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Ⅰ ここはどこ? 私は誰?

6. 問題は山積みで

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 熟年のメイドさんが手慣れた様子で紅茶を新しいものに替えていく。そのささやかな音が、やけに大きく聞こえた。

「ら、来月って早すぎじゃないですか?」
「すまない。まさか本当に記憶喪失だとは思っていなかったのだ。だから報告を受けてすぐ、帰ってくることを方々へとお伝えしてしまったのだよ」

 頭を抱えたくなった。上流貴族と言われる侯爵家。その交友関係はいかほどだろうか。

「では、デビューを延期するとか……」
「それもできぬ。お前の帰還を伝えた際、できるだけ早い日取りでと……陛下に命じられてしまったのでな」
「そうですか――」

 ん? んん?
 聞き捨てならぬ言葉が聞こえた気がする。

「お、お父様……今なんと?」
「ミュリエルの社交界デビューを最短の日取りで行うよう、陛下からご下命があった、と申したのだ」

 陛下っていうのは国王陛下のことだ。つまり、この国一番のお偉いさんだってことで……。

「うわぁ……」
「うむ。どうやら理解したようだな。それに問題はまだあってだな」
「――旦那様」

 いつのまにやらやってきていた執事が控えめに割り込む。
 執事が口を開く前に内容を察したらしい侯爵様は、深く項垂れた。

「はぁ……やはり来てしまったか」

 そんな侯爵様に執事が申し訳なさそうに告げる。

「はい。アディーラ公爵家のご長男ベイル様より、ご学友と共に訪問されるとの旨、ご連絡がございました」
「共に、か?」
「えぇ。ご一緒に、とのことです」

 侯爵様と執事の意味深なやりとりをぽかんと眺めた。遅れて、会話の一部に引っかかりを覚える。

「ベイル…様……?」

 どこかで聞いたことがあるような気がした。

 聞いたことがある……?
 いや待て待て待て。落ち着け私。
 気のせいだ。知ってる気がするなんて、絶対に気のせいだ。

 思い出しかけたものから必死に気をそらそうとするけれど、気づいてしまった事実からは逃れられない。
 いや、そんなことはない。忘れられる。何せこれは気のせいなのだから。

「お、お父様」
「なんだ?」
「そ、その、ええと……」

 なにを言っているのだろうか。気のせいなのだから、尋ねる必要なんてないのに。

「お父様、そのベイル様というのは、ベイル・エイドリアン伯爵さまでしょうか」

 言ってしまった。もしこれで肯定されたら、認めたくない現実を、認めなくてはいけなくなるというのに。

 先程執事が言っていた、アディーラ公爵家とベイル様というお名前。実はそこから、説明されてもいないのにベイル・エイドリアン伯爵という名前が浮かんできたのだ。アディーラ公爵家の継嗣で、公爵家が持っている爵位の一つを名乗っている、という情報と共に。

「ほう。覚えていたか。それは幸いだな」

 やっぱり正解だったらしい。でも、ちっとも幸いじゃないんです、お父様。
 だって――。

「いえ、覚えていたわけでは……」
「ひとまず支度をしなさい。もう昼だからな。急いだほうがいい。彼らはきっとすぐにいらしてしまうだろうから」
「わ…かり、ました……」

 力なく答えて立ち上がる。

 ――だって。だって、ベイル・エイドリアン伯爵は、とある乙女ゲームの攻略対象で。つまり私が転生(?)してきた世界は、乙女ゲームの世界ってことで。

 喜ぶ? まさか。
 まんまゲームなら喜んで楽しむけれど、どう考えても、私はここで生きていて、ひもじかったり、寒かったり、か……かゆかったりしたわけで。

 無理だ。これは詰んだ――かもしれない。

 この乙女ゲームをやったことがない、というのが第一の理由。でもそれ以上に不味いのは、こういった世界観の乙女ゲームでは、平和だった試しがないということだ。

 そう。乙女ゲームというものは、基本的に危機と隣り合わせなのだ。

 
 
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