瑞稀の季節

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陸前浜街道

じゅんさい池

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候補地(候補道)は、茶色ファミマの裏で松戸街道から東へ離れていく。
候補の割には、直ぐに結構な角度の坂になって落ちていくぞ。

「社長?道路って普通、尾根道なら尾根筋から外れないと思いますよ。」
「そうですね。荷車とか人力の時代は大変よね。」
姉妹揃って社長に疑問を呈するぞ。
意外にもアカデミックなやり取りも出来る姉妹だ。
やらかしているだけじゃないぞ。
「僕の推測だけどね。」

あまりに急過ぎて、歩くのが大変だぞ。
この辺は台地から低地に降りる道が多いぞ。

「千葉県の北西部は江戸時代にワザと開発されなかった地域だし、それだから明治政府が国策として開拓を進めて失敗した地域だ。」 

「失敗したんだ。」

「台地の上は水に困った地域もあるし、逆に小河川が邪魔して耕作地が確保出来なかったりもした。」

「そんな地形だから真っ直ぐ線を引く事が難しいし、それ故に開拓に成功した元地主の力が強かったりしたんだ。古い農道がそのまま現代の道路になっている事が多いからね。せいぜい標高2~30メートルしか無いから、わざわざ葛折にしないで真っ直ぐ坂を切り拓いたんだな。」

私とお姉ちゃんが足元を気にしぃしぃ歩いているのを見て、社長が解説を加えてくれた。

さりげなく私達の前を歩いている。
私達が転んだ時に、壁となってくれる用意だ。優しいな、この男。

あと、社長が買ってくれたこのリーボック、結構道に落ち葉が落ちているのに滑ったりしないで歩き易いぞ。

………

「ヨーロッパのマナーの基本だよ。レディ・ファーストの精神ってのは、男性は女性を常に護らなければならないって事なんだ。」
ある時私は、社長に何故そんな細かい事を気にするのか聞いた事がある。
その答えが、これだよ。

「母がね。母が父の支えになっている様に、父は父で、父の出来る事を全部やって、男として母を護っているんだろうね。」
「……。」
「僕という子供を育て終わった後だけど、あの2人の関係性は中1の頃から、何も変わって無いんだよ。多分。」
「私達もそんな夫婦になれますか?」
「……。」
「なんか言えよ。」
「なんか。」
「古い!」

なんて馬鹿で際どい会話を社長とした事がある。
初恋のまま、(多分童貞と処女の初体験のまま)、お義父さんとお義母さんは、今もそのまんまなんだ。

社長の童貞はどうやら他人に盗られたみたいだけど、私の処女はきちんと捧げているので、あの2人に準ずる関係性は築ける筈だ。
私が頑張れば。

……….

「右にね。この崖の上には泉養寺ってお寺がある。そして左のこの墓地は即随寺っていうお寺とお墓だ。」

「僕は昔、右の泉養寺に参拝に行って御朱印を頂いた事がある。天正年間に建立された天台宗の寺院で、歴史も規模もこの辺じゃあ結構な大寺だよ。」

「今でこそ表通りが西の松戸街道に開いているけど。」

社長は、右手の黒い鉄の門をコンコン叩きながら言った。

「この裏門が昔は正門だったのかもしれない。」

そんなフィールドワークを現地で確認するっていうのは楽しい。
社長は自分の知識は「広く浅く」でしかないと謙遜するけど、「浅い知識を深く」する努力を怠らない人だ。
私もついて行くのが大変だぞ。

そのまま坂を下り切ると、左に曲がる道がある。
直進すれば、また同じ角度の登り坂が見えているけど、私達は右折する。

目の前には、大きな池を抱えた公園があった。
「じゅんさい池緑地」とある。

「へえ。こんな池が台地の谷の奥にあるんだ。」
「台地の谷には湧水地が多いし、小さな流れでも谷を刻むさ。何度も言うけど縄文海進ではこの辺は海だ。人が住む様になった頃は沼沢地だった。水のそばには人が住む。住人は利用しやすい様に共同で整備をする。」
「ほうほう。」
「ま、何度も干上がっているんだけどね。」

私達は池のほとりまで近づいて遊歩道をのんびりと歩く事にした。
アスファルトの上ばかり歩いて来たので、土の感触に何故かホッとする。
…お姉ちゃんは、社長にプレゼントされたリーボックが汚れない様に、下を向いて歩く場所を慎重に選んでる。
社長のプレゼントでは安い方だし(私が時計以外に何を貰ったかは内緒)、別に靴は汚れて当たり前なので気にしないよ?
コンバースをクリーニングに出している人だよ?
後でコインランドリーにでも放り込んでおこうよ。

「じゅんさいって食べ物ですか?」
「日本原産の野菜らしいよ。」
「日本原産、はぁ。」
「だから池の水を全部抜かれたら困るな。」
「ロンブーがやってた奴ですね。」
「先月行った藤崎古道の先にあった池も抜いた事があったな。」
「あれま。」

「理沙はじゅん菜って食べた事無いんだ。」
「わからないなぁ。」
「ぬめぬめ野菜だな。純和食の付け合わせや居酒屋のおつまみだから、まだ理沙くんには早いかも。」
「む。食べ物に早い遅いがあるんですか?」
「んじゃ、スーパーで買って帰ろうか。まだ旬じゃないけど瓶詰めなら一年中あるはずだよ。」
「あ、先生。理沙はまだ山菜の苦味とか駄目ですよ。」

確かに我が家名物・七草粥を、今年も野草に関しては完食出来なかったけど。
でも社長がお付き合いされている農家から送られてくる山菜は美味しく頂いたぞ。
社長が揚げてくれる「蕗のとうの天ぷら」と、「わらびの炊き込みご飯」なんか、初めて味わう苦味の旨さにフリーズしたもん。

「しゃ、社長が料理してくれれば大丈夫だもん!」
「理沙あなた、それでよくお嫁さんになる気ね。」
「花嫁主義中だもん。お洗濯とお掃除とペットの世話は完璧だもん。」
「と、理沙は申し立てていますが?」
「お婿さん候補とやらの意思は無視ですか?」
「意思と無視、微妙に駄洒落になってますよ。社長。」
「うるさいよ。」

………

池をぐるりと一回りしたら、ベンチで一休み。
お姉ちゃんがいそいそと、さっきファミマで買ったドリンクを出してくるけど、暑い日じゃないから、そんなに飲ませたら社長のトイレが近くなるぞ。

「んじゃ、私はちょっと中座します。」
ほれ見ろ。自分からトイレが近くなってる。
ちょこちょこ小走りしてるとこを見ると、結構我慢してたんじゃないの?

とはいえ、大した距離では無いけど、結構歩き続けたので、一度座ってしまうと疲れが押し掛け女房だ。
ポカリを一口飲んで、足を前に伸ばしたりすると、そのストレッチ具合と凝りをほぐすだけで解消する疲労感が気持ちいい。
社長はこれが好きで歩いているんだね。
ちゃんとご飯を食べて、ハンガーノックにならないでね。

ちょっと伸びをして、それから周りを見渡す。
海に繋がる南以外は、そろそろ緑が生え揃って来た高台だ。
本当に、谷の奥なんだな。

「社長、ここは東海道と関係があるんですか?」
「僕は一種の辻なんじゃないかと考えている。」 
「辻、ですか。」
「おそらく昭和の開発で消滅しているけど、向かいの台地の南端には下総国分寺と国分尼寺がある。水辺があるこの辺には集落があっただろうし、わざわざ国府台を回らなくてもショートカットする道はあって当たり前だよ。」
「わからない、ですか。」
「例えば、さっきは回らなかったけど、この先に里見の姫さまがこの池に身を投げてしまった伝承があって、その姫さまを祀った小さな社が残っている。」
「あら、またお姫様ですか。」
「うん、そのお姫さんが本当に身を投げたのかどうかはわからない。基本的には土地の人の口伝だからね。僕からすると安房にいた姫さん、迂闊に市川に来過ぎと思うし、かと言って迷信深い日本人が、祭神を適当にでっち上げたとは思いたくない。」
「はい。」 
「はっきりしているのは、その頃からこの辺は栄えていて道があって、誰かがこの池に等身自殺をした。ここまでは歴史的事実だろう。」

「だとしたら、その歴史をここで思い浮かべたいなと思ったんだ。今まではそこここを訪れてはいても、全てポイントポイントで完結させていて、複合的に見た事はなかったから。視線と視点が変わった、違うものが見えて来るかなってね。」

嬉しそうに語る社長の笑顔が、私には凄く眩しいですよ。
社長。
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