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第二十六章
月とナリンと壊れたランタン
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満月の夜と言っても足元まで明るく照らされるとは限らない。例え月が、彼の世界のより少し大きいとしても。
「すみません。ランタンの修理、時間がかかるものなんですね……」
もう何度目かになる謝罪を口にする彼に大丈夫ですよ、と振り向き微笑みかけ手を握り返す。そして暗闇ではこちらの表情が彼には見えない事を思い出して声にする。
「大丈夫でありますよ。それより足元に注意であります」
そう言って励ましながら日本語におかしなニュアンスを含めていないか? 笑顔に不自然な所はないか己を確かめる。たぶん、大丈夫だ。森の中では月の光も枝葉に遮られて届かない。
「こうなると近いと思っていた自宅とクラブハウスの距離も遠く感じるもんですね~」
彼の口数は非常に多い。特に森に入ってからは。
「話すことが監督の仕事の9割だ」
と語る彼は普段から饒舌な方ではあるが、無駄口を叩くタイプではない。恐らく申し訳なさと暗闇への恐怖からだろう。
「そうでありますか……」
申し訳なさなんて感じないで欲しい。彼と手を握り歩く時間の甘さともどかしさを楽しんでいる自分が浅ましく思えるから。
これくらいの闇を恐れないで欲しい。彼がいなかった2週間と少し、私が感じた恐怖に比べればこんなもの子供だましに等しいではないか。
「俺を送った後、ナリンさんの家までは大丈夫なんですよね?」
子供っぽい事を考えていた私に、彼がまた問いかけてきた。
「ええ。自分には道が見えていますし、この付近は勝手知ったる庭のようなものでありますから!」
確かに不安なので貴方の家の空いている部屋へ泊めて欲しい。と、言えれば良かっただろうか? そう言えば彼はなんと応えただろうか?
「そう言えばナイトゲームで照明が急に壊れた場合って、どうなるんでしょうね? エルフはじめ大半は夜目が効く種族ばかりですけど、例えばハーピィやノートリアスの人間は……。あ、いやわざと照明を落とすような真似はしませんけど!」
彼の思考はいつものように、すぐにサッカードウの方へ飛んだ。彼にとってはサッカードウとチームが恋人なのだ。果敢に攻め立てているシャマーやレイさんも、その恋人にはとても叶わないだろう。
ましてや、攻めることに躊躇っている自分など相手にすらならない。
「いや、マジでしませんよ? ……軽蔑しています?」
軽蔑しているとすれば、彼と恋人になれたら、等と夢想している自分自身を、だ。
「いいえ。ただ照明が切れた場合は中継に支障が出るので、直ちに試合中止になるであります」
「あ、そうか! バカだな俺!」
彼はそう言って天を仰ぎ、見てしまった。月明かりに照らされる、彼の住居の巨木を。
「あ、着きました! 満月で良かった、あそこは湖畔で開けているから月明かりで明るいんですよ」
今日が満月でなければ良かったのに。
「じゃあここでもう良いですよ」
「いえ、階段は陰の側で危ないので、そこまで」
離れかけた手を握り直し、僅かな抵抗を試みる。少し強引だったか?
「ああ、そうかもしれませんね。ナリンさんは本当に気が利くなあ。じゃあもう少しだけ」
彼はいつものように誉め言葉を添えて、私の提案を受け入れた。そして私たちは歩き出す。後ろめたさと、彼の優しさが自分だけに向けられるモノでない事の、悔しさと誇らしさを供にして。
「ではここで」
階段までの時間は一瞬だった。2段だけ登って足元を確かめた彼は視線を合わせる為に少し俯いて、心が完全に俯いた私に話しかける。
「それじゃ、おやすみなさい。ナリンさん」
「おやすみなさい、ショーキチ殿」
そう別れの挨拶を交わして、私は歩き出す。殊更に闇を選んで。
夜の森は木々が満月の光を遮ってくれるから優しい。明日こそは、修理が終わっている筈のランタンを回収して彼に届けよう。
今日もナリンさんに送って貰って、俺は我が家へ帰る事ができた。魔法のランタン――ここのストーブと同じく、中に火の精霊を閉じ込めているヤツだが故障してしまったのだ――さえ直れば、或いはもう少し早い時間に帰宅する事ができれば彼女に道案内を頼む必要が無いのだが。
「学校の先生の労働環境もいろいろ言われる訳だよ……」
そう呟きながら家の中の灯りを点けて回る。ゴルルグ族戦が終わって三日後。ナリンさん以外のコーチに休暇を与えた俺は、大忙しだった。
全体練習の準備、指導、後かたづけ。個別トレーニングの付き添いに選手、或いは選手のご家族からの相談事。クラブハウスの維持運営に関わる細々とした仕事と手続き。
学校の先生が運動部の顧問をやりたがらないという理由がしみじみと分かった気がした。
そうそう、学校と言えば。『反省の証にノーブラになる宣言』をした学生、レイさんを説得するのも大変だった。昔、悪いお薬をパンツに隠し持っていた所を逮捕された昭和の映画スターが
「これからはパンツを穿かない」
と宣ったが、本質的な反省でも解決でもないという部分では、彼女のは正にそれ、だった。
過ぎた事だからノーブラになる必要はない(俺)、ノーブラでは胸が邪魔でとてもサッカードウなど出来ない(ナリンさん)、美乳の第一歩は良いブラを適正に装着する事から。ノーブラでは育乳できない(ダリオさん)、とそれぞれが道理を説いてなんとか翻させたが、誰の言葉がもっともレイさんに響いたのだろうか?
俺の……だよな?
「んで、こっちの方は誰のが響きますかね」
あの時のレイさんの表情を思い出すと悲しい結論に達しかねない。俺はそれ以上、考える事を辞め海図室の――俺の家は船を改造して木の上に設置したモノだ。懐かしい話になっちゃったね――机の上に書類と魔法の記録装置を置いた。
今からそれらを見て心に響くアーティストを選び出す、テープオーディション的なモノを開始するのだ!
「すみません。ランタンの修理、時間がかかるものなんですね……」
もう何度目かになる謝罪を口にする彼に大丈夫ですよ、と振り向き微笑みかけ手を握り返す。そして暗闇ではこちらの表情が彼には見えない事を思い出して声にする。
「大丈夫でありますよ。それより足元に注意であります」
そう言って励ましながら日本語におかしなニュアンスを含めていないか? 笑顔に不自然な所はないか己を確かめる。たぶん、大丈夫だ。森の中では月の光も枝葉に遮られて届かない。
「こうなると近いと思っていた自宅とクラブハウスの距離も遠く感じるもんですね~」
彼の口数は非常に多い。特に森に入ってからは。
「話すことが監督の仕事の9割だ」
と語る彼は普段から饒舌な方ではあるが、無駄口を叩くタイプではない。恐らく申し訳なさと暗闇への恐怖からだろう。
「そうでありますか……」
申し訳なさなんて感じないで欲しい。彼と手を握り歩く時間の甘さともどかしさを楽しんでいる自分が浅ましく思えるから。
これくらいの闇を恐れないで欲しい。彼がいなかった2週間と少し、私が感じた恐怖に比べればこんなもの子供だましに等しいではないか。
「俺を送った後、ナリンさんの家までは大丈夫なんですよね?」
子供っぽい事を考えていた私に、彼がまた問いかけてきた。
「ええ。自分には道が見えていますし、この付近は勝手知ったる庭のようなものでありますから!」
確かに不安なので貴方の家の空いている部屋へ泊めて欲しい。と、言えれば良かっただろうか? そう言えば彼はなんと応えただろうか?
「そう言えばナイトゲームで照明が急に壊れた場合って、どうなるんでしょうね? エルフはじめ大半は夜目が効く種族ばかりですけど、例えばハーピィやノートリアスの人間は……。あ、いやわざと照明を落とすような真似はしませんけど!」
彼の思考はいつものように、すぐにサッカードウの方へ飛んだ。彼にとってはサッカードウとチームが恋人なのだ。果敢に攻め立てているシャマーやレイさんも、その恋人にはとても叶わないだろう。
ましてや、攻めることに躊躇っている自分など相手にすらならない。
「いや、マジでしませんよ? ……軽蔑しています?」
軽蔑しているとすれば、彼と恋人になれたら、等と夢想している自分自身を、だ。
「いいえ。ただ照明が切れた場合は中継に支障が出るので、直ちに試合中止になるであります」
「あ、そうか! バカだな俺!」
彼はそう言って天を仰ぎ、見てしまった。月明かりに照らされる、彼の住居の巨木を。
「あ、着きました! 満月で良かった、あそこは湖畔で開けているから月明かりで明るいんですよ」
今日が満月でなければ良かったのに。
「じゃあここでもう良いですよ」
「いえ、階段は陰の側で危ないので、そこまで」
離れかけた手を握り直し、僅かな抵抗を試みる。少し強引だったか?
「ああ、そうかもしれませんね。ナリンさんは本当に気が利くなあ。じゃあもう少しだけ」
彼はいつものように誉め言葉を添えて、私の提案を受け入れた。そして私たちは歩き出す。後ろめたさと、彼の優しさが自分だけに向けられるモノでない事の、悔しさと誇らしさを供にして。
「ではここで」
階段までの時間は一瞬だった。2段だけ登って足元を確かめた彼は視線を合わせる為に少し俯いて、心が完全に俯いた私に話しかける。
「それじゃ、おやすみなさい。ナリンさん」
「おやすみなさい、ショーキチ殿」
そう別れの挨拶を交わして、私は歩き出す。殊更に闇を選んで。
夜の森は木々が満月の光を遮ってくれるから優しい。明日こそは、修理が終わっている筈のランタンを回収して彼に届けよう。
今日もナリンさんに送って貰って、俺は我が家へ帰る事ができた。魔法のランタン――ここのストーブと同じく、中に火の精霊を閉じ込めているヤツだが故障してしまったのだ――さえ直れば、或いはもう少し早い時間に帰宅する事ができれば彼女に道案内を頼む必要が無いのだが。
「学校の先生の労働環境もいろいろ言われる訳だよ……」
そう呟きながら家の中の灯りを点けて回る。ゴルルグ族戦が終わって三日後。ナリンさん以外のコーチに休暇を与えた俺は、大忙しだった。
全体練習の準備、指導、後かたづけ。個別トレーニングの付き添いに選手、或いは選手のご家族からの相談事。クラブハウスの維持運営に関わる細々とした仕事と手続き。
学校の先生が運動部の顧問をやりたがらないという理由がしみじみと分かった気がした。
そうそう、学校と言えば。『反省の証にノーブラになる宣言』をした学生、レイさんを説得するのも大変だった。昔、悪いお薬をパンツに隠し持っていた所を逮捕された昭和の映画スターが
「これからはパンツを穿かない」
と宣ったが、本質的な反省でも解決でもないという部分では、彼女のは正にそれ、だった。
過ぎた事だからノーブラになる必要はない(俺)、ノーブラでは胸が邪魔でとてもサッカードウなど出来ない(ナリンさん)、美乳の第一歩は良いブラを適正に装着する事から。ノーブラでは育乳できない(ダリオさん)、とそれぞれが道理を説いてなんとか翻させたが、誰の言葉がもっともレイさんに響いたのだろうか?
俺の……だよな?
「んで、こっちの方は誰のが響きますかね」
あの時のレイさんの表情を思い出すと悲しい結論に達しかねない。俺はそれ以上、考える事を辞め海図室の――俺の家は船を改造して木の上に設置したモノだ。懐かしい話になっちゃったね――机の上に書類と魔法の記録装置を置いた。
今からそれらを見て心に響くアーティストを選び出す、テープオーディション的なモノを開始するのだ!
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