明治仕舞屋顛末記

祐*

文字の大きさ
上 下
4 / 28
第一部 《鬼手》と《影虎》

依頼の裏側(三)

しおりを挟む
 上酒が余程嬉しかったのか、怠け者と名高い修にしては良く働いてくれた。
 何せ、その日の夜には、大体の情報を持ち帰ってきたのだ。
 ただし、右目のあたりに大層な痣を拵えて。

「無理はするなって言っただろうが」
「いてててて……」

 隆二にぐりぐりと乱暴に軟膏を塗られながら、修は気不味そうに笑った。
 今朝指摘した通り、一言二言多かったのだろうとは予測がつくが、相手はやくざ者だ。
 例えそれが修の自業自得であったとしても、長屋の連中を捨て駒のように扱う気は《鬼手》には毛頭ない。

「おめぇが沈められたとあっちゃあ、俺の寝覚が悪い」
「いやぁ、ちぃっとばかし突っ込んで聞いたら、この有様で……」

 修がいつものように麹町の馴染みの賭博場に足を運ぶと、これまたいつものように、堀一家の下っ端どもが愚痴っていたのだという。
 隆二に貰った徳利は、そこに至るまでにほぼ空になっていた。
 上機嫌に絡んできた修を少々訝しみながらも、下っ端どもは最初はいつも通りの愚痴を繰り返した。

「だから、俺ぁ、聞いたんだ。おたくさんのところの猛者が敵わないってぇとなると、余程の強者じゃねぇか、何者なんだ?って」
「で? それで殴られたのか?」
「違ぇよ、いくら堀の連中でも、隆二さんほど理不尽に殴らねぇ……いってぇぇ!」

 鈍い音を立てた自分の頭を抱えて、修が涙目になる。
 それをジロリと睨んで、隆二は続きを促した。

「な、なんでもその侍とやらは、山の手の屋敷の抱えかなんからしい。旅浪人が流れ着いたって話も聞いた。見た目は優男なのに、強いのは勿論のこと、対峙したら、逃げ場はねぇって……あ! そうだ、一つだけ逃れる方法があるってぇ話だった!」
「へぇ……なんだそれは?」
「甘味をくれてやるんだと!」
「は?」

 ぽかんとする隆二に、修はからからと笑いながら続ける。

「だろ? どこの神さんだよって俺も笑っちまって。で、ガツンと」

 右目を摩りながら、修は言う。
 隆二は眉間に皺を寄せ、考え込んだ。

 得体の知れぬ旅浪人——相見えれば、命なし。ただし甘味を献上さすれば難を逃れる。

 出来の悪い、子供騙しの迷信にしか聞こえない。しかも、それをやくざ者が吹聴しているときてる。
 こんな滑稽な話、思わず笑った修を責められない。
 複雑な表情を湛える隆二とは対照的に、修はにやついたまま、更に聞き及んだ根も葉もない侍の噂——狐が化けているとか、妖の一種だとか——を報告している。

「もういい、修。大体わかった」
「さっすが、《鬼手》さん! 侍の正体見たりってか!?」
「馬鹿言うな、そんな与太話から知れる正体なら、おめぇなんかに頼まなくたって、暴けるってんだ」

 そりゃあねえぜ、と眉をハの字にしながら、修はこれ見よがしに右目に手を当てる。
 それを無視しながら、隆二は思案する。

 堀一家が、何故複数の侍と偽っているのか。
 侍とはいえ、単身で崩されたとあっては、他の勢力に示しがつかないからだろうか。もしくは、、という事もあり得る。
 依頼内容を偽る輩は常々いた。今回もその類だとしても、驚きはしない。
 だからこそ《鬼手》は、余程のことがない限り、依頼の遂行までに時間をかける。
 どんな内容でも金さえ積めば依頼は受ける仕舞屋でも、事実に反した裏書きで拳を振るうのはそれこそ寝覚めが悪いし、依頼に『仕舞』がついたとも言い難い。
 蓋を開けてみれば理不尽ともいえる『仕舞』だとしても、因果は確り知っておきたかった。

 ただ、堀一家とこの侍押し入り事件には、未だにしっくりこない何かがある。
 それが何か、と問われれば、特に説明できるようなものではなく、漠然とした違和感としか言いようがない。

 だが、ひとつだけ、確信を持てたことがある。
 侍を抱えている山の手の屋敷。
 この屋敷は、堀一家に肩入れをしている件の華族とみて間違いない。
 押し込み強盗の居所が知れているのに、傘下とはいえ、住吉の息のかかったやくざが、報復に出ないのは不自然すぎる。
 例え、屈強の侍にやられたとしても、捨て駒の兵隊など掃いて捨てるほどいるはずだ。
 ということは、報復が出来ない何らかの因果がそこにある。
 秀から聞いたところによると、羽振りの良くなった堀を疎んでいる輩が住吉に居る。それを黙らせているのが華族だという。
 何らかの協力関係にあったその家族と堀の間で、諍いがあったと考えるのが妥当だろう。
 でなければ、やくざに肩入れしている華族が他にもいることになる。絶対にないとは言えないが、余りにも現実的ではない。

 黙りこくって険しい顔をしている隆二を、修は所在なさげに見ている。
 こういう時、口を挟めば直ぐに拳が飛んでくることを、数々の失敗の後ようやく学んだのだ。
 帰りてぇ……と心の中で修が呟いやいたのと、考えがまとまったのか、隆二が顔を上げたのが同時。

「甘味といやぁ、銀座京橋あたりか」

 その侍が狐や妖の類でない限り、施しを受けるのを口を開けて待っているわけではないだろう。
 文明開花よりこちら、多種多様の食文化も、ここ東京府にやってきている。
 噂になるほど甘味を好んでいるならば、甘味処、菓子屋の一つや二つ、訪れていることだろう。
 それが華族付き、況してや強者の侍とあれば、何か手がかりが落ちているやも知れない。

「ありがとな、修。もう賭博場で余計なこと言うんじゃねぇぞ」
「いやぁ、どうってことないですぜ。俺ぁ甘味より、上酒もらえればそれで……」

 調子に乗るな、と脳天に拳を落とされた修は、ウヘェと情けない声を上げながら、自分の部屋へと帰っていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

北海帝国の秘密

尾瀬 有得
歴史・時代
 十一世紀初頭。  幼い頃の記憶を失っているデンマークの農場の女ヴァナは、突如としてやってきた身体が動かないほどに年老いた戦士、トルケルの側仕えとなった。  ある日の朝、ヴァナは暇つぶしにと彼の考えたという話を聞かされることになる。  それは現イングランド・デンマークの王クヌートは偽物で、本当は彼の息子であるという話だった。  本物のクヌートはどうしたのか?  なぜトルケルの子が身代わりとなったのか?  そして、引退したトルケルはなぜ農場へやってきたのか?  トルケルが与太話と嘯きつつ語る自分の半生と、クヌートの秘密。  それは決して他言のできない歴史の裏側。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

処理中です...