明治仕舞屋顛末記

祐*

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第一部 《鬼手》と《影虎》

互いの志

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 懐紙で刀を拭って、晃政は折れた黒番傘に手を伸ばした。
 その時、くぐもった呻き声が聞こえる。

「《鬼手》!?」
「う……クソが……」

 うつ伏せに倒れていた隆二が、ごろんと背を地面に預けるのに、晃政は目を丸くする。
 手加減など、しなかった。隆二の強さは本物だった。だから、手加減などできなかったのだ。
 それなのに、袈裟懸けに斬られ、腹を真一文字に割いたはずなのに、隆二は眉間に皺を寄せて、にやついている。

「どうでぇ、《鬼手》の強さは」
「……お主、本当に鬼なのではあるまいな」

 呆れたように言いながらも、晃政は懐から手ぬぐいを出すと、その刀傷に押し当てた。深く皮膚が割かれているが、意外なことに、はらわたまでには達していないようだ。

「さらしか……」
「おうよ。念のために、ほど巻いてみたんでぇ」

 硬い木材の如くがっちりと固まったさらし布を掌に感じて、晃政は唖然とする。
 こんなものを巻きつけたまま、ばね仕掛けのように跳び回っていたのか。
 もしも、真っ新な状態で闘ったならば、かなりの苦戦を強いられていたかもしれない。

 ——正に、斬られに来た様なものではないか

 ふ、と失笑して、晃政は零す。

「真逆、拙者が斬り損じるとは……」
「後半歩、踏み込みが甘かったな」

 参ったか、と笑う隆二に嘆息して、晃政は手ぬぐいを押さえる手に力を込める。一層呻き声を強くしながら、隆二はその人斬りを見上げた。

「なあ、《影虎》」
「あまり無理をするな。いくらお主が頑丈でも、傷は深い」
「……志士って、何なんだろうな」

 ぽつりと零した言葉の真意を測るように、晃政はじっと隆二の目を見た。

「志高くして、刀持ってりゃ、志士か? 志って、なんだ? それがあれば、無関係な弱者を陥れ、蹂躙し、殺めてもいいってぇのか?」
「《鬼手》……」

 相楽率いる浪士隊の、江戸での所業を、晃政も知っていた。
 彼らも命を受け、その上であのような行動を取らざるを得なかったことは、わかる。
 しかしながら、幼かった隆二が抱えた葛藤も、理解できた。

「なんで、江戸の市井が辻斬りに合う? なんで、ただ日常を生きているやつらが、血を流さなければいけない? 志ってやつぁ、それほどのものなのかぃ?」
「志という言葉に囚われているのは、お主なのではないか」
「なんだと?」

 驚いたように目を見開く隆二に、晃政は穏やかな瞳を向ける。
 ただ一心に斬ってきたからこそ、見えたものがある。

「あの時は皆、信じていた。己のその信念こそが、正義だと。純粋に、その正義こそが、日の本という国を建て直すのだと。それこそ、善も悪も、なかった。あえていうなら、皆正しかったのだ」

 志とは、彼らの願いだ。その願いを全うするための、信念だ。
 一心不乱に死線を潜り抜け、己の心に賭した願いを叶えようと、皆、我武者羅に生きていた。
 忠誠を誓うため。恩に報いるため。国力を上げるため。諸外国と対抗するため。
 心に在るものは違っても、皆真摯で、皆必死だった。

「だからお主は、『仕舞屋』などというものを生業にしているのではないか」

 黙ったままの隆二に構わず、晃政は続ける。

「あるのは己の願いだけ、善も悪も関係ないと言い聞かせるように。それでも良いのだと、証明したかったのではないか」

 ——己が信じて、その道を進めば
 ——それは誰でもなく、己には正義で

「金さえ積めば、誰の依頼も平等に受ける。それも、立派な志であると、拙者は思う」

 金子の目方だけを基準にした。善だと悪だと、裁きたくはなかった。
 己にとっては善でも、それは誰かにとっての悪であるかもしれない。
 世の悪だとて、それはたった一人にとっての善かもしれぬ。

 ——あの人たちが、そうであったように

 何を切り捨てるのか。何を貫くのか。
 それは己自身で決めねばならない。責を負わねばならない。

 ——その願いの『仕舞』をつけるのは自分自身だ

 その手助けができるのならば。
 自分のように、無力に打ちひしがれなくとも良いように。
 後悔の澱を、心に溜めなくとも良いように。
 志を、信念を、願いを貫きたいと奮い立つのなら。

 仕舞屋《鬼手》は、力を貸そう。

「へっ……」

 隆二は、潤む瞳を腕で覆った。
 鬼神だの化物だのと恐れられていた自分の願いを汲んだのは、皮肉にも、宿敵であった男だった。
 己の堕ちた裏稼業を卑下しながらも捨てきれなかった、駄々を捏ねる幼子のような願いを、立派な志だと判ずるのか。
 言葉の代わりに、嗚咽が漏れる。
 さらしを結んで、隆二の傷口をきつく縛った晃政は、それに気づかぬふりをして、ゆっくりと吐き出す。

「相楽殿は……拙者も相見えたことがある。貧しさに苦しんでいる民衆をよく知り、それをなんとかしようと、尊攘派を信じ、それを志に奔走しておられた。お主のは、逆賊でもなんでもなく、己の志の元に闘った立派な志士たちだった。ただ少しばかり、時流を見誤っただけだ」
「だったら、なんで……」

 『皆殺しにした』
 そう出かかった言葉を飲み込む。
 この人斬りにも、信じたものがあったのだろうか。
 だとすれば、人斬りだからこそ、斬らねばならなかったのだろう。

「数多の命を奪った拙者の剣は、徳川幕府にとっては悪夢のようなものだろう。しかし、拙者は幾人もの同志を救ってもきた。何が正しかったのか、それは今でもわからない。けれど、己の手に人の生き死にが掛かるのであれば、拙者が揺るぐわけにはいかないのだ。だからこそ、守りたいもののため、己の信じるもののため、命ある限り拙者は刀を振るう。今止まってしまっては、それこそ、拙者の剣が偽りになってしまうから」

 新たな時代に、刀を手放す選択もできた。
 けれど、そうしたら、人斬り《影虎》に斬られ散った者たちはどうなる。
 その刀に信念があったからこそ、斬り伏せられてなお、立ち向かい、畏れられた。
 簡単に手放せる信念に斬られたなんて、それこそ、その者たちとっては、最大の侮辱ではないか。

「今となっては、精々、仕込み刀こんなものしか振るえないがな」
「へ、違いねぇ」

 にやりと笑った隆二の心は、今までになく晴れ渡っていた。
 刀を手にした時から斬り続け、守り続けられた晃政の志は、揺るぎない。
 それが羨ましくもあり、酷く妬ましくもある。
 そして、気付いてしまったのだ。
 その志こそが、己の求めてやまなかった在り方だった。
 志を持つからこそ忌み嫌った志士の中に、探し求めていた志があったのだ。
 寧ろ滑稽すぎて、阿保臭い。

「おい、起しやがれ」

 嗤いながら差し出された手を、晃政は呆れたような笑顔で握り返す。
 さらしにじわりと滲む紅に手を当てて、隆二がぼやく。

「ああ、痛ぇ」

 刀で斬られたはずなのに、ちょっとどこかにぶつけたとでもいうような軽い物言いに、晃政は苦笑した。

「全くお主は、丈夫なのか、鈍いのか」
「俺様の鍛え抜かれた肉体の賜物でぇ!」

 蒼い顔色は隠せずに、それでも隆二は胸を張る。
 本気で斬り伏せたが、殺したかったわけではないし、このまま死なれても寝覚めが悪い。

「医者へ行くか?」
「いや……」

 案じた晃政の提案を拒み、隆二がちらりと視線を移した先は、堀兄弟がいた木陰だ。いつの間にやら、奴らは姿を消している。

「仕舞屋《鬼手》、仕舞をつけなくちゃいけねぇなぁ」
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