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Ⅷ 優しさ、たくさん

112. 厳しさと優しさ

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「お、おいっ! リ、リアちゃんはなぁ、そりゃもう大変な思いをしてきたんだぞ。それを、そんな――た、他人だからって無責任な」
「そうか。それで?」
「え、いや、だから……そんな…可哀想な、こと、を……」

 声をあげた村人の言葉が力なく途絶える。
 意図的にではないのかもしれないが、領主様から発せられているのは上に立つ者特有の威圧感。それを受けてなお反論を続けられる者はいなかった。

「言いたいことはわかるが、気にすべきはそれだけではないから言っている」

 ご領主様はどこまでも冷静だった。私も自然と意識が吸い寄せられる。

「自覚なしに涙がこぼれるのは、心の傷が癒えていないからだろう。それは時間をかけて癒すほうが苦しまずに済むのは確かだ。だが、この子の場合、それは得策とは言い難い」

 そう言って、村人を見ていたご領主様が再び私に視線を戻した。

「私とて普段であれば、事情も知らぬのにこのようなことは言わない。だが――多少の無理をしてでも、苦しみを伴ってでも、早く現実を直視できるようになるべきだと感じた。先ほども言ったが、時を使っているということを、君はもっと重く見なくてはならない」
「なぜ、でしょうか?」
「君の『それ』がただ事ではないと示しているからだ。『それ』と君の涙を見るに、問題が解決しているとは到底思えない」

 それはずいぶんと迂遠な物言いで、すぐには理解できなかった。けれど、気づいた瞬間私は息を飲む。
 ご領主様の言う「それ」が何であるか。それはご領主様が貴族であることを考えれば自ずとわかることだった。ご領主様は貴族で、神秘を使える人物で、そして、息を吸うように神秘を見ることができる人物で。それはつまり――。

「あ、あ……あ……」
「落ち着きなさい。私は君を追い詰めたくて言っているわけではない」

 そうは言われても、先程の言葉を理解してしまった私では、もう信じることはできない。見る人が見れば、私の神秘の回路が破壊され、封じられていることがわかってしまうのだから。
 そして、そんなことができるのは神殿くらいで、神殿にそれを依頼できるのは国家司法しかなく――とどのつまり、私が重罪人だとわかってしまうのだ。

 だからご領主様は私に目を留めた。ご領主様がただ事ではないと表したのは、私の異常な神秘を見て、私が罪人として裁かれたのだと気づいてしまったからだ。

 実のところ、私がここで野次馬していたのは、追手の話が出る可能性を考慮してのことだった。もし、少しでもそう言った話題が出たら、すぐにでも村を離れられるように、と。
 けれど、それが逆に仇となった。ここにいなければ、この異常な神秘を見られてしまうこともなかったのだから。

「わた、私、は……」
「責めてもない。私はただ、今必要だろう事実を口にしただけだ。君が――私の領民が後悔しないように、必要なことを」

 ご領主様の眼差しは真剣そのもので、そこからは、責めるような意思も、からかっている様子も見受けられなかった。と、そこまで確認してはっとする。

「え、あ……わ、私も、ご領主様、の、領民……?」
「もちろんだとも」

 その瞬間、よくわからない感情で胸が一杯になった。ご領主様としたら何気ない一言なのだろう。けれど私にとってはたぶん、大きな意味を持つ言葉だった。

 村人たちは優しかった。ずっとここにいていいと口にしてくれる人もいた。でも、私は後ろめたさを抱えていて、それを素直に信じられなかった。優しいから、本当は迷惑と思っていても口にできないのだと思っていた。
 ご領主様は違う。厳しい人だ。そんなご領主様の口から領民だ、と肯定する言葉が出て、私は今、初めてここにいていいのだと言ってもらえた気がした。
 ずっと助けてくれていた村人たちではなく、今日初めて会ったご領主様の言葉に救われるなど、どんな不義理かとは思うけれど。

「私も領民……」
「そうだ。だから安心しなさい。領民を守るのも私の仕事だ。まあ、普段は、直接アドバイスをしてやれるような機会などほとんどないが。とにかく、君はこの機会を生かしてくれればいい。私は村人たちに見えていないものが見えている。わかるな?」
「はい」
「よし。ならばもう一度言うぞ。過去としっかりと向き合いなさい。そしてきちんと考えるんだ。問題はすべて解決しているか? 残されたものはすべて捨て置けるものか? 新しい人生を歩むのに、誰にも邪魔されないか? 何事も起こらないと言えるか?」

 そんなのわからない。わからなかった。
 だって、私は一度もきちんと考えたことがなかったから。

 私はむしろ、この一年と数か月、あの日々をなかったものとして考えないようにしてきた。あれはもはや自分のことではないと、今と切り離して。
 そうしなければ、心の平穏を得られないと感じていたから。でも。

 過去。私がミュリエルだったときのこと。それを思い出さなくてはいけないのだとしたら。

「っ」

 思わず目をつむった。胸がギュッと締めつけられて苦しくなる。
 思い出したくない。思い出したら、だって、また――。

「リアちゃん……」

 心臓がバクバクとして、呼吸が苦しくなって、でも――聞こえた声につられるように目を開ければ、すぐに心配そうに見ている村人たちが目に入った。

「あ……」
「それでいい。一歩前進だな」

 ご領主様がくしゃりと頭をなでる。
 ほんの一瞬だけ、過去に引き戻された意識。まだ頭が混乱していた。
 けれどご領主様は一人満足そうにしていて、戸惑う私から距離を置く。

「ぼっちゃま」
「ああ、そうだな。そろそろ行こう」

 ご領主様はもう一度だけ私を見て、それから目の前を通り過ぎていった。
 はっと我に返ったジジさまがご領主様を追う。私はそんなジジさまをただぼんやりと見送った。

 
 
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