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第六章 学園カウンシル

6-11. 親衛隊隊長サーシャ

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 突然執務室を出て行ってしまったリュカを、ユウリは探し歩いていた。
 吐き捨てる様に言い去った彼の声音が感情的で、普段のリュカの様子と違って見えたことが気になる。

(言い過ぎちゃったかな)

 踏み込みすぎるのは良くないと思いつつ、止められなかった。
 あんなに求めているのに、それを知らないふりをするリュカが、痛々しくて仕方ない。
 ヴァネッサから聞かされた過去があるからなのか、それとも、失った大切な時間を取り戻した嬉しさを知っているからなのか、ユウリは、どうしてもこのままのリュカで良いとは思えなかった。
 傷つかない様にと過去から目を背け、本来の自分すら否定して、結局より傷ついているのは彼自身だ。

 夕食も終わる時間の構内は、人の出入りも疎らで、リュカを見つけ出すことは容易に思えたのに、何処を見歩いても、彼の姿はない。

(行き違いになっちゃったかな……)

 気が進まないが、ユウリは、庭園へと続く遊歩道を歩いていく。
 以前、ナディアと散歩した時にリュカに出くわした、あの東屋を最後に見ておこうと思う。
 あの場所でお茶をするのがリュカのお気に入りだと聞いていた。
 またもや、親衛隊に睨まれるかもしれないが、もし、彼がそこにいるなら、ほんの少し言葉を交わすだけでも良い。

 ユウリが庭園へと足を踏み入れた時、月明かりの下、東屋の側で地面に座り込んだままの女生徒達が見えた。
 訝しげに近づいて、それがリュカの親衛隊だとわかる。

「あの、こんばんは」

 近づいて声をかけると、同時に相手もこちらを認めて、一瞬鋭い視線を向けるが、心なしかいつもの覇気がない。
 その内の一人が、突然わっと顔を覆って泣き始め、ユウリは度肝を抜かれる。

「え、ちょ、大丈夫ですか……?」
「わたくし達、先程リュカ様に解散を言い渡されましたの……」
「ええ……!?」

 予想外の返答に、ユウリは素っ頓狂な声をあげた。
 そして、執務室での出来事を思い出し、もしや自分が責任の一端を担っているのではないかと蒼白になる。

「そ、それは……」

 怒りを含んだ視線と悲しみを孕んだ表情からは、ユウリを責める様子はなかった。
 ただ、彼女達が酷く何かに怯えているような違和感を感じる。

「あの、隊長さんは……」
「サーシャ様は、酷く動揺されて……」

 無理もないだろう。
 率先してユウリに攻撃的な罵倒を投げかけてきていた親衛隊隊長のサーシャは、上級Aクラスに属する優等生だった。
 他生徒や教師達までにも、リュカが絡まなけらば素晴らしい生徒だ、と言わしめるほど、彼女はリュカに心酔していた。
 家柄も良く、女生徒ばかりの親衛隊を上手く纏め上げていた手腕においては、ユウリもある意味尊敬していたほどだ。
 その心血注いだ活動を、聞く限り一方的に、最も崇拝する者に停止させられたとしたら。
 ユウリにはその心情を察する事しか出来ないが、サーシャの絶望に同情してしまう。

「そうしたら、怪しげな行商がサーシャ様に何かを囁いて……」
「え……?」
「その男から、色々なものをお買いになって」
「それらを持って、リュカ様を追いかけられたの」

 話が予想だにしない方向に進んで、ユウリの思考が追いつかない。
 怪しげな行商が何処から出てきたかはともかく、サーシャは一体、何をしようというのか。

「何を、買われたんですか……?」
「わたくし達は、よくわからなくて……何かの薬瓶と、大きな麻袋と……」
「麻袋!?」
「ええ、人一人なら、すっぽり入ってしまいそうなくらいの……そうして『許さない』と呟いておられて、わたくし恐ろしくって……」

 不穏な言葉が出てきて、ユウリは頭を抱える。
 確かに、誠実になれと暗に諭したのは彼女だ。
 けれど、何だって、ここ数日何度も、リュカの火遊びの尻拭いをさせられるのか。

 難しい顔をして黙ってしまったユウリに、親衛隊の一人がおずおずと紙切れを差し出した。

「この、置き手紙をリュカ様の居室に置いてくる様に言われましたの」

『北の遺跡にて、愛する者と永遠を誓い、旅立つ』

 一見すれば、ただの愛の手紙。
 もし、消えたリュカを探しに来た誰かがこれを見つければ、駆け落ちでもしたのかと腑に落ちるような文面。
 けれど、それを書いたのは命をかけていた親衛隊ものを彼に奪われた女性。

「報いてやる、と」

 そう言って、リュカを追い、こんな置き手紙まで用意して。
 怪しげな行商から買った、薬瓶に、大きな麻袋。

 ユウリの中に、最悪のシナリオが浮かび上がる。

「私、遺跡を見に行ってきます」
「まあ、そんな危険な……」
「もしかしたら、ただの思い過ごしかもしれないし……ただ、他に人を呼んでおいてもらえますか?」

 そう言って北門に駆け出していくユウリを、親衛隊は複雑な表情で見送っていた。



***



 《始まりの魔法》で行けばすぐなのだが、瞳が治まるのを待つ時間が惜しい。
 ユウリは、北門を出てから全速力で走っていた。

 メモに、北の遺跡とだけ記されていた場所は、学園の生徒なら大体見当が付く。
 大昔、学園の設立前、この辺りに教会の建物があったようで、その名残りが未だに残っていた。
 朽ちた石造りの建物跡は、割れた柱や壁が乱立しており、其処彼処に崩れ落ちた石が積み重なっている。
 歴史の授業で習うこの場所は、課外授業でも時たま使用され、それ以上に、ひと気の無さと入り組んだ柱のお陰で密な空間が築けるとあって、恋人達の逢瀬の場として人気だった。

 今宵の月が少し明るすぎるのか、遺跡はいつにも増して静まり返っている。
 それ程広くない敷地を駆け回り、ユウリは、かつての大広間跡と思われる開けた場所へ躍り出た。

 その中心部に、背筋を伸ばして月を仰ぎ見る人影。

「サーシャ、さん……」

 乱れた呼吸を整えながら呟いたユウリに視線を移したサーシャは、激しい憎悪の炎を灯しながら、口端を吊り上げた。
 彼女の足元に横たわった布袋から、ひと房の髪が見えている。
 それが月明かりに反射して、よく知った淡藤色とわかると、ユウリは背筋が凍りそうになった。

「リュカさん!」
「来ないで!」

 叫ぶサーシャの掲げる小瓶に、見知った金の紋章が見えて、ユウリは息を呑む。

「サーシャさん、それを、どこで」
「気の効いた行商人から買いましたの。帝国時代からの薬師なんですって」

 彼女は、それが何か知らないのか。

 ——クタトリア帝国紋章

 つい先日こそ、ラヴレが示唆した、《始まりの魔女》を狙う者達が使う紋章。
 これは、偶然なのだろうか。

「お願いですから、そんなことはやめて!」

 サーシャに向かって訴えるも、彼女は妖しく冷たい笑みを浮かべて、ユウリを見据えたままだ。
 ぎゅっと機械時計を握るが、《始まりの魔法》を使っていいものか、ユウリは躊躇っている。
 こんな明るい月夜に、紅く光る瞳は誤魔化せない。

「貴女のお陰で、わたくしは生き甲斐を失いましたわ。どうせこの命を失うなら、一緒に連れて行っても良いでしょう?」

 恐怖と焦りの表情のユウリとは裏腹に、サーシャの心内は落ち着いていた。
 なぜなら、これは、彼女の仕掛けた茶番だったからだ。
 パリアの公爵令嬢であるサーシャは、自分が王族と心中などという馬鹿げた真似をすれば、一族郎党に累が及ぶことをわかっている。
 だから、あの妖しげな行商から、こんなものを買ったのだ。

 どんな色にも変えられるウィッグと、この小瓶。

 あの男は言った。

『貴女をコケにしたその庶民に、一泡吹かせてやりたくないかえ』

 他の親衛隊員達と結託して、ユウリをここへ誘きだしたのは、他でもないサーシャだ。
 この小瓶を地面に叩きつければ、ちょっとした魔法が発動する。それを自分が治めて、ユウリに実力の差を見せつけてやればいい。そうして、種明かしをするのだ。
 この布袋の中は、おが屑とウィッグ。

 ——それすらも取り返せない貴女は、リュカ様の側にいる資格もない

「サーシャさん、お願いですから!」

 所詮、自分を止める魔法すら使えない、初級クラスの庶民。
 サーシャは、懇願するユウリを無視して、何の躊躇いもなくその小瓶を叩き割った。

 赤黒い煙が立ち上り、バチバチと魔力の火花がそれを取り囲む。
 その中心に、巨大な影が見えた。

「な、何ですの、これは……」

 煙幕が上がって、
 男は確かにそう言っていた。

 だが、目の前にある、この影は。
 普通の馬の数倍ある胴体、頭上に突き出る二本の鋭い角を持った怪物が、ゆっくりとその頭を擡げていた。

「バイコーン……?」

 呆然とするサーシャの耳に、拙い防御障壁の呪文が聞こえる。
 酷く脆い膜のような障壁が彼女の周りに出来、それがユウリによるものだとわかった。 

「サーシャさん、逃げて! リュカさんを連れて、早く!!」

 その叫びに呼応するように、バイコーンが闇を切り裂くような咆哮を上げる。
 一直線にユウリに向かっていくその姿を見て、ガクガクとサーシャの膝が震えた。

 ——わたくしが、喚び出したの?

 防御障壁を壊されて、地面を転がりながらその攻撃を躱して、ユウリは尚も叫ぶ。

「逃げろって言ってるでしょ!」

 もう待てない、とユウリは機械時計を握り締めた。
 それでも、紅い目を見せるわけにはいかない。
 目を瞑って、一瞬の内にサーシャと転がっていた布袋を学園へ移動させる。

 しかし、バイコーンには、その一瞬で十分だった。

「……っ!!」

 目を開けた時には、その角がユウリの目前に迫っている。
 身体の中心から逸らすように身を捩ったが、僅かな遅れから、完全に避けきれない。

「ああっ!!」

 右の脇腹を抉るようにして頭を捻ったバイコーンに、ユウリは悲鳴を上げた。
 どろりと、何かが流れ出す感覚。

「ふ……は……っ」

 短く息を吐き出しながら、ユウリは燃えるように熱い脇腹を抑え、反対の手で機械時計を握る。
 ぱん、とバイコーンの角が弾け、怪物は痛みにのたうち回った。

(跡形もなく……消えて)

 その四肢の動きがだんだんと緩慢になり、終いにはパラパラと光の粒子になって消えていく。

 血溜まりに膝をついてそれを見届けてから、ユウリの意識は黒く塗りつぶされた。
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