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雨下しる
終わりの始まりの終わり(後)
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正午過ぎ、城方は再び攻勢に転じた。
初手と同じく、突如城壁に鉄砲が居並んだと見えたら、それらが一斉に火を吹く。そしてそれを合図に城門が内側から開け放たれた。
城門から一気に雪崩出る城方を、寄せ手の明智方が迎え撃つ。北門から村井貞勝、西門は団忠正、南門からは斎藤新五郎利治が撃って出たが、次右衛門が予測した通り兵数は手薄で、最初の衝撃を削ぐと、あとは各所で明智方がじわじわと押し返し始めた。やはり残る東門に残存の兵力を集中したことが看て取れる。
そして東門に陣取った次右衛門は、相対した信忠の陣容を見て奥歯を食い縛った。
予測を上回る兵数が東門から討って出てきたのである。味方の七百に対して信忠の手勢は千五百余、倍以上の兵力差に久々に背筋が凍る思いをしたと次右衛門はのちに語る。
最初に異変を感じたのは南門を受け止めていた貞興である。敵将は信忠の配下では最精鋭の新五郎利治だ。新五郎は明智家臣、斎藤利三の義弟にあたることから、明智勢からも崇敬の念を持たれる部将である。それだけに貞興は慎重に対応をしていたのだが、敵方の攻勢が妙に鈍い。無理にでも圧せばすぐにでも城内へ押し返せそうな雰囲気がある。
(何かおかしい……)
そう思った時には関心が東門へすぐに飛んだ。次右衛門の言った通り、敵方は東門に兵力を集中させ、他の三門を囮に一点突破を画策しているに違いなかった。しかし、次右衛門らの予測を超える兵力の集中を行っていたのである。つまりは裏をかかれたのだった。
(光忠様が危ない、こちらの兵を東門へ回すべきか……)
貞興は冷たい汗が額を落ちるのを感じた。
しかし面前の新五郎を無視することはできない。押せば暖簾のように城内にまで浸透できそうな雰囲気はあるが、引くのは至難であると勘が告げる。そしてそれこそが新五郎らが囮となった三門で仕掛ける駆け引きなのだった。
少ない兵力で寄せ手をひきつけ、数を集中させた東門への援軍をさせないためのものだ。貞興は思わず舌を巻いた。「信忠様もまた、見るべきところのある御方よ」と語った次右衛門の声が耳に蘇る。
「妙手……」
次右衛門もまた、馬上で槍を繰りながら素直に敵将を賞賛していた。偉大な敵手と鉾を交えるのは、彼のような生粋の武人にとっては誉と言っていい。
今や戦場全体での勝利は揺るがぬ。いずれ間もなくして明智軍の全軍がここを囲むだろう。次右衛門はそれまでの間を踏ん張ればよいのだ。
しかしこの一局所に叩きつけられた信忠勢の濃密な攻勢はどうだ。倍する敵から受ける圧迫感に七百の手勢は幾分も持たないだろう。
そう判断した時、次右衛門はこのまま敢え無く敗れることより、戦いが終わってしまうことの方を惜しむ気持ちが先走った。次の瞬間には、勝手に四肢が動き陣頭に躍り出ていたのである。
「光忠っ」
呼ばわったのは信忠だった。反射的に声のした方へ馬首を向けた次右衛門は「応ッ」と常にも増した大音声で答えた。
数で劣る次右衛門の隊は、しかし突入してくる相手方に対して両翼を広げざるを得ない。敵が突破しようとする一点を分厚くし、突破力が鈍った瞬間を見極めて両翼から包み込むのだ。その起点には次右衛門が立ちはだかり、敵の攻勢を呼び込む手筈だ。
だがそこに敵大将である信忠自身が飛び込んでくると言うのは慮外のことだった。
「光忠、罷り通るぞ」
「望むところ!!」
一合二合と打ち合う合間も、次右衛門方の兵らは信忠の兵に討ち斃されていく。元より一人で二人を相手せねばならない次右衛門方は不利で、その不利は時を追うごとに増していくのだ。だが、次右衛門方もよく堪える。
思いがけず時間がかかったものの、突破が間もなく成ると誰もが思った時だった。南門より援軍が駆け付けたのである。その数は約二千、先頭には伊勢貞興の姿があった。信忠は文字通り落胆と諦観を顕した。
「万事窮すだな……、城に戻るぞ!」
突破が成らなかった信忠はそこで槍を収めて踵を返した。
「待たれいっ」
下知を残して立ち戻ろうとする信忠に、だが次右衛門が追いすがった。ここで大魚を逃す訳にはいかぬ。
しかし次の瞬間、ひと際大きな砲声が轟き、馬上にあった次右衛門はもんどりうって地面へと転がり落ちた。腿のつけ根に焼け付く痛みが走り、そこに風穴が開いたことがわかった。
狙撃をされたのだ。次右衛門はほんの少し唸っただけで歯を食いしばった。
「光忠様……!」
乗騎から飛び降りた貞興が次右衛門に駆け寄り傷をのぞき込む。次右衛門の表情は蒼白になっていたが、自分の近くに膝をつく若者の襟首を掴むと「追え、追わぬか」と叱咤し、それからがっくりと弛緩した。気を失ったのである。去る敵勢を振り返った貞興の目に映ったのは、ゆっくりと閉じられる東門の様子だった。
貞興が二千もの兵を引き連れて東門へ回れたのは、その直前に本能寺から本体が到着したからに他ならない。次右衛門らは時間稼ぎに成功したのだった。戦略的には勝利したが、貞興は苦虫を嚙まされた気分を拭えない。ただただ力不足が無念だった。
光秀が直接引き連れた一万六千は、北西南の三門から覆うように二条城に迫った。それを見た城方は引き潮のごとく門内へ退去し三度城門を堅く閉ざしたのだ。光秀は悠々と進軍するだけで、信忠に引導を渡したのである。
そして間もなくして城内から火の手があがる。あとはもう見守るだけだった。ここに織田家の当主、近衛中将信忠は敗死した。信長より家督を譲り受けて六年、齢二十六でのはかない最期だった。
初手と同じく、突如城壁に鉄砲が居並んだと見えたら、それらが一斉に火を吹く。そしてそれを合図に城門が内側から開け放たれた。
城門から一気に雪崩出る城方を、寄せ手の明智方が迎え撃つ。北門から村井貞勝、西門は団忠正、南門からは斎藤新五郎利治が撃って出たが、次右衛門が予測した通り兵数は手薄で、最初の衝撃を削ぐと、あとは各所で明智方がじわじわと押し返し始めた。やはり残る東門に残存の兵力を集中したことが看て取れる。
そして東門に陣取った次右衛門は、相対した信忠の陣容を見て奥歯を食い縛った。
予測を上回る兵数が東門から討って出てきたのである。味方の七百に対して信忠の手勢は千五百余、倍以上の兵力差に久々に背筋が凍る思いをしたと次右衛門はのちに語る。
最初に異変を感じたのは南門を受け止めていた貞興である。敵将は信忠の配下では最精鋭の新五郎利治だ。新五郎は明智家臣、斎藤利三の義弟にあたることから、明智勢からも崇敬の念を持たれる部将である。それだけに貞興は慎重に対応をしていたのだが、敵方の攻勢が妙に鈍い。無理にでも圧せばすぐにでも城内へ押し返せそうな雰囲気がある。
(何かおかしい……)
そう思った時には関心が東門へすぐに飛んだ。次右衛門の言った通り、敵方は東門に兵力を集中させ、他の三門を囮に一点突破を画策しているに違いなかった。しかし、次右衛門らの予測を超える兵力の集中を行っていたのである。つまりは裏をかかれたのだった。
(光忠様が危ない、こちらの兵を東門へ回すべきか……)
貞興は冷たい汗が額を落ちるのを感じた。
しかし面前の新五郎を無視することはできない。押せば暖簾のように城内にまで浸透できそうな雰囲気はあるが、引くのは至難であると勘が告げる。そしてそれこそが新五郎らが囮となった三門で仕掛ける駆け引きなのだった。
少ない兵力で寄せ手をひきつけ、数を集中させた東門への援軍をさせないためのものだ。貞興は思わず舌を巻いた。「信忠様もまた、見るべきところのある御方よ」と語った次右衛門の声が耳に蘇る。
「妙手……」
次右衛門もまた、馬上で槍を繰りながら素直に敵将を賞賛していた。偉大な敵手と鉾を交えるのは、彼のような生粋の武人にとっては誉と言っていい。
今や戦場全体での勝利は揺るがぬ。いずれ間もなくして明智軍の全軍がここを囲むだろう。次右衛門はそれまでの間を踏ん張ればよいのだ。
しかしこの一局所に叩きつけられた信忠勢の濃密な攻勢はどうだ。倍する敵から受ける圧迫感に七百の手勢は幾分も持たないだろう。
そう判断した時、次右衛門はこのまま敢え無く敗れることより、戦いが終わってしまうことの方を惜しむ気持ちが先走った。次の瞬間には、勝手に四肢が動き陣頭に躍り出ていたのである。
「光忠っ」
呼ばわったのは信忠だった。反射的に声のした方へ馬首を向けた次右衛門は「応ッ」と常にも増した大音声で答えた。
数で劣る次右衛門の隊は、しかし突入してくる相手方に対して両翼を広げざるを得ない。敵が突破しようとする一点を分厚くし、突破力が鈍った瞬間を見極めて両翼から包み込むのだ。その起点には次右衛門が立ちはだかり、敵の攻勢を呼び込む手筈だ。
だがそこに敵大将である信忠自身が飛び込んでくると言うのは慮外のことだった。
「光忠、罷り通るぞ」
「望むところ!!」
一合二合と打ち合う合間も、次右衛門方の兵らは信忠の兵に討ち斃されていく。元より一人で二人を相手せねばならない次右衛門方は不利で、その不利は時を追うごとに増していくのだ。だが、次右衛門方もよく堪える。
思いがけず時間がかかったものの、突破が間もなく成ると誰もが思った時だった。南門より援軍が駆け付けたのである。その数は約二千、先頭には伊勢貞興の姿があった。信忠は文字通り落胆と諦観を顕した。
「万事窮すだな……、城に戻るぞ!」
突破が成らなかった信忠はそこで槍を収めて踵を返した。
「待たれいっ」
下知を残して立ち戻ろうとする信忠に、だが次右衛門が追いすがった。ここで大魚を逃す訳にはいかぬ。
しかし次の瞬間、ひと際大きな砲声が轟き、馬上にあった次右衛門はもんどりうって地面へと転がり落ちた。腿のつけ根に焼け付く痛みが走り、そこに風穴が開いたことがわかった。
狙撃をされたのだ。次右衛門はほんの少し唸っただけで歯を食いしばった。
「光忠様……!」
乗騎から飛び降りた貞興が次右衛門に駆け寄り傷をのぞき込む。次右衛門の表情は蒼白になっていたが、自分の近くに膝をつく若者の襟首を掴むと「追え、追わぬか」と叱咤し、それからがっくりと弛緩した。気を失ったのである。去る敵勢を振り返った貞興の目に映ったのは、ゆっくりと閉じられる東門の様子だった。
貞興が二千もの兵を引き連れて東門へ回れたのは、その直前に本能寺から本体が到着したからに他ならない。次右衛門らは時間稼ぎに成功したのだった。戦略的には勝利したが、貞興は苦虫を嚙まされた気分を拭えない。ただただ力不足が無念だった。
光秀が直接引き連れた一万六千は、北西南の三門から覆うように二条城に迫った。それを見た城方は引き潮のごとく門内へ退去し三度城門を堅く閉ざしたのだ。光秀は悠々と進軍するだけで、信忠に引導を渡したのである。
そして間もなくして城内から火の手があがる。あとはもう見守るだけだった。ここに織田家の当主、近衛中将信忠は敗死した。信長より家督を譲り受けて六年、齢二十六でのはかない最期だった。
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