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第一章 学園
1-9. カウンシル執務室での検証
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——バシャンッ
水音と共に、ソファーが水浸しになる。一拍置いて、リュカの笑い声が執務室に響いた。
その原因を作った本人は、オロオロと辺りを見回している。
ユウリはあの後、ロッシによってカウンシル執務室へと連れ帰られた。
すでにそこにいた他の四人に経緯を説明し、彼はユウリに、もう一度ポーション生成を行えと命じたのだ。
それで、この惨事である。
「うわー、本当に致命的に徹底的に出来ないんだねぇ」
「わ、笑い過ぎです、リュカさん!」
ユウリは持っていたハンカチでは到底足りない水量を、必死で拭っていた。
舌打ちの後、ユージンが短く詠唱すると、瞬く間にその水分は蒸発する。
「これも、基本中の基本、水魔法の応用だ」
「み、水魔法なら……」
ユウリは、数少ない使用可能な魔法を披露しようと詠唱して、突き出した手のひらに収まる水を生成する。
どうだ、といわんばかりに顔を上げると、苦笑しているレヴィとヨルン、殺されるのではと錯覚する睨みをくれるユージンとロッシ、そして顔を真っ赤にして笑いを堪えているリュカがいた。
「あ、あの……」
「その程度なら、その辺の幼児の方がよっぽど使えるな」
ロッシから言われて、ユウリは真っ赤になって俯いてしまう。
短く溜息をついて、ヨルンは彼女の隣に腰掛けて頭を撫でた。
「これも、練習するしかないね」
「はい……」
「魔力のコントロールと安定と、魔法実技。大変だけど、頑張れる?」
こくん、と頷いた彼女の頭をもう一度撫でると、ユージンとロッシは諦めたように嘆息する。
「仔猫ちゃんの場合は、まず出来る魔法を見せてもらってからだね」
リュカの鶴の一声で、カウンシルの美形達にずらりと囲まれたプレッシャーの中、ユウリは数少ない魔法を披露する羽目になった。
ユウリの住んでいたトラン村は、《辺境の地》もしくは《秘境》と名される。
北東の森の奥、山脈の隣接するその地理からして正にその通りなのだが、一番の理由は住民の生活形態によるものだろう。
彼らは、必要最低限の生活魔法以外その一切を排除し、《始まりの魔女》以前から続く伝統的な様式に則って生活している。
治癒魔法ですら、村に派遣されている医師とその助手として働く村人のみしか使わない。
だからと言って、彼らが社会から取り残されているのかというと決してそんなことはなく、子供たちは一定の年齢になると近隣の王国の普通学校へと進学するし、大人たちも魔法工学や魔法科学などの知識は一般常識程度には持ち合わせている。
ある意味だからこそ、ユウリの可笑しな魔力が今まで誰の目にも止まらなかったのだろう。
カウンシルメンバーたちがそう結論づける頃には、ユウリはかなり疲弊していた。
ロウソクに火が灯せる程度の火魔法や、先程の水魔法、植物にちょっとした成長を促せる土魔法、自分から一歩半程の半径の範囲の空気を清浄する風魔法。
本当に基本の中の基本、どちらかというと魔力がある人間ならできて当たり前な魔法でも、不安定な魔力を極限まで集中して正しい方向に導かなけばならない彼女にとっては、かなりの負担だった。
「お疲れさーん……ってあら?」
突然開いた執務室の扉に、ユウリの集中が途切れ、何度目かわからない火魔法がバチンと弾けた。
「あっぶないなぁ、もう。ヴァネッサ、ノックしてっていつも言ってるよね」
「ごめんなさいねー」
リュカの抗議を意に介さず入室してきた長身の女性に、ユウリの視線は釘付けになった。
少しウェーブのかかった薄藤色の長髪が、綺麗な卵型の輪郭を優しく縁取っている。アメジストのような瞳と、少し垂れた目尻とは対照的な、きりりと弧を描く眉。通った鼻筋に、美しくふっくらとした真っ赤な唇。
絶世の美女、と言っていいほどの女性が、そこにいた。
「あなたが、《魔女》のユウリちゃん?よっろしくぅ」
その外見からは想像出来ない軽さで言われて、ユウリは目をパチクリさせてしまう。
ぐるりと見回すと、先程まで彼女の手元に注目していた五人が、いつの間にかバラバラの方向を向いていた。ユージンは書架に、ロッシは薬草を栽培している一画に、レヴィはキッチンへ、ヨルンさえも長椅子にいつものように横になっている。
唯一ユウリの隣に残っていたリュカは、心底疲れたようにその女性に向かって溜息をついた。
「君は黙ってれば、そこそこなのにねぇ」
「リュカ様に言われたくありませーん。私、リュカ様と同じパリア出身なの。この方の弱点なら、いつでも聞いてね!」
親指を立てて輝く笑顔で言う彼女に、ハーッという態とらしい溜息をついて、リュカはユウリへ向き直る。
「彼女はヴァネッサ。雑務をお願いしているカウンシル補佐役なんだ。仔猫ちゃんのことは一通り伝えてあるよ」
どうもはじめまして、と自分でもありきたりすぎると思う挨拶をして、ユウリは素朴な疑問を投げかけた。
「みなさん、急にどうしたんですか? もうやめてもいいんですかね……?」
盛大な舌打ちがユージンから返ってきて、やってしまったのではないかと思った時には遅い。
「ちょっと待って! よく見たら、なんでこの子こんな疲れてんの? 男五人揃って何をやらせたのかしら!?」
「え、ちょっとヴァネッサさん」
「しかも、ユージン様、執務室舌打ち禁止令忘れたの!?」
「……チッ」
「あー! またしたわね!?」
辛うじて『様』とついているものの、ヴァネッサの物言いにユウリはハラハラした。
各国の王子にして学園最高峰の実力者たちにこれほど物申せるとは、彼女は何処かの女王様か何かなのだろうかと本気で考えてしまう。
同時に、一瞬にして通常モードに戻った先程の王子達を思い出して、彼らの苦手なものが分かった気がする。
散々ユージンを罵った後、レヴィにお茶を薦められて、ヴァネッサは漸く鎮火した。一気に飲み干したお茶のお代わりをレヴィに求め、そしてユウリの方ににこりと微笑む。
「ごめんなさいねー、騒々しくて」
「い、いえ」
「私はヴァネッサ、ヴァネッサ = ワルター。今は学園熟練クラスで各種戦闘技術と戦闘魔法を研究中。さっきリュカ様が言ったように、カウンシルの雑務担当よ」
およそ美女に似つかわしくない研究内容が聞こえた気がしたが、ユウリは敢えてスルーする。
リュカは額に右手を添えて俯いたまま、目を閉じてソファに沈み込んでいた。ヴァネッサをどうにかするのは諦めたようだ。
「ようするに」
ユウリがヴァネッサから根掘り葉掘り質問されている途中で、唐突にヨルンが口を開いた。皆が彼に注目する。
「ユウリがあまり魔法を使えないのって、見たことがないから魔力の流れがわからないってことじゃないのかな?」
「ああ、それはあり得る。よりによってあのトラン村だからな。現に生活魔法程度は出来ていた」
ロッシに肯定されて、ヨルンは笑顔で長椅子から立ち上がった。
「じゃあ教えるの簡単じゃない? ちょっと見ててね」
「おい、ヨルン」
静止するユージンにウインクを返して、ヨルンは部屋の中程に進む。
そして始まった詠唱に、ユウリは言葉もなく見惚れてしまった。
恐ろしく正確な、あり得ないスピードで唱えられる複雑な呪文。
ヨルンの唇が僅かに動いたかと思うと、一瞬で水柱が上がる。
キラキラと落ちる雫に彩られて、彼の銀色が眩しい。
「ぎゃー! ヨルン様何するんですか!!」
「お前、これは誰が片付けるんだ?」
「んーレヴィ?」
「ぼ、僕ですか?」
「……すごいです」
ユウリの感嘆にヨルンが微笑むのを見て、ロッシが呆れたように溜息をついた。
「ユウリ、これは全くもって参考にならないからな」
「え?」
ヨルンはえーと間の抜けた不満の声を漏らす。ロッシはそれを無視して、水滴のついた眼鏡を拭きながら、ユウリを横目で見る。
「ヨルンは、規格外。あのスピードの詠唱であの魔力の流れを作ってこそ、これだけの省エネで上級魔法が打てる。お前が今の状態で真似しようとしたら、詠唱の速度はおろか、唱え終える前にそのあり得ん魔力が漏れすぎて、辺り一面壊滅状態だ」
「そ、そうなんですか」
練習すれば自分でも出来るかも、なんて思っていたことは黙っていた方が良さそうだ。
ではどうすれば、というユウリの質問に返ってきた答えは、あまり嬉しくないものだったのは言うまでもない。
水音と共に、ソファーが水浸しになる。一拍置いて、リュカの笑い声が執務室に響いた。
その原因を作った本人は、オロオロと辺りを見回している。
ユウリはあの後、ロッシによってカウンシル執務室へと連れ帰られた。
すでにそこにいた他の四人に経緯を説明し、彼はユウリに、もう一度ポーション生成を行えと命じたのだ。
それで、この惨事である。
「うわー、本当に致命的に徹底的に出来ないんだねぇ」
「わ、笑い過ぎです、リュカさん!」
ユウリは持っていたハンカチでは到底足りない水量を、必死で拭っていた。
舌打ちの後、ユージンが短く詠唱すると、瞬く間にその水分は蒸発する。
「これも、基本中の基本、水魔法の応用だ」
「み、水魔法なら……」
ユウリは、数少ない使用可能な魔法を披露しようと詠唱して、突き出した手のひらに収まる水を生成する。
どうだ、といわんばかりに顔を上げると、苦笑しているレヴィとヨルン、殺されるのではと錯覚する睨みをくれるユージンとロッシ、そして顔を真っ赤にして笑いを堪えているリュカがいた。
「あ、あの……」
「その程度なら、その辺の幼児の方がよっぽど使えるな」
ロッシから言われて、ユウリは真っ赤になって俯いてしまう。
短く溜息をついて、ヨルンは彼女の隣に腰掛けて頭を撫でた。
「これも、練習するしかないね」
「はい……」
「魔力のコントロールと安定と、魔法実技。大変だけど、頑張れる?」
こくん、と頷いた彼女の頭をもう一度撫でると、ユージンとロッシは諦めたように嘆息する。
「仔猫ちゃんの場合は、まず出来る魔法を見せてもらってからだね」
リュカの鶴の一声で、カウンシルの美形達にずらりと囲まれたプレッシャーの中、ユウリは数少ない魔法を披露する羽目になった。
ユウリの住んでいたトラン村は、《辺境の地》もしくは《秘境》と名される。
北東の森の奥、山脈の隣接するその地理からして正にその通りなのだが、一番の理由は住民の生活形態によるものだろう。
彼らは、必要最低限の生活魔法以外その一切を排除し、《始まりの魔女》以前から続く伝統的な様式に則って生活している。
治癒魔法ですら、村に派遣されている医師とその助手として働く村人のみしか使わない。
だからと言って、彼らが社会から取り残されているのかというと決してそんなことはなく、子供たちは一定の年齢になると近隣の王国の普通学校へと進学するし、大人たちも魔法工学や魔法科学などの知識は一般常識程度には持ち合わせている。
ある意味だからこそ、ユウリの可笑しな魔力が今まで誰の目にも止まらなかったのだろう。
カウンシルメンバーたちがそう結論づける頃には、ユウリはかなり疲弊していた。
ロウソクに火が灯せる程度の火魔法や、先程の水魔法、植物にちょっとした成長を促せる土魔法、自分から一歩半程の半径の範囲の空気を清浄する風魔法。
本当に基本の中の基本、どちらかというと魔力がある人間ならできて当たり前な魔法でも、不安定な魔力を極限まで集中して正しい方向に導かなけばならない彼女にとっては、かなりの負担だった。
「お疲れさーん……ってあら?」
突然開いた執務室の扉に、ユウリの集中が途切れ、何度目かわからない火魔法がバチンと弾けた。
「あっぶないなぁ、もう。ヴァネッサ、ノックしてっていつも言ってるよね」
「ごめんなさいねー」
リュカの抗議を意に介さず入室してきた長身の女性に、ユウリの視線は釘付けになった。
少しウェーブのかかった薄藤色の長髪が、綺麗な卵型の輪郭を優しく縁取っている。アメジストのような瞳と、少し垂れた目尻とは対照的な、きりりと弧を描く眉。通った鼻筋に、美しくふっくらとした真っ赤な唇。
絶世の美女、と言っていいほどの女性が、そこにいた。
「あなたが、《魔女》のユウリちゃん?よっろしくぅ」
その外見からは想像出来ない軽さで言われて、ユウリは目をパチクリさせてしまう。
ぐるりと見回すと、先程まで彼女の手元に注目していた五人が、いつの間にかバラバラの方向を向いていた。ユージンは書架に、ロッシは薬草を栽培している一画に、レヴィはキッチンへ、ヨルンさえも長椅子にいつものように横になっている。
唯一ユウリの隣に残っていたリュカは、心底疲れたようにその女性に向かって溜息をついた。
「君は黙ってれば、そこそこなのにねぇ」
「リュカ様に言われたくありませーん。私、リュカ様と同じパリア出身なの。この方の弱点なら、いつでも聞いてね!」
親指を立てて輝く笑顔で言う彼女に、ハーッという態とらしい溜息をついて、リュカはユウリへ向き直る。
「彼女はヴァネッサ。雑務をお願いしているカウンシル補佐役なんだ。仔猫ちゃんのことは一通り伝えてあるよ」
どうもはじめまして、と自分でもありきたりすぎると思う挨拶をして、ユウリは素朴な疑問を投げかけた。
「みなさん、急にどうしたんですか? もうやめてもいいんですかね……?」
盛大な舌打ちがユージンから返ってきて、やってしまったのではないかと思った時には遅い。
「ちょっと待って! よく見たら、なんでこの子こんな疲れてんの? 男五人揃って何をやらせたのかしら!?」
「え、ちょっとヴァネッサさん」
「しかも、ユージン様、執務室舌打ち禁止令忘れたの!?」
「……チッ」
「あー! またしたわね!?」
辛うじて『様』とついているものの、ヴァネッサの物言いにユウリはハラハラした。
各国の王子にして学園最高峰の実力者たちにこれほど物申せるとは、彼女は何処かの女王様か何かなのだろうかと本気で考えてしまう。
同時に、一瞬にして通常モードに戻った先程の王子達を思い出して、彼らの苦手なものが分かった気がする。
散々ユージンを罵った後、レヴィにお茶を薦められて、ヴァネッサは漸く鎮火した。一気に飲み干したお茶のお代わりをレヴィに求め、そしてユウリの方ににこりと微笑む。
「ごめんなさいねー、騒々しくて」
「い、いえ」
「私はヴァネッサ、ヴァネッサ = ワルター。今は学園熟練クラスで各種戦闘技術と戦闘魔法を研究中。さっきリュカ様が言ったように、カウンシルの雑務担当よ」
およそ美女に似つかわしくない研究内容が聞こえた気がしたが、ユウリは敢えてスルーする。
リュカは額に右手を添えて俯いたまま、目を閉じてソファに沈み込んでいた。ヴァネッサをどうにかするのは諦めたようだ。
「ようするに」
ユウリがヴァネッサから根掘り葉掘り質問されている途中で、唐突にヨルンが口を開いた。皆が彼に注目する。
「ユウリがあまり魔法を使えないのって、見たことがないから魔力の流れがわからないってことじゃないのかな?」
「ああ、それはあり得る。よりによってあのトラン村だからな。現に生活魔法程度は出来ていた」
ロッシに肯定されて、ヨルンは笑顔で長椅子から立ち上がった。
「じゃあ教えるの簡単じゃない? ちょっと見ててね」
「おい、ヨルン」
静止するユージンにウインクを返して、ヨルンは部屋の中程に進む。
そして始まった詠唱に、ユウリは言葉もなく見惚れてしまった。
恐ろしく正確な、あり得ないスピードで唱えられる複雑な呪文。
ヨルンの唇が僅かに動いたかと思うと、一瞬で水柱が上がる。
キラキラと落ちる雫に彩られて、彼の銀色が眩しい。
「ぎゃー! ヨルン様何するんですか!!」
「お前、これは誰が片付けるんだ?」
「んーレヴィ?」
「ぼ、僕ですか?」
「……すごいです」
ユウリの感嘆にヨルンが微笑むのを見て、ロッシが呆れたように溜息をついた。
「ユウリ、これは全くもって参考にならないからな」
「え?」
ヨルンはえーと間の抜けた不満の声を漏らす。ロッシはそれを無視して、水滴のついた眼鏡を拭きながら、ユウリを横目で見る。
「ヨルンは、規格外。あのスピードの詠唱であの魔力の流れを作ってこそ、これだけの省エネで上級魔法が打てる。お前が今の状態で真似しようとしたら、詠唱の速度はおろか、唱え終える前にそのあり得ん魔力が漏れすぎて、辺り一面壊滅状態だ」
「そ、そうなんですか」
練習すれば自分でも出来るかも、なんて思っていたことは黙っていた方が良さそうだ。
ではどうすれば、というユウリの質問に返ってきた答えは、あまり嬉しくないものだったのは言うまでもない。
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