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~前菜 ありし日のトウモロコシスープ~

Pr-2

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 食卓から立ち上る甘く香ばしい匂い。空腹の面々は、もう堪らない。早足でそれぞれの席へ滑り込む。
 全員の体が止まり、息が揃ったとき。

「いただきます!」

 声が重なり、皆一斉にスプーンを手に。
 たっぷりと掬い、口へ頬張る。

「あちちっ……んーっ!」

 熱々のトロリとした柔らかい液体が、舌にじんわり溶け込む。
 感じるのはトウモロコシ。
 優しい味わいなのに、そのものを食べているような力強さもある。
 それを支えているのは出汁と、ジャガイモ・玉ねぎの旨み。ただ甘いだけじゃない、深みと奥行きが加わっていた。
 美味い。
 
 香りもやはりトウモロコシがメインだが、奥から中華スープの鶏ガラや昆布が追いかけてくる。
 若干ケンカしているような気もするが、他ならぬトウモロコシが力づくでまとめ上げている。不思議な味わいだ。

 とろみのせいか、余韻は深く長い。
 味も、匂いも、温度も。
 ゆっくりと口から鼻に回り、染み込むように胃へと落ちていく。
 その余韻の中、汁と共に入ってきたトウモロコシの粒を噛み締めれば。

 プチ、ジュワ。

 軽快な歯触りと、弾ける果汁。再びトウモロコシの強い甘さが口中に広がった。
 風情の違う二面のトウモロコシの味わい。互いが追い付き追い越し、やがて一つになっていく。

「なぁ、この焼いたお麩入れたの誰だよ? めちゃくちゃ美味いんだけど?!」

 そんなシェアメイトの驚愕と感嘆の声に誘われて、同じく仙台麩を口に運ぶ。
 するとどうだろう。

「おぉ……本当、めちゃくちゃ美味しいです」

 汁に浸かっていない半分はサクサク、残りは汁を吸ってふわトロ。
 油の香ばしさも加わり、スープにまた別の旨みを与えていた。
 中華風揚げパンの代用に添えたとの事だが、本式を食べたことが無いから比較は出来ない。
 ただただ純粋に美味い。そう感じる。

 最後に乗せられたハムとサヤインゲンもまた、スープの表情変化に一役買っている。
 肉の旨味と塩味、豆の渋みと青み。トウモロコシに無いものを補い、新たな魅力へと昇華させて。

「はふぅ」

 誰からともなく。そして誰もが、満足気に温かい息を吐く。
 飢えていた腹もいつの間にか満たされている。
 代わりに、スープが並々注がれていた椀たちは、綺麗さっぱり空っぽとなっていた。
 
「ごちそうさま」
「冬のトウモロコシもぉ、良いもんねー」
「旬のときにまた作ってみたいね」
「その時は昆布不要だな」
「いいえ、今回は中華スープが強すぎたので和風にすべきです」
「なんだとぉ?」

 シェアメイトたちの感想の述べ合い、じゃれ合いが始まり、居間が笑いに包まれる。
 いつの間にか日は昇っていて、外から陽の光が差していた。
 
 バラバラな個性を持つ食材も、一緒に鍋で込んで一つにするような場所。
 スープみたいに中から優しく温める、そんな居場所。
 ここは、寄宿舎シェアハウス『あったか荘』。
 スープから始まる、あったかいけど少し変わった日常がそこにはあるのだ。

 
 ――あったのだ。


 重機が唸りを上げ、無骨なアームが軋む。
 冬の冷たい風から皆を遮ってくれた木製の壁も。皆の笑い声を空に帰さず包んでくれた瓦屋根も。
 毎日スープを生み出し、皆を一つにしてくれたあのキッチンも。
 鉄の腕の一振りで、あっけなくあっさりと粉々になる。
 ただの瓦礫の山と成り果てるまで、彼は無言で見つめていた。
 そこにはもう、あんなにあった人の気配は無い。

 やがて作業の人々も消え、日が沈み、まん丸な月が上がっても、彼はずっと立っていた。

 その後ろに、もう一つの人影。
 月の光を背から受けて顔に影を落とす。
 そして整った形の唇を薄く開け、彼に問いかけた。

「寂しいかい?」
「……そうですね」
「名残惜しいかい?」
「……仕方ないです」
「キミは行かないのかい?」
「…………まだ、もう少しだけ。あなたは大丈夫なんですか?」
「はは、満月だからね。でももう行くよ。皆んなのところへ」
「そうですか」
「先に行って待ってるよ」
「はい」

 ヒラヒラと手を振って、人影は闇の中に溶けて消えていった。
 彼は振り返らず、ただ前を見ていた。

 あったか荘が、あったか荘だった頃を思い出しながら。
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