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4・断ってしまいたいけれど、 -2-
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気の乗らないことを誇示するためにわざと一足遅らせて俺はホールに入る。
無数に焚かれた蝋燭の炎がホールのあちこちに施された鏡に反射してより一層光を増して俺の目に突き刺さった。
そのせいで室内は昼間のように明るかった。
採光の悪い為に昼間でも暗いキープの生活に慣れている俺の目には正直まぶしすぎる。
「遅かったな」
とりあえず王座の隣へ足を向けると不満そうに言われた。
「何分国境付近の田舎の砦になど引っ込んでいると、準備に手間取りますもので」
すまして答える。
その間に侍従長に案内されて一人の女が俺の前に現れる。
抜けるような白い肌、蒼い瞳の印象的な、そこらへんではお目にかかれないほどの美人だ。
「陛下、そちらがご子息様ですか? 」
女は小首を傾げると広げた扇の陰から上目遣いに俺に視線を送ってくる。
「ああ、王太子のフローだ。
よろしく頼むよ、シトリン王女」
普段は難しい顔を崩しもしない父上が、かろうじて笑みを浮かべている。
口調もかなり穏かだ。
「はじめまして、フロー殿下。
シトリン・ペアシェイプと申します」
父上の言葉を受けて王女はドレスの裾を軽くあげ優雅な仕草で膝を折る。
「フローだ。
よろしく姫君」
拗ねてばかりいる訳にいかないので、マナーどおりに王女の手をとりその甲に軽く唇を寄せる。
「一曲、踊っていただけますか? 」
おりよく流れ出したワルツに乗じて誘いを入れた。
踊ってれば、妙な会話を続けるよりは間が持つ。
会話が途切れても、ステップに気を取られたことにすれば問題ない。
「喜んで、お受けいたしますわ」
穏かな笑顔と共に差し出された手をとり、ホールの中央へ進み出た。
案の定と言うべきか、王女のダンスの腕はかなりのものだった。
先ほどのお辞儀の仕草といい、優雅そのもので絶対兄上の好みにぴったりだと思う。
ただ、こういう型に嵌まったタイプ、俺はどっちかと言うと苦手。
少し位ダンスが下手でも言葉遣いがぞんざいでも、そのほうが気楽だ。
ついでにいかにものこんな作り笑いじゃなく、屈託なく笑ってくれたら最高だ。
脳裏に浮かんだ蛍の笑顔にそう思う。
そういえばあいつ、ダンスなんか踊れるんだろうか?
馬に乗れないことを考えると、ダンスのステップも知らないような気がする。
「何を考えていらっしゃいますの? 」
ステップを踏みながら俺を見上げて王女が訊いてくる。
鋭い。
女性相手にダンスを踊りながら他の女のことを思い浮かべているなんて失礼この上ないことをしているのを、すっかり見透かされているようだ。
「あ、いや。
姫君のような女性がタイプだって奴がいたと思って…… 」
しどろもどろにはぐらかす。
「それって、フロー殿下はわたくしがお気に召さないということですの? 」
少し拗ねた封に王女は頬を膨らませた。
完璧な容姿に完璧な仕草。
ともすれば堅苦しいことこの上なさそうだったからか、その仕草が可愛く思えた。
蛍ならこういったとき、きっと俺を罵倒するだろう。
「ほら、また。そんなお顔をなさって…… 」
事あるたびに蛍を引き合いに出す俺の視線は遠くを泳いででもいたのだろう。
王女はそこをついてくる。
「別に嫌いという訳じゃないけどな。
君だって理想のタイプ、俺じゃないだろう? 」
「あら、そんな、でも…… 」
王女は否定しながらも戸惑った声をあげる。
案の定、同じことを思っていそうだ。
「でも、仕方のないことでしょう?
王家の血筋に生まれた以上、これがわたくしの使命なんだって覚悟はできておりますのよ」
真直ぐに俺を見つめて王女は言う。
年齢は俺より若干若いくせに、こういう覚悟ができているところは俺より大人だ。
俺は……
未だに諦めきれない。
「いいわ、今度さっき仰った方をご紹介して下さったら許して差し上げましてよ」
少しは腹を立てているのだろう。
浮かべた笑顔が嘘っぽい。
「ああ、じゃぁ今度。
なるべく近いうちに機会を作るから…… 」
言い終わらないうちに曲が終わる。
ともかく、一曲踊れば義理は果たした。
「お相手していただけて楽しかったですわ。
お約束忘れないで下さいね」
相手もそう思っているのだろう。
挨拶が済むと早々にそう言って立ち去っていった。
それから数日間。
晩餐会に、遠乗り、そして茶会に音楽会。
王女を退屈させまいと催し物が目白押しに続く。
さすがに俺も閉口し始めた。
キープにはまた山ほどの稟議書や陳情書をはじめとする書類。返信の欠かせない手紙の山ができているはずだ。
それに、蛍。
一応釘は刺しておいたが、もし兄上にそそのかされて専属魔女の契約を兄上と結んでしまったらと思うと気が気ではない。
こんなところで暢気に遊んでいる暇はない。
いい加減帰りたい。
そんな思いが頭をもたげてくる。
正直王女に気を使うのも飽き飽きだ。
いっその事、王女を連れてキープに戻ろうか?
そんなことまで考える。
連れて行ってしまえば兄上を紹介できるし、何よりこの厄介な相手を押し付けられる。
蛍を目の届くところにおいて置ける。
とは言っても……
それ以前にどう兄上のことを王女に説明すべきか、思案する。
呪いのことはあくまでも国の中での秘密だ。
国外に流布できるものじゃない。
「フロー殿下、何を考えていらっしゃるの?
今日は城下を案内して下さるお約束できたわよね? 」
食後のお茶を傾けながらの時、王女の声が耳に届く。
「え? ああ…… 」
そういえば先日遠乗りの際にそんな約束をしたような、しなかったような……
駄目だ。
考えることが多すぎて完全に思考が飛んでいる。
「忘れていたとは言わせませんわ。
わたくし楽しみにしておりましたのよ」
何処の国でもあまり変り映えしない宮廷行事には飽き飽きしていたのだろう。
王女は今まで見せたことのない、期待に満ちた笑顔を向けた。
王女を伴い、賑わう城下のマーケットで俺はぶつなった。
「城下になんかでたって、面白いことないだろう? 」
欲しいものは出入りの業者に申し付ければ大体手に入る。
と、言うか。
王室御用達の豪華な物はこんなところで扱っていない。
贅をつくした華やかな物で囲まれた環境で育った異国の姫君にとって此処で扱われている物など貧相に見えるのは間違えない。
蛍だったらきっと目を丸くしてはしゃぎまわるような気がするが。
「ほら、また上の空」
耳もとで囁かれた声に俺は我に帰る。
「んぁ?
そうじゃないぜ。
こうして歩いてマーケットを巡るのは久しぶりだから感心してただけだ」
王女の言葉を含めて俺は慌てて否定する。
どうしてこんな時にまで蛍の顔が浮かぶんだろうか?
せっかく出てきた城下の街だ。
見るべきものはたくさんある。
ついでに街の人間とも話をしたいが、王女を連れていてはそれは無理だろう。
「いずれご自分が治めることになる街なのに、久しぶりなんてことでよろしいの? 」
王女がやんわりと笑みを浮かべる。
「ああ、王太子に任命されてから国境のキープ周辺が俺の領地だからな。
正直王都に戻ったのも久しぶりだ」
「王太子様が、どうしてそのような辺境に追いやられなくてはいけませんの? 」
王女が不思議そうに首を傾げた。
「この国の国王の片腕が魔女なのは知っているだろう? 」
「ええ、確かお抱えの魔女を持たなければ王位は継げないと聞いておりますわ。
ですが確か、ただの王権の象徴だとか? 」
「ああ、今はな。
大昔は文字通り王の片腕だった。
魔女の能力を借りて王は国を治めていたんだ。
魔女の能力も今とは比較にならないほど強かった。
その魔女が複数一つところにいたら、お互いの能力が反応しあってどんなことが起きるかわからなかった。
だから国王の魔女が王都にいる間、王太子とその魔女は隔離されていたんだよ。
歴代の王太子が辺境暮らしなのはその名残だ」
「ですが、一つところにいてはいけないのは魔女のほうだったのでしょう? 王太子様までが常時辺境にいる必要はないんじゃなくて? 」
王女は痛いところを突いてくる。
まるで俺がキープに気を取られているのを見透かしたようだ。
「気が楽なんだよ」
正直窮屈な王宮を離れてのキープの暮らしはそこそこ気に入っている。
何よりあの兄の顔を見ずに済むことが。
ただしあの書類の山がなければの話だ。
「それより、率先して城下を見たいって言うお前の方が俺には謎だ」
「わたくし? 」
その言葉に王女は首を傾げた。
「少なくとも俺の知っているご令嬢は庶民のごった返す街中に引っ張り出したらあからさまに眉を顰める。
汚いの、粗野だのってな」
「そうかしら?
わたくしは面白いと思いましてよ。
王宮は何処にいても変わりませんもの。
此処ならほら、普段見られないものも見られますし」
王女は先ほどから興味深そうに覗いていた店先に並んだ木工品の一つを取り上げる。
山村の住人が手がける小鳥の木彫は精緻を極め、森に棲む小鳥の姿そのものに羽の筋一本一本まで彫りあげ彩色されている。
この国の特産品の一つだが、たそれらはあまり珍しいものではない。
「そんなものの何処が面白いんだよ? 」
「こういう細かな彫り物国にはありませんもの。
この子なんて本当に生きているみたい…… 」
吸い込まれそうな蒼い瞳でじっと見つめるその様はなんだか蛍を連想させた。
「あと、あちら!
あの木の皮で編んだ籠みたいなもの、なんですの? 」
少しはしゃいだ声をあげ王女は次の店先に視線を移す。
夜会で貴族に囲まれているうちはあんなに王女然としてたのに、一歩王宮を出た王女はなんだか普通の女の子のように見えた。
同時にその姿に蛍が重なる。
「ほら、またそのお顔…… 」
気が付くとまたしても王女に顔を覗き込まれていた。
「いいわ、そろそろ開放して差し上げます。
思い人にお返しするわ」
呆れたようにため息をつかれた。
「いや、そんなんじゃ、な…… 」
「嘘を仰っても無駄ですわよ。
事あるごとにわたくしに誰かを重ねていらして。
それとも無自覚なのかしら?
本当なら失礼なって怒り出したいところですけど」
否定しようとした言葉をやんわりとした笑顔で封じられた。
「今日は、少し疲れましたわ。
わたくし、一足お先に帰らせていただきますわね」
王女はそう言うと一歩俺から距離を取る。
「じゃ、帰るか」
「結構よ」
慌てて後を追いかけようとした俺を、背を向けたままの王女の声が制する。
「今までお付き合いいただいたお礼に、少しだけお時間を差し上げますわ。
ですから、よくお考えになって」
何もかも見透かしたように言うと、王女は笑みを浮かべ従者を引き連れて人込みの中に消えていった。
「……なんだよ、無自覚って? 」
往来に一人残され、俺はポツリと呟く。
「よ、殿下。
さっきの美人さんと喧嘩でもしたのかい? 」
からかうような声に視線を向けると、さっき立ち寄った彫り物屋の主人の顔があった。
「いや、喧嘩と言うか……
一方的に怒られたというか」
自分でも訳のわからない状態に曖昧に答える。
「だったらほら、よ」
主人が何かを俺に放ってよこす。
先ほど王女が手にとって興味深そうに手にとっていた小鳥の木彫が俺の手におさまる。
「プレゼントでも持って謝るんだな」
一方的に決め付けて笑う。
「ああ、そうする。
オヤジ、これいくらだ? 」
謝るとか謝る以前の問題とか俺自身にもよくわかっていないが、とりあえずせっかくのアドバイスを無視するのも悪いような気がして、俺は言われるままにそれを受け取りポケットの銅貨を探る。
「いや、いいよ。
殿下にはいつも世話になってるからな」
主人は首を横に振った。
「その代わり、さっきの美人さんと上手くいった暁には俺が一役買ったんだって自慢させてくださいよ」
俺に気を使わせないようにか、主人はわざとらしくそう言う。
「だから、そういうのじゃないって」
慌てて否定した俺の視界に、一つの小箱が飛び込んできた。
全体を精緻な寄木細工で作られた掌よりやや大きいオルゴール。
そういえば出掛けに約束させられた蛍への土産、まだ何も考えていなかった。
何の根拠もなく、そう思い俺はうろたえた。
王女が臍を曲げるのも無理はない。
思い返すと明らかに、王女の言動に蛍を重ね、事あるごとに蛍の顔を思い浮かべている自分がいた。
それは兄上の側に残してきてしまったための心配とかではなく、明らかに別の類のものだ。
「じゃ、オヤジ。
これは買ってく」
少し多いのを承知で銀貨をつまみ出すとそれを主人の手に握らせ俺は店を後にした。
無数に焚かれた蝋燭の炎がホールのあちこちに施された鏡に反射してより一層光を増して俺の目に突き刺さった。
そのせいで室内は昼間のように明るかった。
採光の悪い為に昼間でも暗いキープの生活に慣れている俺の目には正直まぶしすぎる。
「遅かったな」
とりあえず王座の隣へ足を向けると不満そうに言われた。
「何分国境付近の田舎の砦になど引っ込んでいると、準備に手間取りますもので」
すまして答える。
その間に侍従長に案内されて一人の女が俺の前に現れる。
抜けるような白い肌、蒼い瞳の印象的な、そこらへんではお目にかかれないほどの美人だ。
「陛下、そちらがご子息様ですか? 」
女は小首を傾げると広げた扇の陰から上目遣いに俺に視線を送ってくる。
「ああ、王太子のフローだ。
よろしく頼むよ、シトリン王女」
普段は難しい顔を崩しもしない父上が、かろうじて笑みを浮かべている。
口調もかなり穏かだ。
「はじめまして、フロー殿下。
シトリン・ペアシェイプと申します」
父上の言葉を受けて王女はドレスの裾を軽くあげ優雅な仕草で膝を折る。
「フローだ。
よろしく姫君」
拗ねてばかりいる訳にいかないので、マナーどおりに王女の手をとりその甲に軽く唇を寄せる。
「一曲、踊っていただけますか? 」
おりよく流れ出したワルツに乗じて誘いを入れた。
踊ってれば、妙な会話を続けるよりは間が持つ。
会話が途切れても、ステップに気を取られたことにすれば問題ない。
「喜んで、お受けいたしますわ」
穏かな笑顔と共に差し出された手をとり、ホールの中央へ進み出た。
案の定と言うべきか、王女のダンスの腕はかなりのものだった。
先ほどのお辞儀の仕草といい、優雅そのもので絶対兄上の好みにぴったりだと思う。
ただ、こういう型に嵌まったタイプ、俺はどっちかと言うと苦手。
少し位ダンスが下手でも言葉遣いがぞんざいでも、そのほうが気楽だ。
ついでにいかにものこんな作り笑いじゃなく、屈託なく笑ってくれたら最高だ。
脳裏に浮かんだ蛍の笑顔にそう思う。
そういえばあいつ、ダンスなんか踊れるんだろうか?
馬に乗れないことを考えると、ダンスのステップも知らないような気がする。
「何を考えていらっしゃいますの? 」
ステップを踏みながら俺を見上げて王女が訊いてくる。
鋭い。
女性相手にダンスを踊りながら他の女のことを思い浮かべているなんて失礼この上ないことをしているのを、すっかり見透かされているようだ。
「あ、いや。
姫君のような女性がタイプだって奴がいたと思って…… 」
しどろもどろにはぐらかす。
「それって、フロー殿下はわたくしがお気に召さないということですの? 」
少し拗ねた封に王女は頬を膨らませた。
完璧な容姿に完璧な仕草。
ともすれば堅苦しいことこの上なさそうだったからか、その仕草が可愛く思えた。
蛍ならこういったとき、きっと俺を罵倒するだろう。
「ほら、また。そんなお顔をなさって…… 」
事あるたびに蛍を引き合いに出す俺の視線は遠くを泳いででもいたのだろう。
王女はそこをついてくる。
「別に嫌いという訳じゃないけどな。
君だって理想のタイプ、俺じゃないだろう? 」
「あら、そんな、でも…… 」
王女は否定しながらも戸惑った声をあげる。
案の定、同じことを思っていそうだ。
「でも、仕方のないことでしょう?
王家の血筋に生まれた以上、これがわたくしの使命なんだって覚悟はできておりますのよ」
真直ぐに俺を見つめて王女は言う。
年齢は俺より若干若いくせに、こういう覚悟ができているところは俺より大人だ。
俺は……
未だに諦めきれない。
「いいわ、今度さっき仰った方をご紹介して下さったら許して差し上げましてよ」
少しは腹を立てているのだろう。
浮かべた笑顔が嘘っぽい。
「ああ、じゃぁ今度。
なるべく近いうちに機会を作るから…… 」
言い終わらないうちに曲が終わる。
ともかく、一曲踊れば義理は果たした。
「お相手していただけて楽しかったですわ。
お約束忘れないで下さいね」
相手もそう思っているのだろう。
挨拶が済むと早々にそう言って立ち去っていった。
それから数日間。
晩餐会に、遠乗り、そして茶会に音楽会。
王女を退屈させまいと催し物が目白押しに続く。
さすがに俺も閉口し始めた。
キープにはまた山ほどの稟議書や陳情書をはじめとする書類。返信の欠かせない手紙の山ができているはずだ。
それに、蛍。
一応釘は刺しておいたが、もし兄上にそそのかされて専属魔女の契約を兄上と結んでしまったらと思うと気が気ではない。
こんなところで暢気に遊んでいる暇はない。
いい加減帰りたい。
そんな思いが頭をもたげてくる。
正直王女に気を使うのも飽き飽きだ。
いっその事、王女を連れてキープに戻ろうか?
そんなことまで考える。
連れて行ってしまえば兄上を紹介できるし、何よりこの厄介な相手を押し付けられる。
蛍を目の届くところにおいて置ける。
とは言っても……
それ以前にどう兄上のことを王女に説明すべきか、思案する。
呪いのことはあくまでも国の中での秘密だ。
国外に流布できるものじゃない。
「フロー殿下、何を考えていらっしゃるの?
今日は城下を案内して下さるお約束できたわよね? 」
食後のお茶を傾けながらの時、王女の声が耳に届く。
「え? ああ…… 」
そういえば先日遠乗りの際にそんな約束をしたような、しなかったような……
駄目だ。
考えることが多すぎて完全に思考が飛んでいる。
「忘れていたとは言わせませんわ。
わたくし楽しみにしておりましたのよ」
何処の国でもあまり変り映えしない宮廷行事には飽き飽きしていたのだろう。
王女は今まで見せたことのない、期待に満ちた笑顔を向けた。
王女を伴い、賑わう城下のマーケットで俺はぶつなった。
「城下になんかでたって、面白いことないだろう? 」
欲しいものは出入りの業者に申し付ければ大体手に入る。
と、言うか。
王室御用達の豪華な物はこんなところで扱っていない。
贅をつくした華やかな物で囲まれた環境で育った異国の姫君にとって此処で扱われている物など貧相に見えるのは間違えない。
蛍だったらきっと目を丸くしてはしゃぎまわるような気がするが。
「ほら、また上の空」
耳もとで囁かれた声に俺は我に帰る。
「んぁ?
そうじゃないぜ。
こうして歩いてマーケットを巡るのは久しぶりだから感心してただけだ」
王女の言葉を含めて俺は慌てて否定する。
どうしてこんな時にまで蛍の顔が浮かぶんだろうか?
せっかく出てきた城下の街だ。
見るべきものはたくさんある。
ついでに街の人間とも話をしたいが、王女を連れていてはそれは無理だろう。
「いずれご自分が治めることになる街なのに、久しぶりなんてことでよろしいの? 」
王女がやんわりと笑みを浮かべる。
「ああ、王太子に任命されてから国境のキープ周辺が俺の領地だからな。
正直王都に戻ったのも久しぶりだ」
「王太子様が、どうしてそのような辺境に追いやられなくてはいけませんの? 」
王女が不思議そうに首を傾げた。
「この国の国王の片腕が魔女なのは知っているだろう? 」
「ええ、確かお抱えの魔女を持たなければ王位は継げないと聞いておりますわ。
ですが確か、ただの王権の象徴だとか? 」
「ああ、今はな。
大昔は文字通り王の片腕だった。
魔女の能力を借りて王は国を治めていたんだ。
魔女の能力も今とは比較にならないほど強かった。
その魔女が複数一つところにいたら、お互いの能力が反応しあってどんなことが起きるかわからなかった。
だから国王の魔女が王都にいる間、王太子とその魔女は隔離されていたんだよ。
歴代の王太子が辺境暮らしなのはその名残だ」
「ですが、一つところにいてはいけないのは魔女のほうだったのでしょう? 王太子様までが常時辺境にいる必要はないんじゃなくて? 」
王女は痛いところを突いてくる。
まるで俺がキープに気を取られているのを見透かしたようだ。
「気が楽なんだよ」
正直窮屈な王宮を離れてのキープの暮らしはそこそこ気に入っている。
何よりあの兄の顔を見ずに済むことが。
ただしあの書類の山がなければの話だ。
「それより、率先して城下を見たいって言うお前の方が俺には謎だ」
「わたくし? 」
その言葉に王女は首を傾げた。
「少なくとも俺の知っているご令嬢は庶民のごった返す街中に引っ張り出したらあからさまに眉を顰める。
汚いの、粗野だのってな」
「そうかしら?
わたくしは面白いと思いましてよ。
王宮は何処にいても変わりませんもの。
此処ならほら、普段見られないものも見られますし」
王女は先ほどから興味深そうに覗いていた店先に並んだ木工品の一つを取り上げる。
山村の住人が手がける小鳥の木彫は精緻を極め、森に棲む小鳥の姿そのものに羽の筋一本一本まで彫りあげ彩色されている。
この国の特産品の一つだが、たそれらはあまり珍しいものではない。
「そんなものの何処が面白いんだよ? 」
「こういう細かな彫り物国にはありませんもの。
この子なんて本当に生きているみたい…… 」
吸い込まれそうな蒼い瞳でじっと見つめるその様はなんだか蛍を連想させた。
「あと、あちら!
あの木の皮で編んだ籠みたいなもの、なんですの? 」
少しはしゃいだ声をあげ王女は次の店先に視線を移す。
夜会で貴族に囲まれているうちはあんなに王女然としてたのに、一歩王宮を出た王女はなんだか普通の女の子のように見えた。
同時にその姿に蛍が重なる。
「ほら、またそのお顔…… 」
気が付くとまたしても王女に顔を覗き込まれていた。
「いいわ、そろそろ開放して差し上げます。
思い人にお返しするわ」
呆れたようにため息をつかれた。
「いや、そんなんじゃ、な…… 」
「嘘を仰っても無駄ですわよ。
事あるごとにわたくしに誰かを重ねていらして。
それとも無自覚なのかしら?
本当なら失礼なって怒り出したいところですけど」
否定しようとした言葉をやんわりとした笑顔で封じられた。
「今日は、少し疲れましたわ。
わたくし、一足お先に帰らせていただきますわね」
王女はそう言うと一歩俺から距離を取る。
「じゃ、帰るか」
「結構よ」
慌てて後を追いかけようとした俺を、背を向けたままの王女の声が制する。
「今までお付き合いいただいたお礼に、少しだけお時間を差し上げますわ。
ですから、よくお考えになって」
何もかも見透かしたように言うと、王女は笑みを浮かべ従者を引き連れて人込みの中に消えていった。
「……なんだよ、無自覚って? 」
往来に一人残され、俺はポツリと呟く。
「よ、殿下。
さっきの美人さんと喧嘩でもしたのかい? 」
からかうような声に視線を向けると、さっき立ち寄った彫り物屋の主人の顔があった。
「いや、喧嘩と言うか……
一方的に怒られたというか」
自分でも訳のわからない状態に曖昧に答える。
「だったらほら、よ」
主人が何かを俺に放ってよこす。
先ほど王女が手にとって興味深そうに手にとっていた小鳥の木彫が俺の手におさまる。
「プレゼントでも持って謝るんだな」
一方的に決め付けて笑う。
「ああ、そうする。
オヤジ、これいくらだ? 」
謝るとか謝る以前の問題とか俺自身にもよくわかっていないが、とりあえずせっかくのアドバイスを無視するのも悪いような気がして、俺は言われるままにそれを受け取りポケットの銅貨を探る。
「いや、いいよ。
殿下にはいつも世話になってるからな」
主人は首を横に振った。
「その代わり、さっきの美人さんと上手くいった暁には俺が一役買ったんだって自慢させてくださいよ」
俺に気を使わせないようにか、主人はわざとらしくそう言う。
「だから、そういうのじゃないって」
慌てて否定した俺の視界に、一つの小箱が飛び込んできた。
全体を精緻な寄木細工で作られた掌よりやや大きいオルゴール。
そういえば出掛けに約束させられた蛍への土産、まだ何も考えていなかった。
何の根拠もなく、そう思い俺はうろたえた。
王女が臍を曲げるのも無理はない。
思い返すと明らかに、王女の言動に蛍を重ね、事あるごとに蛍の顔を思い浮かべている自分がいた。
それは兄上の側に残してきてしまったための心配とかではなく、明らかに別の類のものだ。
「じゃ、オヤジ。
これは買ってく」
少し多いのを承知で銀貨をつまみ出すとそれを主人の手に握らせ俺は店を後にした。
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