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第三章 《始まりの魔法》
3-6. 眠れぬ夜
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寒い。
すごく寒い。
必死で手を伸ばして、熱を求める。
ぎゅっと握ると、柔らかく抱かれて、とても暖かい。
——お母さん
大きな手が、頭と顔を包み込んで、安心する。
——お父さん
ぼんやりとする二人の顔が、揺れて、捩れて、暗くて。
紅い。
***
「——ッ!!」
飛び起きて、濡れた頰に張り付く髪を震える手で搔き上げる。
呼吸を整えながら、ユウリは枕元の時計を見た。丁度深夜二時を廻ったところだ。
ゆるゆると起き上がって、シャワールームで顔を洗う。もう一度ベッドに潜る気にはならない。
ユウリはガウンを羽織って部屋から出ると、お気に入りの庭園を目指した。
少し温度の下がった夜風が、火照った頰を撫でていく。
(どうして、あんな夢)
胸の動悸はまだ治らない。
ラヴレに投げかけられた質問に、彼女は一番に自分の両親を思い浮かべた。
けれど、彼女の両親は事故死だった。
決してユウリのせいで傷つけられたわけではない——はずなのだ。
急に息苦しさを感じて、ユウリは愕然とした。
(どうして私は——何も覚えていないの?)
自分の両親が、何の事故で、何時亡くなったのか。
その時まで、そんなこと、疑問に思ったことすらなかった。
そんな馬鹿なことがあるかと自問するが、胸の内に帰ってくる答えは、ただ喪ったことへの哀しみと絶望だけ。
まるでそれが正解でなければならないかのように、その感情がユウリの疑問を押し流していく。
背中を撫でられてようやく呼吸を整えた彼女に、ラヴレは言った。
『今、貴女に尋ねた途端に、僅かな魔力の流れを感じました』
——魔法が、記憶に蓋をしている、と
今まで考えてもみなかった可能性に、ユウリはまた息苦しくなる。
優しかった両親、突然居なくなった彼ら、心に残る暖かさ。何処かでそれを、なかったことにしたい人物がいる?
ただ恐ろしいと思う。
思い出すべきではないから蓋をされているのか、姿も知らない誰かに都合の悪い何かを消すためなのか。
今この心に残る思い出の暖かさすら、作られたものでないと証明できる術が、彼女にはなかった。
「あれ」
大好きなロズマリアの花に囲まれたベンチに腰掛けていたユウリは、小さく響いたよく知る声に振り返る。月明かりに照らされる綺麗な銀髪に少しほっととした。
「こんな夜更けに、どうしたの?」
「ヨルンさんこそ」
「俺はほら、昼間たっぷり寝てるから」
執務室の長椅子に横たわる姿を思い出してくすりと笑みを零したユウリの隣に、ヨルンは腰掛ける。
「……眠れなくって」
「そっか」
それ以上は追求せずに、彼はいつものように外套でユウリを包み込んだ。
その心地よい暖かさに、先程までの不安が和らいでいく。
弱味なんか誰にも見せたくないのに、ユウリの口から自然と言葉が溢れた。
「私は、幼い頃の記憶がないんです。トラン村に来る前に、どこに住んでいたのか、何をしていたのか。優しい両親と穏やかに暮らしていたと感覚で分かるのに、詳しく思い出そうとすると、それが途端に脆く不確かなものになって、本当なのか夢なのか、分からなくなる」
仄暗い空間。
くぐもった音。
眩いばかりの光。
柔らかな布地。
頭上から聞こえる——声。
その声は、よく知る響きではなかったか。
「この機械時計も、もしも、あれが両親じゃなかったら、誰が、何のために」
「ユウリ」
ヨルンの大きな手が、ユウリの頭にのせられて、そのまま優しく髪を撫でられる。
「焦らなくていいよ。 ゆっくり、一つずつ解決していこう」
「でも」
「大丈夫」
ヨルンに微笑まれると、何もかも見透かされている気がして、ユウリは自分が幼い子供に戻ったように感じてしまう。
「初めてユウリが魔力を爆発させて、まだ一ヶ月も経っていないよね。それなのに、君はずっと休まず練習して、全く出来なかった実技もロッシが褒めるまでになった。《始まりの魔法》なんていう、俺でも恐ろしく感じる未知の力も、受け入れて努力して、コントロールしようとしてる。君は、君が思っているよりずっと頑張ってるよ」
ゆっくりと諭すように話すヨルンの声が優しすぎて、思わず甘えて泣き叫びたくなった。
それを必死で堪えて、ユウリは声が震えないようにするので精一杯になる。
「いつか、両親のことも思い出せるでしょうか」
「俺たちが、手伝うから」
俯いて、瞳を閉じる。
暖かさと安心感。
父と母。
縋ってきたものが、本当でないとしたら。
「何もかも、なくなってしまうかもしれないけれど、それでも、私は知りたいんです」
自分のこと、力のこと。
——記憶の、蓋のこと。
頰に添えられた大きな手を掴んで、銀の双眸を真っ直ぐと見るユウリに、ヨルンは一瞬息を呑む。
その奥が、また真紅に揺らめいた気がして。
不安を吐露する一方で、力強い、意志の炎を宿す瞳。
「もうちょっとだけ、こうしていていいですか」
少しだけ体重を預けて俯いてしまった彼女の瞳を、何故だかもっと見ていたいとヨルンは思う。
(変な感じだ)
これ以上、その瞳に惑わされないようにするためなのか、彼はユウリを包み込む外套を更に深く巻きつけた。
すごく寒い。
必死で手を伸ばして、熱を求める。
ぎゅっと握ると、柔らかく抱かれて、とても暖かい。
——お母さん
大きな手が、頭と顔を包み込んで、安心する。
——お父さん
ぼんやりとする二人の顔が、揺れて、捩れて、暗くて。
紅い。
***
「——ッ!!」
飛び起きて、濡れた頰に張り付く髪を震える手で搔き上げる。
呼吸を整えながら、ユウリは枕元の時計を見た。丁度深夜二時を廻ったところだ。
ゆるゆると起き上がって、シャワールームで顔を洗う。もう一度ベッドに潜る気にはならない。
ユウリはガウンを羽織って部屋から出ると、お気に入りの庭園を目指した。
少し温度の下がった夜風が、火照った頰を撫でていく。
(どうして、あんな夢)
胸の動悸はまだ治らない。
ラヴレに投げかけられた質問に、彼女は一番に自分の両親を思い浮かべた。
けれど、彼女の両親は事故死だった。
決してユウリのせいで傷つけられたわけではない——はずなのだ。
急に息苦しさを感じて、ユウリは愕然とした。
(どうして私は——何も覚えていないの?)
自分の両親が、何の事故で、何時亡くなったのか。
その時まで、そんなこと、疑問に思ったことすらなかった。
そんな馬鹿なことがあるかと自問するが、胸の内に帰ってくる答えは、ただ喪ったことへの哀しみと絶望だけ。
まるでそれが正解でなければならないかのように、その感情がユウリの疑問を押し流していく。
背中を撫でられてようやく呼吸を整えた彼女に、ラヴレは言った。
『今、貴女に尋ねた途端に、僅かな魔力の流れを感じました』
——魔法が、記憶に蓋をしている、と
今まで考えてもみなかった可能性に、ユウリはまた息苦しくなる。
優しかった両親、突然居なくなった彼ら、心に残る暖かさ。何処かでそれを、なかったことにしたい人物がいる?
ただ恐ろしいと思う。
思い出すべきではないから蓋をされているのか、姿も知らない誰かに都合の悪い何かを消すためなのか。
今この心に残る思い出の暖かさすら、作られたものでないと証明できる術が、彼女にはなかった。
「あれ」
大好きなロズマリアの花に囲まれたベンチに腰掛けていたユウリは、小さく響いたよく知る声に振り返る。月明かりに照らされる綺麗な銀髪に少しほっととした。
「こんな夜更けに、どうしたの?」
「ヨルンさんこそ」
「俺はほら、昼間たっぷり寝てるから」
執務室の長椅子に横たわる姿を思い出してくすりと笑みを零したユウリの隣に、ヨルンは腰掛ける。
「……眠れなくって」
「そっか」
それ以上は追求せずに、彼はいつものように外套でユウリを包み込んだ。
その心地よい暖かさに、先程までの不安が和らいでいく。
弱味なんか誰にも見せたくないのに、ユウリの口から自然と言葉が溢れた。
「私は、幼い頃の記憶がないんです。トラン村に来る前に、どこに住んでいたのか、何をしていたのか。優しい両親と穏やかに暮らしていたと感覚で分かるのに、詳しく思い出そうとすると、それが途端に脆く不確かなものになって、本当なのか夢なのか、分からなくなる」
仄暗い空間。
くぐもった音。
眩いばかりの光。
柔らかな布地。
頭上から聞こえる——声。
その声は、よく知る響きではなかったか。
「この機械時計も、もしも、あれが両親じゃなかったら、誰が、何のために」
「ユウリ」
ヨルンの大きな手が、ユウリの頭にのせられて、そのまま優しく髪を撫でられる。
「焦らなくていいよ。 ゆっくり、一つずつ解決していこう」
「でも」
「大丈夫」
ヨルンに微笑まれると、何もかも見透かされている気がして、ユウリは自分が幼い子供に戻ったように感じてしまう。
「初めてユウリが魔力を爆発させて、まだ一ヶ月も経っていないよね。それなのに、君はずっと休まず練習して、全く出来なかった実技もロッシが褒めるまでになった。《始まりの魔法》なんていう、俺でも恐ろしく感じる未知の力も、受け入れて努力して、コントロールしようとしてる。君は、君が思っているよりずっと頑張ってるよ」
ゆっくりと諭すように話すヨルンの声が優しすぎて、思わず甘えて泣き叫びたくなった。
それを必死で堪えて、ユウリは声が震えないようにするので精一杯になる。
「いつか、両親のことも思い出せるでしょうか」
「俺たちが、手伝うから」
俯いて、瞳を閉じる。
暖かさと安心感。
父と母。
縋ってきたものが、本当でないとしたら。
「何もかも、なくなってしまうかもしれないけれど、それでも、私は知りたいんです」
自分のこと、力のこと。
——記憶の、蓋のこと。
頰に添えられた大きな手を掴んで、銀の双眸を真っ直ぐと見るユウリに、ヨルンは一瞬息を呑む。
その奥が、また真紅に揺らめいた気がして。
不安を吐露する一方で、力強い、意志の炎を宿す瞳。
「もうちょっとだけ、こうしていていいですか」
少しだけ体重を預けて俯いてしまった彼女の瞳を、何故だかもっと見ていたいとヨルンは思う。
(変な感じだ)
これ以上、その瞳に惑わされないようにするためなのか、彼はユウリを包み込む外套を更に深く巻きつけた。
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