152 / 188
Ⅹ 集まる想い
144. うちの子、どこの子?
しおりを挟むまさに爆弾発言だった。私は自分の耳を疑う。
「奥様、今、なんて……」
「奥様だなんて他人行儀よ。お母様と呼んでちょうだい。うちの子になるのだから」
「うちの子って」
どこの子だろう。
私は貴族じゃない。肉屋だって言っていた。私は町の子だと。
勘違いしてはいけない。私と奥様とは――住む世界が違う。すべての問題が解決したとしても、私はもう「ミュリエル」にはなれない。
「いいでしょう? 一度は家族になったんだもの。寂しいじゃない。前からもう一人くらいほしいと思っていたのよ」
「そういう問題では」
私がベルネーゼ侯爵家の養女になたっところで、侯爵家にはなんのメリットもない。むしろデメリットにしかならないだろう。
ここまでずっと奥様には押し切られていた。けれど、さすがにこれはいただけない。こればかりは、押し切られるわけにはいかなかった。いくら奥様が望んだこととは言え、誰も認めないだろう。私自身、受け入れられないことだ。
「どうして私なんですか? 私はもうミュリエル様のお姿でもないのに」
「そういえばそうね。どうしてかしら。でも、私はもう、マリも自分の子だと思ってしまってるのよね。ヴィンスも」
「ヴィ…若様もですか」
「ええ。あの子が休暇で帰ってきたとき、買ってくるお土産が三倍になっていて困ってるのよ。何とかしてちょうだい?」
奥様の思考回路が理解できなかった。どうしてミュリエル様を苦しめた私を養女にしようなどという突飛な考えが浮かぶのか。
やはり冗談なのかもしれない。現に今もおちゃらけたような口調で若様の奇行を話している。そう、きっと、これは冗談なのだ――。
「っ」
伏せた視線の先。奥様の膝の上に置かれた手が目に入る。
奥様は皺になるのも構わずにドレスを握りしめていた。微かに震える手で――。
私は静かに目をつむる。
奥様は本気だ。これは冗談でもなんでもない。冗談として片付けていいものではない。奥様がなにを思って言い出したのかはわからないけれど、私も真摯に答えなくてはと思った。
もし、自分がベルネーゼ侯爵家の養女になったらどうなるのだろう。そもそも、本当になれるのだろうか。
「そうそう。ミュリエルのことを気にしているのであれば心配無用よ。だって、あの子はもう一番大切なものを取り戻したもの。だからもう、ミュリエルは何とも思ってないわ」
ちょっと驚いた。たとえ私が奥様の申し出に頷いたとしても、ミュリエル様は許さないだろうと思っていたから。
どうやら私はミュリエル様の人となりを見誤っていたようだ。ミュリエル様は、思っていたよりずっと一途で、心が広い。
一番のネックがなくなった。
奥様と侯爵様はきっと私を慈しんでくれるだろう。嫁がれるミュリエル様も今の話からするとおそらく邪険にはなさらない。周囲からの批判は避けられないだろうけれど、陛下のご意思がある以上、表立ってとやかく言える者はいない。
けれど、奥様や侯爵様が亡くなったら? 陛下がお亡くなりになったら?
侯爵家は若様が継ぐだろうけれど、いつまでも私が居座ることはできない。若様がいいと言ったとしてもきっと、若様の奥さんになる女性は嫌がるに違いなかった。
そうしたら家を出なくてはならなくて、でも貴族の身分では市井で働くことも出来なくて。一般的なのは輿入れすることだけれど。
結婚? 私が? そんなのできるわけな――。
「ね、この話、受けてちょうだい。マリだって幸せになっていいのよ」
ふっと思い浮かんだのはベイル様のお姿。このまま調べが進めば、ベイル様は婚約者を失うことになる。ベイル様は公爵家の御子息だ。養女であっても侯爵家の身分ならギリギリ――。
「お断りします」
思いのほかきつい声が出た。奥様も驚いたように目を丸くしている。
私は今何を考えた?
ダメ。絶対にダメだ。
平民上がりの養女なんかがベイル様の婚約者になんてなったら、ベイル様の名前に傷がつく。幸せになってもらうべき対象を傷つけてどうしようというのだ。
わかっている。たとえ侯爵家の養女になったところで、ベイル様の婚約者になることは万が一にもない。ちゃんと理解している。
これは私の気持ちの問題だ。単なる保身だ。貴族の世界に身を置いたら、きっと忘れられないから。永遠に心揺さぶられ続けることになるだろうから。自分がそれに耐えられるとは到底思えないのだ。
「どうしてもか?」
侯爵様も確認してくるけれど、答えは変わらない。
想像でさえわきまえられない私に、侯爵家の養女という身分は重すぎる。
「……申しわけありません」
「そうか」
残念そうな侯爵様の表情は、たぶん本物だ。隣りで不服そうにしている奥様の表情も。
「……わかったわ。マリの意思を尊重するわ。でも、私たちがあなたをうちの子にしたいと思っていること、忘れないのよ。それから、もしうちの子になりたいと思ったら、遠慮なく言ってちょうだい。いつでも歓迎するわ」
私は小さく頷いた。
ただ――きっとそんな日は永遠に来ないだろう。
0
お気に入りに追加
218
あなたにおすすめの小説
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
冤罪から逃れるために全てを捨てた。
四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
【完結】初恋の彼が忘れられないまま王太子妃の最有力候補になっていた私は、今日もその彼に憎まれ嫌われています
Rohdea
恋愛
───私はかつてとっても大切で一生分とも思える恋をした。
その恋は、あの日……私のせいでボロボロに砕け壊れてしまったけれど。
だけど、あなたが私を憎みどんなに嫌っていても、それでも私はあなたの事が忘れられなかった──
公爵令嬢のエリーシャは、
この国の王太子、アラン殿下の婚約者となる未来の王太子妃の最有力候補と呼ばれていた。
エリーシャが婚約者候補の1人に選ばれてから、3年。
ようやく、ようやく殿下の婚約者……つまり未来の王太子妃が決定する時がやって来た。
(やっと、この日が……!)
待ちに待った発表の時!
あの日から長かった。でも、これで私は……やっと解放される。
憎まれ嫌われてしまったけれど、
これからは“彼”への想いを胸に秘めてひっそりと生きて行こう。
…………そう思っていたのに。
とある“冤罪”を着せられたせいで、
ひっそりどころか再び“彼”との関わりが増えていく事に──
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
私達、政略結婚ですから。
黎
恋愛
オルヒデーエは、来月ザイデルバスト王子との結婚を控えていた。しかし2年前に王宮に来て以来、王子とはろくに会わず話もしない。一方で1年前現れたレディ・トゥルペは、王子に指輪を贈られ、二人きりで会ってもいる。王子に自分達の関係性を問いただすも「政略結婚だが」と知らん顔、レディ・トゥルペも、オルヒデーエに向かって「政略結婚ですから」としたり顔。半年前からは、レディ・トゥルペに数々の嫌がらせをしたという噂まで流れていた。
それが罪状として読み上げられる中、オルヒデーエは王子との数少ない思い出を振り返り、その処断を待つ。
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる