ご飯を食べて異世界に行こう

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第一章 開店

パスタの気分

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「また女を引き込んだのかな?」
駐車場に車を置いて戻ってきたら、ビール半ダースをぶら下げた菅原さんに絡まれた。
日曜日だというのに、今日も全身黒い人だ。
まぁ、考えてみたら、土日と菅原さんが勤める市役所は休みだし、その2日間、賑やかな青木さんが、賑やかな玉と、賑やかにやってるわけで。
そりゃ、バレるわなぁ。

「僕と玉の共通の知り合いですよ。あの通り玉に逢いに来てるんです。」
「そうかぁ?あの娘、随分と熱っぽい目で君を見てたけど。」
「玉と暮らしているとはいえ、一応独身女性が独身男性の部屋に遊びに来ているわけだから、そりゃ多少は艶っぽく見えるでしょう。」
むしろ昨日の方が大人っぽくて艶やかだった。今日はナチュラルメイクでカジュアルな服装だけど。

「……君は随分と冷静なんだね。つまらん。」
「一応、年相応に経験は積んでますから。勘違いで痛い目にあった事もあるし、別に今お付き合いをしてる人は居ませんので、そうなったらそれはそれで楽しくなりそうですけどね。残念ながら玉がメインの関係性です。あのコミュニケーションお化けと負けないくらいのお化けですよ。あの2人。」
「つまらんつまらん。つまらんぞぉ。」
つまらんを繰り返して菅原さんは自分の部屋に入って行った。
……ちょっと賑やかにし過ぎたかな?

★  ★  ★

「確かに何も無いぞっ!」
両手を腰に当てた姿で、上半身全体でビシッと突っ込まれた。
「ビシッ!」
「いや、玉さん。青木さんのポーズにオノマトペ付けなくてもいいから。」
「クローゼットはスーツが2着にワイシャツ5枚。私服はいかにもユニクロなシンプル過ぎる上下が何着かあるだけ。おまけに下着は玉ちゃんと同じ引き出しに並んでるし。」
「殿のパンツは玉が洗っていますから。」
「玉ちゃんは、菊地さんの女房か!」
「そのつもりですが?」
「………。ねぇ菊地さん?年端もいかない玉ちゃんをどうやってここまで仕込んだの?」
「失礼な事言わないでよ。」

殿は何にも買わない人です。って言う玉の証言を確認してるようだけど、男の下着までチェックしないで欲しかったな。玉と住む様になって古いくたびれ下着は全部処分したとはいえ、そこら辺の安売り洋品店でまとめ買いしたメーカー不明のバーゲン品なんだから。

「しかも、玉ちゃんの下着の方がシルクとか良いものばかりじゃない。」
「そうなんですか?下着屋さんのお姉さんに言われるがまま買ってもらったんですが。」

「……玉ちゃんは本当に当たりの男を引いたわね。私の下着よりも高級品よ、これ。」
「でも殿は、下着姿の玉を見てくれませんし。」
「そこは礼儀だから見ろよ。」
何故だか、睨みつけられましたけどね。
もしもし?あなた自分が何を仰っているか理解してますか?
「それどころか、玉がお風呂から素っ裸で出て来ても見てくれませんでした。」
「……それは玉ちゃん。女性としてどうなの?」
「玉は殿の女房ですから。」
青木さん、変な顔してこっち見んな。
「…なんだろう。菊地さんの男性として残念な感情が伝わって来る気がするの。」
人をそんな可哀想な目で見ないの。

「だから、玉には不可能な女性の部分を佳奈さんが補ってくれると助かるんですよ。」
「……は?」
「殿は男性で、毎晩同衾しているのに、玉では夜伽が出来ません。」 
「ちょっと?玉ちゃん?」
「殿を当たりと仰るなら、玉になんか遠慮してないでガッツリ食いつくべきです。このあぱあとにも、殿を狙っている人いるんですよ!」
「あの、あのね。」

さっきの鰻屋さんのお茶が美味しかったから、一袋買ってみたんだ。
駅前で買ったお茶で、お茶の美味しさに目覚めちゃったからねぇ。
こう、紅茶を淹れるみたいに急須と湯呑みをお湯で温めてっと。

「………。」
「………。」

ふひぃ。ほえほえ。

「ねぇ玉ちゃん。こんなのの夜伽をしろと言うの?」
「お手軽で良いじゃないですか。…多分。」

ほえほえ。

★  ★  ★

「ほえほえぇ。」
「あぁ玉ちゃんまで溶け始めた。」

玉は玉でジュースとかよりお茶が好きなので、急須に残ったお茶を自分の湯呑みに注いだ後は腰砕けになり始める。
号泣して跪くよりは健康的でよろしい。
来客用の湯呑みにもう一杯注いでお客さんに差し出すと

「ほえほえ。」

と、相変わらずノリの良い青木さんです。
「いや、ほんとに美味しいんだもん。私が今まで飲んでたお茶ってなんなの?って感じよね。」
「ほえほえ。」
あぁ、玉が本格的に溶けた。専用座椅子で液体になっちゃった。
「玉ちゃん、生きてる?」
「死んでも良いですほえほえ。」

★  ★  ★

さて、充分ほえほえ出来たから本題に入ろう。
さっきのスーパーで玉が熱心に見ていたのは乾麺のコーナーだった。
まぁ、肉なり魚なり野菜なりはある程度料理が限られるし、あとは味の違いくらいだしね。

とにかく玉は麺がお気に入りらしく、小腹が空いたら浅葱の力で無限に増えるカップ麺を食べる。(ちゃんと僕にお伺いを立てるあたりも玉だけど)
ラーメン・蕎麦・うどんなんでもござれと。
そんな中で彼女が興味を持ったのは、長い乾麺。
九州でお馴染みの豚骨棒ラーメンは商品説明を読んで味の想像がついたみたいだけど、パスタには首を捻っていた。
青木さんが一生懸命に説明しようとして困り果てていたのが少し面白い。
確かに、まるで知らない物を説明したくても、じゃあお前がやれと言われたら出来ませんとしか言えないもんね。
本人の供述によると、玉が麺好きなのも、食べた事のない、ついでに味の調整が自由自在な汎用性に興味を持ったからっぽいし。
しかしね。玉を構おうとする青木さんと、青木さんに甘えてる玉は丸々姉妹だね。
微笑ましい事です。

僕が台所に向かうのを、寝転んで頭を逆さまにしていた軟体生物が見つけて、たちまち背骨が生えた様だ。
いつもポールハンガーにかけっぱなしにしてある割烹着を身につけると僕の後を追いかけてくる。 
そんな玉のスイッチ切り替えにびっくりしたお姉ちゃんも黙ってついてきた。

「玉ちゃんも何か作るの?」
「玉は料理した事ないですよ。殿がお上手ですし、玉は玉の仕事があるのです。」
割烹着の腕まくりをすると、納戸を開けて壺を取り出す。中身は勿論、糠床。
日に一度、糠床を掻き回すのも、お漬物を仕込むのも玉の仕事だ。
「糠味噌かぁって、渋すぎない?」
「玉のお漬物は美味しいって、殿に評判なのです。佳奈さんも喰らうが良いですよ。」
「この家の事だから、美味しいんだろうなぁ。…どうしよう。なんか私、この家に深入りし始めてる?」
あなたも気がつきましたか。
お互い自覚が有って何よりですよ。

「さてさて、お立ち会い。」
糠味噌玉を屈んで見ていたお姉ちゃんに声を掛ける。
「ここに取り出したるはパスタケース、見ての通り中身は空っぽです。」
筒状の割り箸入れみたいな、透明なパスタケース。
勿論、今、浅葱の力で出した物です。
そもそも考えてみたら僕がパスタを作った事など数える程だ。
今は見かけないけどインスタントがあったね。
あとはコンビニのお弁当だ。イタ飯屋とかは1人の時は入らないし。
袋麺なら適当な時間で茹で上がるけど、アルデンテだの何だの、独り身の男からすると「うっせー」なのですよ。

「では、このパスタケースを一振りすると。」
上下に一回ピストン運動。しゃんという音と共にパスタケースが重くなる。
「はい、この通り、ケースいっぱいのパスタが湧いて出てきました。」
「なんで?」
青木さんが僕のパスタケースを取り上げて中を覗く。
「……本物のをパスタだ…。」
「んん。茄子が良い具合です。」
「いや、玉ちゃん。こっちの不思議に向き合おうよ。」
「今更殿のやる事を不思議がってたら、ご飯が美味しく食べられないんです。」
「玉ちゃん、糠味噌は置いといて私の相手をしてぇ。」

★  ★  ★

「僕の時間旅行のトリガーが食欲だと言う話はしたね。」
玉が我が家に来て以来、着させられているエプロン姿でパスタを茹で始める。
パスタを折らずに茹でられる鍋が例によってシンクの下に増えてたので、湯沸かし器で注いだ熱湯を入れてガスにかける。
「私が勘違いして恥かいた奴ね。」
「思い出すから、言わなければ良いのに、です。」
「しまったぁ。今のは忘れて、玉ちゃん。」
「いや、玉よりも殿の記憶を抹消すべきかと。」
「だってあいつ、まるで動じてないもん。なんかこう悔しくない?」
「殿も一応大人ですからねぇ。まるで“おぼこ“な玉達と違って、平気なんじゃないですか?」
さっき、僕が菅原さんに言った言い訳を丸々なぞる玉さん。聞いてたんですか?
「それにほら、こんな擦れていない事言ってる方が、殿の琴線に触れるかもです。」
待ちなさい玉さん。

「ただ僕は両親を早くに亡くしているし、食い道楽もしてないから、美味しいのハードルが低いんだよ。基本的になんでも上手いし、不味いと感じる事なんか殆どない。牛丼屋行った。美味しかった。そしたら目の前で大化の改新が始まった。とか、僕にはあり得るんだよ。」 

冷蔵庫を開けると、はい明太子が入ってますね。
これは軽く火を通して半生でほぐしておきます。
野菜室に大葉が入っていたので
「玉は嫌いですよ。」
ハイハイ。鋏で切って別皿に分けときます。

えぇと。赤ソーセージか。僕は好きだけど、2人はどうかな?まぁいいや。輪切りにしておきました。
ピーマンは細切りに。

そしてこちらはニンニクソースとニンニクチップ。
それからグリーンアスパラ。
キノコとベーコンか。

それから、牛乳、チーズ、ひき肉?
つまりアレか。主要なパスタを全部作れと?
何処の誰だか知らないけど、浅葱の力さんさぁ。
僕の部屋にはガス口が二つしかな…。

あったなぁ。七輪と鉄板が。

「…手伝おうか?」
いつのまにか食材と調理器具に囲まれた僕を見かねて青木さんが助け船を出してくれた。
「私も大した料理は出来ないけど、ナポリタンとミートソースくらいは作れるから。それに早く火から上げないとドームパスタになるわよ。」
「…浅葱の力って言うのは、時々暴走するんだ…。」
そこの引戸に入っているカップ麺は、その暴走の結果だし。
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