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『霞の庭』第二章 エリート官僚と潜入調査
2・Eランクにだけは堕ちたくない
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下呂市に入ると道路工事による通行止めも多くなってきた。だがGUEST4ランクとは恐ろしいもので、片側通行のところも無視してすいすい通っていく。優先して通行させてもらえているらしい。
「こんなところにも特権があるのね」
なんだか申し訳ない。支倉は気にした様子もなく「使えるものは使いましょう」とか言っている。
森の残る山が、プリンをすくって食べるように、ショベルカーにより切り崩されていた。土地開発中なのだ。下呂市といえば大自然の中の下呂温泉が昔は有名で、両親が旅行に連れていってくれたことがあった。物心つく前なので残念ながら記憶にはないが、写真では見たことがある。一歳を過ぎたくらいの自分は楽しそうだったし、両親の顔も朗らかだった。年に数回しかない休みを利用して、愛知県から岐阜まで出かけて、日帰り旅行をしたんだという。今は亡き両親との数少ない思い出の一つだ。過労死した両親が疲れを癒しに行ったという下呂温泉も、今では日楽食品関係者以外は立ち寄れず、もうブラック企業の手中にある。自分の目指す過労のない世界なんてものはどこまで遠いのだろうと、途方に暮れる感じもある。が、動き出さなければ始まらないし、ここに来たのは感傷に浸るためでもない。理想を現実とするためだ。何の力もない一歳児としてではなく、国会議員として。律歌はこの辺で降りてみることにした。川橋が駐車場を探してくれ、工事現場の近くにBランク以上専用駐車場があったので、停められるか試してみたら問題なく停車できた。こういう生活のすみずみにも、ランク制度というものが浸透しているのだと実感させられる。辺りには老若様々な作業員達が、炎天下の下、汗を流しながらシャベルで土を掘り返したり、重機を操作したりしていた。揃いの作業着ホロアバターを着用しているが、よく見ると、グレーの全身スーツを着た者もいる。律歌がインタビューをしようと「すいませーん」と話しかけようとした時だった。
「おまえら!! 遅れてるぞ!! このリゾート地をSランク様がお待ちなんだぞお」
奥からドタドタと走ってくる大男が、作業員達に対してすごい形相で怒鳴っている。この現場のリーダーだろうか。発破をかけられて、その場の動きが早くなる。Sランク様のリゾート地? どうやら作っているのは上の社員のための施設らしい。緊迫した雰囲気にのまれ、律歌が動けないでいると、目の前を、手押し車を押しながら歩いていたひょろ細い男が足をもつれさせて転倒した。
「あっ! 大丈夫?」
「こらぁ!!」
律歌が足を踏み出すより早く、先ほどのリーダーがドタドタ走ってくる。
「何やってるんだ、おまえ! ったく、Eランクじゃねーか!」
「ひいっ」
リーダーは人差し指を向け、何やらホロウィンドウを操作する。評価レポートでも入力したのかと思って律歌が見ていると、次の瞬間、とんでもないことが起きた。倒れた男が「ぎゃあああ」という悲鳴と共に痙攣し大きくのたうち回りだしたのだ。
(な……何?)
周囲の人も一時手を止めて、その様子を眺めている。
「ああああ……ごめんなさい! もうやめてええええ」
やめて……?
それを見つめるリーダーの目は冷たく、どこか嗜虐的な雰囲気がある。直感的に、周囲の人間にもどこか同じような気配があるのを感じて、律歌は身震いした。
(何が起きたの?)
「だったらとっとと歩け。もう一度食らいたいか?」
「いいえっ! わかりましたっ」
即座にその場に直立し、転がった手押し車を取りに走る。皆一斉に顔を見合わせたりして、その場周辺は時が止まったように静寂に包まれている。何かとんでもないものを見てしまったような気がした。
「あれはいったい?」
寄る辺を求めるように、傍らを見上げる。
「私も初めて見ます」
隣では支倉が、真剣な目つきで観察していた。ここまでどこか飄々とした印象があったが、集中するとこんなふうに精悍な顔になるのだと知る。
「あなたも知らないのね……」
「でも、予想はできます」
キャリア官僚として厚生労働省で働いているからなのか、それとも日本一のT大学に次ぐ学歴とされるあのK大学の大学院を卒業できるような頭脳の持ち主は、そもそも見えている世界が違うのか。律歌が見解を尋ねようとした時、どこからともなくひそひそ声が聞こえてきて口を閉じた。
「Eランクにだけは堕ちたくねえ……」
「ああなっちまったら人間終わりだよ」
「Cランクのサンドバッグじゃねえか……。街中でもそこらじゅうで見かけるぜ」
「ホログラムアバターも映してもらえないだなんて、笑えるしな」
「人権なんてねえんだよ……」
「あんな惨めな思いしたくねえな……」
サンドバッグって言った? それに、さっきの人が全身スーツなのは、アバタースーツが丸見えだからだ、ということにも言われて気が付いた。ホログラムアバターを映してもらえていない……だなんて、信じられないことだった。アバタースーツとはアバター投影のための下着のようなもので、それ自体を人に見せるために作られてはいないのだ。無人タクシーの支払いを終えてきた川橋も、その様子を資料用に撮影している。
「こらあ! なに手を止めてんだ! お前達もEランクになりたいのか!? ああ?」
大男のリーダーに問われて、作業員達は蜘蛛の子を散らすようにほうぼうへと移動を始める。
「待って……! 話を聞かせてほしいの」
その中の一人を追いかけて捕まえる。作業着アバターの小太りの中年男性がこちらを向くと、驚いたような顔になった。
「その身なり……まさかSランク様ですか?!」
え? 律歌は思わず立ち止まって、思わず自分の服装に目を落とす。アバターじゃなく本物のスーツだからから、何か誤解させたらしい。だが、律歌が戸惑っている間に、男はランク表示を確認していた。
「んっ? 違う、GUEST……? なんだ、外部の人間かぁ――……って、4レベル!?」
ぎょっとしたように目を丸くして「初めて見た……。GUEST4の特権、なんだっけ……やばいやばい……まずい……」などとぼそぼそつぶやいている。
「あの、お忙しい中すみません。少しお話を伺いたいのですが」
「え、ええ……。私にどういった御用でしょうか……」
今度はまた畏まるように、大柄な体を小さく縮めてお伺いを立ててくる。
「先ほどお話しされていた、『Cランクのサンドバッグ』って、どういうことですか?」
ランク制度のひずみにまつわる、何か重要なキーワードではないだろうか。たとえそうでなくとも、何かの手掛かりになれば――そう期待して男の顔を見ると、みるみる真っ青になっていく。
「い……いえいえいえ、そんなつもりで言ったんじゃありません! 申し訳ありません!」
男は両手を大きく振って、パニックになったように、半狂乱で叫び始める。
「慈悲深くもAIじゃなく人間を使ってくださって、こんな私達を生かしてくださっているのは、Cランクより上の方々なのに……! 大変失礼なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした。どうか非礼をお許しください。この通りです!!」
ついには両膝をついて地面に額を擦り付けて謝罪を始めた。律歌に咎めたつもりはまったくなかったのだが、また何か誤解を生んだらしい。
「ちょ、ちょっと待って、私の方こそ、そんなつもりじゃ……。ごめんなさい、お顔をあげてください」
「ごめんなさい! お助けください! どうか、Eランクに落とさないで! 妻子がいるんです! Eランクになんて、あんまりです!」
「落ち着いて、落ち着いてください! 私にはそんな権限なんてないですし、あったとしてもそんなことをするつもり、まったくなくて……! ただ、話を伺いたいって、それだけで」
「お許しください! さきほどの非礼はお詫びしますから……!」
埒が明かない。しかも、何やら自分がいたぶっているような空気で、周囲からどんどん人が離れていくではないか。
(どうしよう……、このままじゃ、何も聞き込みできないわ……!)
そこへ割って入ってきたのは支倉だった。
「お前、静かにしろ。本当にランクを落とされたいのか」
若きエリート官僚支倉はドスの利いた声で囁き、唇を寄せてしゃがみこむ。
「ひええっ」
「大人しく言うとおりにすれば、減点もせずこのまま解放してやる」
明らかに年上の中年男性相手に命令口調で――整えられた髪型とスーツも相まって、これはもうインテリヤクザみたいだ。さっきまで品行方正な優等生公務員という感じだったのに、荒々しい一面を垣間見てしまって面食らう。
(こ……怖っ。支倉くん。そんなことしたら、ますますパニックにさせるんじゃ)
「は……はい」
だが意外にも、男は大人しく頷いて次の言葉を待つ。
「よし。質問に答えろ」
支倉は顔を離すと、一段上の高みから、動物でも手懐けるように明確に指示を出す。
「Eランクのことを知りたい。知っていることを説明しろ」
「え、ええと……」
「まず、さっきのは何だ? Eランクの男が、痙攣したように倒れたのは」
男が迷うそぶりを見せるとすかさず具体的な問いに変えているのを見ると、無駄にプレッシャーをかけたり、弄んで苛めたりしているわけではなく、意外にもちゃんと情報を引き出すための作戦なのかもしれない。支倉の狙い通りなのか、跪いたままの男は冷静さを取り戻したようにはっきりとした口ぶりで答えた。
「あれは電罰です」
「電罰?」
支倉が聞き返し、同じく律歌も耳を傾ける。まさか。魚のようにビクビクと痙攣しのたうつ姿が思い起こされる。やめて、と懇願していた。
「Eランクは、Cランクの人から電気ショックの罰を受けます」
あれは――電気ショックによるもの。同じ人間に対して、なんてむごいことを……。律歌は口を挟まず、固唾を呑んで待つ。
「いつからだ」
「今までも、ずっと、数年前からありましたけど……。でも、前は隠れたところでやられていたんです。それが半月くらいから、新しいアバタースーツが再支給されて、堂々とやるようになってきて」
半月前といえば、
「国会閉会のタイミングだ」
支倉と顔を見合わせる。法が施行された頃だ。やはりこれまでは労働法が一応は抑止力となっていたのだろう。企業自治を認める法案が可決されるのを企業側は今か今かと待っていて、可決直後、体罰を正式に組み込んだということだ。
「えっ、えっと、私、何かまずいことを……?」
「いいえ、ありがとうございます!」
「も、もし、私が密告しただなんて言われたら……!」
声を荒げて律歌に縋りついてくる。
「だ、大丈夫ですってば」
あまり大きな声を出すと人が来てしまう。同じことを思ったらしい支倉がまた間に入ってきた。
「黙れ。俺の質問に答えろ。俺はGUEST3、こちらのお方はGUEST4だ。Cランクと比べて、どっちに付けばいいか、わかるな?」
思わず苦い顔になりそうになるのを堪える。ここは、偉い人なのだとふんぞりかえるくらいのほうが役に立てるのではなかろうか。そんな努力が実ったのか、
「はい……監督より上の権力を持っているんだから、そうですよね……。はい……」
また大人しくなる男に、支倉は続けて事情聴取を行う。
「お前も電罰を受けたことはあるのか」
「昔、一度だけ……。私らDランクも、たまにはあるんですが、よっぽどの理由じゃないと、されませんのです。なんでも、CランクがDランクにやるには、調書が必要みたいで、それがめんどうなんだそうです。でも、Eランクは、無条件・無制限だから、監督も気軽にやるんですわ。電極の威嚇はしょっちゅう。痛くはないんですけど、こええんです」
するとその瞬間、
「こらあ! そこでなにしとる!!」
両肩の外側部分にバチバチバチっとスパークが見えた。これが威嚇か。
「監督! あああああの……ゲスト様……」
男に乞われるような目を向けられる。
「先生、他にご質問は」
「そうね……ないわ」
「承知しました。――もういいぞ。行け」
「へい……失礼します!」
脱兎のごとく駆け出すD1ランクの男。
「ここでの下位ランク者の扱い方がわかってきました」
見送る支倉は平然とした顔でピースサインを送ってくる。
「あなた、ここに来たことあるの?」
「いいえ。これが初めてです。ここでは、ランクがすべてですから、上下をはっきりさせたほうが話が早いですね。軍隊みたいに」
そう言われてしまえば、わーわー騒がせてばかりだった自分は何も言えない。
「だとしても……すごい対応力ね……」
そうですか? 恐れ入ります、と軽く流された。
「でもこれで判明しました。電罰というのがあり、それは数年前から行われてきたものの、国会閉会後に、改めて大々的に行われるようになった、と」
「そうね」
家畜に鞭打つようにして、電気ショックで脅して、走らせる。人間扱いしてほしくば、ランクを維持しろと。それを批判する気持ちでいたものの、自分だって高ランクの特権使用に始まり、暴力的な支配体制も利用して情報を得てしまった。たしかにこれは恐ろしいほどの誘惑かもしれない。
「よかったですね先生。これで手がかりが増えました」
支倉に嬉しそうに言われたが、とても喜ぶ気にはならない。どうしようもなく強力で凶悪な世界。人として弱い自分。川橋に天然水のペットボトルを渡され、ぎゅっときつく握りしめてしまった。こういう時、蓋は開いていなくて、律歌が川橋を見上げると、彼は頷いて、それから開けてくれた。
世界をただ憎むだけじゃだめなのだ。もちろん自分の弱さを憎むだけでもだめ。その仕組みが成立してしまうことを受け入れて、改善をしていかなくては。それが私の仕事だ、と、律歌はぐっと水を呷った。
「こんなところにも特権があるのね」
なんだか申し訳ない。支倉は気にした様子もなく「使えるものは使いましょう」とか言っている。
森の残る山が、プリンをすくって食べるように、ショベルカーにより切り崩されていた。土地開発中なのだ。下呂市といえば大自然の中の下呂温泉が昔は有名で、両親が旅行に連れていってくれたことがあった。物心つく前なので残念ながら記憶にはないが、写真では見たことがある。一歳を過ぎたくらいの自分は楽しそうだったし、両親の顔も朗らかだった。年に数回しかない休みを利用して、愛知県から岐阜まで出かけて、日帰り旅行をしたんだという。今は亡き両親との数少ない思い出の一つだ。過労死した両親が疲れを癒しに行ったという下呂温泉も、今では日楽食品関係者以外は立ち寄れず、もうブラック企業の手中にある。自分の目指す過労のない世界なんてものはどこまで遠いのだろうと、途方に暮れる感じもある。が、動き出さなければ始まらないし、ここに来たのは感傷に浸るためでもない。理想を現実とするためだ。何の力もない一歳児としてではなく、国会議員として。律歌はこの辺で降りてみることにした。川橋が駐車場を探してくれ、工事現場の近くにBランク以上専用駐車場があったので、停められるか試してみたら問題なく停車できた。こういう生活のすみずみにも、ランク制度というものが浸透しているのだと実感させられる。辺りには老若様々な作業員達が、炎天下の下、汗を流しながらシャベルで土を掘り返したり、重機を操作したりしていた。揃いの作業着ホロアバターを着用しているが、よく見ると、グレーの全身スーツを着た者もいる。律歌がインタビューをしようと「すいませーん」と話しかけようとした時だった。
「おまえら!! 遅れてるぞ!! このリゾート地をSランク様がお待ちなんだぞお」
奥からドタドタと走ってくる大男が、作業員達に対してすごい形相で怒鳴っている。この現場のリーダーだろうか。発破をかけられて、その場の動きが早くなる。Sランク様のリゾート地? どうやら作っているのは上の社員のための施設らしい。緊迫した雰囲気にのまれ、律歌が動けないでいると、目の前を、手押し車を押しながら歩いていたひょろ細い男が足をもつれさせて転倒した。
「あっ! 大丈夫?」
「こらぁ!!」
律歌が足を踏み出すより早く、先ほどのリーダーがドタドタ走ってくる。
「何やってるんだ、おまえ! ったく、Eランクじゃねーか!」
「ひいっ」
リーダーは人差し指を向け、何やらホロウィンドウを操作する。評価レポートでも入力したのかと思って律歌が見ていると、次の瞬間、とんでもないことが起きた。倒れた男が「ぎゃあああ」という悲鳴と共に痙攣し大きくのたうち回りだしたのだ。
(な……何?)
周囲の人も一時手を止めて、その様子を眺めている。
「ああああ……ごめんなさい! もうやめてええええ」
やめて……?
それを見つめるリーダーの目は冷たく、どこか嗜虐的な雰囲気がある。直感的に、周囲の人間にもどこか同じような気配があるのを感じて、律歌は身震いした。
(何が起きたの?)
「だったらとっとと歩け。もう一度食らいたいか?」
「いいえっ! わかりましたっ」
即座にその場に直立し、転がった手押し車を取りに走る。皆一斉に顔を見合わせたりして、その場周辺は時が止まったように静寂に包まれている。何かとんでもないものを見てしまったような気がした。
「あれはいったい?」
寄る辺を求めるように、傍らを見上げる。
「私も初めて見ます」
隣では支倉が、真剣な目つきで観察していた。ここまでどこか飄々とした印象があったが、集中するとこんなふうに精悍な顔になるのだと知る。
「あなたも知らないのね……」
「でも、予想はできます」
キャリア官僚として厚生労働省で働いているからなのか、それとも日本一のT大学に次ぐ学歴とされるあのK大学の大学院を卒業できるような頭脳の持ち主は、そもそも見えている世界が違うのか。律歌が見解を尋ねようとした時、どこからともなくひそひそ声が聞こえてきて口を閉じた。
「Eランクにだけは堕ちたくねえ……」
「ああなっちまったら人間終わりだよ」
「Cランクのサンドバッグじゃねえか……。街中でもそこらじゅうで見かけるぜ」
「ホログラムアバターも映してもらえないだなんて、笑えるしな」
「人権なんてねえんだよ……」
「あんな惨めな思いしたくねえな……」
サンドバッグって言った? それに、さっきの人が全身スーツなのは、アバタースーツが丸見えだからだ、ということにも言われて気が付いた。ホログラムアバターを映してもらえていない……だなんて、信じられないことだった。アバタースーツとはアバター投影のための下着のようなもので、それ自体を人に見せるために作られてはいないのだ。無人タクシーの支払いを終えてきた川橋も、その様子を資料用に撮影している。
「こらあ! なに手を止めてんだ! お前達もEランクになりたいのか!? ああ?」
大男のリーダーに問われて、作業員達は蜘蛛の子を散らすようにほうぼうへと移動を始める。
「待って……! 話を聞かせてほしいの」
その中の一人を追いかけて捕まえる。作業着アバターの小太りの中年男性がこちらを向くと、驚いたような顔になった。
「その身なり……まさかSランク様ですか?!」
え? 律歌は思わず立ち止まって、思わず自分の服装に目を落とす。アバターじゃなく本物のスーツだからから、何か誤解させたらしい。だが、律歌が戸惑っている間に、男はランク表示を確認していた。
「んっ? 違う、GUEST……? なんだ、外部の人間かぁ――……って、4レベル!?」
ぎょっとしたように目を丸くして「初めて見た……。GUEST4の特権、なんだっけ……やばいやばい……まずい……」などとぼそぼそつぶやいている。
「あの、お忙しい中すみません。少しお話を伺いたいのですが」
「え、ええ……。私にどういった御用でしょうか……」
今度はまた畏まるように、大柄な体を小さく縮めてお伺いを立ててくる。
「先ほどお話しされていた、『Cランクのサンドバッグ』って、どういうことですか?」
ランク制度のひずみにまつわる、何か重要なキーワードではないだろうか。たとえそうでなくとも、何かの手掛かりになれば――そう期待して男の顔を見ると、みるみる真っ青になっていく。
「い……いえいえいえ、そんなつもりで言ったんじゃありません! 申し訳ありません!」
男は両手を大きく振って、パニックになったように、半狂乱で叫び始める。
「慈悲深くもAIじゃなく人間を使ってくださって、こんな私達を生かしてくださっているのは、Cランクより上の方々なのに……! 大変失礼なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした。どうか非礼をお許しください。この通りです!!」
ついには両膝をついて地面に額を擦り付けて謝罪を始めた。律歌に咎めたつもりはまったくなかったのだが、また何か誤解を生んだらしい。
「ちょ、ちょっと待って、私の方こそ、そんなつもりじゃ……。ごめんなさい、お顔をあげてください」
「ごめんなさい! お助けください! どうか、Eランクに落とさないで! 妻子がいるんです! Eランクになんて、あんまりです!」
「落ち着いて、落ち着いてください! 私にはそんな権限なんてないですし、あったとしてもそんなことをするつもり、まったくなくて……! ただ、話を伺いたいって、それだけで」
「お許しください! さきほどの非礼はお詫びしますから……!」
埒が明かない。しかも、何やら自分がいたぶっているような空気で、周囲からどんどん人が離れていくではないか。
(どうしよう……、このままじゃ、何も聞き込みできないわ……!)
そこへ割って入ってきたのは支倉だった。
「お前、静かにしろ。本当にランクを落とされたいのか」
若きエリート官僚支倉はドスの利いた声で囁き、唇を寄せてしゃがみこむ。
「ひええっ」
「大人しく言うとおりにすれば、減点もせずこのまま解放してやる」
明らかに年上の中年男性相手に命令口調で――整えられた髪型とスーツも相まって、これはもうインテリヤクザみたいだ。さっきまで品行方正な優等生公務員という感じだったのに、荒々しい一面を垣間見てしまって面食らう。
(こ……怖っ。支倉くん。そんなことしたら、ますますパニックにさせるんじゃ)
「は……はい」
だが意外にも、男は大人しく頷いて次の言葉を待つ。
「よし。質問に答えろ」
支倉は顔を離すと、一段上の高みから、動物でも手懐けるように明確に指示を出す。
「Eランクのことを知りたい。知っていることを説明しろ」
「え、ええと……」
「まず、さっきのは何だ? Eランクの男が、痙攣したように倒れたのは」
男が迷うそぶりを見せるとすかさず具体的な問いに変えているのを見ると、無駄にプレッシャーをかけたり、弄んで苛めたりしているわけではなく、意外にもちゃんと情報を引き出すための作戦なのかもしれない。支倉の狙い通りなのか、跪いたままの男は冷静さを取り戻したようにはっきりとした口ぶりで答えた。
「あれは電罰です」
「電罰?」
支倉が聞き返し、同じく律歌も耳を傾ける。まさか。魚のようにビクビクと痙攣しのたうつ姿が思い起こされる。やめて、と懇願していた。
「Eランクは、Cランクの人から電気ショックの罰を受けます」
あれは――電気ショックによるもの。同じ人間に対して、なんてむごいことを……。律歌は口を挟まず、固唾を呑んで待つ。
「いつからだ」
「今までも、ずっと、数年前からありましたけど……。でも、前は隠れたところでやられていたんです。それが半月くらいから、新しいアバタースーツが再支給されて、堂々とやるようになってきて」
半月前といえば、
「国会閉会のタイミングだ」
支倉と顔を見合わせる。法が施行された頃だ。やはりこれまでは労働法が一応は抑止力となっていたのだろう。企業自治を認める法案が可決されるのを企業側は今か今かと待っていて、可決直後、体罰を正式に組み込んだということだ。
「えっ、えっと、私、何かまずいことを……?」
「いいえ、ありがとうございます!」
「も、もし、私が密告しただなんて言われたら……!」
声を荒げて律歌に縋りついてくる。
「だ、大丈夫ですってば」
あまり大きな声を出すと人が来てしまう。同じことを思ったらしい支倉がまた間に入ってきた。
「黙れ。俺の質問に答えろ。俺はGUEST3、こちらのお方はGUEST4だ。Cランクと比べて、どっちに付けばいいか、わかるな?」
思わず苦い顔になりそうになるのを堪える。ここは、偉い人なのだとふんぞりかえるくらいのほうが役に立てるのではなかろうか。そんな努力が実ったのか、
「はい……監督より上の権力を持っているんだから、そうですよね……。はい……」
また大人しくなる男に、支倉は続けて事情聴取を行う。
「お前も電罰を受けたことはあるのか」
「昔、一度だけ……。私らDランクも、たまにはあるんですが、よっぽどの理由じゃないと、されませんのです。なんでも、CランクがDランクにやるには、調書が必要みたいで、それがめんどうなんだそうです。でも、Eランクは、無条件・無制限だから、監督も気軽にやるんですわ。電極の威嚇はしょっちゅう。痛くはないんですけど、こええんです」
するとその瞬間、
「こらあ! そこでなにしとる!!」
両肩の外側部分にバチバチバチっとスパークが見えた。これが威嚇か。
「監督! あああああの……ゲスト様……」
男に乞われるような目を向けられる。
「先生、他にご質問は」
「そうね……ないわ」
「承知しました。――もういいぞ。行け」
「へい……失礼します!」
脱兎のごとく駆け出すD1ランクの男。
「ここでの下位ランク者の扱い方がわかってきました」
見送る支倉は平然とした顔でピースサインを送ってくる。
「あなた、ここに来たことあるの?」
「いいえ。これが初めてです。ここでは、ランクがすべてですから、上下をはっきりさせたほうが話が早いですね。軍隊みたいに」
そう言われてしまえば、わーわー騒がせてばかりだった自分は何も言えない。
「だとしても……すごい対応力ね……」
そうですか? 恐れ入ります、と軽く流された。
「でもこれで判明しました。電罰というのがあり、それは数年前から行われてきたものの、国会閉会後に、改めて大々的に行われるようになった、と」
「そうね」
家畜に鞭打つようにして、電気ショックで脅して、走らせる。人間扱いしてほしくば、ランクを維持しろと。それを批判する気持ちでいたものの、自分だって高ランクの特権使用に始まり、暴力的な支配体制も利用して情報を得てしまった。たしかにこれは恐ろしいほどの誘惑かもしれない。
「よかったですね先生。これで手がかりが増えました」
支倉に嬉しそうに言われたが、とても喜ぶ気にはならない。どうしようもなく強力で凶悪な世界。人として弱い自分。川橋に天然水のペットボトルを渡され、ぎゅっときつく握りしめてしまった。こういう時、蓋は開いていなくて、律歌が川橋を見上げると、彼は頷いて、それから開けてくれた。
世界をただ憎むだけじゃだめなのだ。もちろん自分の弱さを憎むだけでもだめ。その仕組みが成立してしまうことを受け入れて、改善をしていかなくては。それが私の仕事だ、と、律歌はぐっと水を呷った。
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