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第一章 開店
鯉?
しおりを挟むそれまで、雨上がりの快晴だった空から、急速に色がなくなっていく。
現れたそこは、灰色の世界。
やがて、僕達の歩行を邪魔していた植物が消えていく。
嫌がらせの様に足をとり、躓かせようとしていた浮き根。
顔に纏わりついていた、細い枯れ枝や、主の居なくなった蜘蛛の巣。
そう言った「自然」に変わり、明らかに「不自然」な「瀞み」になる。
そう、僕達を包んでいる空気には、明らかに「重み」があった。
僕は、これが何かを知っている。
次元の狭間と言うべき「祠」に閉じ込められたヒトの感情の澱みだ。
苦しい。
悲しい。
帰りたい。家族の元に帰りたい。
何故、俺だけこんな目に遭うんだ。
私が何をしたと言うの?
やがてその想いは、時と共に「純化」し「先鋭化」されていく。
祠の中では、身体的には時間が経たなくとも、精神的には時間が経っていく。
先鋭化された感情は、「怨み」「辛み」だけに変化し、本来なら老化も劣化もしない己の肉体を溶かし、精神体に変化する。
そして、いつか来る新たな獲物を取り込んで、更にその力を強化していく。
何十年、何百年という時をかけて。
僕は輝く右手を振り、己の身体に宿る「浅葱の刀」を取り出した。
玉はどうするのかと思ったら、左手の薬指にはめられた、あの水晶の指輪を握ると、その手に荼枳尼天から下賜された御神刀が現れた。
なるほど。水晶もそもそもは荼枳尼天と縁の深いもの。水晶を媒介にする方法があるんだ。
妹は僕らが起こした、わけのわからない奇跡に目を丸くしていたけれど、そもそもが最初から非常識な現象に遭遇しるし、玉という非常識な存在を最初から認識しているわけで。
本人が「黙ってればいい?」と聞いたのは、緊急時に余計な説明を求めたりして、僕らの邪魔はしないという表明なんだ。
だから、僕らは妹の信頼に応えなければならない。
前々だったら、ただ時間移動能力しかない僕に戦闘能力はなく、さっさと尻尾を巻いて逃げ出している。
玉にもそう言って、ガッカリされた事がある。
今日だって、無関係な妹を巻き込んでしまったので、本当だったら逃げ出す事が一番正しい道だろう。
しかし、ここに来たのは、しずさんに頼まれたって言う理由がある。
おそらく、しずさんはこうなる事を予感して、いや知っていた。
玉が巻き込まれる事も知っていた。
それはつまり、僕と玉に、この祠の浄化を頼んだと言う事だ。
そりゃ、棒坂は何処?って探してても、ヒントの一つもくれないさ。
自分の娘と娘婿(自分で言うと恥ずかしいぞ)を知ってて危険に陥れるわけだから。
「玉。」
「はい。」
玉と共に戦うのは2度目だ。
そのフォーメーションに狂いはない。
僕らの刀を認識した澱みが襲い掛かる。
高天の原に神留まります皇が睦 神漏岐神漏美の命以ちて 八百万の神等を神集ヘに集へ給ひ 神議りに議り給ひて 我が皇御孫の命は 豊葦原の瑞穂の国を 安国と 平らけく 領ろし召せと 言依さし奉りき
毎日、毎朝、何度も聖域に響いた祝詞が、ここ棒坂に突如現れた祠にも響く。
玉の周りが祝詞の進行と共に白く輝き出す。
その中で妹は大人しく玉を肩を''掴んで“いた。
…妹が玉に触っている?
触れている?
まぁ、それは後でいいや。
「玉!!」
「はい!!」
合図と共に、玉は御神刀を地に差し、僕は最も空気の重い、手を伸ばすだけでねっとりとした感触がある空間めがけて、右手の刀を振り下ろした。
★ ★ ★
何故だ、何故抗える??????
灰色の世界に男の声が響く。
決まっている。
僕は諦めた事がないからだ。
母を亡くし、父を亡くし。
でも妹が残ってくれていたから頑張れた。頑張らないとならなかった。
だから僕は必死になった。
僕に出来る事を必死になって探した。
“だから、僕は抗える。“
そんなの無理。人間は弱い。
女の声が響く。
いや、人間は弱くない。お前が弱いんだ、お前だけが弱いんだ!
どんなに苦しくても、己の無力を嘆いていても、それでも決して諦めなかった少女が、僕の背後に立っている。
自分の2本の足で、きちんと立って、僕の大切な妹を、僕の背中を守っているんだ。
でも、それは
特別な力を持っていたから
僕はね。確かに特別な力を持っているよ。
でも玉は違う。
いつも誰かを想って、誰かの為になる事を夢見て、頑張り続けている。
彼女には、力などない。
彼女が持っているものは「想い」だけだ。
神すらも動かした純粋な想いだ。
お前らは、こんな小さな少女に勝てない、哀れな蟲ケラなのか?
ならば僕が滅する。
その力を「僕は」持っているから。
………。
………。
たしかに
俺(私)は蟲だ。蟲ケラだ。
蟲ケラに生きる価値などあるのか?
生きる価値ってなんだ?
お前が教えてくれるのか?
それを決めるのは僕じゃない。
君だ。お前だ。あなただ。
どうする?
僕は救う力を持っている。
未来永劫、ここで全てを呪い、怨み、苦しみ続けるか。
人間世界で、苦しみ、泣き、笑い、生きるか。
それを選べ。
今すぐにだ。
…優しい顔をして、厳しい事を言う…
当たり前だ。楽して死ねるなどと思うな。死して行き着く先が、地獄が、ここより楽な世界だと思うな。
…助けてくれるのですか?
僕は、落とし穴に落ちた人を引き上げるだけだ。
…死ぬのなら、自分で納得がいくまで足掻いてから死にたい…
…その機会を頂けるのですね…
よし。祈れ。
誰にでもいい。信仰する神様でも、母親でも、お地蔵さんでも、なんでもいい。
俺が、
私が、
祈るのは、観音様…
その声を確認して、僕は刀を再度振り下ろした。
★ ★ ★
湧水だ。湧水がある。
僕らは湧水のそばに立っていた。
玉は静かに御神刀を鞘に納めた。
妹は、何がなんだかわからないのだろう。とりあえず玉にしがみついている。
玉に触れるって事は、玉の存在確率が上がっていると言う事。
つまり、今ここは現代ではないのだろう。
「そろそろ良い?」
妹は玉に触れる事がわかって、ギュッと抱きしめた。
玉は困ったような、仕方ないなぁって顔をして苦笑いしている。
「ここ、どこ?」
「さぁ?」
「さぁて。」
先程までの澱みは消え去っている。
ではここは祠か。
違うような気がする。
それはこの湧水だ。
この水は澄んでいる。
澄んでいるけど、栄養価やミネラル値が高い、生物には命の水だ。
そう、まるで、「聖域に流れる水」の様に。
「何が起こったの?」
「さぁ?」
「さぁて。」
妹と頭の悪い会話を繰り返しているけど、僕だって全てを把握している訳じゃない。
さっきのは、頭の中にムカつく連中が入って来たから、怒鳴りつけただけだ、
頭の中で。
甘ったれるな。
“俺“と玉が、どれだけ大変な人生を送って来たと思ってやがる。
“俺達“はそれでも、美味しい物を食べて、笑っている為に、どれだけ頑張っていると思っていやがる。
ふざけるな!
ふざけるな!
ふざけるなふざけるなふざけるな!
勿論、僕らが頑張っている事を、僕らがしてきた努力を真似ろと、簡単に言うつもりはない。
諦めるのも自由だ。
それは個人の選択だ。
僕が口出しする事じゃない。
ただ、玉と妹を巻き込むな。
それだけで、僕は刀を振るった。
はっきり言う。
ただの怒りだ。
八つ当たりだ。
それでも、それが正解だった様だ。
「浅葱の刀」は、既に僕の右手に収納されている。僕の意思ではなく、おそらくは「浅葱の刀」の意思だ。
これから起きる事には、刀は不用。もしくはあるべきではない、という判断だろう。
御神刀を自由に操る玉とは、そこら辺が違っている。それは玉が僕よりも御神刀を使い熟しているという事なのだろう。
妹の質問には、結局何一つ答えられないまま、僕は湧水に近寄ってみた。
多分、僕の求める答えがある筈だから。
湧水は小さな池となり、溢れた水は小さな川となり、どこかに流れ出している。
池を覗く。
いた。
お前か。
玉と妹が、僕の両側に分かれてそっと覗き込む。
そこには。
鯉がいた。
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