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〜4杯目 ちゅうぶらりんのソルロンタン〜

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 詩瑠はまだ少しだけぼんやりした頭で、平安の視線を受け止めていた。
 ……いや。真正面から受け止められていたのはほんの数秒。
 なんだか気恥ずかしくなって、すぐに手元のマグカップに視線を落とす。中身はとっくに空っぽだというのに。

「お茶、もう一杯入れようか?」
「い、いいっ! 大丈夫! ありがとう」

 すかさず反応した平安の気遣いに、詩瑠は慌てて首を振る。
 もし貰うにしても今は冷たい物が良い。顔がなんだか熱いから。

 それにしても、彼の言う『実はすげぇことっていっぱいあるぞ?』の中身は何なんだろうか。
 セリフをこぼすなり、何かを回想しているような遠い目を一瞬したけれど、未だ続きの言葉は出てきていない。
 おそらく詩瑠との過去について思うところがあるのだろうが、当人としては一切心当たりがなかった。
 むしろ幼少から長らく付き合いがあるせいで、誰よりも恥ずかしい部分を見せている気しかしないんだけれど。

 カップから離した詩瑠の指が所在なげに動くのを見て、平安は苦笑して言葉を続けた。

「いや、あえてコレとは言わないけど、色々あるんだよ。ほんとに」
「なにそれ。はぐらかされてるみたいで、すんごく気になるんですけど」
「面と向かって具体的に言うと恥ずかしいだろ、お互いに」
「…………それは、そうだけど」
「とにかく。詩瑠は俺のことを特別良く言ってくれてる。けど、周りからしたら気づいてないだけで、お前も色々と認められてるんだよってこと」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。ほら、俺がこの間『あったか荘』へ寄った時に会った……えっと、あの同居人たち」
「らみ姉さんとアリィちゃんさん? ……ヘイ兄ちゃんって、美容師のくせに人の名前とか固有名詞を覚えるの苦手だよね」
「うるせぇ。ちゃんと映像ではしっかり覚えてるんだよ。だから会話ではボロが出ないのさ」
「胸張って言われても……」
「その二人もさ。詩瑠が言うようにきっと『いい人たち』なんだろうよ。でも誰にでもって訳じゃないと思う。詩瑠だからこそ、距離を詰めて仲良くしてくれてるんだよ」

 言われて、詩瑠はあの夜のことを思い出す。
 未成年で酒を飲めない詩瑠に代わって、酒乱二人に付き合わされたヘイ兄ちゃん。
 最初こそ迷惑そうにしていたけれど、徐々に打ち解けていって。最後は仲良く肩組んで歌っていたっけ。
 一人だけシラフの詩瑠は、ただ三人のコミュ力で盛り上がっているのを楽しく――そしてほんのちょっぴり寂しさを覚えつつ眺めていた、という認識だった。

 でも言われてみれば。
 シェアメイトの二人は、平安を通して詩瑠の『素』を。逆に平安は、二人を通して詩瑠の『今』を。それぞれ知りたいと思って会話をしていたようにも思える。
 それが詩瑠の努力のおかげ、と言われるのはやっぱりピンと来ないけど、自分がきっかけになったのはそうかも知れない。
 でも、違う。
 この無力感やモヤモヤの根本は、別の所にある気がする。

「……ありがとう、ヘイ兄ちゃん。そう言ってもらえるのは嬉しい。でも、ね。多分つっかえてるのはそこじゃなくてね……うん。そう。もっと私自身の根っこの問題なの」
「根っこ、っていうと?」

 平安の柔らかい口調の疑問形に対し、詩瑠はふぅっと息を吐く。
 ようやく頭の中が整理出来てきた。
 同時に、怖くなってきた。
 今まで見て見ぬふりをしてきた自分自身をはっきり見つめることが。そして何より、それを口に出して伝えるということが。

「ふぅ」

 詩瑠はもう一度、大きく息を吐く。お腹の中から温められた呼気が、ゆっくりまっすぐ吹き出て部屋に溶けていく。
 大丈夫。
 体はぬくいし、今はひとりじゃない。大丈夫。

「あのね、ヘイ兄ちゃん」
「おう」
「私ね……私ね、ヘイ兄ちゃんや皆を尊敬して、憧れて。でも羨ましくて、悔しくて……それで、嫉妬してたの」
「……」
「私、田舎だ田舎だって言ってたけど、あの故郷ふるさとが大好きだったの。お父さんお母さんも、あそこでずっと暮らしていくつもりだって昔から言ってるし、私も何となく同じように生きていくんだと思ってた。実際、なんでもないゆったりとした日常は心地よかったし、全然嫌じゃなかった。
 ヘイ兄ちゃんが東京に出ていくって聞いた時も……なんで、あんなに危なくて、あんなにうるさくて、あんなにせわしない所へわざわざ行くんだろうって。そんな風に思ってた」

 東京のこと何も知らないくせにね、と詩瑠が小さく付け足す。

「でもね。ヘイ兄ちゃんが『唯一無二の美容師になりたい。その為には外の世界に出ないとダメなんだ』って。そう言ってたのが……ヘイ兄ちゃんが居なくなってからじわじわと胸に染みてきてね。なんだか、無性にチクチクしたの」
「…………あー、うん。俺そんなこと言ったっけか。本気にするな、ただのカッコつけだから」
「ふふ、そうなんだ。私には刺さったんだよ?」
「そうなのか」
「それに比べて私ってば。ただあそこに居られればいいってだけ。将来のことなんて、やりたいことなんて、なーんにも考えてなかった。チクチクのあとは、凄く恥ずかしくなって。近所を延々と歩いたり、図書館で本を漁ったり、和尚さんに愚痴ったりしながら……私なりに色々探したけど、何も見つからなかった。空っぽだった
 そうだよね。そんなの慌てて探しても見つかるはずないよね」

 平安は答えない。
 ただ、伏し目がちで吐露する詩瑠の垂れる狸耳を見つめて。

「私の中で、焦りばっかりが膨らんでいって。それを認めたくないから、見つめたくないから、ヘイ兄ちゃんに……東京に憧れてるんだって、そう思いこんで。歪んだ風船みたい。割れるのが怖くて、大事にしまい込んで。手を離したら飛んでっちゃうから、必死に握って
 ……そしたら、いつの間にかすり変わってた。私の夢は、東京に行けば見つかるんだ。東京にいけば、何か変わるんだ、って」
「……うん」
「どうしようって考えた末にさ。お世話になってた和尚さんのお寺、故郷の景色で一番好きだったから……取ってつけたように『こんなお寺みたいな、素敵な建物を作れる人になるんだ』って言って。嘘じゃないけど、そう言えば両親を説得しやすいかもってズルい私もいて。
 ……和尚さん。ニコニコして何も言わなかったけど、今思えばきっと、見抜いてたんだろうなぁ。きっと、お父さんも――」

 そんなだからさ。
 詩瑠の目から、雫が落ちる。

「私、空っぽのまま東京に出てきて。自分で頑張って見つけたと思った場所も、実はお父さんの用意した箱庭で」

 私、本当に空っぽだ。
 そんな自分が嫌いだ。

 そんなこと、知りたくなかった。
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