【完結】新説・惟任謀反記

盤坂万

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六月五日~大坂表(後)

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「七兵衛様、この度は誠に遺憾の極み」

 御殿へ回ると五郎左衛門が沈痛な面持ちで信澄を迎え入れた。その上座には険しい表情の三七信孝がいる。だがこの男はいつもこういう面体をしているから、と信澄は特に取り合わなかった。
 だが、あたりの雰囲気はそれに輪をかけて物々しい様子だった。各所には甲冑を付けたままの兵が配置されている。変事の最中であるから当然のことなれど、信澄には違和感がぬぐえない。どことなく、兵どもの自分を見る目が昏い。

「まずは無事の帰還祝着じゃ。して、これからどうする考えか、宿老の考えをお聞かせ願いたい」

 信澄が五郎左衛門に問いかけると、無視される恰好になった三七信孝が、突然脇に置いていた脇息を信澄の面前に叩きつけた。

「ぬけぬけと言うものだ、従兄殿」
「これはまた乱暴な」

 ちらと五郎左衛門を見やったが特段割って入る様子もない。そうか、と信澄は得心がいく気分だった。それと同時に馬鹿馬鹿しい気分にもなる。
 やはり、この男には大局が見えておらぬ。今、世の中で何が起こっているのか、まったく把握できていない。そしてそれは、三七を補佐する立場にいる五郎左衛門も同様のようだった。

(鬼五郎左も五十手前で耄碌もうろくしたか)

 信澄は密かに嘆息した。

「何をお疑いか知らぬが、こんなところで油を売っている場合ではないのではないか、三七どの」
「おのれ謀反人が、よくもまあ言ってくれる」

 無茶苦茶だな、と信澄は思ったが、口に出しては別のことを言った。

「さて、謀反人とは、どの咎を言っているのやら」
「では言ってやろう。先は二度も父上に反意を抱いた叔父信行の小倅であり、今度は貴様の岳父が主家に背いてとうとう父上を手にかけた。貴様が、亡父の恨みを持って明智を唆したのであろう」

 三七はそう叫んでぎらりと佩刀を抜いた。信澄は座したまま、鬼のような形相で三七を睨み返した。

「なるほど、お主はどうしても俺が邪魔らしい。だが、伯父上が斃れた今、一門の席次を争ったところで何ほどのものもないぞ。こののち、織田家当主を狙うのであれば、このようなことにかまけておらず、とっとと明智を討つべきだ。敵わぬまでも、最初に挑まねば貴様はその資格を永遠に失うぞ」

 信澄の言葉に五郎左衛門ははっとした様子だ。ようやく気付くか耄碌爺め、と信澄は苦々しく思う。

「五月蠅いっ、黙れっ。謀反人めが」

 癇癪を起して三七は佩刀を振り上げた。
 猛烈な速度で振り下ろされるそれを、信澄は片膝を立てて踏ん張ると、懐から出した短刀で弾き返した。思わぬ反撃に三七はたたらを踏む。だがよたついた先で何とか態勢を整えると、信澄を指さして周囲の武装した兵らに「やれっ」と絶叫した。

「三七様、なりませぬ!!」

 思い直した五郎左衛門がようやく割って入ろうとしたが時すでに遅く、信澄は短刀で応戦をしたものの、ついには滅多切りにされてしまった。

「……馬鹿者め」

 ヒューヒューとしぶとく息をしていた信澄だったが、やがて落命し御殿には重い静寂がのしかかった。
 血まみれになった遺骸に近づき、五郎左衛門はそこに片膝をついた。

「お亡くなりに……」
「ざまを見たな七兵衛。いつもいつも小馬鹿にしたような態度を俺にとっていた。父上に気に入られているからと、謀反人の小倅風情が大坂城代だ? これが裏切者の末路だ、皆もよく見ておけ」

 ぜいぜいと肩で息をする三七の目は吊り上がっていた。信澄を討った動機は彼に対する積年の妬心に他ならない。自分よりも高く評価される信澄を、三七信孝は常に疎ましく思っていたのだ。そして機会をこじつけて、小さな目的を達したのである。

「しかし、これで七兵衛様の兵を糾合することはできなくなりましたぞ」
「…………」

 五郎左衛門は、斬られる直前に信澄の言ったことがいつまでも耳に残った。だが三七にとってそれはもはやどうでもいいことのようだった。
 信孝は担げぬ。五郎左衛門は、まだ興奮の冷めやらない三七を見てそうようやく理解した。

 ◆◇◆

 その後三七信孝は西国街道を京へ向けて上ったが、中国から羽柴の軍勢が近づいていると知るや、尼崎まで出向いたわざわざ迎えている。
 何せ当初一万六千を数えていた四国方面軍は、信孝の失策や、信澄成敗の噂などが悪く影響して離散が続いた。もともと寄せ集めに近い軍勢だったが、今や八千を維持する程度まで縮小していたのである。

 これでは精強を誇る明智勢おおよそ二万にあたってはひとたまりもないだろう。
 だがやはり、それでも挑むべきだったのだ。誰よりも早く。
 信澄の予言を思い出しては、五郎左衛門はそれを選べなかった自身の才覚をいつまでも悔やむことになるのだった。
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