明治仕舞屋顛末記

祐*

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第一部 《鬼手》と《影虎》

《鬼手》の過去(三)

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 その男の名を、相楽総三という。

 下総相馬郡の大富豪である小島家に生まれ、若くして多くの学問を修め、私塾を開いた。門徒を教えながら、二十三の歳で尊王攘夷活動に身を投じて、数多の同志を得ると、実家から資金を得て、関東方面の同志たちの組織化に尽力する。
 しかしながら、余りある資金にも関わらず、悉く戦に敗れ、力を得るため京に上ることを決意した。
 そこで、相楽は運命的な出会いを果たすこととなる。
 坂本龍馬という活動家の元、今まで敵対していた薩摩藩と長州藩が密かに同盟を結び、第二次長州征伐が失敗に終わった。それは、皮肉にも幕府の衰退を表す象徴的な敗戦だった。
 その渦中の人である、当時薩摩藩大番頭であった西郷隆盛と交流を持つようになった相楽は、彼の命を受けて、再び江戸へ舞い戻り、関東近辺の倒幕運動を先導する幹部という地位を手に入れたのだった。
 その一方で、私塾時代の手腕を以って若い武士や浪士たちを取り纏め、浪士隊を結成すると、江戸市中の見廻りや幕府動向を探り、京へある西郷へ逐一報告をするなど、かなり精力的に動いていた。

 その姿に、隆二は一種の憧れを抱く。
 相楽は、確実に大きな歴史の流れの一部にいた。
 ただ時代に流されて、己の在り方どころか、生き延びることすらも投げ出して、諦めようとしていた子供には、志を持って、信念を貫こうと奔走する男たちが眩しかった。
 その側に身を置けることが、何より誇らしかった。

「食っているか」
「ング、ふあい」
「まあ、総三さん。食べているときに話しかけては、駄目ですよ。ねえ?」

 朗らかに笑うのは、相楽の妻、照だ。
 たんとお食べ、と、味噌汁のお代わりを差し出されて、隆二は頬を染める。
 姉とは違う、けれど、よく似通った優しさがくすぐったい。
 浪士たちに揉まれているとはいえ、九つの男児だ。隆二が、照に喪った母の面影を見出していることを、誰が責めることができよう。
 彼女に柔らかに微笑まれると、隆二は鼻の奥がツンとして、それを悟られまいと目の前の食事を貪った。

 照の側には、隆二より幾分か幼い娘子と男の幼児が座って、飯を頬張っていた。
 それを眺める相楽の瞳は、藩邸で見る力強い眼差しではなく、一介の父親らしい柔らかな色をしている。

「小友理、河次郎。焦っては良くない。よく噛んで食べなさい」
「はい、父様」「はぁい、とうしゃま」

 行儀よく返事をする二人に、なぜだか、自分が怒られたような気がして、隆二も慌てて居住まいを正す。
 照がそれを見て、またころころと笑う。相楽も、ふと気を緩めたように、微笑む。
 ごくん、と咀嚼したものを飲み込みながら、隆二はなぜかまた涙目になっていた。

「りゅう、何怖い顔してるの」

 小友理と呼ばれた娘子が、隆二を大きな瞳で覗き込む。
 いつも後ろをついて回る妹分に、隆二は米粒だらけの顔で、にかっと白い歯を見せる。

「ん。おまえたちの父さんは、凄いなって思って」
「小友理の父様だもん、あたりまえ!」
「とうしゃま、すごいすごい!」
「なんだ、おまえたち。褒めてもなにも出んぞ」

 隆二に言葉を受けて子供たちが騒ぐのに、相楽は嬉しそうに破顔する。
 ぴゅう、と外から風が吹き込んで、照が小さく身震いしながら、戸を固く締め直す。

 家族の団欒。
 浪士隊の皆とわいわい騒ぎならがする食事とは違う、単なる日常の風景だ。
 ただ、隆二にとって、そんな日常は随分と昔の淡い記憶でしかなかった。

 自分の中に、志なんてないと思っていた。
 生かしてくれた人たちの役に立つなら、意図せずして生き永らえたこの命も無駄でないと、与えられた任務——と呼ぶには随分と易しいものであったとしても、懸命に熟していた。
 けれど、隆二はそれとは別に、己の胸に宿る想いに気づく。

 ——この人たちの日常を、守りたい

 相楽や、他の隊士たちが藩邸で議論するような、難しい話はよくわからない。
 読み書きを教えてもらう時間よりも、体を動かしている方がいい。
 剣の腕は正直あまり良くないし、ろくに食べていなかった身体は小さく細い。
 それでも、この腕で、命で、守れるものがあるのなら。
 自分のような子供は、家族は、二度とあってはならないと思う。

 この胸に抱えた想いなど、取るに足らぬかもしれないが。
 それが己の志なのだろう、と、隆二は結論づけた。

 ならば、なれるだろうか。
 生まれは百姓でも、この男たちに混じって己の志を掲げれば。

 ——俺も、相楽さんみたいな

 志士と呼ばれるように、なれるだろうか。
 時代に流されるだけではなく、己の手で、足で時代を築いてゆく志士というものに、隆二はなりたいと強く願った。
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