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梅雨入りの件

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 この四日市は、もともと四の付く日に市が立ったことから四日市と呼ばれるようになった町だったが、今では毎日市が張られる。東海道の主要中継地点であり、近くに港があるため山海の特産がここに集まるのだ。
 新三郎らは時子の求めに応じて蛤を探しにやってきたが、ちょうど最盛期とあって江戸では見たこともないような立派なものが、驚くほど安く手に入った。
 宿に蛤を持ち帰り、料理場へ預けてから時子を尋ねると、部屋の前には家士のうちの一人、庄田小助という三十手前の大男がいるだけで、時子はもう一人の家士を供に近くの湯屋へ出かけたという。相変わらず気ままである。

「いやはや、ずっとこんな感じだったんですか」

 忠馬がおかしそうに言うので、加也は面目ありませんと紅潮した。
 時子は気ままに振る舞うのでかしこまらずに済むのがいいところだが、考えや行動がやや奇抜で心の内を露ほども読めないところが仇だった。さすがに伊達家の御姫様、といったところだが、よくもこれで剣術道場の女将が務まったものだと思う。

「母上はとにかく気ままなのですが、不思議と周りの者があれこれと世話を焼きたがるといいますか……。不自由を不自由と思わぬ性格と境遇をお持ちなのです」

 加也の時子評は新三郎にも得心がある。でなければ、十日余りも旅の供連れにはできなかったろうし、今もこうして蛤を探して帰ってくるなどという労は取らぬだろう。
 そもそもが突飛なことで、普通武家の女子は娘の旅を許すまいし、自分も随行するなどとは言いださない。それが伊勢へ行くと聞いて、浅草に芝居を見に行くような調子で自分も行くと決めたのである。
 それを聞いた玄蕃が許可するとも思えなかったから、愚痴でも零すつもりで伝えたら、しばらく時をくれと返事を寄越したのも意外だったが、構わぬと幕閣の許しも出してきたから新三郎はあてが外れてただただ驚いたのだった。
 幕閣がいいと言うからには伊達家も良しとしたのだろう。あれよあれよと準備は進んで今日はもう四日市である。何とかなるものだな、とは思うものの、この先のことを思うと加也が提案したように時子には伊勢詣りへ別行動をしてもらうのがいいだろう。腕利きのお付きもあることだし、伊勢までは伊達家御用達の宿が各宿場にある。のんびり行って帰りに合流できればよい。
 しかしほどなく外湯から戻った時子は首をたてに振らなかった。

「私も名張へ参りましょう」

 そう言って理由も言わず、いつものようにぷいっとあらぬ方を眺めやる。表情は一面の凪で何も読み取ることはできそうにない。
 新三郎はたまらず加也の方を見たが、娘の加也も肩をすくめるだけで母親の考えていることが判らぬ風である。

「さあさ、そんな話はどうでもよろしい。せっかくですから蛤を頂きましょう」

 と言って、時子は家士に食事を運ぶよう女中に伝えさせた。

「さすがはお姫様ですねえ」
「感心している場合ではない。加太は駕籠で越えられるのか」

 呆れる忠馬に早くも折れた新三郎が確認すると、まあ大丈夫だろうと言った。関の宿で少し駄賃をはずめば手を挙げる雲助は幾人もいるだろうとのことである。
 そして食事をしている合間に宿の者が障子を開けて新三郎を呼んだ。番屋から人が来て、落とした財布が届いたと言う。届くものとは思っていなかったので、新三郎は文字通り驚いた。

「そうか、落としたものだったか」

 釈然としなかったが、こうして戻って来たのだから落としたので間違いないだろう。中身は案の定抜き取られていたから、最初に拾ったものが中身を抜いて捨てたものを、後から気のいい者に拾われて届けられたと見える。それとも抜いた者が知らぬ顔で届けたやも……。などといろいろ想像したが考えても仕方のないことだ。
 新三郎は戻ると食事を済ませ、昼間憶えた福餅をさかなに茶を何杯か飲んでから寝た。
 そして夜半、眠りについていた新三郎らは襲撃を受けた。宿に侵入したものは五人から六人、こちらは庄田小助ともう一人の付き人、加納市兵衛が交代で宿直をしていて大きな騒ぎになる前に撃退した。忠馬は酒を呑んでいて、騒ぎに気付かず朝までぐっすりだったという。
 立ち会った二人が言うには腕はたったが手ごたえはなく、こちらにも手傷を負ったものはなかった。
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