでくる。
それを聞いて、奏太は思わず苦笑してしまった。
リアル友人にはなりたくないのに、動画は楽しみにするんだなぁ、と。
忘れ物チェックが終わったのか、修一が寝室から出てきた。そのまま玄関に向かうようだった。
やや早足で後を追いながら、奏太はにっこりと笑いながら言ってみた。
「最寄り駅まで送ろうか?」
それを見て、修一は眉間に皺を寄せる。
「玄関先までで十分だ」
にべもなくあしらわれ、奏太は頬を膨らませる。もう少し未練たらしくあってくれてもよくはないだろうか。
なら、と奏太は考える。
修一はこちらに背を向け三和土の上で靴を履いている。身長差は同じ高さの場所にいる時よりも縮まった。
「……ねえ、修くん」
急に名前を呼ばれ、訝しげに修一は振り返る。
(……は?)
ふに、と唇に柔らかいものが押し当てられたような感触。すぐ目の前、至近距離にある柔らかい茶色の睫毛。
すっ、と奏太が身を離す。悪戯っぽく笑っていた。
「今は友達。でもゆくゆくは、今のよりもっと気持ちいいこと出来る仲になりたいな」
少女めいた容貌から発せられる、雄のにおいのする物言いに、修一は思わず固まってしまった。
「それじゃ、またお店でね。修一くん」
今度は連絡先、交換しよーね。
そう言い、にっこりと笑う奏太から逃げるように、修一はフロア廊下に足早に身を滑らせた。
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