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第三十六話

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アーシュがカリーノを愛おしそうに見つめている。そしてアーシュがカリーノの腰に手を回し抱き寄せれば、カリーノは嬉しそうに見上げて頬に手を添える。そのまま二人の顔が近づいていく。

「やだ!カリーノとキスしないで!アーシュは僕のものじゃなかったの?」

遠くで二人の様子を見ていた僕はアーシュに叫ぶ。するとアーシュはこちらを振り返る。

「もうヴィルには興味がないから、シャロル王子の側室にでもなんでもなればいい」

冷たい口調で言い捨てると、もう僕を視界に入れる事はなくカリーノだけを優しく見つめる。

嫌だ!嫌だ!お願いアーシュ、僕を見て!

心の叫びは声にならずアーシュに届かない。

アーシュはカリーノの顎を持ち上げ、二人の唇が重なりあう直前に


「いやだ!」

大きく叫んだ自分の声で目が覚めた。目の端から涙がこぼれ落ちる。それを手で拭い体を起こす。体が熱っぽく感じるのは寝起きだからだろう。アーシュが発情期のカリーノを連れてパーティーを出た日からずっと同じ夢を見ては泣いて起きるのを繰り返している。いい加減アーシュを諦めなきゃいけないのに…。僕はベッドの上で膝を抱える。体が触れあっている部分がやたらと熱く感じた。

* * *

「おはようございます。朝から一人で騒いでいたみたいですが、落ち着きましたか?」

「ああ」

寝室から出るとレトア卿から嫌味を言われる。僕の寝言はだいぶ大きかったみたいだ。カウチに腰掛けるとレトア卿が紅茶の準備をする。正直、リドールの紅茶は苦くて好みではないが、初日にそれを言ってしまいレトア卿に「お子ちゃまですね」と笑われた。それからは文句を言わず意地で完飲している。

「シャロル王子はまだ来ていないか?」

「殿下が昼過ぎまで眠っているので、どうしようかと思いましたが、まだいらしてないです」

パーティーの翌日からシャロル王子は欠かさず僕の元に通っている。来た時には他愛のない話をするくらいだが、その時間はアーシュのことを考えずに済んだ。そのアーシュはカリーノと部屋に篭り出てこない。僕の発情期の時みたいにカリーノを抱いているのかもしれないと考えたら怖くて部屋を尋ねることが出来なかった。
レトア卿の淹れた紅茶に口をつけると、やはり苦くて味わうこともせずに喉に押し込んだ。カップをソーサーに置くとなぜかご機嫌なレトア卿の方に目を向ける。いつもは蔑んだ目を向けてくるのに、今日は楽しそうに微笑んでいる。親しくない僕でも作り笑いじゃないとわかるなんて、嫌な予感がして背中が寒くなった。

「なぜ笑っている?」

「あぁ、これは失礼いたしました。殿下の発情期がきちんときたので安心して気が緩んでしまいました」

「発情期はまだ先だ。何を言っているんだ?」

「ご自分では発情期が来ていることに気づいておられないのですか?殿下からこんなにオメガのフェロモンの匂い悪臭がしているのに」

確かに朝から熱っぽさはあった。でも今まで周期がズレるなんてことは無かったのに。アーシュに振られたショックで狂ったのか。

「匂いがしているなら好都合だが、ネックガードが外せないな」

「好都合…。殿下はシャロル王子と番になるということですか?」

「そうだが、それが何だ?」

「いいえ。懸命なご判断だと思いますよ。ネックガードは鍵などなくても外せますから大丈夫ですよ」

どうやって?と聞こうとした時に部屋の扉がノックされた。レトア卿がカウチの近くから離れ扉を開く。招き入れられた人物はシャロル王子ではなく見知らぬ青年だった。その男性は無遠慮に僕の向かい側のカウチに腰を下ろす。

「誰だ?」

「そんな不躾な態度を取られる覚えはない。私はシャロル殿下からヴィルム王子と番になるよう命じられてここに来たのだから」

「どういうことだ?」

「そのままの意味だ。ヴィルム王子が今日から発情期に入るから番になってこいとシャロル王子から命じられた」

「ふざけるな。僕はシャロル王子と番になると言ったんだ。お前じゃない」

あんなに熱烈に求婚しておいてシャロル王子は元から僕と番になるつもりはなかったのか?アーシュに捨てられ、王子には見ず知らずの他人を当てがわれて。僕一人だけが愛されたいともがいている。なんて惨めなんだろう。自分に対して嘲笑するしかない。
カウチから立ち上がり席を外そうとする僕の肩をレトア卿が掴む。

「離せ」

「そんな連れないことを言わないでください。形はどうであれ、リドールとの婚姻が成立するのならいいじゃないですか。殿下はオメガなのですから、アルファなら誰でも一緒でしょ?」

レトア卿は僕のネックガードを掴むと、そのまま引っ張りカウチに僕の体を縫い付ける。発情期が始まり上手く力の入らない体で抵抗するも意味をなさなかった。レトア卿は僕の腰に馬乗りになる。向かいのカウチに腰掛けたリドールの青年の姿が視界の端に見える。このまま誰だか知らない奴に抱かれてたまるか。

「やめろレトア卿!離せ!」

「そう言われて止めるはずがないでしょ?あんまり暴れると怪我をしますよ」

レトア卿は胸元から短剣を取り出すと僕のネックガードの隙間に刃を差し入れる。上下に刃を動かすとネックガードが削られる音がする。

「随分と時間がかかりそうだな。早くしないとお前もこのフェロモンの匂いで理性を飛ばすのではないか?」

リドールの青年がレトア卿をからかう様に言う。

「いやだ!離せ!」

「あぁ、それなら…まったく、大人しくしなさい」

青年に言葉を返そうとしたレトア卿が、抵抗する僕に苛立ち頬を打つ。パァンと乾いた音が響き、頬に痛みが走る。

「可愛い顔に平手打ちなんて酷いことをするな。それより早くしてくれないか?オメガのフェロモンの匂いに当てられてきた」

「はぁ。アルファに唯一欠陥があるとすれば、こんな下賤な匂いに反応することですね」

レトア卿は辟易とし小さく呟く。

「何か言ったか?」

「いいえ何も。ネックガードが断ち切れるまでもう少しお待ちください」

レトア卿は手を休めることなく、作り笑いを青年に向ける。
こんな知らない奴と番になるなんてごめんだ。いいや違う。僕が番になりたいのはたった一人だけ。
本当は、アーシュと番になりたかった…。

来るはずなんてないのに、アーシュが来てくれることを、どこかで期待していたのだ。
でも、今は自分だけで何とかしなくちゃいけない。

「離せ!」

思い切り起き上がりレトア卿に頭突きをしようとするも頭を押し返される。起き上がったときに短剣で皮膚が切れたのか首にピリッとした痛みが走る。

「本当に手がかかる。はやくヤリたいなら、上半身を押さえててもらえませんか?」

「はぁ、仕方ないな」

レトア卿に指示され青年が面倒くさそうに僕の肩を押さえつける。あぁ、これはもう抵抗しても無駄かもしれないと絶望が心を支配した。その時、扉が乱暴に開く音がした。




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