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~2杯目 がんばったねのミネストローネ~

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 崩れ落ちそうな膝になんとか力を入れて。平安は、詩瑠の話を最後まで注意深く聞いた。
 出発から出会い、初めてのスープ作りに荷解きや買い物。
 声が震えないよう気をつけながら、時々質問して掘り下げたりも。

 総合すると、彼女自身は出会ったシェアメイトみんなをいい人だと、心の底から思っているようだ。実際色々と親切にしてくれているみたいだし、それらしい不都合不便も感じてなさそう。
 でも、心配だった。
 姿を見せない大家、いつも酔っ払ってる美女、胡散臭くて軽薄な男、一度だけ会った月夜の美青年、バイトでワーカーホリックな同級生女子、一日に三回銭湯へ通うマッチョなオカマ……などなど。
 要素だけ聞くと、本当に変わった人ばかり。
 家賃も驚くほど安いみたいだし、何かがあるんじゃないだろうか?
 体良く騙されているんじゃないだろうか?
 そんな気がしてならない。
 ――特に、透里とかいう胡散臭い男! 要注意人物だ。

 さらに心配なのは、詩瑠の身体に混ざっている「タヌキ的性質」。
 彼女や家族は、その事を慎重に隠していたはずだった。
 故郷でもそのことを知っているのは、中高の親友女子一人とお寺の住職、そして『似た者同士』な平安の一家ぐらいのはず。あくまで平安が把握している限り、だけれど。

「私、ずっと『普通の人』と同じ世界で生活してみたかったんだよね。……あっ! このことは、お父さんお母さんにはナイショね! ――夢の為に東京に行きたいのも本当だから」

 詩瑠は話の中でそう語っていた。無邪気に、楽しそうに。
 ……わかる。平安も同じような気持ちを抱いたことがあるから。

「一人前の美容師になりたい」

 平安はそう言って家を飛び出した。内側に秘めた都会への憧れは隠して。
 でも、一人前になりたい気持ちも本当だった。
 きっと美容師になるだけだったら、父の元で修行する方が楽なみちだっただろう。
 ただそれではきっと、一人前にはなれないと思った。
 可能な限り早く独り立ちをして、自分の腕で食っていけるようになりたい。それが平安の一番の願い。

 ――だって、平安は知っていた。
 いつも無邪気に笑っていて友達も多い詩瑠。
 しかし実は怖がりで、特に人間関係が崩れることを極度に恐れていた。嫌われることが怖くて仕方なく、時には不安でこっそり泣いていることも。
 小さくて狭い故郷の世界。幼いころからの知り合いばかりの、温かくも恐ろしい村社会。
 異物は排除される。でも、杭も出なければ打たれることは無い。
 じゃあ、『出たく』なったら?

 わかる。
 だからこそ感じる危うさもあるのだ。
 漏れる溜息を隠して、平安はハサミを置く。
 そして、鏡を開いて詩瑠の頭の周りでかざしてみせた。

「よし、オッケー。どうだ?」
「うわぁ……! すごい、すごいよヘイ兄ちゃん! 久々に切ってもらった気がするけど、腕上げたね! えへへ、これで私もになれたかなっ」
「ばーか。まだ髪だけだろ? まだまだまだまだ、道のりは遠いぞ」
「むーっ! 本当に意地悪なんだから」

 頬を膨れさせながらも、瞳を輝かせて頭を振る詩瑠。
 緩くウエーブを掛けられた柿渋色の髪が揺れ、シャンプーの蓮の香りが辺りに漂う。
 どうやら満足してくれたようだ。
 心の中で拳を握る平安はスタイリング剤のボトルを手に取り、ふぅっと一息。
 覚悟を決めて切り出す。

「じゃあ最後に軽くスタイリング剤付けるぞ。……それでな、詩瑠」
「うん?」

 手を腿の上に置いてぴょんと背筋を伸ばし目を閉じる詩瑠は、平安の声色の違いに気付かない。
 
「あー、その、なんだ……東京っていうのはキラキラ美しい人だけじゃなく、危ないヤツも沢山いてな」
「知ってるよ?」
「確かに、お前のその『あったまり荘』っていう――」
「あったか荘ね」
「そのシェアハウスは良いところなのかもしれない。でもな、お前はまだ東京のことを何も知らないから、そのだからな――」
「なに?」

 頭を掻きながらゴニョゴニョする平安に、首を傾げる詩瑠。
 一拍置いて、再び息を吐いて、今度こそちゃんと言う。

「つまり、お前が心配なんだ詩瑠! だから本当に大丈夫なところか、お前がちゃんとやっていけそうか、俺も様子を見に行く! その、ええっと……そう、『あるぱか荘』にな!」
「……あったか荘ね」

 つぶやく詩瑠のツッコミに対して、平安の宣言は小さな店内に響き渡った。
 薬剤とラップで頭を包まれたマダムや、ファッション雑誌を開きながら相談していたOL、シャンプーをしていた同僚や受付で予約をチェックしていた先輩まで。

「あらまぁ」
「青春エキス助かる」
「あの、お湯熱いんですけど?」
「がんばれ!」
「あのバカ」

 と様々な声が漏れるが、必死な彼の耳が拾うことはなく。
 一同が固唾かたずを飲んで見守る中、当の詩瑠は無言でまばたきを数回。
 そして、弾む口調で一言。

「いいよっ!」

 無垢な笑顔を輝かせ、切りたてツヤツヤの髪を煌めかせ。
 鏡越しの詩瑠の返答に、平安は心のなかでガッツポーズ。店内は無言の歓声に包まれた。
 
「部屋はまだ片付いてないからちょっとだけ恥ずかしいけど、案内してあげるよ」
「そ、そうか。何なら片付けも手伝ってやろうか?」
「えっいいの? 助かるー。私、本当苦手だからさ」

 さりげなく追加点を決め、天井を仰ぐ平安。
 視界にちらりと入るカレンダーを見つつ、話を進める。

「任せろ。えっと、俺の休みは火曜日だから来週は……」
「あーごめんね! 火曜日はカヤちゃんと一緒に大学を見に行く約束をしてて。ほっとくと入学初日に迷って遅刻しそうだからって、誘ってくれたの」
「そう、か」
「あのヘイ兄ちゃんが嫌じゃなければ――」

 落胆する平安に、詩瑠は壁の時計を確認してから。

「今日お仕事終わってから、来る? 多分今夜は、私が知ってる人はみんなお仕事でいないはずだから、ちょっと寂しいなって思ってたんだよね。あっ、もちろんヘイ兄ちゃんお仕事で疲れているだろうし、全然は無理しなくていいんだけ」
「行く、絶対行く!」

 食い気味で返答し、同じく壁の時計を見た。
 短針はちょうど七のところ。営業は午後八時まで、そこから片付けやら締め作業をして、と脳内で算段をする。
 いつもなら終電ギリギリまで練習をしていくところだが、仕方ない。
 今日だけは休むことにしよう。
 
「うん。じゃあそしたら、ヘイ兄ちゃんお仕事終わるまで待ってるよ。この当たりに喫茶店とかあるかなぁ?」
「同じ通りでほんのちょっと進んだところにスタバあるぞ。そこなら十一時までやってるから」
「スタバ! やったぁ! うわー、行ってみたかったんだぁ!」
「狭い店だけど、二階席がゆったり出来るからそこでちょっと待っててくれ」
「わかった! さすがヘイ兄ちゃん、東京に詳しいねー」
「そりゃ店の周辺ぐらい詳しくなるさ。……ほら、スタイリングも終わったぞ」

 タオルで手を拭い、詩瑠に掛かっていたケープを外す。
 長さの印象はあまり変わらず、セミロング。でも細かい仕上がりや透け感、ボリュームの付け方などは平安の持てる技術を総動員したつもりだ。
 今の自分としては、大満足の出来だろう。
 そして、残った毛をテープで取りながら詩瑠の顔を伺う。
 前髪や毛先を触り、ゆっくり左右を向いて確認するその顔は、喜びに満ちた輝く満点の笑顔。

 よかった。大成功だ。

 動機は別としても、この瞬間が見たくて美容師を続けている。これからももっと、沢山の笑顔を。

「……うっし。じゃあ、これで出来上がり。お疲れ様」
「ありがとう、ヘイ兄ちゃん!」

 カウンターにエスコートし、平安はバッグとスプリングコートを渡す。
 見覚えのあるそのコートは、確か中学生ぐらいから使っているやつだ。
 髪の次はファッションについてもアドバイスした方がいいかもしれない。
 そんなことを考えながら、詩瑠から現金を受け取る。
 じゃなさそうで安心した。

「ありがとうござっしたー」
「ありがとうございますっ。……じゃあヘイ兄ちゃん、また後でね」
「おう」

 鈴の音と共に扉が閉まり、平安は振っていた手をゆっくり下ろした。
 ハサミを扱っていた右手が熱い気がして、ぎゅっと握る。
 すると。

「――平安ひらやす。今日は片付けやっとくから、自分の物だけしまったら帰っていいぞ」

 ポンと肩へ置かれる手と共に、先輩の声が背後から投げられる。

「……うっす。あざっす」
「明日遅刻だけしないようにな」
「しないっすよ!」

 そのまま先輩の顔を見ないまま、平安は席の片付けへと向かった。
 だって、恥ずかしかった。あれはきっと内心の大部分を悟られたからこその配慮。
 でも、嬉しかった。厳しい先輩だけど優しい。声色から背中を押してくれるのが伝わる。
 そして――やっぱり恥ずかしかった。
 今の自分の顔は、たくさんの感情でにやけ切っているに違いないから。
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