明治仕舞屋顛末記

祐*

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第一部 《鬼手》と《影虎》

《鬼手》の過去(二)

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 体力が少しずつ回復してくると、相楽は隆二を小姓として藩邸に置いてくれた。
 若い浪士たちを束ねる立場にあった相楽は、働かざる者食うべからずという割には、その隊全員で隆二の面倒をみることにしたようだった。
 小姓とは名ばかりで、特に難しい仕事を言いつけられるわけでもなく、掃除や洗濯、お使いや雑務の合間に、当番の若い浪士たちに混じって剣の稽古までつけてくれた。
 雑務、藩邸の掃除家事などの合間に、隆二は鍛え上げられていく。
 自分が、大名屋敷で侍たちに混じって暮らすなど、誰が想像しただろう。
 自分が、刀を握って振るう様を見たら、姉は卒倒するだろうか。それとも、誇ってくれるだろうか。
 死の脅威に晒されず、目紛しくすぎていく日々が、これほどまでに心を満たしてくれるものとは知らなかった。
 一度死んで生まれ変わったように、隆二の毎日は充実していた。

 ただ、時たま恐ろしくもあった。

 数百年続いた徳川幕府に敵対する勢力に身を置いているからには、急激に変化する時代の流れを、否が応でも感じる。
 夜更け前に広間の前を通ると、度々、何やら大勢の男たちが喧々諤々と言い合っている。
 伝令を預かって江戸の町を駆けると、怖い顔をした幕臣たちが目を光らせながら闊歩している。
 おつかいで訪れた団子屋で、誰それが屠られた、どこそこが攻め入られたなど、穏やかでない話題で湧いている。
 直接的に、謀反した薩摩藩への批判もあった。使いの小姓だと知れると、小突かれ、罵倒されることも何度もあった。
 藩の浪士たちの中には、血の気の多いものもいる。特に、自分が所属する若い浪士たちの隊は、武力倒幕派の軍司令官を崇拝しているところがあった。
 力を以ってして、新たな時代を切り拓くのだと鼓舞する男たちとは裏腹に、隆二は震え上がる。

 また、自分の側で、戦が始まる。
 あの時、両親が殺されたように。
 ようやく手に入れた平穏な毎日が、それと紙一重である。

 隆二は、それがとてつもなく恐ろしかった。
 廊下の奥に認めた姿に、縋るように声をかける。

「相楽さん」
「ああ、隆二。帰ったか」
「はい。山下さんから、相楽さんが呼んでるって聞いて」

 緩やかに微笑んで、相楽、と呼ばれた男は、隆二の頭に手を置いた。
 浪士隊総裁であるにも関わらず、相楽は常に隆二を気にかけてくれていた。

「今日は、もう仕事終わりだ。どうだ、うちに飯を食いに来ないか」

 あの時泣き出してしまった穏やかな顔を向けられて、隆二ははにかみながら、コクリと頷いた。
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