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工藤家の件

後談

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 そと出から長屋に戻ると木戸脇に駕籠かごが止めてあって、新三郎はなんだか嫌な予感にかられた。
 駕籠かきが煙管きせる煙草たばこをやっているのを横目に木戸を潜ると、左官の内儀ないぎのお富が「ちょいと旦那」と声をかけて寄越す。

「何やらお武家様がお見えですよ」
「どこの紋か見たか?」
「見てもどこのどちら様かわかりゃしませんよ」

 ぱしんと肩をやられて新三郎はぶたれたところをさする。長屋の女たちは遠慮がない。誰の使者が呼び出しに来たのか、芝の実家か森玄蕃げんばか。
 浮かない気分で自分の長屋の障子を引くと、こちらに背を向けて囲炉裏いろりに向かっていた人影が振り向いた。

「よう。邪魔をしているぞ」
「なんと。ご本人のお出ましとは驚いた」

 振り向いた人物は今をときめく幕府目付めつけの森玄蕃本人だった。渋面の新三郎に、土産の包みをかかげてみせる。受け取って無遠慮に広げてみると、神田で近頃評判になっている播磨屋はりまや石焼団子いしやきだんごだ。たちまち新三郎は機嫌を直してしまった。

「こいつは気が利いている。それで今日は何用だ」

 玄蕃のはすに座って新三郎は膝を打った。団子を見つめながら、そういえば茶を切らしていたなと思いだす。

「それよりお主、いつ所帯を持ったのだ。まるで知らなかったぞ、水臭い」
「所帯だと?」
「先ほど訪ねてきたらご新造しんぞが迎えてくれた。それゆえこうして中で待っておったのだ。切らしておった茶をいに行くと出かけたが」
「えっ……」

 新三郎は目に見えてうろたえた。長屋に出入りする女とあれば塔子をおいてほかにはいないだろう。そろそろ来てくれる頃ではないかとは思っていたが、待ち侘びていたと思われては恥ずかしいので、こうして用もないのにそと出をしていたのだ。
 こうしてはおれぬと、片膝を立てたところで戸が引かれた。初夏の日差しと一緒に塔子が茶葉の入った包みを持って入ってきた。

「遅くなりまして……、あれ新三郎様、おかえりなさいませ」

 あわあわと口の中で何か言って新三郎は座りなおした。友人の様子を怪訝けげんそうに眺めていた玄蕃が、思い直して湯の準備をしている塔子の背中に声をかけた。

「ご新造、さきほども申しましたがお構いなく。ご亭主とは旧き仲にて勝手知ったる何とやらですから」

 うろたえたままの新三郎とは対照的に、塔子はどっしりした様子で振り返ると、とんでもないと顔の前で手を左右に振った。

「ご新造だなんて畏れ多いこと。私は新三郎様のお手伝いをさせていただいているだけの者なんです」
「手伝いですか……」
「はい。新三郎様の身の回りのお世話と、お仕事のお手伝いをほんのちょっと」

 塔子はにこりと笑う。それは何とも眩しい笑顔だった。

「そうでしたか。いや、これはとんだ勘違いで失礼なことを申しました」

 いえいえと相槌を打って塔子が竈に向かうと、玄蕃は新三郎に顔を寄せて「どうなっておるのだ」と苦情を言った。俺とて知らぬ、と言ってみたものの玄蕃の細めた目つきが腹立たしい。
 まあそれはよいとして、と断ると玄蕃はおほんと咳ばらいをした。

「先日の工藤家の件、無事話が着いたので報告に参った」
「そうか、それは何よりだ」

 ようやっと体制を立て直した新三郎が身を乗り出した。
 玄蕃が話すところによると、安藤老中が宇和島公に話を持ち掛けると、伊達家の方ではすぐに話がまとまった。
 志津の実弟である伊織は、隠居した先代の子として養われていて、養子縁組がなければ慣例に従い、捨扶持程度の分知を受け、領内で一門藩士として飼殺し同様の扱いを受けるところだった。
 それが将軍家直臣の当主に収まるのだから悪い話ではない。伊達家では世代が変って、世継ぎの保険として生かされていた伊織にはもう役目がない。多すぎる一門は家を傾かせるのに充分な重さを有する。百害あって一利なしとまで言われる有様だ。
 そんな事情も手伝ってか、とんとん拍子に話が進み、死んだ工藤又之丞の子として世嗣届せいしとどけがされた。そしてつい先だって許可が下ったのである。伊織は間もなく工藤家に移って、志津と姉弟力を合わせて家を立て直すことになるとのことだ。

「ここにひとつ奇縁があってな、なんと生前又之丞は伊織と交流があったらしい。又之丞が工藤家に入る直前のことで、一度だけ碁を打ったそうなのだ」

 話を切って、玄蕃は塔子の淹れてくれた茶をすすった。安い茶ばだろうが丁寧に淹れてある。
 新三郎はうんうんと頷いて「良い話を聞いた」と膝を打った。

「これでオチがついたと言うものだ」
「おいお主、芝居本になどするなよと俺は言ったよな」
「そうだったか……」
「このあたりの講談師が、よく似た話を打ってすいぶん人気だと噂で聞いた」
 
 新三郎はごくりと唾をのむ。

「……それで?」
「話は上の部と下の部に分かれていて、下は乞うご期待ということらしいじゃないか」
「ほう……」
「これから書くのか」
「…………」

 新三郎は腕を組むなり無言になる。玄蕃が新三郎の目の前で手をひらひらと振ったが微動だにしない。玄蕃は囲炉裏端にまだ手を付けられていない土産の団子を素早く取り上げた。

「この石焼団子は返してもらうぞ」
「あ、いやこら、待て待て待たぬか!」

 取り上げられた団子の包みを奪い返そうと新三郎が馬立ちになる。二人は勢い余って畳にもみ合いながら、どしんと倒れこんだ。
 二人の様子を見ていた塔子が、手を口に当てて小さな声で「まあ」と呟いた。 
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