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何にもない

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「あれ?こんな時間にこんなとこにいるなんて珍しいな。」

2号館の隅にあるオートパーラー(死語)で、まもなく迎える自動車教習所の卒検と、それに伴う本免学科試験のあれこれをタブレットで見返していると、すっかり親友の石川に声をかけられた。

僕からすると、この時間こそ石川には大切かつ大変な「数学」の講義だったと思う。
お前こそ、何やってんだ?

大学まで来て、あんな面倒くさい講義をわざわざ履修する方が変だと思うけど、医学部には医学部の掟があるのだろう。
本人曰く、公式さえ覚えちゃえば、あとは数字を当て嵌めるだけじゃん、などと人類には理解不能な事を言いやがる。
理系はみんな…いやこれ以上言うのはやめよう。
僕の頭脳が劣っているだけだ。

「2コマ目の心理学が休講になったんだよ。特に行くところもないから、学食に近いとこで一休みしてるだけ。」
「お前1人なのか。」

石川は付近をキョロキョロ見渡している。

「大学で出来たダチ達は、今日の午後取ってない講義ばかりで、みんな遊びに行っちゃった。僕は午後も2コマぎっちり入っているからね。」
「いや、俺が学内でお前を見かける時は、大体あの2人をぶら下げて歩いてるからさ。」
「あ、あれねぇ。僕としては結構迷惑なんだよね。」

先月、例のボコったあとの精神的超回復とでも言うアレを施した後。
彼女達は昇段審査に臨み、見事に3段を手に入れた。
というか、先に警察の昇段審査に臨んでいて(警察官でもなんでもない一般人なのに)、問題なく昇段したらしい。

そういえば後藤さんが、2段の動きじゃない、とか言ってたな。

そこら辺は「悪さ」をする悪い大人を何人も知っているので、2人が警察の審査を受けた事は、特段不思議には思わない。
僕も毒されたものだ。

ただ警察内部と剣道連盟の昇段規定は違うらしく、組織の内々でやってる警察の方が審査自体は甘い、とは聞いた事がある。

ただし、

「だったら警察剣士に勝ってみろ。そこらの社会人ども。」

と、祖父も後藤さんも言っているので、段の世界まで行くと単なる「名誉」でしかなくなるのかも。
とにかく実戦。
とにかく実力。

その後、剣道連盟の昇段審査にも無事合格した事もあって、尚更「師匠、師匠。」とまとわりつかれているわけだ。

僕には一応、婚約者がいる(らしい)ので、単に師匠に対する敬意のレベルが上がっただけですよ!って2人は口を揃える。

僕としては、誰かとお付き合いするよりも、複数の女性といる事が悪目立ちするから勘弁してほしい。
しかも時には校門まで、瑞穂くんと水野さんが迎えに来るからなぁ。

「お盛んな事で。」
「彼女達の色々な面倒を見ている(見させられている)だけで、色っぽい事は残念ながら皆無なんだけどなぁ。」

浮気は許さないとか言い出す瑞穂くんにだって、彼女の本当の気持ちは聞いた事ないし。
あ、そういえば、あの2人の内どちらかが石川を狙ってるって言ってたな。
石川は医者の卵だし、将来的には玉の輿か。
悪くはない狙いだね。

「何見てんだ?」
「ん?土曜に卒検なんだよ。合格したら暇を見つけて免許センターに行くんだ。」
「へぇ、お前のお妾さんは2人とも合格してたぜ。オートマ限定だったけど。」

あぁ、それは聞いてる。
って言うか、自慢された。
あと、妾じゃねぇぞ。
同窓生だ同窓生。(弟子と言うには、僕にその意識がないので、憚られるんだ)

「師匠、履修のスピードおっそいですねぇ。」
「マニュアルだから受講数も多いし、1~2年生のうちに単位をたくさん取っておきたいからね。」
「相変わらず真面目な人ですねぇ。」
「うるさいよ。」

何て会話もあったなぁ。

「良いなぁ。俺は授業が忙しくて、原付すら取りに行けそうにない。」
「いきなり医学部なんかに行くからだ。」
「なぁ、なんで俺は医学部なんか選んだんだ?」
「知らんがな。」

彼は時々、自分の進路について疑問を漏らす。
彼からすると、僕は遊んでいるように見えるのだろう。
そりゃ側から見たら阿部さんや、田中さんと遊んでいる(様に)見えるか。

★  ★  ★

スーパーに寄ろうとして南口を降りたら、手前のお肉屋でホルモンが安売りしていた。
普段は我が家のある北口の商店街やコンビニで済ませちゃうけど、今日は瑞穂くんから、メールが来ない。
と言う事は、お隣さんが来ていない(毎週火曜日は1日中帰って来ないと知っているから料理を習いに来ないので、食材も持って来てない)か、瑞穂くんがだらけているかどちらか、もしくはその両方だ。

最近、瑞穂くんは古い(主に女児向け)アニメを配信サイトを見る様になって、気がつくと僕の部屋でピーちゃんと一緒に、僕も知らない番組を見てる。
下手すると、僕のベッドの上で見てる。

大画面のセットを居間にも組んであるのに、僕が横着して寝ながらアマプラが見れるように枕元にタブレットがホルダー付きで据え付けられているからか。

いや、瑞穂くん用にベッドも買ってあげたし、そこらで段ボールに入りっぱなしのサイドテーブルと組み合わせるだけなんだから自分でなんとかすれば良いのに。

相変わらず畳に布団を好んでいる。
(ベッドは何故かお隣さんが時々昼寝してる)

つまり、瑞穂くんはそのまま寝付いてしまった可能性があるって事だ。

まぁ、朝っぱらから僕と稽古した後は、1人で道場と母屋を掃除して、穴熊くんやピーちゃんと全力で遊ぶのだから、況してや僕のベッドを占領しているわけだから、寝落ちくらいはするだろうけど。

なので、冷蔵庫の中身もわからない(覚えてない)し、献立はスーパーで決めようと考えたわけです。

おかしいなぁ。
最初の一人暮らしって、もっと色々楽しい事があるって信じてだのになぁ。

で。
今日の晩御飯はモツです。
モツの味噌煮をたっぷりとお安く買えました。
あとは、北口の八百屋でネギを買えば本日の買い物は終了。
さて、あとは崖を登って帰宅するだけだ。

★  ★  ★

ほぼ垂直に立ち塞がる台地の崖線を繋ぐ階段を、えっちらおっちら手摺りに掴まりながら登り切る。

この階段を使わないと、自転車じゃ立ち漕ぎも難しい急坂を大回りして来ないとならない。
この坂の上には、うちとお隣の良玄寺さんしかない(あとは良玄寺さんの墓か形の上で僕が持っている無限に広がる大宇宙…じゃなくて耕さなくなって久しい畑だけ)なので、自治体側もお金の掛かる改修工事なんかしないのです。

登りきれば、その先も無限に広がる台地なのですよ。 
単にJR(開通した時は国鉄、いや鉄道院かな)が台地の上まで登って来れなかったから、狭い低地を無理矢理切り拓いて街を作りました。
って感じ。

「くぅ」
「よっ。ただいま。」

何故かは知らないけど、日が暮れても僕が帰らない時は、穴熊くんが階段の上で待ってくれている。
それこそ人通りが無くなる道なので、穴熊が道端に居ても誰も気が付かないかららな?

冠木門の呼び鈴を鳴らす。
しばらく待つと、瑞穂くんが玄関から飛び出して来た。

「オカエリ、ヒカリ」
「ただいま、セコムは切ったかい?」
「ウン」

こうして、18歳の大学生と誕生日を迎えて16歳になった無職と、何故かうちに住み着いている穴熊と言う、訳の分からない組み合わせの家族は家に戻った。

あ、あと。
モツ味噌と大量のネギで作った「モツ炒飯」は瑞穂くんのお気に入りになりました。

…モツが好きな少女って…
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