119 / 188
Ⅷ 優しさ、たくさん
112. 厳しさと優しさ
しおりを挟む「お、おいっ! リ、リアちゃんはなぁ、そりゃもう大変な思いをしてきたんだぞ。それを、そんな――た、他人だからって無責任な」
「そうか。それで?」
「え、いや、だから……そんな…可哀想な、こと、を……」
声をあげた村人の言葉が力なく途絶える。
意図的にではないのかもしれないが、領主様から発せられているのは上に立つ者特有の威圧感。それを受けてなお反論を続けられる者はいなかった。
「言いたいことはわかるが、気にすべきはそれだけではないから言っている」
ご領主様はどこまでも冷静だった。私も自然と意識が吸い寄せられる。
「自覚なしに涙がこぼれるのは、心の傷が癒えていないからだろう。それは時間をかけて癒すほうが苦しまずに済むのは確かだ。だが、この子の場合、それは得策とは言い難い」
そう言って、村人を見ていたご領主様が再び私に視線を戻した。
「私とて普段であれば、事情も知らぬのにこのようなことは言わない。だが――多少の無理をしてでも、苦しみを伴ってでも、早く現実を直視できるようになるべきだと感じた。先ほども言ったが、時を使っているということを、君はもっと重く見なくてはならない」
「なぜ、でしょうか?」
「君の『それ』がただ事ではないと示しているからだ。『それ』と君の涙を見るに、問題が解決しているとは到底思えない」
それはずいぶんと迂遠な物言いで、すぐには理解できなかった。けれど、気づいた瞬間私は息を飲む。
ご領主様の言う「それ」が何であるか。それはご領主様が貴族であることを考えれば自ずとわかることだった。ご領主様は貴族で、神秘を使える人物で、そして、息を吸うように神秘を見ることができる人物で。それはつまり――。
「あ、あ……あ……」
「落ち着きなさい。私は君を追い詰めたくて言っているわけではない」
そうは言われても、先程の言葉を理解してしまった私では、もう信じることはできない。見る人が見れば、私の神秘の回路が破壊され、封じられていることがわかってしまうのだから。
そして、そんなことができるのは神殿くらいで、神殿にそれを依頼できるのは国家司法しかなく――とどのつまり、私が重罪人だとわかってしまうのだ。
だからご領主様は私に目を留めた。ご領主様がただ事ではないと表したのは、私の異常な神秘を見て、私が罪人として裁かれたのだと気づいてしまったからだ。
実のところ、私がここで野次馬していたのは、追手の話が出る可能性を考慮してのことだった。もし、少しでもそう言った話題が出たら、すぐにでも村を離れられるように、と。
けれど、それが逆に仇となった。ここにいなければ、この異常な神秘を見られてしまうこともなかったのだから。
「わた、私、は……」
「責めてもない。私はただ、今必要だろう事実を口にしただけだ。君が――私の領民が後悔しないように、必要なことを」
ご領主様の眼差しは真剣そのもので、そこからは、責めるような意思も、からかっている様子も見受けられなかった。と、そこまで確認してはっとする。
「え、あ……わ、私も、ご領主様、の、領民……?」
「もちろんだとも」
その瞬間、よくわからない感情で胸が一杯になった。ご領主様としたら何気ない一言なのだろう。けれど私にとってはたぶん、大きな意味を持つ言葉だった。
村人たちは優しかった。ずっとここにいていいと口にしてくれる人もいた。でも、私は後ろめたさを抱えていて、それを素直に信じられなかった。優しいから、本当は迷惑と思っていても口にできないのだと思っていた。
ご領主様は違う。厳しい人だ。そんなご領主様の口から領民だ、と肯定する言葉が出て、私は今、初めてここにいていいのだと言ってもらえた気がした。
ずっと助けてくれていた村人たちではなく、今日初めて会ったご領主様の言葉に救われるなど、どんな不義理かとは思うけれど。
「私も領民……」
「そうだ。だから安心しなさい。領民を守るのも私の仕事だ。まあ、普段は、直接アドバイスをしてやれるような機会などほとんどないが。とにかく、君はこの機会を生かしてくれればいい。私は村人たちに見えていないものが見えている。わかるな?」
「はい」
「よし。ならばもう一度言うぞ。過去としっかりと向き合いなさい。そしてきちんと考えるんだ。問題はすべて解決しているか? 残されたものはすべて捨て置けるものか? 新しい人生を歩むのに、誰にも邪魔されないか? 何事も起こらないと言えるか?」
そんなのわからない。わからなかった。
だって、私は一度もきちんと考えたことがなかったから。
私はむしろ、この一年と数か月、あの日々をなかったものとして考えないようにしてきた。あれはもはや自分のことではないと、今と切り離して。
そうしなければ、心の平穏を得られないと感じていたから。でも。
過去。私がミュリエルだったときのこと。それを思い出さなくてはいけないのだとしたら。
「っ」
思わず目をつむった。胸がギュッと締めつけられて苦しくなる。
思い出したくない。思い出したら、だって、また――。
「リアちゃん……」
心臓がバクバクとして、呼吸が苦しくなって、でも――聞こえた声につられるように目を開ければ、すぐに心配そうに見ている村人たちが目に入った。
「あ……」
「それでいい。一歩前進だな」
ご領主様がくしゃりと頭をなでる。
ほんの一瞬だけ、過去に引き戻された意識。まだ頭が混乱していた。
けれどご領主様は一人満足そうにしていて、戸惑う私から距離を置く。
「ぼっちゃま」
「ああ、そうだな。そろそろ行こう」
ご領主様はもう一度だけ私を見て、それから目の前を通り過ぎていった。
はっと我に返ったジジさまがご領主様を追う。私はそんなジジさまをただぼんやりと見送った。
0
お気に入りに追加
218
あなたにおすすめの小説
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
冤罪から逃れるために全てを捨てた。
四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
【完結】初恋の彼が忘れられないまま王太子妃の最有力候補になっていた私は、今日もその彼に憎まれ嫌われています
Rohdea
恋愛
───私はかつてとっても大切で一生分とも思える恋をした。
その恋は、あの日……私のせいでボロボロに砕け壊れてしまったけれど。
だけど、あなたが私を憎みどんなに嫌っていても、それでも私はあなたの事が忘れられなかった──
公爵令嬢のエリーシャは、
この国の王太子、アラン殿下の婚約者となる未来の王太子妃の最有力候補と呼ばれていた。
エリーシャが婚約者候補の1人に選ばれてから、3年。
ようやく、ようやく殿下の婚約者……つまり未来の王太子妃が決定する時がやって来た。
(やっと、この日が……!)
待ちに待った発表の時!
あの日から長かった。でも、これで私は……やっと解放される。
憎まれ嫌われてしまったけれど、
これからは“彼”への想いを胸に秘めてひっそりと生きて行こう。
…………そう思っていたのに。
とある“冤罪”を着せられたせいで、
ひっそりどころか再び“彼”との関わりが増えていく事に──
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
私達、政略結婚ですから。
黎
恋愛
オルヒデーエは、来月ザイデルバスト王子との結婚を控えていた。しかし2年前に王宮に来て以来、王子とはろくに会わず話もしない。一方で1年前現れたレディ・トゥルペは、王子に指輪を贈られ、二人きりで会ってもいる。王子に自分達の関係性を問いただすも「政略結婚だが」と知らん顔、レディ・トゥルペも、オルヒデーエに向かって「政略結婚ですから」としたり顔。半年前からは、レディ・トゥルペに数々の嫌がらせをしたという噂まで流れていた。
それが罪状として読み上げられる中、オルヒデーエは王子との数少ない思い出を振り返り、その処断を待つ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる