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第三章 【変われなかった者 変わり果てた者】
第三章 その②
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「思うんだ。不幸な奴はずっと過去を見ていて、幸せな人は、ずっと未来を見ているって」
「……」
皆月の言っていることは、よくわからなかった。でも、なんだかほんの少し夢から覚めたような気がした。
「いや、まあ、わかってるよ」
僕は誤魔化すように、首の辺りを掻いた。
「また一緒になれるだなんて、そんな都合のいい妄想はしているつもりは無いよ。でも、人間の本質は変わらないはずなんだ…」
掻けば掻くほど、皮膚がひりひりとする。
「だから、一緒になれなくたって、きっと、また仲良くできると思うんだ…」
人間はそう簡単には変わらない。
アサには、変わっていてほしくない…。そう、願うように言った
皆月は、憐れむような目のまま頷いた。そして、白い息を吐いて、吸う。
「そうだと、いいね…」
その時だった。
「わー、懐かしい!」
若い女の声が、澄んだ朝に響き渡った。
別に疚しいことをしているわけじゃなかったが、皆月は背に冷や水でも浴びせられたような顔で固まる。それは僕も同じで、もうこれ以上、期待をするしない云々の話を続ける気にはなれなかった。
中途半端な形で話を終わらせ、振り返る。
若い女が三人、道路を横切り、こちら…というよりも、中学校の校舎に向かって歩いて来ているのがわかった。「全然変わってないね」「何年振りだっけ?」「みんな来るといいなあ」なんて、嬉々として言いながら…。
その三人ともに見覚えがあったが、やはり、名前は思い出せなかった。
「そろそろだね」
腕時計を確認した皆月は、ぽつりと言った。
「人が集まってくる。もし思い出せそうな人間がいたら、すぐに教えてね。アサちゃんだけ見ていないで」
「ああ、うん」
腕時計を見ると、同窓会の集合時間まで十五分を切っていた。
さっきの女子らがやってきたのを皮切りに、若い奴らが次々とやってきては、校門を潜り消えていく。
スカジャンを着た体格のいい男が入っていったタイミングで、僕と皆月も、学校へと踏み入れた。
中庭を横切って校舎の方へと歩いていくと、その横、体育館の前に人だかりができていた。
集まっていたのは、当然同級生らで、皆お互いの顔を見合わせては、「もしかして天瀬さん?」だとか、「うわー、全然変わってない!」「懐かしいねえ」なんて言い合い、再会を心の底から喜び合っていた。
僕も、そのキラキラとした輪の中に入ってもよかったのだが、そうはできなかった。
まるで、虫よけスプレーから逃げる羽虫のように、ふらふらと後退る。
「何やってるの?」
「いや、ちょっと、緊張してる」
「ああ、そう。それで、見覚えのある人はいる?」
「まあ、全員見覚えはあるんだけどさ…」
僕は苦笑し、改めて、彼らを見渡した。
そこには、約十数名の「大人」がいた。
フォーマルスーツを着たり、スカジャンを羽織ったり、胸元の開いたドレスを着たり、着物を纏っていたり、髪を染めたり、変に縮れさせたり、濃い化粧を施したり、アクセサリーをジャラジャラと着けたり…。皆、中学校の頃は変えることが許されなかったありのままの自分を覆い、各々満足する姿へと変貌している。
だが、目元にアイシャドウを入れようが、髪を剃り込もうが、その身にはどこか、懐かしい面影を残していた。
みんな、見覚えがある。でも、思い出すことが出来ない…。
「まあ、なんとなく混じってみなよ。もしかしたら思い出すかもしれないからさ」
「簡単に言ってくれるよな…。僕は…」
「いいから行きなよ」
僕がうじうじとし始めるのを見透かした彼女は、舌打ちをして、僕の脇腹を殴った。
仕方なく、僕は集団へと歩いていき、最初に目に入った女の子に片手を挙げた。
「よお、久しぶり」
「あ、え…」
記憶にない奴から話しかけられるものだから、女の子は声を裏返した。
「あ、久しぶり! 元気にしてた?」
だが、そこは大人だ。建前で「感動の再会」を装う。
その空気をなぞるようなやり取りが気持ち悪くて、僕は早々に匙を投げた。
「ごめん、嘘」
「え…」
「君の名前、忘れちゃったんだ。教えてくれない?」
ちょっとナンパっぽくなったものの、僕は潔くそう言った。
女の子は目を数回ぱちくりとさせ、ほっと息を吐いた。
「あ、そうなんだ。そっかそっか…。実は、私も君のことあんまり憶えてなくて」
それから、彼女は自分の名前を語った。
「私の名前は、イノウエヒトミって言うんだよ。憶えてる?」
「いのうえ…」
井上瞳か。やはり、顔と名前を一致させて、脳を刺激するのは一番効果がある。
僕の脳裏に、封印された記憶が蘇るのがわかった。
「ああ、井上さんか。すごいな、雰囲気が変わってるから気づかなかったよ」
そうお世辞を言ってやると、井上瞳は目を輝かせた。
「あ、そう? そうかな?」
「うん、綺麗になったね」
そう言った僕は、井上さんに片手を挙げる。そして、「それじゃあ」と言うと、そそくさとその場から離れた。彼女は、追って僕の名前を聞いてくるようなことはしなかった。
「………」
井上瞳。
こいつは確か、お世辞にも頭が良いとは言えないやつだった。
いつも宿題を忘れてきて、いつも先生に怒られていたんだ。でも、顔がよくて、とことん優しいから、いつも彼女の周りには人がいて、笑い声が絶えなかった。
そう言えば、僕も便乗して、彼女に話しかけたことがあったんだ。でも、あいつは顔に皺を寄せて、「話しかけてこないで」って言った。どうやら彼女が優しいのは、見知った人間限定のようだ。別におかしい事じゃない。でも、もう二度とあんた事を言われるのは御免だから、以来あいつとは関わらないようにしていたんだ…。
さて…、早速雲行きが怪しくなってきたぞ。
そう思った僕は、わざとらしい笑みを浮かべ、頬を掻いた。
これもしかして、ここにいる全員に話しかけたとして、それは、弾丸の雨の中に飛び込むようなことではないのか?
「あ、伊村君だ、久しぶりー」
強張る僕の背後で、女の声が聴こえた。
反射的に振り返って見ると、薄紅のドレスを纏った女が、リクルートスーツを着こなした男に話しかけていた。
その、伊村…と呼ばれた男は、爽やかな笑みを浮かべて女に手を振る。
「久しぶりだね。藤宮さん。綺麗になったね」
「あ、ほんと? 嬉しいなあ」
あの男の名前が、確か、伊村拓海。そして、あの女の名前が、藤宮志保。
ああ、段々と思い出している。着実に、思い出している…。
伊村拓海は、頭のいい奴だった。特に国語に長けていて、あいつに作文を書かせたら、そこそこいい賞を取っていた。先生にもよく褒められていた。でも、それを鼻にかける節があって、口を開けば自慢ばかり。周りはあまりいい顔はしていなかった。
いつの頃だったっけ? 席替えをして、あいつと隣り合ったんだ。あいつはいつも僕の手元を覗き込んでは、「そこの問題、間違っている」だの、「もう少し綺麗なノートを取れ」だの言っていた。本当に、面倒な日々だった。
それで、確か…、何か、言われた気がする。それで僕は傷ついて、以来、彼のことがたまらなく嫌いになったんだ…。
なんて、言われたんだっけ?
「藤宮さんは、今何しているの?」
記憶を必死で辿っていると、背後の伊村がそう言った。
藤宮志保がほほ笑む。
「大学生だよ~。春休みのタイミングで帰省してるの」
「バイトは休み?」
「私バイトしてないんだ。勉強に集中したいから」
「そうか、それは良いことだよ」
今度は、藤宮志保についての記憶が眼底にあふれ出た。
藤宮志保は、良いところのお嬢さんだった。どこの会社の令嬢だったかは忘れた。人の神経を逆撫でするようなことを言っては、嫌われていたな。でも、それは、世間知らずなところから来るものだから、一挙一動に悪意が無かった。
接していて気持ちが悪いから、僕は彼女に近づいたことは無かった。
でも、一度だけ彼女としゃべったことがある。
そして、彼女に言われた一言で、僕は凄く傷ついた…。
「…………」
なんて言われて、傷ついたんだっけ?
「……」
皆月の言っていることは、よくわからなかった。でも、なんだかほんの少し夢から覚めたような気がした。
「いや、まあ、わかってるよ」
僕は誤魔化すように、首の辺りを掻いた。
「また一緒になれるだなんて、そんな都合のいい妄想はしているつもりは無いよ。でも、人間の本質は変わらないはずなんだ…」
掻けば掻くほど、皮膚がひりひりとする。
「だから、一緒になれなくたって、きっと、また仲良くできると思うんだ…」
人間はそう簡単には変わらない。
アサには、変わっていてほしくない…。そう、願うように言った
皆月は、憐れむような目のまま頷いた。そして、白い息を吐いて、吸う。
「そうだと、いいね…」
その時だった。
「わー、懐かしい!」
若い女の声が、澄んだ朝に響き渡った。
別に疚しいことをしているわけじゃなかったが、皆月は背に冷や水でも浴びせられたような顔で固まる。それは僕も同じで、もうこれ以上、期待をするしない云々の話を続ける気にはなれなかった。
中途半端な形で話を終わらせ、振り返る。
若い女が三人、道路を横切り、こちら…というよりも、中学校の校舎に向かって歩いて来ているのがわかった。「全然変わってないね」「何年振りだっけ?」「みんな来るといいなあ」なんて、嬉々として言いながら…。
その三人ともに見覚えがあったが、やはり、名前は思い出せなかった。
「そろそろだね」
腕時計を確認した皆月は、ぽつりと言った。
「人が集まってくる。もし思い出せそうな人間がいたら、すぐに教えてね。アサちゃんだけ見ていないで」
「ああ、うん」
腕時計を見ると、同窓会の集合時間まで十五分を切っていた。
さっきの女子らがやってきたのを皮切りに、若い奴らが次々とやってきては、校門を潜り消えていく。
スカジャンを着た体格のいい男が入っていったタイミングで、僕と皆月も、学校へと踏み入れた。
中庭を横切って校舎の方へと歩いていくと、その横、体育館の前に人だかりができていた。
集まっていたのは、当然同級生らで、皆お互いの顔を見合わせては、「もしかして天瀬さん?」だとか、「うわー、全然変わってない!」「懐かしいねえ」なんて言い合い、再会を心の底から喜び合っていた。
僕も、そのキラキラとした輪の中に入ってもよかったのだが、そうはできなかった。
まるで、虫よけスプレーから逃げる羽虫のように、ふらふらと後退る。
「何やってるの?」
「いや、ちょっと、緊張してる」
「ああ、そう。それで、見覚えのある人はいる?」
「まあ、全員見覚えはあるんだけどさ…」
僕は苦笑し、改めて、彼らを見渡した。
そこには、約十数名の「大人」がいた。
フォーマルスーツを着たり、スカジャンを羽織ったり、胸元の開いたドレスを着たり、着物を纏っていたり、髪を染めたり、変に縮れさせたり、濃い化粧を施したり、アクセサリーをジャラジャラと着けたり…。皆、中学校の頃は変えることが許されなかったありのままの自分を覆い、各々満足する姿へと変貌している。
だが、目元にアイシャドウを入れようが、髪を剃り込もうが、その身にはどこか、懐かしい面影を残していた。
みんな、見覚えがある。でも、思い出すことが出来ない…。
「まあ、なんとなく混じってみなよ。もしかしたら思い出すかもしれないからさ」
「簡単に言ってくれるよな…。僕は…」
「いいから行きなよ」
僕がうじうじとし始めるのを見透かした彼女は、舌打ちをして、僕の脇腹を殴った。
仕方なく、僕は集団へと歩いていき、最初に目に入った女の子に片手を挙げた。
「よお、久しぶり」
「あ、え…」
記憶にない奴から話しかけられるものだから、女の子は声を裏返した。
「あ、久しぶり! 元気にしてた?」
だが、そこは大人だ。建前で「感動の再会」を装う。
その空気をなぞるようなやり取りが気持ち悪くて、僕は早々に匙を投げた。
「ごめん、嘘」
「え…」
「君の名前、忘れちゃったんだ。教えてくれない?」
ちょっとナンパっぽくなったものの、僕は潔くそう言った。
女の子は目を数回ぱちくりとさせ、ほっと息を吐いた。
「あ、そうなんだ。そっかそっか…。実は、私も君のことあんまり憶えてなくて」
それから、彼女は自分の名前を語った。
「私の名前は、イノウエヒトミって言うんだよ。憶えてる?」
「いのうえ…」
井上瞳か。やはり、顔と名前を一致させて、脳を刺激するのは一番効果がある。
僕の脳裏に、封印された記憶が蘇るのがわかった。
「ああ、井上さんか。すごいな、雰囲気が変わってるから気づかなかったよ」
そうお世辞を言ってやると、井上瞳は目を輝かせた。
「あ、そう? そうかな?」
「うん、綺麗になったね」
そう言った僕は、井上さんに片手を挙げる。そして、「それじゃあ」と言うと、そそくさとその場から離れた。彼女は、追って僕の名前を聞いてくるようなことはしなかった。
「………」
井上瞳。
こいつは確か、お世辞にも頭が良いとは言えないやつだった。
いつも宿題を忘れてきて、いつも先生に怒られていたんだ。でも、顔がよくて、とことん優しいから、いつも彼女の周りには人がいて、笑い声が絶えなかった。
そう言えば、僕も便乗して、彼女に話しかけたことがあったんだ。でも、あいつは顔に皺を寄せて、「話しかけてこないで」って言った。どうやら彼女が優しいのは、見知った人間限定のようだ。別におかしい事じゃない。でも、もう二度とあんた事を言われるのは御免だから、以来あいつとは関わらないようにしていたんだ…。
さて…、早速雲行きが怪しくなってきたぞ。
そう思った僕は、わざとらしい笑みを浮かべ、頬を掻いた。
これもしかして、ここにいる全員に話しかけたとして、それは、弾丸の雨の中に飛び込むようなことではないのか?
「あ、伊村君だ、久しぶりー」
強張る僕の背後で、女の声が聴こえた。
反射的に振り返って見ると、薄紅のドレスを纏った女が、リクルートスーツを着こなした男に話しかけていた。
その、伊村…と呼ばれた男は、爽やかな笑みを浮かべて女に手を振る。
「久しぶりだね。藤宮さん。綺麗になったね」
「あ、ほんと? 嬉しいなあ」
あの男の名前が、確か、伊村拓海。そして、あの女の名前が、藤宮志保。
ああ、段々と思い出している。着実に、思い出している…。
伊村拓海は、頭のいい奴だった。特に国語に長けていて、あいつに作文を書かせたら、そこそこいい賞を取っていた。先生にもよく褒められていた。でも、それを鼻にかける節があって、口を開けば自慢ばかり。周りはあまりいい顔はしていなかった。
いつの頃だったっけ? 席替えをして、あいつと隣り合ったんだ。あいつはいつも僕の手元を覗き込んでは、「そこの問題、間違っている」だの、「もう少し綺麗なノートを取れ」だの言っていた。本当に、面倒な日々だった。
それで、確か…、何か、言われた気がする。それで僕は傷ついて、以来、彼のことがたまらなく嫌いになったんだ…。
なんて、言われたんだっけ?
「藤宮さんは、今何しているの?」
記憶を必死で辿っていると、背後の伊村がそう言った。
藤宮志保がほほ笑む。
「大学生だよ~。春休みのタイミングで帰省してるの」
「バイトは休み?」
「私バイトしてないんだ。勉強に集中したいから」
「そうか、それは良いことだよ」
今度は、藤宮志保についての記憶が眼底にあふれ出た。
藤宮志保は、良いところのお嬢さんだった。どこの会社の令嬢だったかは忘れた。人の神経を逆撫でするようなことを言っては、嫌われていたな。でも、それは、世間知らずなところから来るものだから、一挙一動に悪意が無かった。
接していて気持ちが悪いから、僕は彼女に近づいたことは無かった。
でも、一度だけ彼女としゃべったことがある。
そして、彼女に言われた一言で、僕は凄く傷ついた…。
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