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あなた何者ですか?
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「いえ、拘っているのは先方なんですけどね。」
水野さんは目を閉じて、お茶の味を舌と脳に刻み付けているらしい。
しばらくそのままでいると、小声でよしと言うと、改めて僕に顔を向けた。
「私は全道大会で、一昨年は準々決勝昨年は決勝で敗れました。いずれも同じ相手にです。」
「はい。」
「私はその方と、退職前、つまり今週中に立ち会わなければなりません。」
「はい?」
意味がわからない。
そのお相手が水野さんに勝てなくて、
「勝ち逃げは許さない!」
的に燃えてるならわかるけど。
これ、水野さんの負け逃げだよね。
逆じゃないの?
「あの、なんか私が寿退職するのが気に食わないみたいです。」
「いやいやいやいや。他人の人生じゃないですか?それともその人って女性が好きな人ですか?」
「そんな事は無いと思いますが。」
祖父を見てみると、とりあえず頷いている。
事情は知っているようだ。
「それじゃがな。ちょっとこれを見てくれんか。」
祖父がカバンからDVDを取り出した。
瑞穂くんが居る居ないでいちいち言葉遣いをジジイモードに切りかえるから、長年親族として接して来た僕には、違和感が取れなくて笑っ…気持ち悪い、
リビングにAVセットを設置しておいて良かった。
僕1人だったら、自室とダイニング以外の部屋は時々掃除機をかける以外に何もしていなかった。
というか、和室ばかりで室内に段差が殆どない家だから、中古のお掃除ロボット買ってきて、適当にスイッチを入れる日々だったろう。
…いや、そもそも祖父達が変な姦計をめぐらさなければ、僕は実家の自室でウダウダ寝転がっていただろう。
祖父の持って来た白いDVDを再生すると、始まったのは、どこぞの体育館で行われている剣道の大会だった。
予想はしてたけど。
始め!と言う審判の合図と共に巻き起こる、甲高い気合いは女性のもの。
前垂れを見ると、片方は「札幌・水野」とあり、片方は「函館・石井」とある。
見た目の身長は、札幌・水野さんの方が高い。
腰の重さは、函館・石井さんの方が上か。
水野さんが盛んに仕掛けようとするが、石井さんは竹刀の剣先を少し振るだけで、水野さんの動きを止めている。
そして。
水野さんが体勢を立て直す為に身を引く姿勢を見せかけた瞬間、石井さんの竹刀は水野さんの小手を捉えていた。
「それは去年の大会の映像じゃ。続いて今年、正確に言うなら去年の6月の映像じゃ。」
引き続き始まったのは、同じく札幌・水野と、函館・石井の対決。
だけど、今度は石井さんが速攻を仕掛ける。
力で水野さんの竹刀を押し下げると、一気に面を打った。
その映像に、水野さんも瑞穂くんも、ただ押し黙るだけだった。
「これ、1本勝負なんですか?」
普通、剣道の試合は3本勝負だ。
「たまにあるな。格上の剣士が格下の剣士と当たる時なぞ、な。」
「それはムカつきますね。」
「明らかに実力差がある時なぞは時間の無駄じゃからの。しかし、この2人は違う。」
でしょうね。
動画を見た限りでは、石井さんの方が強いのは事実だけど、水野さんがコールド負け喰らうとは思えない。
「この2人の試合だけに適用している特別規定じゃ。理由はわかるな。」
「石井さんが疲れちゃうからでしょうね。」
「エ?」
「は?」
女性剣士2人が驚いてる。
★ ★ ★
説明をするのは簡単だけど、そうそう納得がいくものでもないだろう。
祖父はそう言って、水野さん共々外に出て行った。
良玄寺の駐車場に停めてある車から防具を取ってくるという。
というか、警察官が隣のお寺に無断駐車してやがんのか。
瑞穂くんも道着に着替えているし(襖を閉めなさい)、僕はどうしよう。
お風呂でも沸かしておくか。
「では水野、先ずは瑞穂と立ち合え。5分1本勝負じゃ。」
「はい!」
「Sí」
おや。瑞穂くんがスペイン語に戻ってるぞ。集中している証拠だな。
「始め!」
立ち上がった瞬間、いつものように瑞穂くんは一気に攻め入る。
その速さと「無防備さ」で、水野さんの竹刀の挙動が、ほんの少しだけ迷いが生じた。
瑞穂くんには、それで充分だ。
「小手ェェ」
「1本!それまで!」
瑞穂くんは、この仕掛けを僕に仕掛けようとしたんだろう。
この疾さは、初見の、それも女性で対抗できる人も、多分そうはいないだろう。
………
礼を終えて一休み、とかその気モードの祖父が許すはずもなく。
「光、続けて水野と試合しろ。」
「…はい。」
あぁもう。あぁもう、
速攻で終わらせた瑞穂くんとは逆に、僕には持久戦をやらせるつもりだろう。
つまりは、DVDで見た試合順をわざとテレコにしたんだ。
しかも、爺ちゃん。防具を持って来てるんだから、自分も立ち合う気満々じゃないか。
可哀想な水野さん。
………
僕にはわかっていた。
水野さんは、表面上には変わらない。
時折仕掛けて来ては、攻めあぐねて下がる。
見かけや動きに大差はないけど、試合開始からほんの1~2分で、水野さんの筋力と思考能力が落ちて来た事が僕にはわかった。
審判を務める祖父を見ると、まだまだと伝えてきた。
まったくもう。
結構、面倒くさいんだよ、これ。
………
試合時間が4分を過ぎたあたりで、やっと祖父から許しが出た。
なので、僕は逆にゆっくりと水野さんに青眼の構えのまま近寄った。
若干の圧をかけると、水野さんの重心が後ろに寄ったのがわかる。
僕にはそれで充分。
ギアを瞬時に切り替える。
「面」
声にも竹刀にも、大した力も入れずに確実に面を捉える。
重心を崩した水野さんは、そのまま尻餅をついてしまった。
「水野。直ぐ立ち上がれ。光と礼が済んだら、次は儂じゃ。」
「は、はいぃ。」
あぁ、なんか可哀想な婦警さん。
★ ★ ★
全員を順番に入浴させて居る間に、これこそ冷蔵庫整理のチャンスだ!とばかりに昼飯を食べさせる事にした。
水野さんは恐縮していたけど、貴女その前に僅か3試合で汗だくになってんだから、汗を流してらっしゃい。
これを見切っていた祖父から着替えを用意するように言われていたとかで、他所様のご婚約者様の下着を洗濯させられるとか、トンチキな真似はしないで済んだ。
鮭はこのままグリルで焼いて、筍は圧力鍋で酒と味醂醤油と大量の削り節で煮込んじゃえは、副菜にちょうどいい。
あとは、お隣さんにさっき押し付けられた茄子と胡瓜は、一口大に切ったら、ビニール袋に入れて麺つゆと味の素で揉めば、超簡単早漬けの出来上がり。
あとは朝の筍味噌汁が残って居るから筍を足して。
これで結構食材を消費出来たぞ。
「ヒカリ、ニクジャガハ?」
…。
しまった。そんな約束してたな。
水野さんは目を閉じて、お茶の味を舌と脳に刻み付けているらしい。
しばらくそのままでいると、小声でよしと言うと、改めて僕に顔を向けた。
「私は全道大会で、一昨年は準々決勝昨年は決勝で敗れました。いずれも同じ相手にです。」
「はい。」
「私はその方と、退職前、つまり今週中に立ち会わなければなりません。」
「はい?」
意味がわからない。
そのお相手が水野さんに勝てなくて、
「勝ち逃げは許さない!」
的に燃えてるならわかるけど。
これ、水野さんの負け逃げだよね。
逆じゃないの?
「あの、なんか私が寿退職するのが気に食わないみたいです。」
「いやいやいやいや。他人の人生じゃないですか?それともその人って女性が好きな人ですか?」
「そんな事は無いと思いますが。」
祖父を見てみると、とりあえず頷いている。
事情は知っているようだ。
「それじゃがな。ちょっとこれを見てくれんか。」
祖父がカバンからDVDを取り出した。
瑞穂くんが居る居ないでいちいち言葉遣いをジジイモードに切りかえるから、長年親族として接して来た僕には、違和感が取れなくて笑っ…気持ち悪い、
リビングにAVセットを設置しておいて良かった。
僕1人だったら、自室とダイニング以外の部屋は時々掃除機をかける以外に何もしていなかった。
というか、和室ばかりで室内に段差が殆どない家だから、中古のお掃除ロボット買ってきて、適当にスイッチを入れる日々だったろう。
…いや、そもそも祖父達が変な姦計をめぐらさなければ、僕は実家の自室でウダウダ寝転がっていただろう。
祖父の持って来た白いDVDを再生すると、始まったのは、どこぞの体育館で行われている剣道の大会だった。
予想はしてたけど。
始め!と言う審判の合図と共に巻き起こる、甲高い気合いは女性のもの。
前垂れを見ると、片方は「札幌・水野」とあり、片方は「函館・石井」とある。
見た目の身長は、札幌・水野さんの方が高い。
腰の重さは、函館・石井さんの方が上か。
水野さんが盛んに仕掛けようとするが、石井さんは竹刀の剣先を少し振るだけで、水野さんの動きを止めている。
そして。
水野さんが体勢を立て直す為に身を引く姿勢を見せかけた瞬間、石井さんの竹刀は水野さんの小手を捉えていた。
「それは去年の大会の映像じゃ。続いて今年、正確に言うなら去年の6月の映像じゃ。」
引き続き始まったのは、同じく札幌・水野と、函館・石井の対決。
だけど、今度は石井さんが速攻を仕掛ける。
力で水野さんの竹刀を押し下げると、一気に面を打った。
その映像に、水野さんも瑞穂くんも、ただ押し黙るだけだった。
「これ、1本勝負なんですか?」
普通、剣道の試合は3本勝負だ。
「たまにあるな。格上の剣士が格下の剣士と当たる時なぞ、な。」
「それはムカつきますね。」
「明らかに実力差がある時なぞは時間の無駄じゃからの。しかし、この2人は違う。」
でしょうね。
動画を見た限りでは、石井さんの方が強いのは事実だけど、水野さんがコールド負け喰らうとは思えない。
「この2人の試合だけに適用している特別規定じゃ。理由はわかるな。」
「石井さんが疲れちゃうからでしょうね。」
「エ?」
「は?」
女性剣士2人が驚いてる。
★ ★ ★
説明をするのは簡単だけど、そうそう納得がいくものでもないだろう。
祖父はそう言って、水野さん共々外に出て行った。
良玄寺の駐車場に停めてある車から防具を取ってくるという。
というか、警察官が隣のお寺に無断駐車してやがんのか。
瑞穂くんも道着に着替えているし(襖を閉めなさい)、僕はどうしよう。
お風呂でも沸かしておくか。
「では水野、先ずは瑞穂と立ち合え。5分1本勝負じゃ。」
「はい!」
「Sí」
おや。瑞穂くんがスペイン語に戻ってるぞ。集中している証拠だな。
「始め!」
立ち上がった瞬間、いつものように瑞穂くんは一気に攻め入る。
その速さと「無防備さ」で、水野さんの竹刀の挙動が、ほんの少しだけ迷いが生じた。
瑞穂くんには、それで充分だ。
「小手ェェ」
「1本!それまで!」
瑞穂くんは、この仕掛けを僕に仕掛けようとしたんだろう。
この疾さは、初見の、それも女性で対抗できる人も、多分そうはいないだろう。
………
礼を終えて一休み、とかその気モードの祖父が許すはずもなく。
「光、続けて水野と試合しろ。」
「…はい。」
あぁもう。あぁもう、
速攻で終わらせた瑞穂くんとは逆に、僕には持久戦をやらせるつもりだろう。
つまりは、DVDで見た試合順をわざとテレコにしたんだ。
しかも、爺ちゃん。防具を持って来てるんだから、自分も立ち合う気満々じゃないか。
可哀想な水野さん。
………
僕にはわかっていた。
水野さんは、表面上には変わらない。
時折仕掛けて来ては、攻めあぐねて下がる。
見かけや動きに大差はないけど、試合開始からほんの1~2分で、水野さんの筋力と思考能力が落ちて来た事が僕にはわかった。
審判を務める祖父を見ると、まだまだと伝えてきた。
まったくもう。
結構、面倒くさいんだよ、これ。
………
試合時間が4分を過ぎたあたりで、やっと祖父から許しが出た。
なので、僕は逆にゆっくりと水野さんに青眼の構えのまま近寄った。
若干の圧をかけると、水野さんの重心が後ろに寄ったのがわかる。
僕にはそれで充分。
ギアを瞬時に切り替える。
「面」
声にも竹刀にも、大した力も入れずに確実に面を捉える。
重心を崩した水野さんは、そのまま尻餅をついてしまった。
「水野。直ぐ立ち上がれ。光と礼が済んだら、次は儂じゃ。」
「は、はいぃ。」
あぁ、なんか可哀想な婦警さん。
★ ★ ★
全員を順番に入浴させて居る間に、これこそ冷蔵庫整理のチャンスだ!とばかりに昼飯を食べさせる事にした。
水野さんは恐縮していたけど、貴女その前に僅か3試合で汗だくになってんだから、汗を流してらっしゃい。
これを見切っていた祖父から着替えを用意するように言われていたとかで、他所様のご婚約者様の下着を洗濯させられるとか、トンチキな真似はしないで済んだ。
鮭はこのままグリルで焼いて、筍は圧力鍋で酒と味醂醤油と大量の削り節で煮込んじゃえは、副菜にちょうどいい。
あとは、お隣さんにさっき押し付けられた茄子と胡瓜は、一口大に切ったら、ビニール袋に入れて麺つゆと味の素で揉めば、超簡単早漬けの出来上がり。
あとは朝の筍味噌汁が残って居るから筍を足して。
これで結構食材を消費出来たぞ。
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…。
しまった。そんな約束してたな。
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