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 手元にある、帳簿を眺めて俺はため息をついた。

 開店から二年、固定客もついて客入りは順調だが、何気に売り上げが落ちている。

「どうか、したんですか? 
 大きなため息なんかついて」

 早めに出勤してきたサヴェリオが訊いてくる。

「いや、ちょっと売り上げがな…… 」

 うっかり流れで口にした。

「すみません。
 僕たちがもっとうまくやれればいいんですけど」

 サヴェリオが眉根を寄せる。

「いや、お前たちに落ち度はないよ」
 
 俺は慌てて否定した。

 理由はわかっている。
 通い詰めてくれている常連のご夫人たちが遊び方を覚えたってだけの話。
 さすがに毎日店に来るとなると、呑みすぎは心配になるらしい。
 貴族の奥方の分際でアル中は不味いってことで。
 そこらへんは貴族としてのプライドがしっかりあるらしい。
 常連方は自分の口には舐めるようにしか酒を運ばず、相手のホストに飲ませようとする。
 とはいっても、一晩で何人ものお客の相手をしなければならない従業員。やっぱりざるのように飲んだら後が仕事にならないから、ある程度でセーブする。
 結果、店の売り上げが落ち、ご婦人方の財布の中身はお気に入りホストへの貢物に化ける。
 ホスト達には実害がないが、店の売り上げは当然落ちるという図式。

「もう少し、ご婦人向けの酒入れたらどうですか? 
 甘口で、フルーティーな。度数の低い…… 」

 サヴェリオが提案してくれる。

 きっと接客中に客に言われたんだとは思う。

「果実酒なんかどうでしょう? 」

「果実酒はなぁ。
 街の奥さんたちの飲むものだからな。
 貴族の奥方の口に合うかどうか…… 」

 そもそもそれ以前に、貴族の女性が町民の一般的に飲んでいると認識のあるもの口に運ぶかどうかも怪しい。
 この辺きっちりしているところもさすが貴族社会というべきか。

 何かご婦人達の口に合う酒はないもんだろうか。
 俺は頭を掻いた。
 

「それより、オーナー、時間いいんですか? 」

 うっかり考え込んでしまいそうになった思考をサヴェリオの声が引き戻した。

 そうだった、今日はこれからグリゼルタをお茶会にエスコートしていく約束がある。
 そのためにサヴェリオに一足早く出てきて貰った。

「じゃ、悪いけど頼むな。
 なるべく早く戻る」

 俺は開店準備と店の管理をサヴェリオに任せたと言いながら着替えを始める。

「お任せください。
 今度、その婚約者のお嬢さん紹介してくださいよ」

 茶化すように言われた。

「ああ、そのうち、な」

 生返事をして店を出る。
 

 途中、花屋に寄って頼んでおいた花束を受け取り俺はお茶会の家へ馬車を急がせた。
 グリゼルタは一足早く行っている筈だ。
 本当なら家まで迎えに行って、一緒に行くのが常識だが事前に入っていた商談がそれを阻んだ。
 正直グリゼルタをエスコートしての夜会や茶会は気が重い。
 居合わせる来客の中には、店の客が多数。
 その客にまさか婚約者がいるなんて暴露できないし、気安く俺に話しかけてくる婦人の様子にグリゼルタが気を悪くするのは確かだ。
 グリゼルタもそれはわかっていて、めったなことではエスコートを強要してこない。
 ただ、今回はグリゼルタの親友ミリアムの家での茶会じゃ断りようがない。

 仕方ない、ここは顔だけ出したら手っ取り早くグリゼルタを連れて抜け出すに限る。
 そうすれば、めったにないグリゼルタとの時間も持てる。

 そんなことを考えていると馬車が止まる。
 

 降りると同時にエントランスの前で、御者らしきお仕着せを着た男が一人困惑顔をしていた。

「何か? 」

 男の隣を抜けながらとりあえず声をかける。

「ジュスト家の坊ちゃん」

 年嵩の男の顔が俺を見るなり安堵に変わる。

「あんた、えっと確か…… 
 グリゼルタのところの御者だったよな? 」

 その顔を目に訊いた。

「はい、実はお嬢様がこちらを馬車にお忘れになりまして…… 」

 男はピンクのリボンの掛かった箱を差し出した。

「ああ、ミリアムへのプレゼントだな。
 馬車に忘れるって、なんだよ。
 いいよ、渡しとく」

 苦笑いしながら俺はそれを受け取る。

「ありがとうございます」

 男は軽く頭を下げた。

「あと、あんたもう帰っていいぜ。
 あまりゆっくりしていると奥様に叱られるんじゃないか? 」

「ええ、まぁ。
 ですがお嬢様の足がなくなってしまいますので」

 俺の言葉に男は渋い顔をした。
 帰ったら最後迎えにこられなくなることをわかって気を遣ってくれているのだろう。

「グリゼルタなら大丈夫だ。
 後で俺が送っていく」

「そう、ですか? 
 ではお願いします」

 男はひとつ頭を下げて帰っていった。
 

「さて…… と」

 俺はエントランスのドアの前に立つとノックをした。
 

 案内されて足を踏み入れたサロンにはもう何人もの来客であふれていた。
 俺はできるだけスマートに見えるように姿勢を正して招待主に歩み寄る。
 目的の女主人の隣に座るピンクのドレスの少女の姿に自然と目がいった。
 目が合うとその顔がうれしそうに綻んだ。

「……ごめん、遅くなった」

 足早に歩み寄ると耳元に顔を寄せ謝る。

「それを言うなら、ミリアムにでしょ? 」

 グリゼルタはこの家の女主人に誘導するように視線を向けた。

「あぁ…… 
 せっかくのご招待、遅れてしまって申し訳ありません」

 確かに、挨拶が先か。
 俺はミリアムに向き直る。

「遅刻のことは 気になさらないで。
 あなたがエスコートしてくださらないと、わたくしの大切な親友が来てくれないからお招きしただけですもの」

 ミリアムが痛い言葉を投げかけてきた。

 確かにその通りだ。

「それを言われると、悲しいな。
 これで機嫌を直してくれると嬉しいのですけど」

 俺は持ってきた花束を差し出す。

「あら、ありがとう」

 ミリアムはうれしそうに顔をほころばせ受け取った花束に顔を埋める。
 その間に俺はグリゼルタを軽くつついた。

「お前これ馬車の中に忘れただろ? 」

 御者から預かった箱を渡す。

「いっけない! すっかり忘れてた」

 グリゼルタは思い出したように声をあげた。

「あと、馬車は帰しといたから」

 ついでに馬車を帰したことを伝えておく。

「は? 
 わたし、どうやって帰ればいいのよ? 」

 グリゼルタは拗ねたように言う。
 そんなところも可愛いと思う。
 もう少しゆっくり話をしたいと思っているのに、女主人がグリゼルタの傍を離れると同時に、店の客であるご婦人方が集まってきてしまった。
 まさか、大事なお客様、無碍にすることもできずに当たり障りのない挨拶をしているうちに、今度はグリゼルタのほうが他の客と会話を始める。
 それもあろうことか若い男と。
 どうやらミリアムが紹介したようだ。
 あいつは確かミヌレッチ伯爵。
 確か先日若い妻をお産で亡くしたばかりだとか聞いた。
 早速後妻の相手でも探しているのか、グリゼルタを見る目が妙に血走っている。
 その様子になんだか無性に腹が立った。

「失礼…… レディ・ミリアム」

 俺は二人の間に割ってはいる。

「急に用事を思い出しまして、お暇させていただきます」

「え? あら…… まだ来たばかりですのに」

 俺の言葉にミリアムがあからさまにうろたえる。

 せっかくの親友との時間をもう少し引き延ばしたのだろう。
 だけど、こんな場所にグリゼルタを置いておくのは俺が許せない。

「申し訳ありません。
 所用は全て済ませてきたつもりだったのですが、一つ欠かせない用件をわすれておりまして。
 この埋め合わせはまた今度。
 子爵家の馬車を帰してしまったので、グリゼルタも一緒につれて帰りますから」

 ついでのように言ってグリゼルタを引き寄せる。

「え? ちょっと…… 
 やっ…… 」

 戸惑ったような声をあげるグリゼルタを引きずって強引にサロンを後にした。
 


「家寄っていくだろ? 
 兄貴が待ってる」

 乗り込んだ、馬車が走り出すと一緒に俺は言う。

「って、エジェオ様、用事があったんじゃなかったの? 」

 グリゼルタは首をかしげた。

「ん、ああ。
 それな、なんて言うか、口実? 」

 まさかグリゼルタに近づいた男に嫉妬したとは、言いたくない。
 
「それよりさ。お前、それまた義姉さんのお下がりだろ? 」

 俺は慌てて話題を変える。

 華やかなピンクのドレスは確か先日、某侯爵夫人の茶会にあの女が着ていたものだ。
 臨時雇いのメイドが粗相してお茶をこぼし、騒ぎになったので覚えている。
 そう思い出してよく見ると膝の辺りがわずかに染みになっていた。
 色が濃いせいで言われなければ殆どわからない程度の微かな染みだけど、気がついてしまうとどうしても目が行く。
 とは言ってもここは黙っておくほうがいいだろう。

「サイズはちゃんと直したんだけど、やっぱりわかる? 
 何回も袖を通してないからって、頂いたの」

 グリゼルタは首を傾げる。

「いや、義姉さん好みの色だと思ってさ。
 お前ならブルーのほうが好きだろ? 」

「ピンク似合ってない? 」

 グリゼルタの瞳が少しだけ悲しそうに揺れる。

「いや、これはこれで可愛いとは思うけど、な」

 全く、グリゼルタの兄嫁もどういう神経してるのか。
 自分は夜会の度にとっかえひっかえドレスを新調しているのに、義理の妹にはドレスを新調するどころかこんな曰くつきのものしか下げ渡さないとか。

 俺は内心でため息をついた。

「じゃ、今度はお茶会で着られるブルーのドレス、か」

「ちょっと、エジェ? 
 もうこれ以上は受け取れないって、この前も言ったわよね? 」

 俺の呟きを耳ざとく聞きつけグリゼルタが困惑気味の声をあげた。

「ドレス嫌いか? じゃぁ、宝飾品とか? 」

「それはもっと駄目。
 あんまり高価なものプレゼントしてもらっても、受け取る謂れがないもの。
 駄目よ、そんなマナー違反したら」

 グリゼルタはやんわりと笑みを浮かべる。

「いいだろ? 婚約してるんだし。
 ドレスの一枚や二枚」

「それはきちんとお返しのできる相手の場合よ。
 それで、エジェ。
 どうして、大した用もないのに、わたしを連れ出したわけ? 」

 せっかく話題を変えたのに、少し怒ったようにまた蒸し返された。
 不味い、話題の選択を間違えた。
 ドレスの件はグリゼルタにとっては触れられたくないところだろう。
 ましてや染みがあることだって、承知しているが俺には気付かせたくなくてわざと話題を逸らす。
 ここは謝ってもまたグリゼルタを不快にさせるだけだろう。
 それに、他の男に嫉妬したなんて話、蒸し返されると今度はこっちがばつが悪い。
 俺はグリゼルタの口を黙らせる目的半分で、その唇にキスを落とした。
 
 
 
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