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第一部 《鬼手》と《影虎》
依頼の裏側(一)
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翌日昼八つ頃、赤ら顔の男たちが行き交う路地を、のっそりと歩く男がいた。
ざんばら髪に鉢金をつけ、腹にさらしを巻いただけの上半身と股引、肩にはボロ切れのような黒羽織を引っ掛けて、お世辞にも堅気には見えない。
さらに目を引くのが、突き抜けたその背丈だ。ぬっそりとした猫背の立ち姿にも関わらず、人混みからは頭一つ分飛び出している。
すれ違う人々はぎょっとしながら、避けるように道を開けた。
好奇と侮蔑の視線の中、男はそれを意にも介さず、ひとつの縄暖簾をくぐる。
「おう、お福」
「へぇぃらっしゃい、隆二さん」
名前の通り恰幅の良い中年の女将が、馴染みの客を迎え入れる。
隆二は、勝手知ったる様子で、三つある座敷のうち一番奥に陣取った。
「通しはいらねぇ」
「あらぁ、時化てるねぇ。四文二合半だけじゃあ、こっちも商売上がったり」
「けっ、いつ来ても大して客ぅ、いねぇじゃねぇか」
悪態をつきながら、どかりと腰を下ろして、畳に煙草入れを叩きつける。
「だいたい何が四文二合半だ、古くせぇ」
「ふん、古くて悪ぅござんしたね。おまえさんみたいな破落戸が居着いちまったお陰で、柄も金払いも悪い野暮ばっかり来やがる。嫌味の一つも我慢しろってんだ」
お福の蓮っ葉な物言いに、悪かったな、野暮でよぉ!と、長椅子に腰掛けている数少ない客たちが野次を飛ばす。
ふん、と鼻を鳴らして、隆二は煙管に煙草を詰めた。そして、お福を見据えて不敵に笑う。
「せっかく今日は上客になってやろうってんだ。その口ぃ、縫いつけとけや」
「あら」
「まずは上二合半、あとは、そうさな。田楽と葱鮪ぁ」
「まあ」
座敷に投げ出された巾着がじゃらりと音を立てるのに目を瞠ってから、お福はにやりと笑い返す。普段一番安い酒だけを豪快に呑んでいく常連が、上酒に加えて肴まで頼んでくれるとあっては、言われた通りに口を噤んでいたほうがいい。
煙草盆を座敷に置いて、いそいそと引っ込んでいった女将を見ながら、隆二は煙管を炭火に近付ける。
直ぐに戻ってきたお福が盆に乗せた酒を注ごうとするのを、ひと睨みで制して、隆二は嘆息した。
大きな前金が入った時くらい、馴染みの店ではなく、神田の高級牛鍋屋にでも繰り出したかったのは山々だ。
しかし、お福の言うように、ここには自分のような破落戸ばかりが集まる。無法者や裏稼業なんざ目にもくれぬ連中ばかり、やくざ者のいざこざを聞き込むには丁度いいだろう。
ただ、隆二の知る限り、住吉や堀に関わりのある客にはお目にかかったことがない。
——さて、どっから手ぇ付けるか
煙を吐き出して、もう一方の手で顎を撫でる。
幾度か杯を傾けながら思案する様を気に掛けるでもなく、お福は淡々と肴を運んでくる。
「ああ、いたいた」
「おう、秀」
落ち合う予定だった使い走りの小僧がひょっこりと顔を出した。勧められた猪口を躊躇いもせずぐい、と呷って、ああうめぇと唸ると、秀と呼ばれたその少年は声を潜めて、隆二に告げる。
「《鬼手》さん、当たりみてぇだよ」
「ま、そうだろうな」
「住吉の中でも堀は結構下っ端だったらしいんだけども、それが西南の真っ只中からこっち、どんどん賭博場を増やして、金払いも良くなってやがる。住吉の方も訝しんだり妬んだりの輩がいるらしンだが……」
そこで言葉を切って、秀は一際小さな声で続ける。
「何でも、どこぞの華族が結構な額渡して黙らせているンじゃねぇかって」
「華族ぅ?」
秀の口から出た単語までは予想していなかったのか、隆二が眉を顰めた。
「やくざどもが潰しあってンじゃねぇのか? キナ臭ぇなぁ……」
猪口を傾けながら、隆二が溢す。
堀の下男は、本当に必要最低限の情報しか渡してこなかったのだ。
侍が絡んでいることはわかっていたが、そんなこと、このご時世には珍しくもなんともない。堀と対立する士族なんざ、住吉の雇われにしろ、身包み剥がされた逆恨みにしろ、いくらでも可能性はある。
しかし、それとは別に、華族の登場とあっては、この依頼案外複雑なのかもしれない。
「五日で、終わりゃあいいけどなぁ」
「ンなの、《鬼手》さんなら楽勝じゃねぇか」
ぽいっと田楽を口に放り込んで、秀が悪戯っぽく笑う。
隆二は、買い被りすぎでぇ、と言い、空になった地炉利をこれ見よがしに振った。
いつもと違って瞬く間に出てきたお代りに、舌打ちで返す。
「お福、おめぇ、上酒の途端に給仕の腕が上がったじゃねぇか」
「気のせいだよ、隆二さん。あたしはいつだって、滅私奉公さ」
つんと外方を向くお福に、隆二はもう一度舌打ちする。
——それにしても
依頼を聞いて、真っ先に浮かんだのは、権力争い。
血に飢えた士族どもが、裏稼業として色んなことに手を出しているのは知っている。やくざの用心棒なんて、その最たるものだろう。
《鬼手》に打ちのめされて、這々の体で逃げ帰っていく腰抜けどもと対峙したのは、一度や二度ではない。維新志士を騙る輩の大半が、そういった士族崩れの腰抜けだ。
今回の依頼も、急激に力を伸ばした堀一家を牽制するために、落ちぶれ腐った武士が住吉にでも雇われて、堀の管轄する賭博場に押し入ったのだろうと考えていた。
表向きは浪人まがいの強盗に同情しつつ、住吉は上納金はきっちり取り立てる。堀が動かなければ、幾度も同じことが繰り返されるだろう。そうして、鎌首をもたげようとしている子分を、文字通り押さえ付ける。住吉がやりそうなことだ。
だが、華族が住吉に金を渡しているとなっては、少しばかり勝手が違う。
明治の世になって、出世とも言える肩書きを賜った華族が、やくざ者と繋がっている。ましてや、その華族の息がかかった賭博場に、士族が押し入った?
——こりゃあ、裏があるな
華族と呼ばれるからには、裏付けするそれなりの功績がある。その立場を考えれば、博徒と繋がる必要性があるとも思えない。しかし現実、堀一家に肩入れするような動きをしているというのであれば、弱味を握られているのか、もしくは、何らかの協力関係にあるのか。
古くから続く公家のお偉い方がそんな道理を許すはずはないだろうから、元諸侯大名、武家のどれかか。
そして、徒党を組んで押し入ったという侍たち。
ただの面子潰しでも、強盗の類でもないはずだ。
彼らは、その華族と何らかの因縁があるのではないか。
がしがしとざんばら髪を掻き乱す。
あの破格の前金の意味が、ようやくわかった。
詳しいことなど気にするな、とでもいうような、金払いの良さ。
堀の下男にしてやられたのかもしれない。
「仕方ねぇ……仕舞屋《鬼手》、一丁やるかぁ」
隆二は誰に言うでもなく呟くと、猪口になみなみと注いだ上酒を呑み干した。
ざんばら髪に鉢金をつけ、腹にさらしを巻いただけの上半身と股引、肩にはボロ切れのような黒羽織を引っ掛けて、お世辞にも堅気には見えない。
さらに目を引くのが、突き抜けたその背丈だ。ぬっそりとした猫背の立ち姿にも関わらず、人混みからは頭一つ分飛び出している。
すれ違う人々はぎょっとしながら、避けるように道を開けた。
好奇と侮蔑の視線の中、男はそれを意にも介さず、ひとつの縄暖簾をくぐる。
「おう、お福」
「へぇぃらっしゃい、隆二さん」
名前の通り恰幅の良い中年の女将が、馴染みの客を迎え入れる。
隆二は、勝手知ったる様子で、三つある座敷のうち一番奥に陣取った。
「通しはいらねぇ」
「あらぁ、時化てるねぇ。四文二合半だけじゃあ、こっちも商売上がったり」
「けっ、いつ来ても大して客ぅ、いねぇじゃねぇか」
悪態をつきながら、どかりと腰を下ろして、畳に煙草入れを叩きつける。
「だいたい何が四文二合半だ、古くせぇ」
「ふん、古くて悪ぅござんしたね。おまえさんみたいな破落戸が居着いちまったお陰で、柄も金払いも悪い野暮ばっかり来やがる。嫌味の一つも我慢しろってんだ」
お福の蓮っ葉な物言いに、悪かったな、野暮でよぉ!と、長椅子に腰掛けている数少ない客たちが野次を飛ばす。
ふん、と鼻を鳴らして、隆二は煙管に煙草を詰めた。そして、お福を見据えて不敵に笑う。
「せっかく今日は上客になってやろうってんだ。その口ぃ、縫いつけとけや」
「あら」
「まずは上二合半、あとは、そうさな。田楽と葱鮪ぁ」
「まあ」
座敷に投げ出された巾着がじゃらりと音を立てるのに目を瞠ってから、お福はにやりと笑い返す。普段一番安い酒だけを豪快に呑んでいく常連が、上酒に加えて肴まで頼んでくれるとあっては、言われた通りに口を噤んでいたほうがいい。
煙草盆を座敷に置いて、いそいそと引っ込んでいった女将を見ながら、隆二は煙管を炭火に近付ける。
直ぐに戻ってきたお福が盆に乗せた酒を注ごうとするのを、ひと睨みで制して、隆二は嘆息した。
大きな前金が入った時くらい、馴染みの店ではなく、神田の高級牛鍋屋にでも繰り出したかったのは山々だ。
しかし、お福の言うように、ここには自分のような破落戸ばかりが集まる。無法者や裏稼業なんざ目にもくれぬ連中ばかり、やくざ者のいざこざを聞き込むには丁度いいだろう。
ただ、隆二の知る限り、住吉や堀に関わりのある客にはお目にかかったことがない。
——さて、どっから手ぇ付けるか
煙を吐き出して、もう一方の手で顎を撫でる。
幾度か杯を傾けながら思案する様を気に掛けるでもなく、お福は淡々と肴を運んでくる。
「ああ、いたいた」
「おう、秀」
落ち合う予定だった使い走りの小僧がひょっこりと顔を出した。勧められた猪口を躊躇いもせずぐい、と呷って、ああうめぇと唸ると、秀と呼ばれたその少年は声を潜めて、隆二に告げる。
「《鬼手》さん、当たりみてぇだよ」
「ま、そうだろうな」
「住吉の中でも堀は結構下っ端だったらしいんだけども、それが西南の真っ只中からこっち、どんどん賭博場を増やして、金払いも良くなってやがる。住吉の方も訝しんだり妬んだりの輩がいるらしンだが……」
そこで言葉を切って、秀は一際小さな声で続ける。
「何でも、どこぞの華族が結構な額渡して黙らせているンじゃねぇかって」
「華族ぅ?」
秀の口から出た単語までは予想していなかったのか、隆二が眉を顰めた。
「やくざどもが潰しあってンじゃねぇのか? キナ臭ぇなぁ……」
猪口を傾けながら、隆二が溢す。
堀の下男は、本当に必要最低限の情報しか渡してこなかったのだ。
侍が絡んでいることはわかっていたが、そんなこと、このご時世には珍しくもなんともない。堀と対立する士族なんざ、住吉の雇われにしろ、身包み剥がされた逆恨みにしろ、いくらでも可能性はある。
しかし、それとは別に、華族の登場とあっては、この依頼案外複雑なのかもしれない。
「五日で、終わりゃあいいけどなぁ」
「ンなの、《鬼手》さんなら楽勝じゃねぇか」
ぽいっと田楽を口に放り込んで、秀が悪戯っぽく笑う。
隆二は、買い被りすぎでぇ、と言い、空になった地炉利をこれ見よがしに振った。
いつもと違って瞬く間に出てきたお代りに、舌打ちで返す。
「お福、おめぇ、上酒の途端に給仕の腕が上がったじゃねぇか」
「気のせいだよ、隆二さん。あたしはいつだって、滅私奉公さ」
つんと外方を向くお福に、隆二はもう一度舌打ちする。
——それにしても
依頼を聞いて、真っ先に浮かんだのは、権力争い。
血に飢えた士族どもが、裏稼業として色んなことに手を出しているのは知っている。やくざの用心棒なんて、その最たるものだろう。
《鬼手》に打ちのめされて、這々の体で逃げ帰っていく腰抜けどもと対峙したのは、一度や二度ではない。維新志士を騙る輩の大半が、そういった士族崩れの腰抜けだ。
今回の依頼も、急激に力を伸ばした堀一家を牽制するために、落ちぶれ腐った武士が住吉にでも雇われて、堀の管轄する賭博場に押し入ったのだろうと考えていた。
表向きは浪人まがいの強盗に同情しつつ、住吉は上納金はきっちり取り立てる。堀が動かなければ、幾度も同じことが繰り返されるだろう。そうして、鎌首をもたげようとしている子分を、文字通り押さえ付ける。住吉がやりそうなことだ。
だが、華族が住吉に金を渡しているとなっては、少しばかり勝手が違う。
明治の世になって、出世とも言える肩書きを賜った華族が、やくざ者と繋がっている。ましてや、その華族の息がかかった賭博場に、士族が押し入った?
——こりゃあ、裏があるな
華族と呼ばれるからには、裏付けするそれなりの功績がある。その立場を考えれば、博徒と繋がる必要性があるとも思えない。しかし現実、堀一家に肩入れするような動きをしているというのであれば、弱味を握られているのか、もしくは、何らかの協力関係にあるのか。
古くから続く公家のお偉い方がそんな道理を許すはずはないだろうから、元諸侯大名、武家のどれかか。
そして、徒党を組んで押し入ったという侍たち。
ただの面子潰しでも、強盗の類でもないはずだ。
彼らは、その華族と何らかの因縁があるのではないか。
がしがしとざんばら髪を掻き乱す。
あの破格の前金の意味が、ようやくわかった。
詳しいことなど気にするな、とでもいうような、金払いの良さ。
堀の下男にしてやられたのかもしれない。
「仕方ねぇ……仕舞屋《鬼手》、一丁やるかぁ」
隆二は誰に言うでもなく呟くと、猪口になみなみと注いだ上酒を呑み干した。
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