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梅雨入りの件

領内領主

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 藤堂家は外様でありながら、神君家康公が大きな信頼を寄せた藤堂高虎の父を祖とする一族である。津本家ほんけを筆頭に七家が数えられる一大勢力で、庶流に至っては小旗本、御家人にまで広がっており詳細を知る者は家中にも少ない。
 その主なるは、先述した津藩主本家で三十二万石、次いで支藩の久居藩藤堂家が五万石、名張領主家二万石と続く。他に、仁右衛門流、出雲流、内匠流、玄蕃流、新七郎流、とあって、それぞれ血筋を守るために本家を支える役目を担っている。
 その中で名張領主家だけが異色なのだった。
 事情が判れば不思議なことでもないが、なんとこの一族には藤堂家の血統が一切流れていない。この珍事は世襲制の厳しいこの時代ならではのしがらみだが、発端は関白秀吉の御代に遡る。
 名張領主家の祖である高吉は、かの織田家の一軍団を率いた丹羽長秀の三男として生まれた。幼名を仙丸と言い、はじめは関白秀吉の弟、秀長の養子になる。その後、秀長の跡継ぎに秀吉が口を出し、別の者を縁組したことから高吉は行き場を失うのだが、その時に秀長の幕僚だった藤堂高虎が、当時子のなかった自分の養子にと申し出てもらい受けたのである。
 高虎は高吉を自分の世継ぎに考えていたが、後年実子高次が生まれたことでまた高吉は運命に翻弄されることになる。その頃高吉は本家より二万石の分知を受けており、高虎の後継者として着々と足元を固めている最中だった。かけた梯子を外された高吉は改めて高虎の家臣となり、その死後は義弟高次に仕えることになる。
 紆余曲折もあり、一度は諸侯に列せられる動きが幕府内にあったが、藤堂家を名乗ろうともともとは丹羽長秀の子。支藩であっても独立させるのは危険とみなした本家が、その動きを阻んで今に至る。
 藩士としては別格、二万石という諸侯級の知行地を持ちながら不遇をかこつ明け暮れは百五十年も続いている。

「その名張家の当主が危篤だ」
「世継ぎは決まっていなかったのか? あのあたりには藤堂さんがたくさんいるだろうに」

「いや、実子があるということだがまだ二歳。届け出も御目見もしておらぬ」

 玄蕃が言葉を切ると、忠馬が口をはさんだ。

「名張領主は一藩士の身なのに御目見もするのですか」

 通常将軍に見えることができるのは、御目見以上、と格付けされる旗本からで、直参でも御家人はその資格がない。御三家や親藩の家老格であれば千石以上の禄を食む陪臣もあるが、通常大名に仕える家臣、つまり陪臣ということになるが、彼らにもその権がなかった。一般的な認識では忠馬の驚きは当然の反応である。

「当主はいくつだ」
「三十になったばかりのはずだ」
「なるほど若いな」

 自分より年長の人間をつかまえて、新三郎は知った顔で言った。だが三十であれば、出生届ではなく丈夫届を使おうという気持ちは理解できる。
 この頃は、跡継ぎになる男児が生まれてもすぐに届け出をしない。理由は夭逝することが多いためである。その代わりに、五、六歳になると丈夫に育ったので、と言い訳をして届けるのが「丈夫届」だ。これはある程度大きく成長してから届けるものなので、実年齢を嵩上げできることから横行した。
 何せ武家の決まりで、十七歳に満たない者には養子が取れない、というものがある。もし当主が若年で家を継いだ後、十七歳に満たないで死んでしまうと、そのあと養子は認められず御家は断絶となる。これは家格の高い低いに関係なく諸家に適用されたから、武家はどこも上から下までこの「丈夫届」を利用したものである。
 生まれたばかりでは誤魔化せないが、五歳を八歳と言い張るには何とかなる。それで多少無理があっても、丈夫届は実質上ろくな監察もなく受理されるのだが、今回はそうした思惑が裏目に出た格好だった。

「最近そういうやらかしが多くて困るな。丈夫届もそうだが、判元見届も当初の目的と真反対の使われ方をしているのは、大変由々しいぞ」
「持ちつ持たれつ、というやつだ」

「目付の言うことかね……。だがまあ、実子であれば丈夫届でも受理されるだろう。なぜわざわざ出向く必要があるんだ」
「そこが今回の悩みどころなのだ」

 ちらりと玄蕃に上目遣いをされて新三郎はどっと疲労するのを感じた。こうしたとき新三郎の勘は良く働く。また陰謀か。

「さきは小田原藩十万石で今度は津藩三十二万石。話が大きくなっていっているな」
「そう嘆くな。これはもしやすると大事件になるかもしれん。お主の好きな絵草紙や芝居にできるやもな」

 新三郎は呆れた。なんだその煽り方は。大事件になって困るのは玄蕃自身ではないのか……。

「身の安全は保証してくれよ」
「大丈夫だ。そのための忠馬だからな」

 振り向くと忠馬はぼんやりと二人のやりとりを眺めている。新三郎は大きなため息をついた。

「忠馬一人で大丈夫か?」
「なに、もう一人分くらいなら費えを出そう」

 そう言われてもあてがない、と応えると玄蕃は忠馬に視線を流してからもう一度新三郎を見た。

「例の剣術小町はどうか」
「……女子おなごだぞ」

「お主より遣うのであろう? それに男装の麗人と聞いたしお主の婚約者じゃないか。いっそ伊勢詣りでもしてきたらいい」

 新三郎は何を莫迦な、と通り一遍のことを口にした。我ながら気の利かぬことだ。

「だいたいどう話すのだ。大藩の陰謀を暴く旅に同道されぬか、とでも言うか? それに俺は先日袖にされたばかりなのだぞ。あちらが申し込んできたのに、三日もしたらなかったことにしてくれときた。どんな顔をして話せばいいのやら俺にはまるで見当がつかん」

「なんだなんだ、その面白そうな話は」

 しまったと思った時には手遅れだった。玄蕃の好奇心の餌食となった新三郎は、本題に入る頃にはすっかりしなびてしまっていた。
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