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 何時、何処で、グリゼルタは妖魔に取り付かれた? 

 考えなくてもわかってる、廊下に倒れていたあの晩から翌朝にかけてだろう。
 だとすればあの倒れていた時だ。
 場所は…… 
 冷静に思い返して血の気が引いた。
 あの場所は例の物を積み上げたパントリーだ。
 
 あそこには雑多な妖魔を封印した物が山ほど詰め込んである。
 もしその中の一つだったりしたら、突き止めるのは困難だ。
 
 ……考えたくもない。
 
「何、ぶつぶつ言っているんだよ? エジェオ」

 良く聞き知った冷静な声がそのとき俺に訊いてきた。

「え、っと。
 その…… 
 兄貴、なんでここへ? 」

 呼びかけられたその声に俺は呆然と振り返る。

「どうやらまだかろうじて大事にはなっていないようだな」

 するりと俺の横に立つと兄貴は目の前の女を涼しい瞳で見た。

「いや、なってる」

 女は既に俺の店のホスト半分以上の生気を取り込んでいる。
 恐らくはかなり力を溜め込んだはずだ。

「まだ暴れてはいないし。
 変化もしてない。
 コノくらいは序の口だろ」

 言いながら兄貴は手にもっていた異国渡りの香炉を差し出した。
 蓋を開け足元に置くと白い煙が糸のようにたなびいて空気の中に広がって行く。
 なんだか妙な匂いが周辺に充満しはじめた。

「エジェオ」

 促すように名を呼ばれ俺はできるだけ呼吸を控える。

 とさり…… 
 
 視界の端でグリゼルタの身体が早々に崩れ落ちた。
 

「予想外にあっさり効いたな」

 兄貴は意外そうに言う。

「予想外ってどういうことだよ? 」

 この極限状態での、のほほんとした声に俺は少しばかり腹を立てた。

「忘れたか? 
 この手の香は妖魔によって調合が違う。
 一つでも配合する薬草を間違えれば全く効果はない」

 忘れてた。

「そういえばじいさんにガキのころ教わったかも? 」

「お前、魔力不足で魔術師も医師も諦めた時にこの手の勉強もすっかり手を引いたんだったな。
 じいさんは薬草の知識は魔力に関係ないから続けろって言っていたのに」

「今はそんな話をしている場合じゃないだろ? 」

「ま、そう言うわけで、 
 確実に利くとはわからなかったんだけどな。
 わたしとしても可愛い義妹に手荒なことはしたくなかったし」

 言いながら兄貴は香炉を拾い上げ蓋をする。
 それから崩れ落ちたグリゼルタに歩み寄り、抱き上げようとした。

「まてよ、それは俺の仕事」

 俺はかがみこんだ兄貴の肩に手を掛けると押しやった。
 力の抜けたグリゼルタの身体を抱き起こし、抱えあげようと引き寄せる。
 
 バシン! 
 
 その頬が俺の肩に触れた途端に、また大きな音と共にした衝撃に俺はすっ飛ばされる。

「ちっ…… 
 なんなんだよ? 」

 すっ飛ばされた拍子にぶつけた頭を擦りながら、俺は立ち上がる。
 さっきはこれで助かったけど、これじゃグリゼルタに近寄れない。

「ああ、それだ」

 何かを思い出したようにつぶやきながら兄貴は俺に近付くと手を伸ばして俺の首に掛かっていた鎖を外す。

「これでいい。
 悪いけど、グリゼルタ運んでくれるか? 」

 俺から外した鎖を指に引っ掛け弄びながら兄貴は奥のドアを開いた。
 

「そのテーブルの上に寝かせたら、気は進まないと思うけど手足縛って」

 兄貴はさらりと言う。

「な、冗談。
 何をするつもりだよ? 」

「そいつ、追い出さないと不味いだろ? 」

 兄貴はさっきの香炉に新しい香を足しながら視線をグリゼルタに向けた。

「手を突っ込んで引っ張りだすわけに行かないんだから、いぶりだすほかないだろ? 」

 どこか嬉しそうに言いながら兄貴は煙の上がり始めた香炉をグリゼルタの頭横に置く。
 細い煙がたなびきながら上り、空気に溶ける。
 明らかに先ほどとは違う匂いに薬草の配合が変わっているのだとわかる。
 その煙が徐々に部屋の中に充満していった。

 兄貴は言葉なくグリゼルタの様子をただ見つめている。
 俺は仕方なく戸棚の中から適当な紐を見つけ出し言われるままにグリゼルタの手足を縛りにかかった。
 
「そういえば、兄貴。
 これなんだったんだ? 」

 チェストの上に無造作に置かれた先ほどの鎖を俺は取り上げた。

「ん? 
 あぁ、それね」

 明らかに何か知っている様子をしながら兄貴は視線をあさっての方向に向ける。
 本当ならば、これをくれたグリゼルタに訊くのが手っ取り早いところだが、さっきの様子から兄貴も一枚噛んでいるのは明白だ。
 妙に問いただしてグリゼルタを傷つけたくない。

「知ってるんだろ? 」

 俺は兄貴の前に回りこんだ。

「ただの気休めのお守りだよ。
 浮気封じの」

 兄貴はしぶしぶ口を開く。

「浮気封じぃ? 」

「そりゃ、お前がこんな商売してたんじゃ気が気じゃないだろ。
 何時言い寄られた客に本気にならないとも限らないんだから、な。
 グリゼルタを責めんなよ」

「俺ってそんなに信用ないわけ? 」

「信用の問題じゃないと思う。
 ただ安心したかったんだよ。
 それ何処でも簡単に手に入る気休め程度の物だ」

「もしかして、これ唆したの兄さんかよ? 」

「まぁな。
 まさかこんなに効力があるなんて私も驚いた」

 兄貴が息を吐く。

「本人も拒絶するなんて欠陥品だと思うけどな」

 さっき跳ね飛ばされた衝撃はそれこそ半端なものではなかった。

「いや、本人じゃないだろう? 
 今これは、入れ物は確かにグリゼルタだが中身は全くの別物だ。
 だから拒否られたんだよ」

 
「ひっ! 」

 突然グリゼルタの口から息を止めるような声があがる。
 視線を向けるとグリゼルタは何度も弛緩を繰り返す。
 激しい呼吸と共に唸るような声がその口から漏れた。
 同時にこの場所から逃れようとするかのように縛られた手足をばたつかせる。

「押えてろ! 」

 兄貴が叫ぶ。
 言われるままに押さえつけると同時にグリゼルタの表情が変わった。
 白い目を向いてぽっかりと口をあける。
 その口から黒い靄のようなものが漂い出した。

「何だ? 」

 呆然とする俺とは反対に兄貴は悠然とその靄に何時の間にか手にしていた瓶の口を差し出す。
 小さな瓶の口の中へそれは吸い込まれて行く。
 靄の様子を注意深く見つめていた兄貴は、ほとんど色が消えたところで瓶を引っ込め栓をした。

「もう、いいぞ」

 グリゼルタの身体を押さえつけていた俺に振り返る。
 先ほどまで空だった筈の瓶の中で闇のような液体が不自然に揺れていた。

「なんだよ、それ。
 気持ち悪いな」

 縛り付けてあった紐を解きながらそれを横目に俺は言う。

「妖魔って物は実体を持たないからね。
 こんなもんだ」

 何か貴重なものでも仕入れたかの様に兄貴が機嫌よく言う。
 絶対薬の材料か何かに使う気だ。
 何はともあれヤバイことになりそうなところへ飛び込んできてくれたのだから、そこは突っ込まないでおこう。

「ありがとな。兄さん。
 助かった」

 とりあえず礼を言いながら俺はグリゼルタの手足を縛った紐を解く。

「れ? 
 どうして? 何故わかった? 」

 複数の香に妖魔封じの瓶。
 たまたま俺の顔を見にきただけにしては準備が万端すぎる。

「お前のところの従業員。
 なんて言ったっけか、栗毛の細い…… 」

「サヴェリオか? 」

「そう、そのサヴェリオが知らせてきてくれたんだ。
 グリゼルタの様子がおかしいと。
 お前はそれに気がついていないからどうにかしてやって欲しいと」

「なんで、サヴェリオが? 
 あいつ魔力なんかかけらも持っていないはずじゃ…… 」

 俺は首を傾げた。

「日ごろの生活の賜物だろう。
 毎日あれほど上質の魔物に触れていれば嫌でも感覚は研ぎ澄まされる。
 妖魔にとり憑かれたグリゼルタからも同じような匂いを嗅ぎ取ったのかもな」

 兄貴が言う傍らで、グリゼルタが起き上がる。

「えっと…… 」

 自分がどういう状況に置かれているか把握できずに戸惑っているようだ。
 額にこぼれた巻き毛をかきあげながら呆然と室内とそこに居合わせた人間の顔を見る。
 意識が混乱していることを除けば体調に異変はなさそうだ。
 顔色も悪くない。

「わた、し? 
 ど、うし、て? 」

 つぶやきながら何度か睫を瞬かせる。
 そして慌ててテーブルの上から飛び降りた。

「エジェ? 
 何? どうしたの? 何かあった? 
 わたし、何かした? 
 テーブルの上に寝るなんて行儀の悪いことしなくちゃいけなかった理由、教えてっ! 」
 
 俺の前に立つと矢継ぎ早に訊いてくる。


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