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第七章 ユウリとヨルン

7-10. 狙うもの

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 煌めく星空がよく見えて、ペッタリと闇に溶けた新月が、今のユウリの心の中を表しているかのようだ。
 庭園へと足を運んだ彼女は、お気に入りのユーリーンの花壇のベンチへ腰掛けていた。

「うっ……ふ……」

 星を仰ぎ見ても、瞳から溢れるものは止まってはくれなかった。
 頭がガンガンして、胸の奥がズクズクと痛んで、身体中の水分が全部出てしまうのではないかというほど、止め処無く流れ続ける。

 ヨルンの言葉が支えだった。
 可笑しな外見も、魔力も、《始まりの魔女》であるということさえも、全て受け止めて『ユウリ』を知りたいと、初めて言ってくれた男性ひと
 どんなに辛くても、上手くいかなくても、それがあるから頑張れた。
 カウンシル役員達や、ナディアに心を開けたのも、あの言葉があったからだ。

 ——それなのに

 ヨルンは、ユウリを《魔女》として拒絶した。
 《始まりの魔女》であるからこそ、狙われ、危険だと。
 だから、応えることは出来ないと。
 そこに、答えなどないとわかっているのに、ユウリは考えられずにはいられなかった。
 《始まりの魔女》を狙う者達の正体や目的がわからない今、危険な賭けはできないというヨルンの誠意も、わかる。
 では、『ユウリ』はどうなる?
 《始まりの魔女》なんて、ただ持って生まれてしまった力に、勝手に名付けられただけだ。
 それはユウリであって、ユウリでない。
 ユウリ自身は、普通魔法も満足に使えなくて、人の気持ちに振り回されて右往左往し、傷つけて、傷ついて、必死にもがいている、ただの学園の《奨学生》だ。

 ただの、《奨学生》でありたいのだ。

 《始まりの魔女》としてのユウリに求められるものに、彼女は少し疲れていた。
 理由もわからず狙われ、どんな時でも常に気を張っていないといけない。
 彼女を助けてくれるはずの《始まりの魔法》も、自在に操れるようになったからと言って、大っぴらに使うことが出来ない。
 我慢することには慣れているが、時たま、休みたいと思ってしまう。

 ヨルンの外套の中で、何も考えずに身を委ねる時間が、何よりもの癒しになった。
 銀色の瞳を思い出すだけで、胸に宿る暖かさが心地よかった。
 銀髪の下から覗く緩い笑顔を見ると、自分が持つ力も、運命も、試練も、忘れさせてくれた。

(欲張り過ぎちゃったかなぁ……)

 ヨルンにも、同じ想いを返して欲しかっただけだ。
 こんな力を持っていても、ただそれだけのことが叶えられなかった。

 ——役立たずなのは、相変わらずだな

 どんな逆境でも諦めずに立ち上がってきたユウリは、初めて、何もかも投げ出してしまいたい衝動に駆られていた。

「大丈夫ですか?」
「ひゃっ……」

 そんな時、突然真横から声を掛けられて、ユウリはベンチから落ちそうになる。
 目深にフードを被った男が、彼女を見下ろして立っていた。

「あ、だ、大丈夫です」

 不穏な空気を感じて、慌てて立ち上がって距離を取る。
 数歩下がったところで、とん、と背中に当たる感覚。

「こんな夜更けに、何を?」

 にやりと口元を歪ませたフードの男が、ユウリの背中から見下ろす。
 飛び退って辺りを見回すと、五、六人の男達に囲まれていた。
 ベンチの真横にいた男が一歩踏み出し、短く詠唱する。

(まずい……ッ!)

 機械時計を掴むのがやや遅く、男の詠唱が完結する。

 ——バチィッ

 魔力の火花が散って、放たれた魔法がユウリの魔力にぶつかって霧散した。

「な……催眠魔法が!」「いつの間に、障壁を……!!」

 男達の間に動揺が広がっている。
 思わず瞑っていた目を開いたユウリは、僅かな違和感を覚えた。

 ——他人から掛けられる魔法が、通りにくい
 ——何の呪文の詠唱も必要としない《始まりの魔法》

 以前ユウリを狙ったもの達なら、ましてや《始まりの魔女》を狙うものなら、当然知っているであろうことを、この集団は認識していないようだった。

(クタトリアじゃ、ない……?)

 機械時計にかけていた指を解いて、ユウリはポケットの膨らみにようやく思い当たる。
 リュカの一件以来持たされていた伝達魔法を詰めた小瓶は、《始まりの魔法》を使えない状況で、ユウリが助けを呼べる唯一の手段だ。

「こうなったら……!」

 ポケットに震える手を突っ込んで小瓶を掴んだ途端、背後から切羽詰まった声が聞こえた。布で口を塞がれて、ユウリは思わず息を呑む。
 がしゃんというガラスの割れる音とともに、ユウリの意識はそこでぶつりと途切れた。



***



 カウンシル役員専用ラウンジの扉がノックされる。
 組んだ指を膝に置いたまま俯いていたヨルンが顔を上げると、薄藤色とスミレ色の頭が覗いた。

「お話、まとまりましたか?」
「ユウリ、無事?」

 満面の笑みのヴァネッサと、対照的に泣きそうなナディアが、ラウンジの中を見回して、ヨルンだけなのを確認して訝しむ。

「ヨルンさん、ユウリは……?」

 困ったように眉尻を下げるヨルンに、ナディアは鬼のような形相をしながらも、静かに尋ねた。

「ごめん……泣かせちゃった」

 ばちぃいん、と小気味良い音がラウンジに響く。
 ヴァネッサが、ヨルンの頰を打って振り抜かれたナディアの腕を、目を丸くして凝視していた。

「ナ、ナディアちゃん……ッ」
「ユウリを傷つけて欲しくて、ヨルンさんに頼んだんじゃない!」

 頰に手をやって、ナディアの勢いに、ヨルンはもう一度ごめん、と謝る。

「私に謝っている場合ですか!? 座ったまま、何をしてるの!? ユウリはいつ、出て行ったの!? 外を見てください、今日は新月です!」

 はっとして、ヨルンとヴァネッサが窓の外を見る。いつの間にか太陽の名残もなく、静寂な夜が訪れていた。

「こんな真っ暗な中、ユウリを一人で外に出したんですか!」

 ナディアが吠えると同時に、皆の眼前にパチンと魔力が弾けて、伝達鳩が現れた。

 ——ユウリが持つ小瓶の、伝達魔法

「ユウリ!!」
「待って、ナディアちゃん!」

 ヨルンが、悲鳴を上げて駆け出そうとしたナディアの手を掴む。

「離して、ヨルンさん!」
「……俺が、馬鹿だった」

 ギリ、と噛んだヨルンの唇に、血が滲んでいる。

 ——何が『守りきれないかもしれない』だ
 ——俺が、彼女を危険に晒した

 傷つけた報いを受けるのは、いつだって彼女の方だ。
 何故、危険を冒しても側で守ろうとしなかったのか。

「俺がフォンと行く。ナディアちゃんとヴァネッサは、執務室へ」

 極限の感情で白く光る銀の瞳に、二人は頷いてラウンジを出て行く。
 階段を降りることすら煩わしく、ヨルンは窓から夜の闇に躍り出た。
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