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しおりを挟むコンコン。
小さなノックの音が夜の静かな部屋に響き渡る。こんな時間に来訪者なんて初めてだと、ハロルドは怪訝そうにドアを開いた。
「な、なんで……。」
ハロルドは予想もしなかった来訪者を見て息を呑んだ。ハロルドの目の前には、愛しい婚約者が少し居心地が悪そうに立っていたからだ。
◇◇◇◇
部屋に入る・入らないの押し問答の後、ソフィアに逆らうことのできないハロルドは渋々だがソフィアを自室へと招いた。備え付けのダイニングテーブルの椅子を引き、彼女を座らせた後、自分は予備椅子を取り出していつも以上に距離を取って座った。
「そんなに嫌がられたら、余計に入りたくなりますよ。」
何か隠しているんですか?ときょろきょろするソフィアを見て、ハロルドは大きく息を吐いた。
「ソフィア。こんな遅くに外に出てはいけない。」
「同じ使用人宿舎です。外には一歩も出ていませんよ。」
ハロルドは驚いて目を丸くした。確かに二人は同じ使用人宿舎で暮らしている。だが、男女別の棟になっており棟を繋ぐ廊下には管理人室がある。恋愛禁止の職場ではないが節度は求められており、互いの部屋に行くことは許されていない。逢引きをするカップルは窓からこっそり入ったり、いくつかの抜け道を活用して外から入るのだ。
しかし、ソフィアはその清廉潔白さから管理人からも信頼が厚く「業務の連絡がある」という一言ですんなり通してもらい、堂々と中から来たという。
「ハロルドだって、前に私の部屋に来たじゃありませんか。」
「あれは……。」
ハロルドがソフィアの部屋にミルフィーユを届けた時のことだ。あの頃はソフィアにもハワード公爵にもストーカー扱いされ、管理人は公爵から「ハロルドを絶対通すな」と強く言われていた。そのため、抜け道からこっそり忍び込んだのだ。
「……やっぱり、来ては駄目でしたか?」
しょんぼりと伏せられた瞳を見て、ハロルドは慌てた。
「……っ!ソフィア。夜に男の部屋に来てはいけないんだ。」
「……私たち、婚約者です。」
少し拗ねたような声色に、ハロルドは胸を鷲掴みにされたような感覚になる。
「そうじゃなくて……ソフィアに触れたくなるから。」
風呂に入ってから来たのだろう。彼女からは甘い香りがするし、化粧のされていない顔は、いつもより幼く感じられ可愛らしい。ハロルドは気恥ずかしさから目を逸らすと、「それなら……」とソフィアの声が耳に入った。おずおずと伸ばされたソフィアの小さな手が、ハロルドの骨ばった手に重ねられた。
「ほら!これなら大丈夫です!」
もう触れてますからね、と誇らしそうに言うソフィアへ、「全然大丈夫じゃない」なんてハロルドは言えなかった。可愛い婚約者を今すぐ抱きしめてしまいたかったが、それは彼女を怯えさせるだけだと知っていたから。
彼女から手を触れることが、大きすぎる変化だと知っていたから。
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