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第二章 戦
お使いの日
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今日は雨。
冬咲きのシクラメンが咲き終わり、大家さんがどこぞから持ち込んだ桃と梅の鉢植えの蕾が弾けそうに膨らんで来た2月末のある日。
因みにビニールトンネルの中の一輪草は、ビニールが真っ白になるまで咲き誇ったまんまだ。
「梅と桃は、もう少し育ったら植え替えましょうねぇ。」
「楽しみですね。」
一応、玉は4月から進学って言う設定があった筈なんだけど。
なんか、玉と大家さんの間では、とっくになんらかの決着が付いているらしい。
だからさぁ、僕がこの部屋を出て行く時、もはや別物になっている庭は、僕の敷金では払い切れない状況だぞ、これ。
雨が降る日は庭いじりも休みなので、今朝は大家さんもお休み。
「仕事じゃなくて趣味だよ。お父さん。家畜やペットと違って草木のご飯は水と太陽なんだから、1んち2日放っておいても問題ありません。頑張らないから楽しいんですよ。」
とは、大家さんのお言葉。
つい数年前まで、アメニモマケズカゼニモマケズ専業農家をしていた実務経験者のお言葉は深いよね。
商品野菜の手入れに天候も健康も気分も関係ないもん。
だから、玉の様に素直で人懐っこい「弟子」が出来て、まるで祖母孫の様な関係を築けている毎朝のこの時間は、大家さんには大切な生き甲斐になっているそうな。
「お父さん、ありがとうね。玉ちゃんを紹介してくれて。2人の仲人は任せてね。」
自分の店子が得体の知れない少女を引き込んだという、聞きようによっては犯罪な事を、ニコニコ笑いながら僕に言う。
「部屋、全部埋まってるのよねぇ。空いてたら越してくるのに。」
「いや、立派なお屋敷があって旦那さんもお元気なのに、何言ってんですか?」
「うふふ、冗談よ。………たぶん……」
多分?
今朝は和食の日。
暗いうちから起きて、玉が荼枳尼天に祝詞をあげている間に、社の周りになんだか茗荷が増えていたので、間引きしておいたら、その茗荷を使って玉が味噌汁を作ってくれた。
茗荷と大葉は、祠に閉じ籠められていた玉の唯一の食事だった。
飲まず食わすでも死なない(死ねない)状況だったとはいえ、何かを食べるという事は精神衛生に必須な事。
とはいえ調味料も調理環境も無い祠では、玉はそのまま齧り付く以外に無かったので、二度と見たくないものだった。
そこで、きちんと料理した「葉っぱ」を食べさせてみたら、玉の新しい世界が開けた訳だ。
今日の味噌汁は、ただ茗荷を鍋に入れるのではなく、七輪を使って軽く醤油で焦がすひと工夫をしてあるので、汁物の具とは思えない程、香ばしかった。
「行ってきまぁす。どうしよう。茗荷って付け合わせじゃなくて主役になる存在だと初めて思い知ったわ。」
「行ってらっしゃい。」
「行って来ますの後の話が長いぞぅ。」
「仕方ないじゃん。なんか黙ってられなかったんだから。私も新しい茗荷料理を考えないと、あぁでも、物忘れが酷くなったらどうしよう。」
「君はお婆ちゃんかよ。」
「お婆ちゃんになるまで面倒みてよね。」
最後にとんでもない爆弾を残して青木さん(あくまでお隣さん)は、今日も僕の部屋から出社して行った。
あと、茗荷を食べると物忘れが酷くなるって、江戸時代の頃の迷信じゃないか。
何故平成生まれが知ってんだ?
★ ★ ★
さて、今日は。
先日、榛名神社のカグツチさんに頼まれたお届け物の配達に行きましょう。
遠出するのもなんだか面倒くさく、普段の生活が(自覚してなかったけど)充実していたので、日々の日常にダラダラ流されています。
けど、もうすぐ3月だし、多分3月は3月で色々ありそうな(悪い)予感しかしないので。
今月の事は今月のうちに片付けましょう。
「殿と2人きりのお出かけというのも、なんだか久しぶりですね。」
ウキウキ玉さん。
いつもの帆布バックを肩から斜めに下げて、赤のピーコートに、エナメルのスニーカーに着替えて、先に外に飛び出してます。
「あと、殿が買ってくれた赤い傘がやっとさせます。」
基本的に雨の日は自宅でまったり派の我が家は、雨具の出番は殆ど無いので。
ゴミステーションに行く数十メートルは、玄関先に掛けてあるビニール傘とサンダルで出て行くし。
「殿との。相合い傘しましょう相合い傘。」
なんか玉さんのテンション高いぞ?
「あぁうん。遠慮しとく。」
「えぇぇ。せっかくの2人きりですよぉ。仲良しになりましょうよぅ。」
あぁそう言う事か。
僕と2人だから嬉しいのね。
いつも2人なんだけどね。
「玉。僕と玉じゃ背の高さが結構違うから、僕が傘を持つにしても、玉が傘を持つにしても、どちらかが濡れちゃうだろ。」
「ぶぅぶぅ。」
「その代わり。」
僕の右手を歩く玉の左手を握ってあげる。
玉から手を繋いで来る事はあっても、僕から手を繋いだ事は、多分初めてだ。
最初、びっくりした表情を浮かべた玉は、すぐニッコリ笑って僕の手をぎゅっと握り返した。
駐車場までせいぜい歩いて5分だけど、まぁたまにはね。
傘が必須になるくらいにはしっかり雨が降る中、僕らはのんびりと駐車場へと続く坂(青木さんが雪の晩に転げ落ちた坂)を下って行くのでした。
………
カバンを足元に置いて、いつもの地図セットをダッシュボードに置くと、シートベルトを締めながら話しかけてくる。
「殿、今日は急ぐ旅ですか?」
「急がない旅です。」
ナビを操作しながら、半ば上の空で答える。
「だったらお金かからない道で行きましょう。」
「はいはい。」
「はいは1回です。」
「…はい。」
東関道で行けば1時間ちょっとで行けるけどなぁ。
玉さんは無駄遣いを嫌う(特に自分にお金を使う事を嫌がる)困った人なので。
同居人にして同乗者に臍を曲げられても困るし、ナビを下道優先の設定にした。
行き先は茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮。
あぁ到着予定時間が2時間後予想になってるよ。
まぁいいか。
玉は居眠りを殆どしない人なので(知らない景色を眺めるのに忙しい人なので)、話し相手には困らない。
ついでだから、お昼ごはんを何処で食べるかを、地図かナビで決めてもらう事にしようか。
まぁ考えてみたら、雨降りの日に、高速を積極的に走ろうとは思わない僕じゃないか。
「取り敢えずいつものルートで。木下街道を北に向かいます。」
「はい。あ、殿。後でこんびにに寄って下さい。飲み物を家から持ってくるの忘れました。」
「はいな。」
木下街道は、かつて銚子から我孫子市木下で水揚げした海産物を運んだ街道で、松戸市松戸と市川市行徳に通じていた。
松戸方面は鮮魚街道と言われていたが、自衛隊基地と昭和期の開発で殆どが消滅した。しかし行徳への木下街道は内陸の主要街道として今なお健在。
鮮魚街道が人家の少ない、徳川家の牧場を横切っていた事に対して、木下街道は宿場を幾つか置いた正式な街道だった事もあるのだろう。
かつては日本一小さな大仏・鎌ヶ谷大仏から行徳まで「路面人車」が走っていたらしい。
電車じゃないよ、人車だよ。
人が押していた乗り物だよ。
この辺だと、柴又の京成線や野田にあった貨物鉄道がそうだったらしい。
蒸気機関車の前の動力は、人か馬か牛。
日本で一番最初に出来た鉄道、新橋駅の写真には客車を馬が引く「馬車鉄道」が客待ちをしている姿が写っている。
のちの都電であり、現在の都バスである。
そんな事を話していたら、玉が古いしもたやを見つけた。
「明治時代に作られた、丸屋って旅籠の跡だそうですよ。」
ちょうど新京成の踏切と、交差する古い街道の交差点が重なって渋滞するポイントだったので、その建物が見える間に玉がスマホで検索を終えていた。
「ここは時々通りがかるのに、初めて気がつきました。」
「普段は向かい側にある大仏ばかり気にしているからね。」
この先にたまに行く◯ックオフがあるからねぇ。
古本屋の品揃えなんかそんなに変わり映えしないし、月イチって頻度だけど。
道は、古い農村と開発地を交互に繰り返し、やがて台地が終わり手賀沼が作った低地に作られた田が広がっていく。
「手賀沼、見えませんね。地図だと見えるのに。」
「帰りに寄ってあげるよ。」
我孫子まで回れば橋があった筈だ。
「はい、楽しみですね。」
道は利根川堤防沿いに進む、スーパー堤防的な?道に出た。
このあたりは東西を結ぶ道路は2本しか走っていない。
このまま堤防下を走る道と、農道の嵩を高めて広げた道だ。
その道は栄町の宿場に繋がり、成田・銚子を結ぶ街道に繋がる。
どっちにしても、殆ど信号の無い対面2車線のつまらない道。
だったら走り易い堤防ルートを走る事にする。
時々橋が出てくる以外に、見るべきものは何もないよ、てあらかじめ言ってあるので、玉は冷めてしまったアメリカンドッグをもしゃもしゃ食べているだけだ。
「殿。暇ですねぇ。」
「雨降ってるしねぇ。寄り道出来るとこ無いし。コンビニもファミレスも無いしなぁ。」
「殿。お母さんや佳奈さんが聞いてるピカピカ光る板有りませんか?」
「一応デッキはあるけど、肝心のディスクは引越しした時に全部処分しちゃった。」
「むぅむぅ。」
やっぱり家にいた方が良かったかなぁ。
それとも、天気の良い日に電車で来た方が良かったかなぁ。
などと後悔しかけていた時。
場所は常盤大橋の渋滞を超えたあたり。
それは起こった。
まったくもう。
冬咲きのシクラメンが咲き終わり、大家さんがどこぞから持ち込んだ桃と梅の鉢植えの蕾が弾けそうに膨らんで来た2月末のある日。
因みにビニールトンネルの中の一輪草は、ビニールが真っ白になるまで咲き誇ったまんまだ。
「梅と桃は、もう少し育ったら植え替えましょうねぇ。」
「楽しみですね。」
一応、玉は4月から進学って言う設定があった筈なんだけど。
なんか、玉と大家さんの間では、とっくになんらかの決着が付いているらしい。
だからさぁ、僕がこの部屋を出て行く時、もはや別物になっている庭は、僕の敷金では払い切れない状況だぞ、これ。
雨が降る日は庭いじりも休みなので、今朝は大家さんもお休み。
「仕事じゃなくて趣味だよ。お父さん。家畜やペットと違って草木のご飯は水と太陽なんだから、1んち2日放っておいても問題ありません。頑張らないから楽しいんですよ。」
とは、大家さんのお言葉。
つい数年前まで、アメニモマケズカゼニモマケズ専業農家をしていた実務経験者のお言葉は深いよね。
商品野菜の手入れに天候も健康も気分も関係ないもん。
だから、玉の様に素直で人懐っこい「弟子」が出来て、まるで祖母孫の様な関係を築けている毎朝のこの時間は、大家さんには大切な生き甲斐になっているそうな。
「お父さん、ありがとうね。玉ちゃんを紹介してくれて。2人の仲人は任せてね。」
自分の店子が得体の知れない少女を引き込んだという、聞きようによっては犯罪な事を、ニコニコ笑いながら僕に言う。
「部屋、全部埋まってるのよねぇ。空いてたら越してくるのに。」
「いや、立派なお屋敷があって旦那さんもお元気なのに、何言ってんですか?」
「うふふ、冗談よ。………たぶん……」
多分?
今朝は和食の日。
暗いうちから起きて、玉が荼枳尼天に祝詞をあげている間に、社の周りになんだか茗荷が増えていたので、間引きしておいたら、その茗荷を使って玉が味噌汁を作ってくれた。
茗荷と大葉は、祠に閉じ籠められていた玉の唯一の食事だった。
飲まず食わすでも死なない(死ねない)状況だったとはいえ、何かを食べるという事は精神衛生に必須な事。
とはいえ調味料も調理環境も無い祠では、玉はそのまま齧り付く以外に無かったので、二度と見たくないものだった。
そこで、きちんと料理した「葉っぱ」を食べさせてみたら、玉の新しい世界が開けた訳だ。
今日の味噌汁は、ただ茗荷を鍋に入れるのではなく、七輪を使って軽く醤油で焦がすひと工夫をしてあるので、汁物の具とは思えない程、香ばしかった。
「行ってきまぁす。どうしよう。茗荷って付け合わせじゃなくて主役になる存在だと初めて思い知ったわ。」
「行ってらっしゃい。」
「行って来ますの後の話が長いぞぅ。」
「仕方ないじゃん。なんか黙ってられなかったんだから。私も新しい茗荷料理を考えないと、あぁでも、物忘れが酷くなったらどうしよう。」
「君はお婆ちゃんかよ。」
「お婆ちゃんになるまで面倒みてよね。」
最後にとんでもない爆弾を残して青木さん(あくまでお隣さん)は、今日も僕の部屋から出社して行った。
あと、茗荷を食べると物忘れが酷くなるって、江戸時代の頃の迷信じゃないか。
何故平成生まれが知ってんだ?
★ ★ ★
さて、今日は。
先日、榛名神社のカグツチさんに頼まれたお届け物の配達に行きましょう。
遠出するのもなんだか面倒くさく、普段の生活が(自覚してなかったけど)充実していたので、日々の日常にダラダラ流されています。
けど、もうすぐ3月だし、多分3月は3月で色々ありそうな(悪い)予感しかしないので。
今月の事は今月のうちに片付けましょう。
「殿と2人きりのお出かけというのも、なんだか久しぶりですね。」
ウキウキ玉さん。
いつもの帆布バックを肩から斜めに下げて、赤のピーコートに、エナメルのスニーカーに着替えて、先に外に飛び出してます。
「あと、殿が買ってくれた赤い傘がやっとさせます。」
基本的に雨の日は自宅でまったり派の我が家は、雨具の出番は殆ど無いので。
ゴミステーションに行く数十メートルは、玄関先に掛けてあるビニール傘とサンダルで出て行くし。
「殿との。相合い傘しましょう相合い傘。」
なんか玉さんのテンション高いぞ?
「あぁうん。遠慮しとく。」
「えぇぇ。せっかくの2人きりですよぉ。仲良しになりましょうよぅ。」
あぁそう言う事か。
僕と2人だから嬉しいのね。
いつも2人なんだけどね。
「玉。僕と玉じゃ背の高さが結構違うから、僕が傘を持つにしても、玉が傘を持つにしても、どちらかが濡れちゃうだろ。」
「ぶぅぶぅ。」
「その代わり。」
僕の右手を歩く玉の左手を握ってあげる。
玉から手を繋いで来る事はあっても、僕から手を繋いだ事は、多分初めてだ。
最初、びっくりした表情を浮かべた玉は、すぐニッコリ笑って僕の手をぎゅっと握り返した。
駐車場までせいぜい歩いて5分だけど、まぁたまにはね。
傘が必須になるくらいにはしっかり雨が降る中、僕らはのんびりと駐車場へと続く坂(青木さんが雪の晩に転げ落ちた坂)を下って行くのでした。
………
カバンを足元に置いて、いつもの地図セットをダッシュボードに置くと、シートベルトを締めながら話しかけてくる。
「殿、今日は急ぐ旅ですか?」
「急がない旅です。」
ナビを操作しながら、半ば上の空で答える。
「だったらお金かからない道で行きましょう。」
「はいはい。」
「はいは1回です。」
「…はい。」
東関道で行けば1時間ちょっとで行けるけどなぁ。
玉さんは無駄遣いを嫌う(特に自分にお金を使う事を嫌がる)困った人なので。
同居人にして同乗者に臍を曲げられても困るし、ナビを下道優先の設定にした。
行き先は茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮。
あぁ到着予定時間が2時間後予想になってるよ。
まぁいいか。
玉は居眠りを殆どしない人なので(知らない景色を眺めるのに忙しい人なので)、話し相手には困らない。
ついでだから、お昼ごはんを何処で食べるかを、地図かナビで決めてもらう事にしようか。
まぁ考えてみたら、雨降りの日に、高速を積極的に走ろうとは思わない僕じゃないか。
「取り敢えずいつものルートで。木下街道を北に向かいます。」
「はい。あ、殿。後でこんびにに寄って下さい。飲み物を家から持ってくるの忘れました。」
「はいな。」
木下街道は、かつて銚子から我孫子市木下で水揚げした海産物を運んだ街道で、松戸市松戸と市川市行徳に通じていた。
松戸方面は鮮魚街道と言われていたが、自衛隊基地と昭和期の開発で殆どが消滅した。しかし行徳への木下街道は内陸の主要街道として今なお健在。
鮮魚街道が人家の少ない、徳川家の牧場を横切っていた事に対して、木下街道は宿場を幾つか置いた正式な街道だった事もあるのだろう。
かつては日本一小さな大仏・鎌ヶ谷大仏から行徳まで「路面人車」が走っていたらしい。
電車じゃないよ、人車だよ。
人が押していた乗り物だよ。
この辺だと、柴又の京成線や野田にあった貨物鉄道がそうだったらしい。
蒸気機関車の前の動力は、人か馬か牛。
日本で一番最初に出来た鉄道、新橋駅の写真には客車を馬が引く「馬車鉄道」が客待ちをしている姿が写っている。
のちの都電であり、現在の都バスである。
そんな事を話していたら、玉が古いしもたやを見つけた。
「明治時代に作られた、丸屋って旅籠の跡だそうですよ。」
ちょうど新京成の踏切と、交差する古い街道の交差点が重なって渋滞するポイントだったので、その建物が見える間に玉がスマホで検索を終えていた。
「ここは時々通りがかるのに、初めて気がつきました。」
「普段は向かい側にある大仏ばかり気にしているからね。」
この先にたまに行く◯ックオフがあるからねぇ。
古本屋の品揃えなんかそんなに変わり映えしないし、月イチって頻度だけど。
道は、古い農村と開発地を交互に繰り返し、やがて台地が終わり手賀沼が作った低地に作られた田が広がっていく。
「手賀沼、見えませんね。地図だと見えるのに。」
「帰りに寄ってあげるよ。」
我孫子まで回れば橋があった筈だ。
「はい、楽しみですね。」
道は利根川堤防沿いに進む、スーパー堤防的な?道に出た。
このあたりは東西を結ぶ道路は2本しか走っていない。
このまま堤防下を走る道と、農道の嵩を高めて広げた道だ。
その道は栄町の宿場に繋がり、成田・銚子を結ぶ街道に繋がる。
どっちにしても、殆ど信号の無い対面2車線のつまらない道。
だったら走り易い堤防ルートを走る事にする。
時々橋が出てくる以外に、見るべきものは何もないよ、てあらかじめ言ってあるので、玉は冷めてしまったアメリカンドッグをもしゃもしゃ食べているだけだ。
「殿。暇ですねぇ。」
「雨降ってるしねぇ。寄り道出来るとこ無いし。コンビニもファミレスも無いしなぁ。」
「殿。お母さんや佳奈さんが聞いてるピカピカ光る板有りませんか?」
「一応デッキはあるけど、肝心のディスクは引越しした時に全部処分しちゃった。」
「むぅむぅ。」
やっぱり家にいた方が良かったかなぁ。
それとも、天気の良い日に電車で来た方が良かったかなぁ。
などと後悔しかけていた時。
場所は常盤大橋の渋滞を超えたあたり。
それは起こった。
まったくもう。
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