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宇津領の件

真贋

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 家士に案内され用人ようじんの待つと言う書院までやってくると、上座を空けて脇に中年配のがっしりした体つきの男が迎え入れた。
 旗本家の用人であるから、それなりに押し出しの効く雰囲気があるのは当然だが、対面したときに新三郎は少し迫力がありすぎるように感じた。
 新三郎らが勧められて座ると、用人の男がにこにこと笑み崩した表情で畳に手をつく。

「宇津家用人、日下主善くさかしゅぜんと申します。判元見届はんもとみとどけの御役目ご苦労様にございます」

 労われて新三郎らは自然と頭が下がった。この用人はどうも威厳が強すぎる。本当に一旗本家の用人だろうか。

目付めつけ玄蕃げんばの遣いで参りました。判元見届を行いまする荻野直視なおみでござる」

 再度頭を下げつつ新三郎は上目遣いの日下の面体を改める。
 年の頃は四十そこそこか。柔和な顔つきをしているが鋭い目つきをしている。着ているものは上等なものではないが、さほど質素というわけでもない。領地の窮状から見ると少し違和感があったが、領主が江戸定府であるからにはこの用人もそうなのだろう。
 先述したが、宇津家は小田原公の親戚だ。それも数代前の藩主から分かれた家格の高い分家である。小田原公は代々幕府中枢を担う殿様が出ており、幕閣に影響力が強いのが特徴だ。譜代中の譜代と言っていい。
 最近新三郎が関わりの多い宇和島公と禄高はさほど変わらないが、家の持つ力の差には歴然としたものがあった。その小田原公の分家であるから、四千石の旗本と言っても宇津家には何かしら威光のようなものがあるのだろう。
 新三郎の名乗りに日下は鷹揚に頷くと、部屋の隅に手をかざした。

「そちらにおるのは小田原藩士の二宮金治郎と申す者。この先宇津領の組頭くみがしらとして任官する予定でしてな、このたびの末期養子の判元見届けに立ち会わせまする」
「おお、やはり二宮金治郎どのでしたか」

 新三郎はにこりと笑って二宮を振り返った。

「小田原藩の御家老、たしか服部様でしたか、かの方の領地の経済を立て直されたご手腕を聞き及んでおります」
「御耳馴染みでありましたか。当藩・・の不行跡が元の話なので自慢になりませぬが」

 そう言った時の日下の目は座っていた。二宮を見知っていることに警戒を抱いたのは間違いないようだ。
 新三郎は注意を他に逸らすように調子を変えた。

「しかし立ち合いなどは御無用。養子縁組の願書と、宇津家当主との面談のみで結構でござる」

 新三郎が断りを入れると日下は「金治郎」と部屋の隅に声をかけた。

「願書をこれへ、荻野殿にご検分いただけ」
「は」

 返事をした二宮は、願書一式をのせた盆を捧げるように持ち上げると、新三郎の元へと膝行してきた。
 願書を手に取るのを眺めつつ、日下は困ったような表情をつくって言う。

「しかし判元への確認は難題。重篤な状態が続いており意識がございませぬ」
「左様ですか。であれば、枕元へご案内頂きたい。御存命であるかだけでも確認する必要がございますゆえ」

 新三郎は手に取った願書を盆に戻した。近くに控えたまま下がらない二宮から異様な圧力を感じつつ、新三郎は平然を装う。
 末期養子まつごようしの届けは、最終的に見届け人が判元、つまり願書を提出した当主本人に意向の確認ができねば認められない。先にも述べたように、家臣たちの政変を目的とした叛乱を防ぐためのものである。
 それにこうした手続きには時間や手間を設けることにより、幕府の権威を高める効果も期待されている。おいそれと許可を出して軽んじられることを避けねば、こうした制度の社会において主従の節度を守ることは難しい。 

「荻野殿、当主への面談、御免蒙るわけには参りますまいか」

 日下は脇に置いていた文箱から包みをひとつ、ふたつと取り出した。紙包みのそれは明らかに金子きんすだ。新三郎は日下の目をじっと見返したまま少し頭を下げる。

「決まりなれば罷りなりません。一用人の権でそれを申されるのは余りにお上をないがしろにする行いと言わざるを得ない」

 新三郎にはひとつ予感めいたものがある。この日下を名乗る用人は日下ではない・・・・のではないか。では、いったい誰なのか。

「ご当主のお部屋はどちらでしょうかな。ご案内願う」

 しびれを切らした風を装って、新三郎が立ち上がると、そばにいた二宮金治郎が同じく立ち上がった。右手は脇差のつかにかかっている。忠馬が素早く二人の間に割って入ったがこちらは無刀だ。案内されるときに二人とも大小を預けてあるから当然である。
 どうしてここに刀を持っているのだ、と思うと同時に忠馬の言葉がよみがえってきた。二宮金治郎は中条流の凄腕だと。中条流は長いのより短い方に技の多い流派だ。つまり屋内の立ち回りに強い。脅しのつもりだろうがやり過ぎだ。

「控えろ忠馬、どうやら二宮殿が案内してくれるらしい」

 激しく動悸がして、心臓が口から飛び出そうだったが、新三郎は何とか落ち着いた声で言った。ここで押し問答をしても時間と精神の無駄遣いだ。退路を用意してやらねばなるまい。もちろん新三郎の退路ではない。

「やめよ金治郎。荻野殿、降参だ」
「は……」

 日下が言うや二宮は風を巻くような速さで退った。取り残された新三郎と忠馬が大きく息を吐くと、日下は大声で豪快に嗤った。

「金もだめ、脅しも利かぬ。ではどの者の権でなら融通してくれると言うのだ」
「……そうですね。この場でと言うならば、小田原公でしょうか」

 仕方なく新三郎が答えると日下はもう一度嗤った。いやもうこれは日下ではない。

「重ねての非礼を許せ荻野。余が小田原藩主、大久保忠真だ。よく判ったな」

 新三郎は畏れ入った振りをして座り直すと畳にそっと手をつく。思わずやれやれ、と漏らしてしまうところだった。
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