明治仕舞屋顛末記

祐*

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第一部 《鬼手》と《影虎》

『仕舞』堀一家

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 麹町の端、堀一家の屋敷では、どたどたと慌しく子分たちが行き交っている。その先頭に立ち指示を出すのは、武装した忠夫だ。
 殺気立った空気の中、肩の傷を手当てされながら、勘兵衛は次の策を練っていた。

 這々の体で逃げ帰ったものの、二人を仕留め損ねた場合を想定しなかったわけでもない。
 黒幕を暴いたにもかかわらず戦い続けようとする《鬼手》に、《影虎》は大いに戸惑っていた。
 あの鬼神相手に、伝説の人斬りといえども躊躇えば、雌雄を決するまでしばらくの時はかかるだろう。
 だったら、簡単な方から手をつければいいのだ。

「兄貴ィ、傷の具合はどうだ」
「ああ、大したことはねぇ」
「それにしたって、本当に大丈夫なのか」

 恐る恐るといった風にいう忠夫に、勘兵衛はふんと鼻を鳴らす。
 図体と腕っぷししか能のない野郎おとうとが、最初っから《影虎》を潰してさえいれば、こんな後手後手に回ることもなかったのだ。
 まあ、忠夫程度の実力で、《影虎》、いや、《鬼手》すら倒すことは難しいことはわかっている。

「大丈夫かなんて、今更関係ねぇ。やるんだよ」
「兄貴が言うなら、仕方ねぇ……」

 ぼりぼりと頭を掻きながら、忠夫は得物を手にする。
 これから向かうは、赤坂、本多副恭の屋敷だ。
 邪魔者は徹底的に排除しておくことに越したことはない。
 それに、今ならあの厄介な人斬りもいない。
 裏場から本多に回した金を、表の賭博場の帳簿からちょろまかせば、堀には損が出ないうえに、そうして、住吉の金に手をつけたのは、あの男ということにしてしまえばいい。

 ——私欲に狂った武家が、やくざの金に手を出した

 だから成敗したのだ、と面目も立つ。
 上手くいけば、住吉にも恩が売れる。
 そして、また、虎視眈々と契機を待てばいい。
 勘兵衛は、己の機転を自画自賛してほくそ笑んだ。

「行くぞ、おめぇら!」
「おう、何処に行くってんだ」

 門に向かいながら、軍団に喝を入れた勘兵衛は、よく通るその声に、ぎくりとした。
 門戸に背を預けるように立つのは、《鬼手》と《影虎》その二人だった。

「な……な……」

 勘兵衛の唇がわなわなと震える。
 忠夫と河川敷を後にしたのは、奴らが撃ち合い始めてすぐだ。
 健脚でも一刻以上掛かる道を、撃ち合いの後追ってきたにしても、幾ら何でも、早すぎる。

「間に合ったようだな」
「腹捌いた相手ぇ走らせて、間に合わなかったてぇなら、その鼻っ面叩き折ってるぜ」

 よく見れば、《影虎》は涼しい顔をしているが、《鬼手》の方は汗と血に塗れて、ゼエゼエと肩で息をしている。
 
 ——真逆、撃ち合ってから、追ってきたというのか

 あり得ない。
 そんなことは、あってはならないのだ。
 勘兵衛の中の自信が、がらがらと音を立てて崩れていく。
 しかし、堀勘兵衛は、所詮成り上がりのやくざ者だ。
 私欲に溺れ、小狡く立ち回る男が、動乱を生き永らえた鬼神と伝説とまで謳われた人斬りの実力を見誤ったことは、至極当然である。

「おい、堀ぃ!」
「ひっ……」

 息は荒いが、地響きのような重厚な声音で隆二が怒鳴る。
 崩れ去った自尊心に、勘兵衛はただ小さな悲鳴をあげることしかできない。

「人が珍しく情けをかけてやったってぇのに、大人しく仕舞を待てねぇのか」
「か、肩の傷が痛みまして……」

 卑屈に歪んだ勘兵衛の唇から、苦し紛れの言い訳が溢れる。

「へえ」

 すうっと目を細めた隆二が、平坦にそう呟くと同時に、ひゅ、と風を切る音がした。
 次の瞬間、勘兵衛は己の肩の骨が砕ける音を聞く。
「ぎゃあああ!」
「兄貴ぃ!」

 倒れ込んだ勘兵衛を受け止めた忠夫を、隆二は見下ろす。

「どうだ、痛むか」
「うう……勘弁……」
「この野郎っ」

 忠夫が槍を掴んだ腕に、ひやりとしたものが押し当てられる。ぞっとして手を止めると、いつ間にやら晃政が傍に立っていた。

「よく、止めた。危うく腕一本なくすところだったぞ」
「ひ……」

 抑揚のない声に、忠夫は息を呑む。

 ——虎狩り

 そう意気込んでいたのに、獲物たちのこの威圧感はなんだ。
 むしろ、狩られるのは、自分たちではないのか。
 息をするのも忘れて、忠夫の喉がごくりと鳴る。
 それを冷めた眼で眺めて、隆二は勘兵衛に向き直る。

「そいじゃ、堀」
「ひ、ひぃ」
「俺ぁ仕舞屋だ。金をもらったからには、仕舞をつけなくちゃあならねぇ」

 機嫌良さげに言った隆二の表情は、勘兵衛にとって、この世で見た中で最も恐ろしい笑顔だった。
 容赦無く拳を叩き込まれて、地に転がる。唯一渡り合えるかと思われた忠夫ですら、いの一番に捩伏せられた。
 《影虎》は、ほぅ、とか、おお、とか、およそこの場に似つかわしくない緩さで感嘆しながら、それを傍観している。
 止めに入ろうとした手下も、刀を手にした傭兵も、何もかも叩きのめされて、堀一家、と呼ばれる集団が粗方地に伏したところで、ようやく《鬼手》は止まった。

「てぇと、なんだ。結局の発端は、その本多副恭とかいう侍なんだな?」
「ふ、ふわぁい」

 原型を留めぬほどぼこぼこにされ、全てを告白させられた勘兵衛だったと思われる物体が、空気の抜けるような返事を返した。
 隆二は、晃政を振り返る。人斬りは、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

「その侍も、“立派な志”ってやつなのかね?」
「……皮肉るな、《鬼手》」

 溜息をついて、晃政は額に手を当てた。
 副恭の父、本多副元には、維新の頃、世話になった。その伝手で、東京観光の間ただ飯ただ宿を集っただけなのだが、まさか、あの武士としては箸にも棒にもかからないような男が、腹に一物を抱えて、裏で立ち回っていたとは夢にも思わなかった。
 思い当たる節としては、やはり、武生運動からの家格の失墜、それを挽回せしめんとしたのか。

「仕舞をつけに行くか……といいてぇところだが、《影虎》、おまえ、どうする?」

 《影虎》が世話になっているという武家に押し入るのに、隆二は一応気を遣って声を掛ける。
 目を伏せながら、諦めたように晃政は答えた。

「仕方あるまい」

 裏に何があろうと、やくざものと繋がって賄賂のやり取りを、そして、人一人を私欲で葬り去ろうとしたことは看過できない。そんな剣を、《影虎》に振るわせようとしたことも。
 しかし、知人の息子であるというだけで、警戒をしなかった自分にも非はある。
 その仕舞を止めることはできない。けれど、見届けるだけだというのも性に合わない。

「《鬼手》、仕舞を手伝わせてはもらえぬか」
「手伝う? いくらなんでも《鬼手》が、人斬りの手ぇ借りるかってんだ」
「忘れているやもしれんが、お主、肩を斬られ、腹が開いておるのだぞ」

 呆れたように呟いた晃政に、隆二はにかっと笑って、元気に通りへと駆け出した。
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