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『霞の庭』第一章 国会議員 末松律歌

4・日本一のブラック企業 日楽食品へ

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 集団の先頭を歩く五十代前半くらいの風格ある七三分けの眼鏡の男が、丁寧に名刺を差し出してきた。
「これはこれは、遠路はるばるお越しいただきまして、お疲れ様でございました。総務部部長の尾畑おばた寛樹ひろきです」
 部長、といえばかなりの決定権を持つ、経営者側の立場だ。彼の頭上には「A3」というホログラム表示が堂々と浮かんでいた。総務部次長の井内いうち、食品コピー部門食品スキャン部和食課課長の吉浦よしうら、労働組合長のみねなど、次々に紹介されていくが、彼らの頭上にも同様に「A1」や「B3」といった表示がされている。これはおそらく企業内ランクだ、と律歌は思った。噂には聞いていた。ブラック企業がブラックたる所以ゆえんは、AI判定で付与される企業貢献ポイントを、社員に競わせているところにあると。こうして常に目に見える形で掲げられ、競争心を煽られるというわけだ。
「厚生労働委員会より参りました、衆議院議員の末松律歌です」
 律歌が名乗ると、支倉も続くように進み出て、
「厚生労働省医薬食品局、支倉旭です」
 と名刺を差し出した。そういえば、自分達の頭上に浮かぶ「GUEST」の表記の末尾に数字がくっついていることに気が付いた。支倉の表記は「GUEST3」であり、律歌の表記は「GUEST4」だ。川橋に至っては「GUEST2」おそらく客人にまでランク付けをしているのだろう。……ちょっと失礼な気がするが。
 名刺交換が済んだところで、今度は先方の用意した高級感あふれる無人タクシーに乗り込む。律歌達の車には尾畑部長も同乗することに。律歌が臨戦態勢で街並みにまた視線を向けようとした時、部長は「簡単に弊社の紹介をば」と前置きして話し始めた。
「日楽食品株式会社は岐阜県関市、美濃市から郡上、下呂、高山までの敷地を持つ総合食品会社でございます。日本での業績ランキングはフジタ自動車さんに次ぐ第二位。世界中の誰もが知る「CUPUDON」といったインスタント食品から始まり、冷凍食品、真空パック、瓶詰・缶詰と裾野を広げていき、乾麺、パン、牛乳……今ではスーパーに並んでいるものほとんどの食品全般に及びます」
 車内のホログラムディスプレイを用いて、移動中の時間を使って説明するつもりのようである。
「元々は即席麺から始まったんですね」
 律歌は軽く相槌を打ち、耳を傾ける。
「はい。そこからさらに「スーパーマーケット日楽」をはじめとする小売業も手掛けています。また外食産業で代表的なのは「ファミレス日楽」「和食処日楽」「中華レストラン日楽」、食品配達事業「日楽の宅食」も全国的に展開。また産地直送や調理・加工に適した作物を生産するため、農業や漁業も行っております。近年では最先端のフードテック開発に力を入れていて、フードロボットの販売などもしています。そして3Dフードプリンターとその食品データの研究・開発ですね。今はこれに非常に力を入れています。このように多岐にわたり日本だけでなく世界の食を支えて参りました」
 ブラック企業として悪名高くもあるが、それでも日楽食品株式会社は世界に誇る大企業。社会に対して圧倒的な貢献をしている。公平に、それは認めなければならない。が、厚生労働委員会が形だけでも調査にやってきたら日楽食品もネガティブな面は隠すだろう。穿った見方をする訳にはいかないものの、対決するつもりで臨むくらいでちょうどいい。部長は淀みなく話し終えると、
「社長応接室に着くまでに弊社の中間値であるCランクが多く属するオフィスや暮らしを見ていただこうかと思っています」
 ホログラムディスプレイに表示した地図の下部にある関市を指さした。ここがCランクエリアなのだそうだ。
「弊社では、充実したプライベートを送れるよう、映画館併設の大型ショッピングモールを各地に作っております。食品はもちろん、ファッション、生活雑貨、書籍、スポーツ用品まで、あらゆる店舗がそろっています」
 部長が窓の外を見るよう促す。立体駐車場と、大きな商業施設が聳《そび》え立っていた。連絡通路を行き交う人々の影が見える。とても賑わっていることが伺える平和な光景に、律歌は目を細めた。こんな風に、人間が、人間らしく暮らしていてくれたら、どんなに素晴らしいか。
「またエリアの外にはなりますが、岐阜県北部の飛騨には大自然の中の遊園地もございます。もちろん温泉も。そして弊社は建築も手がけておりますので、ごく一般的な社員でもマイホームの夢を叶えることができます。公園や自然も日楽の手によって安全に運営されていますし、弊社運営の二十四時間の役所もございますので、各種手続きも簡単です。順々にご案内いたしますね」
 一軒家の庭で洗濯物を干す主婦がいた。頭上にはD1-C2という形に二つ連なっている。結婚すると表記が変わるらしい。
「弊社では、昨今では希少となった週休二日を実現しております」
 信じられない言葉が飛び出し、律歌は部長に視線を戻した。
 週休二日?
 そんなものこの国にはもう、無くなって久しいというのに。
 部長はにこにこと頷いている。
 衣食住、生活のあらゆるものを企業が提供しているという。
 日本の食を支えるという夢、充実したライフプラン。
 日楽食品で働きたいと望むものは、多いだろう。
 もしも――これが本当に、真実の姿なら。
「こちらが、弊社一般社員のオフィスビルです。中をご案内いたします」
 後続の車も停まって、真新しいビル(エレベーターに乗る時に見たら十階建てだ)へとまたぞろぞろと大所帯で入ることになった。空調の効いた室内、行き合う社員に挨拶をされながら律歌達一行は二階にある広々としたオフィスに案内された。社員一人一人がそれぞれホログラムディスプレイを操作しながら、エビフライの衣らしき3Dモジュールやら、味噌汁の具材のワイヤフレーム、などなど食品の立体データを作っているようだ。調理エリアもあり、板前の切った刺身が台に載せられ、今まさにスキャンされているのもある。
 部長に促されて食品コピー部門食品スキャン部和食課吉浦課長が進み出てくる。
「現在は3Dフードプリンターのデータ作成作業を皆で忙しくやっていますね」
「3Dフードプリンターって、今はまだ工場内部とか、限定的な使用に留まっていると思っていましたが」
 健康状態に合わせた流動食を生成できるということで、3Dフードプリンターが介護現場で重宝されているのは律歌も知っていた。
「はい。工場の他には介護施設での流動食などが今は有名ですが、我々は次のパラダイムシフトを起こすため、こうして食品データを作成しているのです」
 しかし、今はここまで細かいデータを作っているとは、いったい、どんな未来に繋がるのだろう。
 今度は四方を支柱に囲まれた台の前に案内される。チューブに繋がれた機械が下りてきて、台の上に、何かを、下から順々に精緻に積み上げていく。なんだろう。初めは黄色い円が現れていたが、その周囲は白くて、これは……おや。みるみるうちに真っ白く覆われていき、ケーキになった。ウェディングケーキだ。作る過程で中のスポンジもちゃんと構成されているのがわかった。しかも、苺まで出力されていた。完成してから気付いたが、デコレーションが細かい。随所にあしらわれたこの薄紅色のバラの花は何でできているのだろうか。
「このケーキは世界最高峰のブライダルシェフであるマエル・クレティエンの手掛けた作品をスキャンし、データとして微調整して出力したものです。これからは最高の味がデータとして保存され、そのデータが時を重ね改良されていくわけです」
「すごいのね……」
 革新的だ。これがあれば、飲食業の自動化は爆発的に進み、高品質なものを低価格に提供できるようになる。いや、飲食店という概念そのものがなくなるかもしれない。冷蔵庫の代わりに各家庭に一台置かれ、カートリッジとデータを購入して自動調理。ホロアバターが流行り出した時もそうだったが、SNSでレシピを公開すればそれをダウンロードした者が同じ味を再現でき、瞬時に拡散することだろう。
「高級料亭の味も即席に再現する。それが日楽食品のヴィジョンです」
 ついにここまで来たか、という感じだ。
「いずれ世界からシェフは消えるんでしょうね」
 律歌が言うと、部長も課長も、その後ろの人々もにっこりと頷いた。
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