妖貴妃は曙光の先に桃源郷をこいねがう

宮沢ましゅまろ

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◾️はじまりの章

◾️011.第二の性

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 目を覚ますと、王暁ワンシャオの世界は大きく変わっていた。いや、変わらざるを得なかったというのが正しい。

 「間違いございません。王暁ワンシャオ様は坤澤オメガでございます 」

 無情な医師の通告に、王暁ワンシャオは口元を手で覆い、その場に膝から崩れ落ちた。

 「第二の性の検査を行うべきかと進言致します 」

 成人の儀で王暁ワンシャオが倒れた後、そう申し出た来たのは九寨溝きゅうさいこうで一番の名医と呼ばれる医師だった。初老に差し掛かる年齢の男は、穏やかな、しかし鎮痛な面持ちでそう告げた。

 医術において深い知識と経験を持ち、第二の性に関しても詳しい医師は、おそらくは最初からある程度の確信があって提案して来ていたのだろう。

 負担が少ないからと、王暁ワンシャオが眠っている間に行われた検査の結果は、王暁ワンシャオの第二の性が坤澤オメガであるという診断だった。

 女児は 「初潮 」が、男児には 「精通 」がやって来たら第二の性についても検査を行う――。江湖では暗黙の了解とされていることだが、王暁ワンシャオは未だ精通を迎えていなかった為に今までは行われていなかったのだ。

 「王暁ワンシャオ様が倒れられたのは、坤澤オメガの発情……を迎えたからでしょう 」

 医師は言い辛そうに下を向きながら、あの時に起きた事象について説明をしはじめた。

 意識が朦朧としていた為にほとんど覚えていないのだが、どうやらあの瞬間に 、王暁ワンシャオは場に居合わせた乾元アルファたちに性的な意味合いで襲われかけたらしい。

 「乾元アルファ坤澤オメガに強く惹かれます。そして坤澤オメガの香りは時に乾元アルファを狂わせる。坤澤オメガを巡って、乾元アルファ同士が争い、最悪の場合殺し合うこともあったと当時の文献には記載がありました。あの場に居合わせた方々は乾元アルファの方が多数を占めておりましたので……互いに牽制し合って余計に熱が高まってしまわれたのではないかと思われます 」

 百年生まれていないとは言っても、神隠しの様にある日突然消えた訳ではない。裏を返せば百年前には坤澤オメガは実際に世で普通に暮らしていたのだ。現在では半ば伝承のような扱いになりつつあるとはいえ、知識として完全に失われる程までには昔の話ではない。

 王暁ワンシャオは、己が身に起こる筈だった悪夢を想像してしまい体を震わせた。

 話ぶりから察するに、相当な修羅場があの日に起こってしまったということだ。

 共に説明を受けた、王奕辰ワンイーチェン王藍洙ワンランズ九寨溝きゅうさいこうのお偉方数名、そして今回王暁ワンシャオの恋人であるからと、特別に同席を許された鄭貫明テイグァンミンは、医師の話に皆一様に言葉を失っていた。

 「なんと…… 」
 「坤澤オメガは麗しい容姿だと聞く。確かに王暁ワンシャオ なら噂に違わぬだろうが…… 」 

 中庸ベータ乾元アルファのどちらであるかを見極めるために、半ば形骸化しているだけの第二の性別の診断だった筈が、ここに来てまさかの坤澤オメガという存在が出現したのだ。動揺もするだろう。

 坤澤オメガはここ百年間生まれていないので、真偽の程は正確には分からないが、伝えられている話によると、坤澤オメガの外見的な特徴は成人を迎える年齢になっても、小柄で中性的なことだと言われていた。

 確かに、王暁ワンシャオの体躯は他の者と比較しても一際小さくて華奢だった。中性的な容姿の子供は他にもいたが、皆二次性徴期を迎える頃には 「男性的 」な体付きに変化して行く者ばかりで、王暁ワンシャオのように変わらない者はいなかった。

 それなのに、王暁ワンシャオの外見はさながら少女のようだった。鍛えられてはいるし、さすがに女性と同じとまでは言えなかったが、体付きもどこか丸みを帯びていた。

 しかし、まさか坤澤オメガだなんて。そんな想定出来るはずもない。

(嫌だ。嫌だ。嫌……っ!!)

 己が中庸ベータ乾元アルファだと思い込んでいた王暁ワンシャオの絶望は計り知れないものだった。
 坤澤オメガは奴隷でもなければ、道具でもない。だが優秀な子を残すことのできる坤澤オメガは特別な存在だ。

 坤澤オメガであれば、乾元アルファと番うことが望まれる。

 しかも、王の一族は九派に数えられる紛れもない名家――。

 いくら世俗とは隔離されている 江湖とはいえ、完全にすべてのしがらみから解放されることは難しい。

 王暁ワンシャオ坤澤オメガだというのなら、鄭貫明テイグァンミンと結ばれることは間違いなく限りない苦難の道だ。

 王奕辰ワンイーチェンが二人の関係を半ば許しかけてくれていたのも、あくまで王暁ワンシャオ坤澤オメガであるなど想定すらしていなかったからだ。

 周りの多く、特に他門派の者たちは二人の関係をけっして肯定はしないだろう。

 それに……何より、鄭貫明テイグァンミンに迷惑がかかってしまう。

 「暁暁シャオシャオ…… 」

 鄭貫明テイグァンミンから気遣わしげな視線を向けられながら、名前を呼ばれた王暁ワンシャオは顔をゆっくりとあげる。鄭貫明テイグァンミンの真っ直ぐな眼差しがこちらを見ていた。   

貫明グァンミン……)

 よく見れば、鄭貫明テイグァンミンの体は傷だらけだった。

 あの混乱の中、温かく力強い腕が抱き上げてくれたのを王暁ワンシャオは覚えている。間違いなく、あの時に鄭貫明テイグァンミン王暁ワンシャオを守ってくれたのだろう。王暁ワンシャオの目に涙が溜まる。

(貫明……)

 もう一度、あの時の様にきつく抱きしめてほしい。王暁ワンシャオそう強く願った。けれど……。

 鄭貫明テイグァンミンに手を伸ばそうとして、王暁ワンシャオは結局そのまま手を引っ込めた。こんな状況で何を言えば良いのか、どう行動するべきなのかが分からない。

 おそらく鄭貫明テイグァンミンも同じなのだろう。いつもなら 「大丈夫だ 」と力強く言ってくれるのに、今日は黙ったままだ。ただじっと王暁ワンシャオを両の眼で見つめている。王暁ワンシャオ坤澤オメガだと聞いて、鄭貫明テイグァンミンがどう思ったのか。それを知るのがとても恐ろしかった。

 誰も下手なことは口にできない。そんな空気が辺りに立ち込めていた。長い沈黙が辺りを支配する中で、王暁ワンシャオは、強く拳を握る。第二の性なんてものがこの世に無ければ。そう思わずにはいられなかった。
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